悪党パーカー/人狩り THE HUNTER リチャード・スターク 小鷹信光訳
ハヤカワ文庫 1976年4月30日発行 1999年5月31日第五刷
 夢にまで見た『悪党パーカー』シリーズ。その記念すべき第一作だ。映画化に思わぬお土産を貰った格好だろうか。因みに映画化名は『ペイ・バック』。メル・ギブスン主演で、1999年5月に公開された。リチャード・スタークとは言わずと知れたウェストレイクの別名。『悪党パーカー』シリーズ全18作と、アラン・グロフィールド物のみがリチャード・スターク名義で書かれている。垂涎のシリーズなのだが、絶版が多くてなかなか手に入らない。本当に楽しい読書をさせてもらった。

 アメリカン・クライムノヴェルの古典といわれる作品なのだ。楽しいと言っても、言葉通りの楽しさとは意味が違う。出版は1962年。冒頭直後、躊躇無く女性の顔にナイフをつきたてるシーンに背筋が凍った。40年近くを経て、暴力シーンが氾濫している今に至っても古さを感じさせない。当時としてはどれほどのインパクトがあったか容易には想像できないのである。さらりと語ってしまう犯罪の流麗な語り口は、今でもまったく輝きを失っていない。ぶったまげるぞ。

 息をもつかせぬ展開、スリムな主人公の人物造型、短いセンテンスで無駄を省いた文体、どれひとつをとっても一級品なのだ。エルロイの屈折した凄みとは明かに一線を画するストレートな悪役がかえって爽快ですらある。常道ともいえる一匹狼が大組織に歯向かうストーリィもワクワクどきどきハラハラ。長大が傑作の代名詞のようになってしまった現代に、なんとも適切な長さで非常に好印象を残して最終ページを迎えたのでありました。もっと読みたい、心からそう思わせるラストは、冷徹な復讐劇とは裏腹に不思議なさわやかさを伴ってぼくらをシリーズ第二作へ誘うのだ。って、誘われてもなあ…。第二作は『悪党パーカー/逃亡の顔』だが、これは今のところ入手不可。さてどうやって手に入れようか。

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少年時代    BOY'S LIFE  ロバート・R・マキャモン 二宮馨訳
文春文庫 1999年2月10日第一刷
 あの頃、確かに魔法は存在した。肝試しの格好の舞台となったお化け屋敷があり、人魂の彷徨う妙に湿気の多い墓地があり、決して隣人ではない異星人の来襲に怯え、裏の家には魔法使いと噂されるおばあさんまでもが住んでいた。だが、大人になるに従い、魔法は科学と名前を変えるなどして決して不可思議な存在ではなくなる。依然として残る不可思議を口にすると、変わり者と揶揄されるに至り、口を噤むことが大人の証しであるとの誤解が幅を利かせるようになる。でも、これは仕方のないことなのだ。子供心を失わずに大人になることがどれ程難しいことであるか。が、しかし、作中にあったように、失ったモノを取り戻したくなる日は巡ってくるのだ。

 主人公はアメリカ南部の町ゼファーに住む12歳の少年コーリー。少年が成長してゆく姿を大小さまざまな事件を通して綴っている。この物語の凄いのは、単に少年の成長物語あるいは懐古趣味に留まることなく、「1960年代のアメリカ」という時代の一断面を見事に切りとって見せ、それを過去から未来へと続く大きな流れの中で描いている点であろう。時代の成熟という意味では、ある面コーリーの成長とシンクロするかもしれない。コーリーが少年の心を失わずに大人になったかどうかは定かではないが(だぶんそうなのだろう)、アメリカあるいは世界は少年の心を失わずに成熟しているのであろうか。この点、作者は嘆いているような気がしてしまう。

 とまあ、言うこと無しなのだが、上巻の前半あたりがちょっとつらかったかな。それを過ぎれば後は一気呵成。数あるエピソードの中でも、悪党一味との決戦シーンとその直前の父子の葛藤は最高だ。アクションシーンなのに涙が止まらないというめずらしい体験をした。その他にも下巻は、涙無しでは読めないエピソードのオンパレード。通りすぎたかに見えた湖に沈んだ車の謎が、徐々に解明されて行く。その緊張感とスリル! 遊び心たっぷりに描かれているにも関わらず、リアリティ溢れるゼファーの町と住民たち。ああ、興味は尽きない。遠い異国を舞台にした架空の物語であるのに、人々が心に住みついて郷愁を誘われてしまうのである。

 提示される湖の車の謎が、ミステリーとしての太い縦軸なら、少年の成長物語、父と子の物語が横軸としてがっちりと固めている。印象深い登場人物が多いが、特にコーリーの父親。この父親は良いね。こんな父親でありたい、マキャモンならずともそう思わせるような父親像でありました。スーパーヒーローな父親ではなく、自らも悩む父親像。この辺も時代の流れを感じさせる。思わず我が身を振りかえってしまい、息子たちの人生という大冒険の羅針盤にならねば、、柄にもなくそんなことを思ったのである。

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ホット・ロック THE HOT ROCK ドナルド・E・ウェストレイク 平井イサク訳
角川文庫 昭和47年6月20日初版発行 平成10年9月25日改版初版発行
 『踊る黄金像』みたいなノリだったら、即止めて別の本に取りかかろうと思った。ところが、ところが、読み進めるうちにグングン物語に引き込まれて行く。『踊る黄金像』ではひどく軽薄で嫌味な印象しか残さなかったユーモアも、こちらはドンピシャリ。含み笑いの連続なのである。全く人を食った物語で、荒唐無稽もいいところなのだが、ウェストレイクの筆さばきは驚くほど巧みで心憎いばかりだ。読書中はそんなこと露ほども感じさせない。

 ウェストレイク操るところの主人公=犯罪の天才プランナー・ドートマンダーのプランも実に奇抜である。ただただ盗むだけの物語を飽きさせず、舞台設定その他のディテールまで含めて、読者を楽しませるよう十分に考え抜かれているのだ。運転手スタン・マーチ独特の癖、彼の好きなレコード、錠前師の機関車、アイコー少佐とケルプのビリヤードなどなど…。おいしいオカズが揃っていて読むほどに楽しくなってしまうのである。

 それにしてもこの人物たちの怪しいこと。一癖も二癖もある奴等の一挙手一投足にまで心をくばり、エキセントリックな人物たちを縦横に操る作者はホントに凄いのだ。ひとつ残念に思ったのは、多彩な脇役たちに比べて、コンダクターたるドートマンダーがいまいちぼやけてしまっていることだろうか。これとても、シリーズを読み進めれば納得させられるんでしょうね。

 反省しなくちゃならない。小説といえば、重くてドロドロした人間ドラマばかりに目が行ってしまって、この物語に代表されるような軽めの本はどうも敬遠がちだったのだ。解説の中野翠さんじゃないけど、国産の薄っぺらいユーモア物の不味さに辟易して、こちらまで食わず嫌いしていた自分は大馬鹿だったのだな。

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白い殺意 A COLD DAY FOR MURDER デイナ・スタベノウ 芹澤恵訳
ハヤカワ文庫 1995年1月31日発行
 舞台は極北の地アラスカ。植村直己が消息を絶ったマッキンリーの麓に位置する架空のアメリカ国立公園だ。しかも探偵は女性で先住民族のアリュート人。スー・グラフトン、サラ・パレツキー以来、女性が主人公のハードボイルドシリーズは数多出現しているが、アラスカを舞台にした女性探偵物となると別の意味でも食指をそそられる。MWA賞も受賞しているらしいし……。

 別の意味=アラスカの大自然なのだが、アラスカを舞台にしているわりに冷たさがほとんど伝わってこないのである。自然の描写もうまくない。身も凍るほどの強烈な自然を期待していたので肩透かしを食ってしまった。人物描写も浅い。プロットは非常にオーソドックスでほとんど教科書通り(そんなものがあれば…(^^;)。物語の行く先が大体想像がついてしまうので、それほど熱心に読ませる原動力にはならない。人探し、犯人探しだけで物語を引っ張るのは非常に難しいのである。もはやアッと驚く犯人など存在しないし、単純なその事実のみにはあまり興味を感じないのだ。フーダニットでも幾重にも張り巡らしたり、傍系の物語を差し込んだり、考え抜いて物語に厚みをつけているのだ。もちろんこの物語にも、厚みをつけるための要素はある。が、どうにもこちらに熱っぽく伝わってこない。主人公ケイト・シュガックのハードボイルド的痛みもハラワタに染み込んでこない。要するに全体的に中途半端な印象なのである。

 まあまあ雰囲気はあるだろう。そのあたりがシリーズが続いている要因と思われる。ただし、この雰囲気はアラスカの大自然に頼ったもので、決して登場人物たちによるものではない、、だろう。自然描写だって前述の通りなのだけどね。第2作を読むのはいつになることやら。。。この恐ろしく気が強くて突っ張ってばかりいるケイト・シュガックにもあんまり魅力を感じないしなあ。。ま、女性の主人公にはこういうタイプが多いんだけど。う〜ん、他のヒロインに失礼か…。

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凍てついた夜   COLD SHOULDER  リンダ・ラ・プラント 奥村章子訳
ハヤカワ文庫 1996年1月31日発行
 改めて書く必要もないくらいだが、このヒロイン、ロレイン・ペイジは、ローレンス・ブロック描くところの(元(^^;;;)アル中探偵マット・スカダーと酷似している。中でもアル中に関して言えば、解説で桐野夏生さんがおっしゃるようにシリーズ中盤あたりのマットと酒との戦いは壮絶で、その点から見ればラ・プラントは大甘でこれは出来すぎ・・・・特に後半・・・。ただし、ロレインだってアル中を完全に克服できた訳じゃないだろう。シリーズ化しているようだから、そのあたりは二作目を読めばより鮮明になるのだと思う。スカダーシリーズには耽溺した方も多いことだろう。ぼくだって同じ。教会に行く習慣も宗教的背景も無いので1/10税を払ったことはないが、コーヒーにウィスキーをたらして、アルコールをカフェインが中和してるから、などと言いながら浴びる程飲んで気取ったこともあった。う〜ん、やっぱりラ・プラントは甘いなあ。

 さて、物語はいきなりロレインが少年を射殺するシーンからはじまる。それも酔っ払って。当然警察は解雇。家庭は崩壊。なんて冷たい亭主だ、なんてわがままな女だ、と憤慨もしたが現実はこんなもんかも。そして、堕ちゆく女性の先にはお定まりのフルコース。さあ、ロレインはどん底からどうやって這い上がって行くか。どうやってアル中を克服するのか。。ここから先のストーリィテリングは絶妙だ。ページを繰る手を止められないだろう。さまざまな事実が、読者の気を惹くようにうまく配置され、飽きさせることなくテンポ良く展開していく。複雑なプロットも危ういところで踏ん張っている。伏線もうまく張られ、場面展開もスムーズで違和感を持たせない。このあたりはさすが。単なる自己再生ドラマに終わることなく、女性同士の友情物語としても骨太でかなり読ませる。ぼくはこれが一番気に入った。

 だが、しかし、後半には不満がある。納得できないことが多いのだ。特に事件の解決に関わることについては容易には看過できない。更に言えば、もっともっと恐怖を煽る演出があったと思うのだが。サイコ・キラーの扱いも中途半端。動機が納得できない。殺害方法が納得できない。サイコパスの内面にもうちょっと寄り道して欲しかった。これってぼくの読解力不足でしょうか? せっかくのプロファイリングの大学教授一家も中途半端な印象。彼の不可解な発言もあったし…。作者はプロファイリングについて否定的なんだろうか? このあたりの疑問は作者の他作品を読めば解決するのでしょうか? 

 「マットと言います。私はアル中です」 名作『八百万の死にざま』をパクったとしか思えないラストも、まずまずのカタルシスがあって清清しいには違いない。これで良いのだと思うが、中盤から後半にかけてのロレインのアル中に関する心理描写が少ないので、今ひとつ盛りあがりにかけるような気もしてしまう。
 最後にもうひとつ。中盤からのロレインとルーニー警部の関係は、コーンウェルのケイとピート・マリーノを思い出して苦笑いしたのである。やり手の美人には、うらぶれたおやぢが似合うのだな(^^;;;)。

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殺しの儀式   THE MERMAIDS SINGING ヴァル・マクダーミド 森沢麻里訳
集英社文庫 1997年4月20日 第一刷
 読後、真っ先に1998年版の「このミス」を手に取った。巻末の出版一覧にはあるのだが、ランクには入っていない。誰も点を入れていないのだ。あ、たったひとりだけ…。でもこの人って…。まあ、ベスト10級の出来ではないと思うけど、たったひとりしか点を入れてないなんてそんなあ……。う〜ん、敬遠されたのか、無視されたのかは不明だけど、その理由は表紙のまずさじゃないでしょうか? 作者の知名度よりも何よりもこれが原因のような気がしている。第一級のサイコ・スリラーであるのは間違いないのですよ。もうちょっと注目されても良かったのに・・。『羊たちの沈黙』そっくりの表紙。これが原因。そう決めつけちゃえ!

 舞台はイギリス中部の大都市ブラッドフィールド。30歳前後の男性ばかりを狙った殺人事件が連続して発生する。解決の糸口を見つけられない捜査本部はプロファイリング導入を決意。警察と心理分析官とのパイプ役となったのがヒロインであるキャロル・ジョーダン警部補だ。果たして犯人は何者か? 心理分析官トニー・ヒルは警察の全面的な協力を得てフル回転する。

 さて、この展開を「表」とするならば、「裏」の物語がある。表の物語の節目ごとにシリアル・キラーの独白(手記)が挟まれるのだ。時系列から言えば、表のドラマを裏が追いかける格好。客観的事実が表で語られ、裏で強烈なサイコパスの視点から心理を描写する。徐々に二つの時間の間隔が狭まって行く。この緊張感は捨てがたい。二つの時間がどう交錯するか、読者は目が離せなくなるのだ。そこに被さる心理分析官のプロファイリング…。緻密な構成に細かく餌がまかれ、もう唸るばかり。ぼくなんか餌にがぶりと食いついてしまっていたので、538ページ最終行を目にして天を仰いでしまったのである。まんまと作者の術中にはまっていたのだ。修行が足りん(^^;;;)。

 だが、気になることもある。プロファイリングが万能であるかの描出で、これでは今の警察は全く馬鹿の集まり。たたき上げの刑事の代表であるトム・クロス警視の扱いも冷たすぎるんじゃないだろうか。それと終盤。せっかくの素材を揃えたのだから、もっともっと緊張感を高めても良かったような気がしている。何だかとってもあっけなかった。
 さて、この本は作者の最近作『殺しの四重奏』を読むためのウォーミングアップ。かなりスケールアップしているらしいから楽しみ楽しみ。

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シマロン・ローズ CIMARRON ROSE  ジエムズ・リー・バーク 佐藤耕士訳
講談社文庫 1999年7月15日 第一刷
 散漫な印象が強く残ってしまった。消化不良のエピソードが多過ぎるのである。数ある殺人事件の解決にも具体的な証拠がほとんど無い。あるのは、状況証拠による探偵役の主人公ビリー・ボブの強引な推理に導かれた読者の推測のみ。しかも、物語を惹き付けるために小出しにされる数少ない事実も直接的には事件に結びつかないのだ。だから読み手側はなかなか集中力を維持できない。麻薬がらみでも、連邦側の動きを具体的に示してくれないので、幾人か登場する捜査官たちの思惑は推測するしか手がない。なんとかかんとか辻褄は合わせられるのだが、どうもすっきりしない。スピーディとされる場面展開も、誰かがビリー・ボブを尋ねて来るという展開が多くて読む方(少なくともぼく)は少々食傷気味にさえなってしまう。これは狭い街の物語だからある程度仕方ないのだけど…。それにしてももうちょっと工夫が欲しかった・・・。欲張り過ぎだろうか。ミステリーとして読めば、大味な印象は拭い去れないのである。

 ただし、心に傷を抱えた男のドラマとしてならかなり読ませる。
 物語の主人公は41歳の弁護士ビリー・ボブ・ホランド。ネオ・ハードボイルドのヒーローたちは心に傷を持つのが大きな特徴だが、ビリー・ボブの場合は大きな傷を二つ持っている。そのひとつが、ルーカスとの父子物語。これは裏返せばピートとの擬似父子物語になる。そして、誤って射殺してしまった親友L・Q・ナバロ。一番やっかいな怪物である暴力衝動の具現としてL・Q・ナバロの亡霊を生み出すほどだ。その象徴としてのリボルバー。これらとどう折り合いをつけていくか。哀愁漂う濃い描写と相俟って実に味わい深い世界を創り出している。ハードボイルドの王道だ。このあたりには充分に酔わせてもらった。

 さて、タイトルのシマロン・ローズとは曽祖父サムが愛した女性の愛称である。曽祖父もビリー・ボブと同じく暴力衝動を持て余していた。彼の最愛の女性の名がジェニー。通称シマロン・ローズ。サムは彼女に導かれ解き放たれるようにして、なんと伝道師になってしまったのだ! 果たして、ビリー・ボブは解き放たれるのか? 彼のシマロン・ローズはいったいどこに? サムの物語が、ビリー・ボブの現実の物語とシンクロしながら日記として登場して、ビリー・ボブの出口の見えない心情に微かながらも光りを点す…。というように読まなければならないんだろうがこれもかなり弱い、と思う。そこまでサムが入れ込んだシマロン・ローズなら、もっときちんと描出する必要があると思うのだが。どうでしょうか?

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殺しの四重奏 THE WIRE IN THE BLOOD ヴァル・マクダーミド 森沢麻里訳
集英社文庫 1999年6月25日 第一刷
 冒頭からいきなり犯人が提示される。サイコ・キラーがカモを引っかけるシーンから始まるのだ。ぼくはこんな展開がそれほど嫌いじゃない。単なる犯人探しには辟易しているし、突如としてどこからともなく現れる犯人にはもっと辟易させられるからだ。この物語では読者に全てを知らしめた上で展開される、追う側追われる側の丁丁発止の駆け引きが最大の魅力だと思う。サイコ・キラーの異常心理にはそれほどスペースが割かれていない。追う側が焦れながら外堀を固めようとする姿に手に汗にぎり、トニー・ヒルらが旧体制に苛められるほどに物語に没入してしまうのである。全体の印象としては、サイコ・スリラーというよりも警察小説といった方がしっくりくるかもしれない。

 『殺しの儀式』の事件から約一年。キャロル・ジョーダンはジョン・ブランドンに引き抜かれ警部に昇進して異動。職場での軋轢に悩んでいたが、着任早々連続放火事件と目される事件を発掘し、聞きかじりのプロファイリングを使って犯人捜査を始める。一方、トニー・ヒルはプロファイリング・プロジェクトの最高責任者として6人の研修生を迎えていた。彼は研修生にひとつの課題を与える。これがきっかけとなって連続殺人事件が暴かれることになる。

 全体が啓蒙書のようだ。というか、プロファイリングの教科書と言った方がいいか。この物語での連続放火犯とサイコ・キラーの違い。キャロルが単独で行ったプロファイリングが何故犯人像を的確に表さないか。トニー・ヒルが研修生に行う講義と相俟って読者の頭に染み込んでくるのだ。極めつけは演繹的プロファイリングとも言えそうなトニー・ヒルの試みだ。本来のプロファイリングからは逸脱しているような気もして非常に危険なのだが、これを違和感なく読ませるあたりは大変な筆力だと思う。もうちょっとカタルシスを与えてくれたら、とは多くを望み過ぎだろうか。あまりに含みのあるラストで苦笑いしてしまった。

 フェミニストの作者が著した、女性警部を主人公にした警察小説と読むのが正解かもしれないな。

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北壁の死闘 TRAVERSE OF THE GODS ボブ・ラングレー 海津正彦訳
創元推理文庫 1987年12月18日 初版
 やっぱり山を舞台にした小説は良いなあ。。しみじみと余韻に浸っている。ぼくはハードな冒険小説(^。^;が苦手で、それに戦争が絡んだりするとまず手に取ることは無い。元々ミステリー好きが高じてハードボイルドにのめり込んだので、あくまでも冒険小説はその延長線に過ぎないのである。そんな理由もあってか、この小説も未読だった。それを手に取らせたのは「山」だ。秋の南アルプス行きを前にして、山を舞台にした小説が無性に読みたくなったのである。夢枕獏の『神々の山嶺』を再読するのも芸がないので長い間積んであったこの本のページを繰ったわけだ。

 軽い気持ちで読み始めた先には想像を絶する世界が待っていた。文字通り巨大な壁と化したアイガー北壁が主人公シュペングラーの前に立ちはだかる。一旦は精神的な壁を乗り越えたシュペングラーの行く手を阻む物理的な巨大な壁。この壁は自分の前にも立っている。我を忘れて感情移入する。読むほどに息を呑む登攀シーンに時間を忘れた。真夏の公園では暑さを忘れ、芯から凍るような嵐に吹きこめられ一瞬視界がゼロになる。指先が凍る。シュペングラーと共に足場を探し、危うい三点支持で安定を図りながらも足元がぐらつく。登場人物たちの熱い魂に打ち震え、彼らを追うほどに涙で文字がかすれた。そして氷の地獄での熱い恋。このあたりの描写はさりげないのだが胸にズシリと重い。

 ストーリィは実に単純で拍子抜けするほどだが、ラスト直前まで罠には気がつかずじまい。途中で気がつかなきゃおかしいんだけどね。それくらい物語に没頭していたのだ。ヘンケの豹変ぶりや、高所恐怖症のリヒナーの扱い、死にぞこないラッサーの異常な体力…など。信じがたい場面や、結局みんなが良い人、、には首を傾げることもあったが、それらを差し引いてあまりある極寒の登攀シーンだったのだ。ヘンケには前半を引きずって欲しかったけどなあ。

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ネオン・レイン THE NEON RAIN ジェイムズ・リー・バーク 大久保寛訳
角川文庫 平成2年10月10日 初版
 エンターテメントと純文学のボーダーなんだろうか? 『シマロン・ローズ』でも感じたが、結末をきっちりつけず、物語全体が掴みづらいのはこの作家の特徴なのかもしれない。でも、ミステリーならもう少し白黒はっきりつけなくてはならないと思う。物語の前半からダイイング・メッセージのように提示される「象」の謎には、もっとはっきりとした結末をつけなくちゃだめだ、と思う。ラスト近くでいきなり、ロビショーが「象のなんたらかんたら」と口走ったときは面食らってしまった。それに、それぞれの人物たちの裏の行動にも、もっと言及してくれなければと全体がつかめない。別に一から十まで説明する必要は全く無いが、きっちり知りたいという読者の思いには答えなくてはならないんじゃないだろうか?

 文学的といえば非常に文学的で、主人公ロビショーの一人称で語られる内面は良くも悪くもハードボイルドそのものだ。でもですねぇ、、確かに、ハイでハードには違いないが、ロビショーの思索と暴走がどうも結びつかないのですよ。二重人格気味に思え、勝手放題ばかりが鼻についてしまうのだ。高潔で正義感溢れる人格なんだろうけど、身内に甘いのも正義感なの? って言いたくなってしまう。。殺人は殺人、しかも金のための殺人には弁解の余地がないと思うんだけど。このあたりの高潔さはぼくは理解できない。事故だったら少しはわかるんだけどね。

 熱い雨に降り込められる街=ニュー・オーリンズの雰囲気が良く出ていてこのあたりはさすがと思わせる。でも、これだけかな…。元アル中で離婚歴あり(妻には逃げられた)というロビショーのプロフィールも人物設定も、刊行当時は目新しかったのかもしれないが、10年を経た今となってはあまり目を惹くものはない。やっぱりリアルタイムで読まなくちゃだめだなああ。

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スキナーのルール SKINNER'S RULES クィンティン・ジャーディン 安倍昭至訳
創元推理文庫 1997年8月22日 初版
 スコットランドを舞台にした骨太な警察小説シリーズの第一作である。主人公は警視正で後に署長補佐になるロバート・スキナー。読書直後の印象は警察小説の「超健康優良児」だなあ、と。もちろんこれは、良くも悪くも主人公であるスキナーの印象そのままだ。地位も名誉も権力もあるスキナーが、”スキナーのルール”を叫びながら突進する姿を奇異に感じてしまう方は、既に正義が正義として全うされない世の中に毒されているのですよ。

 善悪の彼岸については、もうちょっと突っ込んだ書きこみが欲しい気もした。が、結局これとてもスキナーの個性なのだと納得させてしまうあたりは、やっぱり作者は類稀な人物を創造したのだと変に感心してしまう。警察小説といっても本格物ではない。どちらかといえば、ハードボイルド、中盤からは冒険小説系。この手の作品でここまで明るく力強いキャラクターをぼくは知らない。ネオ・ハードボイルドの悩める主人公に飽き飽きしていたからだろうか。非常に新鮮なキャラクターに思えてしまったのだ。イギリスには、ピーター・ダイヤモンドやダルジールといった同業(^。^;の硬骨漢がいるけど、緻密さ、部下へ指示の出し方、つまり組織の長としての動きを要求される地位にある警官キャラではダントツだと思うのである。

 臆面もなく「善が勝つ」と宣言するところに、この物語のもうひとつの良さがあるような気もする。それも、きっちりと綱引きの全貌を明らかにした上での宣言だからよけいに快感を誘う。そんなに単純じゃないだろ! とは言わずもがな。中盤から後半のドタバタもご愛敬。甘過ぎるスキナーと恋人とのやりとりも、スキナーの人物を語る上では実は重要なのだ。この家庭生活の描写なくしては、どれだけギスギスした人物になったことか。これがあればこそ活き活きしたスキナーが描出できたのだ。

 さて、久々に次を早く読みたいシリーズに出会った。当然次を探しているが、まだ見つからない.。二作目は『スキナーのフェスティバル』。創元の本はなかなか見つからない。もう無いのかもなぁ(;_;)。

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