長く冷たい秋 A LONG COLD FALL サム・リーヴス 小林宏明訳
ハヤカワ文庫 1993年10月31日 発行
 ヴェトナム戦争で心に大きな傷を受けた主人公のクーパー・マクリーシュ。非常にインテリだが、社会生活になじめない。職を転々とし、現在はタクシードライバーである。ある日彼は、新聞の死亡記事で学生時代に愛した女性の自殺を知る…。そして彼は過去を清算すべく…。

 プロローグが秀逸である。いきなり、でだしから物語に引きづりこまれるだろう。クーパーの現在をよく語り、なお且つ物語に没入させる。ただ、残念なのは、クーパーと警官のありきたり(こういった物語ではありがちな)な関係である。頻繁に問題を起こしており、クーパーが問題視されているのはわかるのだか、ヴァレンティ警部補登場のくだり等、少々ムリがあるかも....。小説が説明になってはいけない。とにかくクーパーと警察の関係の不自然さは最後まで拭い切れなかった。

 展開される物語は静かで内省的である。筋立てには、魅力的な謎も用意されており、徐々に明らかにされる事実も、それなりに驚きの連続で飽きさせない。ハードボイルドの一つ大きなテーマといえる「過去の清算」、がクーパーを動かす原動力となっており、クーパーが受けた戦争の痛手とあいまって、微妙なコントラストで物語に深みを与えている。

 父と子の物語がもう一つの側面である。これは「過去の清算」と直接結びついており物語の大きな横軸となる。しかし、ここに語られる愛情もCOOLだ。そしてラスト。ちょっと分かりづらいな。あまりにCOOL。このあたりの持っていき方が中盤あたりからのテーマだから、もっとはっきり描写しなくちゃいけないと思うんだけど。

海外作家INDEXへ

スキナーのフェスティヴァル SKINNER'S FESTIVAL クィンティン・ジャーディン 安倍昭至訳
創元推理文庫 1998年4月17日 初版
 スコットランド、エディンバラの署長補佐ロバート・スキナーを主人公したシリーズの第二弾。前作の冒険小説タッチのノリを引き継いでいる。今回の敵はテロリストだ。8月のエディンバラを彩るフェスティバルでテロ事件が起こる。次々と起こるテロに、スキナー率いる対テロリスト・チームがどう挑むか。相変わらず現場でのスキナーの手際良い適切(と思われる(^。^;)な判断・指示が光る。ホームドラマとアクションのコントラストが見事な一気読みの作品。

 連続するテロと続けなければならないフェスティバルが緊張感を煽りながら物語は進む。ここでも”スキナーのルール”は健在だった。腰抜け政治家を一蹴し、報道の暴力を体現するジャーナリストの鼻を文字通り挫く・・・等など、前作で出現してしまった第二のスキナーの出番も増えている。善悪の彼岸についても幾度となく触れられているが、このシリーズ自体がその辺りに主眼を置いていないので、スキナーの悩みもサラっとしていて深い考察はない。

 以下、読み手のすれっからし度によってはネタバレの可能性もあるが、、

 ただし、ミステリーとして読むとどうかな? というのが正直なところ。ぼくはそれほどすれっからしの読者じゃないつもりだけど、そんなぼくでも鍵を握る人物が容易に想像できちゃう。作者が承知の上で描いているヤツはいいのだが、意外性を狙ったヤツは全然意外じゃないから失敗かもしれない。更にすれっからしの読者はその処理まで考えているだろうから、ほとんどバレバレなのである。それでも、これだけおもしろいんだから実にもったいない。後半部分の人物の配置をもっと工夫すればもう少し煙にまけたかも知れない。もったいない。

 惜しいのは敵役のアピール度が低く、スキナーに比べて圧倒的に存在感が薄いこと。唯一ラストに、アクが強そうで生涯の敵となりそうな人物も出現するので、その辺りも含めて今後の展開が非常に楽しみではある。

海外作家INDEXへ

スキナーの追跡 SKINNER'S TRAIL クィンティン・ジャーディン 安倍昭至訳
創元推理文庫 1999年2月19日 初版
 第一作『スキナーのルール』からずっと頭にこびりついていた展開がやっと現実のものとなる。これがこの物語のハイライトだ。だが、ラストまで内緒内緒。まさかこのラストに驚きの声を上げる人はいないと思うけど。俄然、次回作が楽しみになった。楽しみと言えば、この物語だって楽しみには違いなかったのだ。『スキナーのフェスティヴァル』のラストに出てきた偏執狂との絡みを待っていたわけだが、結局登場せず。死体の数とスキナーが渡り歩いた国の数に反比例して地味な物語で終わってしまった。

 読了して思ったんだけど、やはりこのシリーズはホームドラマの要素が強いな。フロスト警部みたいなワーカホリックがいるイギリスにあって、スキナーのなんとも堂々としたマイホームパパぶりに驚かされる。ま、フロスト警部が極端なだけなんだろうけど、それにしても顰蹙を買いそうなほど徹底していて、まともに聞いたらやる気を無くさせるようなことまで部下に向かって平気で言ってしまう。それもこれもスキナーの稀なキャラクターのなせる技か。少しくらい反発があってもいいと思うんだけど。まぁ、全て含めてスキナー・ファミリーだからこれで良いんだろうね。義務は果たしているし。

 このシリーズで悪役を描く難しさも垣間見えた。スキナーの存在感に匹敵する悪役はなかなか描けるもんじゃない。麻薬取引に連座する連中の小粒なこと。死闘を演じる誇り高き犯罪者についても、もっと描きこんでももらわないことには人物像を結べない。シリーズを彩る魅力的な敵役の登場を切望してやまない。

海外作家INDEXへ

水の戒律 THE RITUAL BATH フェイ・ケラーマン 高橋恭美子訳
創元推理文庫 1993年4月23日 初版
 フェイ・ケラーマンが描く、ピーター・デッカー&リナ・ラザラスを主人公とした警察小説シリーズの第一弾だ。
 フェイ・ケラーマンという作家は、ダンナのジョナサン・ケラーマンよりずっと人間を描くことに長けているように思う。ダンナの描く人物たちは、崩れた輩でも正義の味方でも、どこか通じる折り目正しさみたいなものが感じられて、活き活き伸び伸びしていないのである。ところが奥さまフェイの描く人物たちは、凛とした雰囲気の中に実に活き活きと描かれている。きっと作者の人柄を反映しているんでしょうね。悪役らしい悪役が出てこないのでその辺りは未知数だが、人物たちを描き分ける筆の冴えはなかなかのものだ。しかも、見つめる目はこの上なく優しい。

 この物語は警察小説というよりも、恋愛小説と呼ぶにふさわしいかもしれない。綿密な取材のもとに描かれた閉じた社会=ユダヤ・コミュニティに闖入していく刑事ピーター・デッカーと、悩みながらもそれを受け止めていくリナ・ラザラスがとても良い。恋愛小説には障害がつきものだが、この宗教という障害はなかなか超えられそうにないのだな。揺れ動く二人を作者は見事に描いている。ストイックで純愛といってもよさそうな関係が凄く良いのだ。リナといえば、熱心なユダヤ教信者の暮らしぶりや生活習慣も新鮮。ユダヤ教についてもかなり言及されている。余程勉強したのか。それとも作者はユダヤ人なのでしょうか?

 だが、ミステリとしては非常に地味。単純なフーダニットで、しかも犯人はかなり絞られるので、それ程興味をそそられることは無いだろう。容疑者とその周辺について突っ込んだ描写が無いので、真犯人がわかっても別に驚きは無い。もう少し、犯人側の背景を描き込み、プロットを練り上げてくれなければミステリとしては弱過ぎる。で、もう続きは読まないかと言えばそうじゃない。既に、第二作『聖と俗と』に取りかかっている。なぜかと言えば、これは主人公二人の魅力以外にないのだ。魅力というか行く末というか。ピーターとリナが今後どうなっていくか、気になってたまらないのである。

海外作家INDEXへ

聖と俗と SACRED AND PROFANE フェイ・ケラーマン 高橋恭美子訳
創元推理文庫 1993年12月17日 初版
 シリーズ物は難しい。この作品は、ピーター・デッカー&リナ・ラザラス物の第二作だが、二人を取り巻く環境がもはや新味と映らない分前作よりも落ちるかも知れない。その分、ミステリの部分に力を入れているようだが、どう贔屓目に見ても成功しているとは言いがたい。人物の配置が取ってつけたようで、しかも少しずつ明かにされる謎がもたついて後手にまわってしまう。苦肉の策で、ダンナの領域に足を踏み入れるが、これも上っ面をなぞっただけとの印象は否めない。プロットを複雑にしようという意識ばかりが先に立って、明快さに欠けてしまったようだ。構成もあまりうまいとは言えない。

 警察小説には違いない。だが、この警察はなってない。捜査の進め方が素人臭過ぎる。大事な証人を無為無策に死なせてしまったり、重要参考人を監視体制下にも置かないなど、全く計画性が感じられないのだ。デッカーが一匹狼ならそれなりの描き方があると思う。署長が現れてデッカーが一匹狼であるかのようなセリフを吐くんだけどこれもおざなりだ。こんな辻褄合わせじゃあ読者は納得しないよ。中途半端な組織捜査が警察側を後手後手に回らせ、それを単に物語を長引かせる手段にしてしまっているようでとても残念。この警察には事件を解決する意欲が全然感じられないのだ。

 とまあ、警察小説の部分には不満タラタラなのだが、作者の人間を見つめる目は相変わらず優しい。辛辣なだけのジョナサン・ケラーマンとは大きく異なって非常に好感が持てる。なんと言ってもピーターだ。「聖と俗」・・・悩みは果てることが無い。ユダヤ教を学ぶのがリナを手に入れるためなのか、それとも魂の命ずる行為なのか。本来の信仰心と下心一杯の信仰心。己の心の無間宇宙に真正面から向き合う。信仰心とがんじがらめの戒律。一旦は捨てる決心をするが、もう一度その入り口に立ったとき、それはデッカーにとって魂の命ずる信仰心の入り口でもあったんだろう。宗教とは、信仰とは……。解るんだけど…、この世の俗にどっぷりと浸っているぼくには、この二人の純愛がどうにもまどろっこしく感じられてしまうのですよ。どこかで、ユダヤ教徒の刑事が主人公の警察小説があってもいいか、なんて考える自分もいるんだけど…う〜んん…今後の展開が難しいな。

海外作家INDEXへ

豊饒の地 MILK AND HONEY フェイ・ケラーマン 高橋恭美子訳
創元推理文庫 1995年9月29日 初版
 読む前から傑作と聞こえていた。そういう小説って肩肘張って構えてしまうものだよね。前二作がある水準には達していても、決して傑作とは言いがたい出来ばえであっただけに、作者がそれほど大化けしたなんて俄かには信じられなかったのである。『聖と俗と』では『水の戒律』の鮮烈さが失われ、自らの欠点に目が行くあまり我を忘れたように感じられたものだ。それがこの作品ではどうだ。澱みなく語られるストーリィ、宗教だけではない物語の厚み、更に磨きのかかった人物造型、人に対する優しい眼差し、どれを取っても文句のつけようがない。ストレートな味わい深い物語は、見事に欠点を美点に変えて見せた。驚くべき筆の冴えだ。芳醇な香りを漂わせ、極上のワインがごとき傑作である。信じ難いほどの成熟ぶりだ。

 ロス・アンゼルス郊外を舞台にした大家族の肖像をメインとして、デッカーのベトナム時代の戦友が巻き込まれた事件と彼らのトラウマ、それに当然リナとの愛情問題が挟みこまれ、物語は同時多発的に展開される。警察小説には、フロスト警部物やパウダー警部補物に限らずモジュラー型が多く見られる。警察の特性から言えば当然なのだが、本作も若干このスタイルに近いかもしれない。どの事件も深く掘り下げられ、微妙にリンクさせながら解決に向かう。これがホントにうまく描けているのだ。

 無理を承知でいうなら、もっとひねりを効かせて欲しかった。この辺りが作者の欠点といえば欠点で、前作などは補おうとするあまり散漫な印象を残してしまった。本作はとても良い意味で開き直っている。犯人探しなんか目じゃないのだ。持ち前の優しい目で人生を見つめる。約束の地を求めた大家族を見つめる。どっしりと構え、余裕たっぷりの描写は懐が深く重厚だ。幕切れは呆気なく見えるが、謎解きが主眼ではないからこれで良いのだ。
 
 デッカーら警察の連中も更に色が濃くなっている。今回は余計な署長が出てこなくてすっきり。フットヒル署の面々は猥雑さが良く出ていて臨場感たっぷりだ。毎回良い味を出すマージ・ダン刑事が今回は試練を迎える。こういう女性は男性には描けないだろうな、と思わせる女性刑事だ。ラスト付近、彼女にデッカーが特上の優しさを見せる。デッカーの人間的成熟を示すようで興味深い。でも、なにか欠けるような気がずっとしている。デッカーの上司かな? この連中を束ねるアクの強い上司がいたら、もっともっと物語が締まると思うんだけど。どうでしょうねぇ。

海外作家INDEXへ

歓喜の島 ISLE OF JOY ドン・ウィンズロウ 後藤由季子訳
角川文庫 平成11年9月25日 初版
 1950年代のアメリカの雰囲気は良く伝わってくる。あの頃のハリウッド映画を思い出させるような色合いで、遠い過去となってしまった冷戦当時のニューヨークを舞台に描いた謀略小説だ。主人公は元CIAのスパイで、現在は民間の会社で調査員をしているウォルター・ウィザーズ。そして彼の恋人でジャズ・シンガーのアン・ブランチャード。気がつけば、CIAとFBIの謀略に巻きこまれ…っていってもコップの中の嵐ね。ま、そのコップはえらくでっかくて、流れ出した水は世界中を水浸しにするくらいなんだけどね。

 前半は事件らしい事件も起きず、ほとんど起伏がない。主人公ウォルターと恋人アンを巡る物語に終始する。中盤から後半に期待したのだが、ちょっと物語が動いただけで期待はずれもいいところ。作者は時代考証に力を入れるあまり、ストーリィ展開などは二の次にしてしまったかのようだ。ケネディ夫妻とマリリン・モンローも全然興味を惹かない。センセーショナルな話題取りにしか見えず、退屈で退屈でしょうがなかったのだ。作者の持ち味のひとつである、スピード感溢れるスリリングなストーリィが鳴りをひそめたままとうとうラストを迎えてしまい唖然。1950年代のアメリカを良く知る人なら楽しめたのかな? アメフトの試合のシーンなんか斜め読みしちゃったしなぁ。会話も軽妙洒脱とは思えないし。暖かい人物はまあまあなんだけど。

 作者の文章もひどいんだろうけど、翻訳も決して良いとは言えない。こなれない文脈の入り組んだ作者の文章は翻訳するのが大変だったとは思うけど、あまりにも教科書通りの読点が多くて、読みにくいこと読みにくいこと。特に助詞の使い方をおさらいした方がいいんじゃないでしょうか? 

 帯の惹句を読んだとき、悪い予感がしたんだ。。元スパイの運命なんてねぇ…、古めかし過ぎる。こんな本に1000円も出しちゃって大失敗。今年に入ってウィンズロウの本は3冊目だけど、どれもこれもいまいちだな。こんな本ばっかり翻訳して、高い金で買わせてちゃあ読者は離れちゃうでしょ。

海外作家INDEXへ

狩りのとき 上・下 TIME TO HUNT スティーヴン・ハンター 公手成幸訳
扶桑社ミステリー 1999年9月30日 第一刷
 待ちに待った、スワガー・シリーズの最後を飾る作品である。
 震える手で本を開いて読み進むと、いきなりプロローグで吃驚仰天だ。なんだなんだ、と息を潜めて更にページを繰ったら、物語はいきなりベトナム戦争時代へと遡る。シリーズ中で幾度となく語られた逸話−スワガーのスポッターだったダニー・フェンが、なぜあのようなことになったか、大隊規模の敵軍隊を相手に、スワガーがライフル一本で味方を守ったという伝説的な戦闘、好敵手であるロシアのスナイパー、ソララトフについて−などが克明に語られる。特に戦闘シーンはシリーズ中の白眉であろう。狩るものと狩られるもの。死力を決しての闘いは、『極大射程』でのあの山頂の死闘に勝るとも劣らないだろう。

 だが、他の三作品と比べて、ちょっと落ちるかな、というのが正直なところ。前半のベトナム戦争時代には文句のつけようがない。下巻に入ると一転して、スパイ小説の様相を呈してくるのだが、ぼくにはこのあたりから濃厚に違和感が漂ってくるのだ。実に意外な展開で目を釘付けにせずにはおかない。それは違いないと思う。だが、どうもしっくりとこない。呈示される伏線と、スワガーの行動と、全体の謎解きのバランスがとっても悪く感じてしまう。そのあたりの違和感を払拭させるべく、作者もいろいろと工夫を凝らして説明を試みているが、やはり俄かには納得できないのだ。一番の疑問は、なんで今になって? これは最後まで払拭できない。作者の説明にも納得できない。他にもたくさんある。シリーズ全体の辻褄を無理やり合わせるための強引さと映ってしまうのだ。前半と後半の落差も激しい。確かに結びつくし、更に全てを結びつけるにはこれしかなかったんだろうとは思う。でもどうだろうか、、いっそのこと、前半と後半をそれぞれ独立した物語に仕立て、2作にした方が良かったような気もするんだけど。

 そして迎える最終章。物語のひっくり返し方は、大方の予想通りといえばそれまで。残りページが少なくなっての第四部。ここでやっとスワガーの孤独な闘いは終結するのだが、危惧した通り音速で駆け抜けてしまった。作者の気力と体力が尽きたかのよう。もっときちんと追い詰めて欲しかったのだが…。

 で、ぼくは(3.5)をつけてしまうわけだけど、シリーズ全体の好みでは『極大射程』>『ブラック・ライト』>『ダーティ・ホワイト・ボーイズ』>『狩りのとき』かな。今考えれば、『極大射程』と『ブラック・ライト』は(4.5)だったかなぁ。評点をつけるのは難しい。直しちゃおうかな(^^;;;)。

海外作家INDEXへ

凍てついた七月 COLD IN JULY  ジョー・R・ランズデール 鎌田三平訳
角川文庫 1999年9月25日 初版
 間違いなく殺人は犯罪だ。相手が稀代の殺人鬼であろうと、幼女を愛する死体好きの変態野郎であろうと、殺人は殺人であり、正当防衛でもないかぎり、これだけは絶対に間違いのないことだ。でも、この物語みたいな小説が、た〜くさんあるのだね、アメリカには。してみると、アメリカって国の歪みは、安穏と暮らしている我ら日本人の想像を遥かに超える程逼迫してるんであろうな、たぶん。外面の正義漢ぶりと、歪んだ内面のギャップ。末端ばかりが肥大した畸形の民主主義。正義の意味をも曲解している。真っ当な正義が正義として全うされないことに怒りは感じても成す術が無い。じゃあ、正義を全うしたいアメリカ人はどうするのか…。この物語で描かれた出来事が、デフォルメされた極端なフィクションであることを祈るばかりだ。

 作者の作品では本邦初登場だった『罪深き誘惑のマンボ』が、スキモノを四文字言葉の竜巻でぶっ飛ばしたのは記憶に新しいところ。この作品は、作者の作品としては本邦三作目にあたる。発表は1989年。少々古いが、やっぱりランズデールはランズデールなのだな。この作家は、ジョン・ウェイン風な西部の男臭い男を描くのが実にうまい。ウェスタン小説も書くそうだから、なるほどと思う。この物語だって、ハードなサスペンスには違いないが、西部劇の香りを濃厚に漂わす。これは、ストーリィもさることながら、私立探偵のジム・ボブ・ルークに追うところが大きい。ハップ、レナードに通じるなんとも傑作な人物だ。

 このジョン・ウェインを地でいくようなジム・ボブと、心に潜む影に屈した初老の男と、自分の中の影に気付きもしなかった男の三人が、西部劇さながらの悪党退治をやらかす。でも、単純な悪党退治じゃないから、全然スカッとしないのだ。しかも、法律の枠を超えて正義を全うした男は、幸か不幸か自分の中の影に気付いてしまうし・・・。。後者二人が織り成す父と子の物語がもうひとつのポイントで、この物語を粗悪な勧善懲悪西部劇に陥るのを救っている。これも実にアメリカ的で興味深い。

 秋の夜長、父性について考えて見ては?>お父さんたち(^^;;;)

海外作家INDEXへ

黒と青 BLACK & BLUE イアン・ランキン 延原泰子訳
ハヤカワ・ミステリ(ポケミス)1665 1998年7月31日 初版
 う〜ん、ちょっとばかり期待が大き過ぎたようだ。
 スタイルはモジュラー型の警察小説といえる。主人公は一匹狼のジョン・リーバス警部。で、舞台はスコットランドのエジンバラ。エジンバラといえば、クィンティン・ジャーディンの描く、エジンバラの鬼平ことスキナー署長補佐のいる街だ。スキナーのエジンバラとはちょっと印象が違いますね。警察署内の雰囲気といい、登場する刑事たちといい、アメリカみたいな拳銃バンバンじゃないけど、スキナーのエジンバラよりはアメリカっぽい感じがした。訳者のあとがきによれば、作者ご本人もそのようにおっしゃっておられるようですが。

 ジョン・リーバス警部シリーズ8作目にあたる。前半から中盤にかけては、シリーズ前7作の影がちらついて、しかも視点が縦横に飛ぶのでなかなか集中できない。ここで語られる人間関係は、前7作の資産が無くとも読ませるには違いないが、相棒となるジャック・モートン警部や恋人とされるジル・テンプラー主任警部など、(まだ他にも多々あるが)これらはシリーズ作品を順番に読んでいたらもっと楽しめたのに、と思うと残念でならない。ミステリ愛好者には手ひどい仕打ちと言わざるを得ないのである。

 さて、冗長とまで言われる本作。たぶん、話が大き過ぎて整理がつかないまま前半から中盤にかけて美味しそうな謎をばら撒かれた上に、更にその謎解きも小出しにしてくれず、謎を解いても直線的で興味を惹くように描写されていない。そんなこんなで散漫な印象を強くしてしまったせいでありましょう。全部集めて強引に大きな波を創り出さないのは返ってポイントが高いかな、と思ったんだけどやっぱり食い足りない気がしてしまう。残すところわずかとなって一気呵成に解決に向かうわけだが、ここまで読まなきゃ溜まりに溜まったフラストレーションを吐き出せないなんて、ねぇ、この長さで。押したり引いたりね、、して欲しかったのだ。この生真面目さが英国ミステリでありますが。

 この構成で狙い通りの獲物を得ようとするならば、サイコキラー=バイブル・ジョンの描写量が少な過ぎたと思う。”成り上がり”ジョニー・バイブルを追い詰めるシーンその他をもっと挿入しても良かった。章のバランスもいまいち。後半になってバイブル・ジョンが消えてしまい、忘れたころに突然現れるのは狙い過ぎ。サスペンス度が低くなってしまったのだ。

 唯一最大の収穫は、ジョン・リーバス警部に出会えたことだと言える。一匹狼なのに部下思いで優しい。非常に魅力を感じた。一匹狼のリーバス警部なのに、モートン警部と相棒を組んでから魅力がグンと増すなんて皮肉といえば皮肉。これもシリーズ順なら別の印象を残すんでしょう。ハヤカワも罪作りなことするもんです。

海外作家INDEXへ


匿名原稿  BOOK CASE  スティーヴン・グリーンリーフ  黒原敏行訳
ハヤカワ文庫 1998年3月31日 発行
 サン・フランシスコの知性派探偵、ジョン・マーシャル・タナーのシリーズ第7弾にあたる。
 なかなか気の利いたハードボイルドである。ハードボイルドといえば、プロットであるとか、魅力的な謎であるとかは二の次と考えられがちで、そのあたりに大きな特徴の認められる作家はなんでもかんでも、ロス・マクの後継者と言われてしまうのには常々納得できないと思っていた。グリーンリーフもしかり。ハードボイルド黎明期の三人の作家の中では、ロス・マクに耽溺した方なので、正直言ってこの程度でロス・マク云々されるのはちょっとねぇ。後継者と言われる作家の方々も迷惑で、ハードボイルドに複雑なプロットを、なんて誰でも考えそうなことだから、いちいちロス・マクがどうのと言われ続けてさぞ迷惑だったことでしょう。

 さて、知性派探偵といえば、アルバート・サムスンである。どうしても比べたくなってしまうのだ・・・。両者とも地味で内省的。ひしめく私立探偵の中でも地味度では、タナーとサムスンが双璧であるな。だが、人間的にはサムスンの方に好感が持ててしまうのだ。サムスンの内向的な静に対し、タナーは思いのほか外向的。サムスンは周囲に振り回されるているようでいて、実は冷静に一歩下がって見ていたりする。そんな知性。タナーの場合は単なる知識の振り回しで、しかもいつでも主導権を握りたがるね。それが、結構いやらしかったりする。屈折度ではタナーに軍配をあげる。小説をものにしようとする姿や、文学に対しての無用な知識がそれを如実に物語っている。このあたりが、ネオ・ハードボイルドたる所以であろうか。やっぱりシリーズ第一作から読まなくちゃだめだな。秘書のペギーって名前が頻繁に登場して気になってしょうがなかった。

 聞き込みひとつとってもタナーは特徴的だ。何てったって芝居上手なのだ^^;。突然、田舎の運送会社の社長になったかと思うと、ホームレスに身をやつしてみたりする。歴史家にもなれば、病気の母親のために姪を探す親切な叔父にもなる。実は、ぼくはこういう騙しは好きになれないだ。自然体とは程遠い。どの探偵でも多少はすることだし、結局、正体を明かすことになるんだからいいじゃないか、と言われればそれまでなんだけど・・・。アクション・シーンも欲しい。またまたサムスンなんだけど・・、サムスン・シリーズは物語の後半にアクションがあるんだよね。静かな前半と微妙なバランスが保たれていて非常に気持ちが良かったなぁ。プロットは複雑さは甲乙つけがたい。スムーズさではタナーか。

 この物語は、シリーズの中でも特に本格推理的要素が強いんだろうか? だからといって、関係者一同を集めての謎解きまで踏襲する必要は無かった。巧妙なプロットで非常に読ませるのだが、こんな謎解きシーンは読みたくないな。ともあれ、非常に味わい深いハードボイルドであるのは事実。第一作目からきちんと読んでみよう。

海外作家INDEXへ