マイクル・コナリー | 1956年アメリカ生まれ。1993年処女作『ナイト・ホークス』でMWA最優秀処女長編を受賞。1996年に『ザ・ポエット』で、1998年に『わが心臓の痛み』でアンソニー賞などを受賞。 |
現代アメリカ最高のハードボイルド作家、だと思っている。年齢的にもまだまだ。主人公の内へ内へと入り込んでいくという暗く重い面もあるが、第一級のエンターテイメントであることは間違いない。クリントンも好きらしい。 当然、ハリー・ボッシュ登場作の『ナイト・ホークス』からどうぞ。 |
ナイト・ホークス 上・下 | The Black Echo 1992 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1992.10.30 | ||
ブラック・アイス | The Black Ice 1993 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1994.05.30 | ||
ブラック・ハート 上・下 | The Concrete Blonde 1994 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1995.09.30 | ||
ラスト・コヨーテ 上・下 | The Last Coyote 1995 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1996.06.30 | ||
ザ・ポエット 上・下 | The Poet 1995 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1997.10.30 | ||
トランク・ミュージック 上・下 | Trunk Music1997 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社ミステリー | 1998.06.30 | ||
わが心臓の痛み (3.5) | Blood Work 1997 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社 | 2000.04.30 | 扶桑社ミステリー | 2002.11.30 |
堕天使は地獄へ飛ぶ (5.0) | Angels Flight 1999 | 古沢嘉通訳 | 扶桑社 | 2001.09.30 | ||
バッドラック・ムーン 上・下 (2.0) | Void Moon 2000 | 木村二郎訳 | 講談社文庫 | 2001.08.15 | ||
シティ・オブ・ボーンズ (4.0) | City of Bones 2002 | 古沢嘉通訳 | 早川書房 | 2002.12.31 |
※『ザ・ポエット』『わが心臓の痛み』以外はハリー・ボッシュシリーズ |
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ハリー・ボッシュ=シリーズ以外では『ザ・ポエット』についで2作目となる。マッケイレブ元FBI捜査官が過去に扱った事件として、詩人(ポエット)が上げられているところを見ると、作者の頭の中には架空のロスアンゼルスが出来上がっているのかも知れませんね。エルロイのように。もしやと思って、『ザ・ポエット』のページを繰ってみたけど、マッケイレブ捜査官の名前は発見できなかった。別の捜査官の変名なんでしょうかねぇ。 毎度ながら、ベタベタにウェットなハードボイルドだ。たぶんベタベタ度はボッシュ・シリーズの上を行くから、ダメな人はとことんダメかも知れない。ボッシュ物もウェットには違いないのだが、ここまでベタベタではなかったような気がするんだけど…。だが、この設定でこのウェットを鬱陶しいと思うなかれ。想像を絶する、ある意味ハリー・ボッシュを遥かに凌駕する、愛と生の根源的テーマなのだから。臓器移植という今日的テーマをコナリー流に料理するとこうなるのだな。 あらゆる要素を詰め込んで、読者を楽しませようとする作者の姿勢は相変わらず。スリリングな謎解きといい意外性といいコナリーならではでしょう。心臓移植手術直後で車の運転さえ禁止されている元FBI捜査官、という設定でまず読者を仰天させておいて、ありふれた強盗事件を転がしてサイコにまで持っていってしまうこの豪腕ぶり。それでいて無理のない絶妙の筋運び…職人芸でありますね。脱帽するしかない。静かな幕開けとは対照的にノンストップ、ジェットコースターの後半が読者の心臓を捩じらす。この構成だからこの後半が生きるのですね。素直に楽しませてもらいました。 ただ…、ちょっと否定的になってしまうのは、この男女関係は安易に過ぎるんじゃないか、サイコ野郎は全然恐くないじゃないか、何年も追いかけておいてこんな幕切れはないだろう…、って思ってしまうわけです。動機の多様化もわかるし、サイコ野郎のコンプレックスの対象の意味もそれなりに理解はできる。サイコ野郎の歪んだ精神状態が沸点に達したんだろう、とは容易に推測できるんだけど…。詰め込み過ぎは毎度のことながら、このあたりもっと丁寧に描いて欲しかった気持ちもあるのだ。殺害方法のあっけなさをいろいろと補ってはいるが、恐くないのはこれのせいかも知れない。考え出すと全部が薄っぺらく見えてしまうのだ…。まあ、動機と目的が特別だからしょうがないんだけど……不満が目立つのくせに(3.5)を打ったのは、ストーリィテリングのうまさと謎解きのスリルと着想の良さに押し切られたと思って欲しい。 |
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マイクル・コナリーのノン・シリーズ3作目にして、初めて女性を主人公に据えた意欲作。しかも、ヒロインは女性犯罪者だ。申し訳ないが手垢のついた設定でとても危険。コナリーがこれをどのように料理するか興味津々だった。読者が同情する、感情移入しやすい女性犯罪者を描きたかったそうで、内容が少しずつ聞こえてくるにつれて、嫌な予感が募るばかりだった。 今回に限っては嫌な予感が当たってしまったようだ。おもしろくなかった。ヒロインのキャシー・ブラックがあまりにも平均点女で全然良くない。感情移入もできなければ、同情心の欠片も持てない。それなりに構成されて、それなりに読ませる物語であるのに、なぜだろう。この手の物語が氾濫していて、どこかで読んだようなデジャビュに常に支配されていたからだろうか。悩み迷い、一人の男を愛しつづけるヒロインは良いと思う。だが、この女性はラスベガスの組織を相手にひとり戦うのだ。なのに、まったくヒロインの危機がない。これじゃ平坦すぎるでしょう。楽すぎ。本人の身に何も起こらず、ただ組織相手に奮闘するスーパーウーマンぶりと母性愛が全然シンクロしない。 作者はカッコ良い女のつもりで描いたのかもしれないが、少なくともぼくはカッコ良いとは思えなかった。優等生で崩れていない女性犯罪者は、最後まで優等生臭が漂って鼻持ちならない。コナリーお得意のラストのどんでん返しも、あるぞあるぞ、とそればっかり期待していたのに、読書中はそれと気が付かない低レベル。終わってみれば、ああ、たぶんあれだったんだな…と。急に都合よく時間を飛ばしたって、読者が知りたいのはそこに至るまでの過程であって、どうもちぐはぐな気がしてしまう。悪役の探偵もいまいちなら、あれよあれよとキャシー・ブラックの仕業とわかってしまうあたりなんかやりすぎでしょう。あれじゃキャシーはまったく大馬鹿じゃないの。はっきり言って興醒めだった。もっと別の方法があるはず。コナリー、腕が落ちたとしか思えない。無難にまとめすぎだ。 |
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ロス市警のハリー・ボッシュ刑事を主人公とするシリーズも本作で六作目。過去五作では『ブラック・ハート』がシリーズ最高作だと信じて疑わなかった。しかし、シリーズ六作目にして、とうとう『ブラック・ハート』に比肩する作品が登場した。ノン・シリーズも含めて平均点の高い作者の作品群の中でも、密度の濃さ、読み始めたら止まらないリーダビリティの高さ、緻密な捜査ぶり、時代性、物語の設定などなど、どれをとっても一級品の傑作だ。 戸惑ったのは、一時の感情に流されず、噛んで含めるボッシュ刑事の大人ぶりというか成長ぶり。いつの間にか部下ふたりを持ってチームを率いている。一匹狼じゃないのだ。実は変わらず孤独なんだけど、ボッシュが諌める側に回るなんてね。あの切れるような内面を露出させたボッシュも良いけど、こっちのボッシュもかなりイケてる。ラスト間近、「正義」を翻弄する「政治的判断」に打ちのめされつつ、ボッシュは抑えきれない衝動に突き動かされる。そして、堕天使の羽ばたく音を聞いたボッシュの正義。決意。これを読まずして、ボッシュの後続作品は絶対に語れないだろう。 ロス市警と係争中だった人権派黒人弁護士エライアスが殺害される。誤認逮捕と取り調べ中の暴力沙汰(ブラック・ウォリアー事件)の公判を間近に控えた警官が犯人かと上層部は色めき立つ。このデリケートな事件の捜査責任者に任命されたボッシュは、あろうことか仇敵の内務監査課刑事をチームに加えることを強要される。市警上層部の「政治的判断」の枷を嵌められつつ、「正義」を貫くため精一杯巧みに泳ごうとするボッシュ。しかし、先のロドニー・キング殴打事件とO・J・シンプスン裁判がロス市警に与えた影響は半端ではない。捜査の妥当性、証拠の正当性をとことん求められるのだ。手順に拘る姿はとても奇異なのだが、確実に悪を葬り去るためにはしかたがない。ロス市警の現場の捜査員は手かせ足かせを嵌められ、不自由な捜査を強いられる。もちろん、ボッシュも同じだ。 更に、ブラック・ウォリアー事件の元となった、少女誘拐殺害事件の真相解明に乗り出したボッシュが味わう八方塞がりのジレンマ。更に更に、事件が引き金となってマイノリティの鬱積された不満が噴出する。暴動寸前のロス。十重二十重の袋小路でボッシュは「正義」と「政治的判断」の狭間で揺れる。まだまだ、細かい枷はいろいろある。ときには枷を味方にし、ボッシュの捜査は冴え渡る。この「政治的判断」を苦渋ながらも受け入れるボッシュの姿が、ボッシュ大人説というか成長説の根拠。捜査を盾に迫るアーヴィングに屈するのは、やっぱり悪を憎むが故なのだ。 最初の一ページを読んだが最後、あっという間に物語に引きずり込まれ、一ページたりとも退屈させられることがない。未曾有の密度の濃さだ。ボッシュ・シリーズにつきまとっていた、ボッシュの内面を掘り下げる内向的な雰囲気が払拭され、警察小説本来の捜査に重きを置いたのも好感が持てる。もしかしたら、作者の内面に何か変化があったのかもしれない。まあ、そんな邪推は捨て置いて、シリーズ愛読者は当然のこととして、今までボッシュ・シリーズを敬遠していた人も、別の理由で読んだことのなかった人も、ともかく、一度手に取って欲しい。今年のベスト1かも知れませんよ。 ところで、扶桑社いろいろやってくれますねぇ…。ソフトカバーで2,200円という値段も呆れ果てたが、巻末の解説を読み始めてびっくり。だって、この解説を書いた人、ボッシュ・シリーズは『ナイト・ホークス』と本作しか読んだことないって…。エレノアと結婚していてびっくりだって(^^;;;。(あ、書き忘れたけど、エレノアの描き方も良かった。)よっぽど時間がなかったんですかねぇ。人材難? じゃなければ……。正直なのはよろしい。うやむやにしてそれらしく書かなかった執筆姿勢は買うけど、ボッシュ・シリーズ屈指の傑作の解説をたった二作しか読んでいない人に依頼するなんて…。開いた口が塞がらない。 |
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現代最高(私見)のハードボイルド・シリーズ数えて八作目。派手さはないが、死後二十年を経て発見された少年を巡って、深く静かにボッシュの捜査が描かれる。見逃せないのが、『堕天使は地獄へ飛ぶ』で姿を表した一皮剥けたハリー・ボッシュ。痛々しいまでにパートナーに気を使い、事件関係者に気を使う。この優しさがボッシュの本質をあらわしている。セリフの端々ににじみ出る人生への深い洞察と哀感と愛情に満ちた視線は、あのボッシュから発せられればこそ、その深みもまた違った形で迫ってくるのだ。 シティ・オブ・ボーンズ…。骨の街、骨の上に建つ街。たとえば、エディンバラの一匹狼ジョン・リーバス警部の周囲には、現世に未練を残したまま逝ってしまった者たちの亡霊が群がる。リーバスは彼らの無念を背負って生きてゆく。リーバスとボッシュはほぼ同年代のはずだ。思いは同じか。数千年の間、変わらぬ人間の性(さが)と積み重ねられた骨の上に建つ街、天使の街ロサンゼルス。シティ・オブ・ボーンズ。味わい深い小説だった。 コナリーといえば、二転三転するケレン味たっぷりのストーリィが大きな特徴だ。解説で訳者がどのように否定しようともそれは間違いない。二転三転したのち、ラストに待ち構える大ドンデン返し。ミステリ・サスペンス小説としては王道なのだろう。その意味では、コナリーは平均点の高い作家であり、多少のあざとさはテクニックでカバーしてしまうソツの無さも兼ね備えていた。最近作はちょっとウデが落ちたような気もするが、派手な舞台装置とナイフのようなボッシュの内面によって薄紙をかけるように読者を翻弄していた。 ニュー・ボッシュお披露目となった『堕天使は地獄へ飛ぶ』にも沸点すれすれのボッシュの叫びがあった。しかし、この作品は違う。地味な田舎町を舞台にボッシュは静かに捜査を続ける。出会う人々に優しい視線を投げかけ、人々に自らを投影し、苦悩する。諦観とは違うかもしれない。しかし、ボッシュは確かにある境地に達した。う〜ん、諦めたわけではないな。対極の立場を認めた上で、自分はどこにいるべきなのか自問している。結果として、この作品も大きなターニングポイントになった。自分はどこにいるのか、どこにいるべきなのか。透徹した目で己と向き合うボッシュの姿が感動的だ。 お約束の内務監査と恋愛が、どこか「儀式」めいていて今ひとつしっくりこないのが居心地悪い程度。ハリー・ボッシュと聞いただけで、気もそぞろになる大ファンなので先が気になって仕方がない。というか、ボッシュ・シリーズの場合は毎回がそうなのだが。 |