捜査官ケイト  A Grave Tarent ローリー・キング 森沢麻里訳
集英社文庫 1994年11月25日 第一刷
 美しきヒロインとうらぶれた中年おぢの組み合わせはやっぱり妙なのだろうか。ぼくはハマリ過ぎてずるいと思ってしまう。過去の作品をざっと思い出しただけでも、リンダ・ラ・プラントのロレイン・ペイジ=シリーズのロレインとルーニー、パトリシア・コーンウェルのケイ・スカーペッタとピート・マリーノなどを思い出す。しかし、シリーズが進むにつれて、どれもおぢの処遇に困ったように見受けられてしまうのだ。ヒロインと良い関係を持ち続けるのが難しい。所詮美女の引き立て役でしかない、脇役のおぢをどう扱うか。この物語では、ヒロインのケイトと上司であるアル・ホーキンおぢが同じテーマを持っていたはずなのだが、物語終盤であっさりとクリアしてしまった。これはすごいと思う。コーンウェルなんかよりずっとすごい。というか学習したのかな。

 うらぶれたおぢは、大抵第一作では、傷を持つヒロインと表面的は敵対を装いつつもどこかで彼女を理解し、ヒロインが着実に仕事をするうちにその存在を認め、いつしかバックアップを惜しまない父親のような存在になっていく。もちろん、こうならなければ物語にならないのだけれど、あまりに計算され過ぎた人物配置だと思ってしまうのだ。偶然だろうけど、先に上げた美しきヒロインとおぢの組み合わせ2例が、この物語も含めて、どれも女性の手による作品だということに意味を感じてしまう。女性はそんな存在を欲している、なんてステレオタイプな物言いをするつもりはないが、彼女らが活躍する場は男優位社会の中でも筋金入りの場所だ。だから、こんな影の庇護者の存在あった方がリアリティがあるし、彼女らの仕事をやり易くしているのは間違いない。

 さて、この物語の美しきヒロイン=ケイト・マーティネリには、ネオ・ハードボイルドの探偵のような傷とまではいかないまでも、それに近いライフスタイルがある。ネオ・ハードボイルドがライフスタイル小説などと揶揄されたこともあったが、この物語も、手詰まりをヒロインのライフスタイルで乗り越えようとしたような感がある。なぜ、ケイトはこうでなくてはならなかったのか。ぼくにはよくわからない。伝わってこない。時代を先取りした意味なのだろうか。解放された女性の象徴的意味あいなのだろうか。しかし、頭でっかちなことを考えず素直に見れば、このヒロインはなかなか良かった。

 もうひとりのヒロインである、画家のイヴァ・ヴォーンはケイトと表裏なとても深いキャラだ。このふたりの動向が物語の中心だから、ふたりの形は違えどもテーマは「カミングアウト」かな。まあ、それは行き過ぎとしても顕在化くらいの意味あいかな。自己を自己であると認める、という簡単なようでとても難しい作業。更にそれを表に出すことによって、得られる何かが自己認識と確立を補強するという考えなのだろうか。こうして、イヴァ・ヴォーンの芸術は更なる高みへと向かい、ケイト・マーティネリも自己のスタイルを認め、確立させて更なる成長を遂げる、かな。

 連続幼女殺害事件が起こり、意外な展開を見せてゆく。徐々に見えてくる事件の側面。しかし、中盤で犯人が特定されてしまい、全体としてみればミステリ的な妙味は少ない。後半は地味ながらアクションもあるが、上記に上げたような人間の再生物語に重点が置かれる。買えるのは、連続幼女殺人にありがちな処置を施さなかったことだろうか。この犯人像はなかなかイケてる。深みのある物語なだけに、もう少しテンポよく描いてくれたら、言うこと無しだったのだが。シリーズ化されているので、続きを探したい。アル・ホーキンに幸あれ!

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けちんぼフレッドを探せ!  HIGH FIVE ジャネット・イヴァノヴィッチ 細見遥子訳
扶桑社ミステリー 2001年8月30日 第一刷
 女性バウンティ・ハンター、ステファニー・プラム=シリーズの第五弾。なんだかよくわからないけど、ステファニー・プラムモテモテの巻。毎度のモレリは歯の浮いたような言葉をステファニーに繰り返し投げかけ、今回はなんとあのレンジャーまでステファニーに気があるなそぶりを見せる。で、ステファニーは言っちゃ悪いが、本人は全く意識しない天然お馬鹿丸出し(そこがかわいい(^^;;;)で、守る必要の無さそうな矜持を守り続ける。いや、ホントに得がたいキャラです。

 モレリとレンジャー、この女性の夢をそのまま体現したかのような二人に愛されている(らしい)ステファニーが、今回巻き込まれる事件は、またもや身内の失踪事件だ。作者はミステリ的な味付けもかなりうまくなっていて、適度に複雑で適度にミステリっぽく展開する。ミステリ色の強さでは『モーおじさんの失踪』に次ぐと思う。しかし、真犯人は途中でわかってしまう。その辺は作者も開き直っている、というか伏線がキチンと張られているので、作者のテクニックなのかもしれないが、最後をアクションでまとめる読者サービスを忘れないのは好感が持てたりする。

 しかし、このラスト。世界中の女性ファンがヤキモキしたんだろうなぁ。どっちだどっちだ、って。こういうテクニックはさすがイヴァノヴィッチ。飽きさせないよう飽きさせないよう考えているのがよくわかります。まあ、四巻目でラブラブだった二人がいつの間にか、離れていて、読みようによっては一方的なモレリの感情しか残っていないのを見れば、これも単なる一過性のテクニックだと思うのだが。しかし、しかし…、五巻通読して、すっかりプラム・ファンになってしまったぼくは、行く末がとても気になってしまうのだ(^^;;;。

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ホビットの冒険 上・下  THE HOBBIT J・R・R・トールキン 瀬田貞二訳
岩波少年文庫 1979年10月23日 第一刷発行
 「不朽の名作」「センス・オブ・ワンダーを散りばめた」「これがなければ現在のファンタジー隆盛はなかった」と絶賛される、『指輪物語』の序章。きっかけは掲示板のお客さまの書き込み。うまく、映画『ロード・オブ・ザ・リング』が重なり、子供向けらしいので『ハリー・ポッター』『ダレン・シャン』のように息子と競争するように読めたら、と考えたのが手にとった動機だった。読み始めてわかったのが、子供向けというのは半分真実で半分は早とちりだったということ。この物語は小学5年〜6年向きで間違いない。しかし、『指輪物語』は大人向けだもんね。この春小学5年に進級する長男が四苦八苦している。

 その長男は今のところ、文庫版『指輪物語』の四巻目を読んでいる。彼に、『ホビットの冒険』と今まで読んだ『指輪物語』のどっちがおもしろいか、と聞いたら即座に「『ホビットの冒険』!」とコーテーションマークつきで答えが返ってきた。父親のぼくは『指輪物語』の二巻目を読んでいる。同じ問いを自分にすれば、即座に「『指輪物語』!」と答える。同じくコーテーションマークつきで。……そんな本です。大人の読書に堪えるとは思えない。翻訳も名訳との誉れ高いらしいが、ぼくにはどこが名訳なのかさっぱりわからなかった。それどころか、稀に見る悪訳だと思うんだけど。まあ、ファンタジーど素人の戯言ではあります。

 描写が浅すぎるんですよ。ゴブリンやエルフやドワーフやトロールや、あれやこれやについて。基礎知識が無いからか、さっぱり違いがわからない。ただし、これについては『指輪物語』でも同じみたいだから、理由にはならないかな。ドラゴンもあっさりとやっつけてしまうし、ハラハラの場面でも全然アドレナリンが分泌されない。血湧き肉踊らない。回りくどい文章と、時代劇みたいなセリフ回しが疲れを倍加させる。それでも買えるのが、ドラゴンを倒してから後のドワーフと人間らの争い。作者はこれが言いたくて、この物語を書いたのではないかと思えるほど。解説にあった、2回の世界大戦に例えて云々はあまりに好意的で飛躍が大きすぎて失笑ものだけど。え? それが定説なの? う〜ん、そこそこ人間社会への警鐘になってはいるかな。

 決して、血腥さにだけ惹かれるわけではないのです。しかし、「ファンタジーの歴史的作品」と言われても、門外漢には歴史的な価値などわかりようがない。ファンタジーのど素人の感想としてはこんなものだと思う。子供に安心して薦められるのは間違いないが。「行って帰って来る」という執拗さも良かったかもしれないかな。

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指輪物語1〜4 第一部 旅の仲間  
          THE FELLOWSHIP OF THE RING J・R・R・トールキン 瀬田貞二・田中明子訳
評論社文庫 1992年7月30日 初版発行
 壮大な物語の第一部。当然完結しない。わかっていても焦れる。第一部を映画で見て、第二部の『指輪物語 第二部 二つの塔』から読み始める人も多いんだろう。書店へ行ったら、第一部は揃っていても第二部は売り切れの巻もあったから。

 『ホビットの冒険』でたまりに溜まったフラストレーションが一気に放出する。快感に酔いしれる。めくるめく壮大な冒険物語だ。センス・オブ・ワンダーきらめく風景描写と手に汗握る異世界の冒険の数々、現世界の人種問題を彷彿とさせる旅の仲間9人と彼らの友情、強大な権力を前に揺れる心。どれもこれも深く、示唆に富み飽きることがない一大叙事詩。堪能した。で、今は第二部で手に汗握っている。

 ひとつひとつのシーンが、色彩豊かでとても映像的なのだ。映画を観ていないぼくは、創造力たくましくして、モリアの洞窟やロスロリアンを思い浮かべた。作者の想像力はたいへんなもの。これぞ、センス・オブ・ワンダー。確かに難解な部分も多い。語られる世界の歴史は入り組んでいてなかなか理解できない。これは子供には無理だろう。四苦八苦する小学5年の息子の質問に答えようと舐めるように読んだが、それでも難しい。固有名詞が多すぎるのだ。副読本として事典が欲しいと思ったのは『ハイペリオン』シリーズ以来。ネタバレがイヤなので手は出していないが。

 めくるめく異世界を旅する9人が遭遇する冒険物語は、巷間言われるように、さながらロール・プレイング・ゲームかアドベンチャーゲゲームのようだ。『ホビットの冒険』では冒険のひとつひとつが独立して一話完結してしまい、ともすれば一本調子になる居心地の悪さが気になったのだが、それは子供向けを意識した作者の意図なのだろう。大人向けのこの物語は緩急自在。落としどころも心得たもので、ファンタジーとしてどうかなんて、初心者にはいえないが、20世紀文学の「最高峰」と言われるのもまあわかる。しかし、本当の「最高峰」かどうかは、後続にかかっている。

 翻訳はこなれて読みやすくなった。『ホビットの冒険』と同じ訳者とは思えないくらい。新版を刊行するために行われた推敲の賜物でしょう。溢れる固有名詞は後で交通整理すれば良いのです。ともかく、未読の方は是非ともこの機会に手に取りましょう。

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指輪物語5〜7 第二部 二つの塔
指輪物語8〜9 第三部 王の帰還

          THE FELLOWSHIP OF THE RING J・R・R・トールキン 瀬田貞二・田中明子訳
評論社文庫 1992年7月30日 初版発行
 『二つの塔』の上巻1と2では、フロドとサムは出てこない。メリーとピピンと、行方不明になった彼らを探すアラゴルンらが描かれる。相変わらずの冒険物語。ファンタジックな世界にファンタジックな冒険が次から次へと展開する。ともかく、上巻は比類なきおもしろさ。木の鬚エントとその一族は特筆もの。しかし、冥王サウロンに与したサルマンの処置には拍子抜けした。戦いそのものもいまいち。どうもよくわからん。<BR>
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 下巻に入ってようやくフロドとサムの行く末が描かれる。ここに絡むゴクリことスメアゴル。それこそ数え切れない人物が登場する物語だが、一番印象深いのがスメアゴルだったなんて作者に失礼だろうか。ともかく、ノワールな匂いをプンプンさせる人物なのだ。指輪を見つけた友人を殺して我が物にし、畜生道に堕ちた男=スメアゴル。地下奥深くに住まい、指輪を「いとしいしと」と呼ぶ。しかし、偶然現れたフロドの叔父ビルボに指輪を奪われてしまう。自身の葛藤がいくつもの人格を生んだ妄執の囚われ人。更にフロドとサムに近づいて指輪を狙う。

 『二つの塔』下巻から『王の帰還』のフロドとサムの登場部分では、ゴクリの果たす役割がとても大きい。ターミネーターを思わせるしつこさも良い。もちろん、指輪の始末に関するオチも哀れを誘う。<BR>

 モルドールに入ったフロドとサムと指輪戦争の顛末が描かれるのが『王の帰還』だ。最後には、ホビット庄に起こった事件まで描かれ、よくわからないラストまで一気。しかし、指輪戦争自体は戦術も何も無しでスリルがなくて、冥王サウロンも実体がわからないまま、いつの間にやら平和が訪れていたりする。これも拍子抜けなんだよね。冥王サウロンは一体どうなったのか? ナズグルたちは一体どうなったのか? よくわからない。わからないといえば、ガンダルフは一体何者? サウロンは何者? チラッと見聞きした副読本に正体は書いてあったんだけど、より理解するには他の本も読まなくちゃダメなのだな。<BR>
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 というわけで、何とか一気読みはしたけれど、疑問符ばかりなのです。読み始めた当初は、ファンタジー初心者のぼくには新鮮でどれもこれも楽しかったのだが、巻を重ねるにつれて退屈になってしまった。特に、作者が得意とする言語学的アプローチと、ページに沸騰する詩。詩に関しては、後半はほとんど読み飛ばし。待ち受ける意味不明のラストも混乱しただけ。ぼくには高尚過ぎたみたい。全体がもっともっと長い物語の一部分なのはわかるんだけど……。

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ダレン・シャンIV −バンパイア・マウンテン−  Vampire Mountain ダレン・シャン 橋本恵訳
小学館 2002年4月20日 初版第一刷発行
 巻末の解説によれば、この第四巻のみでは完結せず、六巻目までの三冊で一話完結することになるらしい。読めばまったくその通りで、これだけでの評価は難しい。それでも、新鮮味が薄れた分、作者の乏しい創造力が顕わになってしまったような気がしてしまう。物語としても展開力に欠けるように思う。これは、続く二巻で覆されることを期待するしかない。

 過去三巻ではダレン・シャンがヴァンパイアになった経緯と、そのために起こる種々のトラブルが描かれた。それが新鮮で、人間味を残したダレン・シャンがバンパイアになる姿に胸を打たれたものだ。しかし、この物語では、ダレンがバンパイアになって8年が過ぎたことになっている。ダレンはすでに一人前(半人前?)のバンパイアで、過去三作のような感情移入はしにくい。物語もダレンというよりもバンパイア全体の危機というような展開になりそうだ。

 ダレンはクレスプリーに伴われ、「バンパイア総会」だとかで「バンパイア・マウンテン」へ向かうことになる。途中、狼との交情が描かれたり、謎の足跡などが描かれるが全般に平坦で読むのがつらい。「バンパイア・マウンテン」に到着してからも、マウンテン内部その他が目を惹かない。女性バンパイアをはじめとした多くのバンパイアを登場させるなどして新しい展開を図ろうとしているが、イマジネーションに乏しくて、これもあまり感心しない。個人的には、「総会」だとか「将軍」だとか「元帥」だとかいう単語がどうしようもなく貧弱に感じてしまう。訳のせいではないでしょう。シリーズ初期の輝きはなくなってしまったと思う。

 というわけで、続く巻を期待するしかない。思わせぶりなラストは充分に期待を膨らませる。できれば、今は読まず、第六巻が出るまで待って一気に読んだ方が良いかも。

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温かな夜  GOLD HEART リンダ・ラ・プラント 奥村章子訳
ハヤカワ文庫 1999年10月31日 発行
リンダ・ラ・プラント 奥村章子訳 ハヤカワ文庫 1999年10月31日発行
 どうもリンダ・ラ・プラントという作家が好きになれない。ファンの方には大変申し訳ないんだけど、なんというか、生理的に合わないとしか言いようがない。作品を読んで作家の人間性まで判断されちゃかなわないんだろうけど、そこいらあたりがぼくと合わないみたい。別に扉にあったご本人のくわえ煙草の写真に影響されたためではなくて、ヒロインであるロレイン・ペイジの人物造型や物語からそんな風にぼくには伝わってしまうのだ。ロレインに限らず、細かな人物描写が神経に障る。どこがどうというわけじゃないけど、いちいち嫌らしく思えてしまう。

 ロレイン・ペイジを主人公とするシリーズもこれが三作目。一作目はブロックのスカダーそのもので、『八百万の死にざま』を思い出したもんだ。しかし、それにしてはきれいで、巷間いわれるほどの「汚れ」も感じられず、悲劇のヒロインになりたがるロレインの内面の甘さばかりが目立った。二作目は全体に冗長で駄作。質の悪いロマンス小説を読んでいるよう。……と、ここまで貶して、なんで三作目を読んだかと言えば、シリーズ物が好きな読書傾向がロレイン物の最終巻を放っておけなかったから。

 ファンには堪らない最終巻だったことだろう。しかし、ぼくは疑問符が一杯。なんでずっと静かにしていたアノ兄弟が突然動き出したのか? それだけでなく、前半部から疑問が一杯。普通の探偵なら、いの一番に問いただすであろう事件の核心に迫る疑問をいつまでも放っておく。挙句、人が死ぬ死ぬ。なんでもかんでも死なせればいい? ご都合主義だよなぁ。ロレインの罪と贖罪はよくわかるのだが、ここまで痛めつける理由もよくわからない。サディスティックに思えてしまう。華々しい最終巻を狙ったスケベ根性が見え見え? ああ、ファンの方すみませんm(__)m。

 ひとつだけ買えるのが潔さかな。いつまでもダラダラとシリーズを続けようとする作家が多い中で、リンダ・ラ・プラントさんの潔さは気持ち良い、なんて。実は、この点も穿った見方をすれば作者の限界のようにも思えるんだけど……。でも、ああでもないこうでもないと、ひとつの題材を弄くり倒す作家の中では出色だったかもしれない。

骨のささやき  BONE DEEP ダリアン・ノース 羽田詩津子訳
文春文庫 1999年7月10日 第一刷
 形質人類学者という「骨」を扱う女性学者を主人公にしたミステリ。グァテマラの発掘現場から書き起こされ、かなり期待できる雰囲気だった。アーロン・エルキンズのギデオン教授物のような展開を期待した。しかし、発掘調査中にヒロイン=アイリス・ラニアの父親が銃撃されたとの報が入り、アイリスはニューヨークに飛んでしまう。舞台はそのままニューヨーク。ちょっとだけグァテマラに戻るがそれもわずか。

 厳格な父がなぜ銃撃されなければならなかったか、という謎を中心に据えて、父と母と娘のと展開する物語はそれなりに読ませる。しかし、奥行きな少ない。残念ながら、ストーリィも人物も半端で散漫な印象しか残らなかった。ヒロイン・アイリスがちょっとひどすぎるような…。優秀な頭脳を持った女性科学者という設定なのだが、父の銃撃を巡る謎に翻弄される姿は、まったくのバカとしか見えない。誰が見たって読んだっておかしな人物配置が最後まで影響したのだろう。まず人物一覧である程度想像できてしまう。物語が進んで登場人物が増えるに従って、それぞれの役割が仄見えてしまう。かくして、読者が薄々感づいているのにヒロインはまったく感づかないという、ダメなミステリのお手本が展開する。

 一見、父と娘の物語のように見えるが、作者は母と娘の物語として書いたはずだ。しかし、これも作者の掘り下げが甘くて、大切な母親の痛みが伝わって来ない。この母親の人物造型にはちょっと無理があるような……。主役級だけでなくて、脇役を見ても、それぞれのエピソードと共に、それぞれが点に過ぎず太い線になってストーリィにうねりを起こしてくれない。冗長なだけだったりする。聞けば、作者二作目の作品だとか。多くを望んではいけないな。

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ダレン・シャンV -バンパイアの試練-  ダレン・シャン 橋本恵訳
小学館 2002年7月1日 第一刷
 たいへんなペースで出版されている。比べて申し訳ないが、ハリー・ポッターの四巻目はやっと10月に出るそうだから、たった一年で五巻目とはたいへんなペース。まあ、本の厚さが比較にならないから。ついでに内容も? 物語が進むにしたがって、シリーズ当初のきらめきが薄れてきているのは間違いない。はっきり言えば、ハリー・シリーズとは大きく水を空けられた感がある。物語の深みもミステリ的妙味も何もかも。次巻を読んだら追いかけるのをやめてしまうかもしれない。そうそう次は10月だとか。

 この巻は、前巻でダレンに課せられたバンパイアの試練が中心になる。申し訳ないが、この試練は誰でも思いつきそうな「○○十番勝負」的ノリでおもしろくもなんともない。これでもかとハリーの肉体を苛めて、この作者マゾじゃなかろうかと思ったくらい。しかし、主人公ハリーにはある程度の予定調和が約束されているから、大人が読んでも少しもハラハラドキドキしない。誤解のないように補足するが、小学五年生の息子はかなり気に入ったようだ。次回作を今から楽しみにしている。もちろん、ハリー・ポッターも、だけど。

 ぼくがこのシリーズを買っていたのは、悪であるバンパイアを主人公にして、善悪の揺らめきを描いているからなのだ。人間から半バンパイアになってしまったダレンの哀しみに揺さぶられたからなのだ。この物語は人間と接触しなくなって途端に面白みがなくなった。ダレンらバンパイアを正当化するために、作者が創造したバンパニーズとの善悪の対比は、人間との対比とは比較にならない。最終章で目を見開くシーンに出会うが、それとてコップの中の嵐。期待は薄い。(息子は大興奮ですので、念のため)

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