ボーン・コレクター THE BONE COLLECTOR ジェフリー・ディーヴァー 池田真紀子訳
文藝春秋 1999年9月20日 第一刷
 これは傑作だ。主人公の人物造型からしてが吃驚仰天なのである。元NY市警中央科学捜査部長で犯罪学者のリンカーン・ライムは、捜査中の事故で首から下の全身が麻痺している。かろうじて動かせるのが左の薬指のみという重度の身体障害者なのである。彼が、稀代のサイコ・キラーと自らの頭脳のみを駆使して対決するというんだから、名実ともに究極の安楽椅子探偵といえるだろう。そして、彼の手足となって脇を固めるのが、万年巡査の娘アメリア・サックス。裏の(ホントは表?)主役といえそうな彼女の成長ぶりとライムとの交流が、物語のひとつのポイントとも言えそうだ。

 その障害ゆえ、人生そのものに絶望しているライムはある選択をしている。これがもうひとつのドラマ。一方、サックスにも大きな精神的外傷がある。サックスのトラウマゆえの癖と、類まれなる美貌のアンバランスさがミステリアスで魅力的な人物を作り上げている。そして、ある意味似たもの同士のふたりが築き上げる不思議な関係。多少の甘さはあるものの、このあたりはエンターテイメントを知り尽くした作者のさすがの処理が光っているのだ。こういった生きていく上でのジレンマのほかに、捜査上でのジレンマもある。自ら動けないライムの焦燥、手足となって両面からライムの薫陶を受けるサックスの戸惑い、苛立ち、そして意外な方向から繋がってくる犯人。これはもう見事というしかない。さまざまなジレンマが生み出す極上のサスペンスをじっくり味わっていただきたい。

 サイコな犯人像に少々難ありとは思う。でも、そのほかには目立った曇りは見受けられない。中だるみ気味かと思われた中盤あたりも、読み終わってみればハイテンションの連続で疲れた脳味噌には心地よかったくらいだ。サスペンスでは常道といえる時間的なリミットが、これでもかと無理のない波状攻撃を仕掛けてくる。読者は疲労を感じるほどの緊張を強いられるだろう。テンションは上がりっぱなし。豊富な物的証拠に支えられた、裏方の地道な捜査によって積み上げられる犯人像と、それによって導かれるライムの驚異的な推理がバランスよく配置される。サイコ・キラーとライムの知恵比べが無類のサスペンスを生み出すのである。

 他の人物たちもキラリと光る連中ばかりだ。ちょっと残念だったのは、カメレオン=フレッド・デルレイかな。もうちょっと踏ん張って欲しかった。起承転転転転結の末迎えたラストでのライムの執念。う〜ん、ごちそうさま(^o^)。ホントに楽しませてもらえました。サスペンスの王道でございました。

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静寂の叫び A MAIDEN'S GRAVE ジェフリー・ディーヴァー 飛田野裕子訳
早川書房 1997年6月30日 初版
 この作家の大きな特徴は、ハンディ・キャップを持つ人々を物語の中心に据えることだろう。そのハンディが無類サスペンスを生み出すことは言うまでも無い。凄いところはそれのみに終わることなく、自らのハンディと痛ましくも健気に折り合いをつけようとする姿を存分に描いた上に、更に関わる者の内面とシンクロさせることによって不思議なドライブ感を生んでいくことにあるだろう。『ボーン・コレクター』では、リンカーン・ライムとアメリア・サックス。この物語では、アーサー・ポターとメラニー・キャロルだ。だが、ラストは少々やり過ぎで無理があるなぁ。

 これらを解き明かすキーワードは「共感」だ。人質と犯人、犯人と交渉担当者、そして交渉担当者と人質。この図形はさまざまに形を変えて作品に登場する。そういう意味では非常にヒューマンな作風なのだね。

 もうひとつの特徴は、抜群の人物造型とその描写にある。特に女性には抜群の筆力を示す。『ボーン・コレクター』のアメリア・サックス然り。映画でいうシャレードというか(ちょっと違うか・・・)、説明に陥らずに肉付けをするのがものすごくうまいのである。雪原を転がる雪玉のように、少しずつ大きくなっていく過程を暗黙のうちに理解させてしまうのだ。そして、その人物たちが苦悩しながらも未熟な者は成長し、自らに限界を感じる者は己を再発見していく。この物語では、FBIのポター捜査官と教師のメラニーがそれにあたる。

 人物造型のうまさは善玉だけでなく、悪玉にも十分に発揮される。この物語の脱獄犯ルー・ハンディは、数ある悪玉の中でも出色の出来じゃないだろうか。『ダーティ・ホワイト・ボーイズ』のラマー・パイと双璧と言っても過言ではないほどの悪玉だと思う。単なる極悪党ではなく、ミステリアスな一面を持ち合わせた魅力を持っているのだ。

 加えて、筋立ては大胆で緻密。『ボーン・コレクター』より落ちるかな、と思うのは、首を傾げて唸り声を漏らしてしまったラストと、より以上に安易と思う犯人の某人物と、設定が設定だけに少々中弛みが目に付いてしまったことくらいだろうか。FBIの人質救出交渉は非常に新鮮で、アメリカが関わったいくつかの事件を思い出しもした。でもねぇ、現実にはこんなにうまくいかないよねぇ。

 抜群の人物造型力に巧緻なプロット。こりゃ鬼に金棒だな。今更で申し訳ないんだけど、当分目が離せませんね。

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パンドラの匣 PANDORA'S BOX トマス・チャスティン 後藤安彦訳
ハヤカワ ポケミス 昭和54年6月15日 再販発行
 ニューヨークを舞台にした警察小説、カウフマン警視シリーズの第一弾である。1974年に書かれたもので、ディクスン・カーが激賞した作品のようだ。かなり期待して読んだ。そういう期待は大概裏切られるものだけど、これは期待に違わぬすばらしい警察小説だった。

 名画を盗むという犯罪の地味さは、年代的なものだからどうこう言うべきことではないと思う。カウフマン警視と、元刑事で探偵のJ・T・スパナーの人物造型と、カウフマン警視の指揮する捜査の一部始終に目を向けるべきなのだ。特に、これほどまでに大胆で緻密な捜査は他の警察小説ではあまり類を見ないんじゃないだろうか。警視という捜査を指揮する階級が主人公の警察小説で、警視の職責をここまで全うする主人公は少ないんじゃないかな。もっともアメリカの警察小説はあまり読んだ記憶がないせいもあるんだけど。その点で、カウフマン警視に肩を並べられるのは、最近読んだ英国ミステリの「スキナー警視」くらいのものじゃないだろうか。

 人物としては、真面目一辺倒な家庭人のスキナーよりも、カウフマン警視の方によりミステリアスな魅力を感じる。押し出しの強さと、責任感の強さと捜査能力は同じくらい。大幅に異なるのが私生活だ。イギリスの模範的家庭人のスキナーに対して、カウフマンには人間の出来た愛人がいるのだ。この出来すぎた愛人によって引き起こされる、ラストの大きな落とし穴とその処理が、ほろ苦い読後感を生み出して半端な警察小説シリーズではないことを予感させる。それともうひとり、J・T・スパナーがハードボイルドっぽくて非常におもしろい。番外編でスパナーを主人公にしたハードボイルドもあるらしいから探してみようか。

 ストーリィ展開もすばらしい。犯人側から描かれる屈折した犯人像と、カウフマン警視の大胆で執拗な捜査が縦横に描かれる。犯人逮捕のために鉄道を止めてしまうんだからすごいのだ。冒頭からは犯人側、事件発生後は警察側からの描写と分けられるような形になるんだけど、欲を言えば、もうすこしバランス良く配置して欲しかったところ。ストーリィが非常に手際よく進められるだけに残念な気持ちもした。
 この本は、FADVメンバーのてっちゃんに貸していただきました。貴重な蔵書を貸していただきありがとうございました。

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ハートブレイカー HEART BREAKER ロバート・フェリーニョ 浅尾敦則訳
アーティストハウス 1999年10月31日 初版第一刷
 凛とした透明感と、ハードボイルドでは珍しいくらい清潔感の漂う作品だ。血生臭いシーンも多々あれど、ロスアンジェルスの気候風土と相まって不思議なくらい清潔で乾いた印象を残す。バル・デュランとカイル・アボットが初対面で恋に落ちてしまうシーンなんて、清冽でハートにビンビンきちゃうのだ。筆がたつってこういうこと言うんでしょうね。

 90年代最後を飾る、『さらば、愛しき人よ』であるな。ある意味古典的な仕掛けなんだけど、ほろ苦い読後感がたまらなく胸を締め付ける。う〜ん、ハードボイルドだなぁ…、たまんないよ。んでも、このエピローグはお約束かな。だから別に驚きはないんだけど、それでもこんな読後感を残すんだなぁ。。ああ、久しぶりにグッと来るハードボイルドを読ませてもらいました。

 しかし、よくもまあ、これだけぶっ飛びの人物を作り上げられるもんだ。メインの連中以上に脇役に印象深い奴らが多いのが特徴かも。大鹿マロイを彷彿とさせるダリル・デッカー、マイアミの大物麻薬ディーラーのジュニア、その手下のアルマンド、刑事フィルとイネス、グレース婆さん・・・。主役クラスも含めてその人物たちが、ライト感覚でスウィングするすばらしい文章に乗っかって派手に騙しあう、追いかけあう。転がるようなストーリィがスウィング感を煽る。そこはかとない寂寥感に包まれた極上のハードボイルドなのである。これでプロットにもうちょっと力を入れてくれたら言うことなしなんだけどな。

 この本は、遠く札幌から貸していただきました。ボタンさん、ありがとうございました。おかげで良い作家に出会えました。

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俳優強盗と嘘つき娘  THE DAMSEL リチャード・スターク 名和立行訳
ハヤカワ ポケミス 昭和53年5月15日 発行
 ドナルド・E・ウェストレイクがリチャード・スターク名義で書いた俳優強盗シリーズの第1弾である。主人公アラン・グロフィールドは、悪党パーカー・シリーズの脇役として何度も登場しているらしい。この物語は、悪党パーカー・シリーズの『悪党パーカー/カジノ島壊滅大作戦』直後から始まるし、現在読書中の俳優強盗シリーズの第3弾『黒い国から来た女』は、『悪党パーカー/殺人遊園地』とエピローグが同じらしい。起源を同じくするシリーズだが、悪党パーカー・シリーズの濃いノワール色とは打って変わって、軽快なコメディータッチでノワール色はまったく無い。これはたぶん、主人公のアラン・グロフィールドの個性なんでしょうね。それぞれ1作づつしか読んでいないから、それのみの印象で心もとないんだけど。とにかくこの辺は絶版と品切の嵐。悪党パーカー・シリーズでは『殺人遊園地』がなぜか復刊したが、残念ながらその他はほとんど手に入らない。小出しにしないで、全作復刊しちゃえばいいのにねぇ>早川書房。

 書かれたのは1967年。古めかしいのはしょうがないよねぇ…。筋立ては昔の活劇映画みたい。お定まりの美女が登場して、主人公は美女を助けながら悪漢をばったばったとなぎ倒す。ただしそのヒーローが泥棒ってのが、当時としては新鮮だったのかもしれないけど…。細部には不可解が山積。動くのが大儀なほどの大怪我もあっという間に直ってしまうし(時々思い出したように痛くなるのだ(^_^;;)、捕らえられてもいとも簡単に逃げおおせちゃう。まあまあ周到で頭も切れるのにラストのアレはないよなぁ。無計画にもほどがある。追いかける方があまりにも間抜けで拍子抜け。ラストもまた大活劇風。お得意のウィットに富んだユーモアも滑りまくっている。不調だったのかなぁ。

 でも、こういうのを今の視点でどうこう言ってはいけないんでしょうね。社会情勢や当時のミステリーの傾向なんかも考慮しなくちゃいけないし。今になって未読の古い作品、あるいは古典にあまり手をつけたくないのは、そんな風に考えてしまうからなのだ。んでも、『悪党パーカー/人狩り』みたいな大満足もある。現在進行中の『黒い国から来た女』も洒落が効いていてこの物語よりもずっと良い。してみると、時代的背景を抜きにしても、決して出来の良くない作品てことになっちゃうのかなぁ。

 この本はFADVのてっちゃんから借りたものです。貴重な蔵書をありがとうございました。引き続き『黒い国から来た女』に取り組んでます。

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黒い国から来た女  THE BLACKBIRD リチャード・スターク 石田善彦訳
ハヤカワ ポケミス 昭和53年7月15日 発行
 第1作とは大変な違いがある。軽薄にしかみえなかった、アラン・グロフィールドがむちゃくちゃかっこよくなって登場だ。リチャード・スターク=ウェストレイク初心者なので、間違っているかもしれないけど、これってこの作家指折りの傑作じゃないだろうか。なんといっても、俳優強盗アラン・グロフィールドの人物が出色なのである。『俳優強盗と嘘つき娘』では単なる軽薄野郎としか見えなかった奴が、実に洒脱で反骨精神に溢れるスーパー・ヒーローとなっていた。ヒーローといっても、薄っぺらな正義感じゃないのが良いね。とにかく生き延びるため。結果的に美女を助けることになろうが、世界を凶悪兵器から守ることになろうが、同朋を皆殺しにする結果になろうが、すべては自分が生き延びるため。ううう、痺れるぅ〜〜(^。^)。

 台詞のひとつひとつが抜群にいい。ハードボイルドな台詞はこう書くんだっていう最高の見本と言えよう。そして、パーカーを思わせるソリッドな人物造型。パーカーより口数が多い分、コメディータッチと言われたのかもしれない。たしかに『俳優強盗と嘘つき娘』はそうとも思えたけど、この作品はコメディータッチなんかじゃないぞ。立派なハードボイルドだぞ。

 ストーリィ展開も文句なし。こういうストーリィをジェットコースターという。幕開けから読者の目を捉えて離さない。すばやい展開にも関わらず、まったく無理がない。アランの動きも無理が無い。アランを取り巻く連中にも、きちんと役目を果たさせているようだし、、、う〜ん、唸るのみ。

 そして、ラスト間近に待ち構えるのが派手なアクション・シーンだ。アランが後ろに美女を乗せてスノー・モービルを駆る。追っ手は飛行機だ。追いつ追われつのスーパー・アクションは、アイディアひとつとっても現代のアクションと全く遜色ない。いやいや、アクション・シーンにはうるさい現代の冒険小説マニアをも唸らせる出来と言えるでしょう。いやはや、参りました。

 ポケミスの二段組とは言え、たった178ページの物語で、ここまで堪能させてもらえるとは夢にも思わなかった。これは満点をつけねばなりますまい。決して安売りしているわけではないのです。これは満点以外にはありえない…。

 FADVてっちゃんの貴重な蔵書を貸していただいたものです。ありがとうございました。

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361  361 ドナルド・E・ウェストレイク 平井イサク訳
ハヤカワ ポケミス 昭和42年3月31日 発行
 ウェストレイクのデビューは1960年。当時26歳であった。この作品は、1962年に発表された長編第3作目の作品で、著者なんと28歳の時の作品である。ハードボイルドというよりも、重く暗い雰囲気を漂わせたクライム・ノヴェルと言った方が適切かもしれない。尤も、ハードボイルドとクライム・ノヴェルの区別なんてついたためしがないんだけど…σ(^_^;。 

 転がるようなストーリィがすごい。荒削りながらも、このドライブ感たっぷりのストーリィだけとっても特筆ものなのだ。単なる復讐譚に終わらせないところもさすが。若いときからウェストレイクは只者ではなかったのだなぁ。こんな重く暗い雰囲気の作品があるかと思えば、ドートマンダー・シリーズみたいなのも書いているんだから、ホント才能のある人なのであります。

 今の作家ってやっぱり書き込み過ぎだよねぇ。この物語はちょっと端折り過ぎの面も見られるけど、この短さでこれだけおもしろい小説に仕上げちゃうんだからねぇ。重厚長大が傑作の代名詞だと思っている方々には見習って欲しいのである。もちろん、適切な長さという意味の話であるが。

 気の利いた台詞のひとつも吐かず、あまりにも紋切り型の主人公に馴染めない人もいるかもしれない。しかも、重く暗い雰囲気。それでも、非常に渇いた読後感を残すのである。文章もしかり。この渇いた雰囲気はウェストレイク作品共通の美点のようだから、ネオ・ハードボイルドのあの雰囲気に馴染めない人は、是非手を出してみるべき作家でありましょう。

 因みに『361』という風変わりなタイトルは、百科事典の361ページを指すんだそうだ。361ページに何があるかというと生命の破壊など。つまり殺人ということだな。よくわからん(^^;;)。

 末筆ながら、この本はFADVのてっちゃんに貸していただきました。すっかりウェストレイク信者であります。

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血の流れるままに  LET IT BLEED イアン・ランキン 延原泰子訳
ハヤカワ ポケミス 1999年4月30日 発行
 『黒と青』で、しきりにリーバス警部が「飛ばされた」というような話が出ていたが、この物語で描かれているのが、その飛ばされる原因となった事件だ。『黒と青』を読んだのが、つい最近だったから読む順を間違えちゃったなぁ。この物語を読んだ後だったら、少しは印象が変わったかもしれない。しかし、ひどいよ>早川書房。いきなりシリーズの8作目が翻訳されて、本邦2作目にあたる本作が7作目。巻末の訳者あとがきによれば、この次刊行されるのはたぶん9作目(^^ゞ。いったいぜんたいどういうことでぃ!! 考えらんない。

 これを読む限り、リーバス警部シリーズは立派なハードボイルドと言えそうだ。孤軍奮闘する一匹狼ぶりは『黒と青』よりも鮮明で、リーバスの持つ人生観、倫理観、アウトローぶり、捜査方法、ついでに上げるならリーバスの軽口など、どれを取ってもハードボイルドとしての要素を備えている。悩める姿はネオ・ハードボイルドのヒーローたちとも共通しているし。そして、そこに加えられる英国ミステリのテイストが、複雑を極める本格物っぽいプロットである。『黒と青』でも驚いたんだけど、なんとまあ複雑なプロットを作る作家だろう。一時も気を抜けない。しかも、登場人物がえらく多い…(^^ゞ。難物でありました。

 全体的な印象は、『黒と青』よりもいいみたい。季節感たっぷりのスコットランドの雰囲気も、慣れたせいかこちらの方が良いような気がするし、リーバス警部らしさに関してもこちらの方が上のような気がしている。アウトローぶり、一匹狼ぶりが際立っているのだ。ただし、同じ警察小説のハードボイルドと比べると、ちょっと弱いかな。比べたのは、マイクル・コナリーのハリー・ボッシュ物と、ジェイムズ・エルロイのロイド・ホプキンズ物。彼らに比べれば、リーバスはまだまだ甘いな(^^ゞ。上司の横槍、捜査妨害、その辺に甘さが感じられてしまうのだ。リーバスの性格を分かっているくせに休暇なんか与えちゃうしね。リーバスの崩れ方も甘い。その辺が英国ミステリたる所以でありましょう。乱暴者のアメリカ人と比べたらかわいそうか。

 シリーズ物のおもしろさは、主人公を取り巻く状況の変化や、主人公自身の変化にあるのだ。繰り返して言うが、そういう楽しみを奪われるのは腹立たしい。こういう刊行の仕方は許されないぞ。ボブ・リー・スワガーのシリーズよりはマシかもしれないけどね…(^^;;;)。

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警察署長  CHIEFS スチュアート・ウッズ 真野明裕訳
ハヤカワ文庫 1987年3月31日 発行
 良くも悪くも、とてもアメリカ的な小説と言えそうだ。自らを振り返ることにかけては、他国の追随を許さないアメリカ的良心の物語。舞台はアメリカ南部、ジョージア州の架空の田舎町デラノ。1919年から1963年にかけて、当地の警察署長を勤めた3人の人物を通して、アメリカ近代史がひもとかれる。1920年代、40年代中盤、60年代初頭と、おおよそ三つの年代に集約されて描かれる最大の問題は人種(黒人)差別問題だ。これが圧倒的なドラマ性をもって描かれる。南部の雰囲気、匂い立つ肌触りは驚きの一言だ。すでに評価の定着している物語だから、改めて説明の必要はないかな。

 時代の流れを見つめるのは、デラノの成り立ちから見守ってきた、銀行家のヒュー・ホームズである。清濁併せ持つこの政治家の動きが、いずれの場面でも事を左右する。この人物こそが旧弊のアメリカそのものと言えそうだ。そして、物語は一点に収斂していく。凄いぞ、、後半は息苦しいほどだ。もちろん、物語の帰結はある程度想像できるのだが、それでもサスペンスは否がうえにも盛り上がる。ページを繰る手が止まらない。そしてラスト。自ら画策した変化が一人歩きし、御しきれないほどの大波となって飲み込まれようとする寸前、ヒュー・ホームズは初めて自然体となった。デラノ開発と発展の末に迎えたこの結末は、非常に暗示的で象徴的だ。この皮肉な結末がまたアメリカ的。考えれば考えるほど奥が深い物語だ。

 だが、、熱狂して読み終えてしばらくすると、少々の悪臭も漂ってくる。アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための小説。偽善的と言っては言い過ぎかもしれないが、鼻についてしまうこともかなりあるのだ。そう思い始めると際限なく思いは巡る。おもしろいには違いないけど、所詮自分たちの過ちを正したに過ぎないじゃないの。差別の根幹には踏み込まない。踏み込んだとしても、甘い。上っ面をなぞったような印象しか残らない。立ち向かう人間が政治的権力を持っているというのも気に食わないかな。ぼくは、こんな大上段に構えた小説よりも、トマス・H・クック『熱い街で死んだ少女』のような小説に惹かれてしまうかな…。あ、おもしろいんですよ。それはもう間違いなく。

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眠れぬイヴのために PRAYING FOR SLEEP  ジェフリー・ディーヴァー 飛田野裕子訳
ハヤカワ文庫 1998年5月15日 発行
 どう好意的に捉えても、これは冗長というものでしょう。その上、冒頭から視点があちこちに飛びつづけるため、読みづらいことこの上ない。何度投げ出そうと思ったことか。しかも、読み終えてみれば予想通りのお話。ここまで引っ張ったんだからと、大逆転の大逆転を期待したのにこの程度なんて…。これだけの物語をここまで引っ張られちゃあ疲れも倍増するってもんです。適切な長さってものがあるでしょう。たった一晩の話なんだから、ここまで長くするなんて土台無理な注文なのだ。読み進むにつれ、あまりの思わせぶりにサスペンスがどんどん薄れてしまった。このアイディアは果たして、これだけの長さに耐えるものだったのだろうか? ラストだって、少なくとも驚天動地じゃあないよ。

 ハンディキャッパーを主人公に据える作者。この物語では、精神分裂病患者を中心に据えるという難しい物語の舵取りを、細い尾根を縦走するがごとくに展開してはいる。このマイケル・ルーベックという分裂病患者の人物がとてもおもしろいのだ。心理面も読ませる。しかし、他の人物たちがいただけない。ヒロイン姉妹の設定も確執も幼児体験も、どうにもありがちでときめかない。どうせこうなんだろう、と思ったらその通りで、そっちにびっくりしたくらい。

 テクニックに走り過ぎなのだ。過渡期だったのだろう。そのわりには異様なムードが物語全体を包んでいて、それはそれで好きな人には受けるかもしれない。なんといってもこの後、傑作『静寂の叫び』を生み出す作者なのだから。

 少なくともこの作品を読むとき、『静寂の叫び』や『ボーン・コレクター』を望んではいけない。ムードはたっぷりとある作品だから、展開が遅いとか思わせぶりすぎるとか余計なことを考えずに、この異様なムードにどっぷりと浸って心を平らかにして読むことをお奨めします、ハイ。

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チェシャ・ムーン CHESHIRE MOON ロバート・フェリーニョ 深井裕美子訳
 講談社文庫 1995年7月15日 第一刷発行
 大鹿マロイ風の大男キャラクターがお好みなのね。女性登場人物にストーカー的思い入れを持つ、寂寥感漂わす大男。この物語では一方のヒロインであるシッシーに入れ込むリストンが、『ハートブレイカー』のデッカーを彷彿とさせる人物なのである。もしかしたら、大男キャラクターがフェリーニョ作品を解き明かす鍵なのかもしれない、なあんて思ったりする。ただしリストンの行動が、デッカーにも近いものがあったんだけど、背景がよくわからないためか今ひとつ響いてこない。もちろん恋に落ちるのに長い時間は必要ないし、理屈がいらないのもよくわかる。でもこれだけのことをさせるのに、理屈抜きで読めるかというとそうでもないのだ。筋金入りのサイコ野郎でもなさそうだしね。シッシーに入れ込むリストンが、最後まで体温を感じられる登場人物とはなれなかったのが残念だった。

 思わせぶりな冒頭にしては全体的に軽めの印象。この軽さがフェリーニョの大きな特色なのでしょうか。プロットがどうとか、謎解きがどうとか言うタイプではなく、雰囲気で読ませるタイプなのですね。その雰囲気を醸し出すのが、日系アメリカ人のジェン・タカムラをはじめとする多彩な登場人物たちと、場面設定と、情感たっぷりの文章だろうか。『ハートブレイカー』ほどの煌きはないが、それでもかなりの雰囲気を漂わせなかなかに読ませる。でも、ロマンチックな印象は、『チェシャ・ムーン』というタイトルから得たものが大きいように思う。内容の方は、残念ながらタイトル程インパクトが無かった。インパクトが大きかったのは多彩な登場人物たちかな。誰をとっても見事な造型でありました。余談になるけど、ラスト近くのあるシーンのエロティックさと、それに続いた意表を突くシーンは見事だったと思う。

 ミステリ的にみれば、長い間引っ張ったレントゲン写真の謎が、あっけなく解き明かされるのには納得がいかなし、その背景についても納得できないところが多い。ハードボイルドではあるんだろうけど、これは恋愛小説として読むべきなのかも。『ハートブレイカー』がそうだったように。

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