東 直己 1956年札幌生まれ。札幌を舞台にしたハードボイルドを発表し続けている。2001年、『残光』で第54回日本推理作家協会賞を受賞。脂が乗り切った。


 海外ではいろいろな都市を舞台にして、いろいろな探偵が活躍しているが、日本の地方都市を舞台にした探偵シリーズは東さんくらいしか思いつかない。
 ススキノ便利屋探偵の<俺>シリーズ、探偵・畝原シリーズ、始末屋・榊原シリーズ? の三系統に、毛色の変わった作品がいくつか。受賞作『残光』は<俺>シリーズと始末屋榊原の合体、東オールスターズ。
 これから東直己さんを読む方は、<俺>シリーズの第一作、『探偵はバーにいる』から順番に読むことをオススメします。


探偵はバーにいる (3.0) 長編 早川書房 1992.05.31 ハヤカワ文庫 1995.08.15 便利屋
バーにかかってきた電話 (3.5) 長編 早川書房 1993.01.31 ハヤカワ文庫 1996.01.15 便利屋
沈黙の橋(サイレント・ブリッジ) 長編 幻冬舎 1994.04.25 ハルキ文庫 2000.02.18  
札幌刑務所4泊5日体験記 ルポ     扶桑社文庫 1994.09.30  
消えた少年 (3.5) 長編 早川書房 1994.10.15 ハヤカワ文庫 1998.06.15 便利屋 
フリージア (3.0) 長編 廣済堂出版 1995.08.10 ハルキ文庫 2000.09.18 榊原
自衛隊 おとなの幼稚園   三一書房 1996.03.31      
向う端にすわった男 連作     ハヤカワ文庫 1996.09.15 便利屋
渇き (3.5) 長編 勁文社 1996.12.15 ハルキ文庫 ※1 1999.12.08 畝原
ソープ探偵くるみ事件簿
探偵くるみ嬢の事件簿(改題)
連作     廣済堂文庫
光文社文庫
1997.05.01
2002.06.20
 
探偵はひとりぼっち (4.0) 長篇 早川書房 1998.04.15 ハヤカワ文庫 2001.11.30 便利屋 
流れる砂 (4.0) 長篇 角川春樹事務所 1998.11.08 ハルキ文庫 2002.11.18 畝原
すすきのバトルロイヤル 随筆 北海道新聞社 2000.03.31        
残光 (3.5) 長編 角川春樹事務所 2000.09.08       榊原・便利屋
悲鳴 (4.5) 長篇 角川春樹事務所 2001.02.08       畝原
ススキノハードボイルドナイト 随筆 寿郎社 2001.04.01          
逆襲 短編集 光文社 2001.06.20          
死ねばいなくなる 短編集 角川春樹事務所 2001.12.01            
探偵は吹雪の果てに (2.5) 長篇 早川書房 2001.12.31       便利屋

本

※1.ケイブンシャノベルス版『渇き』1999.10.10 を経て文庫化された。「待っていた女」という姉川明美との出会いを綴った短編を加えて『待っていた女・渇き』として出版。


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探偵はバーにいる    東直己
ハヤカワ文庫 1995年8月15日 初版発行(単行本は1992.5刊行)
 再読。と言っても、読んだのは10年近く前で、すでに大半を忘れているので初読と変わらない。新鮮だったですよ。これが東直己さんのデビュー作で、便利屋探偵<俺>が登場した作品でもある。<俺>=東さん、という図式は、それはもう不動のモノなのだが、ある意味、東さんの回顧録というか昔語り的な意味合いもあったのだな。少々おちゃらけたところがあって、それが、軽いタッチのハードボイルドなどと評された理由でしょう。約10年前、ぼくもそんな風に思ったようだし。ところが、こうして再読してみると、結構重い物語で、たいへんな読み違えをしていたと気がついた。

 ハードボイルドの主人公って、原りょうさんのにしろ、大沢在昌さんのにしろ、どこか超然としていて、とっつき難いところが多い。海外の作品でも似たような印象で、ここまで人間臭い主人公はそう多くはいないように思う。人間臭い<俺>は、他人に無用な感情移入をする自分の人間臭さが嫌いで、ある意味好きだったりする。自分に誇りがあり、他人も尊重するのだが、自分を律しようとするルールがきつめで、外に感情を表すことに羞恥心があるから、周囲から誤解されやすい。それでいて、いやいや、だからこそナイーブで傷つきやすい。精一杯虚勢を張って、偽悪的に振舞おうとする<俺>は憎めないキャラだ。少々カッコつけ過ぎとは思うが。

 シリーズ全体を通して、「下品」という言葉が頻繁に出てくる。どんなに生活に疲れても、卑しくはならない。どれほど人生に飽いても、前向きでいることを忘れない。そんな<俺>=東さんの矜持が、簡単に無残に卑しくなり後ろ向きになってしまう人々を称して「下品」と表現するのだ。もちろん、その矜持は、自身に大麻売買を許し、生活の糧にイカサマ博打を許すモノで、悪く言えば小悪党なんだけど、どれも大きな商いはしない。良く言えば、身のほどを知っているのだ。自分の身の丈を知り尽くして、そこから大きくはみ出ることはしない。しかも、その自分の矮小さを知っているからおかしな説得力がある。つくづくおもしろいキャラクターだと思う。

 この物語の<俺>には、青春(嫌いな言葉だけど…)というかなんというか、汚れていながらもどこか瑞々しさがあるかな。事件の転がし方、というか膨らまし方はさすがに東さんと思わせるモノがあるが、奥行きが少なくて、こじんまりとしているわりに、焦点がどこかぼやけているので散漫な印象が強い。でも、処女作だからね。気の利いた警句を吐いたつもりで、実は空回りしている独りよがりの探偵小説よりも、ずっと胸に響く物語だと思う。人生のひとつの真実を突いているんじゃないかな。

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バーにかかってきた電話    東直己
ハヤカワ文庫 1996年1月15日 初版発行(単行本は1993.1刊行)
 「ケラー・オオハタ」で飲んだくれる便利屋あてに、「口座に振り込んだ10万円は確認したか…」と女性から電話が入る。おかしな依頼の電話は、一度ならず二度三度と続く。匿名の女性に翻弄されながら、便利屋はいつしか地上げと放火に絡んだ汚い事件に巻き込まれていく……、という物語。ともかく、ミステリとして、いろいろと仕掛けがあって楽しめる。第一作のおちゃらけてバラけたような感じを引き継いではいるが、プロットがより複雑になり、現在の東さんを彷彿とさせるストーリィテリングで読者を飽きさせない。第二作でいきなり化けた感じだ。特筆すべきはプロットかな。厚みのある物語展開がとても良かった。

 東さんのストーリィは、小手先でこねくり回したような安直さが感じられない。こんなトリッキーな物語でも、大河の流れのようにゆったりと自然に見せてしまう。同じアイディアで本格系の作家が書いたら、どうしようもない作品になったような気がする。きっと、アイディアに拘って、叙述トリック系のミステリに仕上げたんだろうな、とか。東さんの作品としてはトリッキーではあるんだけど、拘りは別のところにある。だからわかる人にはわかってしまうかも。とりあえず、謎は謎として中心において、押したり引いたりしながらラストまで一気に引っ張る。

 しかし、東さんの女性キャラはこんなのが多いなぁ。まさか、と思ったら、思ったとおりのラストで、少々面食らってしまった。東さんの描く女性キャラについて、この物語でも、『消えた少年』で書いたような感想を持った。もちろん、小説なんだから、極端にデフォルメしてもいいんだけど、東さんの妙齢の女性キャラって、美人とそうでない人の二種類しかいない。というか、ほとんどが美人。じゃあ、お前は美人に魅力を感じないのか、と聞かれれば答えにくいんだけど、美人とそうでないのと女傑だけだもんなぁ。それでも、探偵の勘違いの原因についての、コジツケともとれる言い訳をサラリと書いて深追いしないのが逆に好感が持てたりする。

 なんだかんだ言いながらも、東さんは人生に前向きで肯定的だ。やっぱり美人はこうでなくちゃいけない。結末はこうでなくちゃいけない。物語上の悪女に毒された読者への警鐘というかなんというか。残念なのは、やっぱり女性キャラに深みが感じられないことかなぁ……。

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消えた少年    東直己
早川書房 1994年10月15日 初版発行
 ススキノ便利屋探偵<俺>シリーズの三作目。一作目二作目は既読なんだけど、印象に残っていない。本棚を探しても、どこかに埋まっていて見つからないので買ってしまった。ついでに、<俺>シリーズの新作も。

 この主人公<俺>は、作者自身を色濃く投影しているような気がする。例えば、逢坂剛さんの岡坂神策のような。東さんの近況写真を拝見するとヒゲもじゃの真ん丸顔だが、きっと30歳くらいのころはスマートで、白麻のスーツに黒いシャツ+シルバーのネクタイはワル乗りが過ぎるとしても、こんな<俺>のような生活をしていたのでしょう。そんな作者の実体験が色濃く反映されたシリーズ&主人公と読んだ。

 軽めのハードボイルド・シリーズという触れ込みだが、どうしてどうして、社会運動から札幌の歴史やサイコ風味までとり混ぜて「消えた少年」の謎を解き明かして行く、結構な物語だった。これを「軽め」のなんて評する人は本の読み方を知らない、表面的な<俺>の言動に惑わされて裏を読み取れない、それこそ「軽め」の人たちでしょう。って、自分を棚に上げて(^^;;;。一作目二作目はすっかり忘れているので、読んだ上でキチンと申し開きいたします。

 ただし、「軽く」はないが「甘い」とは思う。原因は、桐原組の関わり方と、失踪した少年の担任教師の春子にあるかも。ヤクザの桐原はカッコ良すぎ。意味もなく(自身に同年代の中学生がいるからなんて理由にならんぞ)、消えた少年探しを引き受けて<俺>をバックアップする。最後にはカネまで返してくる。弱小組織で、なぜか<俺>とウマが合うとはいえ、ヤクザの組長がこんなこと絶対しない、んじゃないかな。裏世界と切っても切れないなら、もっと別の造型が良かったように思う。不可解な肩入れが理解に苦しむ。桐原に関しては、登場作ほとんどがそんな感じ。個人的には『フリージア』の路線が良いと思うが。

 もうひとつ、春子。以下、敏感な人はネタバレと感じるかも知れません。ご注意ください。




 男が主人公のシリーズ物には、恋人となる女性は欠くことのできない存在のようだ。シリーズに彩りを添えるとか、新たな展開を加えるとか、そういった局面打破のテクニックというよりも、男の生理で自然な流れだから当然と思う。スカダーだって、ボッシュだって、くっついて離れての繰り返しだもんね。しかし、この春子はいただけない。可愛い子ぶりっ子が過ぎるぞ。なぁ〜んにも魅力を感じない。すぐに泣き崩れるし。

 ぼくは、途中まで、ほろ苦いラストを期待していた。春子が犯人ではないまでも、何か関わりがあって、ラストで<俺>がケラー・オオハタで高田らを相手に酔いつぶれるような展開。しかし、こんな思いは裏切られて、大甘のラスト。東さんって、悪い女やオカマはとてもうまいんだけど、普通に女性を描くのは苦手なんじゃないかと思えてきた。極端なんだよね。

 こう考えてくると、畝原シリーズの姉川明美も捉えどころの無いキャラに思えてくるから不思議だ。もちろん、殺人マシーン榊原物の多恵子なんてどうしようもない。なんで、寝言で健三の名前を叫ぶほど惚れているのに、それが健三の願いとはわかっていても、なぜああなってしまうのか。もちろん、それが女の性だって言われたら返す言葉がありませんが。普通に魅力的な女性キャラ、っておかしな言い方だが、キャラ名人の東さんとしては、ウィークポイントと言っても良いかもしれない。

 女性に対して、どこか美化したある種の幻想を持っているのかなぁ。ベッドシーンのぎこちなさの原因はこれかも。まあ、意図して避けているんでしょうね。そりゃあ、男たるもの女性を美化して幻想を持って当然。だけど、どこか捉えどころが極端で、尚且つ甘くてズレているような……。

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フリージア    東直己
廣済堂出版 平成7(1995)年8月10日 初版
 ひとつの街を舞台にシリーズ物を書いている作家にはたまに見られる傾向だが、東直己さんもパラレルワールド札幌に生きているようだ。登場人物である一風変わったヤクザの桐原とその取り巻きは、便利屋探偵の<俺>シリーズの主要登場人物だ。更に、この物語の続編にあたる『残光』には<俺>まで登場してしまう。一人称小説の<俺>への客観描写がとてもおもしろかったのだが、それはまた『残光』の感想に書くとして。

 なんと言ってもこの小説の魅力は、主人公である榊原健三に尽きる。惚れた女を助ける、という一点にのみ固執したソリッドな人物造型。東さんの作品では珍しい(と思った)、スプラッタと言っていいくらいの血飛沫の多さは、作者のサービス精神かそれとも単なる気の迷いか。最初は、ただ殺すだけの殺人マシーン榊原に違和感があって、なかなか乗ることが出来なかった。もうひたすら殺しまくる。もちろん、惚れた女を助けるためには殺さなければならない、らしいのだが。乗り切れぬまま読み進むうち、ハタと気が付いた。畝原シリーズを先に読んだがために妙な先入観を持ってしまっていたようだ。

 要するにノワールなのだ。その気になって読み返すと、これがぴったりとはまった。死期の迫る刑事の丹沢といい、主人公の榊原といい、横顔の半分が影になったかのようにモノクロームでダークで非情。彼らの目的はそれぞれだが、ただひとつのために身を削る。と書いてくると、丹沢に魅力を感じてくるからおかしなもんだ。全体を覆う雰囲気も、東さんの作品では珍しく暗く重い。ストーリィはちょっとモタモタするかな。そしてラスト待ち構える思い切り気取って、それでいて泣かせるセリフ。まあ、クサいには違いないけど、これぞハードボイルド。素直に、カッコいい(^o^)。惚れた女に命をかける、代償を求めない究極の愛情ってとこか。

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渇き    東直己
ケイブンシャノベルス 1999年10月10日 第一刷(四六上製版は1996.12刊行)
 『悲鳴』の探偵・畝原シリーズの第一作目。これもまた味わいが深い。ただし、細部を見ると『悲鳴』との差は歴然としている。情報の取り出し方手に入れ方が少々強引だったり説明不足だったりで、オヤッと思わせる箇所が多々あって興を殺いでしまう。ラスト間近もかなりドタバタ。問題の親子の描き方もいまいち。テーマの転がし方も段違いで、この物語ではコジツケのように思えた。ストーリィも以外と底が浅かったし……。こう書いてくると駄作のように見えるけど、あくまでも傑作『悲鳴』と比べての話。まずまず平均点の作品だと思う。

 探偵小説の良し悪しは、主人公となる探偵の魅力がかなりの割合を占める。その意味では、探偵・畝原にほれ込んでいるぼくにとっては読む前から「決まり」だったのだ。この物語でも、真っ直ぐな探偵・畝原は健在だ。娘とふたりでのこじんまりとした生活感。くっつきそうでくっつかない姉川明美や、探偵社の社長の横山とその息子、個人タクシーの太田さんなどのシリーズキャラもとても良い。

 この物語は1996年刊行だから、デビューして4年ほど経てからの作品ということになる。ぼくが一読して見捨ててしまった『探偵はバーにいる』から4年。そして、『悲鳴』まで更に5年。この作家をリアルタイムで読まなかったのは、悔やんでも悔やみきれない。尊大な言い方ととられると恐縮だが、ご贔屓作家が良いように変容してゆく、というか成長してゆく姿を見るのは、ファンとしてはこれ以上ない幸せなのだ。まあ、それはともかくとして「東直己全作読破」を今年の目標にしよう。

 ところで、ハルキ文庫版『渇き』には「待っていた女」という短編が収録されているそうだ。描かれているのは姉川と出会うきっかけになった事件。これは読まねばなるまい……。

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探偵はひとりぼっち    東直己
早川書房 1998年4月15日 初版発行
 便利屋探偵シリーズの長編第4作にして最大のターニングポイントを迎えた。この物語の次に便利屋が登場するのが『残光』で、なんと<俺>は43歳になってしまっているんだから。ラストに控える春子の爆弾発言を持ち出すまでもなく、そういう意味では、過去の長編3作と短編集1冊の集大成的な物語になっているように思う。便利屋の第一段階終了といった趣き。

 <俺>がオカマのマサコちゃんを殺した真犯人を探す物語。相手は代議士だから、今回の敵はシリーズ史上最大最強といっていい。代議士が社会党ってのも良い。伝統的に旧革新系が強い北海道ならではの設定だよね。社会党っていったって、所詮政治家は政治家。周囲に蠢く魑魅魍魎に翻弄されつつ、理解不能な利害関係と手前勝手な力学の狭間で、四面楚歌の探偵はひとりぼっちで右往左往する。

 導入部は最高だ。オカマのマサコちゃんが、東京のテレビに出て、素人のマジックショーで準グランプリを獲得する。この顛末が、ほれぼれするほど手際良くリズム良く、半ばおもしろおかしく、半ば哀愁を漂わせながら、人情物語のように夜の街を徘徊する人々の悲喜交々を交えて語り尽くされる。すばらしい。軽妙な筆致でいて、奥が深く、人生の甘味と苦味を知り尽くした筆さばき。この後の展開がだるくても、この部分を読むだけでも、価値のある物語といえる。

 オカマのマサコちゃんは、札幌に戻ってすぐに殺されてしまう。ここから先が我慢の一手。皆がわかっていて、<俺>だけが疎外されている。みんなが犯人をわかっているのに、誰も手を触れることができない。なかなか事態が進まない。便利屋は逃げながら、僅かな支援者に助けられながら、少しずつ真相に近づいて行く。こうしてイライラが頂点に達したとき、仰天の真相が明らかになる。どこかで読んだような展開だけど、滑らかで無理がなくて(一部納得できない点はあるが)、とてもミステリ的な展開だ。

 例えようのない皮肉な物語。日本の政治・社会に向けて、作者の怒りのメッセージだ。その意味では、シリーズ中最もハードボイルドしているかもしれない。青くて結構。そんな羞恥心をなくしてしまうくらいなら、と作者の雄叫びが聞こえるようだ。この羞恥心については、花村萬月さんと通じるところがある。

 物語自体には、若干理解できない点もあるが、全体としては春子の扱いといい、戻っていくハードボイルドな<俺>といい、ミステリな展開といい、皮肉たっぷりな着地点といい、ここまでではシリーズの最高作だと思う。欲を言えば、停滞感というか閉塞感は良いんだけど、中盤にもうちょっと動きが欲しかったかな。

 便利屋、「若気の至り」の最後のまつり。肉体的にも強く、若干肉はついてきたが、まだまだ三十代初めだから、怒りで押し切ることができる。郷愁を誘うよねぇ。畝原シリーズと交錯する時期から強引に推理しちゃうと、もしかしたら、便利屋の設定に少々無理を感じ始めていたのかもしれない。<俺>シリーズでは語り尽くせないことを語るために、畝原シリーズを生み出したとか。

 やっぱり<俺>は、東さんそのものだったんだな。『残光』で一足飛びに超えた12年の真相はそんなところだろうか。ついでに書いちゃうと、<俺>シリーズ最新作『探偵は吹雪の果てに』では便利屋45歳になっているそうだ。このシリーズ、新たな展開を見せて益々奥深くなっていくんだろうな。ぼくらの年代必読のシリーズだったりして。

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流れる砂    東直己
角川春樹事務所 1999年11月8日 第一刷発行
 探偵・畝原シリーズの第2作。1作目からは長足の進歩を遂げている。これから作者の作品を読み尽くせばある程度わかると思うが、この物語がターニングポイントだったのではないかと勝手に推測している。『悲鳴』や今読んでいる『残光』に顕著な、名人芸と言っても過言でないキャラの立て方がこの物語でも充分に発揮されている。特に、嫌なヤツを描かせたら、この人の右に出る作家はいないのではなかろうか。物語の核をなす、本村康子には参った。

 外堀から埋めていくのだな。キャラの外堀を用意周到に埋めて、人格を炙り出す。実際に会わせてからもうまい。風評との若干のギャップを読者に感じさせつつ、得体の知れない黒々とした悪意を覗かせる。この造型にはセリフも寄与していて、その人物独特のしゃべり方がうまくマッチしていて更にキャラを立たせる。ともかく、顔が思い浮かぶほどのキャラ名人で、読むセリフからはイントネーションまで聞こえてくるようだ。シリーズキャラも健在。くっつきそうでくっつかない姉川明美、探偵事務所所長の横山とその息子、個人タクシーの太田さん、消費者センター所長の山岸。それぞれが、活き活きと活写されてうなるほど。

 いつも発端はさりげない。些細な事件が雪玉が転がるように膨れ上がる。今回は、マンション管理人がある住民に向けた疑惑の眼からはじまって、次々と畝原の周囲に事件が起こる。娘が失踪しているのにおかしな態度をとる、どうも生活保護を不正受給しているらしい両親(本村)、本村の周りで不信な動きをする福祉課職員が当初の疑惑につながり、元校長の父親、癒着する役人、得体の知れない新興宗教が出てきたかと思うと、仲の良かったテレビ局のプロデューサーが失踪して畝原も壊れる……。あれよあれよと事件は膨れ上がり、バラバラな事件はバラバラとしてつながってゆくのである。おかしな言い方だが、バラバラはバラバラとしてつながる、悪いヤツは悪いヤツと連鎖する、見事な展開だと思う。流砂は底なしの悪意の沼へと流れて奈落の底に落ちるのだ。

 でも、ラストがちょっと不満かな。きっかけさえ与えてやれば、自重で崩れるのはよくわかる。しかし、ことの成り行きをもうちょっと読者に見せるべきなんじゃないかな。少なくともぼくは見たかった。まあ、考えてみれば、こういう描き方の方がそらおそろしさというか、はっきりと描くよりも、薄ら寒い感じはすると思うが。それとちょっと駆け足だったような印象。余談になるが、この本村康子の事件は、和歌山のカレー事件からヒントを得たのでしょうか。本村康子なんて、あの林真須美を彷彿としますもんねぇ。

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残光    東直己
角川春樹事務所 2000年9月8日 第一刷発行
 2001年の日本推理作家協会賞を受賞した作品。「やっと時代が東直己に追いついた」という書評を読んだことがあるが、内容はオーソドックスな追っかけだ。ただ、愛する女の子供を守る榊原。その榊原を理屈抜きでサポートする多彩な顔ぶれ。少々出来すぎの感はあるが、殺人マシーン榊原に多恵子の子供という枷をはめ込んで、更に別シリーズの便利屋探偵<俺>までも絡ませる。あの手この手でサスペンスを煽る、サービス精神たっぷりで熟練した筆さばき。堪能させてもらった。

 なんといっても、古くからの東直己読者にとってごちそうだったのは、<俺>シリーズの主人公の三人称描写でありましょう。それに加えて、<俺>シリーズの主要キャラで、この物語に前段の『フリージア』に登場した桐原や相田、北海道日報記者の松尾に、今回は拳法使いの高田まで登場させて、東作品オールスターキャストといった趣だ。読みながら、探偵・畝原を絡ませたらどうかなんて考えたりして。畝原が<俺>をどう評するかとても興味がある。しかし、高田がDJとは……。相田があんなになってしまって……。その相田にもちゃんと見せ場を用意する。自分のキャラを大切にしているよね。しかし、時の流れとは残酷なものだ。

 驚いたのは<俺>。いつのまにか43歳になっていて、しかもデブになっているのだ!! 1998年の『探偵はひとりぼっち』では31歳だったはずだから、2000年のこの作品との間に流れたたった2年の間に、12年を一足飛びに超えたことになる。興味は尽きない。<俺>シリーズの舞台となった年代は、トルコがソープランドと名前を変えたころだから、1984年前後だと思う。ネタバレしてます。注意→それに、何? <俺>に息子がいるって? 『探偵はひとりぼっち』は今読書中で、もしかしたら、この物語に12年を解く鍵があるんじゃなかろうかと読み進んでいる。まさか、春子との間に? まあ、それはともかくとして、勝手な推測だが、この便利屋探偵は作者等身大のような気がしているので、作者の実年齢に近づけただけなのかもしれない。少なくとも、畝原じゃないよな。

 東さんというキャラ名人でストーリィテラーのターニングポイントは、やっぱり『流れる砂』だったようだ。キャラの何気ない所作に、人格や思いのたけを込めるテクニックが抜群なのだ。『探偵はひとりぼっち』にも見受けられるが、やはり軽妙さの方が勝っている。人物に勢いがあるというか、もちろんどちらの人物も活き活きとしてはいるが、どちらかといえば『流れる砂』以降に譲るように思う。この物語では、カルビーのCMソングを口ずさむ恵太がとても印象的だ。人格の見えない榊原が、その恵太にクルマを盗む理由を説明する。生きるため、生きのびるため。

 三人称になったがために、<俺>の魅力が薄れてしまったように思えるのと、あまりにうま過ぎるお約束の物語のように思えてしまったので、(3.5)に留める。が、榊原と<俺>の描き分けはなかなかだった。う〜ん、でも、やっぱり、<俺>が物足りないな。一人称ほど活写されていないのが残念。どうしようもない無いものねだりかもしれないが。

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悲鳴     東直己
角川春樹事務所 2001年2月8日 第一刷発行
 東直己といえば、札幌を舞台にしたハードボイルドというか、軽めの探偵小説を書いている作家、くらいの認識しか持っていなかった。読んだのは10年くらい前の、ビル・プロンジーニばりの名無しの探偵<俺>シリーズの『探偵はバーにいる』と『バーにかかってきた電話』のみ。読了当時はそれほど好印象を持たなかったのだと思う。『フリージア』とか『渇き』などを頂いていたのだが、開くことはなかった。それでも、前に自分のサイトで「ご当地探偵」などという企画を考えた時に、一番に東直己の札幌の探偵を思い浮かべたくらいだから気にはなっていたのだと思う。不覚でありました。こんなすばらしいハードボイルド作家を見逃していたなんて……。ただただ、不明を恥じるのみ。

 東さんって、こんな重厚な物語を書く作家だっけ? まだこんなことを言っているタワケなのだが、ともかく、この物語は良質なハードボイルド・探偵小説の条件を全て兼ね備えた傑作と言って間違いない。ミステリ的な趣も強く、ラスト間際まで全く予測不能の展開に翻弄される。着地点も良い。背筋に一本太い骨が入ったような作品。テーマは明確だが押し付けがましくない。さりげなく浮き彫りにして、さりげなく時代を切り取ってしまう作家的な円熟にまいってしまったのだ。

 作者が物語の中心に据えたのは、現代社会が生んだ闇である。一方の闇である心の闇を、他者からの疎外感というか、自らの価値基準に適わない他人に向ける情け容赦ない視線に集約して、その視線を投げる側と受け取る側からさりげなく分析してみせる。物語の発端となる調査を依頼した女性の闇が、単純な善悪の枠組みを超えて痛みを伴って迫ってくる。随所に優しさを感じさせるのが円熟たる所以。人間を見つめる目のなんと優しいことか。この優しい視線に支えられて、予測不能の物語がスピーディに展開する。

 「困ったもんだ」を連発する高橋を始めとした、クセの強い登場人物に混じって、探偵畝原のなんと普通で真っ直ぐなことか。この人物造型はすばらしい。畝原が娘と心を通わすシーンなど、ちょっとデフォルメがきついかな、と思わせる部分もあるが、エキセントリックな現代の良心と言えそうな畝原あってこその人物配置と言える。畝原の「普通さ」を際立たせておいて、なお、配置されたエキセントリックな人物たちを受容してしまう懐の深さ、というか人間的な深みが最大の魅力なのだ。噂に聞く作者ならではの洞察力といえそうだ。

 ストーリィの転がし方もすばらしい。札幌のあちこちに脈絡なく放置される死体の手や足。目的は? つながりは? 一見バラバラに見えた事象を緩やかにつなげる展開は見事の一言。これらに、またさりげなく札幌の情感豊かな描写が被さって、なんとも豊かで味わい深い小説空間になった。そしてタイトルとなった「悲鳴」。今ひとつ、テーマとのつながりが弱いような気もするが、もうひとつの闇の犠牲となった無垢の人々の叫び、あるいは他者との関係が脆弱になってしまった現代社会への警鐘、とでも読めばつながるか。ちょっと強引かな(^^;;;。

 備忘録も兼ねて付け加えると、作者の作品群の中では、<俺>シリーズとは別の探偵・畝原を主人公としたシリーズの三作目にあたる。畝原登場作が『渇き』(勁文社〜これはぼくの本棚に積んである……嗚呼)、第二作が『流れる砂』(角川春樹事務所)らしい。遅ればせながらこれから読みます。良質ハードボイルド・探偵小説を読みたいという人には絶対のオススメ。

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探偵は吹雪の果てに    東直己
早川書房 2001年12月31日 初版発行
 時として、シリーズ物には番外編と呼ぶべき作品がある。ススキノ便利屋探偵シリーズの第5作は、番外編と呼ぶべき物語だった。で、成功しているかというと、これがあまりうまくいっていないように思える。

 便利屋45歳。前回『残光』で登場したときが43歳だったから、あの事件の2年後という設定だ。便利屋はヤクザに襲われて入院するはめになるのだが、この相手のヤクザが花岡組系桜庭組。『残光』の事件を未だに根に持っている。しかも、入院している病院にまで魔の手を伸ばしてくるってんだから、相当な力の入れようだ。チャンスを狙っていたのだな。冒頭で、便利屋に叩きのめされたチンピラは手下なんだろう。でも、なんとなく引っかかってしまう。ヤクザはそれほど悠長じゃないでしょう。何がしかの取引が行われるか、じゃなければ、桐原から杯をもらうか、どうにかしなければ生き延びられなかったと思うぞ。それとも2年の間放っておいた理由があるのか。

 便利屋は、入院した先で、20歳を過ぎたばかりのころに付き合っていた元恋人と出会う。彼女は、過去のシリーズでも、便利屋の独白で何度も登場した女性。死んだと思っていたのだ。便利屋は助けることができなかったと激しく自分を責める。彼女からの依頼で動くわけだが、便利屋にとっては、青春の清算というか、過去の清算が大きなテーマとなる。ハードボイルドにはよくあるよね。男のロマンはよ〜くわかる。しかし、便利屋よりも15歳年上だそうで、御年61歳で未だに美人の元恋人ですよ。いやいや、男のロマンはよ〜くわかるのです。でも、なんだかなぁ……。

 この元恋人がとんでもない女性に見える。少なくともぼくには。便利屋に説教をするくせに、何の説明もしないまま便利屋を危険な、アフガンよりも危険そうな閉ざされた田舎町に放り込むのだ。便利屋四苦八苦。この辺りは、かみ合わない会話とか、地元の人間たちに憤る便利屋が、ものすごく活き活きしていてとても楽しめた。しかし、それだけ……、かな。最後に語られる謎解きは、辻褄あわせに終始して一本調子の説明口調。これじゃ便利屋は大バカ。いや、この物語の便利屋はバカで良いんだけど、これじゃああんまりだと思う。つくづく、東さんの描く女性は勝手な人が多い。

 札幌という都会に集う人々の哀切を描いてみせるという一面が、このシリーズのひとつの魅力だった。人情物とでもいおうか。北の都の夜に集う人々の悲喜交々がときに笑いを交えて語られる。これが、絶品なのだ。しかし、この物語の舞台は札幌ではない。旭川近くの山の中にある小さな町が舞台だ。この物語の便利屋は、さながら日本猿の檻に入れられたゴリラといった趣きだ。差別じゃないか、ちょっとやりすぎじゃないかと思われるほど、田舎の人々を極端にデフォルメして描く。いや、デフォルメじゃないのかもな。どこの田舎も似たようなものかもしれない。ともかく、札幌にいても浮いている便利屋が、町じゅうがみんな知り合いで独特の雰囲気の田舎町にいって馴染めるはずがない。

 ラストもなぁ……。とってつけたような…。何度も言うが、ほろ苦い男のロマンはよ〜くわかるのだ。失敗作かも……。少々技巧に走り過ぎたように思える。

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