2001年1月31日(水) 「レス確実」掲示板には書きたくない

▼出会うたびにため息をついているウェブサイトがあります。別に、どこのどのウェブというわけではないんだけど、掲示板の説明というか、ひとことというか、妙に気になってしょうがないんですよ。 ▼つい最近もあった。あるウェブサイトで、時間が経つのを忘れて読みふけったことがありました。これだけ読んだんだからひとこと挨拶して行こうかと掲示板を探したら、この文言が目に付いてしまったのです……「レス確実」 これで一気に気持ちが萎えてしまった。 ▼運営しているご本人たちに他意はないと思いますよ。単純に「必ずレスを書きます」という意思表示なんでしょう。でも、へそ曲がりなぼくは「レス確実」だから書き込みをしようという気持ちには全然なれないんです。それどころか、書き込みしてくれた人たちに失礼なんじゃないかとすら思うのだ。足元を見るんじゃない! って。 ▼だってね、例えばぼくのようなそのウェブを知らない人間が見れば、掲示板に書き込んでくれている人は、みんな「レス確実」に釣られて書き込んだように見えるから困ってしまうのです。通りすがりの人は、知らない掲示板に寄せられた他人の発言なんてほとんど読まないから問題ない、と言って言えないこともないけど、敷居を低くしているようなことを書いているくせに、実は高い壁を作っているような気がしてしまうわけです。「レス確実」に釣られて書き込む人なんてほとんどいないでしょう? ▼物欲しくて書き込みをするんじゃないんだけどな。なんだかとっても浅ましい感じがしてしまうのです。レスって当たり前じゃないの? 大いなる誤解があると思う。こんな感覚、おかしいかな? 考えすぎ? そういう人たちって、どこかで書き込みをしたときにレスが無くて寂しい思いをしたのかな? 

2001年1月30日(火) 20世紀最大の電気製品

▼小学3年生の長男の今日の宿題は、「昔の道具調べ」だ。B5のプリント二枚に、それぞれ「道具の名前」「絵や写真」「何をするために使うのか」「どのように使うのか」「いつごろ使っていたか」「今の道具とどんなところがちがうのか」を埋めて提出するのだ。 ▼長男が母親のアドバイスを受けて選んだのが、「白黒テレビ」と「せんたく板・タライ」。せんたく板って、カミさんの発想見え見えだよね。確かに、洗濯機の発明は主婦には大変な朗報だったのだ。家族四人ともなれば大変な洗濯量。毎日、あれだけの衣類を手洗いする労力は想像を絶する。主婦らしくっていいや。 ▼ぼくは、家族と話しながら年末のラジオ番組を思い出していた。すでに詳細は彼方だが、「20世紀最大の電気製品」というテーマで、リスナーから投票を受け付ける番組だった。20世紀に発明された電気製品で、最高最大のものを上げるわけ。ぼくは直感でテレビか冷蔵庫のどちらかと思った。だって、両方とも根本的に庶民の生活を変えたでしょ。 ▼クルマを洗いながら聞き取った結果は、3位「冷蔵庫」、2位「パソコン」、1位「電子レンジ」だった。大掛かりなアンケートじゃなくて、ラジオの番組中という限られた時間内に投票された結果だから、あまり意味のないものかもしれない。それでも結構興味深いですね。 ▼ぼくが驚いたのは、パソコンが電気製品のカテゴリに入れられていること。これも時代の流れだよねぇ。きっと投票した人の年齢層が若いんでしょう。1位の「電子レンジ」は、わからなくもない。3位の「冷蔵庫」で長持ちさせたものは、昔は冷たいまま食べなくちゃならなかったんだもんね。今や、チンすれば作りたての暖かさで食べられるんだから、革命的な発明ではあるでしょう。 ▼でも、やっぱりぼくは「テレビ」だと思うな。どこのイベントであろうが、場合によっては世界中同時に中継がすることができてしまう。これは大変なこと。それより何より、すっかり生活が変わってしまったもんね。因みに、ぼくはテレビの最大の特性は「ライブ」だと信じて疑いません。

2001年1月29日(月) だからマンションは嫌なのだ

▼マンションの住人同士で揉めている。上の階の子どもたちが走り回る音がうるさくて、気の休まるときが無いと下の階の住人が訴えているのだ。昨年末、マンションの管理組合のクソ理事長職最後の仕事がその仲裁だった。 ▼上の階は小学校3年生女子、1年生男子、幼稚園年中男子の3人兄弟。この3人が廊下を走り回る、ボール遊びをする、和室の押入れから飛び降りる、とやりたい放題で、下の階の妊娠中の奥さんがノイローゼ寸前だったのだ。かなり前からやりあっていたらしく、管理組合総会で顔合わせしたときの険悪なこと。 ▼さて、どう仲裁をしたか。管理組合総会で、懸案だった修繕積立金半額案を可決したあと、旧理事と新理事の合計10人で双方の言い分を余すところなく聞いた。で、そのあと、下の階にお邪魔して上の階で走り回る音を聞いたのだ。この方法は結構採用されるらしい。当事者同士でやりあっても埒があかないので、第三者に判断してもらおうというもの。 ▼いやあ、うるさかったっすよ。さあ、走れ! と言われても普段通りにはできないだろうに、それでもあれだけの音がしていたんだから、神経質な人にはかなりのダメージだと思う。聞けば、争いがエスカレートして、下の階が天井を棒きれでぶんなぐる、上の階がわざとドタドタやる、という行為が頻繁に行われていたんだと。なんだか最悪(^^;;;)。 ▼これね、ウチのカミさんが両方の奥さんと知り合いっていうか、友だちなんですよ。「どうですか?」と両方からすがるような視線を向けられて、最低の気分だったなぁ。でも、正直に言ったけどね。まあ、ここまで抉れたら何を言ったってダメですよ。幸い、10人中半数以上がうるさいと思ったようで、上の階の人も素直に聞き入れていた。具体的に、ここまでは勘弁して欲しいとか前向きな話合いが行われたから良かったかも。 ▼でもねぇ、子供はうるさいもんですよ。その下の家族だって、もうすぐ二番目が生まれるから、この先どうなるかわからないでしょ。下から苦情が出るくらいうるさくなるかもしれない。集合住宅はある程度我慢しなきゃダメなのよ。一日中、息を潜めて、抜き足差し足で家の中を歩くような生活は耐えられないよ、ぼくなら。 ▼さて、下の階の奥さんが妊娠中毒症で入院中なので、ここのところ静かだったが、先週の土曜日に退院したらしい。奥さんの精神状態は不安定で、子供が生まれたら更に不安定になるよね。こりゃ、再燃する可能性が高いな。すでに理事長は違う方になっているから、ぼくに持ち込んでこないでね。つくづくマンション生活は嫌だ、と苦りきった20世紀末だったのだ。末期とはいえ、バブルマンションに未来はないよ……。だれか借金ごと買ってくれんかな(^^;;;)。

2001年1月27日(土) 残業中、Q2経由でH画像をDLするヤツ

▼ウチのタコ社員が、会社からダイヤルQ2のサイトに10時間も接続して約3万円の請求書が届いた。ネットでQ2といえば当然H系サイト。使えば請求が来るに決まってるんだからどうしようもないアホやん。先週末はシラを切りつづけるタコ社員に、正直に吐いたらどうだ! と詰め寄っていたのだが、今朝になって花さんのサイトを見てびっくり。 ▼ツーショットダイヤル詐欺である。これはおっかないな。早速調べてみると出るわ出るわ。詐欺の手口としては、電話した先に適当な理由をつけさせて、ある電話番号をプッシュさせるのが多いみたい。カミさんに注意を促がしましたよ。例え、NTTと名乗って電話があっても、絶対に言いなりになってはいけないって。もっと調べてみなくちゃ。 ▼でも、Q2は弁解のしようがないと思うぞ。こっちからかける意思がなければつながらないんだし。ぼくだって会社からネットにアクセスして、馬鹿でかいソフトをダウンロードしたり、掲示板にRESもすることがあるから説得力に乏しいのは自覚している。会社の資産を個人の目的で使用する、しかも電話料金などを会社持ちにさせて利用する点からみれば、会社でソフトをダウンロードするのも、女の裸をダウンロードするのも同じことなんだな。これは正しい。会社でH画像を見ないのはぼく個人の矜持。 ▼ところが、いつでも会社からネットにアクセスできるんだから、あれもこれもダメと言ったところで禁止できるはずがない。個人的なネット閲覧を規制しようったって、現実には無理な相談なのですよ。かといって放っておくのもまずい。個人で使うソフトのDLがOKで、H画像のDLがダメという論理は成り立たない。強いて言えば、無修正のH画像は違法だから…?。じゃあ、修正画像なら許せるか…。 ▼会社に見つからないようにやればいいんだ、とも違う。個人の自意識というか美意識というかダンディズムというかモラルというか…。線引きの上か下か、右か左か。こりゃ難しいや。

2001年1月26日(金) 子離れ、初めの一歩

▼やっぱりオフ会は楽しいなぁ。地元春日部では、気安さも手伝って企画されるたびに参加しているが、FADVのオフは何年ぶりだろう? 2年ぶり? というわけで、昨夜は、遠く福岡から初対面の賓客を迎えて、総勢5人のこじんまりとしたオフが執り行われたのだ。 ▼飲酒厳禁のはずが、あんまり気持ち良かったもんだから、酒がすいすい入っちゃって、結局焼酎をロックで5杯も飲んでしまった。まったく飲めない女性もいたから、あれでワリカンってのは不公平だったなぁ…。ごめん>パセリ。ワリカンって常々不公平だと思っていたけど、今回のぼくはもっと自制しなければならなかった。 ▼9時に帰るつもりがペラペラダラダラ飲み続けて、とうとう終電ギリギリ。なんとか間に合ったまでは良かったが、考えてみれば大宮からの野田線がない。幸い大宮駅はタクシーが豊富なので、名物のストリートミュージシャンががなりたてるヘタクソなビートルズナンバーを聞きながらコンコースに40分並んだ。帰宅は午前2時でありました。 ▼帰宅したぼくが直行したのは長男の部屋だ。何しに行ったかというと、最近、小学3年生の長男が自室で寝起きするようになったので、酒臭い息で長男に布団をかけ直しに行ったわけ。おもしろいもんで、あれだけ寝相の悪かった長男が結構ちゃんと寝ていてびっくりだ。……臭い話題転換ですまぬ。 ▼子供が自室で寝るようになるなんて、たいしたことないと思っていたけど、親としては思った以上に大きな出来事でちょっと驚いている。本人は毎日ウキウキらしい。9時には自室へ入ることと、遅くとも9時半には寝ることを約束した以外は縛りがないんですから。 ▼因みにぼくは、小学5年生からだった。実家は12畳の部屋が6つと、6畳の部屋が4つあって、その他かなり広い作業場があるという田舎家。自室として与えられたのは狭い階段を昇った先で、隣が亡くなった曾祖母の部屋で下が祖母の部屋という好条件(^^;;;。その上、トイレが遠く玄関にあるので、ひとりで行くにはかなりの勇気が必要だった。ともかく怖い部屋だった。 ▼長男は4月に進級してからひとりで寝起きする話が出来ていた。だが、次男のライフサイクルと合わない場合が多く、性格的には自立心に乏しい…。これは母親の言ですが…。ともかく、あれやこれやで四六時中母親と言い争いをしているわけです。見かねた父親が9時以降についての折衷案を出した格好なのだ。 ▼毎日目を真っ赤にしているから、なかなか寝ないんだろうな。生まれてから9年の間、毎日同じ部屋で寝起きをしてきた子供が、ふと見れば定位置にいない…。親に課せられた子離れの第一歩みたい。寝相の良くなった長男の方が、本能的に自覚できているのは間違いなさそうだな。

2001年1月25日(木) 失くした恋の喪に服す…

▼ある朝、女子社員が泣きながら出社したそうだ。原因不明。一日半泣きで仕事をしたらしい。夕方になって上司が、どうしたの? と質問したら、再び滝のように涙が溢れて止まらなくなった。もちろん、理由なんか言うわけがない。その上司の狼狽することすること。 ▼彼女は、それからも毎日陰鬱な顔で必死に出社していた。だが、とうとう今日、朝のタイムカードを押して早退してしまった。おぢ達は邪推するわけですよ、男だろうって。漏れ聞こえてくる話を総合すればビンゴなのだが。 ▼とても真面目な女子社員で、今まで休んだことがない。まったく私語を発さず、静かに黙々と仕事をこなしている。悪い言い方をすれば、存在感の薄いタイプ。たまに輝くばかりの笑顔を見せるが、回数がとても少ない。一部では、会社が気に入らないのか? と危惧する声もあった。ま、おぢ達の勝手な言い草と笑ってください。 ▼正直言って最も怖いタイプかも知れない。これが世慣れた子ならば、有無を言わさず休んでしまうんだろう。以前の例だと、1週間以上休んだ女子社員がいたな…。表向きは病欠だが、事実は違ったらしい。あまりに真面目で、たぶん自分に厳しすぎるから素直に休めない。 ▼実は、ぼくはこのあたりには寛容なのです。社会人なんだからどうとか、責任があるんだからどうとか、四角張った杓子定規な考えは好きじゃない。たいていのおぢは失恋くらいで! ああ、これだから嫌なんだ、と切って捨てるだろう。でも、考えてみれば、肉親の死に匹敵するくらいのストレスなんだよね。遠い日の花火を思い出すべきなのよ。などと離婚経験のあるぼくは思うわけです。失くした恋の喪に服してもいいんじゃないかと。おぢが気持ち悪いが…(^^;;;)。 ▼かなりの大甘でしょう。だけど、恋の痛手は泣いて泣いて時間の経つのを待つしかない。逆に、あの存在感の薄い彼女がそれほどに熱い恋をしていたなんて、おぢは嬉しくなってしまう。忙しく働くことで忘れることのできる苦しみなんて、実は大した苦しみではないと思うわけです。

2001年1月24日(水) わたし作る人、ボク食べる人

▼「わたし作る人、ボク食べる人」 確か、ハウス食品だったよね。このインスタントラーメンのCMが流れるや抗議が殺到して中止になったのだったな。ウーマンリブの時代。敏感な人はそこここにいるのですね。今だから言えるのだろうが、個人的には「ボク作る人、あたし食べる人」でもかまわないと思っているから、過剰反応だと言ったら怒られちゃうかな。 ▼いきなり話は飛ぶのだが、最近は次男坊がテレビを占領して、朝から晩までビデオを見続けている。何一つ目新しいものは買い与えてなくて、全てが長男のお下がりである。たまに付き合ってみていることがあるのだが、知っている人は知っている「しまじろう」のビデオにおもしろいシーンがある。 ▼クリスマスイブである。トラのしまじろうは、クリスマスツリーの下に置いてあるプレゼントを見てウキウキ。すると突然、ツリーに飾ってある飾り物の家に吸い込まれてしまう。中では人形たちがお腹をすかせて待っている。しまじろうにご馳走を作ってくれと言うのだ。不安ながらも、しまじろうは食器たちの手を借りて、なんとかクリームシチューを完成させる。 ▼さて、ご馳走を待っていた人形たちは大喜びで食べ始めるが、非常に行儀が悪い。食事中うるさくしゃべる、にんじんを出してしまう。見かねてしまじろうが注意すると、「いつもしまじろうがお父さんお母さんに言われてることじゃない」 と人形たちに笑われる。こうしてしまじろうは親の気持ちを少し知る。というお話だ。 ▼そしてラスト。両親と食卓についたしまじろうは、驚くほどの食欲を見せる。両親は大喜びである。そこで、しまじろうがキメの言葉を言うのだ−「だって、お父さんとお母さんが一生懸命作ってくれたんだもん」 途中にも、太ったでっかい父親トラが背中を丸めてキッチンに立つシーンがあったり、もう至れりつくせりである。 ▼時代と言ってしまえばそれまでなのだが、はっきり言ってぼくはこのシーンが嫌らしく感じてしまうのです。いかにも、これが家庭のあるべき姿であるかのような理想の押し売り。現実を見れば、キッチンに立つ父親は稀でしょう。キッチンに立つことの多いぼくですらそう思う。「オフクロの味」なんて気がつかないうちに死に絶えてしまったのかな。「オヤジの味」なんて、思い出したって懐かしくもなんともないと思うのだが。

2001年1月23日(火) 水樹和佳、そして内田善美

▼FADVの花さんから送ってもらった水樹和佳子『イティハーサ』が、ぼくの睡眠を奪い続けている。昨日も、気がついたら午前1時。人間は寝貯めができないからねぇ。こんな忙しい週に手をつけるべきではなかった、と後悔しても時すでに遅し。明日と明後日は正念場だから自粛せねばな。 ▼自分の読書歴にも書いているが、ぼくは無類の少女マンガ好きである。等しく少年マンガにも接したが、耽溺したのは手塚治虫と大友克洋くらいで、それ以外はほとんど受け付けない。それに引き換え、少女マンガにはご贔屓作家がたくさんいた。くらもちふさこ、萩尾望都…etc、そして水樹和佳(現在は改名して和佳子)だ。▼『樹魔・伝説』ね。熱狂しましたよ。ネットをはじめたばかりのころ、偶然水樹さんのサイトを知って、思わずファンメールを出したことがあった。もちろん返事なんて期待するわけがない。ところが、ご丁寧にも水樹さんが返事をくれたのですよ(^-^)(^-^)。これぞインターネット! 感激しましたね。その後、彼女のサイトでプレゼント企画があって応募したら『イティハーサ』の単行本が当たったり。それを送ってもらったときの書籍小包の宛名、絶対に水樹さんの直筆だ! とカミさんに言い放って、わが家の家宝にしてあります。 ▼だが、高校時代に「別冊マーガレット」を定期購読し、大学時代は「ぶ〜け」が愛読誌だったぼくが最も愛した漫画家は、残念ながら水樹和佳さんじゃない。誰あろう、現在は筆を折って久しい内田善美なのだ。これも読書歴に書いてたな。内田さんの著作は全部持っている。単行本から豪華本まで全部。一番好きな『空の色ににている』は何度も読み返してすでにボロボロ。読むたびに新しい発見があってすばらしい作品だ。 ▼断筆直前の『星の時計のLiddell』や『草迷宮』はかなり難解で、すばらしい絵と独特の世界が芸術的ですらあった。絵のうまい人は書けなくなることが多いとか聞いたことがある(江口寿史?)。前述の内田さん後期の作品を読み返すと、筆を折ったのもなんとなくわかる気がしてくる。創作の苦しみなど知りようがない。それでも、ああいう精神世界に生きていたなら、さぞや苦しかっただろうなどと勝手に思い巡らせてしまうのである。

2001年1月22日(月) これじゃあモテるわけがない…

▼結婚前に些細なことでよくカミさんとケンカしていたが、中島さんの著作を読んで少しは理由がわかったような気がした。 ▼例えば、「電話するから」と彼女から約束をしてくる。ぼくは電話があると思って、電話の前でずぅ〜っと待つまではしないが、それとなく気にしながらその日を過ごすのだ。それが夜ならば、風呂に入っている間に電話があってはまずいのでわざわざ電話を風呂の近くに持ってきたり、ちょっとの外出にも走って行って来たり、トイレの時間も気にするほどに。 ▼ところが、待てど暮らせど電話は来ない。徐々に頭に血が上ってくるわけ。居場所がわかればすぐにでもこちらから電話するのだが、不明の場合はどうしようもない。悶々とした一夜を過ごすのである。 ▼翌日になってやっと連絡が取れる。詰問口調になってしまうのは仕方ないでしょ? ここでどういう言い訳を聞くかというと、たいていは「忙しくて電話している暇がなかった」ですよ。これがたぶん、一般的な中島さんの言う「マジョリティ」ならば不承不承納得するのかな。どれほどに忙しかったのかこちらはわからないし、電話ができないほどの忙しさなら自分も経験があるし、相手を思いやらなければならないし。 ▼でも、ぼくはこの言い訳がものすごく嫌いなのです。電話なんて、1分もあればできる。いやいや、10秒もあればできるでしょう。時間は作るものだと思っているぼくは、なぜその10秒や1分が作れなかったのかどうしても聞きたいわけです。 ▼ここで反省があるとすれば、自分ならばどんなに忙しい状況でも1分くらいの時間は必ず作ることができる。だから、誰だって作れるはずだ、と思い込んでいることかな。だから、延々と詰め寄ってしまうのだ。「会議だったの? ずっと? あ、午後から外出したんだ。公衆電話くらいあったろうに…」こちらはそれを説明して欲しいのだ。 ▼嫌なヤツだよなぁ>自分…(^^;;;。最終的にはどうなるか。「忘れてたの。もういいでしょ!」。シツコイなこの男は…、という目でギロリと睨まれる。もちろん、これ以上の言葉は受け付けてもらえない。彼女は黙り込んでしまう。自分がどうしようもなく矮小な人間になったみたいで、実際、そういう時の自分は情けないほど矮小には違いないんだけど、彼女はとにかく理由は不明だけど「わかってよ」みたいなシグナルをピカピカ点滅させているのだ。ところが、こちらにしてみれば、全然わからない。その「わかってよ」の意味が全然わからない。わからないのにわかっているフリができない。はっきりと<対話>を拒絶されてしまう。ま、ご想像の通り、裏には色々とあったわけだが…(^^;;;。 ▼中島さんの言う<対話>と意味が違ったか…失礼。誤解しないで頂きたいが、実は男女間に限ったことだけではないのだ。ぼくは「忙しくて○○している暇がなかった」という言い訳が大嫌い。そんな言い訳を聞こうもんなら、延々と追求の手を伸ばすのだ。たいていは、相手から拒否してくるんだけど…。あれ? やっぱりつながってたのか…。

2001年1月20日(土) 1コマ45分に挑戦する教師

▼長い長いと聞いていたが、あれほど長いとは…。今年から、長男の授業参観が年に1回になって、今日がその参観日だったのだ。予備情報としてぼくの頭に入っていたのが、担任のE先生は授業が長い。休み時間をつぶして授業を続ける、トイレに行きたい人だけ行かせて授業を続ける、だった。そういえば、土曜日なんか、他のクラスの子どもたちが帰ってきているのに、ウチの子のクラスだけ帰ってこないなんてことが何度もあったな。 ▼見た授業は、理科で「電気の通り道」というテーマ。懐中電灯の改良版みたいな簡単な装置を児童ひとりひとりに手渡されてそれを組み立てる。片方の電極からは電球まで線が伸びていて、もう片方は電球までがつながっていない。その間にいろんなものを挟んで、さて電球がつくのかどうか、という実験を各自がしたわけである。 ▼授業の時間はたいていが1コマ45分である。E先生は、ストップウォッチを用意している。装置を各児童が作る時間、それぞれが電気が通るか調べるために持参した道具で通電実験をする時間、最後のまとめをする時間、にアラームが鳴る。わりとスムーズに運んだが、最後のまとめに用意されていた時間は終業ベルまでの10分間だった。 ▼その10分間に、電気が通ったもの、通らなかったものを挙手の上で発表する。それを踏まえて、通電するものとしないものの特長を考えされるわけですよ。途中で、これは無理だ、って思いましたね。E先生は完全に確信犯だって。予想通り、中途半端でもある程度のまとめが出来たのは終業ベルから15分も経ってからだった。約1時間の授業。廊下や教室から父兄のボヤキが聞こえる、1組は長いネェ、って。 ▼帰宅した長男に聞いてみると、E先生だけなんだそうだ。他の学年や他のクラスでは、こういったことはほとんどないらしい。当然のように不平タラタラである。もちろん、その通りだと思う。決められた45分の間に、きっちりと組み立てた授業するのがプロの教師なんだろう。休み時間だって大切なんだろう。 ▼でも、ぼくはかなり好意的です。それがクセになっている部分は少なからずあるとは思うが、45分って短いですよ。ぼくは学校時代に、話の途中であろうと何であろうと、終業ベルの3分くらい前には教科書を閉じてしまう教師に何人も遭遇しましたが、そういう教師たちよりもずぅ〜っとよろしい。だから、教育熱心な先生だ、とはつながらないが、見ている限りでは、ダラダラと授業を進めた結果の時間オーバーではないから。見ようによっては、確信犯だからもっと始末が悪いとの意見もありそうだけど…。

2001年1月19日(金) 砂糖に群がるアリだよ

▼世の中マイライン、マイライン、とものすごくうるさい。営業の電話がかかってくる。複数の取引先が、ウチを使ってくれと詰め寄ってくる。そうかと思えば、カミさんの友だちから電話が入る。「オタクのご主人はパソコンとかやってて詳しそうだから、どこの何に入ったらいいのか教えてくれない? さんまがCMしてるあれでいいの?」ってな具合である。 ▼カミさんの友だちには、そんなに切羽詰まったように急ぐ必要ないんじゃないかと伝えてもらった。だって、サービス開始はまだまだ先だし、それを過ぎて登録料がかかるといっても数百円でしょ。マスコミに煽られるだけ煽られて、尻に火がついたように踊らされるなんてちょっと情けないよ。 ▼現状のNTTのサービスを研究して、その上でマイラインのサービスをよく勉強して(ぼくもよく解らなかったりします(^^;;;)からでも遅くないのだ。まあ、そういう人たちには無理な相談なんだろうけど…。だから質問してくるんだよね。その彼女は「エリアプラス」も「タイムプラス」も「ケンタくん」も知らないのよ。1月10日から市内料金が下がったのも知らないし…。ネットやってるわけでもないから、そんなに電話料金を下げたいんなら、無駄な電話をやめるのが一番の近道だと思うのだが。 ▼営業の電話は怪しそうなものばっかりだ。ある日電話を取ると「ウチはNTTの専属代理店ですから、オタクにつけてあるアダプタを外させてください。いつがよろしいですか?」ときた。そんなこと言われてもね、サービス開始は5月なんだから今ごろ外してどうなるの? と聞くと説明が要領を得ない。面倒臭くなってもっと近くなってから電話くれ、と言ったら怒ったように電話が切られた。 ▼向上心のあるヤツなら、理由を聞いて糧にするんだろうけど、元来過剰な営業が嫌いで、特に電話による営業が大嫌いなぼくは自然と冷たい声になっていたのかもしれない。何か意味があるのかな? 失敗だったか…。 ▼中にはマイラインでNTTが倒産するとか言っている人もいるらしい。こんなダンピング競争の業界にあって、これだけわけのわからん代理店がうじゃうじゃいて、彼らは一体どこで利益を取るんだろう? と疑問に思わずにいられない。そう考えれば、電話料金はもっともっと下がるのだな、と直感してしまうのだ。 ▼しかし、ISDNは鬼っ子だったのかな。ADSLが普及すれば、ISDN加入者なんていなくなるでしょ? ホント、凄まじい時代だわな。新しいものにすぐに飛びついちゃダメなんだな。わかっているんだけど…。

2001年1月18日(木) チャイルドシート使ってますか?

▼「6歳未満の子供を車に乗せるときはチャイルドシートをつけること。違反したドライバーには違反点数1点。構造上チャイルドシートの着用が不可能、病気や肥満のためにチャイルドシートをつけることができない子供を乗せるとき、授乳やおむつ換えなどの際、緊急に医療機関に運ぶ際など、やむ終えない理由がある場合や、事業用のバスやタクシーは対象外」 ▼昨年の4月1日、道路交通法が改正されて上記のような内容が加わったのは周知の通りだ。でも、助手席で赤ん坊を抱っこしている人がものすごく多くありませんか? 皆さんの周辺で捕まった方いらっしゃいますか? 罰金が無いから警察も熱心じゃないって聞いたことがあるんだけど…。 ▼だいたい、「病気や肥満のために〜」の病気ってなんのことでしょ? 「緊急に医療機関に運ぶため」の抱っこは別項で認めているから、そういった急病を指すわけじゃなさそうだ。じゃなんだ? チャイルドシートに座ることができない病気? やっぱりウチの次男みたいな子供を指すとしか思えない。ますますわからない。何を基準にチャイルドシートに乗れない病気なのかを判断するの? 自己申告? ▼何度も書いているが、「多動性症候群」を疑る(自閉症も…)ウチの次男坊はじっとしていることがとても苦手で、クルマに乗ってもチャイルドシートで静かにしているのは10分が限界だ。その後は、泣く喚く、挙句身体を捩ってシートから、引田テンコウみたいに抜けてしまう。 ▼こんな状態でシートに縛りつけておくのは運転者の心理にとても悪い影響を及ぼす。との勝手な判断で、そういう時は止むを得ずシートから降ろして好きなようにさせることにしている。それでもじっとしていなくて、そりゃもうたいへんなのだ。立派な違反であるな。ところで、何で6歳未満なんだ? 疑念は広がるばかりなのである。 ▼最近は、ベスト型のチャイルドシートが出てきて人気を集めているようだ。実物を見たことがあるけど、シュワルツェネッガーが武器を詰め込むアーマーベストみたいで、どうしようもなく悪趣味。幼児を守るチャイルドシート。理屈はよくわかるし、ちゃんとしなくちゃならないと理性ではわかっているのだが、大暴れして怪我をしたことがある次男坊を見ていると、複雑な気持ちになってしまうのだ。いざというときは、病気ってことで抗弁することにしようかな。しかし、チャイルドシートに座れないほどの肥満か…う〜ん…。

2001年1月17日(水) 残業しない主義

▼早朝出勤のため4時起床。いやあ、寒かったなぁ。この欄では何度も書いていますが、ぼくは残業をしない主義です。ぼくが残業をしないということは、セクション全部が残業をしないということです。他のセクションに付き合った残業もほとんどしません。誰が残っていようが構わずさっさと帰ります。ほとんど定刻、毎日午後5時半です。これにはちゃんとした理由がありまして、会社では誰も聞いてくれないので、ここで書いちゃおうかと思ったけど、なんだかカッコ悪いのでやめます。まいったなぁ。こういうクソ忙しくて、とんでもなく疲れているときに限って書きたいことがたくさんある。 ▼さて、さすがに定刻では収まらないときが必ずあります。まさに今週から約一ヶ月くらいがこれにあたりまして、そういうときに早朝出社をするわけです。あ、これもね、部下には強要しません。どっちがいいか選ばせます。たいてい残業を選ぶんですね。必ず早朝出社を選ぶぼくは、遠距離通勤者ゆえどうやっても朝6時半にしか到着できません。始業まで3時間とカウントしながら仕事をする充実感。仕事が進みますよぉ。それに、外線もかかってこないし、馬鹿のひとつ覚えでつまらない内線をかけてくるタコもいないし、疲れる来客もないし、心置きなく仕事に集中できる最高の時間なのです。 ▼残業をしないぼくは、当然、陰口をたたかれているでしょう。でも、直接耳に入ってこないので、理由を説明したことはありません。もし、陰口を聞きつけたら、ガンガン言ってやろうと手ぐすね引いて待っているんですけどね(^^;;;)。そこにタイミング良く、まささんが教えてくれた『私の嫌いな10の言葉』新潮社(この欄1/10分を見てください)ですよ。いやあ、怪著ですね。 ▼他にも、膝をたたくような言葉がちりばめられていて、自分の思いが本になったようなもんです。さ、1/10分を見て、五つ以上同意できる方はすぐ書店へ走りましょう。今まで感じていた苦痛の原因を中島義道さんが見事に解き明かしてくれますから。救われる思いなのはぼくですよ、中島さん。

2001年1月16日(火) 18歳の高校生がね、インターネットで知り合った32歳人妻をね…

▼気がつくと、「2000年」って入力してる(^^;;;)。で、ずぅ〜っと気がつかない。ダメだね、おぢは。たぶんもうちょっとで「2001年」と入力することに慣れると思うので見捨てないで…。 ▼断じて、おぢから連想したのではないと最初に断っておくが、ぼくのネット上での知り合いは、比較的自分の年齢に近そうな方が多い。男性も女性も。しかも親切な方が多くて、本を送ってもらうことも度々だ。それが最近女性の方が多いのですよ。今日も帰宅したら、FADVの某花さんから、待望の水樹和佳子『イティハーサ』ハヤカワ文庫版全七巻が届いていた。ありがとう、花さん。 ▼最近、メールアドレスを取得して、ネットに興味津々のカミさんがいろいろと質問してくる。昨年末にも、遠く岡山のある方(女性)から本を貸していただいた。あら、また来たじゃない、ってわけである。 ▼「今日さ、テレビで見たんだけど、岩槻(隣町)の18歳の高校生がね、インターネットで知り合った32歳の人妻を刺しちゃったんだって…」 彼女に他意はない。それは間違いないのだが、暗いところが怖いのと同じ論法で、インターネットに過度な警戒心というか、捻じ曲がった先入観を持ってしまっている。ぼくみたいにネット歴が4年以上もあって、ウェブを二つも持っているヤツと一緒に暮らしていてこうなのだ。 ▼これはね、マスコミが絶対に悪い。センセーショナルな切り口で話題性ばっかり追う報道姿勢が最大の犯人なのだ。男と女なんだから、どこでどうやっても知り会うよ。ネットで知り合った人妻を刺した隣町の18歳は、ネットが無くたってどこかで誰かと知り合って似たようなことをしたんじゃないの? いまどきね、ネットで知り合ったってのが珍しいって感覚がわからない。知り合いでネット婚してるのが何組もいるよ。ホームセンターでバイトしている男子高校生18歳が、レジ打ちの32歳人妻と深い仲になってこんな事件を起こしてもここまでニュースにならなかっただろうな。 ▼ネットショッピングのトラブルだってね。そりゃあんた、見るからに怪しそうなところに自分のカード番号なんてバラしちゃダメですよ。よく見て判断しなくちゃ。近寄っちゃダメなところはあるんですよ。それをさ、さもネットショッピングが悪いみたいに喧伝する論調が頭にくるのだ。警告として取り上げたのなら、どういうところが危ないかを具体的に視聴者に知らしめなくちゃ。 ▼ともかく、ネットが悪いんじゃないのだ。昔、大橋巨泉が言ってたでしょ。「競馬で財産を無くすような人は、競馬がなくたって他のギャンブルで有り金吐き出す。ギャンブルじゃなければ他のなにかで」って(注:こんな意味のことで文章はあやふやですm(__)m)。市井の方々は競馬が悪いと言うわけだけど、決して競馬が悪いわけじゃないのだ。ネットも同じ。使う側の人間に問題があるわけ。巧妙な論理のすり替えは詐欺にも等しい。 ▼ぼくはウェブをやり始めたばかりの頃、実家の父親の俳句を載せていた。だが、偏見まみれの実家の母親の反対にあって、閉鎖に追い込まれてしまったのである。「インターネットみたいな怖いもんはやめてくれ」って。この手の偏見はやっぱり年配者ほど強い。頑迷な年寄りは捨て置いていいとしても、ぼくらの世代にもこの手の輩が多いから不思議だ。ちったあ目を開いて欲しいな。ってね、ネットで書いても意味無しだったな…(^^;;;)。

2001年1月15日(月) 消耗品でない自分を探しているの?

▼ぼくは困り果てております。だってねぇ、後任が決まらないまま辞めちゃうんだもんね。ボーナスもらって退社するのが悪いとは言わないけど、もうちょっとあとの事を考えて欲しいぞ。 ▼15日が給料の締め日なので、今月も今日付けで退社する社員が何人もいる。その中に自分のセクションの女子社員も含まれているわけ。12月15日に辞表を出して1月15日付けで退社ですよ。長い正月休みを過ごして、ちょっと出てきてハイさよなら。休みの間に募集広告なんか打ったって決まるはずがないでしょ? 確かに就業規則には「1ヶ月前に辞表を提出」と書いてあるけど、これはないよなぁ、とおぢはため息をついているのである。 ▼当人たちはケロッとしたもの。もちろん、辞めるも残るも当人の自由ではあるよ。でもね、現場を見渡して欲しいのだ。ひとりとして無駄な人員のいない状況で、突然の退社を埋めるのは容易なことじゃない。現場に多大な迷惑をかけるのはわかっているはず。それで平気かどうかはわからないけど…。まあ、緊密な人間関係を築けなかった上司としての自分に非があるのだな。でもさ、ちょっと身勝手すぎやしないか。 ▼君たちは消耗品じゃないのだ。でも、こんな形で辞める君たちを見ていると、自らを消耗品としか見ていないと思わざるを得ない。もしかして、消耗品でない自分を探しているのか? 意地とか誇りはないの? 元々自分の矜持とかそういった心理に薄いか、じゃなければそういう自分の矜持を会社に示す必要が無いと感じたのか…。 ▼他人は自分を写す鏡とかいうでしょ? 会社だって同じなのだ。会社と自分の関係なんて、自分で切り拓いていくしかないのだ。決してきれい事ではなく、自分の居場所は自分で作るしかない。別に古臭いことわざなどを言うつもりはないが、こんなひとつひとつの行動に人間性が顕れるということをもう一度考えて欲しい。おぢは遠い目をしております…。

2001年1月13日(土) はじめてのメール

▼先日申し込んだカミさんのメールアドレスだが、やっとプロバイダの設定が完了したとの郵便がきた。やっと、じゃないか、予定より大分早いもんね。メーラーの設定をしてあげたのが、昨日の夕食前。で、子供たちが寝静まった午後10時過ぎ、促されて友だちに初めてのメールを打つべくカミさんはパソコンの前に座った。なんせ結婚10年、当初からパソコンが家にあったにも関わらず一度も触ったことのない人である。不安がなかったわけではないが、メールの一本くらいとぼくは高をくくっていたのだ。ところがこれが大誤算だった。 ▼パソコンの立ち上げ方はわかっているので問題ない。が、そこから先が一向に進まない。ブラウザの立ち上げ方、メーラーの立ち上げ方、ネットからの切り方、書き方、メールの打ち方、順番に教えるが覚えられない。自分の初心者時代を思い出せばこんなもんですよね。自分宛のメールで練習していたのだが方向転換。とりあえず一回はメールを出してみよう、ってことで年賀状を引っ張り出してきて、友だちへのメールを入力しはじめた。 ▼やっぱり最大の壁はキーボードだった。EnterキーとEscキー、Backspaceキー、Deleteキーと変換キーの使い方がミソなのだね。なんとかかんとか10行程度のメールを入力終えてメールを打つことができたのが午後11時半だよ…(^^;;;)。本人は終始ニコニコ顔なのだけど、教える方は疲れてしまった。ダメだねぇ、トシとると。ローマ字も忘れてるんだよ(^^;;;)。 ▼今朝になって、返事が来ているかもしれないよ、と言うと複雑な表情をする。ああ、心配だよね、メールの返事。ぼくは今まで幾度となく初メールの練習台になっています。そういえば、運悪くFADVの合宿で箱根に行っているときに、初メールをくれた人がいた。帰宅してメールを確認したんだけど、疲れていたので放置して寝たら、共通の友だちから電話がかかってきたもんね、返事を書いたかって。自分で電話するのが癪だったらしい。 ▼さて、カミさんの初メールはちゃんと返信もいただいていて、それもウェブを使ったグリーティングメールで、彼女はとても嬉しそうだった。指を使うのは老化防止にいいらしいしね。通信料も安くなってきたし、どんどん使ってくれればいいな。午後になって彼女が立て続けに電話をかけていた。何かと思ったら「メールアドレス教えて」、だってさ…。

2001年1月12日(金) 男と生まれたなら

▼「男と生まれたなら」 と鼻息も荒く語る友だちがいた。「男と生まれたなら、地位か名誉か金か、どれか最低ひとつは手にしなければ生きている価値がない」 なんでも父親の口癖だったんだそうで、飲むたびに聞かされて育った息子の脳みそにしっかりと刷り込まれていたのだ。抜き身の上昇志向っていうか、気持ちはよくわかるんだけど目が真剣そのものでかなり鬱陶しいヤツだった。 ▼時はバブル末期。不動産のマーケティングが本業の彼は、本を出版したり講演に呼ばれたりと飛ぶ鳥を落とす勢いである。その上、ワンルームマンションを二つ持ち、8%で回るんだとニコニコ顔。バブルが崩壊したあとでも、コンサルティング会社の役員に就任したと名刺をFAXしてきたりと上昇志向と自己顕示欲は相変わらず強かったが、無理して買ったワンルームが真綿で首を締めるように圧迫していたのは想像に難くない。 ▼その後、ちょっとした行き違いから縁遠くなりほとんど忘れていた昨日、いきなり彼から会社に電話がかかってきたのだ。約6年ぶり。いきなり「ボクから電話があったことは誰にも言わないで下さい」って。相変わらず芝居がかったヤツだなぁ、と思いつつも耳を澄ますと、なんと転職の誘いである。これはね、このトシになると誰からのどんな誘いであれ、ありがたい話なんですよ。転職するしないに関わらずね。 ▼聞けば流転の人生のようだ。せっかく就任した役員も親会社の意向であっけなく整理され、今は某上場企業の子会社(と言っても社員は20人くらい)で働いているんだと。職種は? と聞いたら「広告とIT」だって…。ITねぇ、ここでも「黄門さまの印籠」状態だな。じゃなければ「錦の御旗」。そこに来てくれってわけですよ。 ▼会社で転職の話もないもんだろうと、メールアドレスを聞いて電話を切った。電話を切る間際の言葉が耳に残っている。「そうですね! メールの方が腹を割って話せるかもしれない。報酬の話なんかもね!」 ……やっぱり彼はバブルが抜けていない。状況が把握できていない。そりゃあ給料が上がるのは嬉しいには違いないけど、家族を抱えた40男が考えるのはそんなことじゃないのですよ。「男と生まれたなら、女房子どもを路頭に迷わすわけにはいかない」 なのよ。

2001年1月11日(木) 読書サイト巡りは「本屋でブラブラ」なのだ

▼昨日注文した中島義道さんの本、なんと今日午前11時には届いてしまった…。しかも、ネット書店では初めての、Amazon.co.jpとロゴの入ったカバー付き栞つきで(^-^)。年末にbk1へ注文したときは、午後2時ころの注文で翌日午後5時半ころの到着。注文から到着まで約27時間半である。今回のAmazonは、午前9時ころの発注で翌日の午前11時ころの到着だから、約26時間で届いたことになる。もちろん、双方とも24時間以内発送と表示のある本ですよ(^^;;;。 ▼納期もすごいが送料タダも驚きだ。bk1は7,000円以上の注文で送料が無料。Amazonは、一月末まで送料無料なのだ。過ぎたらいくらになるかは調べてないけど、紀伊國屋で確か380円。クロネコヤマトなんかもこの値段だったと思う。bk1は250円だったかな。郵便の書籍小包よりも安いんだもんね。しかも、まとめて注文した本が何回かに分かれて届けられても一回分の送料でOK。本ってそんなに利幅の大きい商品だっけ? ▼過当競争なんでしょうねぇ。年末のこの欄で書いた理由と合わせて、ますます紀伊國屋Bookwebは危ないな。ぼくは、いままでに200冊近い本を紀伊國屋Bookwebで購入していますが、納期は最短で4日。それが翌日ですよ…。どう贔屓目に見ても、今後紀伊國屋Bookwebを利用する理由は見当たらない。最近利用してないけど、ちょっとは改善されたかな、紀伊國屋。 ▼こうして、ますます書店へ足を運ばない本好きが増えるんでしょうね。ぼくの足もどんどん遠ざかっています。たいていの本好きは、本屋でぶらぶらってのが好きだと思う。何かおもしろそうな本はないかとあちこちペラペラめくって。そういう時に僥倖があるのですね。ところが、ネット書店で買うとそれができないのだ。 ▼ずっと前、ある映画監督とご一緒したときに、「情報が氾濫してしまい、看板を見てぶらりと映画館に入る楽しみがなくなった」と嘆いていたのが懐かしい。もう20年も前ですよ。その監督が子供の頃は、映画館道路脇のA型看板とか、塀に貼り付けられたポスターが情報源だったのだ。だから、思い入れのある特定の監督やシリーズ作品以外はほとんどが前情報無しの流し的鑑賞しかない。これはある意味幸せだったのかも。 ▼ぼくの学生時代は、「ぴあ」と「シティロード」が凌ぎを削っている時代で、すでに情報が氾濫してたから、流しのタクシーよろしくぶらりと入った映画館で運命的な作品に出会うなんて少なかった。あったとしてもかなりの映画ファンに限られる。ぼくの場合は『鉄騎兵、跳んだ』がそれにあたるかな。 ▼話がそれたけど、ネット書店でもウロウロができるようにいろいろ智恵を絞っているけど、現実の書店とは比ぶべくもない。ぼくは、児童書以外はネット書店で触発されて本を購入したことは一度もありません。 ▼ぼくの場合、「書店でブラブラ」に相当するのが、ネット上にひしめく本好きサイト巡りです。感覚の合うサイトオーナーの刺激的な感想や、掲示板の話題などを横目に見ながら次に読む本を決める。決めたらネットの古書店へ行って在庫を調べる。有れば購入するか、無ければ新刊書店へ行くかしばし思案。古書店も良し悪しなんですけどね。 ▼考えてみれば、とても寂しいことなんだけど、当たり外れが少なくてこれが一番効率が良いのだ。現実の書店が重要な情報源なのは間違いない。でも、時間も無いし、金もないしね。ホントはこんなんじゃつまらないんだけどなぁ、と思いつつ今日もサイト巡りをしながら本を物色しています、たぶん。

2001年1月10日(水) 私が嫌いな10の言葉

▼習慣となった早朝のメールチェックで、ネットの僚友から届いた一通のメールがぼくの意識を一瞬にして覚醒させた。「戦う哲学者」と異名をとる、電通大教授の中島義道さんという方の本を紹介するメールである。本のタイトルは『私の嫌いな10の言葉』。メール一読で、脳天をブン殴られるほどの刺激を受けてしまったので、早速Amazonから注文してしまった。『うるさい日本の私』とあわせて。 ▼『うるさい日本の私』は以前に豚式さんが、ぼくの掲示板で言及していたことがあったと記憶している。まあ、ぼくが興味を示す内容だから、簡単に想像つきそうなもんだけど、以下僚友から送られたメールの引用で申し訳ないが、10の言葉を掲載させていただく。惰眠明けの脳味噌に攪拌棒を突っ込んだような、あるいはわが意を得たり? ありがとう、まささん。転用させてもらったよ。なんちゅうか、読む前で申し訳ない。読んだらちゃんと感想を書くから。

以下引用

> ・相手の気持ちを考えろよ!
> ・ひとりで生きているんじゃないからな!
> ・おまえのためを思って言っているんだぞ!
> ・もっと素直になれよ!
> ・一度頭を下げれば済むことじゃないか!
> ・謝れよ!
> ・弁解するな!
> ・胸に手をあててよく考えろ!
> ・みんなが厭な気分になるじゃないか!
> ・自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!

2001年1月9日(火) パソコンは遅れてるんだよ

▼先日、ホームオートメーションなんて浮かれたことを書いちゃったけど、よく考えてみればそんな話は夢のまた夢なのである。 ▼先日買ったGatewayマシン。早くて省スペースで非常に楽しく使っているが、前のマシンに搭載していた3.2GのHDが増設できないのよ(泣)。空いているIDEに接続して起動すると、OSすら認識しなくなる。どうしようもないので、有料のサポートへ電話した。事情を説明したらなんと答えが返ってきたか、「相性かもしれません…」だそうだ。 ▼結局パソコンなんてこんなものなのだ。買ったのが新しいテレビだとすれば、その新テレビに今まで使っていたビデオデッキが接続できないのと同じことなんですよ。もし、接続できなかったら間違いなく故障でしょう、どちらかの。「相性」などという言葉はありえない。万が一「相性」なんて言おうもんなら、東芝のクレームじゃないけど、大変なことになるよね、きっと。そんなメーカーは倒産だ。でも、パソコンの世界では堂々と通用してしまう。ユーザー側も納得せざるをえない…。 ▼パソコンが家電になるとか言って騒いでいるけど、そんなもん遠い遠い未来の話だ。少なくとも現時点ではお笑いの域をでない。これがパソコンの実態なのだ。じゃあ、「相性」と言われて、引っ込まないでとことん食い下がったらどうなるか。あれを試して、これを試して、それでもダメだったらまた電話くださいって。あれやこれやを試すには、パソコンの筐体を開けて、捻り鉢巻で作業しなくちゃならない。しかも、いじり倒すことによってOSまで壊れる危険性に怯えながらだ。それで最後に出てくる言葉はやっぱりあれですよ、「相性」。少なくとも汎用性のあるパソコンで、ホームオートメーションなんて気の遠くなるような話だ。 ▼結局、パソコンなんて他の製品に比べるとものすごく遅れた商品なのである。そんなある種欠陥商品みたいなもんにぶら下がっているインターネットだってねぇ…。少なくとも規格の統一やそれにまつわる諸々を整備しない限り不可能なのだ。速さなどというマッチョなゲームにばっかり腐心しないで、メーカーにはそこらへんのもっと大事なことを考えて欲しいな。……それにしても、MACとWINDOWSの混在環境なんとかならんかな。

2001年1月6日(土) パソコンはリビングに置こう!

▼「自分がされたら嫌なことは他人にしない」について、数人の方からご意見をいただきました。ありがとうございました。参考にさせていただきます。 ▼ところで、年末にアップした書斎写真にあるように、ぼくはニューマシンを満喫しています。液晶ディスプレィなどという身のほど知らずな周辺機器には迷いもあったが、使ってみればこれほど軽く省スペースで使い勝手の良いものはないのだ。今まで使っていた17インチは長男に回した。彼が使っていた15インチが遊んでいるので、これをどうするかが年末の課題だったのです。パソコンが一台組めてしまうわけ。 ▼正月休みに入ってからしばらく考えた結果、リビングに設置することにした。思いついたらすぐに実行しないと気がすまない性格のぼくは、すぐに作業に入りました。本体は、書斎の机の下に眠っていたAptiva。1996年に購入したマシンである。増設したメモリは、すでに取り外して長男のマシンへ行っているので、メモリは16Mしかない。スピーカーは電源の問題で、当時のものを使うことにした。33.6kモデムが一台遊んでいるので、これもインストールしてリビングからインターネットに接続できるようにしよう。プリンタも一台余っているけどどうしようか…。 ▼さて、こうして組み上げたマシンは、モデムを除いて1996年に買った当時のマシンそのままだ。LANケーブルがリビングまで伸ばしてあるので、必要なファイルは全てぼくのマシンか長男のマシンから取ることができた。モデムドライバがうまく動かなかったので再インストールした程度でまったく問題なし。 ▼リビングからインターネットができるのはとってもいいことだ。リビングで観るテレビやビデオと同じ感覚で、次男を膝に乗せて「ハム太郎」や「ポケモン」のサイトで遊ばせた。パソコンはリビングに置くべきなのだね。ウェブのコンテンツは今のところテレビには遠く及ばないが、そう遠くない未来には肩を並べるときが来るでしょう。ホームオートメーションとやらも整って、家庭の中心はパソコンになるのかも。 ▼リビングにパソコンを置いたら、カミさんが興味を示し始めた。CDをかけたら意外といい音だったのが直接の動機。起動終了のしかた、CDの鳴らし方を教えたので、ぼく不在のときでも適当に使っている様子だ。この機会の逃してなるものか、ってわけで、ほくそえむぼくはカミさん専用のメールアドレスを申し込みました。 ▼カミさんの友人でもメールアドレス入りの年賀状をくれた人が何人もいた。いつまでも尻込みしているわけにはいかないよ、ということなのです。別にメールなんか使えなくても問題ないんだけどね(^^;;;)。電話があるんだから…。ちゃんと使えるようになるにはしばらく時間がかかるようだが、今から楽しみにしている。初心者の壁はやっぱりキーボードみたい。練習すればいいんだけど。 ▼リビングのパソコンが頻繁に使われ出したら、メモリ不足が問題になりそうだ。調べればSIMMはDIMMよりも値段が高い。市場原理なのだね。……メモリが足りないってカミさんから苦情がくるようになってくれればいいけど…。

2001年1月5日(金) 自分がされたら嫌なことは他人にしない

▼新年初出社。ほとんどの仕事は年末に片付けてあるので、例年通り午後も3時を過ぎた頃から途轍もなく暇になった。こういう時に建設的な行動をとるのが社会人としては望ましい姿なんだろうけど、残念ながら非建設的なぼくは後ろに誰もいないのを幸いにずっと2chの哲学板を読んでおりました。読んでいたのは『「なぜ人を殺してはいけないの」の質問に』←リンクを貼り付けてあります。色がわかりづらいけど(http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=philo&key=959174779)。 ▼とても刺激的なスレッドで時の経つのを忘れた。残念ながら、発言が700近くもあるので読みきれず、ファイルをテキストで保存して持ち帰ることになってしまったが。哲学科出身のぼくは腐った脳味噌をフル回転させて読みましたとさ。 ▼息子には自慢するような道徳教育はできていない。それでも常に言い続けているのが「自分がされたら嫌なことは、他人に絶対にしてはいけない」だ。だが、この言葉を吐くときいつも恐れている反論がある。「オレはそうされても構わないもん」こう開き直られたらどう反論するか。こんなのは、繰り返されてきた問答だよね。99.9%強がりだとしても、もしそう反論されたときにきちんと受け答えできないと、途端に子供は大人の足元を見るようになる。 ▼仮定の行為を彼に向かって実践してみるのもひとつの手だと思うが、仮定が他人の身体に危害を与えるような行為だった場合はこれ以上前に進まない。小学生くらいにしか通用しないのかな。開き直られたらおしまいだもんね…。でも、これって基本だと思うのですよ。おっと、スレッドの続きで解答が得られるかもしれない…。他力本願…。

2001年1月4日(木) 一方的な年賀状

▼年賀状なんて一方的な挨拶というか近況報告だから、別に返事は必要なかった。ところが、なんでもかんでもパソコンに頼りっきりなのに、データバックアップさえ取っていなかったぼく家は、昨年のパソコンクラッシュで大切な友人・知人の住所録も無くしてしまったのである。 ▼年賀状を書く段になって困ってしまった。毎年出し続けていたが先方からはいただいていなかった方々の住所がさっぱりわからないのだ。この種の方々は結構たくさんいる。一方的な挨拶だから、返事をくれない理由はどうでもよろしい。全部で二十数人。 ▼一度くらいはもらったことがあんじゃないかと、過去10年分くらいの年賀状をひっくり返して調べた。それでもわからない方が5〜6人残った。これはしょうがない。わざわざ別の知り合いから聞き出すのも手間なので、思い切って出すのをやめた。こうなると、一方的な近況報告でも、かなり縁遠くなってしまった方に果たして必要だろうか、と考え込んでしまったのだ。 ▼ぼく個人では、元々虚礼が嫌いな性格も手伝って、毎年70枚くらいの年賀状しか出していない。そのうち、必ず毎年くれるひとが40人前後。その年の新規が5人前後。差し引き約25人は、先方からいただいていない人なのだ。このあたりは毎年新規が加わってもほとんど変わらない。 ▼さて、過去10年分の年賀状を並べて考え込んでいるぼくは、ある結論に達する。特別な人を除いて、昨年一昨年と2年続いてもらっていない人には出すのをやめよう、と。この至極あたりまえの結論に達するまで、実はかなりの葛藤があったのだ。だって、毎年出していたのですよ。それをやめるには相応の理由が必要なんじゃないのかな? 特別な人とそうでない人をどう区別するの? 何度も言うけど、一方的な近況報告だから先方がくれなくなった理由は考える必要がない。ある意味、年賀状だけでつながっている人間関係。それを自分から断ち切ることになるわけですよ。 ▼ここまで読んだ人は、先方からいただかなくなったその時点で、先に年賀状だけでつながる関係を断ち切られているんだよ、とおっしゃることでしょう。年賀状なんてそんなに重く考える必要ないと。だがしかし、今でこそ年賀状だけの付き合いになってしまったとは言え、年賀状を出す人って自分の人生の一時期にかなり濃い付き合いをしていた方々なのだ。それを断ち切ることは、自分の過去の一時期を断ち切ることにも等しいのではないかと。あるいは友人・知人たちにランク付けをしてしまう結果になるんじゃないかと。 ▼しかし、考えた末例年よりも約20枚削ることになった。一旦途切れても、先方から来れば返事を書くので、やりとりがまた復活することになる。だが、この20人は予想通り今年も年賀状をもらわなかった。もうこの20人とは完全に断ち切れてしまったんだろうか。年賀状だけでつながった(一方的につなげていた)危うい関係は終わりを告げたのだろうか。 ▼毎年いろんな人と出会う。だが、それも年とともに減り、友人になれる人なんてほとんどいない。一方的な年賀状。これも結構良いもんじゃないかと、寂しがりやのぼくは多少の後悔とともに考えているわけです。もちろん、そんなもの関係なく付き合っている人もいますけどね(^-^)。あ、仕事のヤツは別ですよ。

2001年1月3日(水) 『アイズ ワイド シャット』の謎

▼映画史にその名を刻む巨匠スタンリー・キューブリック。遺作となった『アイズ ワイド シャット』をDVDで観た。2時間39分の長丁場。疲れた。キューブリック自らをして、最高傑作と言わしめる映画で賛否両論渦巻く問題作であるが、真実はどうなんだろう。『博士の異常な愛情』『2001年宇宙の旅』『時計じかけのオレンジ』など映画史に残る傑作群で、常に時代をリードしてきた巨匠が一体この映画で何を語りたかったのか。 ▼ 「私はこの映画で、幸福な結婚生活に存在するセックスについての矛盾した精神状態を探り、性的な妄想や実現しなかった夢を、現実と同じくらい重要なものとして扱おうと試みた。」 これはキューブリック監督がこの映画について語った言葉である。 ▼性的な妄想とは、ビル=トム・クルーズのアリス=ニコール・キッドマンへの嫉妬で妄想されるモノクロ挿入カット? 実現しなかった夢とは、アリスが告白する若い兵士との逢瀬? これらを”現実と同じくらい重要なものとして扱”おうとするなら、彼らはそれぞれの相手に対して誠実でなかったことになる。 ▼”セックスについての矛盾した精神状態”と表現したのは、精神と身体のアンバランスだろうか。アリスは身を持って体験し、ビルも徐々に実感してくるあの感覚。つまり、深遠なる愛情が伴わなくても、身体が反応してしまうということ。ただ、やりたいだけ、という理性のない直線的感情。これもキーワードは誠実? 相手に対する純潔性? ▼地球上に存在する動物で、繁殖以外の目的でセックスをするのは、人間とピグミーチンパンジーくらいであることは誰だって知っている。では、なぜ今になって、こんなテーマなのか。氾濫するセックスに対するひとつの警告? 提言? ここまで考えるとタイトルが意味深い。目を広く閉じる。視野は広く、だが心は閉ざす、というような意味? ここでも純粋性? 21世紀への巨匠の提言? ▼などと愚考を重ねても、詮無いことなのでお終いにするけど、絵作りとしてはキューブリック監督の老化が見え隠れする。あの大時代な仮面セックスパーティを笑わずにいられるか。ほかの仕掛けもまあまあわかる。考え抜かれたショットが作り出す官能的な映像美、完璧なニューヨークのセット、印象深い音楽。考えてやっと理解できるストーリィの辻褄…。でも、これはあんまりだと思うなぁ。 ▼煎じ詰めれば最悪は宣伝だろうね。映画館へは監督の意図とは全く違った意識で足を運んだ観客がほとんどでしょう。エロティックではるが、あの宣伝に触発されて見に行った人には全然物足りなかったと思う。撮影にあれだけ時間がかかって、制作費も膨らむ一方だっただろうから、売らんがための扇情的宣伝もわからなくはないが。 ▼次にダメなのがトム・クルーズ。完全なミスキャストですね。カミさんのニコール・キッドマンに食われっぱなし。彼女は後姿が美しかったな。他の人物配置を見ると、女性登場人物が多士済々で見所たっぷりだ。 ▼総じて、死を間近にした老境で思い至ったのが男女のピュアなセックスって、怪物的な映画監督としては至極人間的で良かったかも。構想30年らしいが、30年前に撮っていたら全く別の作品になったことでしょう。

2001年1月2日(火) 『エリン・ブロコビッチ』を観る。最高!

▼完璧な女性映画。女性映画と書いたのは女性が主人公で、その美人でナイスバディで離婚歴二回ありで三人の子持ちヒロインの肉声というか、自分らしさをどう表現するかが、多くの女性たちに支持されそうな映画だからだ。え? もう支持されてるのか?(^^;;;)。 ▼公害訴訟でアメリカ至上最高額の和解金を取った女性、というレビューから類推するれば、かなり硬派な社会派映画を想像しがちだ。でも、そうじゃないのですね。映画のタイトルが示す通り、「エリン・ブロコビッチ」という女性を描くことが主眼なのである。 ▼スラング連発で、巨乳の谷間を晒し、ナイバディを誇示してミニスカートで闊歩する。これらの強烈な自己発現が、この映画を見終えれば、それがヒロインの堅牢な鎧であったことがわかる。この鎧、特にファッションが、周囲の人間たちがヒロインの存在価値を認めるにしたがって次第にシックに落ち着いてくる。このあたりの微妙な変化が、ジュリア・ロバーツの演技もスティーヴン・ソダーバーグ監督の演出も実に滑らかですばらしい。これが強力な絆で結びつくであろう、アメリカの、日本で言えばヤンママタイプの市井のママさんたちに受け入れられないはずがない。 ▼男女関係もおもしろい。立場逆転なわけですよ。ちょっと見はいかついバイク野郎だが主夫生活をおくる彼氏=ジョージが、家庭を顧みず公害訴訟で走り回るエリン=ヒロインに向かって、仕事と自分とどっちが大事か、というようなことを言う。これには笑っちゃいました。この問いに対して、エリンがしっかりと自己主張する。ありがちなセリフではあるけれど、世間からダメ女のレッテルを貼られたエリン、ひいてはエリンに自己を重ねた観客の女性たちがある種の勝利を叫ぶ瞬間でしょう。複雑な心境ではあるだろうけど。 ▼ともかく、極上のエンターテイメント映画です。映画のキャッチからして、「全米史上最高額の和解金を手にした女」でしょ。結果はわかっているわけだから、これをどう見せるかは監督の手腕にかかるわけ。2時間11分。長く感じませんでした。ジュリア・ロバーツの演技もすばらしかったけど、演出も見事でした。冒頭部分からのエリンのダメ加減がきっちりと描かれていて、この部分があるために後半が活きてくる。計算され尽くしたエンターテイメント映画。脱帽。 ▼しかし女性映画って、字面を見ると変な言葉だな。男性映画ってあったっけ? アクションとか戦争とか? ともかく、女性に限らず、映画鑑賞後にカタルシスが欲しいという方には絶対のオススメ映画ですね。あ、劇場じゃありませんよ。DVDです。ご容赦m(__)m。

2001年1月1日(月) 年賀状で倒産を知る

▼新年&新世紀あけましておめでとうございます。美しく青空澄みわたった元旦を迎えましたが、外見の美しさとは裏腹に一旦外に出ると吹き荒れる強風に身も凍える思いです。今年を象徴しているのかな?  ▼とにかくものすごい風。冬場の関東はこういうの多いんですよね。だから、地元の神社へ初詣に行った以外は外出してません。で、何をしているかと言うと、父は子供たちを放ったらかしてDVD三昧です。だってね、リビングのテレビは次男が占領して朝から晩までビデオだし、長男は長男で自室のテレビでこれまたゲーム三昧。だから、父は書斎にこもってDVDでも見るしかないのです。たまにリビングに戻って次男のお相手をしながらね。 ▼借りたのは『スネーク・アイズ』と『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』。両方とも見ました。『スネーク・アイズ』は黒沢明の『羅生門』を思い出しましたね。でも、残念ながら、いろいろと工夫を凝らしている演出が仇になったかもしれない。ホテル内の監視カメラがキーワードっておもしろい着眼点なんだけど、その面白さを活かしきれていない。もっともっと練り上げれば更にサスペンスフルな映画になったと思う。唯一、ニコラス・ケイジが良かった。魅力的なアンチ・ヒーローぶりだっただけに残念。 ▼007は相変わらずむちゃくちゃ凄いアクション。今回は、あのソフィー・マルソーが目玉なんだけど、期待に違わず良い女優になってますね。おぢとしては露出度が低いのがフラストレーションを溜め込ませますが…(^^;;;)。なかなか堂にいった悪女ぶりでした。彼女の目がいいんだよね。素直に楽しむべきスーパーアクション大作。細かいこと言っちゃあいけません。 ▼ところで、映画を見終わってじっくりと年賀状を見ていたら、ぼくが一時期在籍していた会社の倒産を知らせる賀状があってびっくり。一年近く前に倒産していた。慌ててネットで検索したら、いろいろと記事が出てくる。こういう時はネットの力を感じますね。カミさんも縁遠からずの会社なので、ふたりしてじっくりと読んだ。▼退社してすでに10年以上を経ているとはいえ、新年早々心中穏やかじゃありません。更に検索したら、元社員の運営するウェブで知っている名前がボロボロ出てくる掲示板にぶつかった。知っている人間が実名で書く掲示板ってはじめて見たのでかなり新鮮。でも、ダメだなぁ、こういうの。名前が顔に直結し、更に知っている人格に直結するので、シャレにならない。書き込んでいる彼らの顔つきまでが浮かんでしまい、胸がざわめいてしまった。ネットで知り合った人たちには感じない、実生活とバーチャルの間を彷徨う妙に醒めた複雑な感覚だった。う〜んん、みんな勤め先は決まったんだろうか…。