警視の休暇    A SHARE IN DEATH  デボラ・クロンビー  西田佳子訳
講談社文庫 1994年3月15日 第一刷
 ちょっとした噂を小耳に挟んでいたとか、警察小説好きを満足させそうな何かを予感したとか、帯の「血も凍る叫びが全編に」という惹句に躍らされたとか、この物語を手に取った理由はいくつもある。だが、期待はことごとく裏切られた。元々英国風の本格ミステリは嫌いじゃないのだが、それにしてもこの物語はひどすぎるんじゃないか。退屈で退屈で何度も投げてしまおうかと思った。

 作者のデボラ・クロンビーはアメリカ生まれのアメリカ在住の女性作家。なのに、英国を舞台にスコットランドヤードのエリート警視ダンカン・キンケイドを主人公にした、英国ミステリを書いているという変り種だ。そんなところに作者の拘りが感じられて、惹きつけられてしまったのも手に取った理由かも。

 物語は単純なフーダニットだ。動機探しが絡んでくるから単純と言いきれないかな。リゾート地の会員制ホテルを舞台に、休暇中のダンカン・キンケイド警視が殺人事件に巻き込まれる。閉ざされた世界。ネタバレにはならないと思うので思いっきり書いちゃうが、もう設定からして、関係者以外が犯人であるはずがないのだ。抵抗を感じてしまう。意外な犯人なんか望むべくもない。なら、あとは登場人物たちの人物造型と背景ご動機と殺人方法やトリックが眼目なのだが、これもまた平べったくて語るものがない。ったくどこが「血も凍る叫びが全編に」なのさ? どこの何を指して「血も凍る叫び」なの? この程度でこんなキャッチをつけるなんて詐欺に近いぞ。

 多彩な宿泊客に工夫を凝らしたつもりかもしれないが、どいつもこいつも区別がつかない金太郎飴。拍子抜けする登場人物らの背景。そんな客らと順番におしゃべりするキンケイド警視が退屈極まりない二重人格者に思えてくる。エリートぶりも嫌味たっぷり。地元警察のビル・ナッシュ警部の執拗な妨害に期待したのだが、これも期待はずれに終わってしまう。ないないダメダメづくし。訳者が誉めている、離婚や親権にまつわる裁判、老親の介護、三角関係、アルコール依存症などは確かに現代社会をリアルに反映したものではあるが、いまごろこんなテーマを誰がありがたがろうか。しかも単なる刺身のツマとしか扱っていないので、スケベ根性丸出しの演出としか映らない……。人間ドラマも浅い。痛みが伝わらない。

 きりがないのでもうやめます。ジェマ・ジェイムズ巡査部長にちょっと興味があるので、シリーズを続けて読むかもしれません。が、いまのところはこれで終わりの可能性が強いかな。ところでこの本は、1994年以来、6年の間に17刷を重ねています。何か理由があるんだろうな。もう一冊いってみましょうか。

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ニューヨーク・デッド,    NEW YORK DEAD  スチュアート・ウッズ  棚橋志行訳
文春文庫 1994年6月10日 第一刷
 縦横無尽なストーリィ。息をもつかせぬスピード感で語られる物語に翻弄された。敵か味方か、味方が敵か。渦巻く疑惑のど真ん中で、主人公のニューヨーク市警殺人課刑事のストーン・バリントンは苦悩する。バリントンの設定がうますぎてと言うか、少々上流階級趣味が高じすぎて感情移入し難くなっているのは残念だが、ハリウッド映画のヒーローと考えれば十二分に通用しそうだ。股間からタラリと汗を流して欲望に翻弄されるバリントンは理解できるかな。わかっているんだよなぁ。しかし…、理性じゃ抑制できないほどの強烈な性欲に支配された主人公にしか感情移入できないなんて…。

 玉手箱のようなストーリィ。冒頭、バリントンが高層マンションから落下する女性に遭遇する。その女性はテレビの人気キャスター、サーシャ・ニジンスキーだった。彼女は一命をとりとめながらも、救急車で搬送中に消えてしまう。こうして始まる物語はアイディアに満ちている。作中、大小さまざまな仕掛けを幾重にも張りめぐらして、読者が真相に近づくことを拒む。最後まで予想がつかない。良いことづくめではあるが、う〜ん、あまりの手練手管に少々呆れ気味ではあるかな。中盤で全く別の物語が始まったかと思うほどの急展開。意外な点から前半部へと線が引かれる見事な展開なんだけど、中盤以降の主人公を巡る物語が、あまりに都合の良過ぎて首を傾げたせいでありましょう。

 宮部みゆき『火車』みたいに、登場しないヒロインを周囲から浮き彫りにするのかと思ったらさにあらず。モジュラー型の警察小説かと思ったらそうでもない。あくまでもバリントンに拘る。やっぱ、鼻につくなぁ、この主人公。タイトルから類推される都会の孤独というか、そのあたりもちょっと希薄かな。
 でも、嫌いじゃない。重厚さとか深みとか、そりゃあもう『警察署長』に譲りますが、ハリウッドもどきのおもしろさだけなら敵じゃないですね。豪腕ウッズの真骨頂なのでありましょう。こういう作品はなんだかんだと難癖をつけず、素直な気持ちで読むことをオススメします。それにしても、もうちょっと主人公が感情移入しやすいと良かったんだけど。

 因みに、ぼくはこの本を読書中に二回電車を乗り過ごしました。一駅乗り過ごして、戻る電車で更に一駅乗り過ごしてしまった…(^^;;;)。

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コフィン・ダンサー    THE COFFIN DANCER  ジェフリー・ディーヴァー  池田真紀子訳
文藝春秋 2000年10月10日 第一刷
 リンカーン・ライムという究極の安楽椅子探偵を創出して読者を仰天させた作者が、前作『ボーン・コレクター』の面々を再登場させて描くシリーズ第二弾。巻末の解説によると、二作目以降はシリーズ作品を書かないと明言していた作者だが、あっけなく前言を撤回して既に三作目を書き上げ、この後も一作おきに著していくらしい。シリーズ物好きのぼくとしては喜ばしいこと、と言っておきましょう。

 前作を読めば誰だって危惧してしまうシリーズ第二作である。リンカーン・ライムのインパクトも無ければ、微細証拠物件というミクロの証拠から推理する新鮮味もないのだから。正直言って恐さばっかりが先にたって、全然期待はできなかった。思いっきり悩んだであろう第二作をサラリと著してしまう作者には、怪物じみた職人作家の魂の抜け落ちた小手先作品との先入観を抱いてしまったし。あるいは、思いっきりビジネスライクな商売人としての横顔とか。

 結論からいえば、まずまず及第点といったところでしょうか。あの『ボーン・コレクター』の続編として、同列で論議するのは土台無理な話だと思う。しかし、確かに作者の豪腕ぶりは顕著ではあるが、二作目をこの程度のトリックでまとめえたのは、類稀なサスペンスの書き手としての資質をいまさらに十二分に見せつける結果として歓迎すべきだと思うのだ。少々後味の悪い読後感は拭い去れないけど。

 前作よりも劣ると思ってしまったのは、ディーヴァー型サスペンスに慣れてしまったせいもあるのかな。ぶっとびのトリック(ここで○○トリックと言い切ってしまえないところがつらい…)も、流して読み直してみれば齟齬はないからこれはこれで良いのでしょう。お得意のタイムリミット・サスペンスと、微細証拠物件から推理する、読者に挑戦するかのようなパズル的おもしろさと、四肢麻痺のライムの手足となる人形ではない意思を持ったアメリア・サックスとの二人三脚とか、ともかくおもしろさはてんこ盛りであります。

 出色だったのは、ダンサーによって爆弾を仕掛けられた飛行機がデンバーに着陸するくだり。このシーンは数あるディーヴァーの名シーンの中でも、指折りに数えられることでしょう。

 いつもディーヴァー作品の感想で書いているキーワード「共感」が、今回もふんだんに盛り込まれている。作者の作品の場合、男女間の「共感」には押しなべてプラトニックな恋愛感情が含まれるのだが、今回はもうちょっと根源的な「共感」があって、それこそ「共感」できました。この女性パイロット兼女性社長はとても良いですね。こんな女性を描ける作者に敬意を表して0.5点サービスで4点を献上してしまいました。

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魔弾    THE MASTER SNIPER  スティーヴン・ハンター  玉木亨訳
新潮文庫 平成12年10月1日 発行
 戦争小説苦手は、愛するハンター作品でも変わらなかった。スワガー・シリーズはどうってことなかったんだけど…。どうしてかわからないが、なぜかダメなのですね。第二次大戦あたりの小説が最も苦手。歴史小説、あるいは時代小説としては読めないほどのリアルさがあるにも関わらず、題材としての「戦争」がどうしても受け入れられない。個々の人間たちの悪行は楽しんで読めるのだが、国家レベルの悪行というか、がどうしても。これは映画でも同じで、ヴェトナム戦争の物語なんて全然ダメなのです。これもスワガー物は平気だったんだけど。

 戦争によって引き起こされる、個を殺した極限状況はとってもよくわかるのだが、戦争の理不尽さとかなんだかんだが、状況設定としてはとても安易に見えてしまうもの理由のひとつかも。個の意識が強すぎるのかもしれない。不条理な集団の中での個、というのもおもしろいテーマだとは思うのですが。まあ、作家が戦争という魅力的な興味深いテーマに惹かれるのもよくわかるだけに、これはぼくの読者としての未熟さに他ならないとは思いますが。楽しめる読み方をご教示してくださる奇特な方がいらっしゃいましたらご連絡くださいませ。

 今更説明するまでもないハンターのデビュー作だ。確かに、後年のハンター作品に出てくる要素が全てある。ただねぇ、出てくる「ヴァムピーア」っていう武器なんだけど、現実性はあるものの、たとえて言えば「円月殺法」とか北方健三の時代小説に出てくる殺人剣的な安直さっていうかね。それでも生身の人間に拘る姿がスワガーを彷彿とさせてさすがではあるが。でも、ちょっと残念だったかもしれない。元々ぼくは、架空の○○って嫌いなので。

 新人作家の第一作目とは思えない構成がすばらしいですね。ハンターのドラマ性は最初から完成されたものだったのだ。ファンは必読の冒険小説ではあります。

 ※桜樹ルイ16世さんから、「ヴァムピーア」は実在した兵器であるとのご指摘をいただきました。架空ではないそうです。巻末の訳者あとがきにも実在したとの記述がありました。事実誤認でした。お詫びして訂正いたします。ヴァムピーアは実在した秘密兵器です。

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家族の名誉    FAMILY HONER  ロバート・B・パーカー  奥村章子訳
ハヤカワ文庫 2000年9月15日 発行
 シリーズを片手で余る程度しか読んでないヤツに、スペンサー・シリーズと比較する資格があるとは思えないが、この女性探偵サニー・ランドルをヒロインとする新シリーズは、スペンサー・シリーズよりも相性が良さそうだ。

 ロバート・B・パーカーといえば、ハードボイルドの大家である。大家であるにも関わらず、女性探偵という難しい設定で新シリーズに挑戦する旺盛な創作意欲には驚くばかりだ。しかもマッチョなイメージが強い作者が、こんな繊細なヒロインを創出してしまうのだからスペンサー・シリーズの見方を変えなくてはならないかな。敬遠して久しいので、再挑戦してみよう思わせるものがあります、この作品には。

 ヒロインの女性探偵、サニー・ランドルの人物造型がすばらしい。スペンサーと同じ街ボストンを舞台に、直接的間接的に三家族の「名誉」が描かれる。実にアメリカ的。三家族とは、サニーのランドル一家、サニーの元夫リッチーのバーク一家、そして今回の依頼人であるパットン一家。ランドル家が警官一家で、バーク家がギャング一味という、現代版ロミオとジュリエットとでも言えそうな設定がおもしろい。サニーとリッチーが、なぜ愛し合いながらも別れねばならなかったのか。ヒロイン一家(両親、姉)などについて細かく語りながら両家の「名誉」を浮き彫りにしていく筆は絶品である。サニーが、依頼人一家の「名誉」をどうするか。う〜ん、アメリカだよねぇ…。

 熟練した作家だけが獲得できる、余裕綽々のやわらかい極上の語り口。中でも、もうひとりのヒロイン・ミリセントとのやりとりがまたすばらしい。擬似母サニーが擬似娘ミリセントに語る言葉のひとつひとつ、サニーの内面描写の一行一行に、男性に寄りかからずに生きる現代女性の矜持が溢れかえっている…、かな。

 キンジーやヴィクとは一味違った女性探偵。もちろん、この違いは作者の性別に起因しているだろう。とてもタフなサニーだが、男に頼るべきところは頼るサニーの姿を現代の女性たちが受け入れてくれるだろうか。男を利用しているだけ、と言えば聞こえは良いが、男が勝手に決めた女性の限界とも取られかねない。そのあたりは作者も工夫を凝らしているが、どうでしょうか? もしかしたら、裏の世界に顔の効くリッチーとその一族、レストラン共同経営者スパイク、あるいは売春組織の元締トニイ・マーカスまで含めて今後のキャラクターの集まり具合によっては、ヴァクスのバークに似た一家を形成していくような気もする。解決方法まで含めて。女バーク? カタルシスが違うかな?

 物語自体は典型的な探偵小説で、それほど驚かせる仕掛けもない。男が作った女探偵サニーが、キンジーやヴィクと並び賞される女性探偵に成長するには今後の展開を待たねばならない。タフでかわいい女ってのは、男が好きなタイプなんだよね。ところで、男性作家による女性探偵って他にいましたっけ?

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スコッチに涙を託して    A DRINK BEFORE THE WAR  デニス・レヘイン 鎌田三平訳
角川文庫 平成十一年五月二十五日 初版
 スペンサーと同じ街ボストンを舞台に、アイルランド系の私立探偵パトリック・ケンジーと、パトリックが思いを寄せる相棒のアンジェロ・ジェナーロのふたりの探偵を主人公に、現代アメリカの暗部を抉り出す気鋭の第一作だ。

 この作品の魅力はなんといっても、パトリックとアンジーの危うい関係でしょう。ふたりとアンジーの夫フィルは幼なじみ。昔最高の男だったフィルは、今や妻に暴力を振るう最低の男に成り下がっている。しかし、アンジーはパトリックの思いを知りながらも、フィルを捨てきれない。パトリックを受け入れられない。パトリックはそれをわかっているから、同じベッドで寝ても何もできない。お互いを認め合うふたりの信頼感というか、微妙な気持ちのすれ違いと交錯がとても良い。

 アンジェロ・ジェナーロの人物が最高ですね。結婚後、変貌したフィルの家庭内暴力に晒されながらもどこかで夫を愛している。そのアンジーが共に事務所を構えるパトリックとの微妙な関係。タフで優しく気位が高く弱く悩み多く、それでいて決して男には理解できないアンビバレンツな120%女性。この女性を29歳で創出できたなんて、デニス・レヘインという人はたいへんな作家であります。

 対立の構図と精神構造を明らかにし、現代アメリカが抱える矛盾と問題をこれでもかと突つきまわしてみても、最後は「スコッチに涙を託して朝まで飲むのさ」ってことになるわけで、これがハードボイルドたる所以でありましょうか。ところが、パトリックは諦めているわけではない。勇敢な消防士で後に市会議員になった父の暴力におびえ、トラウマと父の亡霊と闘いつつ正義を貫く矜持がある。お約束のカタルシスも用意されていて、これが第一作とは思えないうまさだ。

 人物の配置は先達の影響がかなり見られる。残念ながら、ブッバという社会病質者の背景が明らかにならないので、なんとも言えないけれど、ちょっと都合良過ぎる人物かもしれない。今後の展開によっては、マット・スカダー=シリーズのミック・バルーのような人物になるのかな? それにしては人間味が足りない。

 さて、被虐待児パトリックのトラウマがこれからのシリーズにどの影響を与えてくるか。ネオ・ハードボイルドの先達とは一味もニ味も違ったハードボイルド・シリーズになってくれそうだ。次いで第二作『闇よ、我が手を取りたまえ』 間髪を入れず取りかかります。

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闇よ、我が手を取りたまえ    DARKNESS,TAKE MY HAND  デニス・レヘイン 鎌田三平訳
角川文庫 平成十二年四月二十五日 初版
 探偵パトリック・ケンジー&アンジー=シリーズの第二弾である。前作よりも数段ブラッシュアップされた濃密で圧倒的なストーリィに度肝を抜かれることでしょう。チャンドラーライクなアフォリズムは前作ほどではないが、前作の雰囲気を十二分に継承しつつ、考え抜かれた精緻なプロット、テーマの掘り下げ方、謎の取り出し方、小出しにする謎解きなど、前作からは想像もつかない出来映えだ。一気読みの快作である。彼らがたどり着いたひとつの答えは、特に目新しいとは思わないが、そこに至るまでのひとつひとつのディテールに思いを馳せたとき、読者は漆黒の世界に微かな光明と温もりを見出すのである。

 不可解な依頼から端を発した事件が、ひとつの殺人事件をきっかけに怒涛のスリラーに変貌する。サイコ・スリラーといってもいいほど。人間の暗黒面に目を向けたありがちな犯罪小説かシリアル・キラー物かと思いきや、20年前に穿たれた暗黒が極限まで膨らんで探偵パトリック・ケンジーを呑みこむブラック・ホールと化す。ボストンを覆い尽くす。見事としか言いようがない。すれっからしの読者は、作者が仕掛けたトラップにものの見事に嵌ってしまうんだろうな。ぼくも途中まで嵌っておりました。こんなトラップにまで周到でほろ苦い結末を用意する作者には唸るばかりだ。

 探偵パトリック・ケンジーの一人称で語られるだけに、シリアル・キラーの内面描写や怖さの演出にはいろいろと工夫が凝らしてある。が、このシリアル・キラー像が今一つはっきりと像を結ばないのが最大の欠点だろうか。だから、新味はいろいろとあるものの、不気味な怖さも少々尻すぼみ。あまり知能が高いとも思えないし、終わってみれば復讐譚ってのもね…。でも、頭脳の勝負を前面に押し出さず、体力勝負のアクションでカタをつける姿勢が逆に新鮮だったかな。つまるところ、このサイコ風味の怖さは、ひとりのシリアル・キラーの怖さではなく、多くの人間に潜んでいる最大公約数的な社会病質の怖さを指すのである。何をきっかけにエスカレートするか、一線を踏み越えたあとのサイコパスの心理状態とか。作者の解釈にはちょっと戦慄を覚えた。線引きが難しいが。

 さて、第二作の最大の注目は、パトリックとアンジーの行く末だったのだが、あれま、パトリックには子持ちの恋人がいて、アンジーは取っかえひっかえ男を連れこんで大荒れだ。でも、このふたりは相変わらず深いところでつながっていてプラトニックであるね。こうなると次作から目が離せない。生粋のハードボイルドでありながら、犯罪小説、サイコ・スリラーなど、さまざまな側面を併せ持つシリーズの先行きに興味津々である。

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バッド・チリ    BAD CHILI  ジョー・R・ランズデール  鎌田三平訳
角川文庫 平成十二年九月二十五日 初版
 おなじみのハップ・コリンズ&レナード・パインのシリーズだが、今回は『凍てついた七月』で初お目見えの私立探偵ジム・ボブ・ルークがゲスト出演している。

 冒頭、ページを繰ると「わが兄弟である戦士アンドリュー・ヴァクスに捧ぐ」との献辞があって、もう一ページめくるとジム・ボブ・ルークの言葉がある。曰く、「人生なんて見知らぬカフェで食べる一杯のチリみたいなもんだ。スパイスがきいてうまいときもあれば、クソみたいな味がするときもある」 どうです? ちょっとはそそられますか? 今回もまた、クソみたいな味のチリを食うことになるのだが、ハップにとってはスパイスがきいてうまい出来事もある。ほろ苦さは変わらないのだけれど。

 人を食ったエピソードと会話の連続だ。極めつけは大暴走する会話。放っておくと宇宙の彼方だ。ハップが狂犬病のリスに噛まれる、というとんでもないエピソードから物語は始まる。ハップを治療する医師にしろ、警官にしろ出てくるヤツはどいつもこいつも下品で、ぶち切れた脳みその持ち主ばっかり。このシリーズの愛読者になれるかどうかは、彼らの暴走する会話の中に、どれだけの本音を読みとって共感できるか、にかかっているんだろうな。ある意味、踏絵的なおもしろさがある。どれだけ客観的であるか、どれだけ本音で生きているか。本音と建前を使い分けるのが立派な大人、との考えが横行している国だからね。周囲にはファンがたくさんいるんだけど。

 シリーズ全体としては、ハードボイルドが自警団的犯罪小説へと進化?したひとつの枝だ。絶対悪に対してどう立ち向かって、どのように落とし前をつけるべきなのか。そしてそのような行動に出るときは、どういう状況なのか。どういう矜持があるのか。この小説で、ハップとレナードの真摯さをどれだけの人がわかってくれるかな。傑作『罪深き誘惑のマンボ』ほどの謎解きのおもしろさがあればもっと良かったと思うが、ラストに待ちうける大仰な舞台装置が醸し出す大時代的なエンディングにはニンマリだ。50年代60年代のB級映画のようなラストシーンは、大真面目で感動的だ。繰り返すが、ハップとレナードらの下品な会話に、人生や社会に対する逆説的真摯さを読み取って欲しいのだ。

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渇いた夜    COLD BLOOD  リンダ・ラ・プラント  奥村章子訳
ハヤカワ文庫 1997年8月31日 発行
 ロレイン・ペイジを主人公としたシリーズの第二作である。誰が何と言おうと、マット・スカダーを意識しているのは間違いない。ところが、おいしい設定だけ真似ていて魂が伴わないから、ネットリ系の色気ばかりを強調した、思いっきり俗っぽい作品に仕上がってしまった。第1作『凍てついた夜』には、もしかしたらハードボイルドかな、と思わせる何かを感じたが、この二作目にはハードボイルドの欠片もない。

 だいたい長すぎる。2/3程度にまとめられるでしょう。特に、ロスアンゼルスの場面をクドクドと引っ張り過ぎたために、ダラダラ締りのない作品になってしまったのだ。眼目はニューオーリンズに舞台を移してからなのだから、前半のロスの部分は思い切ってカットして後半に力を注ぐべきだったのだ。『凍てついた夜』で見せたスピーディな展開が嘘のようだ。ひとりひとりの行動を追っかける構成にも飽き飽きした。

 ロレインに目新しさがない分、もっと工夫をしなければならなかったはずだ。『凍てついた夜』でも書いたと思うが、ロレインのアル中はマットのそれとは雲泥の差がある。アル中描写もアル中心理も。マットの苦しみを思えば、ロレインの苦悩なんか反吐が出る。仕事も家庭も破壊して、苦しみ抜いているのもわかるんだけど、ひとつのファッションのようにみえてしまうのだ。ハードボイルドはこうあるべき、と作者が考えたファッションのように。ハードボイルドとは精神の産物なのだ。カッコつけて上辺だけ真似るとこうなるという悪いお手本だ。おいしいところだけ真似て、精神がついてないからこんな甘っちょろいアル中になる。一作目でも近い感情を持ったが、2作目にして決定的になった。ロレイン・ペイジはいらない。

 ストーリィも、その辺のロマンス小説を読んでいるようで、つまらないことこの上ない。ロマンス小説と自ら名乗っている分、そっちの小説のほうがナンボか好感が持てるよ。ロレインは色情狂か、発情期のメス猫か。我慢してる風を装って、読者の関心を呼ぼうとしているだけ始末が悪い知能犯だ。おまけに、ロージーとルーニーまで。ルーニーはもっと渋いお目付け役になるのかと思ったら、ロレイン女王様にかしずく下僕に成り下がってがっかりだ。

 二作目の新鮮さを、ブードゥーに求めたんだろうか? これもうまく伝わらない。唯一おもしろかったのが、酔っ払ったアル中のロレインと薬物依存のエリザベス・ケーリーの対決かな。でもね、酒を飲み始めたアル中はこの程度じゃないはず。だから、ロレインは甘いって言われる。己の弱さをアルコールで埋めるか、薬で埋めるか、はたまた猟色で埋めるか。わからなくも無いが、ロレインの人物作りが下手なために余計な反感を買ってしまうのかも。ケイ・スカーペッタ以上に嫌いなキャラになってしまった…(^^;;;)。

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