1999年4月30日(金)

80.5kg。危険。明日から減量には最悪の5連休だ。明日は鳥羽のおばあちゃんが帰ってしまうので、連休中はずっと家事三昧の生活を送らなければならない。これは減量のためでもあるから、必ず実行しなくちゃならない。5日まではなんとかぼくが頑張って、6日と7日は適当に乗りきる。土日の8日と9日はぼくが家事をして、10日の月曜から正常通りにいかないものだろうか。4月14日が出産で、5月10日か。う〜ん、ぎりぎりかなぁ。1ヶ月検診は5月18日だそうだから、その日までは無理なのかなぁ。まだまだ、苦難の日々は続くのであった。
▼4月26日に高速バスで来てくれた鳥羽のおばあちゃんが帰ってしまう。このおばあちゃん、今年70歳だが、なんとまだ働いている。元気なのだ。勤め先は鳥羽市の小桶園。連休は忙しいから帰らねばならない。でも、明日は連休初日。新幹線で帰るって言ってるけど、切符を買ってないらしい。席はあるんだろうか。インターネットで調べてみようかな。ありがとうございました。また、鳥羽に行きます。

1999年4月29日(木)

▼長男とおばあちゃんと3人で岩槻公園の流し雛に行って来た。まあまあの人出。出店の数はそれほどでもないが、息子はお花見で訪れた「権現堂桜堤」の借りを返すにピッタリのクジ屋を見つけた。目指す商品はだんご3兄弟のグッズ。ビニール製で中に空気を入れて膨らませる人形だ。当たり番号は1番から50番。それ以外は同じだんご3兄弟でもシールになってしまう。さすがにブームが去ったためか、以前ほどの賑わいはないが、屋台の前の通路はそれでも人が多い。ちょっと離れて息子を見ていた。彼は父親から調達した300円を握ったままなかなかくじを引かない。緊張しているようだ。店番のサングラスをした怖そうなお兄さんに呼ばれ、近寄ったぼくに背中を押され、やっとくじを引く気になった。恐る恐る引いたくじを開くと、33番! 当ったりぃ! 黄色の人形を選んで帰宅したのだが、帰ったらもう見向きもしない。確かに長男向けではないな。次男ならわかるけど。あの勝負のドキドキ感覚がいいのだろうね。射幸心もほどほどに。
▼昼食には久しぶりにピザを取った。お好み焼きソースを使った和風のピザがあって、我が家ではそれがお好み。おいしかった。その後二時間ほど昼寝。次男の泣く声で目が醒めた。午後4時過ぎ、はじめて次男をお風呂に入れた。まだ小さなベビーバスでの入浴だが気持ちよさそうだ。
▼赤信号の減量生活を続けている。発泡酒を仕入れてしまった。酒は癖になる。まずいなぁ。

1999年4月28日(水)

▼猛烈に忙しい連休前だ。昨日と今日は早朝出社して、昨晩はお通夜。その前は長男と二人暮しで疲労困憊。そのためかどうかは不明だが、朝から空腹で堪らない。我慢できず、会社の近くにできた牛丼の「松屋」に入る。忙しくて昼食は取れずじまいだったが、仕事が一段落した午後二時、またしても猛烈な空腹に襲われる。たまらず、コンビニ走った。おにぎりとパン一個、、、のつもりだったが、勢いがついて、てんぷらとバナナ牛乳500ccとデザート一品まで買ってしまった。空腹を満たした結果、減量生活に赤信号がともった。帰宅後81kg。連日の酒と飽食がきいている。初心に帰らねば。
▼会社のカメラマンからデジタルカメラを借りてきた。例の、200万画素のヤツ。連休中だけ借りるのだが、コンパクトフラッシュをパソコンに取り込むアダプタが無い。仕入れてこなければ。明日ヤマダ電機にでも行ってみよう。
▼明日といえば、岩槻公園の流し雛の日。おばあちゃんを連れていってみようかな。車に乗れないやつはこういうとき困るのだ。

1999年4月27日(火)

▼知り合いの娘さんが亡くなってお通夜に行って来た。26歳だそうだ。いったい何があったのか。笑顔の遺影が痛ましく、残された家族も参会者もいつにも増して沈鬱な様相だった。その流れで、上司に連れられて北千住で飲んだ。10時過ぎに辞したのだが、我が家のマンションが見えたのは11時半過ぎ。近づくと、街灯に浮かぶマンションの窓々に一つだけ明かりが灯っていた。しばらくの間だけ女房と次男が寝起きしている我が家の一室の明かりだ。自ら塩を振り掛けて、玄関に上がると赤ん坊の泣き声が聞こえた。一瞬、花々に包まれた笑顔の遺影が過った。さぞ、無念だったことだろう。

1999年4月26日(月)

▼鳥羽からおばあちゃんがやって来た。約9時間ハイウェイバスに揺られて。大分疲れている様子だ。マイペースでやってもらえるといい。次男が我が家にやってきてやっと1日。長男の様子を観察しているが、やっぱり少々偏屈になってきているかもしれない。自己主張が激しいような気がする。赤ちゃんはうるさい、としきりにこぼす。充分にケアしなくては。さじ加減が難しいところだ。
▼体重は80kg。昨日、おとといとお祝いにかこつけて食べ過ぎた。朝は、いつもに比べて、少々ズボンがきつい感じがした。要注意。

1999年4月25日(日)

▼午前11時、女房と次男が退院した。帰宅して、父親は早速ミルクを買いに走った。結構値段が高いんでびっくり。このくらいの赤ん坊は一日7回の授乳をするのだ。母乳があまり出ないらしいので、母乳のほかに粉ミルクを40ccくらい。昼間は三時間おき、夜は四時間おきにミルクを与える。生まれたとき2660gだったのが、退院の今日の検量で2780g。120g増えたのだな。生まれて11日。こんなものか。抱いてみると、あまりの軽さで存在を忘れるほど。長男が補助なしではじめて抱っこしてみた。軽くて驚いたようだ。父親は検量していない。重くなっただろうなぁ。
▼次男は眠ってばっかりだ。授乳の予定時間が過ぎても起きる気配がない。睡眠が長男に伝染して、我が家の息子二人は現在夢の中だ。長男が赤ん坊のときの写真を出してきて、次男と見比べた。やっぱりそっくり。
▼今日は退院祝いをする。さて、何にしようかな。

1999年4月24日(土)

▼昨晩早めに眠ったからか、午前4時前に目が醒めてしまった。眠ろうとしたが、目はパッチリ。早朝というよりも、真夜中といったほうが正しい深夜4時ころ、起き上がってパソコンに向かった。約三時間にわたってネット散歩と、ニフティのたまりにたまったログを読んだ。おかげで眠い。。
▼家事が山とある。掃除、洗濯。ひとつずつこなしていく。洗濯は都合三回やった。台所には古い食品で腐臭を放っているものまであった。なんとかすべて終えた午前11時ころ、病院に向かう。昼食は出生届を出した足で、長男と二人でげんこつラーメンへ。女房にも食べさせてあげたい。そのまま三時まで病院でうだうだしていた。三時にならないと赤ん坊に会えないのだ。会うといってもガラス越し。一週間ぶりに対面した次男は、なかなかの男前だった。目から上は長男そっくりなのだが、どのくらいで個性が出てくるんだろ。さて、晩飯はどうしようかな。

1999年4月23日(金)

▼仕事に没頭していた午後二時。長男から電話が入った。「ヤナギバシ君ちにいるから迎えに来て!」。一瞬何のことかわからなかったが、よく聞くと自宅の鍵を忘れて登校したらしい。父親も気づかなかった。ヤナギバシ君のおかあさんにお礼を言って、ちょっと早めに家路についた。ヤナギバシ君は三兄弟。全部男の子。コンビニで三兄弟におやつを仕入れて、我が家の長男を迎えに行った。その帰りに家の近くの蕎麦屋で晩飯。長男坊は出されたカレーライスを全部平らげた。全部食べたのは初めてなのでびっくり。ぼくはビールを二本も。。。。また、でぶになる。。
▼帰宅したら、電話が鳴っている。案の定女房からの電話。25日の検診を待たず、退院が決定したのだ。長男と二人で小躍りした。今日もこれからお祝いをする。長い二週間だった。電話を切る間際、掃除機くらいかけといてね、女房にくぎをさされた。当然だよね。。。ウンウン。。女房と次男坊は25日の日曜日に帰ってくる(^-^)(^-^)。
▼体重は測れなかった。っていうか、こわくて乗っかってない。

1999年4月22日(木)

▼25日(日曜日)の朝の検診で結果が良ければ、即日退院できることになった。上の息子が歓声を上げた。ただし、結果が良ければ。こういう場合の結果は必ず良いもの。。と思いたい。二人暮しになって早10日。長い。今日が何日か、俄かにはわからなくなってきている。上の息子がお祝いをしようというので待っている。宿題をかたづけてからお祝いをはじめる。
▼次男の名前を決めた。ってホントは一ヶ月も前から決まっていたのだけれど、、「准之」と書いて「じゅんの」と読む。ギリシャ神話に出てくるジュノーが出展。お察しのとおり、これは女神の名前。このことは女房以外は内緒にしているので、変な名前という評判以外はない。だから、決定。女房は、オカマになったら困るといっているが。。。
78.5kg。限界ではないと思うが、これから息子とお祝いで飲んだり食べたりする。間違いなく太るな。。

1999年4月21日(水)

▼午後6時42分大宮発の上越新幹線でおばあちゃんとマサヒロ君は帰っていった。東武野田線の豊春から大宮までだって行けない二人。駅にはわかりやすい看板があるから、それを見て大宮方面と表示してあるほうのホームの電車に乗るんだ、と何度説明しても首を縦に振らない。結局ぼくが、会社から豊春駅まで迎えに行くはめになった。取って返して大宮駅へ。昨夏「ポケモンスタンプラリー」で来たときは、帰りの新幹線に乗ったとたんに大粒の涙をこぼしたマサヒロ君。この一年で大分たくましくなった。別れ際、笑顔で握手を交わす不幸を背負った甥の姿にこちらの方がつらくなってしまった。ありがとう。夏には赤ちゃんを連れて帰省するから。
▼今回の収穫はもうひとつあった。おばあちゃんにホームページを見せることができたのだ。「浩の俳句集」が全然更新できていないのは、ひとえにインターネットに対する無理解が原因だ。そのオピニオンリーダーがおばあちゃん。はじめて見たインターネット。モニターに映し出される長年連れ添ったおじいちゃんの俳句をどんな気分で眺めただろうか。事態が好転するといいな。でないと、あのページは閉鎖しなくちゃならない。
▼体重は79kg。帰宅してみたら、おばあちゃんが山のように料理をこさえてくれていた。そのほとんどを感謝の気持ちでありがたく食した。太ったか。ところで、、、、、助っ人が帰ったとたん心配事がまたひとつ。上の息子、今度は耳が痛いらしい。。。。。。

1999年4月20日(火)

▼昨晩遅く、新潟の実家からおばあちゃんと甥っ子がやってきた。助かった。甥っ子のマサヒロ君は超健康優良児。ちょっと見は若乃花にそっくりだ。学校を休んで、病気明けのおばあちゃんに付き添ってきてくれたのだ。でも、学校を休んではいけないな。う〜んん、おかげで上の息子の喘息もなんとかおさまりそうだからよしとするか。明日もう一日休ませれば、ほぼ全快かも知れない。なのだが、、、なのだが、明日助っ人は帰ってしまうことになってしまった。またまた二人っきりの生活に戻ってしまう。
▼体重は78.5kg。久々のおふくろの味で、少々食べ過ぎた。また太ったか。。

1999年4月19日(月)

▼夜中の12時ころ、息子のゼーゼーがひどくなった。眠れないらしい。どうしようもないので会社を休むことにする。早朝、女房の姉と新潟の実家にSOS。とりあえず、足立の姉はOKだが、朝来て夕方帰る格好になる。新潟のおばあちゃんならば、泊りがけなのでとても助かる。だが、即答はできないとのこと。午前11時50分に行き着けの小児科を予約したので、その時間までどうしてくれるか聞きたくて実家に電話するがずっと不在。半ばあきらめて小児科に向かう。
▼待つこと約40分、やっと診察の順番がやってきた。地元で名小児科医と誉れの高い先生は吉田照美にそっくりだった。なるほど手厚い診察だ。喘息がひどいからと点滴を3本も打たれた。治療費を覚悟したらバカ安じゃないの。はやるわけだ。結局全部終えたのは夕方5時。帰りしなタクシーを待っていたら息子がいきなり吐いた。急遽、薬の追加。その間にタクシーが到着してしまった。仕方ないのでそのタクシーで帰宅し、その後追加された薬を取りに行った。追加の薬を取りに行って帰ってきたら、電話が3本もあったらしい。一本は実家、もう一本は姉。そして小児科。実家は夕方の新幹線で来るつもりだったらしい。ちょうど点滴中でそこまで頭が回らず、電話しなかった、仕事の電話は何本もしたのだけれど。それでも新潟からおばあちゃんが来てくれることになった。9時半ころに大宮着の新幹線だ。小学4年の甥っ子がくっついて来るらしい。心配なんだそうだ。保護者気取りなのだな。
▼さすがに点滴を3本も打つと調子がいいようだ。息子は鼻歌を歌っている。現金なヤツめ。さ、薬を飲ませて、晩飯の準備だ。

1999年4月18日(日)

昨晩は息子の具合が良くないので、7時半に眠った。その横で読書をしていたぼくまでつられて一緒に眠ってしまった。8時過ぎに電話が一本あったが、他は静かなもの。ぐっすり朝まで眠れた。で、またまた早起きの朝、やっぱり息子のせきはとまらない。かえってひどくなったようだ。いつもの薬を飲ませる。やはり母親不在のこの一週間がこたえたのかなぁ。テレビを見ていた10時過ぎ、こっくりこっくりしている。あわてて布団を敷いた。熱は37度くらいなのだけど、息子が好きなのでアイスノンを枕に昼寝。断続的に午後2時まで眠った。そのほとんどをぼくもつきあった。途中2回、女房が心配して病院から電話をくれた。どうしようもない。明日は会社に行かねばならないが、息子の具合がこんな調子ならどうしよう。困った。困った。
▼家事は大変な重労働だ。実感している。掃除、洗濯、炊事。洗濯したら、物干しにかける。取りこむ。取りこんだら、アイロンかけ。炊事をしたら、洗物。風呂は洗わなくちゃ入れない。一人暮しが長かったから、それなりにこなせるが、仕事しながら子供の世話をしながらってのは疲れる。息子も疲れているんだろうが、自分も疲れてきた。要するに、慣れなんだろうけどな。慣れるころには女房が帰ってくる。すぐには女房業に復帰できないから、実家からおばあちゃんが来る。退院後一週間くらいはいてくれるらしい。問題はそのあとか。。。取りあえず、当面の問題は明日だ。

1999年4月17日(土)

▼息子を送り出してまもなくの朝八時半、電話の呼び出し音が鳴り響いた。テレビを見ながらいねむりをしていたのだが、飛び起きて出てみるとコジマの配送センターからの電話。あと一時間でパソコンを持ってくるそうだ。大急ぎで掃除洗濯その他を終了させてパソコンを待った。ほどなく到着。CD−ROMのないパソコンなのでネットワークをインストールしないと使い物にならない。買い込んできたカードをインストール。いろいろとカスタマイズして、ついでに中身を覗いてみたらどうも変だ。4GあるはずのHDが3Gしかない。コジマに電話して聞いてみた。折り返しの電話は、予想もつかなかった返答だった。ぼくが欲しかった型の更にもうひとつ前に型なのだそうだ。完全に向こうのミス。「返品してください」というが、こっちはノートパソコンのためにネットワークカードまで買い込んでいる。簡単に返品しろと言われても困る。半分呆れてそういうと、値段を安くするといってきた。半額くらいに言えばよかったが、このパソコンが気に入っていたので弱気に出てしまい、結局数万円の値引きで納得してしまった。こういう交渉ごとではいつもそうなのだが、済んでから考え込んでしまう。もっと安くできたかなぁ。中古パソコンを買わされたのと同じだもんなぁ。。
▼その後病院へ。下の息子は段々と人間らしい顔になってきた。母子ともに順調。あしたは出生届を出してこなくちゃ。上の息子がアレルギー症状が出てきたようで少し心配。

1999年4月16日(金)

▼家に帰ってみたら、息子がスイッチの入っていないホットカーペットの上で眠っていた。ぼくが鍵を開ける音と気配で目が醒めたようだ。ごろ寝はやめてくれ。何度も言って、布団まで敷いて出かけたこともある。そういう時に限って友達がきたりするわけ。ここのところ寝不足のようだ。今朝も6時前に起きている。母親の不在がつらいのはわかるのだが...。甘やかせ過ぎかな(^^;;)。
▼体重は79kg。思ったより落ちていない。ここのところ万歩計も常に15,000歩を超えているのに。明日からまた注意の週末だ。
▼明日といえば、ノートパソコンの届く日。既に、ネットワークカードを仕入れ済みで準備は整っている。楽しみ楽しみ。

1999年4月15日(木)

79kg。昨晩は家事を全て終えて、息子とささやかなパーティをした。彼はココアで、ぼくはビールとバーボン。乾杯のあと、二人でスナック菓子を二袋開けてしまった。他にソーセージだの、アイスクリームだの。。。体重なんか減るわけない。
▼息子が風邪気味のようだ。鼻をすすっている。夜もよく眠れていない。母親の不在は彼にとってはじめての出来事で、かなりのストレスを感じているように見受けられる。『家族狩り』を読んでいる真っ最中なのでいろいろなことを考えてしまうのだ。自分が家庭を蔑ろにすることは絶対ないと断言できるつもりだが、はじめて上の息子と二人っきりの生活をしてみて、難しさを肌で感じてしまった。既に一個の人格であることをイヤというほど思い知らされている。彼は彼なりに、父親に気を使っているのが手に取るようにわかる。子供に気を使われる親っていったい。。。
▼睡眠不足だから、ポケモンを見たらすぐ寝かそうと思う。風邪を治さなくちゃ。

1999年4月14日(水)

▼男の子が生まれた。午後1時手術開始で、その15分後に誕生。2,660gで45cm。仕事の段取りをなんとかつけて病院に駈けつけた時には、既に手術は終了していた。早速抱いてみたけど、極端に小さく感じてしまう。上の子が大きかっただけにそう感じるのかな。でも45cmはチビだよなぁ。予定日より2週間以上早いからかな。その後一旦帰宅し、学校帰りの上の息子を自転車に乗せてまた病院に行った。彼は看護婦さんに「お兄ちゃん」と呼ばれて、大層背中のむず痒い思いをしたらしい。「お兄ちゃん」て初めて言われたな、と冷やかしたのだけれど、嬉しいやらなんだやら、どう反応して良いのかわからない状態のようだ。実感がわかないのだ。それでも、赤ちゃんを見た第一声が「かわいい」。徐々にお兄ちゃんになるでしょう。さて、入院は約2週間。次は土曜日まで行けそうにない。帰りは雨に降られて自転車を病院に置いてきてしまったから忘れないようにしなくては。
▼午後二時の帰宅時点で79kg。それから長いこと自転車に乗ったからもっと落ちていると思うが未検量。
▼さて、晩飯は何にするかな。あ、洗濯しなくちゃ。

1999年4月13日(火)

78.5kg。よしよし。
▼女房が入院した。今日から息子と二人。仕事をなんとか4時過ぎに終了させ、6時前に帰宅した。友達が二人遊びに来ていたらしい。帰宅したあとだったが、ぼくが家に入っていくと、慌てて空になったクッキーのパッケージを捨てる息子。あやしい。
▼すぐ、夕食の準備に取りかかった。息子のリクエストでカレーだ。合間に風呂掃除。洗濯。忙しいさなか、あちこちから電話が四本もあり、イライラする。どれもこれも心配してくれての電話だから、ありがたいには違いないのだが。さて、最後に隠し味のチョコレートを入れてカレーはめでたく完成。7時過ぎに食べ始めるが、息子は食が進まない。ははぁ、おやつだな。直感したぼくは息子を問いただした。案の定、クッキーは一人で全部食べたのだそうだ。明日からはおやつを制限しなくては。でも、ひとりだから本人の自覚次第なのだ。彼がどの程度自覚してくれるか。また明日。。さ、これから台所で洗物しなくちゃ。
▼いよいよ明日は出産の日。午後1時から手術だ。なんとか間に合わせたい。

1999年4月12日(月)

79.5kg。これは毎週火曜日の数字。さすがに休日が1日少ないと変動が少ない。さて明日からは息子と二人の生活。食生活はどう影響するのだろうか。
▼出産用に財形貯蓄を少々取り崩した。金利の欄を見てびっくり。0.05%だって!! 月割りの利息としても、かける12で0.6%。。。へぇ、財形でもそんな金利なのか! これじゃあ、銀行になんか預けるのがバカバカしくなるよなぁ。銀行救済の低金利に加えて、制度融資まで。国をあげての救済でやっとアホ銀行が一息ついたみたいだな。無為無策の国に頼ってばっかりじゃだめよ。
▼明日、女房が出産のため入院する。朝からひとりで入院だ。14日の手術にも立ち会えない。本人は気丈に大丈夫だと言っているが、内心の不安が痛いほど伝わってくる。休んで1日でもついていてやりたいのだが。。。ぼくの会社は、それが許される体制ではない。せいぜい14日午後から早退して病院に行ける程度。正直言えばそれも難しそうな雲行き。一言恨みも言いたくなる。また胃が痛くなってきた。

1999年4月11日(日)

▼統一地方選挙の投票日。埼玉県は県会議員選挙がある。昨夜の雨の降りしきる春日部駅前では、多数の選挙カーがロータリーを走り回っていた。凄まじい大音響。争うようにボリュームを上げるもんだから、駅前を離れても耳の奥に残響が残っていた。残念ながら投票には行っていない。入院の準備と、パソコン探しのためだ。Think Pad 235は既に製造中止になっているが、在庫で残っていれば相当の値引きが期待できそう。ってわけで春日部周辺の電気屋を探しまわった。ヤマダ電機、コジマ電機、ラオックス。。。その4軒目、大宮のコジマで在庫の状況を詳しく調べてもらいとうとう発見。千葉のお店に展示現品で一台だけある。値段を聞いて即決。考えていたより数万円安い。商品は来週の土曜日まで待たなければならないが、そんなのは何でも無い。それまでにネットワークカードを手に入れなくちゃね。

1999年4月10日(土)

▼出社の土曜日。3ヶ月に1回くらい土曜出社するのだが、会社は閑散としていて外線電話もほとんどない1日だった。いっそ休みにすれば良いと思うのだが、簡単にできないところがつらい。
▼会社帰りに女房と息子を呼んで久しぶりに「げんこつラーメン」に行った。やっぱりうまい。女房は入院→出産→育児と続くから当分食べられないだろう。大好物なだけにちょっとかわいそうかな。さて、その入院まであと二日。あしたは、一週間分の食料を買いこんでおかなければならない。
▼ラーメンを食べて帰宅して80kg。明日節制すれば、次のステップに進めるかもしれない。

1999年4月9日(金)

79.5kg。変わりばえしない。でも、昨日より少し少ない79.5kg。明日は出社しなくちゃいけないから、いつものウィークディのつもりでやればいいのだな。
▼子供の誕生日が決定した。帝王切開なので決まってしまったのだ。4月14日。大安吉日なのだそうだ。奇しくも女房と同じ誕生日になる。医者が大安を選ぶってのもおかしなもんだが...。出産の前日から入院するので来週の火曜日から約2週間の間、息子と二人で生活しなくちゃならない。はっきり言って自信がない。ぼくが帰宅するのは早くても7時くらいなのだが、果たしてその時間までひとりにしておけるだろうか。小学校2年生。。。一応会社には6時には帰宅していたいと伝えた。でも、そんなにうまく行かないよなぁ。自分でコントロールできる夜の予定はキャンセルした。なんとかしなくちゃ。来てくれる予定だった叔母が来れなくなってしまったのはとっても残念。期待していただけに女房の落胆が特に大きかった。さて、大量に食料を買いこんでおかなくては。
▼ノートパソコンが欲しくてたまらない。Think Pad 235だ。型落ちがむちゃくちゃ安くなっているが。。無理だよね。子供生まれるし。。。ああ。。

1999年4月8日(木)

79.5kg。またもやこの数字。投げやりではないのだが。。
▼昼食時、ケラーマンのアレックスシリーズの第3作『グラス・キャニオン』を探して書店巡りをした。2〜3日前行きつけの古書店で上巻は手に入れてある。下巻が無いのだ。3軒回ったが、ない。思い余って扶桑社に問い合わせた。そしたら、、、絶版なのだそうだ。ひどいぞ、扶桑社!! こんな熱心な読者だっているんだぞ。。う〜ん、古書店巡りしかないか。一縷の望みを託して、紀伊國屋のbookwebでも注文してみた。在庫があれば良いのだが、、無理だな。あとは古書店に注文って方法もあるらしい。ただし、気長に。。一体全体、どういう基準で絶版にするんだろうか。一度伺ってみたい。

1999年4月7日(水)

▼朝から具合が良くない。仕事も一段落しているので早退して病院に行って来た。ラッキーなことにレントゲンまで撮ってもらえた。思った通り胃潰瘍だそうだ。診断されたら気が楽になった。薬を貰って春日部の町をぶらぶら。HPの表紙にも書いているけど気楽にやろう。あ、これがよくないか。普通にやろ。ってわけで今日も早寝します。

1999年4月6日(火)

79.5kg。毎週火曜の数字だ。ここまでは来るのだが、これより下にはなかなか行かない。会社ではダイエットブームが勃発している。便乗して初心に帰ろう。
▼夕方、具合が悪くなった。4時半ころ急に眩暈がして、吐き気をもよおしてきた。トイレで顔を見たら真っ白。今もまだあまりよくない。風邪かな。それとも胃だろうか。最近は薬のおかげでそっちの具合はとても良いんだけど....。年かなぁ。。。胃の薬は、今日行ってまた2週間分もらってきた。う〜ん、気持ち悪い。寝ます。

1999年4月5日(月)

80.5kg。毎週こんな調子。もう減らないのか。。何か起爆剤を。。
▼HPをはじめて4ヶ月と少し。実感しているのが日記は増える、という事実。ものぐさにも関わらず、なんとか毎日書きつづけているから既に6ページ目だ。この調子でいくとなんだか恐い。1ヶ月で1ページだから1年で12ページ...。(縦長で見にくいのはご勘弁を) このHPを始めたときは10ページくらいだったのだが、数えてみたらもう50ページ近くになってしまった。ぼくのプロバイダは2M以上になるとサーバーを移動しなくちゃならない。面倒だよねぇ。それも4Mまででそれ以上は有料。2Mごとにいくらだっけ? 毎月200円くらいだったかな。なんだかなぁ。移転しようかと思う今日この頃なのでした。

1999年4月4日(日)

▼朝6時前、換気扇の音で目が醒めた。女房が消さないで寝たようだ。消そうと立ちあがったら息子がぼくと一緒に動いた。とっくに目が醒めていたらしい。学校に行く日は起こしても起きないくせに、休みだと異常に早いのだ。時計をよくみたら5時半。それにしても早過ぎる。あいつはいったい何時に起きたんだろう? 当然そのあとは寝かせてもらえなかった。
▼10時半ころ、息子と散歩に出かける。まずコンビニでおやつを買いこんで、その足で図書館の本を返すのだ。空は曇り空だけど、彼としゃべりながらの散歩はとても楽しい。用を済ませたら11時半。さらに、トイざラスまでポケステを探しに向かう。近ずくと車の量がやけに多い。そういえば、近くの岩槻公園は桜のおまつりじゃないか。早速女房に電話。おにぎりだけ作ってもらって、トイざラスに迎えに来てもらった。公園は駐車スペースが全然ない。満杯だ。しょうがないのでトイざラスに止めたまま岩槻公園へ行く。安いものだけど買い物したからいいよね。毎年ながら、ここもすごい人出。浮かれてかなり出費してしまった。いか焼き、たこ焼き、大判焼き、じゃがバター...。うるさかったのは「だんご3兄弟」。どこに行ってもあの音楽が流れていた。息子が買ったのは「だんご3兄弟」の形をした飴。商魂たくましいなぁ。

1999年4月3日(土)

▼朝4時に目が醒めてしまった。これは異常だ。それでも眠れないのでずっとHPの更新作業をする。7時ころ家族が起きてくる。今日はお花見にいくのだ。
▼女房がおべんとを作っていた午前9時ころ、ピンポォ〜ン、、お客さんだ。ぼくが息子に目配せすると、息子がインターホンを取り上げた。案の定ヤナギバシ君。玄関で何事か話している。どうやら、出かけるまでの約束でゲームをして遊ぶことにしたらしい。出発は10時半。ヤナギバシ君も一緒に行きたそうだった。余程連れて行こうかと思ったが、父親が家にいるらしいので誘わないことにする。向かうは「権現堂桜堤」だ。四号線に入ってしばらく走ると、なんと渋滞。今日と明日が桜のピークだからね。納得。結局、到着まで約一時間半もかかった。
▼「幸手桜まつり」は大賑わいだ。息子は四回もクジをひくが、スカの連続。多少落ち込んだようだ。こんなところで大切な運を使わなくても良いんだよ。その後数時間、久しぶりのお祭りの雰囲気と、満開の桜をたっぷりと愛でて3時頃帰宅。途中寄ったイトーヨーカドーではFF8の攻略本を発見。地域振興券で購入した。休日にもかかわらず一万歩も歩いたし。ま、心地よい疲れってところでしょうか。

1999年4月2日(金)

80kg。朝、調子こいて松屋で牛丼を食ってしまったからか。うまかった。ちょっと甘めだったが、肉の味がしっかりしていておいしかったなぁ(^^;;)。
▼一月からの懸案事項だった会社のHPがやっとUPできそうだ。JPNICとのトラブルもやっと解決。5月の連休明けには公開できそうだ。またまた、時間がかかってしうのだが、仕方ないな。まず第1歩を踏み出さねば。
▼同僚から「電気ブラン」を貰った。合同酒精が製造しているやつ。前に浅草の神谷バーで1回だけ飲んだことがある。クセがあって一見飲みにくいのだが、慣れたらなんでもない。自分がのん兵衛って証拠かな。さあ、明日はこれを持って花見だ!

1999年4月1日(木)

▼今日も同じく79.5kg。午後4時ころ、間食をしてしまった。チョコレートと揚げ小丸。水曜と木曜は腹が減る。夕食も野菜ばっかりだけど結構食べてしまったし。
▼会社で机を並べている女子社員がダイエットをはじめた。入社してまだ八ヶ月くらいなのだが、5kg太ったのだそうだ。ダイエットについていろいろ講釈を垂れている。迷惑なんだろうな。今日のチョコは彼女にも少し分け与えた。当然迷惑そうな顔をしていたが、ひとりだけでチョコレートを食べるなんて冗談じゃない。ダイエット中は諸共なのだよ。