レフト・ハンド    中井拓志
角川ホラー文庫 平成10年12月10日 初版発行
 もうちょっとストーリィに起伏があったら文句無しだったのだが、残念ながら「レフトハンド・ウィルス」というワンアイディアで終わってしまったように思える。しかし、このワンアイディアがすごい。なんせ、ウィルスによって左腕が抜け落ちて、身体から独立して生命を宿してしまうってんだから、半端じゃない想像力だ。しかも脱皮した左腕が宿主を食ってしまう……。脱皮シーンとか、左腕がゾロゾロ動き回る描写や女王レフトハンドを擁くシーンなどが『エイリアン』真っ青で、ある意味滑稽だったりするのだが、逆に深い示唆に富んだ意味深い代物にも思える不思議な物語だった。

 何にでも屁理屈をこねようとする方が多い中で、この理屈抜きのドタバタは得がたい個性だと思う。どこかアッケラカンとして人を食ったような印象。唯一、厚生省の学術調査員の津川正太郎が捏ねる大いなる誤解の理屈が、これまた示唆に富んでいるように思えてくるから不思議だ。この津川のカンブリア説については、ぼくは全く知らない世界なので誤解があるかも知れないけど、とても良く資料をあたられて取材充分と思えた。それでもやっぱり、作者の悪ふざけみたいな気もしてしまう。パロディなのか……。

 多分に『エイリアン』を意識したように見えるレフトハンドや、脱皮した個体レフトハンドの弱さや、全然怖くなくて滑稽さが勝ってしまう恐怖シーンや、マッドサイエンティスト影山のいい加減さなどが、オフビートなズレを感じさせてくれて楽しませてもらった。で、冒頭に戻ってしまうんだけど、もうちょっとストーリィに起伏があれば文句無しだったなぁ……、と。例えば、研究所を出るとか、埼玉から出るとか、研究所内に留まってももっと大きな動きがあるとか。公安がどうとか言う割に一向に物語が先に進まなくてイライラしっぱなし。

 冗長と言ったら言い過ぎだろうか。あんまり意味の無さそうな描写が多いとも思ったもんで……。例えば、何度も出てくる廊下のシーンとか、研究所の描写とか、ほかにもいろいろ。もっと刈り込んで2/3くらいにまとめれば、グッと締まった物語になったと思う。全体の印象が短編をダラダラと引き伸ばした長編を読まされたような印象。やっぱりストーリィ展開に問題ありかな。レフトハンド・ウィルスの正体に驚かされただけに、とてももったいない気がした。

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白夜行    東野圭吾
集英社 1999年8月10日 第一刷発行
 今ごろ読んでおいてナンですけど、ぼくはダメだったようです。「底知れぬ悪意」って嫌いじゃ無いんだけど、『Mr.クイン』ほどじゃないけど、人の動きがあまりにうまく出来すぎていて拍子抜けだった。人はもっと予測不能な動きをするもんだと思う。だから物語になる。人間観察が甘い、というか底が浅いとしか思えない。ラストのヒロインの言葉だって、そっち系を知らない読者なら、アッと驚く悪女ぶりにひっくり返るんだろうけど、この手の悪女というか似たような台詞は過去に何度も見たような。都合よく人を動かしただけの物語とは言い過ぎか。物足りない。

 東野圭吾って読者が多いんですよね。でも、『秘密』といい、ぼくには合わない作家なのだと思うことにしている。それでも、主人公ふたりの接点を作らずにふたりの関係を浮き彫りにする筆力はかなりだと思うし、なるほど構成は緻密で充分に練り上げられていてとても美しいと思う。それほど技巧に走ったとも思えないし、結構腹にこたえる物語だったし、いったい何が気に入らないのかとても説明しずらいんだけど、語り口から雰囲気から独りよがりの人物から全部軽めでしっくりこない。やっぱり、技巧に走りすぎなのかな…。

 それなりに腹にはこたえたが、ストーリィは奇を衒い過ぎというかなんというか。結局作りこみ過ぎと見えてしまう。うまく作為をテクニックで隠してもどうしても透けて見えてしまう。感想では何度も書いたことがあるけど、どうやっても死なない主人公よりもこういうことにより作為を感じてしまうのです。テレビの二時間ドラマが嫌いな理由と同じかも。まあ、好き嫌いはおいておいて、真っ当に評価というか、位置を考えてみても(3.5)が良いところだと思う。好き嫌い入ってるか……。

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鳥類学者のファンタジア    奥泉光
集英社 2001年4月10日 初版発行
 タイトルに惹かれ、ページをめくって更に扉に記されたアニタ・オデイの言葉に惹きつけられた。中身は予想以上。読むほどに物語に引き込まれる。やたらセンテンスの長い入り組んだヘタウマな文章が、初めて読む作家の敷居を高く見せたが、徐々に独特のリズムが心地よくなってくる。途中で、計算され尽くしたテクニックと気がついた。焦点をぼかしたような朧な文体がが、全体を覆うファンタジックな世界にぴったりはまった。堪能いたしました。

 作者の奥泉光さんは芥川賞作家なのだそうだ。ぼくはちょっと前に話題になった『グランド・ミステリー』も未読で、これが初奥泉。一度だけ図書館から借り出したことがあったが、時間がなくて読まずに返却してしまった苦い思い出がある。いささか遅きに失した初奥泉。ところが、予想以上に印象深い読書となった。

 三十代後半の女性ジャズピアニストが、いきなり第二次世界大戦末期(1944年)のベルリンへ飛んでしまう。そしてなんとラストには、あのミントンズで……。はあ、奥泉さんてこういう作風の作家だったのか……。ヒロインはしっかりと順応する。しまいには、彼女の友人の女性たちまで飛んできてしまう。しかし、すべては受容され、不可解な物語にはSF的理屈がない。それでいてなんとも包容力の大きな物語が読者を恍惚とした気分にさせてくれる。

 「宇宙オルガン」とか「ロンギヌスの槍」「フィボナッチ数列」などの魅力的なロジックがスケール大きく降ってくる。これは作者の音楽世界観みたいなものだと思って読み進んだ。読了後に、奥泉さんは絶対に音楽の素養があるなと思ってネットで調べてみたら、なんとフルートからキーボードまでこなしてしまうミュージシャンとのこと。ラストの仰天の「チュニジアの夜」にも納得した。ジャズファンの夢ですよね。しかも、モードで「チュニジアの夜」なんて。あろうかとか、チャーリー・パーカーに「But not so bad」なんて言わせてしまう。シビれた。

 きっと作者の文学論というか芸術論みないなものなのでしょう。「柱の陰に熱心な聴き手がいる」とはそっくり文学にも置き換えられる。ぼくの思い込みとしても、作者のジャズ観を小説に置き換えて作り上げた物語と言っても、大きく外れているとは思えない。ところで、「バード」とはチャーリー・パーカーの愛称で、「鳥類学者」とはバードを愛する人たちというような、拡大解釈すればコアなジャズファンということになるでしょうか。こんなエンターテイメント指向、とても好きです。

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眩暈を愛して夢を見よ    小川勝己
新潮社 2001年8月20日 発行
 きっと、作家という職業は内なる力だけでは続けることができないんだろう。かといって、テクニックばかりが先走った、コケオドシの作品には反吐が出るが。小川勝己という作家は、とてもポテンシャルの高い作家なのだと思う。この物語は、その作家が、自らのテクニックをこれでもかと駆使して読者に突きつけた作品。範疇としては、ぼくの大嫌いな新本格に属するかな。

 この人の凄いところは、それでも単なるコケオドシに見せない点で、この物語でもグシャグシャにかき回した挙句、わけのわからない物語を奥深い物語に見せることに成功しているように思える。少なくともぼくにはそう読めた。才気闊達。作中作があって、作中劇?まである。三つの一人称を駆使して文体を描き分け、大家の模倣までして、それを批評までしてみせる。内面へ内面へと入り込んだ迷宮で読者を手玉にとるが、決して得意になっているようにも見えない。『葬列』でも感じた「必然」が、ここでも垣間見える。そんな底力を感じてしまうのだ。

 進む道を決めるのは作家本人だから、作者がどんな道へ進もうがどうでもよろしい。しかし、過去のクライムノヴェルが時流に乗っただけの単なる擬態でないことを祈るのみだ。

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長い腕    川崎草志
角川書店 平成13年5月25日 初版発行
 2001年の横溝正史賞受賞作。作者はゲーム業界の方らしい。事件の発端と謎が提示される前半、職業が作品に活かされた業界へのかなり突っ込んだ書き込みに楽しませてもらった。後半になると「長い腕」=「インターネット」と解釈できそうな展開が、これもそれなりに。だけど、ヒネくれた見方をすると、関係者だから、自身の所属する業界に詳しいのは当然で、プロの作家としてどうかは未知数だと思う。評価は二作目以降でしょう。

 つまるところ、未知の領域をどう取材してどう描出するか。こんなことは充分わかっているんだろうけど、敢えて自らの業界のウラ話アレコレをネタにして受賞した作者にはそんなことを思ってしまう。「ケイジロウ」の描き方が、事実かどうかは別にして、かなり消化されている印象があるから、自分とはまったく別の業界を描いた方が良かったんじゃないかと思ったりもする。新人としては達者だと思ったので余計なことを考えてしまった。「達者」なんだから良いんだけど……。どうもページ埋めに使ったように読めてしまって……。

 おもしろかったのは、「さいたま新都心」という前半の舞台設定。ここを舞台にした小説は記憶がない。そういえば、つい数日前にどこかのニュースサイトで、埼玉県庁の職員がゴジラ映画を誘致しようとシナリオ付きの企画書を映画会社に提出した、という記事を読んだばかり。見沼たんぼで発掘された何かが発端で、ゴジラがさいたまスーパーアリーナの屋根を引っ剥がしてしまうんだと。パブリシティとしてはかなりの効果が見込めるかな。おっと、話がそれてしまった。ともかく、いろいろと話題が詰め込んであってかなり楽しめる作品に仕上がっていると思う。

 考えてみれば横溝正史賞なんだよね。後半のオドロオドロしい展開も納得。前半のモタモタから、後半は一転してスピーディになる物語も破綻が無いと思う。「ケイジロウ」に関連した、建物の微妙な湾曲と人間の精神の関連などとてもおもしろかった。ただ、人物はどれもあまりいただけない。ヒロインが魅力に乏しいばかりでなく、理由もなくバックアップしてくる元上司ら、違和感のある登場人物が多くて辟易した。

 ラスト、ぼくはもっと裏があると思って、ラスト数ページは期待感で一杯だった。しかし……。もうふた捻りくらい加えられるような気がする。以下、ネタバレかもしれないので、敏感な方はご注意を。





 いえね、てっきり、あの変におせっかいな元上司が黒幕なんだと思っていたのですよ。実際、あの展開、真犯人よりもそれの方がおもしろいと思うんだけど。わけもなく事件に参入してくるのにはそれなりの理由があるんだろう、と勝手に思っていたのが誤解のはじまり。前半の業界ウラ話を削って、そういう展開にしたとしたらどうだっただろうか。余計なおせっかいでしたm(__)m。

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天国への階段    白川道
幻冬舎 2001年3月10日 第一刷発行
 版元の社長が、「生涯のベスト3に入る」と言ったとか言わないとか。だとしたら、よっぽど本を読んでいないんですねぇ。編集者ってのは本を読まない人種なのかな。

 まあ、とにかく捏ねくりまわしたことが十二分に感じられる小説だ。新聞の連載が終了したあと、3年をかけて1200枚を加筆した、という事実だけでなく、いろんな人がいろんなことを言って、白川さんがどのくらい耳を貸したかは想像できないが、かなり振り回されたように思える。因果な復讐物語かと思ったら、いつの間にか純愛小説になったり。それだけでなくて、どこか一貫性の感じられない小説になってしまった。

 主人公らの心の変化がよくわからない。というか、都合良すぎる。特に、一馬。「血は水よりも濃い」などという常識に捕らわれた、真の人間の姿を描出できない偏った作家の偏見。妙に順応力があって、わけのわからないキャラ。今ぼくは、東直己さんにハマッているわけだけど、つくづく白川さんってキャラ作りの下手な方だと思う。東さんがズバ抜けてうまいだけではないと思うのだが。笑っちゃうのは、極限まで追い詰められたとき、みんな自分の頭をどっかにぶつけるんだよね。ああ、これは血の絆のなせる業なのか。

 泣かそう泣かそうと必死に書き連ねたのはよくわかるが、ぼくが目頭が熱くなったのは一回だけ。作家が酔って感情的な文章を書いては読者は引くだけでしょう。思いっきりベタベタに、思いっきり下世話に見城さんの思惑通りに泣かせにかかって失敗した作品。さだまさしさんのあの小説でいい気になった路線だよね。

 馳星周さんが、香納諒一さんの文庫の解説で、旧世代のハードボイルド作家を指して、「心優しきおじさん」と言っていたように記憶している。白川さんは、まさに心優しきハードボイルドおぢの代表でありますな。ツェッペリンを持ってきても、浅さは変わらない。文学性も感動も変わらない。限界か。

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