逢坂 剛 1943年東京生まれ 1987年『カディスの赤い星』で直木賞受賞  

 逢坂剛作品はいくつかに分類できると思う。分類なんて無意味だが、自分の頭を整理するために分けてみる。西-スペイン物。精-精神分析物。倉-倉木シリーズ。岡-岡坂神策物。祝-祝田卓物。倉木は、百舌シリーズと変えた方が良いかな。
 分類は初読時の印象。再読したら印象が変わるかも(笑) 
 初逢坂には『百舌の叫ぶ夜』か『カディスの赤い星』。これっきゃないでしょ?

          
裏切りの日日 長編 集英社 1981.02 集英社文庫 1986.07.25
空白の研究 短編集 双葉社 1981.09 集英社文庫 1987.03.25 祝+精
コルドバの女豹 *1 短編集 双葉社 1982.06 講談社文庫 1986.09.15 西
幻のマドリード通信 短編集 大和書房 1983.02 講談社文庫 1987.04.15 西
スペイン灼熱の午後 長編 講談社ノベルス 1984.02 講談社文庫 1987.06.15 西
情状鑑定人 (4.0) 短編集 双葉社 1985.04 集英社文庫 1988.02.25 (祝)
百舌の叫ぶ夜 (4.5) 長編 集英社 1986.02.25 集英社文庫 1990.07.25
カディスの赤い星 長編 講談社 1986.07.21 講談社文庫 1989.08.15 西
クリヴィツキー症候群 短編集 新潮社 1987.01.20 新潮文庫 1990.01.25 岡+西
水中眼鏡の女 短編集 文藝春秋 1987.02.25 文春文庫 1990.02.10
幻の翼 長編 集英社 1988.05.25 集英社文庫 1990.08.25
さまよえる脳髄 長編 新潮社 1988.10.25 新潮文庫 1992.01.25
十字路に立つ女 長編 講談社 1989.02.28 講談社文庫 1992.05.15
いすぱにあ万華鏡 対談集 パセオ選書 1991.07.10      
斜影はるかな国 長編 朝日新聞社 1991.07.01 講談社文庫 1994.07.15 西
砕かれた鍵 長編 集英社 1992.06.25 集英社文庫 1995.03.25
ハポン追跡 短編集 講談社 1992.09.30 講談社文庫 1995.10.15 岡+西
幻の祭典 長編 新潮社 1993.05.25 新潮文庫
文春文庫
1996.05.01
2002.12.10
西
まりえの客 短編集 講談社 1993.10.15 講談社文庫 1996.10.15
さまざまな旅 随筆 毎日新聞社 1993.10.30 講談社文庫 1997.11.15  
書物の旅 随筆 講談社 1994.11.30 講談社文庫 1998.12.15  
棋翁戦てんまつ記 共著 集英社 1995.03.31      
よみがえる百舌 長編 集英社 1996.11.30 集英社文庫 1999.11.25
青春の日だまり 随筆 講談社 1997.05.20      
あでやかな落日 (1.5) 長編 毎日新聞社 1997.07.15 講談社文庫 2001.02.15
しのびよる月 (2.0) 短編集 集英社 1997.11.30 集英社文庫 2001.01.25  
カプグラの悪夢 短編集 講談社 1998.05.25 講談社文庫 2001.08.15
燃える地の果てに (1.5) 長編 文藝春秋 1998.08.01 文春文庫 2001.11.10 西
フラメンコに手を出すな! 対談集 パセオ 1998.11.20      
デズデモーナの不貞 (3.5) 短編集 文藝春秋 1999.03.30 文春文庫 2002.07   
イベリアの雷鳴 長編 講談社 1999.06.14 講談社文庫 2002.06.15 西
奇巌城 翻案 講談社 1999.08.20      
熱き血の誇り (2.0) 長編 新潮社 1999.10.20 新潮文庫  2002.09.01  
メディア決闘録(ファイル) 随筆 小学館 2000.04.20         
禿鷹の夜 (1.5) 長編 文藝春秋 2000.05.10         
配達される女 短編集 集英社 2000.08.30      
牙をむく都会 長編 中央公論新社 2000.12.10      
大いなる西部劇 対談 新書館 2001.05.25      
重蔵始末 連作 講談社 2001.06.29         
相棒に気をつけろ (3.5) 短編集 新潮社 2001.08.20         
遠ざかる祖国 長編 講談社 2001.12.08     西?
無防備都市 禿鷹の夜II 長編 文藝春秋 2002.01      
アリゾナ無宿 長編 新潮社 2002.04.20      
逢坂剛の奇岩城 翻案 講談社 2002.06.20      
(のすり)の巣
 (のすりは漢字です)
長編 集英社 2002.06.30    
じぶくり伝兵衛 重蔵始末(2) 連作 講談社 2002.09.25      

*1 『コルドバの女豹』は双葉社よりの発行時は『赤い熱気球』のタイトルでした。
他に、北原亜以子さん共著で、『鬼平が「うまい」といった江戸の味』(PHP)あり。

本

国内作家INDEXへ


【国内】 【海外】 【資料室】 【日記】
【表紙へ戻る】


燃える地の果てに
文藝春秋 1998年8月10日第一刷
 
 逢坂剛の作品群の中でも最も佳作の多いスペイン物。本作はその中でも最下位に属するの ではないか。読後の虚脱感はぼくだけなのだろうか。  
 なるほど、老練なテクニックと綿密な取材はよく伝わってくる。だが、これだけの大きなテーマを扱ってなぜこんなに物語が平坦なのか。なぜこんなに物語が小さく感 じられてしまうのだろう。結局、ラストの二十数ページのためだけにこんな冗長な物語を読まされたのか。腹が立ってしまう。    
 
 心理サスペンスを得意とする作家だから、読者を騙すのもうまい。叙述トリック的な構成は『百舌の叫ぶ夜』を思い出したりもした。だが、まるきり質が違う。『百舌の叫ぶ夜』では実に気持ちよく騙してくれた。驚愕のラストに辿りつくまでのディ テールのひとつひとつに納得させられたからだ。本作はどうだろう。強引すぎやしないか。都合良すぎないか。これでは納得できない。単なる騙しに終わってしまっては逢坂剛ではないのだ。  
 
 おかしな登場人物も目立つ。その中でも、最も許せないのはおしゃべりで小判鮫みたいな古城くん。逢坂剛作品でこれだけ貧相で腹の立つ主役級の人物は初めてだ。作者が都合よく動かしすぎたためだ。その他登場人物のひとりひとりの描写が中途半端。彼らから伝わるものが少なすぎる。そして迎えた最終の2行。なんだこりゃ! これは説明なのか? こういうのを蛇足という。
 
 逢坂剛の大ファンの一人としてとても悲しい。もう新刊が出ても読むのをやめよう かと本気で思った。

ページのTOPへ

あでやかな落日
毎日新聞社 1997年7月30日第一刷
 
 思えば本作が出版される前年1996年の11月、3年間待たされた長編『よみがえる百舌』で詐欺にも似た肩透かしを味わっている。期待するのはファンたる所以であり、失望もまたファンたる所以であろう。ぼくの好みが変わったのか、それとも作者の求めるものが変わったのかは次回作を読んで決めよう、、などと当時は真剣に思ったものだ。

 そして、その次回作。それが『あでやかな落日』。 作者が生み出したキャラクターの一人、自称「なんでも屋」の岡坂神策が主人公のシリーズ。作者と等身大といわれる岡坂神策が、生き馬の目を抜く広告業界を万事?ソツなく渡っていく物語だ。
 とどのつまり、ミステリーとかサスペンスを期待したぼくは、またしても奈落の底に叩き落とされたのだ。逢坂剛といえば、複雑に絡み合った謎、スピード感溢れるスリリングな展開、 あっと驚くラストが定番だと認識しているのだが、この作品では往年のキレは見る影も無い。この作品に限れば、単純ではないが結末の見える謎(唯一ヒロインの謎が気を持たせたが、これもまた.....)、平坦で冗長な展開、それなりに納得してしまうだけのラスト。。

 バブル崩壊後、経済構造の変革を迫られる日本の側面を、作者らしく描き出してはいるんだろう。そんな読み方をすれば面白い面もあるかもしれない。だが、そちらに力を注いだわけでもないようだし、結局なんだったんだろう??ネタギレなのかな??帯の惹句に「著者の新境地を示す」とあるが、作者自身もこの作品を新境地と考え、こちら面に進んでいくつもりなら、暫く逢坂剛とはお別れになるかもしれない。
 
 元々、逢坂剛は分水嶺に立つ人だと思っていたが、前作(『よみがえる百舌』)に続きぼくが忌み嫌う谷に落ちつつあると感じてしまったので、こんな感想になってしまった。

 好きな作家というわりに酷評ばっかり先にアップしてしまい困惑気味。。。

ページのTOPへ

しのびよる月
集英社 1997年11月30日第一刷
 
 新キャラクターと言いたいところだが、使いまわしのようだ。
 
 巻末の初出一覧によると、
 「裂けた罠」小説宝石1985年10月号
 「黒い矢」小説すばる1994年11月号
 「公衆電話の女」(「男坂」改題)小説すばる1995年8月号
 「危ない消火器」(「地獄への階段」改題)小説すばる1996年5月号
 「しのびよる月」小説すばる1997年1月号
 「黄色い拳銃」小説すばる1997年9月号
 
 「裂けた罠」から「黒い矢」までの9年間は一体なんだろう?発表してなかっただけなのかな?なんとなく深刻なアイディア不足を感じてしまうのはぼくだけ?

 本作は言ってみれば逢坂版『らんぼう』なのだが、セリフ回し一つ取っても、大沢『らんぼう』の足元にも及ばない。キャラクター(人物造型)に至っては問題外。はっきり言って逢坂剛は本作のような軽妙路線は向いていない。許せるのは、軽妙でも岡坂神策のようなあくまで大人の路線だ。思わずニヤリとさせられるような大人の味。もちろん本作だって”思わずニヤリ”があることはある。が、ドタバタがそれに勝ってしまっている。
 
 だからこれ以上言いたくない。梢田も斉木も忘れた方がいいですよ>逢坂さん
 ちょっときつ過ぎたなぁ。これでも大ファンなんです>逢坂さん

ページのTOPへ

情状鑑定人
集英社文庫 1988年2月25日 第一刷

収録作品
 「情状鑑定人」「非常線」「不安なナンバー」「都会の野獣」
 「死の証人」「逃げる男」「暗い川」 全7編

 上記のうち「情状鑑定人」のみが祝田卓物。驚いたのが「暗い川」。これは『しのびよる月』の斉木と梢田が主人公だ。こっちの方が良い。『しのびよる月』では若干読者に媚びるような姿勢が見えたが、「暗い川」では不自然さは残るもののほとんど感じられない。これは初期の逢坂剛が得意としていた悪徳刑事物と言っていいだろう。

 この本はなかなか入手できず、ずっと未読のままだった。今回紀伊國屋BookWebで検索してみたらあっさりと検出。実に簡単に入手できてしまった。念願の作品集だっただけに期待もそれなりだった。が、期待に違わず傑作揃い。やっぱり逢坂剛は短編の名手、と認識を新たにした。逢坂短編を堪能したのだ。

 どの作品も一筋縄ではいかない。ひねりが効きすぎるきらいもあるが、どれもこれも全ておもしろいのだ。逢坂剛の短編を読めば、おもしろい短編とはどう書けば良いのかがわかる。スペイン物の短編とはまた違った味わいだった。

 初期の短編集を久しぶりに読んでみて、最近の逢坂剛の衰退ぶりがやっぱり目についてしまった。目を覆うばかり。 よみがえれ!>逢坂

ページのTOPへ

百舌の叫ぶ夜
集英社文庫 1990年7月25日 第一刷

 再読。
 初読時とは印象が違った。おもしろさは変わらないが、作品の全体を覆う独特の雰囲気。暗さ、とは違うような気もするが、、う〜ん、、形式美のような漠然としたモノを感じた。これはやはり主人公倉木と百舌のキャラクターによるのだろうか。

 今更ながら、丹念に作り上げられた物語に驚いた。エンターテイメント作品としては間違いなく一級品。決して紋切り型にならず、読者を見据えた執筆姿勢が見えて、尚且つ毅然としているのだから驚くしかない。

 これだけテンションが高く、毅然とした物語を書いていた人が読者に媚びるような作品だけは書いて欲しくない。

ページのTOPへ

デズデモーナの不貞  逢坂剛

文藝春秋 1999年3月30日 第一刷

 やっぱり逢坂さんて短編の名手なんだなぁ。つくづく納得した。この本は池袋にあるバー「まりえ」に集う人間たちの悲喜交々を冷徹な目で綴った連作短編集といえよう。お得意の精神分析が底辺に流れる作品がほとんどを占める。『デズデモーナの不貞』『闇の奥』『奈落の底』『雷雨の夜』-それぞれテイストは違うのだが、モチーフとして精神分析がからんでいるから強引に括ってしまうが、『まりえの影』だけが異彩を放っている。

 しかし、逢坂さんの短編テクニックは半端じゃないのだ。いつも言っているのだが、うまい短編ってどういうの? と尋ねられたら、逢坂剛の短編みたいなやつ、と必ず答えることにしている。短い物語の中に人生が凝縮され、一筋縄でいかない人物たちにワクワクしながら読むのだ。どんでん返しもつきもの。久しぶりに逢坂短編の真髄を堪能させてもらった。飾らない文体も相変わらず。安易な言葉の選択が目立つこともあるが、これはこれで良いのだな。

 ぼくの好みは表題作の『デズデモーナの不貞』。オセロ症状群などという文学的な響きの神経症と、あっと驚くラスト。これは極上の逢坂短編だ。嗚呼、こんな楽しみ喜びを長編でも味わわせてください>逢坂さん。

ページのTOPへ

熱き血の誇り  逢坂剛

新潮社 1999年10月20日 発行

 1998年春から一年間に渡って、静岡新聞に連載されたものに加筆・修正して出版された小説である。言われてみれば、確かに新聞小説らしい。手を変え品を変え気を惹く謎がばら撒かれて、読者を飽きさせず惹き付けるようになってはいる。しかし、どれひとつをとっても安易に走りすぎてしまったようだ。設定も人物もチープの一言。凄みもなければ、痛みもない。作者が何を言いたかったのかもさっぱり伝わらない。プロローグの意味するところも理解できない。母は強し? エピローグから考えれば、たぶんそうなんだろうけれど、だとしても、どこに物語としての必然性があるのかぼくにはわからない。ヒラソルの母性を重ねるとしてもこれではねぇ。。それならそれでもっともっと方法があったと思う。

 伝奇物か! と前半はかなり期待させる内容だったが、読むにつれ落胆が大きくなってしまった。人口血液とか、医療廃棄物とか、「エホバの証人」まがいの新興宗教とか、北朝鮮とか、、、興味を惹く題材を集めるだけ集めただけ。どれにも深く踏み込まない。上っ面を走るストーリィは言い訳と説明のオンパレード。心理描写もチープで心に響かない。お得意のスペインも単なる薬味で終わった。もともと、スラスラ読めるのが大きな特徴の作家だが、スラスラ読めるのと安易な言葉選びは直結しないと思う。他作家の作品では見たことが無いような言葉に出くわすことたびたび・・・。

 これでも逢坂剛さんの大ファンなのだ。ぼく自身の趣味の変化で肌が合わなくなったせいもあるとは思うが、逢坂さん自身の変化もかなりあると思う。読者を楽しませようという姿勢は理解できるのだ。しかし、それだって作品の質を高めてこそなのである。もちろん、この物語だって軽く読み流せばそれなりに楽しめるようには出来てはいる。だが、しかし、細かいディテールを考え始めるととたんにおかしい点が目立ちはじめる。辻褄合わせが目立ちはじめるのだ。タイトルだって・・・何が、どこが、熱き血の誇りなんだよ・・・。こんなのが誇りかい?

 出れば必ず読む作家だったが、次が出ても読むかどうか分からなくなった。最近作で未読が一作(『イベリアの雷鳴』)あるから、それを読んでから決めようか・・・。いつもこんなこと言ってるけど・・・(・_;)

ページのTOPへ

禿鷹の夜  逢坂剛

文藝春秋 2000年5月10日 第一刷

 『裏切りの日々』や『しのびよる月』など、逢坂剛さんは過去に何作か悪徳警官物をものにしている。分類すれば、この物語もその線上に並ぶのかな。

 罵倒しそうなので、困っている。すでに最近の作者の作品には、名作といわれる『燃える地の果てに』まで含めて罵詈雑言を書きなぐっている。読んだ本全ての感想を書く、と自分に課してはいるが、これほど感想を書きたくない本もはじめてだ。さらりと書いちゃうか…。

 「ハゲタカ」というニックネームをまず思い浮かべたんでしょうね。「禿鷹」と漢字に直して、「禿富鷹秋(とくとみたかあき)」という主人公の悪徳警官を創出したのでしょう。まず、ハゲタカありき。ハゲタカというインパクトあるニックネームに頼りきりだから、人物に肉付けがまったくされていない。悪徳警官物って人物造型が命なのに。しかも、このハゲタカという人物には理念の欠片も見られない。悪徳の凄みも軽い言葉で綴られているが、まったく読者には伝わらない。非情は結構なんだけど、これじゃあ小説にならない。

 マスダって、増田明美を思い出しちゃって(^^;;;。渋六のヤクザもタコばっかし。人物の描き分けも全くできていない。野田と水間の区別が最後までつかず。右往左往。

 ストーリィは半ばでバレバレ。こいつが犯人で動機はこうだろう、と思ったらその通りになってがっくり。しかも辻褄合わせばっかり。登場人物が一言しゃべれるたびに言い訳と説明のオンパレード。

 こうなってくると、作者の文体までひどく程度の低いものに見えてしまう。単語選択の安易さ、あまりに一般的な形容詞、およそ文学とはかけ離れた言い回し…。どれもこれもが空しい。

 大河小説の第一章的趣か。インパクトはあったかな? 無いか…。これ一冊では小説になっていない。でもね、申し訳ないけど、こんなものをシリーズには絶対しない方がいいと思います。読者は完全に離れますよ。

ページのTOPへ

相棒に気をつけろ  逢坂剛

新潮社 2001年8月20日 発行

 逢坂剛 新潮社 2001.8.20 発行
 短編の名手、逢坂剛さん面目躍如の一冊。『よみがえる百舌』あたりから、長編はどうもパッとしないんだけど(「このミス」でランクインしている『燃える地の果てに』『禿鷹の夜』もぼくはイマイチだった……)、短編は相変わらずのうまさだ。でもねぇ、うまいには違いないんだけど、なんとも世慣れた、というか手馴れた職人の朝飯前仕事みたいな印象が強い。もちろん、今回の主人公カップルが「世間師」を自称する世慣れた連中だから、そんな感想を持ってしまったのかもしれないが。

 収められた五編の短編(「いそがしい世間師」「痩せる女」「弦の嘆き」「八里の寝床」「弔いはおれがする」)はどれも練られていて、世間師カップルが仕掛けるコンゲームとしてまあまあ楽しむことが出来る。逢坂さんお得意の都会的な雰囲気というかウィットに富んだ作品集ではある。しかし、読み終えても何も残らない。「都会的」「ウィットに富んだ」などと書いたが、ぼく自身が古い人間に堕ちつつあるので偉そうなことは言えないが、ちょっと感覚がズレてきているような気もしてしまう。酒場で酔っ払ったおやぢが「ホントの酒の飲み方ってのはなぁ」と講釈を垂れているような感じ。

 逢坂さんの小説を読むときにいつも思うんだけど、この人の単語選びの安易さとか、安易で手頃でほぼ下半分が真っ白な文章とか、都会的ウィットなどと銘打ちながらどこか遅れたディレイ感覚というか、がどうにも抹香臭く思うようになってしまった。ところが、「このミス」の投票子の間には根強い逢坂信仰があるようで、長編は相変わらず上位にランクインする。今回は短編でよもやの10位入選。なんだかなぁ、とため息が出てしまう。太めの美女というなんともズレた感覚(何を今更……)とか、逢坂さんお得意のギターの分野であの程度(「弦の嘆き」)では、小手先のテクニックに頼った作風に変節してしまったと思うしかない。そんな逢坂短編でありました。それなりに良く出来ているとは思うのですが……。

ページのTOPへ