メルキオールの惨劇    平山夢明
ハルキホラー文庫 2000年11月18日 第一刷
 『SINKER 沈むもの』で、脳味噌をぐりぐり引っ掻き回された旅歌は、平山さんの新作を楽しみに待っていました。今年の初めに一冊上梓される予定だったようだが、未だに出た形跡はない。長編小説…、う〜ん…何年ぶりでしょ。しかも、書き下ろし。ってわけで、期待が過度に先行してしまったようです。

 冒頭から異様な雰囲気に引き込まれた。読点の打ち方がエキセントリックで、これが物語のトーンと見事に合致したのだ。読みながら旅歌の意識は、粘着質で只者ではない雰囲気にがっちりと絡め取られていた。人物たちもひと癖もふた癖もありそうな連中ばかり。セリフのひとつひとつ、登場人物の一挙手一投足にまで作者の才気が感じられ、ゾクゾクするような前半部だった。他人の不幸を集めるという着想も斬新で、傑作の予感が大いに漂ったのだ。

 ところが、中盤から失速してくる。物語はいつまでたっても進まないのだ。平坦な印象は、舞台が限られていて、場面転換が少ないのも原因のひとつかもしれないが、興味を掻き立てるはずの謎も意識だけが先走ってしまったよう。こんな突飛な謎かけをどう着地させるんだろう、余計な疑念を抱きつつ迎えたラストで頭を抱えてしまった。まったく意味が汲み取れないのよ…。旅歌の読解力が足りないんだろうな…、悲しいけど。じゃなければ、作者のサービス不足。

 平山さんが、才気闊達で魅力溢れる将来有望な作家なのは間違いない。抽象的観念的アプローチもわからなくはないが、エンターテイメント小説なのだから、作者の脳宇宙にひろがる抽象をもう少し具体的に読者に示す努力をして欲しかった。っていうか、これじゃあエンタメ本とは言えないのでは…。作者のサイコ・ホラーが向かうひとつの道筋が見えたような気がするのが救いといえば救いか。

 まだまだ膨らみそうな素材だよねぇ。こんな風にまとめてしまったのはなんとももったいない。特異な雰囲気が充分に伝わってきたので、とても惜しい。……思いついたまま書くけど、天才ふたりのセリフが文語調なのはご愛嬌なのかな。礫のキャラが良かっただけに、あの無味乾燥なセリフ回しは興ざめ。これって映像になって活きるものだろうか。いずれにしろ問題作ではあります。編集者がダメだったのかも。

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私の嫌いな10の言葉    中島義道
新潮社 2000年8月30日 発行
 中島義道さんが、時には過激に展開している日本人論の一端を、「中島さんの嫌いな10の言葉」を元にして紐解く新日本人論である。ぼくはこの本のあと、新潮文庫に収録された『うるさい日本の私』も読むのだが、善意の仮面を被った騒音と戦い思索するうちに作者が到達した、日本人に対する思いを凝縮したこの本の方が数段おもしろかった。

 さて、その嫌いな10の言葉とは、

○相手の気持ちを考えろよ!
○ひとりで生きているんじゃないからな!
○おまえのためを思って言っているんだぞ!
○もっと素直になれよ!
○一度頭を下げれば済むことじゃないか!
○謝れよ!
○弁解するな!
○胸に手をあててよく考えろ!
○みんなが厭な気分になるじゃないか!
○自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

 以上10の言葉である。読んでひとつも思いあたる節の無い方は、この本を読んでも不愉快になるだけだから、オススメはしません。中島さんが呼ぶ「マイノリティ」の人間たちの考えを知る意味では有意義かもしれないから読んでも損はないかな?

 どれもこれも、日常茶飯事的に耳にする言葉だ。特に、テレビの小芝居にはよく使われるでしょ? 最後の言葉だけ少々意味が違うが、他はどれも相手の言葉を封じ込めるための決め言葉なのだ。<対話>を避ける日本人独特の姿勢。善人から発せられる暴力的な言葉の数々。困るのが、これが偽善から発せられた言葉ではないことだ。多くの場合勘違いなんだけど、それにしても言葉を発する契機は偽善的発想ではない場合が多い。日本人の身体に染み付いている感覚。嫌になりますねぇ。

 相手の気持ちを考えるのはとても難しい。言葉で理解し合うのではなく、暗黙の了解とか言うヤツが横行する。言葉通りに動くと痛い目をみる。もちろん、ひとりで生きているわけじゃないが、少なくとも皆が右を向いているときに、向きたくもない右をなんで向かなきゃならないのか。それは、皆が向いた方向を見るのが楽だからでしょう。誰かが、逆を向くと他の皆の気分を害するからでしょう。お前のためを思って言ってるんだぞ、の根幹にある常識的価値観がホントに嫌いだった。おせっかいはやめてくれ、アンタにオレの気持ちがちゃんとわかっているのか? 薄々常々思い続けている事柄が、中島さんによって見事に文章化されている。これは踏絵かも。自分が忌み嫌う常識人に挑みかける姿勢は、実に気持ちがよくて、溜飲を下げる内容だった。

 いくつかでも思い当たる節のある方、自分の感覚がおかしいと思わずに是非この本を読みましょう。同じようなことで悩んで→開き直ったがいるのは嬉しいですよ。中島さんが、あとがきに書いていらっしゃるけど、救われた思いがしたのはぼくですよ。上記のいくつかは、確信犯的に使うこともままあるので、軟弱な自分を責めたりもした。もっと自分に正直にならねばな。

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うるさい日本の私    中島義道
新潮文庫 平成11年12月1日 発行
 中島さんが「戦う哲学者」と異名を取る理由はこれだったのだ。自らを「ドン・キホーテ」と呼び、徹底的に戦う相手は町中に溢れる無神経な騒音だったのである。「静穏権」(元々そう呼ばれる権利があったかどうかは不明)を叫び、自らを「マイノリティ」と位置付けて戦う。本の大半が、「静穏権」を守るための中島さんの「戦闘」の記録である。相手は、鉄道だったり、バス会社だったり、銀行、商店街などさまざまであるが、中島さんはそれぞれひとつひとつに偏執狂的(失礼!)な戦いを繰り広げる。「静穏権」とは、読んで字の如く、「静かに穏やかでいる権利」であろうか。

 ここまで読んで、町中に溢れ返る音とは具体的に何を指しているか全く思い当たらない方でも、中島さんのおっしゃる<対話>を求めて読んでも損は無いと思う。それどころか、中島さんは何とも思わない方にこそ読んで欲しいのだ。読んで不愉快になっても責任はとれないけど…。「静穏権」を主張しながらも、その根底に流れているのが、『私の嫌いな10の言葉』と同様な日本人論であることを読み取って欲しいのだ。中島さんのおっしゃる「幼稚園国家」に陥らないためにも。

 具体的にどういう音かというと、たとえば、さまざまな場面で聞こえてくるテープによる案内音。バスやエスカレーターや電車内や駅やキャッシュディスペンサーや…。他にも、実効を期待しないで、単なるアリバイ作りのために垂れ流す案内放送、過剰な営業放送などである。日本人は、ああしろこうしろと言われなければ何もできない民族に成り下がってしまったのか。とまあ、中島さんの主張を集めた随筆集なのだ。旅歌は、中島さんほど敏感ではないが、中島さんの日本人論には共鳴するところも多々あるので楽しく読ませてもらった。しかし、この題材を扱うにしては長すぎましたね。途中飽きちゃった。そのあたりは中島さんも承知していたようですが。

 過剰な営業が嫌いな旅歌としては逆の立場になってしまうけど少しは反論もある。どうしようも無い、それこそ「これが自分の仕事なんです」的な場合もあって、「中島さん、そこまで言ったらかわいそうですよ」と言いたい場面が何度かあったのだ。中島さんもわかっていらっしゃるようだが。中島さんの場合、だからといって現場でがなりたてる人に罪はない、とはならない。現場でがなりたてる人たちの上司や、更にその上の者の罪は甚大だけど、常に自己責任であるから現場も罪があるわけ。だから、現場の人にもかみつく。いやあ、痛快ですよ。でも、こんなことをずっとやっていたら、ホントにそのうち刺されますよ…。

 ところで、この本と『私の嫌いな10の言葉』はFDAVの盟友まささんに教えてもらいました。ありがとう>まささん。楽しめました。中島さんの他の本にも目が行っています。

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禽獣の街    坂眞
健友館 2000年4月10日 第一刷
 48歳にして処女作を出版したハードボイルド作家坂眞さん。噂の処女作である。

 センテンスを短く切って、ハードボイルドな文体を意識しているようだが、感覚的な単語に頼った文章は稚拙で、とても小説の文章とは思えない。感覚的な単語、例えば「陰湿」とか「凄惨」などの単語は両刃の剣で、かなりの覚悟がなければ使えないと思うのだ。「陰湿」と書いたから「陰湿」になるわけではないから。「陰湿」という単語を使わずに、「陰湿」を描くのが文章力だと思うのだ。更に言えば、センテンスを短く切るだけが、ハードボイルドな文体でもない。文章家としてのセンスに欠けているんじゃないか。

 「英会話」と呼ばれるシナリオ用語がある。「元気ですか?」「はい、元気です。あなたは?」「ぼくも元気です。これは何ですか?」「これは○○です」こうして延々と繰り返される問いと答えが中心の会話のことである。この物語の会話は、「英会話」の域を出ていない。同じく稚拙。C調な単語を羅列して、ありきたりな言い回しで「英会話」。申し訳ないが最低だ。

 ストーリィもステレオタイプ。ハードボイルドがいつからこんな誤解を受けるようになったのだろうか。志水辰夫さんが原因かな(^^;;;)。志水さんの浪花節(センチメンタル)ハードボイルドは、あれは独特で、無類の文章力に支えられた稀有なハードボイルドなのだ。常人が真似をしようったって、簡単にできることじゃない。全共闘崩れ、復讐、巨魁、ヤクザ…。ありきたりの食材で素人が作り上げた野菜炒めみたい。それも塩加減きつめの。

 今更の政・官・財の癒着も知らない主人公が、吼えたところで何も伝わらない。主人公の虚無が伝わらない。悲しみが伝わらない。衝動が伝わらない。左門は単なるキ印としか見えない。それならそれで他に描き方があったと思う。浅いのだ。捉え方、描写、人物、ストーリィ、どれを取っても浅い。「週刊実話」的現実を鵜呑みにした浅はかで表面的な新宿。痛みが伝わらない。唯一、左門とヤクザの組長ふたりのやりとりは良かったと思うが…。

 全体的にいやらしさしか伝わらず、つらい読書だった。通り一遍の、高校生でも考えるような新宿の現実を今更突きつけられても、驚きもなければ感慨もない。もっと、別の新宿があるのでは? 

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死は炎のごとく    梁 石日
毎日新聞社 2001年1月1日 発行
 1970年代前半、当時の韓国大統領、朴正煕暗殺を目論む在日韓国人青年宋義哲と、彼を取り巻いて謀略を巡らす、CIAやらKCIAやら公安やら左翼過激派やらの暗躍が描かれる。実話を元に作者が膨らませて書き上げた作品。毎日新聞社が「アジア・ノワール」と銘打って出版する新シリーズ第一弾作品である。

 沢木耕太郎『テロルの決算』が頭から離れなかった。といっても、読んだのは遥か20年くらい前だから内容は朧であるが、社会党委員長・浅沼稲次郎を刺殺した、山口二矢を扱ったノンフィクションは当時のぼくには衝撃的だった。結論から言ってしまえば、この物語には『テロルの決算』ほどの衝撃はなかった。作者の作品も数作読んではいるが、衝撃度で勝る作品なら枚挙に暇が無い。救いようの無い物語を書かせたらこの作家の右にでる人はいないでしょう。第一弾を飾るに相応しい、まさにアジア・ノワールの旗手。

 でも、これってノワールとは違うのでは? 少なくともぼくが抱くノワールのイメージには遠かった。主人公宋義哲のテロルは、どうみても正義感から発している。もっとオドロオドロした人間の性(さが)というか、誰もが陥りうる歩道に穿たれた落とし穴とは隔たりがあるような気がする。もちろん、宋義哲も最終的には正義感から離れたところに浮遊していたんだけど。テロリストの闇もわからなくはない。が、こんなピュアなテロリストではなく、作者の書く腐ったテロリストの物語が読みたかった。じゃなければ、もっともっと翻弄される意志薄弱なテロリスト。

 妙にキリリとした主人公から、逆に痛みを感じさせたかったのなら成功しているのかも。詐欺まがいの消火器訪問販売を平然と行う男が、国家を憂えて大統領暗殺を目論むこの内面的ギャップ。というか、現実との乖離感。彼が、生活感溢れる当時の描写に入り込むと、途端に違和感が漂い出すからやっぱりうまいんだろう。警官から拳銃を奪うディテールの細かさはさすがだと思ったが、死を覚悟した人間の性への渇望が、それほど目新しい観点とは思えない。生への渇望を押し殺した裏返しとしての性への渇望は想像に難くないのでは。

 熱い闇。現実を通り越してしまい、概念的な国家に執着する時代というヤマタノオロチに飲み込まれる宋義哲。作者の伝えたいこともわからなくはない。だが、もし、ぼくが思った通りの衝動からこの作品が書かれたとしたら、物語としてはあまりにストレートに過ぎて辛気臭く、作者の作品にしては自虐的に墜落する感覚が無いと思うのだが。

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灰夜 新宿鮫VII    大沢在昌
カッパ・ノベルス 2001年2月25日 初版第一刷
 場合によっては、ネタバレと感じる方もあるかもしれません。その程度のネタバレですが、本文冒頭に意味を明かしますので、ご納得していただいた場合はそれ以上のネタバレはありませんので、安心してお読みください。









 冒頭でびっくり。鮫島が監禁されている!! 続いて、問題の宮本警視との経緯が語られ、もしやこれで決着をつけるのか、と期待させるが、完全なる肩透かし。読めば途中で解るんだけど、もしや、の期待が少しは読書を進ませる力にもなるので、ネタバレと感じる方もあるかもしれないと思ったわけです。以上がネタバレ警報の部分。以下は普通の感想文です。

 宮本警視との経緯は物語の契機にしかなっていない。作品自体は「番外編」といった趣きだろうか。「著者のことば」にもある通り、この物語には鮫島以外のレギュラーキャラクターが一切登場しない。しかも、なぜか舞台となる具体的な都市名も明かされない。読めばすぐに鹿児島とわかるのだが。新宿にいない新宿鮫。なら、どこの都市でも同じってことなのかな。
 やっぱり、番外編ですね。途中、現況を聞かれた鮫島が「高級車窃盗犯を追っている」というようなセリフを吐く。これは『新宿鮫 風化水脈』でのお話。出版順は逆になったが、こっちが「7」であっちが「8」だからね。

 「友情」がテーマらしいが、似たようなテーマを扱った『毒猿 新宿鮫II』の足元にも及ばない。鮫島の矜持もわからなくない。でも、これだけ読めば単なるプライドが高くて、依怙地なおせっかい野郎にしか見えないのでは? 
 前半部、古山とのやりとりをもっと濃く、男同士の共感というか、宮本を挟んでのふたりをキチンと描いていれば、もっと別の感動があったのかもしれない。といっても、宮本自体が朧なキャラなのでどうしようもなかったか。宮本との暑っ苦しい関係が無い分、都会的とも言えなくもないが、それでここまでのめり込むのって、やっぱり鮫島の性格的なもので、決して友情の発露とは思えないのである。

 特筆すべきストーリィでもないし、目立つキャラもないし、こじんまりとまとめた印象。これじゃあねぇ…。お得意の大沢節もなりを潜めたまま。もしかしたら、シリーズ最悪の作品かも。まいったな。もうこれ以上語りたくない。

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二重螺旋の悪魔    梅原克文
角川ホラー文庫 平成10年12月10日 初版
 ここまで凄いと、自分の貧弱なボキャブラリーでは賛辞の言葉を思いつかない。
 わが国バイオ・ホラーの先駆けとか代表作との定説がある、瀬名秀明『パラサイト・イヴ』に先行すること二年。鈴木光司の『リング』と同じ年(1993年)に出版されたこの作品は、馴染みの薄い朝日ソノラマという出版元も手伝ってか、上記ニ作に比べるとかわいそうなくらい忘れられた存在だった。

 ところがところが、今ごろ読んでおいてこんな言い方もないもんだと思うが、梅原克文『二重螺旋の悪魔』こそ、その後ブームとなったバイオ・ホラーのまぎれもない先駆であり、内容の凄まじさ、作家の創造力、稀有なストーリィ展開、ジャンルでは語れないハイブリッド感覚、どれを取っても凡百の小説では歯が立たない、上記二作を遥かに凌ぐ、バイオ・ホラー・アクションの金字塔だったのである。

 作者の梅原さんは、二年後に上梓した『ソリトンの悪魔』で日本推理作家協会賞を受賞して、各方面に知られるようになった。が、それとておもしろさでは『二重螺旋の悪魔』の比ではない。その後、積もり積もった怨念が炸裂したのか、サイファイ宣言で物議を醸したのは記憶に新しいところ。というか現在も継続闘争中。あれだけでかい口(失礼m(__)m)を叩くのだから、さぞや凄いんだろうと思った最近作『カムナビ』ではがっかりさせられたものだが、これほどのポテンシャルの高い作家ならば簡単に見捨ててはいけないですね。ケンカを売るかのような一方的で不毛な論争にばかりに力を傾けないで、作品の質を上げることに力を注いで欲しいもんです。

 この物語を読めば、梅原さんのおっしゃるサイファイがどういうものかとてもよく解るだろう。『カムナビ』はサイファイ・テキストに相応しくないですね。本家SFマニアたちの、陳腐だの、底が浅いだのとの酷評も納得できてしまうから。だが、この物語にそういう言葉は相応しくない。

 当然、エンターテイメント小説はおもしろいことが大前提である。なんでもありで結構だが、読者に擦り寄っていくような姿勢だけはいただけない。『カムナビ』には某出版社の超訳本のような不健全さがあって、どうしても納得できなかった。この物語だって、登場人物の心根には似たような不自然さがある。だが、まだ熱さがあるのだ。大仰でステレオタイプな人物たちに、血の通った温かみが感じられるのだ。主人公の深尾がなんでも自分のせいだと叫んでも、成長と考えても上下巻で違い過ぎるの深尾直樹の大げさぶった人格も、男女関係の機微が描けていなくても、ここまでなら許せる範囲だと思うのである。

 何とか及第点の人物に、破格の創造力に支えられた無類のストーリィが被さる。山場がいくつもあり、時系列的に連なった短い時間の中で密度濃いストーリィが、決して読者を飽きさせることなく爆発的に展開する。次から次と問題が発生し、ころころとストーリィが転がっていく。実に無理なくスムーズに転がるので、例え仕掛けが陳腐に見えても、読者は文句なんか言っている暇がない。これも『カムナビ』とは大きな違いだ。物語作りのツボを知り尽くしているかのストーリィ。逆説的発想。もう見事と言うしかない。

 いろいろな先駆者の影響はあるでしょう。でも、補ってあまりある作者の類稀な想像力なのです。神の姿には失笑が漏れるかもしれないが、それとても全体を俯瞰すれば、バランスがとれているように見えてくるから不思議なもの。ラストにもっと捻りを期待していたので、少々残念な気もしたが、叫ぶ深尾直樹はこれで良いのだと結局納得してしまった。この神はおもしろ過ぎかな。

 『パラサイト・イヴ』や『リング』が最高! と思っている人には是非読んで欲しい。根本的に違う疾走感を感じてもらえると嬉しいのだ。もちろん、その二作だっておもしろいんですけどね。

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川の深さは    福井晴敏
講談社 2000年8月31日 第一刷
 読めばすぐわかるのだが、『亡国のイージス』『Twelve Y.O.』とほとんど同じ構図を持つ物語だ。劇画チックで荒唐無稽度を強烈に増幅させてしまう小道具をはじめとして、思想から筋立てまで驚くほど似通っている。それに加えて、若い男と共感する中年おやぢ、もうひとこと言うなら若い娘という人物配置までほとんど同じとなれば、この物語が持つ意味は一体何なのだろうか、と首を傾げたくなってしまう。昨年の「このミス」で10位に食い込んでいる作品だとしても。

 いうまでもなく、乱歩賞受賞以前に、同じ賞で最終選考まで残った作品である。三作の中では一番最初に執筆されたのだろうから、『亡国のイージス』をジャンプとするなら、『Twelve Y.O.』がステップで、この物語がホップと受け止めるのが正解なのだろう。などとつまらないことを考えてはみたものの、埋もれさせてしまうにはもったいない出来なのは間違いない。『Twelve Y.O.』を遥かに凌いでいる。お得意の気恥ずかしいまでの浪花節に加えて、肩に力の入った若さ感じさせる大仰な表現や台詞回しが目立って、もう、恥ずかしいを通り越して、ここまで徹底すればたいしたもんだ、なんて思ってしまった。

 でも、読ませるストーリィ展開だから、それなりには楽しませてもらったかな。なんのかんのいっても、結局、この人は作家として自分のテーマを持っているのだ。生意気な物言いになってしまうけど、この作者は書きたいことがあって作家になったのだと、改めて思った。だから、物語に力がある。『亡国のイージス』の成り立ちを考える意味では、読んで損はないと思う。

 ただ、今後の福井さんを考えるとちょっと不安になってしまいますね。『川の深さは』の路線は、『亡国のイージス』で完成されてしまったのだから、自分のテーマを今後の作品にどう活かすのか、発展させるのか。そうなったときは、必ず『亡国のイージス』と比較されるだろう。それとも、引き摺ったテーマから離れて、新たな領域へと分け入っていくのか。ガンダムは置いておいて、次回作を期待と不安をもって待ちたい。

 ところで、作中出てきたガーリック味ポテトチップ・ベーコン・トーストを試してみたのですよ。不健康極まりない食べ物だけど、これが意外とうまい。わが家では大人気でした。ただし、胃がもたれるのでおぢは一枚しか食べられないけど。明日のこの欄で、レシピ載せましょうかね。不健康な食べ物ほどうまい? だから、病気になるんだ、とは言わずもがな…。

 ※上記感想を書いたあと、2001年版「このミス」を読んだ。「このミス」によれば、乱歩賞の最終選考に残った作品を大幅に手直しして刊行されたのだそうだ。それでも原点には違いない。

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