2001年5月31日(木) ブリーダーかアソシエイトか

 本好きなサイトを運営していたり、そんなサイトに足繁く通っている方はとっくに知っていると思うけど、bk1のブリーダー・プログラムが目ざといサイトオーナーの間でブレイク中のようですね。ぼくも一時考えたことがあったけど、生来の面倒くさがりなもんで、考えただけで終わってしまっている。

 実は、仕組みがよくわからないので、下手な説明はできないんだけど、自サイト内にbk1へのリンクを張って、そこから飛んだ人が本を購入したときに数パーセント(5%だっけ?)の手数料を払います、というようなものだったと思う。TOPページからbk1へリンクを張るのみでも良いんだけど、人によっては自分の好きな本を並べるなどの工夫を凝らしていて、見ているだけでも楽しいサイトがたくさんある。

 ブリーダー・プログラム。あったま良いなぁ、と思いましたよ。なんて優秀な人たちが運営しているんだろう、これじゃあ生半なオンライン書店は絶対敵わないぞ、って。本好きは一度は書店を経営してみたい、なんて夢を持っている人が多いからね。ところがところが、このプログラムには先達がいたのですね。Amazonのアソシエイト・プログラムがそれ。Amazonのサイトによれば、全世界で何万というサイトが参加していて好評らしい。なんのことはない、bk1はそれをそっくり真似ただけだったのね。なぜかAmazonは日本では出遅れた。

 残念ながら、特に親しいネット仲間はあまり熱心じゃないみたい。っていうか、あんまり親しい人はいないんだけど(^^;;;。そんな中で、「未読山脈の片隅より」の小太郎さんが「ボイル堂」と題したネット書店をオープンした。流行のbk1じゃなくて、Amazonってとこが、とってもボイルド者らしいなんて邪推をしたらそういう理由じゃないらしい。

 ともかく小太郎さんはいろんなアイディアをお持ちの方で、バーチャルでなくて実在する古書店の棚を借り受けて好きな本を並べて売る、なんて試みもやっている。「ボイル堂」は、その烏書房とも連動しているらしい。こないだ掲示板を読んでいたら、初売上があったとか。前向きです。

 実は「ボイル堂」ではぼくの好きな本も並べてもらっている。過去に紹介した本の(4.5)以上を並べて、自分のイチオシ本のコーナーを作ってみようかと、ずっと前から自分でも考えていたんだけど、これもまた生来の面倒くさがりのため伸び伸びになっていた。小太郎さんがやってくれたのはまさにこれで、ぼくが読了した海外作品で(4.5)以上をつけている本をずらっと並べてくれているのです。ありがたいことです。
「ボイル堂」 http://homepage2.nifty.com/~kuwa/p-boiledlist.htm 
 
 ところで、今日bk1店長の糸井重里へのインタビューで知ったんだけど、bk1の店長は、「本にも本籍と現住所」で何度もマスコミに紹介された「往来堂」の元店長なのですね。bk1のユニークさの源泉はこんなところにあったのかな? 

 bk1にしろAmazonにしろ、サービスではとっくに紀伊國屋BookWebを超えていると思うんだけど、実際のところはどうなんでしょうね。

2001年5月30日(水) 嗚呼、フレッツ・ADSL!

 昨日、やっとNTTから連絡があった。これほど待ちわびた電話も珍しい。春日部にサービスを開始したのが4月26日で、ぼくが申し込んだのは4月30日。ちょっと遅かったのが災いして、約一ヶ月待つことになってしまった。あ、フレッツ・ADSLね。待ちくたびれて、一度だけ116に電話したけど、そのときから一ヶ月かかるとはっきり明言していた。で、昨日でしょ? なんというか、わざと一ヶ月待たせてるって勘ぐりたくもなるよねぇ。

 「草加のNTTです」って受話器から聞こえてきたときはホントに嬉しかった。思わず「この電話待ってました」なんて応答していた。ところが次に聞こえてきた言葉は、あろうことか「それが、ダメなんです…」 思わず聞き返してしまった。有頂天のぼくを奈落に突き落とす冷たい響き。もちろん、理由を聞きましたよ。でも、聞いたってわかりゃしない。

 つまり、ADSLのためには銅線の電話線が必要なわけだが、ぼくのエリアというか、マンションは銅線ではないんだと。築9年くらいのマンションだから、たぶん光ファイバーなんでしょう。だからダメだと。ただし、ダメなのはぼくが申し込んだ共用タイプのTYPE1と呼ばれるサービスで、専用線を引くTYPE2ならば、たぶん問題ないからどうしましょうか? これも設備の担当者が調べてやっと可能かどうかわかるんだと。ふざけた話だよねぇ。とりあえず、TYPE2ならばできるのかどうか調べてもらうことにして電話を切った。

 ルータをレンタルするとして、TYPE1で月額4,600円が、TYPE2になると6,200円になるのよ。そのほか、工事費が15,000円くらかかるらしい。早速ウェブで調べてみるが、NTTのフレッツ・ADSLは遅いとかそんな情報しかなくて、TYPE1と2で、スピードに差が出るとかそんなことを説明したサイトには当たらなかった。結局、新しく引くってことで、差額の1,600円を納得するしかないのか。

 決めかねていたら、今日早くもNTTから連絡がきてしまった。TYPE2の専用線を引くタイプなら可能らしい。しっかし、そんなのあったり前じゃん。線を引くんだからさ。「TYPE2を申し込むということでよろしいでしょうか?」 そう言われても、簡単には決められない。

 現状は、テレホーダイ1800とタイムプラスで、だいたい月あたりの電話料金が8,500円前後。因みに今月分を見ると、テレホーダイ1800を利用しなかった場合3,180円。同じくタイムプラス適用による請求が2,091円で、これも利用しなかった場合3,158円だ。テレホとタイムプラスで2,000円。タイムプラスの適用額が2,091円だから、インターネットに4,091円かけたことになる。今月はいつもの月よりも10%くらい安いから、毎月のネット電話代は4,500円くらいだろうか。

 ピッタリでしょ、フレッツ・ADSLのTYPE1の料金に。セコいヤツとお思いでしょうが、1,600円といえども納得して払いたい。衛星を使った高速通信とか、光ファイバーの高速通信とか、近い将来にいろいろ控えているもんね。ここでもうちょっと我慢するのも手かなと。TYPE2の方が断然早いとか、安定しているとか、そんな情報をお持ちの方はいませんか? 

 とりあえず、次の電話は6月10日前後らしいから、それまで考えて結論を出しておかなければ。さて、どうしたもんか…。嗚呼、フレッツ・ADSL!

2001年5月29日(火) 武蔵丸こそが真の功労者なのだ!

 「国技館が感動の拍手で揺れた!」「大相撲史に残る感動の優勝!」「あれこそ鬼の顔だ!」などなど、今場所の横綱貴乃花の優勝に賛辞の大合唱だ。美談美談。いやいや、「普通の人なら全治二ヶ月のケガ」だそうだから、そりゃたいへんだったでしょう。後追い記事でも、やれ靭帯まで痛めていたとか、血が流れていたとか、これでもかとお涙頂戴ちょうちん記事の連発だ。でも、天邪鬼なぼくは、相撲協会とマスコミが挙って話題作りに励んでいる姿に、腹立たしさを超えて同情すら感じてしまうのだけど、捻くれてますかねぇ…。

 相撲取りの身体能力が高いのは、いろんなメディアで取りざたされているから、ぼくだって知っている。一説によれば、あらゆる格闘技の中で最強だとか。ホントかどうかは別として、それだけの身体能力を持ちながら、八百長が横行しているのもまた周知の事実。相撲協会がどれだけ反論しようが、あれだけ多くの元相撲取りが証言しているんだから、疑う理由はどこにもない。

 相撲協会って、目先の話題つくりや美談にとても弱いのね。そんな小手先の策を弄したって、先が見えているのがわかっているくせにいつも同じことを繰り返す。あ、わかってないのか。それよりも、もっと先に手をつけなくちゃいけないことがあるだろう。いまどき、相撲取りと政治家が本気で勝負しているなんて思うヤツは小学生にもいないよ。そりゃ、真面目にやっている相撲取りもいらっしゃるでしょう。実際、若い力士では増えているらしいし。だが、本質は何も変わらない。

 今場所の優勝だって、額面通りに受け取っている人は少ないのでは? 八百長だと言っているわけじゃない。武蔵丸にかかる有象無象のプレッシャーだ。本割であれだけ脆くくずれた貴乃花に、決定戦でなぜ武蔵丸はあっけなく投げ飛ばされたか。武蔵丸こそ功労者でしょう。相撲協会は武蔵丸に特別ボーナスを出すべきでないの? 何が「鬼の形相」だ。お笑い草。自己肯定意識が強過ぎ。武蔵丸こそ真の功労者なのだ。

 興業なのだから、商売が先に立つのは当然。問題はその「商売」の捉えかたなのだ。いきなりで申し訳ないが、プロレスの成熟を少しは見習うべきじゃないかな。八百長だ、なんてプロレスに向かって吼える人はどこにもいないでしょ。え、いる? ともかく、もっと謙虚になってさ。同部屋対戦も全然できそうにないし、新弟子検査なんか閑古鳥が鳴いているそうだし、このままいくと大相撲は絶滅すると思うけど。ま、いまさらながら、ですが。

2001年5月28日(月) 父子のコミュニケーションはキャッチボールで、というベタな発想

 野球が嫌いだった。プロ野球シーズンになると、楽しみにしている番組がナイター中継のために潰れたりして気分の悪い日が多い。ところが、昨日の「ちびまる子」なんか見ていると、お父さんたちは挙って「ナイター」を見ているのね。王が600号ホームランを打った時代だから、娯楽も多くなかったんだろうと思うけど、今でも状況はたいして変わらないんだろう。きっと、ナイター中継を楽しみにしているお父さんたちはたくさんいるだろう。

 よく野球観戦は「大人の楽しみ」などと言われる。表面的には投げて打って走って守るくらいしか見えなくて、サッカーなどに比べると、いかにもチンタラやっているイメージが強い。もちろん、サッカーだってチンタラやってる試合はあるから、このへんはあまり強くはいえないが。それともうひとつ、攻撃する側と守る側がはっきりと分かれているから、見ていてもドライブ感がなくてつまらないのだ。

 ところが、野球は奥が深いらしい。野球好きに「攻撃する側と守る側がはっきりしていてつまらない」なんて言おうもんなら、延々と反論を聞かされることになる。つまり、守っていても攻撃している場合があるんだとか、ピッチャーの攻撃的な配球とか、キャッチャーの攻撃的なリードもわからないようでは、元々ナイター中継なんて見る資格はないんだ、ガキなんだよ、ってな具合である。でも、おもしろくないものはおもしろくないのだ。

 ところで、唐突だけど、ぼくは公園フェチなのね。昨年の入院以来、体調が思わしくないので鳴りを潜めていたけれど、最近になってやっと快復してきたので、立て続けに新しい公園を訪問している。先日訪問した、そのうちのひとつで少年野球大会が開催されていた。なんとなく手持ち無沙汰で、しばらくじっと眺めていた。で、気がついたのですよ、なんで自分は野球が嫌いなのか。あの、「声出せっ!!」だったのだ。ベンチから客席から出場している選手から、スタイリッシュな掛け声がかかる。声のイントネーションとか独特でしょ? あれが気持ち悪かったのだ。あの強制も。

 野球だけでなく、日本のスポーツ教育って、「声出せっ!!」という精神教育が多いのだけれど、野球だけは別格だと思うのだ。サッカー選手の「声」には、それなりの意味があるし、格闘技の「声」は気合だから、これも意味がある。野球のアレは何? 気合にしては随分間が抜けている。野次だってさ、品位が低すぎて、言ってることとやってることのギャップが激しすぎてついてけない。とくにあの声が宗教がかって聞こえてしまうのは考えすぎだとしても、どうもついてけない。

 応援風景も理由のひとつ。最近は、日本人選手が大リーグで活躍していて、大リーグ中継を何度も目にしているけど、向こうの球場は静かなもんだよね。日本の球場のあのバカ騒ぎは何? あれのどこが応援なのさ? 酔っ払って騒いでいるだけにしか見えない。下は少年野球からプロ野球まで、太鼓たたいて「かっとばせぇ〜え、○○」でしょ? あんなに騒いでいてホントにお前ら野球を見てるのか。あんなに騒いでいて、どこが大人の楽しみなんだと言いたい。まあ、国民性といえばそれまでなんだけど。

 というわけで、わが家では野球はまったく見ない。見なければ知らないのは当然で、ウチの子供は野球をまったく知らない。たまにニュースなどを見ていて質問されるけど、野球ってルールがものすごく難しいのだ。説明しても簡単には理解してくれない。ただ、ボールを投げるという行為にはとても興味があるらしい。

 さて、話は飛ぶが、先日、長男のクラスの個人面談があった。予想通りというなんというか、カミさんがいろいろ言われて帰って来た。ウチの長男には爪を噛む癖があって、それが愛情不足の象徴だとか、コミュニケーション不足だとか、キレる性格だとか、友だちがいないとか、結構きつく言われたらしい。で、それがそっくり、父親に跳ね返ってきたわけ。お父さんがパソコンばっかりやっているからだ、って。

 パソコンのせいにされるのは心外だが、言われてみれば、次男が生まれてからあとは思い当たらぬ節もないこともない。じゃあ、どうしようと考えて思いついたことがふたつ。ひとつは将棋。駒の動かし方から教えて、今では飛車角落ちでも父は敵わなくなった。(元々が下手クソだから…σ(^_^;)将棋のおもしろさが少しはわかってきたらしい。これは毎日やるようにしている。

 それともうひとつのベタな発想がキャッチボールだった。カミさんに話したら大賛成。父の思いをボールにこめて投げる。息子の思いがボールにこめて投げられてくる。実に浅はかな、スポ根嫌いなぼくとしては情けない発想なのだが、藁にもすがる思いで先週金曜日、息子にグローブと軟球を買って与えた。鼻腔をくすぐる本皮の匂いが懐かしい。一緒に買ったグリースをグローブに塗り込んで、網の部分にボールをあてがってきつく縛る。息子はじっと父の所作を見つめている。「どのくらいで柔らかくなるの?」「一日やっとけば大丈夫じゃないかな?」

 翌日、彼は朝からそわそわしている。グローブが気になるらしい。昼過ぎに開いてみたら、まだ堅いものの使えない状態ではなさそうなので、早速近くの公園で初めてキャッチボールをしてみた。「お父さん、野球嫌いなんだよね」「りょうたとやる野球は嫌いじゃないよ」そんな会話をしながら、2mくらい離れて捕球する練習をした。しかし、初めてのことで、なかなかうまく捕球できない。いじける、くさる、言い訳する、怒る、ボールが怖い。たまにうまく捕れると誇らしげ。父からも息子からも自然と声が出た。これなのかなぁ、と愚父は、あの少年野球の風景を思い出していた。

 ボールに思いがこめられていることも、少しはわかった。本人にはそんなつもりはなくても、間違いなく彼のボールにはある思いが宿っていたように思う。キャッチボールから象徴的意味を読み取るなんて、あまりにベタで重松清の小説のネタにもならないなぁ、と思いつつも、父が返すボールにも自然と思いがこもった。今更ながらの単純でウェットな父の勘違いだとしても、少しは野球を見る目が変わってくるのかなぁ、と思っている。彼のボールを受けながら、たまにはふたりでナイターでも見てみようかと、またまたベタな発想をしてしまったのである。

2001年5月26日(土) 今、ぼくの足はたいへんなことになっています

 ぼくの足はたいへんなことになっています。5/24(木)からおかしくなって、昨日医師に受診しました。医師によれば、紫斑(しはん)と呼ばれる病気だそうで、両足の膝から下全面に渡って、ちょうど打ち身で内出血したような赤紫の斑点が、不定形で密度濃くまだらに広がっている状態なのです。原因不明。ほとんどの場合風邪が誘引で、そのウィルスが何かの悪さをして、圧力の掛かる足の毛細血管が破れて血が漏れ出してしまったのだそうです。

 じっと、赤紫の斑点が広がる足を見ていると吐き気がしてきますよ。気持ちが悪くなる。他に症状としては、下痢とか倦怠感とか。きっと先週の発熱からすべてがはじまっているのでしょう。原因不明だから、対症療法しかないんですね。医師は副腎皮質ホルモンを処方してくれました。悪化すると入院しなくちゃならない場合も出てくるようで、安静にしているようにきつく言われてます。感染する心配がないのでちょっとは安心ですけどね。

 そうかと思ったら、次男坊が「りんご病」だそうですよ(^^;;;)。頬と手足が赤くなって熱を持っているので、かかりつけの小児科へ行ったら「りんご病」だと。近隣の幼稚園・小学校で猛烈に流行っているらしい。先週、長男の個人面談で学校へ行ったときに感染してしまったのですね。カミさんまで「足が赤くなってきた!」などといって騒いでいます。驚いて見に行ったら、確かに赤くなっている。

 というわけで、今週末のわが家はみんな赤くなっています。それでも、長男とキャッチボールしたんだけど。その話はまたあとで。

2001年5月25日(金) 読書感想『この世の果て』 居場所があり、保護されることは重要だ。

2001年5月24日(木) ハンセン病、ベン・ハー、砂の器

 テレビで映画『ベン・ハー』を観たときはじめてハンセン病を知った。主人公チャールトン・ヘストンが、世を偲んで暮らす母と姉に会いに行く。母と姉の顔には黒いベールがかけられていて、決して顔を顕わにはしない。子供ながら、なんで顔が黒いベールで覆われているのか、ベールの下がどうなっているのか気になって仕方がなかった。ライ病患者は、「ライ者の谷(うろ覚えm(__)m)」というような名前の場所に隔離されて、なぜか罪を償っているというような表現だった。

 日本映画では『砂の器』だよね。演奏会で息子が作曲・演奏する「宿命」というピアノコンチェルトにのせて、親子が巡礼する姿を写しだした四季折々の回想シーン。ああ、あれは涙なしでは観られない。書いているだけで、涙腺が緩くなってくる。父は自分が重度のハンセン病患者であることが息子の将来に影響があると、「こんな子は知らない!!」とか言うわけ。

 ハンセン病がこれほどに差別される理由は何でしょう。今回の一連の裁判で自分なりに調べてみた。どうも、考えられるのは、恐ろしいほどに変形した手や足や顔にあるらしい。ベン・ハー母姉が隠した顔。戦後までは決定的な治療法がなく、不治の病だったことも人々の恐怖を助長した。前述の『ベン・ハー』に見られるように、キリスト教や仏教などで、ハンセン病は前世での悪行や現世の罰というような誤った位置付けをしてしまったことも大きな原因らしい。

 法律としては、1907年に制定された「癩予防ニ関スル件」が最初で、1931年に「癩予防法」と名前を変えたあと、患者を根こそぎ強制隔離しようという政策が進められた。「刈り込み」と称して、警察や衛生当局を使って患者を探し出させ、「お召し列車」と呼ばれる特別列車に乗せられて各地の療養所へ運ばれる。消毒など、見せしめ以外のなにものでもない仕打ちが繰り返される。患者はあらゆる人間の自由を奪われ、親兄弟らの面会も拒絶され、治癒したあとも外には出してもられない。強制労働ですよ。徐々に、患者も家族も存在をひた隠しにするようになる。これを差別と呼ばなくてなんだ、っていうくらいひどい。

 ところが、ハンセン病の特効薬は昭和18年に開発され、以後100%速やかに治癒するようになった。だが、外には出られない。感染症としてみても、非常に感染率の低い病気で、成人にはまず感染することがなく、幼児でも患者と長期に渡って接触を続けなければ感染することはないんだと。風邪のウィルスの方がよっぽど強力なのだ。国はこういうことをみんな承知してああいうことをしていた。露見したあとではなんとでも言えるけど、まったくとんでもないことを続けていたもんだ。アウシュビッツですよ。患者らは、1996に法律が廃止されるまで強制隔離されていた…。言葉もない。

 とりあえず「さすが小泉さん」と言っておきたい。これが単なる参議院選挙向けの人気取りにならないように、みんなで監視しましょう。でも、患者の真の救済はこれから始まるのですね。

2001年5月23日(水) 語尾を笑わせる人々

 ちょっとばかり疑問点があって、管轄の社会保険事務所に電話した。電話を取ったのは、20歳代後半くらいのお姉さん。用件を言うと、ワタクシが伺います、とおっしゃるので、そのまま話を続けた。

 しばらく話をしてやっと事情をわかっていただけたようだ。そのときの彼女のセリフを書くとこうなる。「決して、そのようなことはありません(笑)」 と語尾で笑ったのだ。その後も頻繁に語尾を笑わせる。「そのようなことは決してありません」と言えば「ありません」を、「そんなことないと思いますよ」なら「思いますよ」を、微かに笑いながら発声した。

 何度も何度も(笑)を聞かされて、終いにはアタマにきた。「こっちは真剣なんだ、笑うのは止めてくれ」 と言ったら、「あああ、申し訳ありません(笑)」とまたもや語尾を笑わせる。さすがに、今度ばかりはそんな自分に気が付いたらしく、再度「ああ、申し訳ありません」と語尾を笑わせずに繰り返した。

 役人に限らず、こんなヤツはどこにでもいるけど、彼ら、つまり語尾を笑わせる人たちには規則性があるんだよね。自分の意見を述べる場面になると語尾を笑わせるのだ。前述では、「ありません」と「思いますよ」。語尾を笑わせることによって、照れ隠しなのか妙に馴れ馴れしくなって共犯者を装わせようとする。あるいは、言い難い言葉を言い易くして、印象を和らげているかの勘違いを押し付ける。ほら、アンタだってわかるでしょ? と言いたいわけ。

 冗談じゃない。相手をみてしゃべりなさい。こっちが真剣に話しているときにこれほど失礼なことはないのだ。

 似たような勘違いにネット文章の顔文字がある。前述の(笑)とか、ぼくも掲示板で良く使うけど(^^;;;とか。これも使い方によっては、失礼極まりない場合があるから注意が必要。ネットでは、実生活以上にドロドロすることもあるようだから、怖いねぇ…(^^;;;)。

2001年5月22日(火) 良い医師? 悪い医師?

 39.6度という、ここ数年経験したことの無い高熱で、日曜午後から昨日一杯寝込んでいた。

 日曜日は、朝から身体が痛かったのだが、一眠りしたらそれほど気にならなくなっていたので、クルマで一時間ほどの公園へ遊びに行った。その帰り、買い物に寄ったスーパーでものすごく具合が悪くなる。買い物はカミさんと長男にまかせて、次男と階段に腰掛けてひたすら耐えた。

 帰宅して体温を測ったら、37.9度あった。そのままダウン。ところが、喉も痛くなければ、鼻水が出るわけでもない。もちろん、咳も出ない。ひたすら熱が出て、それに付随した症状、例えば身体の節々が猛烈に痛いとか、頭が重いとか、だるいとか、眩暈がするとか、そんな症状があるのみ。気味が悪いので、その夜は痛風治療のために処方されている薬を休んだ。ボルタレンは、解熱作用もあるけど、薬に頼りたくなかったし。

 薬に頼らなかったために、その夜はほとんど眠れなかった。で、翌朝、あまりに気味悪い発熱に恐れをなして、近くの病院へ行った。通院している病院へ行くべきなのだろうが、通院先の病院の内科はとにかく混んでいる。あんな具合の悪い状態で、長いこと待つのは耐え切れないので、近くの比較的空いている病院を選んだのだ。

 医師に症状と経過を尋ねられて、正直に発熱の他は、まったく症状が無いと言った。そしたら、その医師は喉も見なければ、聴診器もあてない。「最近、大きな病気はしてませんか?」 と問われたので、昨秋痛風で入院したこと、今年3月末に再び発作に見舞われたこと、現在も治療中であること、ボルタレンとザイロリックを継続して服用していることなどを説明した。

 それを聞いてその医師は、薬も出す必要が無いと言い放った。医師が言うには、「ウィルス性のもので、熱さえ下がれば症状はすべて改善される。ボルタレンには強い解熱作用もあるから、ボルタレンを飲み続けているならそれで十分。というよりもボルタレンよりも強い薬は出せない」 続けて言うことに、「ボルタレンのような強い薬をそれだけ長期間飲み続けていると、かなりの確率で胃潰瘍を引き起こす。だから、病院を変えて、別の角度からしっかりと痛風を治療すべきではないか」 だそうだ。

 ぼくは、何しに病院へ行ったの? 内科医と話して、540円支払って帰宅したんだけど、とりあえず、おかしな病気では無さそうなので、それだけでも良かったか。ボルタレンの怖さもわかったし。約41年生きてきたけど、病院へ行って、喉も見られなければ、聴診器も当てられず、おまけに薬までもらわなかったなんてはじめての経験だ。

 さて、その内科医は良い医師なのでしょうか、悪い医師なのでしょうか?

2001年5月19日(土) サイトのお値段

 朝5時からネットをうろうろ。なんとか一時間半で切り上げて、懸案だった「公園へ行こう!」の更新作業を行う。5/13(日)に行ったのは、「智光山公園」と「サイボクハム」の二ヶ所だ。記事を書いて、「お遊びのタネ」と呼んでいる施設の紹介を書いて、デジカメ写真を選んで解像度を落として、写真用のページを作って、リンクlを確認して…。この作業に、朝食を挟んで11時までかかってしまった。

 6時半から始めて、食事と休憩を30分程度取ったと考えても、二ヶ所で約4時間もかかっている。今回の「智光山公園」は過去紹介した公園と比べてもかなり大規模な公園で施設も多いから、他よりも時間がかかっていると思う。なんだかんだで、一公園紹介あたりの所要時間は二時間程度だろう。

 数えてみたら、写真入りで紹介している公園は45箇所もある。単純に掛け算して2時間×45で90時間もかかっていることになる。最初の不慣れなころは2時間では到底終わっていなかっただろうから、二割増しくらいと考えて、約108時間。ほかに、写真を入れていない公園が31箇所ある。これを30分平均として、15時間半。他にデザインを考えたり、なんだかんだで10時間くらいはかかっているんじゃないか。合計すれば、108+15.5+10で合計133.5時間もかけている計算になる。

 「ぼく的楽天生活」はたいへんだ。国産130作品、海外129作品の感想文がある。一本書き上げるのに、平均して一時間以上はかかっていると思う。一時間としても259時間。日記も侮れない。サイトを開設して今日が907日目にあたる。ざっと見たところ日記を書いていないのは62日だと思うので、開設前の3日分は忘れても845回は書いていることになる。読書感想も日記に書くようになってから、書いた感想が13だから、差し引き832回は書いていることになる。

 日記だって、かなり時間がかかるのだ。初期のころなら早いときは10分程度で終えていたが、今は2時間近くかけることもある。先日の「八ヶ岳山麓旅行記」とかね。だから、一回あたりの平均所要時間を推測するのは難しい。大雑把に見積もって、30分程度だろうか。とすれば、30分×832で416時間だ。

 他のコンテンツ(著作リスト、読書歴、資料室他)やなにやらで、どのくらいかけているだろうか。一番時間のかかっているのが資料室で、たぶんなんやかやで10時間以上かかっていると思う。他も合わせて同じくらいだろうか。ここで合計20時間。う〜ん低すぎかな。こっちを全部合計すると、259+416+20で695時間だ。サイトのチェックやらデザインを考えた時間は入れていないから、一割を管理時間として、なんと764時間もこのサイトに時間を割いてきたことになる。「公園へ行こう!」とあわせると、898時間だ。

 898時間。37日と10時間…。よくやるよ、まったく。時給1000円とすれば、898,000円だ。サイトを売るとしたら、こんな値段だろうか。う〜ん、その値段には感情が入っていない。感情を入れたらいくらになるだろう? わからない。

2001年5月18日(金) 読書感想『クリムゾン・リバー』本格風味にノワールな隠し味

2001年5月17日(木) 出会いサイトとネットの幻想

 いまどき「ラブレター」なんて書く人はいないんだろうけど、「出会いサイト」で知り合った異性のメール友だちとやりとりをしているうちに、いつの間にか「ラブレター」になっていたり、「ラブレター」と勘違いされていることはあるんだろう。メールだって、本質は手紙と変わらないんだから。

 深夜、恋焦がれる相手に手紙を書く。朝になって、冷静に読み返してみたら赤面するような文面で思わず破り捨てた、なんて経験のある方も多いと思う。メールには、「朝、冷静に読み返す」時間がないのだ。書き終わったら、ほとんどの場合すぐに送信ボタンを押しちゃう。だから、メールは濃い文面が多く、誤解が横行するんだと思う。iモードでの昼間のやりとりにしても、ほとんど直感で書いているだろうから似たようなもんだよね。

 ネットという器(うつわ)も誤解してしまう要因でしょう。ネットには無限の可能性があって、何でもその器に入ると、途端に夢が膨らむように見えてしまうものらしい。店頭公開した楽天の社長の納税額を見てもわかる。単なる通信販売なのに、あんなに急成長してしまう。ネットショッピングの利点については前に書いたことがあるので重複は避けるが、ネットはなぜか人を無防備にしてしまうようだ。

 みんな、もっと警戒しなくちゃダメだよ。だから、昨日のこの欄で書いたようなバカな「〜してはいけません」を並べられてしまうのだ。「個人情報(氏名、住所、電話番号、メールアドレス等)を書き込む行為は止めましょう」って、ホントにバカバカしい注意書きなんだけど、書き込んでくる人が後を立たないから掲載しているとも考えられる。

 ぼくの周りにもネット婚カップルが何組もいるけど、大半が@Niftyのフォーラムのオフがきっかけ。出入りしているウェブサイト主催のオフ会ならともかく、少なくとも「出会いサイト」で知り合った人とそうなることは無いでしょう。いや、人生何が起こるかわからないんだけど、あまりに安直で創造性に欠ける出会いはイヤだよなぁ、と思ったりする。

 出会いって、人生では大切なことであるけれど、あからさまにそれのみを求めるのではなくて、あくまでも生きていく上での副次的なことと考えた方が良いと思うわけです。

2001年5月16日(水) 日本をダメにする「〜しましょう」と「〜してはいけません」

 ネットをウロウロしていたら、Yahoo!様のサイトにこんなページを見つけた。「良いレビューの書き方は?」と題したページ http://help.yahoo.co.jp/help/jp/shop/shop-27.html だ。知らなかったんだけど、Yahoo!でも本が買えたのですね。こんなところで買う方がいるなんて驚き。

 上記はクリックしてもらえれば見られるんだけど、せっかくだから引用してみる。

引用開始

よいレビューの書き方は?

客観的に。
あなたがどのように感じたかを書いてください。
その際、単に好き嫌いではなく理由も明記するとよいでしょう。

詳しく。
商品の詳細など気が付いたことを書くとよいでしょう。

比較する。
他の商品と比べて、優れている点や劣っている点を書くとよいでしょう。

シンプルに。
長すぎるレビューは、あまり好ましくありません。簡潔にまとめましょう。

楽しんで。
他のユーザーが読みたくなるような楽しい意見を書きましょう。


下記の行為は絶対に止めてください。

誹謗中傷。
レビューに他人や商品を中傷するような投稿をおこなってはいけません。

営業行為。
広告、宣伝などの営業目的の投稿をおこなってはいけません。

同じ商品のレビューを何度も書く。
同じ商品に対する多重投稿をおこなってはいけません。

ルール違反の行為
レビューに参加する前に利用規約をご確認ください。

個人情報の投稿。
個人情報(氏名、住所、電話番号、メールアドレス等)を書き込む行為は止めましょう。
上記のような行為を行った場合、Yahoo! JAPANは、レビューの削除、Yahoo! JAPANの利用を制限する場合があります。

引用終了


 自分たち以外は、みぃ〜んな小学生程度だと思っているのね。
 手抜きじゃないですよ(^^;;;)。感想をいっぱい書いたんだけど、ばかばかしくなって、みんな消しました。

2001年5月15日(火) 読書感想『殺戮の女神』世紀末のサイコ・スリラー

 上記感想は書庫へ移動しました。

2001年5月14日(月) MISIAの視線の先

 暇さえあれば、この間八ヶ岳山麓へ持って行き忘れたMISIA「MARVELOUS」を聴いている。彼女のアルバムは3枚全部持っていて、ビデオなんかもこのトシのおぢとしては結構チェックしている方だと思う。まあ、平たく言えばファンということになるんだが、日ごろからMISIAについては思っていることがあるので、ちょっと書いてみたい。

 ともかく、顔を拝めないのね。別にミーハーなファンではないので、顔なんか見えなくてもどうでもいいんだけど、MISIAくらい出さないとフラストレーションがたまってくる。露出大嫌いみたいですね。写真では意識的に視線を外し、映像は大きく引いた画像ばっかり。ファーストアルバムもセカンドアルバムも、MISIAとしては珍しくわりと大きめの顔が写っているんだけど、どれも視線がそっぽを向いている。最新作なんか、翼竜につかまって飛ぶ彼女の全身が小さく写っているだけですよ。歌詞カードの中に旗を持って走る彼女などが写っていて、わりと大きめの顔が露出しているが視線はそらされたまま。それでもちょっとびっくりしたくらい。テレビにも出ないでしょ? ラジオでは何回か出演番組を聴いたことがあるけど。

 メディアミックスでもビジュアル主流のプロモーションが大勢を占めていて、しかも女性アーチストであることを考えるとホントに異例のことだよねぇ。ビデオにしろジャケットにしろ、衣装面では結構凝っているから益々不可解。ネットを探しても彼女の顔は見当たらない。「MISIAの顔をまともに見る方法はないのか」なんてスレッドが立っているくらい。2ちゃんねるでは、「歌がうまければ顔がどうであれ売れるアーチスト」の一番に上げられていたり。ライブビデオなんかも、思いっきりCG処理されていて、MISIAの顔をはっきりさせないようにしているとかいないとか…、ライブではサングラスを手放さないとか…。

 彼女が露出しようとしない一番の理由はそれなのかぁ…。それともそんな乙女心と営業戦略が一致した結果なのか。もし、邪推が当たっているなら、結構痛いですよねぇ。ライブに行った人のお話を伺うと確かにルックスはよくないらしい。でもね、言っちゃ悪いけど、MISIAなんかよりも知名度も歌唱力もずっと落ちるブス(失礼m(__)m)がテレビに出ているのよ。

 彼女の視線の先に何があるのか。とても気になる。歌い手は歌で勝負すれば良い。それは間違いない。だが、自分の視線の先にあるものを訴えることも大切なのでは? 表現者として物足りないモノを感じてしまう。アレサ・フランクリンなんて御覧なさいな。大威張りですよ。それほど鬱屈しているようにも見えないから、成長するに従って吹っ切れてくると思っているが。このまま行くと壁にぶち当たると思うんだよね。

 別に開き直る必要は無い。でも、ありのままの自分をさらけ出せば、もっとファンが増えて、更に歌の幅も広がると思うんだけど。どうでしょうか?

2001年5月13日(日) いじめ対策に空手?

 子供に格闘技を習わせる親が急増しているらしい。空手道場なんかどこも満杯で、すでにブームですらあると。4〜5歳くらいから始めさせる親たちも多く、ほとんどは非常に短絡的というか直截的な動機で、「いじめ」対策なのだそうだ。反論される方だって、心身を鍛えるという動機を、いじめ防止に結び付けない親は少ないんじゃないかな。

 わが家でも、カミさんが最近とても熱心だ。空手もいいけど、合気道はどうだとか、道場の情報をインターネットで調べてくれと哀願されたので調べてみた。ぼくはちょっと眉唾なんだけど、親としてどう考える、と言われれば断るわけにはいかない。

 空手に限って言えば、有象無象の流派乱立で、各流派の紹介文を読んでもチンプンカンプン。じゃあ見学に行こうと、近くの道場をピックアップするが、どこの道場も練習は週に2回で月・水の夕方が多いからぼくは行かれない。子供に習わせることについては反対ではないが、やっぱり一度はみてみたい。

 昼間は、電話もほとんどつながらない道場がほとんどで、唯一極真空手の道場主とだけ話すことができた。知ってる人も多いと思うが、極真は寸止めをしない。いわゆるケンカ空手だ。道場主に言わせると、「殴られる痛み、殴る痛みを身体で知るから、いじめ対策には絶好なんですよ」 

 そうかな? 道場とは言え、日常的に人を殴ることを覚えるのはどうなんだろう? 場合によっては、楽しいと思う子供だっているんじゃない? 「礼儀作法から入りますから」 いやあ、たぶんその礼儀作法って、空手と同じく「型」じゃないのかな。「型」で覚えられても困る。ああ、礼儀の本質は「型」なのか…。

 などと、愚父は、足りない脳味噌をフル回転させて考えてます。四年生くらいではじめるのは遅いという貴重な意見ももらって。入門しても、周りの同年代がみんな強いから、著しくプライドを傷つける結果になることがあるらしいし。まだ決めていない。体育会系のアホたちを長く見てきたので、心の健康は身体から、なんて絶対信じていないしね。

 さて、子供に格闘技を習わせている親たちに是非伺いたいことがある。習い覚えた技を、いじめる側で使ったり、家庭内暴力に使われたときの心構えはできていますか?

2001年5月11日(金) 「海外ミステリ百選」閉鎖

 不可解な謎を残したまま、ホントにKazさんが姿を消してしまった。掲示板でさるさるさんも書いていたけど、読もうか読むまいか迷っている本を選り分ける時にとても重宝したサイトだった。若干の趣味の違いはあっても、かなり本選びの参考にさせてもらっていたのでとても残念に思っている。

「海外ミステリ百選」を知ったのは、二年前の今ごろだった。初心者向けに工夫されたとてもよく出来たサイトで、ようやく捜し求めていたサイトに出会ったような気持ちになって、それ以来足繁く通いつめた。海外ミステリを語るサイトでも、昔ながらのクリスティだのクロフツだの、いわゆる古典を扱うサイトがほとんどで、今でも状況はほとんど変わらないけど、現代の海外ミステリを語る場はとても少なかったのだ。

 ぼくは「FMS掲示板」の常連じゃないので、今回の件については、「失楽園掲示板」でのやりとり以外は何も知らない。でもね、掲示板に「至急メールください」などと勝手に書き込んでおいて、メールが来ないと、「非常識」だとか、「約束を守れない男は最低」だとか、他にも相手の人格を否定するような文言を並べて語気も荒く書き飛ばす、という信じられないキャラに至っては口あんぐりですね。もし、事実だとしても、掲示板に書くようなことじゃない。これ一点だけみてもKazさんと「猟犬クラブ」の面々のご苦労が偲ばれます。

 毎回キチンと課題図書を決めて、折り目正しく活動してきた「猟犬クラブ」には尊敬の眼差しを送っていた。実は、ぼくも入会を考えたことがある。でも、いろいろと理由があって遠慮してました。解散宣言は唐突にみえるけど、古くから知っている人はある程度予想できたんじゃないかな。新しい会員の皆さんには関係ないことなんだけど、当初は「Kazさんファンクラブ」みたいな性格があったことは否定できないと思うから。だから、当初のメンバーがゴソッと退会する気持ちはとてもよくわかる。それともうひとつ、ネット上の問題ごとに耐性ができていなかったからでしょうか。ダムが決壊するように、思いがガラガラと崩れてゆく。幻想とは呼ばないまでも、現実とのギャップが疲れを助長する。

 まったく利害関係のないところで、ボランティアすることはたいへんですよね。部外者ながら、「海外ミステリ百選」の閉鎖を残念に思った者のひとりとして書かせてもらった。「猟犬クラブ」の行く末を静かに見守りたいと思う。

2001年5月10日(木) 読書感想 『吉祥寺幸荘物語』〜萬月さん余裕の一冊

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2001年5月9日(水) 読書感想 『動機』 〜 「このミス」二位は伊達じゃない

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2001年5月8日(火) ガーリック味ポテトチップ・ベーコン・サン

 昨日のレシピだけど、『川の深さは』から該当部分をそっくり引用しちゃうと、『(パンに)マヨネーズを塗り終えると、葵は(ガーリック味)ポテトチップの袋を取り出し、封を開ける前に両手でしごいて中身を粉々にした。それをマヨネーズを塗ったパンの上に振り掛け、最後にベーコンをのせる。「変でしょ?」 と笑いかけながらオーブンに入れた…』−()内はぼくが挿入− だそうだ。福井さんによれば、「朝高サンド」と呼ばれる料理で、彼ら独特の食べ方だそうだ。

 なんでも、「朝鮮高校じゃ、ハンバーガーもコーラも帝国主義の食い物だからってんで、買うのは禁止」(引用)だそうで、代わりにこんなサンドイッチが流行っているらしい。知り合いはいないので、確認する手立てはないが、ガーリック味というところが、いかにも半島っぽくて納得してしまった。

 それにしても、なんという不健康な食べ物だ。全部、油ですよ。ところが、食べてみるとそれほどしつこくない。ポテトチップの塩加減が、パンとベーコンを豊かにして、ガーリック味がマヨネーズにベストマッチなのね。不健康な食べ物ほどうまいんだなぁ。一回試してみるといいかも。レタスか何かを間に挟んでサンドすれば、ちょっとはヘルシーになるかな。

 まあ、小説に書いてあることを鵜呑みにするほどウブでもないんだけど、本当ならば、なんというか、やりきれない閉塞感が湧き上がってきますね。あの茶色のベストの男なんか、偽造パスポートで世界中で遊びまわっているわけでしょ? 北系の在日の方々に必死に働いたお金を送金させて。その子供たちは、名目上とはいえ、ハンバーガーもコーラも禁止させられて、こんな妙なサンドイッチで凌いでいる。言葉が出ないですね。

2001年5月7日(月) 読書感想 『川の深さは』 福井晴敏

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2001年5月6日(日) 続 連休は八ヶ岳山麓へ〜清里・野辺山

 さて、「清泉寮」の後は、「清里ハンランドパーク」だ。冬場はスキー場として営業しているが、夏には子供たちのちょっとした遊び場に変身するのだ。ここの一番の呼び物は、標高1900mまで一気に登るリフトである。一昨年夏、生まれたばかりの次男を伴って登ったことがあるが、日差しの強さを計算していなかったばかりに、真っ赤に日焼けさせてしまった苦い思い出がある場所。成長して動きの激しい次男を連れてはリフトに乗ることができないので今回はパス。目的は他にある。遊園地で見かけるような子供騙しではない、本物のゴーカートなのだ。料金はコース別で概ね2,000円前後。

 昨年のゴールデンウィーク、初めて乗った当時小学三年の長男が大喜びしたのが忘れられない。だが、今回はちょっと様子が違っていた。子供用のコースがあって、10分間くらい乗れるのだが、なぜか後ろから係りの人のカートが、前を行く子供の乗ったカートを紐付きで引っ張りながらの走行になってしまっていた。昨年は自由に乗れたのに。きっと、事故か何かがあったのでしょうね。昨年の長男を思い出しても、怖いくらいのスピードで走っていたから、大事故は容易に想像できる。

 後ろから引っ張られながらの走行は、ちょっとみっともない図だ。練習コースを何周か走ったあと、大人と同じコースへ出たのが、それでも救いだったかもしれない。ノロノロと、雪道を走るカミさんよりも更にのろくコースを走り終えた長男に聞くと、それでも大層怖かったらしい。ファミコンのレースゲームを引き合いに出して照れ隠しにしゃべくりまくる長男を見ていると、なんだか暗い気持ちになった。やっぱり空手でも習わそうか…、などと思いつつ、「清里ハイランドパーク」をあとにした。

 次いで向かったのは、「まきば公園」である。景色の美しい赤い橋「東沢大橋」を渡ってすぐ。この橋は絶景ポイントとして知られている。かなり以前、紅葉を見に来たときに、長男がお気に入りの帽子を無くした場所だ。さて、ここで問題発生。静かだと思ったら、次男坊が寝入ってしまっているのだ。急遽ルート変更。そのまま「甲斐大泉」を抜けて、遠回りで野辺山方面へ向かうことにした。

 気がつけば後部座席に乗った長男まで眠っている。まあ、ささやかな幸せ状態でありますね。夫婦はふたりではじめるもの。大人ふたりならば静かなもんです。けれど、家族が三人になり四人になり、夫婦以外の声が会話に加わってくると、片時も静かな時間がなくなる。ふたりの子供の寝顔を交互に見ながら、短いながらも夫婦ふたりの時間。10年という、地球の長い時間からみれば一瞬とすら言えないほどの短い時間は、ぼくらを確実にある地点へと運んでいたのでした。

 さて、「野辺山SLランド」には昨日の雪の欠片も見えない。そのまま行き過ぎて、「滝沢牧場」を車内から見学していると、次男坊がお目覚めだ。約40分のお昼寝。そのまま「野辺山SLランド」へ取って返す。なんで、高原にSLなの? などという疑問を待つまでもなく、近隣でも最高に悪趣味な施設なのだが、小さい子供の遊び場の少ない周辺では子連れはまずここへ来る。なぜか怖がる次男坊を無理やりSLに乗せたが、最後まで笑顔は見えなかった。

 ホントに、清里・野辺山には小さい子供の遊び場が無いのですよ。清里駅周辺の気色悪い建物群を見れば、ターゲットはガキだってサルでもわかるのだけれど、それでいて周辺には美術館やらいろいろあって、結構大人の雰囲気もあるのですね。っていうか、実は駅周辺だけが、周囲の大人の雰囲気から浮き上がっているのですね。あれは再開発すべきだな。じゃあ、「野辺山SLランド」で飽き足らない子連れはどこへ行くのか。それが観光牧場なのだ。「小須田牧場」「谷口牧場」「清里ポニー牧場」。そして、今回初めて行った「滝沢牧場」あたり。

 「滝沢牧場」は野辺山にあって、広い敷地と八ヶ岳のすばらしい眺望が大きな特徴である。独立峰である八ヶ岳は、北は蓼科あたりをはじめとして、山麓に観光地はことかかない。だが、山麓の観光地で、野辺山ほど八ヶ岳の眺望がすばらしい場所はないのではないだろうか。それほどに、野辺山からの、遮るもののない八ヶ岳の眺望はすばらしい。八ヶ岳に抱かれ大勢の観光客で大賑わいだった。

 ここでは、長男を馬に乗せる。引馬コースは昨年行った「小須田牧場」と同じくらいの長さだろうか。お値段はあっちの方が安かった。こちらは1,000円。次男坊も乗馬OKらしいが、動きが激しすぎて怖くて乗せられない。長男が大喜びだったからいいや。近いうちにキミもね。牧場内には、ウェスタン調の建物が立ち並んでいて、引馬コースの隣には緑が敷き詰められた広い広場があり、とても良い雰囲気。ぼくは、寝転がって、しばらく八ヶ岳に見惚れていた。

 ウェスタン調の建物は、クラフトとか燻製とかのお店。そのひとつに、約1,000種類用意されているプリント地の中から選んで、Tシャツやトレーナーにプリントしてくれる店があった。長男は固辞するので、次男に一枚作ってあげることにした。それが左の写真。真ん中に刷り込んだのはトラクター(^^;;;)。

 トラクターと馬鹿にしてはいけない。なんとかいう海外の有名なトラクターで、「滝沢牧場」のシンボルとなっているのだ。1,000万円もするそう。他の絵柄は、動物だの幻想的な絵柄だの、とにかくここで作る必然性があまり無いと思われるものばかり。ウェスタン調の絵柄もあったけど、なんとなく…ね(^^;;;)。次男坊も気に入ったようだし。多くは語りますまい。

 その後は、午前中に行きそびれた「まきば公園」へ。ここで父の足が不調になってきたので、父は動かず、カミさんが子供たちを連れて巡回した。ぼくは、椅子に座って景色を眺めていた。すばらしい景色。南アルプスは木立に阻まれて一望というわけにはいかなかったが、北岳の特徴的な山容を垣間見ることが出来た。隣に間ノ岳。秩父連山も一望でき、運がよければ、その隣に富士山も見ることができる。残念ながらこの日は無理だったが。

 ここまで動くとさすがに疲れた。外食する予定だったが、そのまま保養所へ帰る。8時には眠っていた。翌日は、またもや「清泉寮」行ってソフトクリームを食べて帰宅の途についた。未だに言葉の出ない次男坊でも、帰ることがわかったのか、ずっと「ばぁっばぁ〜いぃ」を連発。心配した渋滞もなく自宅に帰り着くことができた。

 大失敗だったのは、出発前日にカミさんに電話して頼んでまで買っておいてもらった、MisiaのCD「MARVELOUS」。長いドライブ、道々聴こうと思ったのだが、持参したCDケースを開いてみると中身が無い…。どうやら中身は、前日聴いたまま。CDデッキの中に忘れてきてしまったらしい。残念。

 帰宅して、早速ネットにアクセスした。「公園へ行こう!」が2日半の間に550ヒットもしていてびっくり。みんな出かけたいんだなぁ。「ぼく的楽天生活」は、「Good Day To Die」が参加している「テキスト庵」で、おひとかたから「テキスト撰」に選んでいただいていることを知る。ありがとうございます。こうして、連休は終わり、また日常に戻る。痛風持ちの左足首がちょっと固いのが心配なのだが…。

2001年5月5日(土) 連休は八ヶ岳山麓へ〜狐につままれたような…

 3日未明から5日夕方まで、八ヶ岳山麓へ出かけていました。毎年行っている会社の保養所です。場所は中央高速須玉ICから近い清里なのですが、埼玉の東の端からだと東京を抜けなければならないのと、中央高速がとても走りにくいのとで、関越道から上信越道佐久ICで降りて国道141号を清里方面へ南下するルートを使っています。

 3日は低気圧の影響で前日からの雨が降り止まず、雨の中の出発となりました。雨は一向に止む気配を見せない。安全運転だったもんだから、関越道東松山ICまで一時間以上。上信越道に入って少しは雨足が衰えたものの、今度は対面通行のトンネルで渋滞に引っかかり、佐久ICで降りるまで5時間以上かかりました。

 佐久ICを降りれば、あとは清里まで標識に沿って、国道141号線を一時間ちょっと南下するのみ。雨も止み、時折薄日も覗くほどに天候も回復しました。ところが、佐久市街を抜けて清里・野辺山が近くなったころ、対向車の上に乗っている白い物体が気になりだした。雪じゃないか!! 多いクルマだと、天井に7cmくらいは乗せています。運転しているカミさんが最初に気づいて、車内で不安の声が上がりはじめました。

 国道141号は、標高650mくらい(たぶん)の佐久市から、臼田町、佐久町、小海町を経て標高1400mくらいの南牧村(野辺山高原)へと高度を上げます。案の定、標高が徐々に高くなるにつれ、周囲が雪景色に変わってきた。当たり前なんだけど、不思議な光景でした。少しずつ周囲の雪が増えてくる。薄っすらと綺麗な雪景色に上げていた感嘆の声が、野辺山へ登る九折に入る頃、悲鳴に近い声に変わってしまった。気がつけば、真冬を思わせる周囲一面真っ白…。トンネル入り口で見た寒暖計によれば、気温1度…。

 わが家は父親が運転できないため、どこへ出かけるにも母親が運転します。カミさんの肩が緊張で強張るのがわかる。たぶん、10cm近い積雪があったでしょう。時速30kmでノロノロと坂道を登る。野辺山に入ったころ、急にカミさんが叫んだ。「ガラスが曇って見えないよぉ〜」 わっ! フロントガラスは真っ白じゃないか!! 恐怖で縮み上がった。

  「お、お前、エアコンの風をフロントガラスの下から出すようにしてないのか!!」 「したわよ!! でも変わらないの!」 むずかる次男の世話のために後部座席へ移動していたぼくは、身を乗り出して操作パネルを確認した。ありゃ…、リアウィンドウに風をあてるスイッチが光っている…。振り返れば、リアウィンドウは曇りひとつなく、後続のクルマを映し出していた…。

 今日明日の予定は全てダメだな。「野辺山SLランド」の蒸気機関車にうず高く雪が積もって、レールも何も全て雪に埋まっているのを見て、そう悟りました。今日はこのまま風呂に入って寝て、明日は一日中部屋でトランプでもやってようか。半ば自棄で長男と話した。クルマはノロノロと進む。すると、突然周囲から雪が消えているではないの。なんで? 10cm近かったであろう積雪が、清里へ入る頃、きれいさっぱりなくなっていたのです。

 野辺山(南牧村)は長野県で、清里(高根町)は山梨県です。注意していないとわからないのだけれど、県境にひとつのピークがあるらしい。佐久から来れば、野辺山は上り坂で、清里は下り坂。そんな微妙な地形が、こんな不可思議な風景を演出したのでしょうか。ありきたりな感想しか書けない自分が情けないけど、これこそ、「狐につままれたような」と形容するしかない光景でありました。

 さすがに「清泉寮」方面へ登ると薄っすらと雪がありましたが、それとて野辺山に比べれば全然たいしたことない。「清泉寮」で見上げた空は、雲の切れ間に青空までのぞいていた。「清泉寮」。到着してすぐに何をしに行ったかというと、清里で一番うまいソフトクリームなのです。テレビニュースでも取り上げていた「ク・ソフト」(便器の形をした容器に、チョコクリームが乗ったソフト〜500円)だけでなく、清里にはあちこちにソフトクリームがあります。それぞれ工夫を凝らして、独自の味を競っているのですが、「清泉寮」よりもうまいソフトクリームは食べたことがありません。滞在した3日の間、毎日通って食べ続けました。

 シャーベットを思わせるような舌ざわりと、気を抜くとあっという間に解けてしまうデリケートなソフト。人気の秘密は、当然定着した評判も大きいのですが、やはり甘さを抑えたその独特の味に負うところが大きいでしょう。翌日食べた「滝沢牧場」のソフトなんて甘すぎて、甘党のぼくですら半分しか食べられなかったもの。近辺で食べたことのあるソフトは、ざっと思い出しただけで、前述の「ク・ソフト」の他に、「まきば公園」(ここは人気があるみたい)、「美し森」山頂、「谷口牧場」「国立天文台野辺山宇宙電波観測所」 「小須田牧場」などなど。ともかく、どこへ行ってもソフトクリームがあるのです。

 「清泉寮」のあとは買い物をして真っ直ぐ保養所へ。午後になると、疲れたカミさんが頭痛で寝込んでしまった。だから、どこへも出かけられない。午後一杯、部屋で子供たちと遊んで過ごした。午後8時半就寝。

 翌日は、快晴とまではいかないまでも、まあまあの天気。当然、真っ直ぐ「清泉寮」へ。「清泉寮」には、長男のお目当てがもうひとつあります。ロッジ内の売店に売っている、皮製のキーホルダーなのです。靴やギター、アコーディオン、動物、ヘッドホン、腕時計などが皮を使って職人技で作り上げられた、見た目にも可愛らしいお土産品。(右写真参照) こんなものが好きな彼の部屋は雑多な小物類で溢れかえっています。今回も2つ購入して、合計7つになった。ぼくも会社の女の子に買いました。

 このあと、「清里ハイランドパーク」「野辺山SLランド」「滝沢牧場」「まきば公園」とまわるのですが、長くなったので後日あらためて。さて、続きは書けるかな。

2001年5月2日(水) 映画感想 やっと観た 『HANA−BI』

 北野映画の最高傑作は、誰がなんと言おうが『ソナチネ』だと信じて疑わない。緩急自在の演出、決して整ってはいないが緊迫感のある画面作り、創造的でインスピレーション溢れたカット割り、とどれを取っても”凄み”を感じさせる、日本映画史上に類を見ない歴史的作品だ。次いで『キッズ・リターン』『その男凶暴につき』『あの夏、いちばん静かな海』あたりだろうか。ぼくは北野監督の信者です。

 暴力表現ばかりが独り歩きして、一時の花村萬月さんのような誤解がまかり通ってしまっているのがとても残念だ。北野映画の”暴力”は、萬月さんの作品で描かれる”暴力”に共通するような、生命を破壊する、生命とは対極に位置する生命力の根源的発露というか、生命の激しさの象徴、というような意味合いなのだと思う。とはいっても、萬月さんほど神がかりはでないし、暴力に意味を持たせようともしていない。その寡黙さが逆に、観た者の脳髄に何度もリフレインして、饒舌に語りかけてくるのは当然北野監督の意図なのでしょう。

 寡黙といえば、この映画に登場する岸本加代子演ずる妻が象徴的だ。ともかく一言もしゃべらない。当然意図があるわけで、じゃあ、この演出で際立って印象深いかというと、どうも逆のような気がしてしまう。あざとく感じてしまうのだ。他にも拭いきれないあざとさが映画全体を覆っていて、かつての北野映画に無い居心地の悪さを感じさせる。

 北野武が演ずる元刑事の西と余命いくばくもないその妻、半身不随になった同僚の堀部。この3人を対比させながら生きることの意味を問いかける。それでも生きなければならない〜それなら死んでもかまわない〜死を選ぶしかない〜命が花なら…。淡々とした描写、ぶっきらぼうなカット割りとカメラワーク。ヌーベルバーグ的ですよ。ホントに。久石譲の音楽が過剰でとてもうざったいが、全体としてなるほどヨーロッパ人が喜びそうな芸術映画になっている。

 良い映画だと思いますよ。でも、この作品よりも良い北野映画はあると思う。今ごろになって、それもビデオで観ておいて偉そうなことは言えないけど、ちょっとあざとさが気になってしまって、世間で言われるほど傑作とも思えないし、北野映画でもそれほど上位にランクされる作品ではないように思えるのだが…。

2001年5月1日(火) さいたま市誕生

 大揉めに揉めた「さいたま市」が誕生した。あまりにもダサい争いを繰り返したもんだから、新市名公募の際、「なかよ市」なんてのが投稿されて、苦笑を誘ったのも記憶に新しい。2003年に、できれば上尾市と伊奈町を吸収して政令指定都市を目指すらしい。が、とりあえずは浦和市・大宮市・与野市が合併して人口103万人の都市を誕生させたわけ。

 民意が反映されて合併したようには見えないんだけど、長年の願いが適ったということで、埼玉県民としてはこれはこれで歓迎すべきじゃないかな。イメージ戦略としても、ダサい新市名はおいといても、ちょっとは貢献するところがあるかも知れないし。現に新都心周辺は活況らしい。景気なんてムードだもんね。でも、この程度じゃたいしたことないか…。

 市議の報酬とか、公務員とそれに準ずる人の給与を一番高い市(浦和市らしいんだけど)に合わせるもんだから、与野市議の給与が何十万と上がったとか、図書館でパートをしている知り合いの奥さんの時給が50円上がったとか、一般市民にはこんなところで影響が出ているみたい。でもなぁ、高い方に合わせるってのは、問題が多いでしょうに。今後二年間は払い続けなくちゃならないわけだし。税金の無駄遣いと言われてもしょうがない。

 今日も早朝出勤なので、朝四時半にアクセスしたが、「さいたま市」のサイトはまだオープンしていなかった。お昼にアクセスしたらオープンしていたから、職員が出勤してきてからアップしたのかな。大石英司さんが、リニューアル後の Asahi.com が重い重いとお嘆きだが、こちらも負けず劣らずの重さだ。

 ウェブ内に、「サイトの基本的な考え方」という項目があって、ユニバーサルデザインの理念に基づいて作っているというようなことが書いてあるけど、その割にごちゃごちゃして文字が小さくて、視覚障害者のことはあまり考えていらっしゃらないようなのが気になる。どうみても矛盾、というかエエかっこしぃ。

 勢いがついて、浦和市、与野市、大宮市、のウェブサイトにも足を伸ばしてみた。浦和市も与野市も、5月1日からさいたま市が誕生します、と大きく謳ってあった。浦和なんか、ちょっと感傷的な文言が並んでいて、担当者の顔が見えるような作り。さすがに、埼玉県の自治体でも指折りのサイトを運営していただけのことはある。

 ところが、大宮市には何も変化がないのだ。元々、ウェブサイトには消極的で、素人然としたみっとも無いサイトを作っていたんだけど、ここまでインターネットを舐めると情けなくなる。インターネットは有効な広報メディアなのだ。それを稼動させている以上、リアルタイムな更新をしなくちゃダメだよ。何だ、あの光る「NEW」は? ああ、情けない。さいたま市のサイトくらい案内しろよな。

 一事が万事と言うつもりは無い。でも、こういう木目の細かいところに行政側の姿勢が顕れるのだ。新市は浦和主導で行くべきだな、なぁ〜んて余計なことを思ってしまった。おっと、5月1日時点の話ですから、大宮市も今後サイトを訂正する可能性もありますが。参考までに下記にURLを記します。

さいたま市 http://www.city.saitama.saitama.jp/
浦和市 http://www.city.urawa.saitama.jp/
与野市 http://www.city.yono.saitama.jp/
大宮市 http://www.city.omiya.saitama.jp/index_j.htm