花村 萬月 1955年東京生まれ。1998年『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞受賞。


 えっ!?萬月さんが芥川賞?? 誰もが我と我が耳を疑った芥川賞受賞劇。ま、初出が「文學界」だからね、で一件落着だったが。。う〜んん、、文春の意図的なモノも感じられるんだけどねぇ。。
 全作読破まで、今一歩。萬月さんて、奥が深いのか、それともごく単純なのか。。


  
ゴッド・ブレイス物語 (3.5) 長+短 集英社 1990.02.25 集英社文庫 1993.09.25
眠り猫 長編 徳間書店 1990.09.30 徳間文庫 *1 1996.11.15
重金属青年団 (3.5) 長編 角川書店 1990.11.25 角川文庫 1993.06.10
屠られし者、その血によりて(紫苑 *2) (3.0) 長編 徳間書店 1991.02.28 徳間文庫 2001.10.15
渋谷ルシファー (4.5) 連作 集英社 1991.06.25 集英社文庫 1994.03.25
なで肩の狐 長編 トクマ・ノベルス 1991.11.30 徳間文庫 1996.08.15
聖殺人者 イグナシオ (3.0) 長編 廣済堂出版 1992.01.10 角川文庫 *5 1999.02.25
ブルース 長編 カドカワ・ノベルス 1992.08.25 角川文庫 1998.09.25
真夜中の犬 長編 カッパ・ノベルス 1993.02.28 光文社文庫 1997.06.20
月の光(ルナティック) 長編 廣済堂出版 1993.04.15 文春文庫 2002.06.10
ヘビィ・ゲージ 短編集 毎日新聞社 1993.04.20 角川文庫 1995.10.25
永遠の島 (3.0) 長編 学習研究社 1993.09.20 角川文庫 1996.10.25
紅色の夢 長編 徳間書店 1993.12.31 徳間文庫 1999.04.15
笑う山崎 連作 祥伝社 1994.03.05 ノン・ポシェット *3 1998.07.20
わたしの鎖骨 短編集 毎日新聞社 1994.03.25 文春文庫 2000.05.10
猫の息子 眠り猫II (3.0) 長編 トクマ・ノベルス 1994.03.31 徳間文庫 1997.05.15
風に舞う (2.0) 連作 集英社 1994.06.25 集英社文庫 1998.11.25
セラフィムの夜 (4.0) 長編 小学館 1994.09.20 小学館文庫 1999.01.01
狼の領分 (3.5) 長編 徳間書店 1994.12.31 徳間文庫 *4 1998.09.15
ジャンゴ 長編 角川書店 1995.06.30 角川文庫 2000.10.25
笑う萬月 (?) 随筆 双葉社 1995.08.01 双葉文庫 1998.11.20
触角記 (3.0) 長編 有楽出版社 1995.09.25 文春文庫 2001.06.08
夜を撃つ 長編 廣済堂出版 1996.07.31 ブルー・ブックス 2001.05.
皆月 (3.5) 長編 講談社 1997.02.10 講談社文庫 2000.02.15
長編 双葉社 1997.07.10 双葉文庫 2000.06.20
あとひき萬月辞典 (?) 随+短 光文社 1998.03.25 光文社文庫 2002.08.10
ぢん・ぢん・ぢん (4.0) 長編 祥伝社 1998.07.20 祥伝社文庫 2001.03.20
ゲルマニウムの夜 (4.5) (王国記I) 連作 文芸春秋 1998.09.20 文春文庫 2001.11.10
二進法の犬 (4.5) 長編 カッパ・ノベルス 1998.11.25 光文社文庫 2002.02.20
守宮薄緑 (4.5) 短編集 新潮社 1999.03.25 新潮文庫 2001.09.01
萬月療法 (3.5) 随筆 双葉社 1999.09.05 双葉文庫 2002.08.10
王国記 (3.5)
 ブエナ・ビスタ 王国記II−改題
連作 文藝春秋
1999.12.15

文春文庫 

2002.11.10
風転 (3.0) 長編 集英社 2000.06.10      
愛の風俗街道 随筆? カッパ・ノベルス 2000.11.25    
吉祥寺幸荘物語 (3.0)
 幸荘物語−改題
長編 角川書店
 
2000.11.30
 

角川文庫 

2002.12
汀にて 王国記2 長編  文藝春秋  2001.02.01  文春文庫 2002.11.10
♂♀ 長編 新潮社 2001.06.15       
自由に至る旅-オートバイの魅力・野宿の愉しみ 随筆 集英社新書 2001.06.20      

*1*3*4 それぞれの出版社のノベルスを経て文庫になった。
*2 ノベルス化の時『紫苑』と改題。
*5 廣済堂ブルーブックス(1994.04.10発行)を経て文庫化。文庫化時『イグナシオ』と改題。

本

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ゴッド・ブレイス物語      花村萬月
集英社文庫 1993年9月25日 第一刷
 ああ、これが萬月のデビュー作。
 作家のデビュー作にはすべてが詰まっているといわれるが、この作品にはまさに全て(に近いもの)が詰まっている。愛と暴力の作家たるその萌芽あり、擬似家族的アプローチあり、ロードノベルであり、特異な人物造型の更にその原型があり、、、哲学的思索の萌芽まで若干垣間見えるような気がする。

 ヒロイン朝子のバンド「ゴッド・ブレイス」は悪徳プロモーターにだまされて京都に向かう。『ブルース』の綾を思わせる朝子が乗ったのは東名でなく中央高速。メイン・ルートなんておもしろくない。単純だけどアウトローたる所以なんだよね。こんな話どっかで聞いたな、、と思ったら『二進法の犬』で中島が組長の乾を乗せて神戸へ向かったのが中央高速だった。古くから読んでいるファンには全く逆の感覚なのだろうが、ぼくはこんなデジャビュのような感覚を随所で体験した。そうか間違いなくこれは萬月なのだな。。
 
 朝子が中央高速を走るとき聞くのはなんとジャンゴ・ラインハルト。作中に出てきたジャンゴ・ラインハルトのギターとステファン・グラッペリのヴァイオリンの演奏はぼくもよく聞く。アルバムタイトルは「ジャンゴロジー」。伝説の三本指のギタリストの情感たっぷりなギターに、ステファン・グラッペリのヴァイオリンの哀切な音色がからむ。名演中の名演。他にも共演したアルバムはあるがこのアルバムが一番だ。この演奏がハイウェイにぴったりなどと言わせる萬月の感覚がどうしようもなく好きなのだ。興味があったら一度聞いてみて欲しい。

 ちなみにこの本には第2回小説すばる新人賞を受賞した表題作と短編の「タチカワ・ベースドラッグスター」が収録されている。

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重金属青年団      花村萬月
角川文庫 1993年6月10日 第一刷
 花村萬月長編第3作目。前から知ってはいたが、はっきり言って悪趣味なタイトルのせいで敬遠気味だった。読み終えると、なるほど、重金属青年団だなぁ、、と。重金属の重く硬質な響きと、青年団の古風で垢抜けない響きが妙にマッチして納得させられてしまうのだ。

 主人公はヤク中の作家のブンガクさんと、浅草の芸者置屋の娘タカミ。タカミの一人称で物語は語られる。タカミにはSUZUKIの単車カタナを乗りまわす仲間がいる。ある日ブンガクさんは誘われるままの社会からはみ出した若者たちと旅にでる。目的地は北海道。萬月さんお得意のロード・ノヴェル。その途中で特異な登場人物たちのドラマがさりげなく語られる。このあたりはものすごくうまいののだ。
 
 だが、本当に驚くのはこの登場人物たちの人物造型だろう。登場人物誰ひとりを取っても一癖も二癖もありそうなヤツばかり。孤独と痛みを抱えているヤツばかりなのだ。この連中を見事に描き分ける萬月の筆のさえは目を見張るものがある。だが、ただひとり気になる登場人物がいる。この物語で一番成長するタカミともう一人の人物。これがどうも作者自身の投影のような気がしてならない。ずっとそんな強迫観念に捕らわれている。

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紫苑 (屠られし者、その血によりて)     花村萬月
トクマ・ノベルス 1994年7月31日 初刷
 軽い驚きと共に読み終えた。萬月さん、ちゃんとしたストーリィ性のある物語を書けるんじゃないか!!失礼m(__)m。そうだ、この物語には起承転結がちゃんとあるのだ。ありきたりのストーリーなのだけど、先へ先へと読ませる力をストーリィ自体が持っている。

 ヒロインは修道院で育てられた美貌の孤児紫苑(しおん)。修道院といっても名ばかりで、実はある組織のための機関。神の名のもと、紫苑は優秀な暗殺マシーンとして育て上げられたのだ。いきなり冒頭から物語に引きずり込まれる。紫苑が差し向けられた刺客と戦うのだ。一体誰が紫苑を狙うのか? 紫苑の自我の目覚め、恋などを絡めながら語られる。凄惨な暴力と清冽なエロティシズムに多少なりともストーリィのおもしろさが加わってぼくは楽しめた。そして悲しいラストへ。ま、わかっちゃうんだけどねぇ。。

 ストーリィが練られた分人物造型には力があまり回らなかったような気がする。紫苑は少女漫画のヒロインみたいだし、後年力を注ぐことになるカリスマ性を帯びた人物として登場する伊東も印象薄い。実はこの伊東の描写が非常に中途半端。残念な気がしてならない。長編第四作目にあたるが、第二作『重金属青年団』であれだけの人物造型力を見せた萬月さんだから人物をもう少し練り上げたら、、などと思ってしまうのだ。

 興味深いのは宗教についての記述。これを読む限り萬月さんは無神論者なのかな?と思ってしまう。う〜ん、気になるところだ。

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渋谷ルシファー      花村萬月
集英社文庫 1994年3月25日 第一刷
 好き嫌いだけで言ったら『ブルース』に次ぐ位置につけると思う。今まで何故読まなかったか、と自分の不明を恥じる気持ちよりも、こんな作品を今読むことができて心底嬉しい、という気持ちの方が先に立ってしまう。ともかく、ぼくはこの作品が好きだ。登場人物全てがいとおしい。

 物語は『ゴッド・ブレイス物語』の続編、あるいは姉妹編といえるだろう。ただし、処女作の登場人物でこの物語に大きく影響するのは朝子と健のみ。特に健がガキのくせにいい味を出している。主人公は引退した天才ジャズギタリストで、今は渋谷で「ルシファー」というバーを経営している桜町と桜町が愛した美人ジャズ歌手の忘れ形見の映子。このふたりを中心に連作短編の形で4篇がひとつの物語を形成している。ヒロイン映子の人間的な成長とブルース歌手としての成長が主に描かれるのだが、巻末の池上冬樹さんじゃないけど、、なんて切ない。はらわたに染み入るような切ない物語だ。全ての登場人物がいとおしい。。ヤクザの代貸、その子分、桜町の先輩、映子、桜町、そして朝子と健。それぞれの心情が痛いほど伝わってくるのだ。

 これは萬月の出版された5番目の作品にあたる。読めばすぐわかるのだが、萬月作品のキーワードである「羞恥心」が非常にストレートに表現されている。あたりまえといえばあたりまえで、読み方によっては非常にクサイのだがそれでも萬月が書くと泣かせる。決して小手先のワザではないからだと思う。少なくともぼくは泣けたし、そう思っている。

 それにしても初期の萬月がロバート・ジョンソン注ぐ愛情は尋常ではないな。『ブルース』では「Love In Vain」をフィーチャーし、この作品では「Me And Devil Blues」だ。ロバート・ジョンソンというよりもブルース全体かな。ロバート・ジョンソンは生涯に41テイクしか残していない。興味を持たれた方は、CBS SONYから全テイク収録の2枚組のCDが発売されているから聞いてみるのも一興かも。最近では(と言っても古いけど)エリック・クラプトンが「アンプラグド」で「Malted Milk」を演奏している。聞き比べれば分かることだが、ギターのほとんどのパートはロバート・ジョンソンのコピーと言ってもいいくらい。重要なアイディアは全て原曲のままなんだからホントにすごいんだ。。

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聖殺人者 イグナシオ     花村萬月
廣済堂ブルーブックス 1994年4月10日 初版
 芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』は、悪く言えばこの作品の焼き直し、という感想を聞いたことがある。この作品を先に読めば、そんな感想もありそうだ。主人公イグナシオの修道院での生活がほとんど『ゲルマニウムの夜』とそっくりなのだ。萬月さんの体験が元になっているからこれは仕方ない。そんな邪推より、ここに来てなぜ萬月さんが、イグナシオを発展させたような格好で『ゲルマニウムの夜』を書こうと考えたのか、これの方が大事な気がしている。

 と言って、『ゲルマニウムの夜』の主人公朧が、この物語の主人公イグナシオが元になっているかというとそうとも言い切れないと思う。朧は萬月さん描くカリスマ性を帯びた人物の集約として描かれているのであって、単純にイグナシオを発展させただけではない。近いといえば、近いのだけれど。

 イグナシオは混血児として描かれている。萬月さんの登場人物たちの系譜から言えば、拠り所のないアイデンティティを持たない人物として捕らえた方が的確だと思う。いわゆる境界上に立つ人物。たとえば、『セラフィムの夜』の山本のような。直接的にはイグナシオのカリスマ性は描かれてはいない。もちろん、出会う女たちを片っ端からってのは近いものがあるかもしれない。ただし、これは萬月さんのサービスのなせるわざだ。

 イグナシオの殺人が「聖」なのかどうかは、論理に飛躍があり過ぎて萬月さんを愛する読者以外は承服しかねるだろう。だが、悩める姿は十分に伝わると思う。萬月さんのあとがきを読めばなお鮮明になる。加えて、昭和40年代後半という時代設定からも、より私小説的な匂いがただよってくるのだ。『ゲルマニウムの夜』を読んで萬月さんの作品に興味を持った方には、この小説を一読してみることをお奨めする。果たして、どのような感想をお持ちになるだろうか。

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永遠の島      花村萬月
角川文庫 1996年10月25日 初版
 萬月作品どれかの解説で読んだのだが、巷では評判がよろしくないらしい。確かに、暴力もセックスもたいして描かれていないし、強烈な個性的登場人物の血を吐くような痛みもない。これだけを読めば花村萬月という史上稀な作家の影も形も見えないのは事実かもしれない。萬月さんにはこんな作品を書いて欲しくない、という気持ちもわかる。

 でも、この作品は現在の萬月さんを知る上で絶対見逃せない作品だと思うのだ。作家本来の仕事は作品の中で新しい倫理を確立すること、とおっしゃる萬月さんは『ぢん・ぢん・ぢん』で既存の倫理をぶっこわした。でも、それは単なる前哨戦であり、本来の作業は芥川賞受賞作『ゲルマニウムの夜』から始まっている倫理の確立なのだと思う。
 『ゲルマニウムの夜』の感想でも書いたが、萬月さんの登場人物にはカリスマ性を帯びた人がかなりの確率で登場する。それらの人々は大なり小なり「絶対者」であり、周囲には殉教者が集っていた。が、いかに強烈なカリスマといえども所詮は人間なのだ。そのあたりに萬月さんはジレンマを感じていたのではないか? そこでひとつの概念として本作の「シマ」を登場させたのではないか。。言ってみればこれは実験作なのだ。。。しかも「シマ」は子供で、成長している。不可解な現象の舞台となる大和堆は子供である「シマ」のおもちゃ。。。これは神に翻弄される人間そのものじゃないか。おぼろげながらだが、萬月さんの神に対する感覚が見え隠れするような気がした。(3)

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猫の息子 眠り猫II     花村萬月
徳間文庫 1997年5月15日 初刷
 長編第二作目の『眠り猫』の続編にあたる。前作とは時間的な隔たりはほとんど無いようだ。この作品ではタイトルの通り、猫の息子タケにスポットが当てられている。萬月さんお得意の成長物語か、と思ったらそうじゃなかった。要素としては多少含まれるが、主たるテーマはやっぱり「愛」だ。愛といってもそんじょそこらの愛とはわけが違う。擬似兄弟愛、擬似家族愛、オカマの切ない愛、終生のライバルへの愛、およそ一筋縄ではいかない愛ばかりなのだ。どいつもこいつも不器用で自尊心のかたまりだから、感情をストレートに表現できない。歪にひしゃげているのだ。

 本作は正直言ってストーリーらしいストーリーもないし、探偵小説マニアをうならせるほどの事件も起きない。帯の惹句には「花村萬月の会心探偵小説」なんて書いてあるが、間違っても探偵小説なんかじゃない。惹句に騙されて買われた方は気の毒としか言いようがないのだが、間違い無く良質なハードボイルドには仕上がっているはず。

 萬月さんはカリスマ性を帯びた人物を好む傾向があるが、本作では眠り猫対鷲尾、猫の息子対鷲尾の秘書の富士丸を対比してみるとおもしろい。『ぢん・ぢん・ぢん』の時田さん流にいえば、「在る」者と「在ろう」として「在る」者になれなかった者との決定的な差、とでも言おうか。だが、後者にも殉教者がいる。このあたりが萬月さんの優しさなのかもしれない。

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風に舞う      花村萬月
集英社文庫 1998年11月25日 第一刷
 そういえば、、、この本を読みながら思い出した。1992年に『ブルース』で感激した後、『真夜中の犬』がまあまあ、次に読んだ『月の光(ルナティック)』があまりにひどくて、その後しばらく萬月を読む気を無くしていた。『月の光』が1993年4月。この物語は1994年6月。スランプだったのかもしれないな、、萬月さん。

 トップの座を捨てたミュージシャンと女子大生作家の恋の物語。連作で短編が6編なのだが、、うぅ〜ん、、どうもアンバランス。後半の2編はさすが、とうならせる箇所もあるのだが、萬月さんのブルースってこんな薄っぺらだったの? なぁ〜んて問いたくなってしまう。『ゴッド・ブレイス物語』や『渋谷ルシファー』で見せたブルーススピリッツはここにはない。これは主人公の設定に原因があるんじゃないだろうか。主人公武史の小市民っぽさがうまく描写されていない。最後の2編あたり、興味の的は武史が壁をどう突き破るか、なのだが、これもなんちゅうか。。。

 タイトル通り、物語も風に舞ってしまったようだ。。

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セラフィムの夜      花村萬月
小学館文庫 1999年1月1日 第一刷
 最近読んだエッセイ集『笑う萬月』に、この作品についての項があった。タイトルは「ならず者のよりどころ」。「愛国心は、ならず者の最後のよりどころである」という格言をもとに、ごく一般的な組織への帰属意識から、自己の存在に対しての哲学的な問いかけにまで言及している。「私は誰か?」。この永遠の命題について、本作では萬月さんなりの答えを出している。萬月さんなりというより、普遍的で明快であたり前過ぎる答えという方が適切かも。でも、このあたり前の答えを前にして、解説の薄井ゆうじさんじゃないけど、救われる思いがしたのは事実なのだ。

 哲学的テーマだけじゃなく、ストーリィも非常におもしろい。人物造型が卓抜なのはいつも通りだが(韓国人の殺し屋がすごい)、萬月さんの作品では類を見ないほど筋立てがきちんとしているんじゃないだろうか。女としてのアイデンティティを揺さぶられる女と、日本人と韓国人の境界で揺れる男の逃避行の物語。途中に大きな地雷が仕掛けられ、読む者の目を釘付けにせずには置かない。

 やれ純文学だ、やれエンターテイメントだ、と区別するなんて無意味だと思うけど、この作品は間違いなく純文学している。テーマはもちろんのこと、登場人物ひとりひとりが文学的で深い。それなのにこれは間違いなくエンターテイメント小説なのだ。まったく萬月さんは大変な作家だ。ただし、サービス過剰の面もかなり感じられて、思いっきり純文学してしまえばよかったのに、、などと言わずもがなのことを考えてしまうのだ。

 最後に、気になったことをひとつ。表記のことなのだが、「韓国人」と「朝鮮韓国人」と2種類使われていたがどうしてでしょう? 萬月さんは常々「朝鮮人」と言いきっていたと思うのだけど。。ぼくの読解力不足で両者の違いを読み落としたのだろうか。それとも出版社の校閲と萬月さんが戦った跡なのだろうか。。謎。

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