私が愛したリボルバー    ONE FOR THE MONEY  ジャネット・イヴァノヴィッチ  細美遥子訳
扶桑社ミステリー 1996年4月30日 第一刷
 ミステリ仕立てのロマンス小説と言ったらファンに失礼かな。ミステリ的なストーリーのおもしろさよりも、ヒロインのステファニー・プラムと、彼女が選んだ職業のミスマッチが一番の魅力でありましょう。賞金稼ぎという日本ではまったく馴染みの無い仕事に、危なっかしくも健気に取り組むステファニーがかなり魅力的。熟練作家のアイディア一本勝ち。見事に急所に決まったようですね。ヒロインを活き活きと描き、彼女を取り巻く下町っぽい雰囲気を嫌味なく軽妙に描く作者は年季を感じさせる。それにしてもなんというタイトルなの?

 現在、4作あるシリーズの第1作目にあたる。
 ステファニーは失業中で生活苦にあえいでいる。笑ってばかりはいられない極貧生活。家具を売り払って、電気製品を売り払って急場を凌ぐ。しかも、オイルを垂れ流しながら走らせるクルマには女性が直視できない落書きが…。極貧ステファニーは、親に薦められて嫌々ながら求職に出かけた先で、思いがけない仕事を得ることになる。それが、賞金稼ぎ(バウンティ・ハンター)。最初の探し人は、幼馴染で警官のジョー・モレリだ。シリーズ二作目以降ではコンビを組みそうなモレリとステファニーのやりとりがとても良い。一見不思議な関係だが、ステファニーの深層心理を推理すれば納得できそうだ。腐れ縁の行く末が気になるところ。

 忘れられたアメリカの片田舎の雰囲気が絶妙なら、ステファニーの家族をはじめとした人物像もうまい。一読でメイザおばあちゃんのファンになってしまった。彼女の存在だけでも続きを読みたくなりますね。これで謎解きやらストーリィの奥行きやらが加われば、とんでもなくおもしろいシリーズになりそうな予感がする。犯罪小説と呼ぶにはあまりに軽いが、ノワール系のあの雰囲気が苦手な人にはオススメ。女性にもウケそうなキャラだから、ミステリあるいは犯罪小説の女性向け入門書としては最適かも。ほんのちょっぴりだが、あの雰囲気も味わえるし。

 ところで、あの変態ヘビー級チャンピオンはマイク・タイソンがモデルだと思った…、なんて言ったら怒られちゃうかな…。

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明日への契り    THE SWEET FOREVER  ジョージ・P・ペレケーノス  佐藤耕ニ訳
ハヤカワ文庫 1999年9月30日 発行
 失敗した。『俺たちの日』以降の作品群が、こんなに微妙にからみあっているなんて全然知らなかった。『愚か者の誇り』を開いてびっくり。あれま、この物語は『愚か者の誇り』の10年後を描いた続編だったのだ。気づいたときはあとの祭り。前作からのつながりを知らなくても充分に楽しめたから、この物語を後に読んでいたらもっと楽しめたと思うと残念でならない。みなさんはくれぐれもお間違えなきよう。

 『俺たちの日』のピート・カラスの息子ディミトリ・カラスとその友人のマーカス・クレイの二人を中心に据えて、ワシントンの1986年が描かれる。なんとも忌むべきアメリカの現状が背筋を凍らせる…、まあ、いまさらではあるけど。『愚か者の誇り』では、マリファナだった麻薬の主役がコカインにとって変わり、そのコカインもクラックにはじき出されようとしている。11歳の子供までもが拳銃を懐中に隠し持つ、暗く出口の見えないワシントンの街中で、渾身の力で正義を貫こうとする男たち。陰鬱でモノトーンなノワールの雰囲気がとても良い。

 『愚か者の誇り』ではマリファナの売人だったディミトリ・カラスは、この物語では4店まで増えたクレイのレコード店の人事担当に収まっている。しかし、相変わらずの麻薬常習者で、コカインをきめながら昔の女と一晩中やりまくる剛のおっさんだ。ラストで、このアンチ・ヒーローの行く末を暗示しているかな。それでいて、結構骨っぽいところがある。弱さばかりが目立つ掴み難いキャラではあるが、ディミトリの正義が意外な深みを感じさせるから不思議だ。この弱さのために、スーパーなヒーローよりもずっとリアルで卑近な親近感を感じられるのだ。アメリカ社会の懐の深さと言えなくもないかな…。

 正邪の線をどこに引くか、金まみれの社会で矜持を貫くのはむずかしい。こちら側の人物が結局みんな善人風だったのは欠点でしょう。キラリと光る極悪党が欲しかった気もする。タイレルなんて全然ダメだもんね。う〜ん、やっぱりディミトリは異色だなぁ。正義に目覚める連中の中では、偽悪警官ケビン・マーフィが出色だ。マーカスの息子を巡るエピソードも涙なしには読めない。後半のアクションも申し分なし。バスケットボールや流行の音楽などを共有していないので、時代がきれいに切り取られているかどうかはわからないが、男たちの思いを描ききって切ないハードボイルドに仕上がっていると思う。このリアリィティに、ストーリィの奥行きというか幅が加われば大変な作家になると思うのだが。

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愚か者の誇り    KING SUCKREMAN  ジョージ・P・ペレケーノス  松浦雅之訳
ハヤカワ文庫 1999年7月31日 発行
 ペレケーノスの作品にはひとつのパターンがあるようだ。ラスト近くに物語の全てを凝縮したカチコミ(じゃなければ銃撃殺戮シーン)が用意されているのだ。これが物語最大の山場を形成しているのは言うまでもない。例に漏れず、この物語でもカラスとクレイの銃撃シーンが山場となっている。それともう一つ。カチコミが終わっても、物語はすんなりとは終わらない。蛇足じゃないか、というくらいに執拗にその後の人物を追いかける。読み方によっては、蛇足どころかこの部分にこそ作者の重いが込められているととれなくはないが…。とは言っても、三作しか読んでいないので早とちりかもしれないので。

 元来が、華麗なストーリィでグイグイ引っ張るタイプの作家ではないが、この前半部は特に退屈だったかな。暗いノワール的な雰囲気は良いのだけれど、悪党に凄みがないので軽く読み飛ばしている自分に気がつく。ラストまでずっとこんな調子で、集中が難しい作品だったが、随所に句読点のように出てくる映画『キング・サッカーマン』にはニンマリだ。読後、この物語の原題を見て更にニンマリ。『キング・サッカーマン』が原題だもんね。若干ストーリィに違いはあるが、ポン引き(あるいはその類)の末路としては、この物語を念頭に創作したのは想像に難くない。

 アメリカの犯罪小説を読むと必ず突き当たるのが、自分の身は自分で守るというか多分に敵討ち的意識を含んだ自警団的発想である。乱れてきたとはいえ治安の良い国で安穏と暮らしている日本人としては、胸を張るマーカス・クレイよりも、ディミトリ・カラスに共感できるかな。心の動きを見ても、この物語のディミトリの方が『明日への契り』よりもわかりやすい。それでも弱いんだな、彼は。

 ディミトリらは27歳。10年後を描いた『明日への契り』の方が、成熟した男たちのやるせない気持ちが横溢して、しかも密度濃く仕上がっているから、作品的には上だと思う。でも、この作品の雰囲気は一読に値すると思う。意味のよくわからない人物はご愛嬌ということで。

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生への帰還    SHAME THE DEVIL  ジョージ・P・ペレケーノス  佐藤耕士訳
ハヤカワ文庫 2000年9月30日 発行
 ワシントン・サーガの最後を飾る作品だ。
 ペレケーノスといえば、正邪双方から事象をリアルに語り、謎解きなどのミステリ的な醍醐味はまったくといっていいほど見られない作家で通っている。(探偵ニック・ステファノス=シリーズは未読ですがm(__)m)また、ひとつの出来事を、縦横な視点(登場人物それぞれの視点)で語ることでも知られている。これがたたみかけるようなリアルさを生むのだ。社会構造に端を発するアメリカ社会の根深い問題を、ワシントンの場末で育った人々の視線で描くところに、単なる物語だけではない圧倒的なリアル感があったのだ。うねるような、押し寄せるようなリアル感。これが多数に支持されているのだと思う。

 ただし、欠けていると思われるところもある。個人的な好みの問題であることは否定しないが、前三作を読んで痛切に感じていたのは、ミステリ的醍醐味に乏しいということだった。ハリウッド映画に見られるような、ジェットコースターもどきの一気読みのおもしろさも備わってはいない。これは作者の方向性が、単なるミステリを逸脱して、いわゆる何でもありのおもしろさを追求しているのではないから、当然といえば当然なのである。舞台はワシントンに終始する。突飛な展開をするミステリが好みなのではないが、ストーリィの広がりにも欠けていると思う。これだってサスペンスが主眼の作品群ではないことに思い至れば納得なのだが、作者の構成上の大きな特徴としてラスト間際のカチコミに向かって物語が進むわけだから、もう少しサスペンスフルに盛り上げて欲しいなどと思っていたのだ。

 そして、シリーズ最終作『生への帰還』である。相変わらずの視線の低さ。今回は職業的な犯罪者の内面にも言及している。その上で、職業的犯罪者の突発的な暴力で、肉親や近しい者を亡くした悲しみをこれでもかと描くのだ。しかも、今回は前述のような不満がかなりの部分払拭されている。
 まず、ストーリィに幅が出ている。探偵ニック・ステファノスが探り出した偶然の事実が別の事件の意外な点へと連なり、無理なく見事に線を作り出す。作者の過去の作品では味わったことの無い妙味であった。とっくに事実を読者に示してあるから、ニックの動きが読者に無類のサスペンスを与える。ニックの動きにはミステリ的な側面もあり、わずかではあるがミステリ的醍醐味も味わえる出色のストーリィ展開・構成であった。

 シリーズ最終巻らしく、『俺たちの日』以来のシリーズ読者にはたまらないシーンが随所に用意されている。彼らが紡いできた物語に思いを馳せ、シリーズを愛する読者は胸を熱くすることだろう。アメリカの大地に脈々と受け継がれる移民の血は絶えることがない。作者の意思をきちんと伝えて物語は締めくくられる。感動の最終巻である。

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サンタフェの裏切り    SANTA FE RULES  スチュアート・ウッズ  土屋晃訳
文春文庫 1995年1月10日 第一刷
 ウッズさんて、こんな作品も書いていたのですねぇ…。豪腕ウッズなどと言われるのも頷ける気がする。強引強引。

 奇想天外なアイディアに溢れたストーリィではあるが、あんまりにも突飛過ぎるかな。都合の良い主人公の記憶喪失の原因も追求されないまま、いい加減に物語が進んでしまう。ただし、思いっきり奇を衒ったストーリィではあるが、よくよく考えるとある程度納得できる(気もする)展開だから、危うい稜線上をフラフラしながらも意外と確かな足取りで歩いているような印象だ。確信犯なのですね。わかっていても、ラスト間近になってG難度の荒技が飛び出したときは思わず目を覆ってしまったけど。それはないでしょ、ウッズさん。伏線について一回だけ言及しているが、これはもうご都合主義以外の何者でもない。調子良すぎますよ。

 登場人物も相変わらずの上流階級趣味。主人公のウォルフ・ウィレットが、あのデラノの出身というあたりにちょっとニンマリした程度だろうか。本来なら最も力を入れねばならない、稀代の悪女であるジュリアに焦点を結び難いのが最大の欠点かもしれない。これだけ突飛なストーリィを創ったのだから、人物にもっと力をいれて欲しい。ジュリアが、生唾を飲み込むような悪女ぶりをもっともっと見せ付けていたら…。あるいは、反対に誠実なジュリアをきっちりと描いておいて、読者の裏をかいてドスンと落とすとか。物語の着想から、執筆までの熟成が足りないような気がしてしまうのだ。

 申し訳ないが、かなり力のある作家が、何か他の仕事と平行しながらやっつけ仕事で書き上げたような印象。とりあえず、あれとこれと…って要素を揃えて、ストーリィを組み上げただけ。こんなのばっかり書き続けていたら、ファンは逃げちゃうんじゃないかな。あまり見るところのない作品でありました。

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ハイペリオン    HYPERION  ダン・シモンズ  酒井昭伸訳
ハヤカワ文庫 2000年11月30日 発行
 ハイペリオン・シリーズ四部作の第一作目として知られ、数多あるSF作品の中でも指折りに数えられる本作。文庫化を期に読むことができたわけだが、期待に違わぬ壮大なストーリィにあらゆる要素が盛り込まれ、読書の楽しみを存分に味わえる作品だった。ぼくは感想を書く際に、5点満点で便宜的な点数を打っているが、文句なしの5点満点であるばかりでなく、これが5点なら過去の満点作品のうちいくつかは格下げしなくてはならないとの衝動に襲われた。『ハイペリオン』以後は、評点が辛くなりそうな予感がする。自分にとっては、それほどの衝撃を与える作品だったのである。

 SF小説は嫌いではないが、好んで読む方ではないから現代のSFはまったく知らない。耽溺していた時期もあるが、それとて遥か20年前。これ以前に何を読んだか、記憶を手繰っても思い出せないくらいだ。あ、梅原克文さんのアレはSFではないんだよね…(^^;;;。そんなぼくをこれだけ耽溺させえたのは、SF小説というよりも冒険小説的要素が濃く、そこらへんがものの見事にぼくの琴線を直撃する内容だったからだろう。これぞ、雑食本読みの本分。題材や看板が何であれ、おもしろいものはおもしろいのだ。SFだからと敬遠している向きにはこれを機会に是非オススメしたい。

 物語の舞台は28世紀。作者は現代からここに至るまでの、歴史、文化、社会、政治、経済、科学技術、その他の社会構成因子を完全に構築済みだ。だから、冒頭から未知の単語が執拗に、怒涛のごとく氾濫する。SF小説になじみの無い読者は、ここでくじけないことです。用語なんて軽く読み飛ばして結構。そんなものは読み進めるうちに自然と頭に入ってくる。この物語のおもしろさは、そんなものを超越したところにある(と思う)のだ。人物リストもない不親切な編集には腹も立ったが、下手にネットを駆使して人物リストや用語集を探さないほうがいい。ぼくはスケベ根性を出したばっかりに、不用意なネタバレに遭遇して情けない思いをしましたから。

 この壮大なドラマは、惑星ハイペリオンへと向かう巡礼6人が、それぞれのハイペリオンとの関わりを綴る6の物語で構成されている。ホラーあり、ハードボイルドあり、叙事詩あり、冒険活劇あり、愛情物語あり、の多士済済の6つの物語。文体を変え、視点を変え、変幻自在に語られる。これら6編の中篇小説がオムニバス的に並び、幕間に時系列に沿ってストーリィが進むのだ。それぞれが独立していながら密接に絡み合う。そのどれもが示唆に富んだアイディアに満ちている。それも単なるアイディアで終わらないバックボーンの広範さと文学的深みが備わっていて、その上で縦横なストーリィが波乱万丈に展開する。SF小説好きだけの物語ではなく、多くの本読みに受け入れられるのは間違いないはず。今更のぼくの戯言ではありますが。

 こうして、徐々に解き明かされる28世紀の姿、徐々に増幅するハイペリオンの謎、それらが疾風のごとく一点に収斂していく、物語としてかつて味わったことのない醍醐味だ。読み進めるうちにある構図が浮かんでくる。これが物語を解く鍵なんだろうか。途中から薄々感づいてはいるが、ラストに至ってまったく解明されない謎が読者を身悶えさせる。当時の読者をどれほど悩ませたか想像に難くない。その点、ぼくは幸せかな。四部作の第一巻を読み終え、間髪を入れず第二巻『ハイペリオンの没落』に進むことができるのだ。こんなおもしろい小説を今まで未読だった負け惜しみではなく…。めくるめく物語に翻弄される日々がしばらくの間続きそうだ。

 どれほど気合を入れて感想を書いたところで、ぼく程度の文章力では物語のおもしろさの一万分の一も伝えられたとは思えない。百聞は一見に如かず、だ。とにかく一読をオススメします。一読したが最後、壮大な物語に絡め取られることは必定。そうなったら、素直に、この類稀なる異世界物語に埋没いたしましょう。今、ぼくの手元には『ハイペリオンの没落』が。以降『エンディミオン』『エンディミオンの覚醒』と順次紹介していくつもり。さて、この壮大な物語の行く末には何が待ち受けているのだろうか…。ワクワク(^_^)。

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ハイペリオンの没落    THE FALL OF HYPERION  ダン・シモンズ  酒井昭伸訳
早川海外SFノヴェルズ 1995年6月15日 初版
 言わずと知れた大傑作『ハイペリオン』の続編である。時間経過からいえば続編なのは間違いないが、読み終えた率直な気持ちは訳者が巻末解説でおっしゃっておられるように、『ハイペリオン』と一対を形成する片割れを考えた方がしっくりとくる。前作で散りばめられた幾多の謎に翻弄された読者は、全ての謎に回答が得られることを期待してこの物語に臨むことでしょう。ところが、またしても期待は裏切られるのだ。どう読んでも、明快に理解できない点がかなりある。SF小説を読み慣れている読者ならば、断片をつなぎ合わせてそれなりの納得ができるのかも知れないが、いかんせん硬直した脳味噌を有するハードボイルド読みには理解の及ばない個所が多々あった。

 この物語を読むと、『ハイペリオン』が単なるSF小説に留まらない物語として、いかに優れた美点を備えているかがとてもよくわかる。SF小説であることは間違いないが、重要な登場人物にスポットを当て、どちらかというと人間を主眼に描く姿勢が貫かれているから、読者はSF小説を意識せず物語に没入することができるのだ。残念ながら、『ハイペリオンの没落』はそうはいかない。SF小説を読み慣れていないぼくが、両手を上げて降参するシーンの連続だ。それもキーとなる部分がすんなりと染み込んでこない。感覚として肌で感じればいいだけなのかもしれないんだけどね。

 もっと率直に言っちゃえば、かなりSF小説を読み込んだ読者でも、この物語を理解するのは至難の技じゃなかろうか。バックボーンとなる洋の東西を問わない広範な哲学及び宗教に関する予備知識や、具体的なモチーフである詩人ジョン・キーツに関する予備知識と文学的理解…。才人ダン・シモンズが仕掛けた物語の醍醐味が常人に味わえないのはつらい。もっとも、この手の焦燥感はSF小説を知っていようがいまいが関係なく読者全員に降りかかる。この物語に限ったことでもないしね。ぼくの場合はそれ以前の問題で、SF的言い回しやSF的観念、SF的哲学としか言いようのない渦に飲み込まれて、SF的思考あるいはSF的読解を要求されて固ゆで卵型の粗雑な脳髄はパニック寸前であったのである。

 ここまで読み返してみると、しきりとぼくは自分は馬鹿だ馬鹿だと繰り返して、言い訳に終始しているように見えるな…(^^;;;。実際その程度の本読みでありますが、それでも相当に楽しめる内容であったことはキチンと報告しておきましょう。宇宙大戦争のスケール感に素直に身を晒して、ため息をつくだけでもこのシリーズの愛読者になる資格は充分だから。あるいは、悲運のCEOマイナ・グラッドストーンに感情移入するもよし、美形のサイブリッドで物語の語り部であるジョゼフ・セヴァーンに身を焦がすもよし、人類の辿る数奇な運命とAIの関係に哲学的示唆を読み取るもよし。ともかく、さまざまな読み方のできる物語だ。この搦手の物語を深く追求するのも楽しみのひとつであろうが、あまり頭でっかちににならずに素直に波乱万丈の物語を堪能すればそれはそれでよろしいのではなかろうか。

 『ハイペリオン』でほの見えた対立の構図が、実はもっともっと複雑に絡み合っていることがわかってくると、時系列の果てしないタテヨコナナメに翻弄されつつ、あらゆる側面があらゆる輝きを伴って読者の前に忽然と姿をあらわす。緩急自在の作者の筆が、ときにじれったく感じることもあるだろう。冗長とさえ感じる読者もあるかもしれない。だがしかし、とにかく身を委ねるのだ。心を平らかにして、作者が仕掛けた惑星ハイペリオンを巡る未曾有の物語に身を任せてみてはいかがだろうか、例えば永劫の大河を下る小さな艀のように。

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エンディミオン    ENDYMION  ダン・シモンズ  酒井昭伸訳
早川海外SFノヴェスズ 1999年2月28日 初版発行
 ハイペリオン4部作、怒涛の3作目である。今回の物語の構造は至ってシンプル。宇宙を股にかけた追いかけっこなのだ。シンプルといっても、作者のことだから一筋縄ではいかないんだけどね。追われる者の不可思議。追う者の不条理。出会いの瞬間の緊張感と繰り広げられる殺戮シーン。追いつ追われつの物語を読了しても、新しく増えた謎がてんこ盛りなのは、あまりに予想通り過ぎて苦笑するしかない。でも、すぐに『エンディミオンの覚醒』に取り掛かれるのです。遅れて来たハイペリオンフリークはとても幸せであるな。

 3人の従者を連れて惑星を旅する少女からは『オズの魔法つかい』を連想する。時は32世紀。宇宙版『オズの魔法使い』だ。もっとも、子犬はいないし、三人目の従者が宇宙船のAI(コムログで帯同)という超離れ技なのだが。ドロシーは、『ハイペリオン』の探偵ブローン・レイミアとキーツ=サイブリッドの娘のアイネイアーだ。従者はAIのほかに、あのA・ベティックと身長2mの新顔ロール・エンディミオン。「時の墓標」からでてきたアイネイアーが、従者を引き連れて向かう「エメラルドの都」は果たしてどこかなのか。たどり着けるのか。

 旅の移動手段は、『ハイペリオン』時代の転位ゲートだ。各惑星を転位ゲートで繋いでいたテテュス河を筏(いかだ)で下りながら星々を巡る。詩情豊かで情緒たっぷりの星々の描写がすばらしい。ところが、この転位ゲートがどこに連れて行くのかわからないのだな。なに? コアのほかに未知の存在があるとな…。そいつらの意思なのか!? ああ、もしかしてあれか…? ええいっ! 矢でも鉄砲でも持って来いっ!! ぼくは若干自棄をおこしつつ読み進めましたよ。でもね、転位ゲートによって強制的に移動させられる星々で冒険に巻き込まれる3人の姿に、おぢの萎びかけた冒険心はかきたてられました。超人ロール・エンディミオンの圧倒的な活躍ぶりに舌を巻きながら。

 ここではたと気が付いた。ぼくは登場人物に感情移入して読むタイプだが、シリーズ3作目まで進んでも未だに心酔したキャラがひとりもいないのだ。唯一近いのがソル・ワイントラウブだけど、それだってあまりにも思考が高邁過ぎちゃって、ぼくの脳味噌は途中でオーバーヒートしちゃったし。本来なら、この物語のロール・エンディミオンなんてめちゃくちゃ感情移入して読むんだろうけどそうではないんですね。なんていうか、物分かりが良すぎちゃうというか。物語全体を包み込む圧倒的な不可思議さが先に立って、人物が染み込む隙間を与えてくれないからだろうか。

 でも、ひとりいたんですね。この物語でアイネイアーを追いかけるパクス(連邦崩壊後に実権を握った組織。なんとキリスト教会である)のデ・ソヤ神父大佐。死と復活を繰り返し、苦悩しながら任務を遂行する姿はかっこいいぞ。つまり、この物語では敵側のデ・ソヤに感情移入に近い感情を持ってしまったのである。それは、ラダマンス・ネメスというシュライク真っ青の超強力戦闘マシーンが登場して更に鮮明になった。神父であり兵士でもある彼は、神の名を借りて殺戮を続けるパクスの姿に苦悩する。そして己の姿に。生と死を繰り返しながら…。想像を絶する。苦悩する姿は『エンディミオンの覚醒』でも引き続き、だ。たぶん、敵でありながら、味方に近い配置を読み取った結果でありましょう。

 いや、はっきり言ってわけがわからんすよ。異教徒の星の閑散とした異様さの答えは『エンディミオンの覚醒』で提示してくれるんだろうな。コアじゃない存在がアイネイアーを導いているんなら、なんで惑星ハイペリオンから真っ直ぐに「エメラルドの都」へ転位させなかったんだ? 万能のはずでしょ? 実は後者の問いがずっと頭にあって、違和感が拭い去れなかった。その意味の一旦でも示して欲しかった。それに類して、途中でアイネイアー捜索の方針がなんで変わったの? つまり、どういう事情でネメスを繰り出すことになったのか。ヘブロンで何が起こった? なんでアイネイアーが建築家に? どうやってアイネイアーが「教える者」になるのかとか、そういった物語の本質とは別のところで引っかかってしまったのでした。もうウニです、ウニ。

 なんというか、ダラダラと書き連ねてしまって申し訳ない。追いかけっこは好きなので、正月を挟んで楽しい読書でした。さて、最後に待ち受けているのは大団円かな。

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エンディミオンの覚醒    THE RISE OF ENDYMION  ダン・シモンズ  酒井昭伸訳
早川海外SFノヴェルズ 1999年11月30日 初版
 シリーズ掉尾を飾る物語は期待に違わぬ傑作だった。次々と暴かれる謎。ダイナミックに展開する波乱万丈のストーリィに小躍りしながら読み進めた。まあ、確かに、みなさんおっしゃるようにアイネイアーをはじめとした説明口調には辟易したし、いつでもお預けを喰らう情けないロール・エンディミオンには軽蔑の眼差しすら向けたが、その程度で壮大なスケールの物語が縦横に展開する全体の感想が薄れるものでもない。

 主人公ふたり。アイネイアーとロール・エンディミオン。正直な気持ちを言えば、このふたりにはあまり魅力を感じない。元来、ぼくは恋愛ものが好きで、健気なヒロインには必ず恋をし、苦悩する男には必ず感情移入するのだが、このふたりはどうもいけない。アイネイアーは、ぼくの中では人間としての像を結ばない。生身の人間としての温かみを感じないのだ。ロール・エンディミオンに至っては、アイネイアーの下僕の如き情けない振る舞いに憤りを感じて、前述のように軽蔑の眼差しすら送った。読み終えて、このふたりの恋愛小説的大団円のラストは、考えようによっては美しいのだけれど、そこここにアイネイアーの傲慢さみたいなものがプンプンしてしまう。ロール、お前はそれでいいのか! しっかりしろ! ってね。気持ちはわかるのだが…。

 確かに感動的だったですよ。でもね、物語の構造を考えるとき、主人公ふたりに感情移入できないってのはつらい。物語そのものが、思わせぶりで過剰な思いやりと、それを許容せざるを得ない情けない男に支えられていることに行き着いてしまう。アイネイアーだけでなく。これは『エンディミオン』の方により強く感じたけど…。それからもうひとつ。綿密な前振りと、壮大な中盤に比べて、後半が駆け足だったのもマイナスかもしれない。あまりの長さに、さすがの作者も息切れしたのかな? もっとじっくりと読ませて欲しかったような。

 ああ、それでも(4.5)を打ってしまうのですよ。これだけ、主人公ふたりに不満タラタラで、それでもこれだけおもしろかった本は記憶がない。『ハイペリオン』から『ハイペリオンの没落』を経て、『エンディミオン』で新たに加わった謎までもが、一気呵成に解決される快感は脳髄が痺れるほどだ。むさぼるように読んだ。決して比喩ではなく、隣にいたカミさんによれば、本に噛み付くんじゃないかと真剣に心配したらしい。2段組800ページが物足りなく感じたほど。もうこれで終わりか? ホントに終わりなのか…。シュライクの謎がちゃんと説明されていないじゃないか。機械の神と人間の神の戦いはどうなったんだ? <獅子と虎と熊>っていったい何なのさ? 実は、こうしていくつか残った謎すらが心地よかったりする。だって、続編を期待しちゃうでしょ(^^;;;。

 作者ダン・シモンズって人の筆力はものすごい。雲の惑星の描写、惑星天山の描写、アウスターの不思議な空間、バチカンのアイネイアー…、他にもうなるような描写の連続だ。大冒険活劇でありながら、これだけの叙情性を維持し、なおかつ作者の痛烈なメッセージを受け取ることができるぼくらは本当に幸せなのである。解説で言及されたり巷間言われるような、過去の名作からの本歌取りなんか、ぼくのようなSF門外漢にはまったく関係ない。パクリであろうとなんであろうと、作品の出来が全てを超越してしまっている。おもしろいか、おもしろくないか。感動したか、しなかったか。物語にどれほどの奥行きを感じたか…etc。これくらいはSF者でないぼくだってわかるのだ。それが勘違いでなければ…。

 作者のメッセージ。ダン・シモンズの神や宗教に対する解釈にはとても親近感がある。ぼくが哲学科の学生だったころ、同級生らと夜を徹して「宗教」や「神」について議論した。ぼくの持論は、作者の考えにとても似ている。っていうか、今やほとんど目新しくないのかも。既存の宗教への痛烈な批判は、とても気持ちが良かったな。仏教もかなり勉強したみたいだし。でもね、シモンズさん、「輪廻転生」と復活キリスト教の「復活」は全然意味が違いますよ。まったくダライ・ラマが反論しないんだもんなぁ(^^;;;。ま、ご愛嬌ご愛嬌。

 シリーズ4作通して読むことができて、本当に幸せだった。4作読むのに1ヶ月かかったけど、実に楽しい1ヶ月間でありました。何度も言うけど、こんなおもしろい本をSFマニアの専売特許にしておくのはもったいないですよ!!

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穢れしものに祝福を    SACRED  デニス・レヘイン  鎌田三平訳
角川文庫 平成12年12月25日 初版
 もはや、ハードボイルドとは言えなくなってしまったな…。作者の志向は思いっきり軽い、ハリウッドもどきの三文小説だったのか…。エンターテイメント豪腕作家でも、ジェフリー・ディーヴァーにしろ、スチュアート・ウッズにしろ、有無を言わさぬテクニックが備わっているから安心して読める。その点、デニス・レヘインはまだまだ捻りもテクニックも拘りも足りないから、どうしても底の浅さしか目立たない。彼らの棲息する街と、人物の配置をみれば、スペンサー化と陰口を叩かれても反論できないだろう。

 過去2作で一番の魅力だったのは、くっつきそうでくっつかないふたり、ケンジーとアンジーの捻れたプラトニックな関係だったのだ。一番惹かれたのは、思いっきりネオ・ハードボイルドなケンジーとアンジーの切れるような内面だったのだ。その上、そこここに社会性を散りばめて、人間の心の闇を覗き、時代を切り取ろうとする執筆姿勢に舌を巻いたのだ。『闇よ、わが手を取りたまえ』で、シリーズの行く末が楽しみだと書いたが、断じて、この物語のようなラブラブなふたりが、小手先でこねくり回す妙に明るい珍道中を期待したわけではなかった。これは明確な方向転換と考えて良いのだろうか。

 『ストリート・キッズ』もどきの探偵の師匠を登場させたり、妄執に囚われたどっかで聞いたことがあるような富豪や、美しい悪女を登場させて工夫しようと努力しているが、底が浅くてどれもこれも中途半端でやりきれない。どれもこれも先達には及ぶべくも無い。だいたい題材がダメだよ。前作であれだけの試練を乗り越えたふたりが、やっと腰を上げるのがこんな事件なんて。厚みを出したつもりなのか、作者は『羅生門』まで引っ張り出しくるが、ぼくはあの映画のすばらしさを思い出してしまって返って逆効果だった。それどころか、根本的にあの映画とは違うでしょ? 捉え方が薄っぺらいように思えてならない。

 こうして感想を書いていても、すでに物語の内容が頭から去りつつある。残らない。シリーズとしてどうなのかは、次作第4作目にかかっていると言えそうだ。

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