東京伝説 呪われた街の怖い話    平山夢明
ハルキ文庫 1999年7月18日 第一刷
 平山さんならではの作品集。「呪われた街の恐い話」とサブタイトルにあるが、心霊現象や超常現象による恐い話は一つも出てこない。収録された話はサイコなホラー話ばかり全部で48話。平山さんならではという理由はこのあたりにある。サイコ物のショート・ショートとでも言えば良いか。ただし、これは全部平山さんが拾い集めた実話で完全なるフィクションはひとつも無いとのこと。だからなのかどうかは不明だが、どの話もルポのスタイルを取っていて結構臨場感がある。だが、平山さんのイマジネーションがどの程度加味されたかは全く不明。このあたりが中途半端な印象が強くしてしまっている。それなら、いっそのことひとつひとつを短編小説の形でまとめた方がしっくりきたんじゃないかな。あ、でもルポをまとめたんならしょうがないけど。その辺はあとがき・解説を読んでも不明。

 平山さんは2000年春、満を持しての長編『ジェミニの牢獄』をカッパ・ノベルスから刊行するそうだ。期待して待ちましょう。

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水の通う回路    松岡圭祐
幻冬舎 1998年11月15日 第一刷
 この作家は大変なストーリーテラーだ。よくもまあ、次ぎから次ぎへとこれだけの謎をかけてこれるもんだ。だから読者は飽きるということを知らない。また、ひとつひとつのモチーフが小道具まで含めて全くの奇想天外で着想が豊か。人物については少々難ありと感じさせたのが前作だったが、この物語ではその辺りが随分と進歩していて、それどころかかなりいい味を出している登場人物もいるほどだ。クセのある人物たちを活き活きと描き別ける筆さばきは、既に新人作家のそれではないな。

 ただし、現実感が乏し過ぎる。荒唐無稽に過ぎて、リアルさが感じられないのである。良くも悪くも、マンガチックというか、劇画タッチというか……。あまりに突飛で、しかも飛躍があり過ぎて、作者が一番語りたいであろう事柄が全然響いてこないのも事実なのである。ありきたりな展開を嫌う作者の気持ちも大いに伝わってくる。確かに、ありきたりではないんだけどね…。

 懐の深さを感じさせるのもこの作家の特徴。将来を考えれば非常に有望なのは間違いない。でも、あんまり自分の枠に当てはめない方がいいと思う。全体の辻褄合わせ、謎解きは口あんぐりの力技。気の流れに逆らわない、作り物を感じさせない自然な物語作りを目指して見るのも手じゃないかな? ストーリーテリングに磨きがかかると思うんだけど。それでも、どうしても自分の枠に嵌めこみたいなら、もっと書くべきテーマ・題材を絞って我を通した方がいいと思う。生き馬の目を抜くゲーム業界をこれだけ描く筆力があるのだから…

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デイブレイク    香納諒一
幻冬舎 1999年9月30日 第一刷
 なんとも小ぢんまりとまとめたもんだな、というのが読後の第一印象。
 設定は、拍子抜けするほどありふれたものだが、際立った人物造型とその深みが救いか。元自衛官の佐木、元ストリッパーの美奈子、佐木の自衛隊時代の上官今村、梶、藤田・・・。人物のひとりひとりに鬱陶しいほどの背景を持たせ、生きる意味を問わせる。ぼくとしては、佐木よりもサイコがかった梶に興味を惹かれちゃうんだな。

 元々、プロット作りがうまく、登場人物を自由に操って物語を複雑にするという美点(?)のある作家だが、今回もいろんなヤツの思惑をからみあわせ、スピーディな展開で読み応えあるチェイスを演じさせている。それにしてもありがちな題材…政治家がらみの○○メモとか、裏の処理係とか、○○開発計画とか、元自衛官の主人公とか…考えれば考えるほどこんな題材・設定がもったいなく思えてくる。しかも、舞台は北海道と来たもんだ…。今やハードボイルドには、新しい地平はほとんど残されていないと思う。ありきたりな題材でも描き方次第で生命を吹き込めるとは思う。でも、、これはありきたりでチープに過ぎたかな。

 深読みすれば、佐木と梶という似て非なる純な人物像を浮かび上がらせるために、対極にあるありふれた政争がらみの小汚い連中を敢えて登場させたような気もする。想像に過ぎない。でも、そう考えれば確かにこの二人は鮮明かもしれない。中間としての美奈子と今村。正解かも…。

 それにしてもだ。香納諒一の力はこの程度ではないはず。せっかくの書き下ろしで、しかも一年ぶりの新作なんだから、もっともっと物語に広がりというか深みを与えて欲しかった。あんまり小さくまとまって欲しくないのだ。

 そうそう、装てんにも文句がある。何この表紙の絵? 帯を取ったらミドリ亀かと思ったぞ。デイブレイクの美しい絵にして欲しかったと思うのはぼくだけ?

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ハサミ男    殊能将之
講談社ノベルス 1999年8月5日 第一刷
 書店ならまず手に取ることは無いでしょう。それでも、こうして読めたのは図書館のお陰。評判を聞いた(読んだ)ことがあったから借りたわけだけど、つまんなそうだったらすぐに投げちゃおうと気軽にページを繰った。あらまあ、なんという雰囲気…。忽ち物語に引き釣りこまれてしまったのだ。

 独特の飄々とした軽妙な語り口と、センテンスを短く切った思いきりの良い文体に惹かれた。この小説はいったい何者だ! サイコと言えばサイコだがサイコではなく、警察小説といえば確かに役者は揃っているようだがそうではなく、本格物といえば間違いないのだがそればっかりでもない。いろんな要素がごちゃごちゃだが整然と詰めこんであって、ど真ん中に極めつけのでっかい謎がある。書き出しからずっと作者の手のひらなのだ。翻弄された末のラストで驚いて、もう一度ざっと頭から斜め読みしてみたのだが、きちんと伏線が張り巡らしてあるのに二度ビックリ。小道具を使っての肩透かしなんかうまいもんだ。

 作者が、作中で刑事に言わせているように、推理小説(死語じゃないの?)は絵空事だからおもしろい。全くその通り。犯人の心理だの、背景だの、なんだかんだを思いきり削ぎ落として、宣言した通り何でもありの絵空事の世界でここまで厚みのある物語を書いちゃうんだから、この作家は間違いなくプロ、それも一流のプロになれる素質がある、と思う。軽いようで軽くないのだ。ただし、セリフ回しだけで人間を描き分けたつもりになったとしたら大間違い。ハサミ男以外の人物はほとんど描けていない。これを克服しないと。

 もうひとつ残念なのは、タネ明かしの長広舌。一本調子にならないよう、ここでも随分と工夫を凝らしているが、単なる説明の域を出ていない。(あ、これは作者が読者に説明するシーンなのだったな) 物語の構成上どうにもならないんだけどね…お約束だから。こういう処理ってどうも好きになれないのですよ。作者が自慢してるみたいでね。

 しばらくの間発酵させてから、もう一度じっくり読み返してみたい。

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八月のマルクス   新野剛志
講談社 1999年9月9日 第一刷
 第45回(1999年)の江戸川乱歩賞受賞作だ。
 舞台は芸能界。仕掛けられたスキャンダルで引退した元お笑いスターを主人公に、ハードボイルドの定番ともいえる、過去の清算、魂の救済、自らの成長、友情などが、新人らしからぬハードボイルドな渋いタッチで描かれている。作者はすでに、独自の人間観察眼を取得されているようで、この作品でも静かな哀歓を滲ませ腸に染みわたる名シーンをいくつもものにしている。最もしみたのは主人公笠原雄二が、番組収録中の事故で死んだ後輩のお笑い芸人グルーチョ・マサの両親を訪ねるシーン。これはとてもうまい。特に、この母親の描き方は出色だ。作者自らの経験がダブって深みが出たんだろうか。

 芸能界の裏話的なエピソードもおもしろい。プロットもよく練られてうまく繋がっており、複雑さの割に無理がないように思える。でも、なんでこんなに地味で平坦な印象しか残さないんだろう。主人公雄二の一人称で語られる物語がストレート過ぎて、奥行きが全く感じられないからだろうか。いかにも取ってつけたようなラストに赤面して違和感を感じてしまったからだろうか。雄二が自らの家族の問題を解決していないからだろうか。ストーリィの展開にメリハリがないからだろうか。。。たぶん、そういったこと全部が原因なんだろう。このあたりをうまくからめて、物語に厚みをつければもっともっと良い作品になったと思う。う〜ん、枚数の制限があったからなのかなぁぁ…。

 受賞作がハードボイルドで、作者は三年半も放浪していたなんてオイシイ話かもしれないが、受賞作に結び付けての営業姿勢には悪臭が漂う。さも美談のように引いて紹介する書評家にも虫唾が走る。どんな作品であろうが、著者には背景があるのだ。次作が勝負だな。

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カムナビ    梅原克文
角川書店 平成11年9月30日 初版
 梅原克文が満を持して放つ問題作。
 う〜ん、、そんなに肩肘張る必要なかったのに……。なんだか作者に同情してしまう部分もあるのだが…。作品の出来は決して良くない。エンターテイメント小説を誤解しているような気もする。SFだろうが、サイファイだろうがおもしろければ良いのだ。そんなことに拘ることこそ、読者不在。でも、事情も察せられるので……

 梅原さんの考え方も少しは理解しているつもりだが、この小説でそれを具現したのなら首を傾げざるを得ない。これでは、某出版社が出している超訳本と大差ないじゃないの。一般大衆読者をおちょくってるとしか思えない……。手取り足取り感情を説明するために、繰り返し用いられる、オーバーでチープな単語の羅列。極端にデフォルメし過ぎてしまい、全く凄みの無い、すぐに口を滑らすおっちょこちょいで腰の据わらない登場人物たち。特に主人公の葦原志津夫。チープ過ぎるぞ…

 古代史からひも解き、宇宙にまで飛躍するストーリィはさすがと思わせる。でも、ディテールがなってないのだ。キレが全く感じられない展開は、ご都合主義のオンパレード。細部をみればきりがないんだけど、冒頭の茨城はなんだったの? 何故、あの人は、あんな所で、あんなことをしていたの? ノートパソコンは、普通フタを閉じればレジューム状態になるのよ。だから、スクリーンセイバーは起動しないのだ……。こんな小さな綻びのひとつひとつが、大きな嘘で上手に騙されることを拒ませてしまうのだ。ついでに言えばラストも。なんで、どうして、終息したのさ…?

 やっぱり、エンターテメント小説を誤解している。ジェットコースター的なストーリィ展開のおもしろさは、小説の楽しみのひとつに過ぎないのだ。行間から立ち上る芳香の酔いしれるようなおもしろさもある。いろんな要素がバランスよく配置されてこそ、第一級のエンターテイメント足りうるのである。『ソリトンの悪魔』で見せつけたような冴えは全くない。目に付くのは、大衆(梅原さんの言う)に迎合するような執筆姿勢ばかりだ。

 売れる小説とおもしろい小説と書きたい小説。作家の苦悩と宿命が、読む者に痛みを感じさせてしまう作品になってしまった。過渡期であることを願う。更に願うなら、『ソリトンの悪魔』の梅原さんに帰ることを……。

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亡国のイージス    福井晴敏
講談社 1999年8月25日 第一刷
 存在そのものが、わが国の矛盾の象徴と言っても過言ではない自衛隊。軍隊であることは、自明の理であるにもかかわらず、「自衛隊」などという姑息な名を冠せられて、憲法に曲解を重ねて存在しつづける。一方、軍隊であれば兵士がいるわけだが、あてどない訓練に身を委ねつつ矛盾の中にアイデンティティを見いだそうとする者たちの苦悩など、戦後アメリカによって仕掛けられた、五十年殺しの産物であるぼくらには全く想像の外なのである。

 かつて、防大出で佐官を目前にして自衛隊を辞してしまった知り合いがいた。当時、三十代半ばの気鋭の戦闘機乗りで、家庭では四人目の子供が生まれたばかり。転職など考える状況ではない。幾晩となく眠れぬ夜を過ごした上での苦渋の選択だったらしい。興味本位で容赦ない質問を浴びせるぼくらに、深夜の居酒屋で核心をかわしながらも訥々と語った言葉が耳に残っている。それは、この物語で語られる有事法制研究会の面々と非常に近かったように記憶している。彼の場合は、退官することで心の平静を保った。だが、組織にとどまり続け、ジレンマと戦い続ける者たちが、何かをきっかけにこの物語のような暴挙に出たとしても動機としては納得できてしまうのである。もちろん、虚構の物語の中での話であるが。

 自己欺瞞とすら言えない甘い蜜で満たされた暮らし。これはある面では、政治の勝利ともいえるのだけれど、東西冷戦が完全に終結した現在、新しい道を模索しなければならないのも事実だと思う。かといって、国歌国旗に対する一連の出来事をもって日本人が愛国心を忘れた民族だとは思わない。ここらあたりを入り口にこの物語を考えれば、かなりデフォルメがきついとは思う。登場人物ひとりひとりにしてもやはり同じで、それぞれの心情の吐露など少々謳いあげ過ぎの感は否めない。正邪の捉えかたも通り一遍で見るものが少ないし、その描き方も教条的と言われれば否定できない。

 それでも……それでも、この物語は歴史に残るべき大傑作だと思うのだ。細かな嘘が細密なディテールをもって丁寧に配置され、大きな嘘に気持ち良く身を委ねさせる。浪花節と言われようが、ステレオ・タイプと言われようが、ぼくはこの物語を読みながら何度も何度も涙してしまったのだ。流れるようなストーリィに仕掛けられたいくつもの罠。中盤のどんでん返しと終盤で露見させる落ちをはじめ、物語が着地に至るまでの見事さには目を見張らされたのだ。エンディングが大甘過ぎて、物語全体をメルヘン(これだけの犠牲者を出した物語なだけに、不謹慎な言葉だが…)のようにしてしまったのが少々残念だが、事後処理については明確な意図があるのだから、これはこれで作者の意思は十分に伝わてくる。
 ともかく、これだけの長い物語を飽きさせず、釘付けにさせたまま読書の楽しみというか、スペクタクルを味わわせてもらって感謝感激なのである。 

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異常犯罪捜査官   大石英司
TENZAN NOVELS 1991年5月7日 初版
 時代劇の捕り物帖。困り果てた岡っ引きが、元お奉行かなんかのご隠居さんに事件を持ち込む。いやいや、あたしなんざぁ隠居した身ですから、と固辞しつつも、城下の話題にさりげなく詳しかったりする。嫌よ嫌よ、といいつつも一旦事件に身を投じると、エルキュール・ポワロも真っ青な灰色の脳細胞が派手な推理を展開する。かくして事件は快刀乱麻。スカッとするわけですね。捕り物帖じゃなければ、西部劇。事件を解決したガンマンは颯爽と新幹線に乗って帰って行く(^^;;)。

 とにかく主人公・円納寺にはそんなカッコ良さがあるのだな。スターリング=遊佐警視正は、「円納寺カムバック!」とは叫ばないけどね(^_^;)。ただし、このカッコいい円納寺はどっちかと言うと、犯人側に近かったりする。でも、流行のプロファイリングという言葉は一度も出てこない。これは作者が意識して使わなかったんだろう。理由はわからないけど。円納寺の捜査は物的証拠重視だ。『殺しの儀式』『殺しの四重奏』のトニー・ヒルみたいに、犯人にベタベタに感情移入しない。それでも、ある程度はお見通し。そういえば、トニー・ヒルもちょっと危ないキャラクターだったな。初めて読む作家だからどうかわからないが、大石英司さんは、ベタベタに感情移入するプロファイリングは書かないような気がする。なんていうか、非常に乾いた印象が強いのである。それでいて締めるところは締める。

 計算され尽くしているのだ。物語の展開から、登場人物たちから、何もかも。数あるトリックも実によくできていて、これはまさしく奇形ではない正統な本格物と呼ぶにふさわしい。過去に経験したことが無いようなダイイングメッセージ。その意味。そしてその取り違え。一難さってまた一難の展開の妙。円納寺が犯人に迫るディテール。物量と直感の微妙なバランス。お約束といえばそれまでなのだが、おもしろい物語のイロハが全てここにある。決して長くはない小説なのだが、あらゆるエッセンスがこれでもかと詰め込まれているのだ。

 全体的に非常に乾いた、ぶっとんだ印象が強い。全てを超越したかのような。この作家一筋縄ではいかない。ラスト間近、遊佐警視正が自らを奮い立たせる理由が奮っている。いやあ、大石英司さんすごいぞ。大切な本を貸してくれたてっちゃんにはお礼の言葉もありません。ありがとうございました>てっちゃん。

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千里眼   松岡圭祐
小学館 1999年6月10日 初版第一刷
 うっひゃーっ!! またまた松岡圭祐の力技炸裂だぁ〜。中盤にやや弛みはあるものの、ノンストップのジェットコースターノヴェルといって良いだろう。『催眠』や『水の通う回路』と同じネタ−−「催眠」を扱ってはいても、格段にパワーアップしたでっかいスケールで読者の脳味噌を攪拌しちゃうのだ。相変わらず、抜群といえるストーリィテリングの妙はこの作品でも健在。無類のストーリィテラーが練りに練ったプロットで読者に迫る。ハラハラドキドキ。終盤はページを繰るのももどかしいほどのスリルを味わわせてもらったのだ。

 でも、でもですねぇ…一言でいうなら、荒唐無稽なのだな。ひとつひとつのディテールは非常に細かく、取材も丁寧にされているのはよくわかる。でも、どれをとってもあまりにも無謀な設定。主要な登場人物でもリアリティがあるのは唯一蒲生刑事だけ、と言っても言い過ぎではないかも。岬にしろ院長にしろ、『催眠』ライクな手品もどきの千里眼を発揮するんだけど、こんなの信じろという方が無理というものでしょう。特に暗号解読。ストーリィ展開にしても、手に汗は握れども、強引さに目がテンなのも事実。真実に迫る道筋も、安易な証拠と安直な直感によって作者に都合のいいように動いた人物によって導かれる。これだけ洞察力が豊かで直感力に優れる人物なのに、黒幕にはなかなか気づかない。いかに理由を説明されても納得できないなぁ。読者であるぼくらはとっくのとうに気が付いているから困っちゃうんだよね。黒幕には松岡圭祐のパターンがありあり。読まれてるぞ>松岡さん。

 薄っぺらい。官房長官の人情話も、子供たちのカウンセリングの話も、その両親も、主人公の悩みも…。加えて、黒幕にも説得力を感じない。なんであんなことをしなくてはならなかったか。もっとドラマが欲しい。良くも悪くも劇画チックで、ハリウッドの大作娯楽映画もどき。娯楽大作も嫌いじゃないんだけど、あまりに読者を小ばかにしたような展開ばかりが目立ってしまったのである。大体、冒険小説は荒唐無稽なもので、そのあたりに拘ったら全然楽しんで読めないのだ。それはわかっているんだけど、この物語には素直に身を委ねられない違和感につきまとわれた。それでも、かなり楽しんで読めたんだからもったいないよなぁ。岬美由紀のキャラクターの卓抜さで救われたかな。って岬もリアリティに乏しいんだけど…。

 う〜ん、やっぱり作者に望みたいのは、じっくりと腰を据えて人物たちが勝手に動き出すようなストーリィ、水の流れるようなね。所詮作り物なんだから、なんでもいいだろ、おもしろきゃいいだろ、じゃ飽きられてしまう。しかも読後になぁ〜んにも残らないし。この物語はまだ決着がついていないようだから、きっと続編があるんでしょう。続編には嵯峨敏也が登場するみたいだし、楽しみではあります。でも、こんな調子ならまた図書館本で済ませそうだな。

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フラッシュ・オーバー  樋口京輔
角川書店 平成11年9月25日 初版
 横溝正史賞の佳作受賞作品。
 ぼくの生まれ故郷、新潟県の作家(しかも在住)で、舞台も谷川岳や湯沢あたりだったりするので、それなりに興味を持って読んだ。時折出てくる地元の方言に郷愁を誘われたりしたわけ。どちらかといえば題材も着想も冒険小説風で、好みの部類にはいるしね。

 余談になるけど、新潟県と冒険小説の取り合わせといえば、真っ先に思い浮かべるのが『ホワイトアウト』。小説の舞台である奥遠和ダムは、新潟県と福島県の境にある奥只見ダムをモデルにしているのだ。小出町からのアクセスやダムの様子など、かなりの部分が現実を忠実に描写している。それだけに物語に対する思い入れも一入で、読書当時の熱狂度は大変なものだったのだ。

 だからといって、この物語に『ホワイトアウト』を期待したわけじゃない。これがデビュー作の新人作家にそんな無理な注文はしない。少しでもあの興奮に近いものが味わえれば、その程度を願ったに過ぎないのだ。だけど、それすらも裏切られた。この程度の小説じゃあお金を出して買った人に失礼でしょう(図書館だったけど、σ(^_^;)。処女作ゆえの文章のまずさには目をつぶるとしても、それ以外でも小説として全くなっていないのだ。アクションシーンは全然だめ。これは素人同然の文章力が多分に影響しているんだろうな。細かくキチンと書き込むべきところと、流しても構わないところを把握できていない。特に未知のトンネル内の描写は、全体を大雑把に掴んだ上で更に細かくしなければ全然情景が浮かんでこないのだよ。

 構成には随分工夫のあとが見られるけど、気の流れに逆らってばかりいるので緊張感はぶった切られてばかり。ストーリィ展開はもたつく上にギクシャク。読み終わっても一体全体何を言いたかったのはさっぱりわからない。犯人についても間接的な描写しかないので、大義名分も痛みもまったく伝わらない。物語も半ばを過ぎてからの犯行声明には苦笑するしかない。もうきりがない。編集者の責任も重いと思う。

 次回作を構想中らしいけど、このままではダメでしょう。着眼点やプロットには良いものがあるんだから、研鑚を積んでから出直すべきだな。

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呼人  野沢 尚
講談社 1999年7月30日 第一刷
 生命の根源や、創造主に関わろうという物語なのに、どうしてこうもスケールが小さく感じられてしまうんだろう。作者の意識ばかりが先走りして、しかもどれもこれも小手先でさばいてしまった風の読後感しか残さない。重みを持たせなくてはならないところが、やけに軽く感じられてしまうのだ。これなら、『リミット』の方が断然いい。『リミット』も俄かには信じがたい展開を見せるのだけど、まだ地に足がついているというか、心に響くものがあったように思う。

 実に単純なストーリィだけに、手を変え品を変え見せる要素を織り込もうとする姿勢はわかる。だが、その展開ひとつひとつがあまりに飛躍し過ぎなのである。かてて加えて、突飛な飛躍をするわりにはどれもがストレートで捻りが無く熟成もされていない。テレビドラマじゃないんだから、もうちょっと捻った落ちと、深みを与えなければ小説としてはだめだと思うのだ。気を持たせた末のエピローグも肩透かしなんだけど、これはこれで大いなる皮肉ともとれるから良いかもしれないが。

 その馬鹿正直なストーリィも、結局は神の名を借りれば何でも通せてしまうと勘違いしたかのようなご都合主義のオンパレード。これでは目の肥えたエンターテイメント小説のファンはそっぽを向いてしまう。普段相手にしている、テレビドラマの視聴層とは根本的に違うのだということを、改めて認識しなくてはならない。

 題材もねぇ…ヒューマンいいけど……う〜ん、、なんでこういう題材を選びたがるのかなぁ〜。ちょっと、真保裕一の『奇跡の人』の不出来ぶりを思い出したりもした。すんごい傲慢な言い方で申し訳ないんだけど、そう思ったので素直に書いてしまったのさ^^;。

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