貴志祐介 1959年大阪生まれ。1997年『黒い家』で第4回日本ホラー小説大賞大賞受賞。

 理屈抜きで面白い。抜群のストーリーテリング。ホラーと呼ばれるかもしれないがこれらは立派?な冒険小説だ。
 はじめての方はやっぱり『黒い家』かな。。


十三番目の人格-ISOLA- (3.5) 角川ホラー文庫 1996.04.25 角川書店 1999.12.25
黒い家 (4.0) 角川書店 1997.06.30 角川ホラー文庫 1998.12.10
天使の囀り (4.5) 角川書店 1998.06.30 角川ホラー文庫 2000.12.10
クリムゾンの迷宮 (3.5) 角川ホラー文庫 1999.04.10    
青の炎 (3.0) 角川書店 1999.10.30    

本

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黒い家
角川ホラー文庫 1998年12月10日 初版
 確かにノンストップだった。まさに一直線。もう少しひねりがあるのかと思ったらとっても優等生的な結び。あれだけ楽しませてもらって贅沢な注文なのだが、ひとひねりが足りないような気がした。  
 
 のっけから生保業界の裏話で興味をそそられる。だが、語られるエピソードは浅田次郎『極道放浪記』を読んでしまった今となっては、解説で北上次郎さんがおっしゃる程生々しく感じられない。和歌山の保険金詐欺事件もあるし。事実は小説よりも、ってことなのだろうか。そんな保険会社の日常の中に、さりげなく事件の発端と主人公のトラウマを語ってしまうあたりはとってもうまいと思う。   

 実にシンプル。この物語が与える恐怖はシンプルなプロットゆえに浮かび上がってくるのかもしれない。黒い家から最終部分のあたりはエライおっかなかったのだ。特に留守番電話の機能で自分の家の音を聞くシーン。背筋が寒くなった。なんて冷静なヤツだ、などと思いながらも主人公と一緒に恐怖した。。。う〜ん、でも、 やっぱりもうひとひねり欲しかった。それと、唐突に死体が出て来たり、読者が知らないところで唐突に物語が進んだような印象はあんまり頂けないかな。 
 
 いろいろ書いたけど本音を言えば、非常におもしろかったのだ。楽しませてもらった。1997年に出版されて話題になったのは知っていたのだが、なかなか機会に恵まれず読むことができなかった。今回文庫になって飛びついた次第。追っかけたい作家がまた増えてしまった。。

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天使の囀り
角川書店 1998年9月30日 初版
  やはり貴志祐介はただ者ではなかった。前作『黒い家』の読了後に感じた不満はほとんど解消されている。いや、それ以上だ。前作で素直だが重い直球をドスンと投げ込まれ、本作では全盛期の野茂ばりのフォークボールで打ち取られたような気分だ。

 ディテールを丹念に書き込む姿勢も変わらない。これだけ荒唐無稽な物語をここまで自然に読ませてしまうなんて。しかもこれだけリアルに。。あらゆる分野の豊富な知識を駆使し、徐々に実体を持たせてながら物語を構築していくさまは圧巻だ。並の作家ではない。特に心理学的アプローチはこの作家の大きな特徴のように思う。そしてラスト。物語のキレはここに極まる。

 今回二作たて続けに貴志祐介作品を読んだが、彼の持つ社会性には感心してしまう。前作も社会的なテーマを取り扱ったが、今回はトライしているのは更に難しいテーマ。取り扱いが非常に難しいテーマだと思うのだが、これ以上無い程うまく料理されていると思う。筆力は大変なものだ。物語のキレと面白さはいうまでもないが、その社会性にも今後も期待していきたい。貴志祐介。目が離せない。

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十三番目の人格(ペルソナ)-ISOLA-
角川ホラー文庫 1996年4月25日 初版
 精神感応物のヒロインといえば、筒井康隆『エディプスの恋人』の火田七瀬(確かこの字だったと....)を真っ先に思い浮かべる。七瀬はテレパスだが、この物語のヒロイン賀茂由香里はエンパスという。テレパスが自在に他人の心を読めるのに対し、 エンパスは他人の心から発散される感情の波動を感じるのだそうだ。それゆえ、制約も多い。このあたりのジレンマは物語でも充分に効果を出している。

 残念ながら手元に『雨月物語』は無いので、「吉備津の釜」を読むことはできないが、やはりこの物語は貴志版「吉備津の釜」なのだと思う。もちろん貴志祐介のことだから処女作とはいえそれのみには終わらない。阪神・淡路大震災を絡め、お得意の心理学を縦横に駆使して物語を作り上げる。「吉備津の釜」のヒロイン磯良(いそ ら)と十三番目の人格の「ISOLA」 の符合には目を見張らされた。漢和辞典「新字源」を小道具としてうまく使い、最後に広辞苑で落とすなんてやっぱり貴志祐介はおもしろいのだ。

 それでも物語が希薄に感じられたのは何故だろう。ヒロインが現在に至るまでの物語があまりにも中途半端な説明口調で劇画タッチだからか、ヒロインに生身の人間としての生活感が全く感じられないからか、ヒロインが精神感応者という使い古されたキャラクターだからか、森谷千尋の存在感が分散してしまいふわふわしているからか、高野弥生の登場が唐突で描写が少なく感情移入できないからか、、、、どれにしろドラマチックな終盤も希薄に感じてしまった。ちょっと残念。

 使い古されているとはいえ、賀茂由香里はシリーズのヒロインとして堪えられないキャラクターかな。どうだろう。。貴志祐介は続編など考えていないと思うが、続編を読みたいな、とチラッと思ってしまったのだ。決してロリではないのだが、、

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クリムゾンの迷宮
角川ホラー文庫 1999年4月10日 初版
 ゲーム小説とでもいおうか。十数年前に流行ったらしいゲームブックを下敷きに、作者なりのアレンジを加えて、アドベンチャーゲームあるいはRPGを小説世界に具現したような作品に仕上げている。だからリアリティなどというものにはあまりこだわっていない。実は、このあたりに半端な印象がある。徹するならば、リアリティは捨てても良かったと思う。現実世界のリアリティに捕らわれず、もっともっと大胆な想像力で奔放なドラマを作り上げた方が良かったような気がしている。中途半端なリアリティは恐怖を半減させる効果しかない。もちろん、常にリアリティを求めてきた作者だから仕方のない面もあるのだけれど。ゲームの舞台になる地域に関する詳細なデータが、唯一作者の過去の作品を思い出させるにとどまった。でもねぇ、、ゲームと割り切ってしまえば、現実と直結させるリアリティなどは最小限でよいのですよ。中途半端な分、作り物が強調されたような気がしてまったく怖くなかった。

 たいして怖くはないが、ストーリィは非常におもしろい。ページを繰る手が止まらないだろう。突然、9人の人間がどこかわからない場所に連れてこられ、ゼロサムのサバイバルゲームを強制される。このあたりには違和感を感じるかも知れない。異次元に迷い込んだかのSFチックな展開だが、謎は徐々に解き明かされていく。展開も設定もアドベンチャーゲームそのもの。食屍鬼から逃れ、毒蛇をかいくぐり、追いつ追われつのゲームが異世界の迷宮で展開されるのだ。そしてラスト。食い足りないと感じるか、わけがわからんと感じるか。ホントにこれで終わり? というのが正直な感想だった。続編でもあるのかな?

 やはり、実験小説なのかもしれない。しかし、正直なところ、貴志祐介さんにはこんな小説は書いて欲しくない。しばらくの間は、何の迷いもなく『天使の囀り』の路線を驀進して欲しい。作者不在の勝手な言い草だが、そう願って止まないのだ。

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青の炎
角川書店 1999年10月30日 初版
 そうか、こういう話だったのか。残念ながらこの手の物語に素直に感動する年代はとうに過ぎ去ってしまっているのかなぁ。貴志祐介という現代では稀な作家が書いた新作、ということが購入してまで読む重要なファクターなのであって、貴志さんにはもっとぶっとびの破天荒な物語を期待してるんですよね。ま、ファンの勝手な思い込みではありますが。

 少なくとも、少年の若さゆえの未熟さが非常に良く描けてはいると思う。でも、言い過ぎを覚悟で暴言を吐いちゃえば、これなら誰でも書けるんじゃないかな。ここに、貴志祐介ならでは、という杭が一本欲しかった。現代の『罪と罰』もわかるんだけど・・・。貴志祐介ならではの杭といえば、殺人計画に対する詳細な描写がちょっと髣髴とさせるんだけど、それだけだったかもしれない。これなら、『黒い家』の方がよっぽど良いし、最高作と信じて疑わない『天使の囀り』の足元にも及ばないんじゃないかな。角川の悪い癖だけど、賞取りに走らせたのかな? 角川に限ったことじゃないけどね(^^;;)。曾根がゾンビになるんじゃないかとか、秀一の疎外感が高じて・・・とか、つまらない期待ばっかりしてしまったぼくが悪いんだろうな。

 青春犯罪小説とでもいえばいいのだろうか。昨年の「このミス」で貴志さんが、隠し玉として紹介していた「倒叙物」がこの作品なんだろう。確かに脱ホラーではある。不思議なんだけど、ホラー作家が脱ホラーを目指すと、何故か青春物になるんだよね。マキャモンもそうだし、キングもそうだし。でも、ここまでホラー色を払拭した人はいなかったかもしれない。『少年時代』にしろ、『スタンド・バイ・ミー』にしろ、ホラー色が随所に残っていて、それが凡百の青春小説とは明らかに一線を画す、特異性を醸し出していたのも事実なのである。この物語の場合は、非常に重いテーマを真正面から捉えているのが買えるだけで、それにしてもあまりにもストレート。貴志さんには普通の作家にはなってほしくないなぁ、なんて思ってしまうわけです。

 さて、少数派のファンの勝手な言い草はこのくらいにするとして、固定観念無しにこの小説を読めば結構楽しめるかもしれない。分水嶺は主人公・櫛森秀一にどれだけ感情移入できるか、であろう。現代の少年たちの潔癖さとか、そういった漠然とした体温みたいなものは伝わってくる。だが、伝わってくるものは極僅かだ。断っておくが、ぼくは青春物に滅法弱いのである。『少年時代』の主人公・コーリー少年にすら感情移入したのだ。でも残念ながら、秀一には全く感情移入できなかった。同級生らも全く活き活きと描かれてはいない。秀一本人をうまく描けていなのだからどうしようもないんだけど。加えて、垢抜けない会話・・・。技巧派が墓穴を掘っちゃったかな? 売れるかもしれないけど・・・

 角川とあと何本契約が残っているのかなぁ。そろそろ未知の出版社からの本を読みたくなってきたのだ。

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