ダンスは死の招き DEAD MAN'S DANCE ロバート・フェリーニョ 深井裕美子訳
文藝春秋 1999年12月15日 第一刷
 『チェシャ・ムーン』や『ハートブレイカー』の印象から、フェリーニョって作家はミステリ的なプロット作りは得意としないんじゃないかと思っていた。執筆年度が分からないので当てずっぽうになるけど、本人もその辺に気づいていて、この作品ではミステリ的要素にかなり力を入れたみたい。でもねぇ、、、これじゃあなぁ。。特に不満なのは、章と章のつなぎが非常に悪いこと。おかげで時制がとても掴み難くなってしまった。クィンとジェンの喧嘩の原因なんか、読者不在で筋を進めるもんだから説明口調になってしまって見苦しいことこの上ない。

 クィンといえば、この男いまいちだよなぁ。。脇にはリックやヒューゴ、ティナ、ジョー、といった一筋縄ではいかない多彩な人物を配しているのに、どうして主人公にこんなヤツしか描けないのか。首を傾げてしまう。ジェンという恋人がありながら、別れた妻に未練を残す。別れた女房にキスなんかされてドキドキするなっつーの。ベッド云々には開いた口が塞がらない。子供を可愛がる姿勢はわかるんだけど、拘りと地の果てまで追っかけてくぞ!って姿勢が、フェリーニョの他作品に出てきた、大男のストーカーを彷彿とさせるのね。底辺に流れるものは同じだよなぁ、って思っちゃうわけです。フェリーニョ・パターンの別バージョンかも。いろんな脇役にクィンの人物を評させているけど、肯けるものは一つも無い。ジェンも尖がっているだけであんまりイイ女じゃなかった。

 つまり、この物語はクィンとジェン以外の脇役でもっているのだな。全体の雰囲気も、今回は感傷的過ぎるように見えてしまう。せっかく練り上げたプロットなんだけど、作者自身の発酵時間が足りなかったのか、未消化部分が多いように思う。新しい局面には新しい人物じゃあミステリ的な楽しみは味わえないでしょう。もう少し全体をタイトにしてプロットを練り上げたら、もっともっと良い作品になったような気がする。惜しかった。連載小説をそのまま加筆・修正しないで単行本にしちゃったような印象ですね。

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ダイヤル911 911 トマス・チャスティン 後藤安彦訳
ハヤカワ・ポケミス 昭和55年4月15日 再版発行
 ニューヨークのマンハッタンを舞台にした骨太の警察小説、カウフマン警視シリーズの第二弾である。良質な警察小説は、時として良質な都市小説としての側面も併せ持つ、というような文章を読んだ記憶があるが、このシリーズはまさにそれに相応しい警察小説だ。ニューヨークという大都会の持つ微妙な肌触りが、孤独感と厳しい冬の描写との相乗効果で読者にグイグイと迫ってくるのだ。地理的に不案内なので、途中からニューヨークの地図を参照しながら読んだ。あとがきを開いたら訳者もそうおっしゃっておられましたね。これはオススメです。臨場感が増して更に楽しみが広がりますよ。

 それにしても、この物語の持つ濃密な雰囲気は圧倒的だ。ニューヨークという大都会の洗練された雰囲気と、全体を通してピリピリするような緊張感溢れる筆致。それらに被さって、カウフマン警視、ジョン・タイナン警部補の愛情物語が挿入される。更に言えば、クリスマス爆破魔の恋愛も。だが、それらすらも感情的には決して流されない。理知的で冷たいと感じるほどだ。狂気を描いてすらどこか醒めた印象を残す。透徹した眼。これはきっとこの作家の大きな特徴なんでしょうね。それらの相乗効果で、これだけ大人の雰囲気を醸し出すことができたのでしょう。カウフマン警視の人物像に拠るところが大きいのかもしれないけど。しっかし…、カウフマン、9年も彼女と付き合っているんだな。いやはやすごいすごい。家庭もちゃんと見ているし。男の鑑、などとは決して申しませんが(^^ゞ。

 題材としては、第一作目『パンドラの匣』では地味さが目立ってしまったが、この物語ではクリスマス休暇に準えて、12回の爆破を行おうとする爆弾魔が相手。派手派手もいいところ。手を変え品を変え犯行を重ねる犯人。迎え撃つカウフマン警視の動きは相変わらず見事だ。でもこれは知恵比べとは言えないなぁ。もうちょっと犯人の描写があれば良かったと思うんだけど、ちょっと犯人の描写が薄すぎたかな。現代ならば、この爆破魔は稀代のサイコ野郎として描かれ、当然そっちの描写も濃くなるんだろうけど…。毒された脳味噌はそんなことを考えてしまうわけです。後半の爆破魔の動きが捉えられなかったのがとても残念に思えてしまった。ラストのどんでん返しが見事なだけに、こんな欲深いことを思ってしまうんでしょうか。

 大切な蔵書を快く貸してくださった、てっちゃんにはお礼の言葉もありません。これは忘れられない警察小説シリーズとなりそうです。ありがとうございました。

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マンハッタンは闇に震える HIGH VOLTAGE トマス・チャスティン 後藤安彦訳
ハヤカワ・ポケミス 昭和55年年12月15日 発行
 カウフマン警視シリーズの第三作である。これもまた、ほろ苦くて鮮烈な読後感を残す良質な警察小説だ。
 毎回、犯人の造型とその犯罪に趣向を凝らす作者が選んだ今回の敵は、停電だ。ニューヨーク全体を人質に取ったかのように自在に停電を起こす犯人が相手。しかし、停電とは…。大都会の脇の甘さを突いた犯罪? なんとまぁ、地味な…。ところがところが、読むほどに緊張感が増すサスペンス溢れる物語に仕立てられていて驚きの一言なのである。たぶん、1977年のニューヨーク大停電にヒントを得たのでしょうね。ま、それはさて置き、序盤に迎える山場が、意外な展開を見せて仰天の結末に連なる配置の見事なことよ。ただし、仰天の犯人を提示した後が、説明口調になってしまって説得力を欠いた。展開上仕方無いのだけれど、あまりのリアリティの無さが大きな欠点といえるかもしれない。

 欠点といえば、今回のカウフマン警視にはいつもの冴えが見られなかったかな。それに比べて、犯人側はお見事。現金の受け渡し方法なんて実に斬新で、最近見たあるテレビドラマでも使われていましたねぇ。迎え撃つカウフマン警視の作戦は、読者に提示せず緊張感を煽った割にアイディアに乏しくて、肩透かしを食らったような格好だった。煮え切らないニューヨーク市当局の動きも不可解。たったあれだけの作戦にゴーサインを出すのに、なんであんなに迷う必要があるのか全く理解に苦しむ。犯人に裏をかかれた後の立ち直りはさすがだけど、これだけの犯人を迎え撃つには杜撰な計画と言わざるをえない。

 さて、毎回物語を彩る愛人キャサリーン・デブルーだが、今回は父親の手助けもあって暴挙(^^ゞに出る。カウフマンの愛情物語がシリーズのひとつの軸であるのはわかる。でも、もうそろそろうまい着地点を見つけないとならないなぁ。分水嶺に立つカウフマンの二面的な微妙な心理が興味のひとつなのは確かなんだけど、これは都合良過ぎるような気もしてしまうのです。女性の読者の方々はどう思われるか、一度伺ってみたいですね。

 この本もFDAVてっちゃんから貸していただきました。ありがとうございました。このシリーズがたったの四作しか無いなんて(邦訳されていないだけなのかどうかは不明)非常に残念です。

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16分署乗取り THE DIAMOND EXCHANGE トマス・チャスティン 後藤安彦訳
ハヤカワ・ポケミス 昭和56年11月15日 発行
 誇り高きカウフマン警視には、決して無様な格好はさせないのだな。単なるストーリーテリングの甘さではなく、作者のカウフマン警視に対する並々ならぬ愛着と解釈することにしよう。タイトル通り16分署が乗っ取られた後のカウフマンの処遇がポイントで、これが両者の明暗を分ける。読者側も賛否あるでしょう。都合の良い処理なのは否定しないけど、ぼくは前述の感想の方が強かった。カウフマンが下着姿にされちまっちゃあねぇ。ヒーローはあくまでダンディでカッコいい。それで良いのだ。

 カウフマン警視シリーズのラストを飾るこの物語では、二つの事件が平行して描かれてゆく。16分署乗っ取りに関わる事件と、謎の女性連続殺人事件である。まったく関係無さそうな二つの事件がどこで交錯するか。それとも平行のまま終わるのか。物語はスピーディに展開する。サイコ趣味を刺激する連続殺人。時代的なものか、このあたりはサラリとしていてちょっと物足りない。少しは背景も欲しいよ。せっかくの珍しい凶器にももっと踏み込んで欲しかった。んでも、これも時代的なものだからねぇ…。ついでに言えば、ラストで見せる豪腕ぶりも意見の分かれるところでしょうねぇ…。

 これらの細かい点を抜きにすれば、プロットは玉手箱のようで驚きの連続だ。ニ転三転するストーリィの行く末は全く予測不能。読み始めたら止まらない。毎度力を入れる悪役=一方の主人公、ジェー・ティールも訳者がおっしゃるほど魅力的とは思えないが、微妙な心理がうまく描写されているとは思う。

 だが、この作家には致命的とも言える欠点があるような気がしてきた。女性を描くのがとてもヘタクソなのである。カウフマンの妻ベル、愛人のキャサリン・デブルー、秘書のマーガレット・オデル、今回の犯人ジェー・ティールの恋人…。思い起こせば、シリーズに登場した女性たちは、どれもこれも金太郎飴のごとき印象。これは致命的な欠点だったのかもしれませんねぇ。男性側からみた男性の願望充足型の造型が目に付いてしまう。もう一歩踏み込まない。愛するが故の金太郎飴と言えば言えなくもないのだけれど…。
 番外編に『死の統計』という作品がある。これはカウフマンの元部下で、警視のシリーズにも何度も登場している、J・T・スパナーが主人公のハードボイルドらしい。なんと、こいつの事務所にはスパナーの元女房が2人雇われ、机を並べて仕事をしているのだ。これも楽しみ。

 最後になりましたが、この本もFADVてっちゃんの蔵書です。とうとう読み終わってしまいました。もう無いなんて寂しい。ありがとうございました。

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死の統計 VITAL STATISTICS  トマス・チャスティン 真崎義博訳
ハヤカワ文庫 1990年11月30日 発行
 ニューヨークには800万の死にざまがある、と言ったのはローレンス・ブロック描くところの私立探偵マット・スカダーだった。その名作『800万の死にざま』は1982年だから、1979年に書かれたこの物語の方が先なのだな。当時はスカダー・シリーズも始まっていたけれど、作者の眼中にはなかったようですね。作者が強烈に意識していたのは、西海岸の名探偵サム・スペードとフィリップ・マーロウだ。作中に名前だけだけど、この二人が登場するのはご愛嬌。私立探偵小説としてこの二人を強烈に意識していたという証左なのでしょうね。

 間違いなくハードボイルドの傑作だ。この物語の主人公J・T・スパナーは、本来ならばマットやバークと並び賞されるべき、ニューヨークの名私立探偵とならなければならなかったのだ。それがこの物語たった一作しか書かれていないのは残念としか言いようがない。作者が主シリーズ、カウフマン警視シリーズに力を入れたためなのだろうか。といっても、カウフマン警視シリーズもたったの4作しか書かれていないのだけれど。繰り返すが残念で仕方ない。

 さて、この物語はカウフマン警視シリーズの番外編にあたる。カウフマンの元部下で警視シリーズの『パンドラの匣』と『ダイヤル911』にも登場した私立探偵J・T・スパナーが主人公だ。印象深いキャラクターだったが、こうして独立した一作読んでみると、より一層印象が強くなる。警句のひとつも発するわけじゃあないけれど、ネオ・ハードボイルドとは確実に一線を画す、雰囲気重視のチャンドラーライクなハードボイルドである。もっと数多く書かれていれば、名探偵の一人として数えられただろうに。

 ニューヨークという大都市の孤独。男のダンディズム。元女房二人を自分の探偵事務所で雇い、離婚しているのに未だ二人に愛されているという摩訶不思議な男。筋立ても丁寧で非常に読ませるが、なんといっても全体を覆い尽くす雰囲気・孤独感が圧巻なのだ。チャスティンの女性登場人物たちも、カウフマン警視シリーズほどの違和感がない。もしかすると、警視シリーズよりも好みかもしれない。考えれば考えるほど残念だ。たった一作なんて…。作者はもう亡くなったんでしょうか?

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狼が来た、城へ逃げろ O DINGOS,O CHATEAUX!  J・P・マンシェット 岡村孝一訳
ハヤカワ・ポケミス 昭和49年10月31日 発行
 暗黒小説といえば、もちろん犯罪を扱った小説だから、エルロイ風の重くドロドロした作品になるのが自然だと思う。けれど、この物語は乾いていて妙に軽く明るい印象を残す。女性のジュリーと6〜7歳のピーター少年が主人公だからなのかもしれない。この二人のコンビがなかなか読ませる。しかもそれだけではなくて、数多く出てくる極悪党たちもどこか憎めないヤツが多い。胃潰瘍持ちの殺し屋トンプソンなんてのは、割合簡単に思いつきそうなキャラクターなんだけど、狂人の如く追いまわす姿やラスト近くになってのブチ切れ方が壮絶で、それだけでも価値があるかも。依頼主、というか黒幕は間単に想像できてしまうので、ミステリー的なおもしろさはあまり期待しない方がよろしいかと。

 おもしろいのはシーンひとつひとつの設定と細部の演出なのだ。才気が漲っている。ラスト、物語のクライマックス。ピーター少年に何をさせるか、その後少年にどうさせたか。モールの塔の中にはどんな家具が置いてあるか。中盤の山場、スーパーの銃撃シーンの手に汗握る緊張感。追いつ追われつのロードノヴェルの行き着く先に何があったか。ジュリーがハルトグの屋敷に着いたらすぐに現れた正体不明の暴漢。逃亡の途中でジュリーが、胡散臭い集会を野次る…etc。ゴダールを彷彿とさせる才気渦巻く。作者自身でも御しきれない才気の針が、読者の目を覚まさせるように突き刺さってくるのだ。

 随分楽しませてもらった。でもねぇ…、翻訳がとっても古臭いのですよ。26年前の出版だからと差し引いて考えても、この翻訳は悪すぎ。翻訳には流行の言葉を使わず正しい日本語を使わなくてはならない、と反省をしつつ新訳でもう一度出版を期待したい。馳星周の活躍で、暗黒小説に興味が湧いてきた本読みも多いだろうから。

 26年も前の本を読むことが出来たのは、快く貸してくださったFADVてっちゃんのおかげです。ありがとうございましたm(__)m。

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地下組織ナーダ NADA  J・P・マンシェット  岡村孝一訳
ハヤカワ・ポケミス 昭和50年4月30日 発行
 センテンスを思い切り短く切った歯切れ良いハードボイルドな文体が、スピーディなストーリィ展開に更にスピード感を与える。疾走。登場する人物たちはどこか投げやりで、やっぱり心に虚無を抱え込んでいる。この物語の場合は、左翼運動の失速という挫折が絡むため、宴の後の寂しさ的な虚脱感とも取れそうだか、この政治的色合いは単なる見せかけ。作者は左翼運動から政治から機構から全てをパロディにしているようだ。権力への強烈な反抗だけではない、作者の強烈な主張を見て取ることができる。

 駐仏アメリカ大使誘拐。先見の明があった、なんて言ったら叱責を浴びせられそうなほど時代感覚鋭い犯罪だ。誘拐した地下組織ナーダの政治的立場や要求にはサラリとしか触れないまま、後半の緊張感溢れる銃撃戦に突入する。純なるが故、仮面を被ることを断固拒否し、遺骸と成り果てても疾走するしかなかった人間たち。社会の枠組みに適合できない人間たち。失敗することがわかっていても行動するしかなかった。自殺ともとれる無謀な行動。一方、彼らに対するも人間だ。政治のカサをきた、反吐の出るような人間たちのの手先となった男の哀れな最後…。う〜ん…、チープな言葉で申し訳ないけど、こりゃあ圧巻だ。終着駅に到着したのが気づかなかったくらい。

 『狼が来た、城へ逃げろ』で見せた、抜き身で闊達な才気が充分に熟成されて芳香を放っている。それでいて抑えた筆致。打ちのめされてしまった。この作家の才能は計り知れない。その後どうなったか不明だが、のめり込みたくなった。といっても、ほぼ全作絶版のため悶絶の日々が続くのだな。

 最後にひとつ。ゴエモン警部ってのが登場する。出くわすたびに、頭の中では常に漢字に置換わってしまって、あ、こいつ釜茹でになるな、なんてね。これって表記が間違っているわけではないですよねぇ。まさか、作者が石川五右衛門を知っていたはずが無いし。不可解な名前のミステリでもありました。

 てっちゃん、いつもいつもありがとうございます。この作家も気に入ってしまいました。感謝の言葉もありません。

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汚れた街のシンデレラ MANHATTAN IS MY BEAT ジェフリー・ディーヴァー 飛田野裕子訳
ハヤカワ文庫 1994年8月31日 発行
 最近作から旧作へと遡って読み進んでいくときは、下手な期待をしてはいけないものだ。特に最近作でいたく感激した場合は尚のこと。ぼくの場合、ジェフリー・ディーヴァーはまさにそれ。初めて読んだのが、1999年に大ブレイクした『ボーン・コレクター』で、わかっているくせに『眠れぬイヴのために』なんてえらく疲れてしまったしね。

 そんな理由から、まあ、かなり構えて色眼鏡で読んでしまったわけだが、それほど悪くなかった、というのが読後の正直な気持ちだ。ただし、『ボーン・コレクター』や『静寂の叫び』のディーヴァーはここにはいない。ヒロインの人物造型に類まれなる才能を見せる、現在の作者の片鱗を多少なりとも垣間見ることができる程度。それにしても、やはり最近作ほどの深みはないし、ヒロインの外見から入り込むという常套的な手段をかなり極端に使っているから、ヒロインの好き嫌いが即作品の好き嫌いにつながってしまいそうだ。ぼくの場合、まあ、可もなく不可もなくというところ。
 ヒロインはパンクファッションに身を包んだ20歳の女の子ルーン。このヒロインから見たファンタスティックなニューヨーク描写が結構おもしろい。一言でいえば、恋あり、友情あり、冒険あり、の青春ミステリかな。これに殺人事件と、それにまつわる宝探しがからんでくる。こういうの苦手な人はとことん嫌いでしょうねぇ。

 筋立てはなかなか凝っていて、油断していたぼくは最後にあっ! と声が漏れてしまったんだけど。これも実は反則っぽくい。ぼくの読解力不足と、見落としのせいかもしれないけど…。う〜ん、、安物のハリウッド映画みたい、とまでは言わないけど、やっぱり今の作者からすれば全然物足りない。登場人物ひとりひとりの内面に入り込んでいかない。ヒロインの女の子は、いかにもオヤジ作家が好みそうなキャラで、救いようの無いバカに見える…(^^;;;。

 ご贔屓作家だから読んだんだけど、それ以外の人には薦められませんね。少なくとも、ヒロインのルーンは掃き溜めの鶴には見えなかったし。ルーン物はシリーズであと何作かあるみたいだから、それも含めて訳されているものは全部読むつもり。ひとりの作家の軌跡を辿る意味ではいいのだけど。

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内なる殺人者 THE KILLER INSIDE ME ジム・トンプスン 村田勝彦訳
河出文庫 1990年11月2日 初版発行
 恐ろしい。身の毛もよだつサイコ・キラー或いは狂人の物語、と決して切って捨てることはできない。狂人の物語には違いないが、主人公ルー・フォードは全部自覚しているのだ。数多の殺人に達成感があって、充足感まで得てしまう。恐ろしい。特に、後半からのルーの問いかけが怖い。圧倒的だ。これら全てを否定できるかと言えば、ぼくには到底否定することができない。誤解されると怖いんだけど、この否定は肯定と対極にある否定ではなくて、もっと玉虫色と思って欲しい。倫理観や理性に裏打ちされた否定ではないってことを。

 善悪は、当然存在する。だが、それは人類の永い歴史によって培われた、最大公約数的な善悪で、社会規範としての善悪である。動物社会なら自らに危害を及ぼす外敵は倒して当然であり、また倒さなければ自分が餌食となる運命だ。だが、人間にそれは許されていない。理性があり、知性があり、理想としての法律があるから。ところが人間は自らの理性と知性によって、法律を勝手に解釈し、真実を曲げ、正義を蔑ろにする。生み出されるのは末端ばかりが肥大して、制御不能になった民主主義ばかり。正義はどこにある? もちろん、この物語の主人公ルーが正義だなどとは絶対に思わない。しかし、誰もが持っているであろう狂気が、何かを引き金にして突然沸点に達したとしても、それはそれで納得できてしまうのだ。逆に、人間の持つダークサイドをあからさまに否定する輩ほど信用できないと思うのである。

 辣腕弁護士ビリー・ボーイ・ウォーカーの言葉が端的に表している。「雑草は場違いな植物である」 恐ろしい。こんな考えはすぐに忘れなくちゃ。「暗くなる直前がいつもいちばん明るい……」 ああ、これもだめだ。恐ろしい。ミステリとしては、ストーリィの展開にかなり無理が見受けられると思われるので、その辺りのことを掘り下げて考えて、できればルー・フォードのことは忘れてしまいたい……((((((((^^;;;。

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真夜中のデッド・リミット THE DAY BEFORE MIDNIGHT スティーヴン・ハンター 染田屋茂訳
新潮文庫 平成元年年4月25日 発行
 これは凄い! 大ブレイクしたスワガー・シリーズ外の作品だが、シリーズのどの作品よりも密度が濃く、かつサスペンスフルだ。多少作為的に過ぎる面は見受けられるものの、これは毎度のこと。綿密に計算されて連なった短いシーン。細かく刻んでもなお、緊張感を失わせず読者を惹き付けるこの構成とアイディア。幾重にもわたるサスペンスの山谷をうねるようにストーリィは進む。冒頭シーンを読んだら最後、呼吸を忘れるほどの下巻後半部まで一気読み間違いなしの超一級サスペンス小説だ。特に下巻、それも後半の200ページくらい。ページを繰るのももどかしい。字を追う目が血走る。あっちもこっちも。握った手に汗がしたたる。これを途中で止められる人が冒険小説好きなんて、ぼくは信じないよ(^^;;;。

 ぼくにとっては苦手の軍事オタク物である。でも、この物語のヒーローは決して戦争オタクではないのだ。トンネル・ネズミ崩れの黒人犯罪者、ベトナム難民で神経を病む女性(しかもトンネル・ネズミ)、溶接工、FBI捜査官、会計士、体育教師、ミサイル狂の天才科学者。それぞれがそれぞれのドラマを抱えて、物語を支える。分厚い物語。デルタ・フォースの指揮官ふたりと彼らの関係などが、対する”合衆国暫定陸軍”のふたりに比べて今ひとつな気がするくらい。特筆すべきは、トンネル・ネズミふたりだ。このふたりは見事。ほかにも市井の登場人物ひとりひとりにきっちりと見せ場を作り、決して謳いあげ過ぎることなく最高にクールな物語に仕上がっている。

 スティーヴン・ハンター第4作目の作品で、邦訳は1989年である。その年の「このミス」では2位にランクイン。1位はあの『羊たちの沈黙』だからね。個人的好みで言えば、スワガー・シリーズよりもイケる。スワガーの物語の萌芽がこの物語に見られるのではなく、この物語の路線を膨らませてボブ・リー・スワガーというヒーローを中心に据えたのがスワガー・シリーズだ、と言っても過言ではないくらいすばらしい小説である。入手困難な状況は相変わらずだが、ハンターのファンならば絶対に手に取らなければならない小説であろう。

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