トマス・H・クック | 1947年アメリカアラバマ州生まれ。『緋色の記憶』で1997年度MWA最優秀長編賞受賞。 |
未訳の多い作家だが、今後もぞくぞく刊行される…らしい。『闇をつかむ男』以降、新境地を開いたようだ。好みのわかれるところかもしれない。 初めてクックを読む方には傑作『熱い街で死んだ少女』を薦める。クレモンズシリーズから読むのもいいかな? |
鹿の死んだ夜 | Blood Innocents 1980 | 染田屋茂訳 | 文春文庫 | 1994.06.10 |
神の街の殺人 | Tabernacle 1983 | 染田屋茂訳 | 文春文庫 | 1994.06.10 |
だれも知らない女 | Sacrificial Ground 1988 | 丸本聰明訳 | 文春文庫 | 1990.09.10 |
熱い街で死んだ少女 | Streets of Fire 1989 | 田中靖訳 | 文春文庫 | 1992.04.10 |
過去を失くした女 | Flesh and Blood 1989 | 染田屋茂訳 | 文春文庫 | 1991.01.10 |
夜 訪ねてきた女 | Night Secrets 1990 | 染田屋茂訳 | 文春文庫 | 1993.07.10 |
闇をつかむ男 | Evidence of Blood 1992 | 佐藤和彦訳 | 文春文庫 | 1997.11.10 |
死の記憶 (5.0) | Mortal Memory 1993 | 佐藤和彦訳 | 文春文庫 | 1999.03.10 |
夏草の記憶 (4.0) | Breakheart Hill 1995 | 芹澤恵訳 | 文春文庫 | 1999.09.10 |
緋色の記憶 (4.5) | The Chatham School Affair 1996 | 鴻巣友季子訳 | 文春文庫 | 1998.03.10 |
夜の記憶 (4.0) | Instruments of Night 1998 | 村松潔訳 | 文春文庫 | 2000.05.10 |
心の砕ける音 (4.0) | Places in the Dark 2000 | 村松潔訳 | 文春文庫 | 2001.09.10 |
以下未訳 | ||||
The Orchids 1982 | ||||
Elena 1986 | ||||
The City When It Rains 1991 | ||||
ノンフィクション | ||||
Early Graves 1990 | ||||
Blood Echoes 1992 |
※『だれも知らない女』『過去をなくした女』『夜 訪ねてきた女』はフランク・クレモンズ三部作と呼ばれている。 |
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元々内省的で、悪く言えば地味で暗く重たい作風だったが、『闇をつかむ男』あたりから一皮も二皮もむけたようだ。って言っても基本は全く変わってない。真摯さも、重さも変わっていないのだが、より深くより判りやすくなった気がする。深くなって判りやすくなったって非常に危険な言い方だが、ぼくはそう思っている。 小説手法は映画でいうならカットバックか。現在と過去を交互に記述し、共通のゴールに向かってひたすら滑り落ちて行く。薄皮を一枚一枚ゆっくりと剥がすように真実が明らかになっていく。 人の心の闇を真摯に描き切る。クックはミステリーなどという範疇は超越してしまったようだ。人間は不思議の生き物。誰の心にもあるであろう心の闇。淡々とした口調でクックはその闇について語る。この物語は一種贖罪の物語でもあるのだが、では彼は救われたか、そう問われると否と答えざるを得ない。罪を贖うが、それに許しを得るのではなく、背負ったまま苦しみながら生きていく。それが、不思議でちっぽけな生き物人間の宿命なのだ。 訳も名訳と言って差し支えないのではないか。原作の雰囲気をよく伝えているような気がする。もっとも、原書を読む力はないので確認のしようがないが。。 ともあれ、1998年一番の収穫であった。 |
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クックは『緋色の記憶』で1997度のMWA賞を受賞している。本作は遡ること3年、『闇をつかむ男』の翌年の1993年に発表された作品だ。過去と現在を行きつ戻りつする手法はこの作品でも共通。だが、この作品では序盤から『緋色の記憶』よりも具体的で分かりやすく、『闇をつかむ男』よりも興味をそそられる「謎」が大きく提示される。もちろん興味をそそられるのは、自分の年代的なせいかもしれないが、ぼくはこの謎に強く惹かれた。『闇をつかむ男』とは全く異質の謎解きがおもしろく、家族を殺した男たちの姿に慄いた。しかも、薄皮を剥いでいくような主人公の記憶の掘り起こしが、過去のみではなく現在の主人公にも多大な影響を与えていくのだ。これは怖い。誤解を恐れずに言うならば、帰宅して家族の顔を見るのが怖かったのだ。おもしろさならば、両作品を格段に上回る作品になっていると思う。 主人公スティーヴは、35年前に起こった一家惨殺事件の生き残りだ。犯人は父親。父親はその後逃亡し、行方知れずのままだ。何故、父親は、母と兄と姉を殺さなければならなかったのか。これが全編を通じて繰り返される「謎」だ。当然、物語を読ませる推進力となり、ページを繰る手を止められない。父親は何をした人か。物語の前半では「謎」が形を変えて繰り返される。この問答は、己の胸の奥にまで浸透し人生を振り返らせる。泥のような澱となって堆積していく。果たして、自分は何をした人か、何をする人か。父は自分に何を残したか。自分は息子に何を残すのか。 そう....これは形を変えた父と子の物語なのだ、と思う。父親と息子の運命の物語。人間の心を冷静に見つめ、引き起こした犯罪を優しい目で見守るクックだが、全編で揺れ動くスティーヴの心理描写は圧巻であろう。 読めばわかるのだが、作者の描写力というか文体は非常に詩的で、静謐で、しかも映像的だ。特に色を使うのがうまいと思う。『緋色の記憶』でもタイトルの通り赤が印象深かったが、この作品でも赤がとっても印象深い。主人公の母親のハウスドレスの色だ。無気力な女性が赤いハウスドレスを着ているなんて、暗示的でミステリアスだ。今も頭の中を、赤いハウスドレスを着た女性がウロウロしている。彼女の本質をこのハウスドレスの色のみで表現してしまっている。凄い。 ミステリー作品としては、最近作では『緋色の記憶』を上回り、作風の違いこそあれ『熱い街で死んだ少女』をも凌駕する大傑作だと思う。どうだろうか。 |
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全体を通して、謎に迫るあまりにも思わせぶりな描写にイライラさせられた。各章のラストに挿入される謎めいたセリフや描写があざとい。確かに興味はかき立てられるが過剰なテクニックだ。そして、呆気ないほど簡単に導き出されてしまう驚愕の真相。これには拍子抜け。しかもこの小道具には、『死の記憶』の自転車以上に首を傾げさせられた。両作品に通じて言えるのだが、アメリカの警察の力ってこんなもんなんだろうか。 ざっと、気に入らなかった点を上げて見た。その他は・・・う〜ん、もう無い。あとは誉めるのみ。何と言っても作者の凄いところは登場人物個々について、或いは人生について時間を止めて見つめないところだろう。移ろいゆく時間の中で、人間の持つ一見些細だが大きな影響力を発揮してしまう闇の部分を描く。人間の抱える謎を解き明かそうという姿勢はクレモンズ・シリーズの頃から一貫しているのだ。哲学的な印象の強いクレモンズ・シリーズに比べて、より具体的になった気がするのはこの辺りなのである。 ぼくは青春小説・青春映画に非常に弱い。この物語でも一番心惹かれるのはそういった類の部分で、主人公ベン・ウェイドの微妙な心の動きを追ううちにすっかり参ってしまった。16,7歳の頃のあの甘酸っぱい思いが胸を締め付ける。浅はかな罠。寄せては返す心の波。総動員した五感が研ぎ澄まされ、掴みかけた憧れがするりとすり抜けて行くあの瞬間。或いはそう誤解してしまった瞬間。好奇心と怖れ。愚にもつかないプライドと拙い自己抑制。喪失感。そして紙一重の愛情、憎しみ。これはもう犯罪小説というよりも、青春小説あるいは恋愛小説と呼んだ方がふさわしい作品である。 |
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記憶シリーズと呼ばれる最近作の中でも、最も恐ろしい作品といえる。どれも人間の暗黒部分を描いているには違いないが、この作品はちょっと趣向が違うようだ。この物語で語られるのは、出来心やはずみで犯してしまった罪の贖罪ではない。他に、暴力と恐怖によって強いられて犯した罪は、自らの心の闇が成した罪よりも、はるかに大きな傷を残す。これはこの物語を解く、大きなキーワード。しかし、原因はなんであれ罪は罪である。この共通認識が人に多大な負荷を刻み込む。贖罪によって再生するのではない。形はどうあれ、主体はその人の心理面で、正面から向き合い踏み越える力は、顕在化させ己の弱さを認めてしまうだけでは得られそうに無いのだ。単に、フロイト的防衛機制として看過してしまうには、あまりにも激しく痛ましいのだ。 物語の前半部分は、非常にノロノロでかったるい。過去と現在が交錯する展開に、今回は主人公=ポール・グレーヴズの創作したフィクションの登場人物まで加わる。創作上の人物が非常に象徴的である。殺人鬼アモン・ケスラーが人間の心の闇とするならば、スロヴァックという刑事が良心であろう。では、ケスラーの手先である、サイクスは何者であるか。かったるい展開が、後半になって目を剥く展開を見せる。悪が勝つのか、良心が勝利を収めるのか。人の心の常などという生易しいものではない。この究極の葛藤劇を心して読め。 作家のポール・グレーヴズが、50年前に16歳で死んだフェイ・ハリソンの死因を調べるよう依頼される。この依頼がおもしろい。フェイの母親を納得させるような物語を創作しろ、というもの。一方、ポール自身には13歳の時に4歳年上の姉=グウェンが殺されるという、未曾有のトラウマがある。フェイは何故死んだのか、はたまた殺害されたのか。犯人は誰か。グウェンはどうして死んだのか。どのように殺されたのか。これらの謎が、リヴァーウッドという閉ざされた場所で、現在と過去とフィクションの交錯する異次元世界で明らかになっていく。フーダニットは二転三転。終いには、人類最大の罪までが重なってアッと驚く展開を見せる。 薄々感づいていたとはいえ、解き明かされた謎には揺さぶられるだろう。それにしても……それにしても、暗黒の夜の記憶は、癒されることがあるのだろうか。方法論的には一般的過ぎてこのラストは甘いと思うんだけど。最前面に出さなかっただけまだましか……。 |
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トマス・H・クック 文春文庫 2001.9.10 第一刷 スタイルは記憶シリーズを継承している。現在と過去を交錯させながら謎を紐解く。事件の全容をなかなか明かさず、一見あざとくノロノロと語り継ぐ物語。遥か昔のことをあれほど鮮明に思い出せるなんておかしい、と記憶シリーズに異を唱える人たちはおっしゃる。ぼくは”おかしい”と断定できる確信が浅はかに見えてしまう。人間はもっと奥が深いんじゃないかな。なぜ可能性を認めないのか。ぼくの親しい友人に、赤ん坊の頃に飲んだ母親のおっぱいの味を鮮明に覚えていると豪語するヤツがいる。彼は母親のおっぱいの味だけでなく、幼児期全般に渡って鮮明な記憶がたくさんあるという。もちろん、記憶違いかも知れないし、後に作られたものかも知れない。でも、脳のメカニズムは未だに解明されていないのだ。『夏の記憶』の感想にも書いているように、”あざとさ”は認めるが。 この物語は、そんなアンチ記憶シリーズの方にも、納得していただけると思う。なぜって、主人公が思い出す記憶はごく最近のものだから。”あざとさ”は無理かな。『夏の記憶』ほどじゃないが、なかなか事件の全容が明かされず、クック・ファンを自認するぼくですらイライラが募ったから。でも、思わせぶりなのは物語の構成上いたしかたないように思う。事件の全容こそが物語の鍵なのだ。途中で作者が読者をある方向に欺こうとするのだが、この焦燥がスリリングで胸を締め付けるのだ。全容が明かされてしまっては、この兄弟の物語の楽しみが半減してしまう。 作者がミステリと文学の融合なんてホントに考えているかどうかわからないが、ポッと出のデニス・ルヘイン(レヘイン)なんかよりもずっと文学性が高い。相変わらず叙情的で視覚的で散文詩的な文章は絶品だ。悪魔の心情、悪夢の瞬間。味わうほどに深く酔いしれる物語。謎解きも過去の作品と比べて遜色ない。それどころが、ミステリ的には凌駕しているかも知れない。ただし、真相を知った後の兄貴がいただけない。徹しきれていない性格だからこれで良いのかもしれないのかな…。かったるい前半にもう少し工夫を凝らして、前半にひとつ山場を作ることができれば言うことなかったのだが。 |
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巨匠と呼ばれる作者の初期の作品だ。ブレイクした「記憶シリーズ」の遥か昔、「フランク・クレモンズ=シリーズ」よりも更に古く、作者数えて三作目の作品にあたる。 一匹狼を主人公としたオーソドックスな警察小説といえる。モルモン教徒の街ソルトレークシティを舞台に連続殺人を解決に導く、ニューヨークから来た異教徒警官の物語。この主人公の疎外感と、記憶シリーズで多用されている過去と現在を行きつ戻りつする手法が巨匠の現在を彷彿とさせる。万物流転の法則は、フランク・クレモンズ=シリーズでも語られたが、この物語でも東洋的な諦念とでもいえそうな主人公の内面が全編を支配して独特の雰囲気を醸し出している。主人公トムは、フランク・クレモンズの原型かもしれない。諦めているようでいて絶望しているわけではないという。 人物一覧である程度犯人が絞られてしまうので、ミステリとしてはイマイチか。作者特有の展開の鈍さも拍車をかけて、かなり退屈な読書になった。犯人の心情が綴られる部分も、宗教的背景がわからないため、単なる基地外の独白としか読めず興味がわかない。もっとも、怪電波の詳細と発生源を綴ったところで無意味だからこれで良いのかな。カットバックで語られる主人公トムのニューヨーク時代のエピソードが、なかなかソルトレークシティの連続殺人に結びつかずにやっかいだった。もうちょっと説明が欲しかったと思ったのはぼくだけかな。 というわけで、クック・ファン意外にはオススメできません。 |