真保裕一 1961年生まれ。1991年『連鎖』で第37回江戸川乱歩賞受賞。1995年『ホワイトアウト』で第17回吉川英治文学新人賞受賞。

 毎度、細かな取材によって臨場感たっぷりに描く。初期は「小役人シリーズ」などと呼ばれる、見たことも聞いたことのない役人たちを主人公に据えた作品を発表しつづけた。二大傑作以降は泣かず飛ばず。『ストロボ』で転機を迎えて新生真保裕一を期待した『黄金の島』もちょっと期待はずれ。『ホワイトアウト』を超える大冒険小説を待っています。
 二大傑作は『ホワイトアウト』と『奪取』。どっちから読んでもいいかな。好みによるかも。前者は正統派?冒険小説。後者はコン・ゲーム。


         
連鎖 長編 講談社 1991.09.10 講談社文庫 1994.07.15
取引 長編 講談社 1992.09.30 講談社文庫 1995.11.15
震源 長編 講談社 1993.10.15 講談社文庫 1996.10.15
盗聴 短編集 講談社 1994.05.25 講談社文庫 1997.05.15
ホワイトアウト 長編 新潮社 1995.09.20 新潮文庫 1998.06.01
朽ちた樹々の枝の下で 長編 角川書店 1996.03.25 講談社文庫 1999.02.15
奪取 長編 講談社 1996.08.20 講談社文庫 1999.05.15
奇跡の人 長編  角川書店 1997.05.25 新潮文庫 2000.02.01
防壁 短編集 講談社  1997.10.10 講談社文庫 2000.07.15
密告  長編 講談社  1998.04.06 講談社文庫 2001.07.15
トライアル  短編集 文藝春秋 1998.07.30 文春文庫 2001.05.10
ボーダーライン (4.0) 長編 集英社 1999.09.10 集英社文庫 2002.06.25
ストロボ (4.0) 連作 新潮社 2000.04.20    
黄金の島 (3.0) 長編 講談社 2001.05.25      
夢の工房 随筆 講談社 2001.11.25    
ダイスをころがせ! (4.0) 長編 毎日新聞社 2002.01.20    
発火点 (3.5) 長編 講談社 2002.07.15    
誘拐の果実 (3.0) 長編 集英社 2002.11.10    

本

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ボーダーライン   真保裕一
集英社 1999年9月10日 第一刷
 ここのところ停滞気味だった真保久々のヒット。アメリカ西海岸を舞台に、非常に抑制の効いた落ち着き払った堂々たる筆致で、静かな中にも雰囲気を漂わす極上のハードボイルドに仕上げている。テーマはそれほど目新しいとは言えないが、日本人作家によってこのテーマが選ばれたところに若干の目新しさはあるかもしれない。主人公永岡は日本の大手カード会社の調査員だ。この目の付け所は小役人シリーズを著してきた作者ならではと思わせる。非常にスムーズなプロットに、ひとつひとつのディテールがきちんと描きこまれ、リアルさをいやがうえにも高めている。

 善と悪のボーダーラインをどこに引くか。スティーヴン・ハンター『ダーティ・ホワイト・ボーイズ』などでも語られた善悪の彼岸というテーマは、この作品では更に原点に立ち返り、「生まれながらの犯罪者は存在するのか?」と問いかけて、これが重要なファクターとなっている。あくまで人間を信じようとする姿を青臭い甘ちゃんと見るか、少しでも共感することが出来るか。この辺りがこの作品に対する評価の分かれ目になるんじゃないかと思う。

 もうひとつの分かれ目はサニーの描き方をどう取るかであろう。直接描写することを極力避け、この怪物には人格らしい人格を与えていないように見える。これを果たして描けなかったと見るか、敢えて何がしかの意図を持って避けたと見るか。後者だと思うが、だとすれば人を信ずる作者の姿勢に矛盾を感じてしまうのだが・・・。これはラストの立ち回りにも通じる。はからずも一人称小説の弱点を作者自ら広げたような格好であまり頂けない。この対決を作者はどう料理したか。これもまた評価の分かれ目かもしれない。逃げたような気がしたのはぼくだけだろうか。やっぱり食い足りない気持ちが残ってしまう。

 だが、ぼくはこの作品を支持したい。
 「生まれながらの犯罪者」には違いないが、作者はこれを安易なサイコ・スリラーには仕立てない。スパイスとして効かせるに止め、あくまでも探偵小説に拘る。帯の大沢在昌さんの言を待つまでもなく、ハードボイルドに残された新たな地平は非常に少ない。そこに単なるテクニックでなく、魂から入り込んで行こうとする作者の姿勢は評価しなければならないと思う。真保裕一一皮剥けたか? そう思わせるものがこの作品にはあると思うのだ。 

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ストロボ   真保裕一
新潮社 2000年4月20日 発行
 作者4冊目の短編集で、第123回直木賞(なかにし礼が受賞)にノミネートされた連作短編集である。主人公は、富と名声を得たカメラマン、喜多川光司である。彼の半生をフィルムを巻き戻すがごとく現在から過去へ遡り、主人公に訪れた人生の転機を鮮やかな写真とともに描き出す。栄光と挫折、苦悩。並べられた5つの短編は、収録順だけでなく「小説新潮」への発表年を見ると執筆順も年代を遡ってのようだ。50歳(現在)の「遺影」(1998年7月号)から始まり、42歳の「暗室」(1999年1月号)、37歳の「ストロボ」(1999年7月号)、31歳の「一瞬」(1999年10月号)、22歳の「卒業写真」(2000年2月号)である。

 1998年といえば、作者にとってはそれぞれ10冊、11冊目の単行本『密告』『トライアル』と二冊上梓された年だ。1995年の『ホワイトアウト』で注目され、1996年の『奪取』で評価は確定的なものとなり、その後『ボーダーライン』で直木賞にまでノミネートされる。年齢は違うものの、この作品集の主人公、喜多川光司と似たような状況下にあったのでは、と容易に推測できる。そう考えると、ミステリとはかけ離れたこの内省的な作品集にも違った意味が見えてくる。邪推といえば邪推なんだけど、作者真保裕一自身を喜多川光司に重ね合わせているのは否定できないでしょう。そういった意味では、作者がもう一度原点に帰ろう、というか、表現者としてのストレートな気概というか意気込みが見えて、とても気持ちの良い作品集だった。

 そんな邪推は置いておいても、実に見事な作品が並んでいる。一番出来が良いのは『一瞬』だろうか。一面しか見ていなかった先輩カメラマン、揺れる女心、これらに一大転機となった写真を撮るまでの、表現者としての気持ちが重なり合って見事なドラマを生んでいる。次いで『ストロボ』『遺影』あたりだろうか。表現者としての苦悩に、夫婦愛や友情を絡めて、作者以前に作品には見えなかった深みが備わったように思える。言い方を帰れば作家的な円熟期を迎えつつあるような印象。浪花節が露骨過ぎたり、相変わらず女性を描くのが下手だったりするのはご愛嬌としても、もしかしたら、作者はホントに大きな転機を迎えているのかもしれない。作品に対する姿勢というか取り組み方というか作風というか。

 すでに2年ご無沙汰の長編はどうなったのだろう。アナウンスされて久しいあの長編は? きっと改稿に改稿を重ねているのでしょう。もし、ぼくの推測が当たっていれば、次回の長編は、『ホワイトアウト』や『奪取』とは趣向の異なる、真保裕一の最高傑作になるような気がするのだが。期待しちゃいますね。

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黄金の島   真保裕一
講談社 2001年5月25日 第一刷発行
 何が足りないんだろう。若干の中だるみというか、無用に長くしただけのような印象が濃い部分はあるにしろ、これだけの長編で飽きさせないストーリィ展開は見事だと思うし、選んだ題材も良いと思う。なのに、『ホワイトアウト』のような感動感涙もなければ、『奪取』のような爽快感もない。帯の惹句に「アジアン・ノワール」の文字を見つけたときに感じた悪い予感が的中してしまったようだ。この凄みの無い小説のいったいどこがノワールなのさ。編集者の見識の低さに驚くばかりだ。この程度のキャラにノワールなどと。まあ、それほどにノワールが流行りなのだと感慨も深いが。

 で、冒頭の疑問に戻るわけだが、登場人物の魅力不足、この一言に尽きるのではなかろうか。坂口修司と持田奈津である。特に坂口修司の中途半端ぶりはどうだ。なぜこのような魅力に乏しい人物を中心に据えたのか、まったく理解に苦しむ。持田奈津にしろ、アンビバレンツな魅力を醸し出してこその人物なのに、表層しか描けていない。じゃなければ徹するべきだろう。相変わらずの女性下手。鬱々とした内面描写も底が浅い。ベトナムでの坂口修司のモノローグは目を覆うばかりだ。なぜ、坂口は日本へ帰らなければならなかったのか。この渇望がベトナム人に紛れて全然伝わって来ない。周囲が言うほどの坂口の優秀さがまったく伝わって来ない。いっそ、浪花節の内面描写を全部省いて再構築した方が、出来の良い小説に仕上がったのでは? 連載終了後十ヶ月を経ての刊行のわりに、作者自身が物語を咀嚼できていないような気すらしてしまうのだ。あ、咀嚼しすぎたのか。

 ここで考えたのが、坂口修司や持田奈津に代表される、物質文明に犯されて人間本来の輝きを失ってしまった日本人と、幸福への渇望でギラギラするベトナム人たちを対比することに意味があったのではないか、ということだ。果たして、この渇望が物質文明の原点であるならば、やはり現在の人間の文明は間違っているのだろう。それどころか、人間の存在自体が危ういものになりはしないか。ラストシーンが暗示的だ。確かに警鐘を鳴らすような意味は汲み取れるかもしれない。しかし、欲望の虜囚たちを「アジアン・ノワール」の根拠としたのなら、いかに短絡的とはいえ幸福を希求する姿を否定したようで後味が良くない。物質文明に犯されているいるぼくらが、彼らベトナム人の行動に口は挟めないだろう。幸福とはいったいなんだろうか? これがこの物語のテーマなのか。精神論なんて、満たされている者のたわごと?

 それなりに楽しんで読めたが、同じアジアの途上国を舞台にした物語では、昨年船戸与一が直木賞を受賞した『虹の谷の五月』の方が数段良かった。テーマがはっきりとしていて潔くて、東南アジアの風俗描写ほかどれをとってもこの物語よりも良い。まあ、ラスト間近の大時化の海に翻弄されるシーンは迫力満点だったけど…。『ストロボ』で自らの原点を探った作者が、一歩進めて生の原点を探ろうとした作品ということだろうか。ジパング伝説を現代に模した問題作ではあると思う。う〜ん、しつこいけど、日本人とベトナム人の主客を逆転させた視点から描いた方が良かったのでは? どうも期待が大き過ぎたようだ。

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ダイスをころがせ!  真保裕一
毎日新聞社 2002年1月20日 発行
 おもしろかった。内容は、遅れてきた青春小説というか、選挙啓蒙小説というか、34歳の自己再発見成長物語というか。ともかく、ぼくにはツボだった。熱くなった。手に取ったが最後止めることができない。結局、深夜まで読み耽ってしまった。衆議院議員選挙に立候補する高校の同級生(天知達彦)の秘書になる34歳が主人公(駒井健一郎)で、物語は駒井の視点で語られる。立候補するのも34歳ならサポートするのも34歳。世間では紛れも無い「大人」であるが、どこか甘酸っぱさを残す34歳でもある。ぼくは日記で、「人生のうちで35歳が最も大人だと思う」というようなことを書いたことがあるけど、その直前の約一年間をひたすら政治活動に没頭する姿が描かれる。

 なぁ〜んだ、ただの選挙小説か、と思ったら大間違い。過去の作品で、比類なき取材力を見せつけた真保さんはここでも健在だ。政治に飽いた有権者の実態から、具体的な選挙の方法、候補者を露出するテクニックなどを綿密に組み立て上げ、作品の中で選挙シュミレーションを行っている。いや、ちょっと甘いかな、と思わせる部分も多々あるのだが、自分自身が無党派層でもあるので、自分が立候補する天知を応援しているような、日々増えつづける彼の支援者のひとりになったような、そんな錯覚する起こさせるほど物語に支配された。感情移入してしまった。

 作者が言いたいことも充分に伝わってくる。自分に不利な法案を成立させない政治家の手口や、既成政党に有利な選挙制度の過ち、自分を含めた国民と政治家の関係などなど、ともかく啓蒙される。これを青臭いなどとは言うまい。理想を語る政治家、良いねぇ。政治家が理想を語って何が悪い、なんてぼくは到底言えないのだけれど、この言えない自分が現在の日本の根幹にあるのだと改めて気付かされる。この本を読んでそんな気持ちになった人はきっとたくさんいるんだろう。それだけでもこの本を読む価値はある。

 選挙エンターテイメント小説とでも言おうか。従来のファンには、度重なる選挙妨害の謎と知事だった天知の祖父の収賄疑惑、大型商業施設建設用地の取得に関する疑惑というミステリ的な風味もちゃんと用意されている。でも、それが主眼ではなくて、あくまでも物語を盛り上げる材料なのでそれほど深くない。近づく投票日と選挙の盛り上がりと事件解決をリンクさせて充分に効果があった。

 前段に書いたように、駒井健一郎34歳の責任と現実、自己再発見物語と読んでも充分に楽しめる。紋切り型ながら、悪役風で損な役どころの駒井の妻が目立っていた。この妻と駒井の関係を見ると、モラトリアムキャラ連発の真保作品の中で駒井は次段階への布石キャラか、或いは脱皮キャラのように思えてくる。真保さん鬱々としながらとうとう脱皮したのかな、なんて。ぼくとしては、真保さんには『ホワイトアウト』ばりの冒険小説を期待したいんだけど、さて、これからどこに向かうのだろう。例え、自分の気に入る方向でなくても行く末が気になるよね。

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誘拐の果実   真保裕一
集英社 2002年11月10日 第一刷発行
  登場シーンの少ないキャラに、俄かには信じがたい動機で事件を引き起こさせても、読者であるぼくは狐につままれたような気分にしかならない。そうかといって外堀から埋め立てて、宮部みゆき『火車』のような効果を狙ったわけでもなさそうだからよくわからない。確かにある種の外堀はあった。しかし、埋め立てられた外堀はどう読んでも、凡庸なぼくには善意のベクトルは読み取れそうに無い。この物語が読者の内部で成立するためには、もう少し感情移入をさせるような工夫が必要じゃないだろうか?

 真保裕一久方ぶりの書き下ろし『誘拐の果実』は、いろんな意味で作者の特色が色濃く出た作品だったのだと思う。もう一歩進んで言えば、最近の作者の特色かな。ストーリィテリングの妙で一気読みの冒険小説・ハードボイルドを描く一方で、『奇跡の人』『ストロボ』『発火点』など人生について思索を重ねた作品を発表し続けている作者は、常に前向きで人生について肯定的だ。考えてみれば真保さんのキャラは、『ボーダーライン』のような”性悪”もあるが、どちらかといえば”性善”な人、或いは偽悪的で悪になりきれない人が多いように思える。いつもどこかの狭間で悩んでいる、いわゆるモラトリアムキャラ。

 今回の人物たちにも当てはまる。今回の悩める真保キャラ代表は辻倉良彰だな。しかし、洞察が甘いように思えてしまう。19歳の彼だってそうだ。前述と重なるが、事件の動機はこんなもんでいいのか? もっと何かあるだろう。裏を読む癖がついてしまっているぼくは最後まで裏を考え続けた。もちろん、もっとどす黒い裏を。しかし、これまた真保さん一流の”性善説”的オチ。これじゃ納得しない、できない。この動機のためにせっかくの作品の重みとおもしろさが、半減してしまった。暴言との謗りを覚悟で書くなら、真保さん何か宗教でも始めたのか? 本気で疑いたくなるほど、居心地の悪い健全さだ。

 展開はさすがに書き下ろしだけあって、スムーズ&スピーディ。読者を惹きつけて離さない。特に導入部から中盤まではすばらしかった。息をもつかせぬサスペンスで読者を翻弄する。使い古された誘拐という犯罪も、真保さんの手にかかればここまで斬新な輝きを放ってしまう。作品の出来がどうあれ、アイディアだけみれは誘拐を題材にした小説でも指折りだろう。アイディアだけなら。

 真保さんどうしちゃったんだろう…。もっともっと熱い、活きたキャラが描けるはずなんだが。最近の登場人物たちは一部を除いてどれも人形みたいだ。

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