流れる砂    東直己
角川春樹事務所 1999年11月8日 第一刷発行
 探偵・畝原シリーズの第2作。1作目からは長足の進歩を遂げている。これから作者の作品を読み尽くせばある程度わかると思うが、この物語がターニングポイントだったのではないかと勝手に推測している。『悲鳴』や今読んでいる『残光』に顕著な、名人芸と言っても過言でないキャラの立て方がこの物語でも充分に発揮されている。特に、嫌なヤツを描かせたら、この人の右に出る作家はいないのではなかろうか。物語の核をなす、本村康子には参った。

 外堀から埋めていくのだな。キャラの外堀を用意周到に埋めて、人格を炙り出す。実際に会わせてからもうまい。風評との若干のギャップを読者に感じさせつつ、得体の知れない黒々とした悪意を覗かせる。この造型にはセリフも寄与していて、その人物独特のしゃべり方がうまくマッチしていて更にキャラを立たせる。ともかく、顔が思い浮かぶほどのキャラ名人で、読むセリフからはイントネーションまで聞こえてくるようだ。シリーズキャラも健在。くっつきそうでくっつかない姉川明美、探偵事務所所長の横山とその息子、個人タクシーの太田さん、消費者センター所長の山岸。それぞれが、活き活きと活写されてうなるほど。

 いつも発端はさりげない。些細な事件が雪玉が転がるように膨れ上がる。今回は、マンション管理人がある住民に向けた疑惑の眼からはじまって、次々と畝原の周囲に事件が起こる。娘が失踪しているのにおかしな態度をとる、どうも生活保護を不正受給しているらしい両親(本村)、本村の周りで不信な動きをする福祉課職員が当初の疑惑につながり、元校長の父親、癒着する役人、得体の知れない新興宗教が出てきたかと思うと、仲の良かったテレビ局のプロデューサーが失踪して畝原も壊れる……。あれよあれよと事件は膨れ上がり、バラバラな事件はバラバラとしてつながってゆくのである。おかしな言い方だが、バラバラはバラバラとしてつながる、悪いヤツは悪いヤツと連鎖する、見事な展開だと思う。流砂は底なしの悪意の沼へと流れて奈落の底に落ちるのだ。

 でも、ラストがちょっと不満かな。きっかけさえ与えてやれば、自重で崩れるのはよくわかる。しかし、ことの成り行きをもうちょっと読者に見せるべきなんじゃないかな。少なくともぼくは見たかった。まあ、考えてみれば、こういう描き方の方がそらおそろしさというか、はっきりと描くよりも、薄ら寒い感じはすると思うが。それとちょっと駆け足だったような印象。余談になるが、この本村康子の事件は、和歌山のカレー事件からヒントを得たのでしょうか。本村康子なんて、あの林真須美を彷彿としますもんねぇ。

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ダーク・ムーン    馳星周
集英社 2001年11月10日 第一刷発行
 狂気の作家=ジェイムズ・エルロイに挑みかかるようにして綴られた渾身の力作だ。物語はエルロイも得意とする悪徳警官物。今更、馳さんに向かってエルロイの物真似なんて言わないけど、かの作家を思い出してしまうのはしょうがないよね。内容はともかく、体言止めとダッシュを連発した文体はかなりの完成度とみた。ノワールにはこんな文体がとても合うんだな。体言止めとダッシュの綴られなかった先が、余韻を伴ってリフレインする。今回は、文体に更に磨きをかけ、意識して現在形を多く用いている。これがまた、ドライブ感を生んで、読み手に背中を押されるような疾走感を与えている。ぼくなんかのボキャブラリでは言い表せない密度の濃さだ。成功していると思う。

 エルロイは稀代のノワール作家に違いないが、精緻なプロットで骨太のミステリを描く作家でもある。そのミステリ的な部分がノワールの枠に留まらないエルロイの魅力にもなっていると思う。この物語でミステリ的な部分と言えば、ミッシェルの出自と加藤明ら三人の過去なのだが、ミステリ的妙味は乏しいといわざるを得ない。これは『不夜城』の頃から変わっていない。馳さんはミステリなどというフィールドから逸脱しているんだろうけど、ミステリ好きの立場から言わせてもらえば、馳さんの描く濃密なミステリを読みたいといつも思っている。この物語だって、描き方ひとつでもっとミステリな物語になったのではなかろうか。意識して物語からミステリを排除しようとしているように見えてしまう。残念な気がしてならない。加藤の父子物語も意外と底が浅かったように思える。

 舞台はカナダ、ヴァンクーヴァー。広東人の警官と日系カナダ人の警官に、香港マフィアの手先となった日本人の元警官が絡む。三人の視点が切り替わりながら、カネと政治と麻薬と女と暴力にまみれて堕ちゆく人間たちを、これでもかと描く。毎度のお約束といえばそれまでなんだけど、ハッピーエンドなはずがない泥沼のラストに向かって突っ走る。わかっていても読まずにはいられない。動機は三人三様ながら、行き着く先が泥沼なのは変わりない。目新しいのは、ヴァンクーヴァーという土地と、一種の倒錯である窃視症くらいか。途中まで実体の無いミッシェルの造型がイマイチで、登場の仕方や扱いももうちょっと工夫を凝らせばまた別の感想があったように思う。あそこまで登場を引っ張った割にあまりに通り一遍に見えてしまった。それとちょっと欲張り過ぎ。もうちょっと人物を絞った方が良かったのではないだろうか。馳さんはこれからどこへ向かうんだろう。

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涙はふくな、凍るまで    大沢在昌
講談社ノベルス 1999年6月5日 第一刷発行
 大沢さん、口述筆記でしょう、これ。大阪を舞台にした前作はソコソコにおもしろかったけど、北海道を舞台にしたこの作品は全然ダメ。筆が荒れていた時期だったんだろな。大沢作品では最低最悪の部類に属する。途中で何度も投げ出そうと思った退屈な作品。

 興味深かったのは、大沢さんが辿った北海道取材が想像できてしまうところかな。非常に感覚的な取材で、小説の名を借りた「北海道旅行記」として読める。大沢さんの北海道メモというか。大沢さんが感じたことがそのまま主人公の声になっている。これが良かったか悪かったか。

 ともかく、全編がドタバタでコジツケの連続。読むだけ損。

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赤・黒(ルージュ・ノワール)    石田衣良
徳間書店 2001年2月28日 初版
 ハズレが無いので安心して読める作家。物語のツボを知り尽くした小説巧者ぶりはこの物語でもいかんなく発揮されている。反面、娯楽に徹した姿勢から生み出される技巧的な小説は、読後に残らない一過型が多いなどという不評も漏れる。池袋ウェストゲートパークのシリーズは読後感も良く、心に残る作品がたくさんあった。しかし、この物語のような作品を読むと一部の不評もわかるような気がしてしまう。

 おもしろいのは間違いない。狂言強盗からヤクザの内部抗争に飛躍させ、ラストの手に汗握るルーレットシーンまですばらしい展開力。しかし、残らない。おもしろくて何が不満か、と作家先生方の罵声が聞こえてきそうだな。味はソコソコだが化学調味料過多、糖分塩分過多、脂肪過多のコンビニ弁当のような作品、といったらもっと怒られるか。

 池袋ウェストゲートパーク・シリーズでキラリと光るヤクザ、通称サルが主役級で登場する。主役は別の新キャラ。コン・ゲームのような一筋縄ではいかないストーリィ展開が良い。読み始めたら止められない止まらない。しかし、停滞打破のために割と甘い設定がいくつも見受けられる。作者も当然それはわかっているから、いろいろと手を尽くしているが、やっぱり目に付いてしまう。絵空事が文字通りの絵空事にしか映らない。

 サルにもっと重きを置いて欲しかった、サルの内面を抉って欲しかった、というのは素人考えだろうか。それとも作者はサルにはもっと大きな舞台を用意しているのだろうか。

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アナザヘヴン    飯田譲治・梓河人
角川ホラー文庫 平成11年12月10日 初版発行
 飯田譲治ワールド初体験。自分の意識としては映像の方が先行していたので、小説にはそれほど期待していなかった。……お約束の前フリで申し訳ないm(__)m。そうなのね、良い意味で見事に期待を裏切られた。着想良し、ストーリィ良し、人物良し、背景良し、テーマ良し。難を言えば、「ナニカ」のあまりに荒唐無稽なことくらいか。それにしても、過去未来、宇宙まで含めてしまえば、人間の叡智なんてたかが知れているんだから、こんな「ナニカ」があってもおかしくないだろう。カタチに拘る作家ならば、「ナニカ」に派手な名前を付けたことだろうけど、飯田讓治&梓河人は「ナニカ」としか表記しない。これもかなり好感が持てた。

 鮮血ドバドバのスプラッターなんだけど、サイコと呼ぶにはSFがかり過ぎているかな。強いて言えば、SFサイコスリラー? 当初はサイコ野郎の連続殺人と思われた事件が常人には理解できない展開を見せる。オカルティックで二枚目の早瀬学刑事と現実経験主義者で強面の飛鷹健一郎刑事を対比させ、会話させながらリアリティを演出する手法は良かった。まあ、警察はオカルトには一番縁遠い場所だろうから、気を使うのはよくわかる。しかし、それにしてもちょっとクド過ぎるような……。

 人物ひとりひとりが立っているので、素材の荒唐無稽さに辟易しても楽しめるはず。いまいち弱いなと思ったのは、テーマに対する掘り下げ方かな。UFOだの超能力だのの所謂オカルトに対しての、登場人物らの立場ははっきりしているのだが、語るべきテーマである「悪意」に対してはそれぞれの立場がはっきりしていない。ボーダーとして、犯罪覗き見趣味野郎が出てくるけど、この寛容さから想像して良いのだろうか。もちろん、世の中がどんなに「悪意」に満ちていようが、「ナニカ」のようなことを考える人間はいないだろう。でも、それぞれの立場からもうちょっと幅を持たせて掘り下げて欲しかったような……。「悪意」という魅力的な題材をもったいないような気がした。

 それにしても、この「ナニカ」は荒唐無稽度といい、その犯罪といい、行く末といい出色だよねぇ。哀れを誘うシリアルキラー、恋する「ナニカ」。結構示唆に富んでいる。同質の「悪意」に惹かれた結末だから、やっぱり似たようなの悪意を持つ人間に笑い飛ばすことは難しいなぁ。

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ファイアボール・ブルース    桐野夏生
文春文庫 1998年5月10日 第一刷発行
 乱歩賞→直木賞とブレイクした桐野さんの初期作品。女子プロレスを舞台にした異色小説だ。一応、ミステリの形式はとっているが、ミステリ的な妙味は少ない。それよりも何よりも、神取忍をモデルにしたというヒロインの火渡抄子と、彼女の付き人の近田を巡る物語が読ませる。「女にも荒ぶる魂がある」とおっしゃる作者。ミロ・シリーズで女性探偵(ハードボイルド)を描いた作者の女性観がよく現れているように思う。火渡抄子はとにかくかっこいい。

 女子プロレスといえば、大概の方が思い出すであろう映画がロバート・アルトマン監督の「カリフォルニア・ドールズ」 当然ぼくも。でも、描き方が違うので、比較にはならないかな。あっちは美人レスラー旅から旅だしね。もちろん、こちらの女子プロレスも地方巡業が多いんだけど、火渡抄子の人物が特出しているので、女子プロレス哀切物語も中心にはなっていない。火渡の美しさは、外見の美しさではなくて(失礼m(__)m)、あくまでも戦う一個の人間としての美しさ。戦う高潔な魂の美しさなのだ。

 残念ながら、ぼくはプロレスを全く知らない。そういう意味では非常に新鮮だった。作者がプロレスを愛する気持ちがヒシヒシと伝わってきて心地よい。ミステリとしては、ほとんどみるべきモノがないけれど、ヒロイン火渡の荒ぶる魂とハードボイルドに接してとても気持ちが良くなった作品。続編も出ているようなのでチェックせねばね。

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サイバラ式    西原理恵子
角川文庫 平成12年10月25日 初版
 漫画家西原理恵子さん。知ったのは、ずっと前にFADVで話題になった時だ。いろんな書かれ方をしていて興味津々だったが、縁がなくて当時は読まずじまい。この本は西原さんを第三者が書いた格好になっていて、西原さんの声は漫画を通して語られる。だから、純粋には西原さんのエッセイ集とはいえないかも。

 ぼくは、文筆を本職にしている方よりも別方面でその道を極めた方のエッセイにより惹かれる。サイトの読書歴にも書いているけど、例えば、亡くなった伊丹十三さんとか、東海林さだおさん、山下洋輔さん。例外は浅田次郎さんかな。小説より好きだったりする。まあ、そういう意味ではとても興味のある存在だった。

 率直な感想としては、この本だけではよくわからない、というところだろうか。初めて西原さんに接する本としては選択ミスだったのかもしれない。しかし、独特の絵柄から浮き上がる、哀しみが深くて良く言えば文学的。彼女の作品をひとつも読んだことがないぼくが滅多なことはいえないけど、かなり透徹した眼をお持ちの方だと思った。もっと本流の作品を読まねばね。