キース・ピータースン
 アンドリュー・クラヴァン
 マーガレット・トレイシー
1954年ニューヨーク生まれ。アメリカ探偵作家クラブ賞を過去2回受賞。『夏の稲妻』とマーガレット名義の『切り裂き魔の森』
別名義のアンドリュー・クラヴァンとマーガレット・トレイシーでも作品を発表している。

 三つの名を持つ作家だが、ぼくはキース・ピータースンが一番印象深い。弟との合作名義の「マーガレット・トレイシー」。本名の「アンドリュー・クラヴァン」。そしてアンドリュー・クラヴァンのペンネームが「キース・ピータースン」……と言われている。
 キース・ピータースン名義の『傷痕のある男』以外の4作は、ニューヨークの新聞記者、ジョン・ウェルズが主人公のシリーズ。ハードボイルドと呼びたくない人もいるようだが、ぼくはハードボイルドだと思っている。
 ウェルズのシリーズじゃなくて、ウェルズの同僚で女性記者のランシングのシリーズという説もあるんだけど……。それほどにランシングのファンは多いのだ。ウェルズのシリーズは最近書かれていないようで残念。全体的にはサイコサスペンス風が多いみたい。
 取っ掛かりはウェルズシリーズがいいと思う。順番にね。

  
切り裂き魔の森 (4.0) Mrs.White 1983 中野圭ニ訳 角川文庫 1986.05.20 マーガレット名義
暗闇の終わり (3.5) The Trapdoor 1988 芹澤恵訳 創元推理文庫 1990.10.19 キース名義
幻の終わり There Fell a Shadow 1988 芹澤恵訳 創元推理文庫 1991.06.28 キース名義
夏の稲妻 The Rain 1989 芹澤恵訳 創元推理文庫 1991.12.27 キース名義
裁きの街 Rough Justice 1989 芹澤恵訳 創元推理文庫 1993.01.29 キース名義
傷痕のある男 The Scarred Man 1990 羽田詩津子訳 角川文庫 1991.06.10 キース名義
秘密の友人 (5.0) Don't Say a Word 1991 羽田詩津子訳 角川文庫 1994.03.25 アンドリュー名義
アニマル・アワー (3.5) The Animal Hour 1992 内田昌之訳 扶桑社ミステリー 1995.02.28 アンドリュー名義
真夜中の死線 (5.0) True Crime 1995 芹澤恵訳 創元推理文庫 1999.11.26 アンドリュー名義
べラム館の亡霊 The Uncanny 1998 羽田詩津子訳 角川文庫 1999.09.25 アンドリュー名義
アマンダ Hunting Down Amanda 羽田詩津子訳 角川文庫 2000.09.25 アンドリュー名義
愛しのクレメンタイン Darling Crementine 芹澤恵訳 創元コンテンポラリ 2002.07.05 アンドリュー名義

※『暗闇の終わり』『幻の終わり』『夏の稲妻』『裁きの街』はジョン・ウェルズのシリーズ。

本

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切り裂き魔の森  MRS. WHITE  マーガレット・トレイシー 中野圭二訳
角川文庫 1986年5月20日 初版
 「この男は名前をポール・ホワイトという」
 冒頭でいきなりサイコパスの犯人名が明かされる。なんだなんだ、とあっけにとられているうちに物語に引きずり込まれる。あとはひたすらポールの奥さんであるホワイト夫人の心理描写だ。特に、後半部分の夫人の心理描写には参ってしまう。狭間での葛藤を見事に描ききっているのだ。

 読み手はポールが犯人と分かっているから、彼の一挙手一投足、家族との何気ない会話に気を配らざるを得ない。娘のメアリーを輪切りにしてシチュー鍋に入れちゃうぞ、なんていうポールのジョークにゾッとさせられたりもするのだ。ただし、サイコ・サスペンスというにはあまりに犯人像がそっけない。どこにでもいる普通の人間にしか思えないようになっている。もちろん、これは作者の意図するところなのだが、それにしてもそっけなさ過ぎる。このあたりが、濃いぃサイコ・サスペンスを読みなれた人たちには新鮮だったのか、それとももの足りなかったのか…。
 
 前半の夫人の回想はさりげない。普段は優しく良きパパのポールだが、「真のポール」を想像させる材料が、この回想の中で二点だけ与えられる。ハイスクール時代の鹿狩りと、ポールと両親との関係についてだ。が、ホワイト夫人は真相を知らないからはっきりとは語られない。殺害方法についても、筆舌に尽くしがたいとか、生きたまどうかしたとか、鹿狩りを思い出したとか、ギリギリの線で表現され、決して具体的な描写をしない。犯人像や殺害方法などはすべて読者の頭の中で構築されるようになっているのだ。これはホワイト夫人と同じ条件だ。ぼくらは無意識のうちにホワイト夫人に同化している。ポールが犯人だと知っているにもかかわらず、ホワイト夫人と共に揺れ動き、ポールの犯行を想像し、その上凄惨な殺害方法まで想像し、優しいポールの内側に潜む「真のポール」を想像して恐怖するのだ。だから、想像を限定してしまう凄惨な流血シーンなどは……。

 ちょっとものたりない気はしたが、レクター博士やブラフマン(神の狩人)が与える恐怖とは異質の恐怖を味わわせてもらった。

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暗闇の終り  THE TRAPDOOR キース・ピータースン 芹澤恵訳
創元推理文庫 1990年10月19日 初版
 読み終わって、「ああ、ハードボイルドだなあ(^。^)」と。ずっとリューイン作品を読み続けていたので、どうしても比較してしまうのだけれど、主人公ウェルズの心象描写と、それに重なる晩秋のグラント郡の風景描写がとても濃い。リューインは風景描写はどちらかというと淡白なので、頭がリューインになっているぼくには非常に新鮮に写ってしまった。全体がグレイトーン(黒に近い?(^_^;)で、中盤までは非常に重い。一人娘を自殺でなくした主人公が、自殺した高校生の家族を取材していくんだから、重くなるのは仕方ないのだな。

 結局ウェルズ自身の自殺願望を、本人はずっと否定していたんだろう。というか、考えようとしなかった....。自殺願望というよりも自暴自棄と言ったほうが適切かもしれないが。。。事件を通して知り合ったある生徒に対して、自らの心情を吐露し、彼を救うことで自分のその心情を顕在化させ、なんとか折り合い付ける道筋を見つけ出した....。このシーンは圧巻。しかし、まだ苦悩は続くのである。ラストの一行はウェルズの心情を吐露して余りある。

 ウェルズの心情面では非常に読ませるのだが、物語の展開はちと弱い。後半、一転二転はするんだがどうも甘い。登場人物が限定されてるのでわかっちゃうんだな。証拠、伏線は抜きにして……。クライマックスのカットバック風の描写は楽しめたんだけど…。

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秘密の友人 DON'T SAY A WORD アンドリュー・クラヴァン 羽田詩津子訳
角川文庫 1994年3月25日 初版
 ここまでサービス精神旺盛で、エンターテイメントの極みともいえる本に出会ってしまうと、やれ薄っぺらいだの、凄みが無いだの、筋立てが強引だの、と言って重箱の隅をつつくような小姑的感想に陥ってしまう人もいるかもしれない。でも、アンドリュー・クラヴァン=キース・ピータースンは全部承知の上でこの物語を書いている。この人は確信犯だ。ぼくらも途中で気がつくけどやめられない。もう作者の手の平だ。熱狂して読み続ける。電車に乗れば駅を乗り過ごす。そして物語の最終行。クサイなぁ、と思いつつも次の瞬間には鼻の奥がツンとして目頭が熱くなっていた。もちろん、この現象は1回だけではないのだけれど。

 舞台はニューヨーク。主人公は小男で中年の精神科医コンラッド。ある日友人の政治的医師から、美少女の分裂病患者を診て欲しいと依頼される。彼女には「秘密の友人」がいるらしい。コンラッドは次第に分裂病の少女に魅せられていく。そして、家族でハイキングに行く予定の土曜日の朝、コンラッドと妻は5歳の娘が誘拐されていることに気がつく。ここから先はノンストップだ。細かに場面が構成され、視点は自由自在。コンラッド、妻、誘拐犯、誘拐された娘、異常者、近所の老人、刑事。。エンターテメントのあらゆる要素を盛り込んで一晩の物語が驀進する。予定調和か、期待を裏切る悲劇か。まったく先が読めない。不恰好なダメ刑事が、へっぴり腰のFBIを相手に溜飲を下げるというおまけまでつけて……、エンターテメントのてんこ盛りだ。

 他の作品でも目につく強引さはあるのだけれど、周到に計算された筋立ての迫力は不自然さを忘れさせてしまう。息せき切って読み終えてから、首をかしげることも多少はあると思う。でも、大目に見て欲しい。おもしろければ何でも許されるものではないと思うが、ギリギリのところで踏ん張っているはずだから。
 
 キース・ピータースン、マーガレット・トレイシー、そしてアンドリュー・クラヴァン。いくつもの名前を持つ作家が本名で勝負をかけた作品。2駅を乗り越すくらいの価値はあると思うのだ。

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アニマル・アワー THE ANIMAL HOUR アンドリュー・クラヴァン 内田昌之訳
扶桑社ミステリー 1995年2月28日 第一刷
 テクニシャン=アンドリュー・クラヴァン=キース・ピータースンの技巧ここに極まれりってとこかな。常に魅力的な謎で読者を翻弄してきた作者は、この物語では極めつけの謎から語り始める。ある日、弁護士秘書のナンシーが出社してみると、同僚たちの誰一人としてナンシー本人と認めないのだ。挙句の果ては、狂人扱いされる始末。ここから、ハロウィンの日一日だけの物語が疾走し始める。『秘密の友人』でも見られた人物毎の場面分け視点分けが更に徹底され、正気と狂気の狭間で目まぐるしく展開していく。ハロウィンの仮装と登場人物の狂気がシンクロする。これが大きな波となって読者を襲う。他にも幼児虐待あり、トラウマあり、サイコあり…またまたエンターテイメントのてんこ盛りなのだ。

 中心となるのはナンシーの他には、詩人オリヴァー・パーキンスとその弟ザカリー。まったく別の物語のように思える話が、次第に一点に収束していくさまは豪腕クラヴァンの真骨頂だろう。だが、電車の中や空いた時間にページを繰る読者=ぼくには目まぐるし過ぎた。今一つ集中できない。しかも、今回は強引さも非常に気になってしまった。ナンシーは一体誰なのか。この答えは過去のクラヴァン作品でも類を見ないほどの強引さだ。ちょっとやり過ぎじゃあないかな。ここまでくるとついて行けないぞ。そう思ってみてしまうと、一難去ってまた一難の連続トラブルも、それほど目を釘付けにはしないかも知れない。

 ナンシーの物語とパーキンス兄弟の物語がシンクロするのが遅すぎた印象も拭い去れない。細かくシーンを切り刻んで、次第次第に全体像が見えてくるような練り上げられた構成なのだけれど。ラストに辿り着いてやっと意味がわかる。でもねぇ、そんなに興味は長続きしないよ。それならもっとコンパクトにするべきだったと思う。トラブルのためのトラブル。いつも通りと言えばそれまでだが、今回はちょっとばかり鼻についてしまった。策士策におぼれる、というのが正直な感想だろうか。

 どうにも今いちの感想なのだが、たった一日の物語をここまで膨らまして、更にここまで密度濃く語り尽くす作者は、やはり只者ではない。それと狂気の心理描写は出色だった。ナンシーの心理描写は圧巻かも。読んでいるこちらまでおかしくなってくるほどであった。ウィリアム・アイリッシュ『暁の死線』を思い出しながら終えた読書でありました。

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真夜中の死線 TRUE CRIME アンドリュー・クラヴァン 芹澤恵訳
創元推理文庫 1999年11月26日 初版
 まぎれもない、アンドリュー・クラヴァン=キース・ピータースンの最高傑作の登場だ。だが、ここまでエンターテイメントに徹していると、『秘密の友人』の感想にも書いたように、重箱の隅をつつくかの感想を持ってしまう人もいるかもしれない。もう一度言うけど、クラヴァン=キース・ピータースンは確信犯なのですよ。全部計算の上で、この物語を作り上げている。読者がそういう感想を持つことまで含めて。17時間後に迫った死刑執行を止めようというんだから無理は承知なのだ。で、手を変え品を変えリアルさを演出する。この演出も決して小手先ではない。息つく暇もないリミットに迫る描写と、重苦しく鬼気迫る死刑囚らの心情の描写がバランス良く描き分けられ、読者が己の奥深い部分から身を委ねられるように工夫されている。裁判についての引っかかる点や解決部分などについても、ある程度理由付けがなされているから、少々の無理はあるものの比較的素直に染み入ってくるのである。

 ウェルズ・シリーズ以降迷いがあったのだと思う。余りのテクニシャンゆえ、アイディアに頼りきり、若干の薄っぺらさとともにそのテクニックに溺れる作品を描いたこともあった作者が、ここで見事に一皮剥けて見せた。過去に何度かデッド・リミット型サスペンスを物にしているが、最も自然で最もサスペンスフルな、このタイプの小説では指折りの傑作に仕上がっていると思うのだ。決して奇を衒ってはいない。腰の据わったサスペンスを堪能して欲しい。

 主人公はジョン・ウェルズを若くして、もっとろくでなしにしたような新聞記者、スティーヴン・エヴェレット。こいつのアンチ・ヒーローぶりがなんとも気持ち良く作品に幅を与えている。17時間後に迫った死刑執行を止めようと奔走するわけだが、その動機も大上段には構えない。このろくでなしぶりがなんとも魅力的なのだ。正義感溢れるヒーローよりもずっと身近に感じられる。その他の登場人物たちについても、非常に厚みのある造型で見事と言うしかない。

 ほろ苦いラストも秀逸。人生の表裏を見事に描いたと言えよう。一寸先に待ち受けていたこの皮肉。檻の内側と外側。立場の逆転。いったい人生にはどれだけの檻が張り巡らされているのか。決して一筋縄でいかない余韻を残しつつ、静かに最終ページを繰ったのでした。

 蛇足だが、この物語はハリウッドで映画化された。製作・監督・主演はクリント・イーストウッド。ダーティ・ハリーなエヴェレットにならないことを祈るのみだけど、監督としても非常に優秀なお方ですからきっと杞憂でありましょう。1999年12月25日、原題通りの『トゥルー・クライム』というタイトルで封切られるらしい。『暁の死線』をもじったとしか思えない邦題よりは良いかな^_^;。

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