処刑の方程式    A PLACE OF EXECUTION   ヴァル・マクダーミド  森沢麻里訳
集英社文庫 2000年12月20日 第一刷
 『殺しの儀式』『殺しの四重奏』によって、マクダーミド=サイコ・スリラー作家みたいなイメージを持ってしまったが、この方はとんでもなく奥の深い作家だった。良い方向に裏切られた珍しい例といえるかも。最悪のタイトルは置いといてね…。

 スカーデールというイギリスのひなびた村から14歳の少女が失踪する。探すのは29歳の新米警部ジョージ・ベネットだ。二部に分けられた前半の一部で、1960年代半ばに起こった事件の一部始終が漏らすことなく語られる。折りしもイギリス北部では、少年少女の連続失踪事件がマスコミを賑わせていた。この部分は、もう女性ならではの細かさで、新米警部の焦燥、閉ざされた村の様子、などが当時の世相を交えながら細かに描写される。事件の進捗や排他的な村の様子が、いかにも英国ミステリといった趣でノロノロと進む一部の前半部は退屈の一言。事件の全貌と行く末もなんとなく見えるし。これが中盤から一気に加速する。あとは一気読み。このギアの入れ替えは見事としか言いようが無い。

 ただ、すれっからしの読者のほとんどは真相がわかっていたんじゃないかな? そのへんの危うさは作者も重々承知していたようで、結果こんな構成になったんだろうし、前半にあれだけの力を入れたんだろうけど、やっぱり瑕疵が目立ってしまう。途中で想像した真相に一捻りが加わった程度で、周囲から聞くほどの衝撃はなかった。っていうか、作者はこの小説にミステリ的な驚きは最初から考えていなかったようですね。まあオカズ程度っていうか、それが主眼ではないから。結果としてみれば、美点でもあり、欠点でもありだろうか。もうちょっとミステリ的妙味を効かせれば、もっと衝撃的な作品になったと思うのだが。

 突き詰めて考えたことを書いてしまうとネタバレになりそうなので、あまり深追いはしないが、法の普遍的な無力さというか、近年のミステリに多く見られる傾向というか。買えるのが、そこに横たわるのが、一方に有利で一方に不利、というか一方が幸福で一方が不幸といった画一的な白黒判断ではなく、相殺的な人生に対する洞察力に満ちた作者の筆致でありますね。最後には、全部善人、みたいなのがちょっと鼻についたけど、感動的な作品ではあった。

 でもねぇ、変に物分かりのよろしい女性ジャーナリストは余計だったんじゃないかな。背景や人物に工夫を凝らしてあるにも関わらず、物足りなかったのが残念。後半が駆け足過ぎたのでは? 個人的には、あのジャーナリストをそっくり息子に置き換えてはどうだったかなと。かなりきつい物語になったかもしれないけど。

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源にふれろ    TAPPING THE SOURCE  ケム・ナン  大久保寛訳
ハヤカワ・ノヴェルズ 昭和61年9月30日 再販発行
 青春小説に弱いぼくの琴線を見事に弾いた。これは良い物語です。ハードボイルドというよりも、ミステリの形をとった青春小説といった方がしっくりとくる物語には、甘酸っぱいあの頃が全てつまっている。情景描写や心理描写も見事で、ちょっと感傷的過ぎる面も見受けられるが、彷徨える青年の一シーンを見事に切り取って心に残る鮮やかな作品になった。若い人には絶対オススメ。おぢのぼくがこれだけ感動できるんだからね。

 失踪した姉を探しながら実は自分自身を探していた、というメインストーリィはとても木目が細かい。鮮やかな心理描写は痒いところに手が届くし、ディテールにもしっかりこだわる。あの頃の弱さと強さ。どうしたら強くなれるか。自分で決めるとはどういうことか。流されるとは、楽な道と、辛いが正しき道とは…。これらを、サーフィン、ドラッグ、ポルノ、暴走族といった風俗を絡めて描ききる。小道具の使い方もうまく、特に刺青についての独自の見解が独特だ。揉まれつつ主人公アイク・タッカーは成長する。恋愛と男同士の友情によって喚起され成長するアイクは感動的だ。でもちょっと鈍すぎ? この鈍さが青春なのかな。すでにアイクの父親の年代に近いぼくは、息子たちの姿が重なってきて始末に負えなかった。

 不満を上げるとすれば、アイクと友情を築く暴走族のプレストンの描き方だろうか。ぶっきらぼうで、野卑な中にも優しさ溢れるキャラなのだが、扱いが冷たすぎやしないか。ちょっと理解に苦しむところもあるし。こんな物語では、アイクよりもプレストンに感情移入してしまう年代になってしまった自分を呪うしかないのか…。そういえば、あの頃、大人ほどミステリアスな存在はなかったな。あまりに真っ正面から向かい合い過ぎて、ちょっと気恥ずかしかったのは、やっぱりぼくの年代的にズレてしまったからでしょうか。

 青春ハードボイルド。完成度と着眼点では洗練された『ストリート・キッズ』に譲るが、叙情性では勝るとも劣らない。これが鬱陶しいと感じたら間違いなく大おぢですよ。

 絶版・品切れで手に入りにくいのがとても残念。その上、作者は数年前に他界してしまったようだし、このまま忘れ去られてしまうのだな。せめて文庫にしてくれんかな>早川書房殿。

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夜が終わる場所    FOUR CORNERS OF NIGHT  クレイグ・ホールデン  近藤純夫訳
扶桑社ミステリー 2000年3月20日 第一刷
 噂に聞く警察小説。昨年(2000年末)の「このミス」にランクインした作品の中で最も触手が動いた作品は、単なる警察小説の枠を大きく踏み越えて、細やかな心理描写と緻密な構成で人間を見つめた文学作品であった。

 早朝の電車内で、朝日を浴びて白い頂きを赤く輝かす富士山を横目に静かに読み終えた。胸が熱くなっているぼくは、凛とした早朝の空気と珍しい赤富士に一層気持ちを増幅させられてしまい、電車内で赤富士を見つめながらしばらく茫然自失状態だった。テーマを要約してしまえば実に他愛もない事柄で、何を今更…、と言われても否定はできない。でも、その程度でこの小説を判断して欲しくない。小説はプロセスであり、ありふれた題材でも掘り下げ方やら語り口やらでどんな小説にも変貌し得るのだと、改めて感じ入ったのだ。

 内容もすばらしかったが、特筆すべきは邦題ですね。原題は、『Four Corners of Night』。言わずと知れた、ゴール直前、最後の第四コーナーのこと。このコーナーを曲がって後は一気にゴールへなだれ込む。府中なら坂の手前…。この原題(夜の第四コーナー(^^;;;)を、よくぞ 『夜が終わる場所』 などという詩的で、意味深で含蓄を含んだ邦題をつけてくれた。え? 直訳だって…(^^;;;。写真も含めて表紙の感じもとてもよろしい。
(訂正があります。four corners は第四コーナーじゃありません。第四ならforthでcornerは複数形にはならないですよね。掲示板でのゴンさんのご指摘の通り、四隅=隅々、というような意味合いと思われます。終わる場所=第四コーナーと早とちりしたぼくの大ボケでした。しかし、ホントに第四コーナーなら笑うに笑えないひどいタイトルだ。ぼくの感性はこんなもん(ノ_・。)。自戒のため加筆に留めます。2001.2.22記)

 少女の失踪という、ミステリでは手垢のついた題材。主人公は少女失踪事件を捜査するふたりの警官だ。現時点での捜査を軸に、ふたりの警官の過去が幾重にも重なって語られ、やがて過去にひとりの警官の娘が失踪していたことが明らかになる。多分に漏れず、この物語も捜査はノロノロで一向に進まない。その上物語は、警官のひとり=マックスの一人称で語られるのだから視点はぶれないものの、時制がころころと変わって集中するのが難しい。この物語に否定的な人はここらへんを論っているようですね。確かに集中が難しく、読みにくい物語ではあったが、ぼくはそれほど気にならなかった。語り口と人物造型が絶品だったからでしょうね。

 陰影深いもうひとりの警官=バンクが印象的だ。彼を主人公のノワールと読み解いてもいいほど。当然バンクの描写は、マックスの意識と重なるのだから、良くも悪くもそれほどに深くなることはない。だから、読んでいるうちに、マックスが感じているのと同じくらいにバンクをミステリアスな存在と捉えている自分に気が付くのだ。そう感じていることに気がついたら、もう作者の手の内ですね。深い哀しみたたえながら、「夜が終わる場所」 を探して心を旅し、知らず知らず座している自分に気がつくかも。「夜が終わる場所」はそのまま「朝が始まる場所」なのだな。

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死せる魂    DEAD SOULS  イアン・ランキン  延原泰子訳
ハヤカワポケミス 2000年9月30日 発行
 1999年のCWA賞シルバーダガー賞にノミネートされた作品。惜しくも受賞は逸したが、ランキン型モジュラー小説が見事に完成された非常に質の高い作品である。ただし、それがおもしろさと同義であるかどうかは読者によると思うが。

 電車内でふと見上げた「AERA」中吊り広告に、「児童虐待 母は克服した」などという扇情的な記事を見かけたかと思えば、長男が小学校から持ち帰った「小学校だより」の裏面に、土屋義彦埼玉県知事の「児童虐待の防止を訴える知事緊急アピール」などという文章が掲載されていたり、メディアでもニュースからドキュメンタリーから低俗なワイドショーに至るまで、「児童虐待」が放送されない日はないといってもいいくらいだ。ヒステリックなまでの児童虐待報道。ぼくらは、虐待が引き起こした「解離性同一障害」に慄き、「虐待の連鎖」に頷き、少々質的には異なるが「小児性愛者」の傾向は一生モノであると危機感も新たにするわけである。

 この物語前半のリーバスに陥っているわけですね。「小児性愛」がひとつのテーマではあるが、同じ他作品と違っている、あるいはこの物語のひとつの見所といえるのは、「更生プログラム」を受けて更生しようとするダレン・ラフのような存在をリーバスにぶつけて、リーバスが徐々に変化していくさまが描かれているところでしょうか。更生しようとする「小児性愛者」の気持ちを描いてみせる。疎外感、罪悪感。沸々と湧き上がる衝動を、必死に押さえ込もうとする。ただし、作者は対岸に稀代の殺人鬼=ケアリー・オークスを対峙させることも忘れない。このふたりの犯罪者は異質であると。しかし、これは難しい問題であるな。

 毎度ながら、リーバスの活躍はとても地味。それでも退屈せずに読めるのは、作者独特の小説手法のおかげだろうか。ランキン型モジュラー小説たる所以は、能動的なリーバスに由来する。ともかく、リーバスはあれもこれもと自分から事件に首を突っ込んで、自ら事件を掘り起こしてゆくのだ。これらをリーバスの内面や周囲の状況を細やかに絡めて、最高の語り口で綴られる。ひとつひとつのエピソードをおろそかにしない執筆姿勢が、ランキン=大長編作家のイメージを植え付けるのだ。期待を裏切らず、この物語もとても長い。登場人物も多い。

 英国ミステリの伝統を継承しつつ、米国産のハードボイルドをブレンドするとこういうミステリになるのでしょう。リーバスのカッコ悪さが、やけにリアルで逆に好感が持てる小説。深い哀しみをたたえつつも、決して絶望しているわけではない。印象的なシーンが放尿シーンという珍しい小説だったが、シリーズとしては過去の亡霊たちを受容する度量の大きさをもって前進を続ける。リーバスの周囲に群がる、現世に無念を残して逝ってしまった亡霊たちは決して消えることはないのだろう。リーバスはカッコ悪く、彼らの無念を背負いながら生き続けるのだ。

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クリスマスに少女は還る    JUDAS CHILD  キャロル・オコンネル  務台夏子訳
創元推理文庫 1999年9月24日 初版
 独特な硬質の語り口。通勤途中が主な読書時間であるぼくを嘲笑うかのように視点がころころと変わる。集中できない。終盤までは楽しみよりも苦痛の方が多かった。エピローグで語られる真実も、確かに驚きはしたがそれ程ではなかった。どちらかと言えば余りに技巧的過ぎて嫌味にすら感じられる。もちろん、感動的な出来事で、解釈も感動的ではあります。子供時分にはあんなこともあるんだろうとは思うけど、伏線がありましたっけ? 読みにくすぎたので、再読の気持ちはないからもしかしたら見落としただけかもしれない。でもねぇ、もし、あったとしても、あんな描き方をしておいてあれじゃ詐欺にも等しいな。シリアル・キラーの真犯人にしても、物語としては弱すぎると思う。子供を使って、感動させるのは少々反則。しかもあんな書き方をしておいてアレはないだろう。

 ただし、物語全体を覆う陰鬱な独特の雰囲気、キャラひとりひとりの人物造型はすばらしいと思う。最後まで読めたのはアリのお陰。ミステリアスで魅力的。彼女を巡る謎が物語を解くキーワードだから、きっと彼女が主人公なのでしょう。じゃあ、ルージュは? また、否定的な意見になってしまうのだが、ここらへんがどうもよくわからない。ルージュだけでなく、アリにしても内面描写が少ないので、何がどうなってどう考えているのかさっぱりつかめない。ミステリアスな造型はいいんだけど、読者をバカにするような執筆姿勢ととられても反論できないと思うのだが。やれ、知能が高いだの、洞察力に優れているだの、心理ゲームだの、面白いんだけど、ものすごく嫌味に感じてしまった。本人たちに本音を語らせない手法が、結果的に、全体がつかみにくくさせていると思うのだが。

 特に嫌味に感じたのは、野球場のシーンとか、警察署の下に住民が集まって灯火を灯すとか。そりゃもちろん感動的なシーンですよ。でもね、ああいういうのは両刃の剣で、どうも物語の流れでああいうシーンが登場する必然性というか、土壌というか、これもよくわからない。作者は先にシーンを用意しておいて、適当にアレンジして当てはめたような印象。もしかしたら、作者のネタ帳にあの手のエピソードがごろごろしているような。どうも、この作家みたいな技巧派からはそんな印象しか受けないのです。アイディアに満ち満ちた、才気溢れる作品であり、作家であることは認めますが。でも、それを鼻にかけてないかい? 

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悪徳の都    HOT SPRINGS  スティーヴン・ハンター  公手成幸訳
扶桑社ミステリー 2001年2月28日 第一刷
 完結したと目されていたスワガー・サーガは、首を傾げる展開を見せた。主人公はボブの父アール。すでにアールは、『ブラックライト』で語られたような最後を迎えており、手持ちの駒で姑息な商売をするやり手婆みたいな印象が強い。ところが、ところが、ここにも壮絶な物語があったのだ。人に歴史あり。一族に歴史あり。銃社会アメリカで脈々と連なった豪胆な男たちの血の絆はかくも濃いのか。作者はアメリカを問うているのか。

 時は、第二次世界大戦直後。戦争の後遺症で酒びたりのアールは抜け殻だ。名誉勲章授与式直後、場末の酒場のトイレで銃口をこめかみに当てる。幾たびもの生死の境を潜り抜けてきた歴戦の勇者は目的を失い、生の実感を感じられなくなっていたのだ。そこにうってつけの仕事が舞い込む。ギャングが牛耳る歓楽の無法地帯”悪徳の都”=ホットスプリングズを浄化しようというのだ。アールの仕事は、摘発部隊の教育。元海兵隊の専任曹長にこれほどの適役はない。アールは回復し、やがて自らも闘いに身を投じる。平行して、ボブ・リー・スワガーの誕生秘話や、アールの父で第一次世界大戦の英雄チャールズ・スワガー殺害事件の謎などが語られる。歴史上の人物たちが実名で登場し、ある種時代・歴史小説めいた趣向もある。

 アール・スワガーは、ボブほど寡黙で人間離れしてはいない。ボブよりもずっと人間味に溢れているから、ボブ・リーの超人的な造型にいまいち乗り切れなかった読者でも、アールなら文句はないだろう。戦闘能力はボブと同等か。数多くの銃撃シーンで、アールは未曾有の働きをする。この物語でも、銃オタク=ハンターは健在だ。銃を知り尽くした者でなければ描けない(ような)戦闘シーン、銃撃シーンの連続。元FBI捜査官のD・A・パーカーが教える両手撃ちは、従来の常識を根底から覆す逆説的超絶テクニックではなかろうか? 

 絶妙なストーリィテリング、見事に描き分けられた人物たち、手に汗握るシーンの連続、更に深みを増した闘う男たちの血脈の業。どれを取っても一級品で文句のつけようがない。特に、悪役のひとりひとりにまで行き届いた人物造型はすばらしい。ユダには甘さもあるのだけれど、これでなくてはハンターの物語とは思いたくない。文句があるとすれば、好みの問題に終始するでありましょう。ぼくは、アールのトラウマがあまりにありがちで、安易に過ぎたのではないかと思った。またこれか、が正直な感想。ただし、これについても当時の状況をキチンと踏まえているから、さすがハンター、只者ではないのだ。

 もしかしたら、作者の脳髄の奥深くで閉ざされた小部屋に、数世紀にもわたるスワガー一族と彼等を巡る男たちの波乱万丈の歴史が息を潜めているのではないだろうか。この物語は、アール・スワガーを主人公とした、スワガー・サーガの新展開第一弾と思えてならない。自分の生み出した人物を愛することにかけては、スティーヴン・ハンターの右に出る作家はいないでしょう。ひとりひとりまで、もう偏愛といってもいいほどだ。連なる人物たちでも、『ダーティホワイトボーイズ』のあの印象的な警部補C・D・ヘンダスンや、ラストページでドッキリの人物まで含めて、作者が深遠なる人生を見つめる透徹した、それでいて愛情溢れる視線が彼等に血を通わせ、読者に深い感動を与えるのだ。それにしても、ハンターさんはやり手ですなぁ…、いろんな意味で。

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さらば、カタロニア戦線    TAPESTRY OF SPIES  スティーヴン・ハンター  冬川亘訳
扶桑社ミステリー 2000年10月30日 第一刷
 スパイ物はやっぱり苦手だ。大好きなスティーヴン・ハンターの作品でも変わることはなかった。ロマンティシズムも、友情物語も、主人公ロバート・フローリーの成長物語もよくわかるのだが、どうにもこうにもかったるくておもしろくない。たぶん、1930年代中期のスペイン情勢がわからないことが、輪をかけてかったるくさせたのだろう。じゃ、勉強しろよ! その通りなのだが、興味が無いから、そんな気持ちにもなれない。一回読み始めたら絶対といっていいくらい中断はしない本読みだが、この本ばかりは何度中断しようと思ったことか。結局、読了するのに、二週間以上かかってしまった。読み始めたらすぐに眠くなるのだ…。

 筆の運びが、かなりギクシャクとしてとても読みにくい。文章表現ひとつとっても、新人にありがちな大仰さや、自己陶酔が結構見られて鼻白むことが多かった。読みにくいのは章ごとにコロコロと視点が変わるからだが、あのハンターもこんな時期があったのだなぁ、と思うとおかしな意味で感慨深い。『悪徳の都』で、ハンター節を堪能した直後だったから、余計に感じられてしまった。

 すれっからしには、結末まで見えてしまう。どうせこいつはこうだぞ、って邪推してたら、まったくその通りで…。で、あっと言う間にこうなってああなって。もうちょっとどうにかならんかなぁ、と。でも、スパイ物好きには、結構受ける内容かも。冒頭で書いた、友情物語としては結構痛いと思うし、前編に漂うロマンティシズムもいい味が出ているから。

 スパイ物好きと、筋金入りのハンターファン以外にはオススメできません。これからハンターを読みたい、というハンター入門者にも薦められないかな。翻訳も悪いし。

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あたしにしかできない職業    TWO FOR THE DOUGH  ジャネット・イヴァノヴィッチ  細美遥子訳
扶桑社ミステリー 1997年10月30日 第一刷
 ずっこけバウンティ・ハンター、ステファニー・プラム=シリーズの第二弾である。結論から言うと、第一作『私が愛したリボルバー』よりも数段おもしろい。(でも、3.0なのは……)これぞキャラクター作家ですね。前作で大化けを予想させたメイザおばあちゃんが、ダーティ・ハリーまがいの名セリフつきの大活躍。他にも名キャラが気持ち良くさせてくれる。ステファニーとジョー・モレリのくっつきそうでくっつかない関係もそそられるし。まあ、このふたりはくっつかないんでしょうね。今回はギリギリまでいったからよもやと思ったが、毎回こんな感じでいくのでしょうね。違う? いろいろ聞くほど抱腹絶倒ではないが、それなりに楽しめる作品ではある。

 ただし、好みが分かれる作家ですね。分岐点は、たぶん、ステファニーやメイザおばあちゃんの活躍に、素直に乗っかれるかどうかでしょう。ぼくはちょっと眉唾なので、ミステリ的な部分以外がおもしろいのは認めるけど、物語全体としては最後まで乗り切れなかった。こうなると好みの問題でしょうか。いかにも作り物めいた印象が拭い去れないのだ。残念ながら、社会病質者というかサイコな雰囲気のケニーにも中途半端な感想しかないし。

 冒険小説を指して、谷底に転落しようが戦闘機に爆撃されようが、どんな危機的状況に陥ろうともスーパーマンのごとく主人公が絶対に死なないとか、事件に次ぐ事件にリアリティが無いとか、事件とその展開があまりに派手でこんなことがあるわけない荒唐無稽に過ぎる、などの批判をよく耳にする。もちろん、的外れな批判だと言うつもりはないが、ぼくはこのステファニー・シリーズみたいな物語の方により作為を感じてしまうのだ。リアリティではなく作為。あざとさ。厳冬のダムの放水管に流されて、びしょ濡れになって凍りついてもなお戦いつづけるダム作業員よりも、敵数十人を瞬く間に仕留めてしまう戦闘マシーンと化した伝説のスナイパーよりも、全身麻痺の科学捜査官よりも作り物めいた不自然さというか作為を感じてしまうのだ。

 それでも、とても評判のよろしいシリーズなので、たぶん、ぼくの好みでは無いのだと思うことで納得している。でも…、すでに第三作目『モーおじさんの失踪』を読み始めていて、結構楽しめたりしているので、三作目は手のひらを返したような感想になるかも。もうちょっとミステリ風味を強くして、陰影を濃くして、緩急をつけてくれれば好みなのですが。それではシリーズの良さが全部損なわれてしまうか……。

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モーおじさんの失踪    THREE TO GET DEADLY  ジャネット・イヴァノヴィッチ  細美遥子訳
扶桑社ミステリー 1998年2月28日 第一刷
 シルバーダガー賞受賞作。ミステリの著名な賞の受賞作だからというわけではないが、前二作に比べてミステリ風味が強く、それが読書の推進力になって意外とスラスラ読めた。今回のターゲットはタイトル通り、失踪した「モーおじさん」である。この誰にでも愛されるモーおじさんが作り物めいて見える読者には、これもきっとダメでしょう。ミステリではありがちなモチーフが透けて見えてしまうのには、灘本さんというイラストレーターのうますぎる表紙絵に負うところも大きい。モーおじさんという人間が丸見えですから。表紙絵を見た瞬間モーおじさんの真実がわかってしまった。他人にズカズカと入り込んでいく、下町風人間関係も変わるところがないし。

 でも、最後まで楽しめましたよ。相棒がメイザおばあちゃんからルーラに変わったところが大きいかも。メイザおばあちゃんって、とても魅力的な脇役なんだけど、この人のドタバタぶりはちょっと鼻につくのだ。ルーラだって、たいへんな身勝手ぶりには違いないのだが、なんとか許容範囲に落ち着いているので。今回はステファニーも結構魅力的に見えたし。慣れ? わからないのが、前半部分でルーラに何度も置いてけぼりを食って、怒らないステファニー。男性登場人物には結構怒るのに、宿敵ジョイス以外の同性には甘いように見えてしまう。女性に優しい? 人間関係がなあなあに見えてしまう。ジョー・モレリに当たり散らすのには理由があるのはわかっているのだが。

 ハムスターのレックスの登場場面が増えたからなのかどうかわわからないけど、やっとステファニーの痛みがちょっとだけわかって、吹っ切れたヒロインという巷の評価も少しわかって、その上ステファニーが可愛く見えてきたので、この際だからと続いて四作目の『サリーは謎解き名人』を読んでいる。このサリーがまた、キャラクター作家=ジャネット・イヴァノヴィッチの面目躍如のキャラで、思わずニヤリなのだ。この作家は女性キャラには無類のうまさを発揮するが、男性キャラはイマイチだと思っていたので(モレリ、レンジャー、エディ・ガザラ、ヴィニー、ステファニーの父親と、おもしろいキャラが揃ってはいるが、イマイチ食い足りない…)、とても楽しみなキャラが加わったと思う。まあ、サリーは男であって男でない、というかなんというかなので、男性キャラのジレンマに陥った作者苦肉の策のような気がしなくもないですが。

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サリーは謎解き名人    FOUR TO SCORE  ジャネット・イヴァノヴィッチ  細美遥子訳
扶桑社ミステリー 1999年6月30日 第一刷
 巻を重ねるごとにステファニーが可愛く見えてくるから不思議。周囲の無神経なバカ騒ぎに翻弄されながらも、しっかりと自分を持って生きようとする姿が、とうとう健気に見えてしまった。モレリとの危うい関係も、物語上の作為とわかっていても、一本筋が通っていて好感が持ててしまう。この物語で、ふたりの関係は新局面を迎える。ここらあたりの描写はさすがに元ロマンス作家。平易な単語を使って、単純な描写しかしていないのにものすごくエロチック。しかも、気持ちのすれ違いが、結局ふたりの関係に変化をもたらさない格好で緊張感を持たせる。うまいですよ。この人ロマンス小説に戻った方がいいじゃないか、なんて余計なことを考えてしまった。

 確かに元気が出ます。下町風ベトベトズカズカ人間関係が醸し出す笑いも、そういうもんだと思えば素直に笑えるようになった。ただし、好き嫌いは別で、ぼくはこの手の人間関係はとても苦手です。イタリア系やハンガリー系移民の社会なんて知りようもないのだけれど、見知らぬ土地で肩寄せあって生きてきた歴史が、そんな社会を作らせたのだと思えば納得できないこともない。日本の田舎と同じアメリカの片田舎。

 相変わらず卓抜なキャラ名人は、今回サリーというぶっ飛びキャラを送りだした。身の丈2m近い、女装趣味の大男。自ら服装倒錯者と名乗って憚らない堪らない人物。他には、天敵ジョイスの出番が増えて更に笑わせる。これからもジョイスが展開にアクセントをつけてくれるんでしょうね。もうひとり、しゃべらないのに、気になる存在だったステファニーの父親が正体を現した。いやはや、ドタバタぶりは増すばかり。

 ストーリィをみれば、相変わらずミステリ風味は薄い。わけのわからない暗号に引きずりまわされる前半部のモタモタを、後半の強引なこじつけでまとめて、最後にモレリの口から真相を明かす。やっぱり練れていない。だいたいエディにそれほど難しい暗号をどうやって解かそうと思ったのか? 他にも、いろんな事件を起こして読者を煙に巻こうとしているんだろうけど、すれっからしのミステリファンはだまされないでしょう。放火犯なんて最初の一発目からわかったもの。あのドアの落書きから。

 さて、このシリーズ、どこまで行くんでしょう。いろんな意味でこれ以上は厳しいのでは? 熱狂的マニアに支えられてシリーズは続くのだろうけど、飽きられそうな予感がしてしまう。あんまりあざといことをしないで欲しい。とは言っても、こんな犯罪小説というかミステリがあってもいいかな。ウェストレイクには敵わないけど。

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チーズはどこへ消えた?    WHO MOVED MY CHEESE?  スペンサー・ジョンソン  門田美鈴訳
扶桑社 2000年11月1日 第一刷
 240万部突破だそうだ。昨今の翻訳ビジネス書ブームに乗ったのも理由だと思うけど、アメリカで二年連続ベストセラーNO.1なんて冠がつけば、各メディアが嫌でも取り上げてくれる。効率の良い宣伝ができたんだろうな。その上、薄っぺらくて値段も800円ちょっととお手ごろで、読み始めたら30分もあれば読めてしまう。因みにぼくは、昼休みに仕事をしながら読み終えてしまった。扶桑社はこういうところで大儲けした資金をミステリ文庫に向けて欲しい。絶版が早すぎるのよ。

 しかし、たった30分とはいえ、読むのが辛かったですよ。はっきり言って気持ちが悪い。こんなもんをありがたがって読むほどアメリカ人っておめでたいのか? (わが日本人も?) 底が割れたな。真中に挟まれた二匹のねずみと二人の小人の話だけならまだしも、どっかのおぢが書いた冒頭の推薦文と、物語をサンドイッチしているディスカッションが最低最悪。胸が悪くなった。アホらしい…。誰も反論しないディスカッション…。

 物語部分は、標語みたいなもんの連発がくどくて辟易した。なんというか、あまりにも当たり前過ぎて…。ところが、こういうぼくみたいなヤツには罠が仕掛けてあって、いや、気が付いているから罠でもないんだけど、あれですよ、あれ、「自分以外の人は変化を恐れていると思う人は?」と問われて全員が手を上げるシーンね。しかも全員が笑い出す…。否定するヤツはダメだ、って最初から予防線を張ってあるわけですよ。お前みたいな気が付かないヤツが最悪なんだぞ、お前にこそこれがためになるんだ、いい加減気がつけよ! と言っているわけ。うまいこと言っておいて最初から反論を封じ込め、口を開けば自著を礼賛する手法は、カルト宗教とか詐欺の手口そのまんま。或いは踏絵かファッショだ。こんなセリフやシーンを数え上げたらきりがない。

 アメリカ人って、改めてこんなことを言われてやっと気が付くほど、自分勝手で独りよがりなバカばっかりなのか? そう思わなきゃそんなに売れた理由がわからないよ。じゃなければ、アメリカは相当病んでいる…。

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