神は銃弾    GOD ISA BULLET ボストン・テラン 田口俊樹訳
文春文庫 2001年9月10日 第一刷
 これが処女作だそうだ。エルロイを彷彿とさせる体言止めの連発と、過去形を一切使わない現在形のみの文章が、荒削りながらスタイリッシュな上にドライブ感を生み出していて結構楽しめた。訳者の田口俊樹さんが巻末で書いておられる通り、才気走り過ぎた処女作らしい処女作と言える。しかし、筆走る自己陶酔はご愛嬌。それにも増して、行間から立ち上る才気が圧倒的なのである。

 犯罪小説であり、心の奥底のダークサイドを刺激するノワールでもあり、暴力小説であり、ロードノヴェルでもある。ストーリィは単純で、先妻を殺した上、娘を連れ去ったカルト集団を追い詰め復讐する、去勢された窓際デスクワーク専門刑事=ダメ男の再生物語。新鮮だったのはダメ男ボブ・ハイタワーと、相棒となる元ジャンキー女性ケイス・ハーディンとの組み合わせだ。ケイスが伝道師のごとくボブに教育を施す。ボブの負け犬魂とケイスの世界観のせめぎあいがひとつの読みどころか。

 凄惨な暴力シーンも多く、ぼかされてはいるが誘拐された14歳の少女への性的暴力もある。カルト、復讐、などの要素を合わせれば、粘着質なドロドロ物語を想像しがちだが、どこかストイックで乾いた印象が強い。もちろん、舞台となる荒野のイメージが増幅させているのだろうが、これは作者の有望な資質でありましょう。才気迸る多弁さが未来の大器を予感させる。カルトの教祖・サイラスもかなりの出来だと思ったし。構成の妙とストーリィのダイナミズムが加われば鬼に金棒かも知れない。期待大。

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死者の日    DIA DE LOS MUERTOS ケント・ハリントン 田村義進訳
扶桑社 2001年9月30日 第一刷
 救いようのない小説。暗黒度は『転落の道標』に勝るとも劣らない。堕ちてゆく主人公の麻薬取締局捜査官ヴィンセント・カルホーンが哀愁を誘う。ギャンブル、金、女という堕落の三要素がまんべんなく振り掛けられ、薬味としてメキシコという心のタガを容易に外させてしまう魔の国が背中を押す。希望と絶望が交錯するアメリカとの国境地帯で、何でもありの地元警官と組んで密入国を手助けして金を稼ぐヴィンセント。追い詰められ拠り所を失ったヴィンセントが、拠り所を求めるべく昔の恋人セレストを求める感情は果たして愛情なのか。デング熱が呼び起こす狂気が拍車をかける。

 ひとりでは歩けないほど太った超デブの大金持ち、ホモの麻薬捜査官、ムショ帰りのマッチョなレズビアン、密入国斡旋業者などの切れた連中だけでなく、グアテマラ人の若夫婦や、超デブ大金持ちの愛人など、ある意味マトモな人間たちを対極に描いているのが特徴だろうか。ノワールといえば、出てくる人物が片っ端から悪党なんてのが多いが、善人の扱いがジム・トンプスンなどとは大きく違っているように思えた。ひとりでは歩けないデブの金持ちが最高におもしろい。戯画的ですらある。

 破滅型の主人公としては、この物語のヴィンセントは出色かもしれない。密入国者をアメリカへ送り届けるルートに口を開く大地の割れ目。彼は毎回、その割れ目を疾走するジープで飛び越える。なんとも象徴的なエピソードだ。だけでなく、グアテマラ人の若夫婦や、父親になってくれと慕うメキシコ人の少年などの弱者に向ける目がとても澄んでいるのだ。どこか奥底に優しさを持っている。しかし、本人は堕ちて行かざるを得ない。ラストの行動が彼の本質を物語る。堕落していながらも、どこか毅然とした雰囲気を漂わすなんとも哀れを誘う物語だった。

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ハリー・ポッターと賢者の石
ハリー・ポッターと秘密の部屋
ハリー・ポッターとアズカバンの囚人
    J・K・ローリング  松岡佑子訳
静山社
 お子さま向けなんて誰が言ったんだろう。とんでもない。充分大人が読むに値します。シリーズ全体を覆う郷愁は、ハロウィンみたいな魔法使いや魔女という言葉から連想する、どこかしら甘酸っぱい子供時代の思い出に起因するだけではないようだ。舞台は魔法学校なんだけど、この学校という入れ物自体への懐かしさもあると思う。この郷愁を誘う設定に展開する波乱万丈な冒険物語。それぞれが長い物語なのにさしたる中だるみもなく、スイスイとハリーの冒険に没頭させられる。

 重く暗いトーンも従来の子供向け小説とは大きく異なる。ぼくは重厚な雰囲気の小説の中で、明るく元気に自由に動き回るハリー・ロン・ハーマイオニーにやられっぱなしだった。『秘密の部屋』と『アズカバンの囚人』に見られるミステリ性は大人向けのミステリと比べても遜色ない。意外な展開と仰天のドンデン返し。訳者がおっしゃる通り、『アズカバンの囚人』は子供にはちょっと難しいような気がするが…。小四の長男が何と言うか。彼は二作読み終えたところで、『秘密の部屋』が一番おもしろかったと言っていた。

 父親のぼくは『賢者の石』が一番良いように思う。『秘密の部屋』のフーダニットも『アズカバンの囚人』のほろ苦い結末も捨てがたいが、『賢者の石』のラストのドラマチックで叫びたくなるほどのカタルシスがすばらしい。魔法学校の教師たちが賢者の石にかけた呪文を、入学したばかりの一年生が簡単に解いてしまうのはご愛嬌としても、物語のパワーが一番備わっているように思える。鬱屈したハリーの魔法学校入学前がキチンと描かれ、入学したあと解き放たれたハリーの水を得た魚のような姿が感動的だ。

 『秘密の部屋』はミステリとしても一級品。人間の血の混じった生徒が次々と石化される。犯人は誰か、またその目的は? ハリーに迫る危機…。こんなシリーズに言うべきことじゃないんだけど、これだけは”作り過ぎ”と言いたい。おもしろいシーンが満載でワクワクドキドキの物語だが、どうも愛情が感じられない。ロックハートという道化教師の存在が物語をあやふやにしてしまったような気がしてしまう。作者は手を変え品を変え、ハリーを追い詰める。全作に通じて言えることだが、ウケる要素を研究し尽くしてハリーに枷を嵌める。

 この枷が、『アズカバンの囚人』では文字通りのハリーの足枷になって外出を禁止にしてしまう。ちょっとご都合主義が目立って理解に苦しむところもあるが、それなりに出来た物語だと思う。まあ、魔法の世界だから、何でもありには違いないが、こんな解決をハリーとハーマイオニーにさせるなんて、ねぇ。きっちりと疑いを晴らさず、将来への含みを残した結末。カタルシスが弱い分、他作品よりも落ちるような気が…。物語が7巻までつながっていることを思い知らされる。それにしても、この巻が初登場の吸魂鬼(ディメンター)は秀逸だ。

 3作通じて、箒に乗った擬似空中サッカー(クィデッチ)・シーンの手に汗握ること、魔法授業の奇妙奇天烈なこと、教師たちの個性的なこと、敵役のC調で適切なこと(こんなのに奇をてらってもしょうがないのだ)、ハリー・ロン・ハーマイオニーの3人の友情の微笑ましいこと、創造力豊かに現出した魔法世界のこと、などなどおもしろさは枚挙に暇が無い。こんな素材を土台に、おもしろい物語を研究し尽くした作者の筆が冴え渡る。雰囲気はぼくらの知っている魔女・魔法使いそのものだから安心して読めてしまうのだ。まあ、ずるいと言えばずるいのだが、そんな思いはハリーの大活躍が吹き飛ばしてくれる。一番良いのは、親子で読めることかも知れない。子供たちと共通の話題に悩む親は必読かも(^^;;;。

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リプレイ    REPLAY  杉山高之訳
新潮文庫 平成2年7月25日 発行
 年寄りの説教みたいなことを言うつもりはないが、小説にしろ映画にしろ、ある程度の年齢にならないと理解できない作品はあると思う。言い方が悪ければ、ある程度の年齢にならないと感動できない作品とでも言おうか。こう書けば、当然逆もあって、若い時でないと感動できない作品も間違いなくあると思う。この物語は、前者の代表的な作品と言えるかもしれない。ある程度の年輪を重ねてこそ感動が得られる作品。世の中に傑作と呼ばれる小説は数ある。しかし、心から名作と呼べる小説にはあまり出合ったことがない。単なる言葉の遊びでなく、この小説こそ名作と呼ぶに相応しい。

 誰だって人生をやり直したいと思うことはある。あの時こうしていれば、あの時ああしなければ…。この物語の主人公、ジェフ・ウィンストンは、この夢を適えてしまうのだ。1988年、心臓発作で死んだジェフは、1963年の18歳の自分として目が醒めてしまう。43歳がいきなり若さと気力に溢れる18歳に戻るのだ。当然最初に考えるのはギャンブルだよね。記憶を頼りに競馬などのギャンブルで大儲けをする。行き着く先は株式。時流がわかっているから外さない。若き日のスティーブ・ジョブズにまで出資して、一大コングロマリットを作り上げる。しかし、43歳の同じ日、やはり心臓発作で死んでしまうのだ。そしてまた、18歳で目覚め、二回目の人生でうまくできなかったことを修正しようとする。しかし、また死ぬ…。これを何度も繰り返す(リプレイ)のだ。

 何度も人生をリプレイするジェフは、多くの教訓を学んでゆく。このディテールが実に木目細かい。およそ想定される欲望や心理を巧みに描いて、その磨耗と行き着く先まで一気に読ませる。ストーリィは、一種のタイムリミットサスペンス的な趣向のほかにも、隅々まで気配りがなされてまったく飽きることがない。見事な構成と考え抜かれたプロット、熱情だけでは行動できない、大人ならではのラスト、魂の揺らぎ。決して答えのない、人生あるいは神への問いかけ。染み入りますね。

 見方を変えれば、時空を越えた恋愛物語と言えるかもしれない。なんとも切ない恋愛物語。リプレイするたびに現在の重みが増してくる。そして、産みの苦しみにも似た苦痛を伴って一気に解放されるのだ。時空を超えた魂の遍歴が得た確かな何かは、決して奇をてらったものではない。あまりといえば、あまりの当たり前さ。しかし、人間は忘れてしまうのだな。人生には確実なモノがないから自由に生きられるのだ。自分の人生は自分のモノであり、何かでコントロールしたり制限すべきものではない。すべてに価値がある。打たれた。折りに触れて手にとることでしょう。ぼくの生涯指折りの名作となった。

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ボトムズ    THE BOTTOMS ジョー・R・ランズデール 大槻寿美枝訳
早川書房 2001年11月15日 初版発行
 ランズデールという作家はホントに引き出しの多い作家だ。猫の目のように変わる作風。今回はホラー風味の少年物語だった。少年の日の回想、死体を見つける少年、少年の成長、ホラー風味という要素から類推すれば、マキャモンの『少年時代』とかキングの『スタンド・バイ・ミー』を思い出す。黒人への人種差別なら、クックの『熱い街で死んだ少女』とか、ウッズの『警察署長』とか。他にもいろいろあるのだが、ぼくは読みながらこんな物語を思い出していた。

 あの、ハチャメチャなハップ&レナード=シリーズのランズデールが、こんなしっとりとした作品を描くなんてと驚きの方もあるかな。でも、彼には元々こんな資質があった。ぼくの中では、おもろうてやがて悲しき、が身上の作家。大時代的な舞台設定や、ぶっ飛びの会話も真っ正直さの顕れと、ものすごく好意的に取っている。なんと回りくどい言い方(^^;;;…すみません。要は大好きな作家なのだ。その大好きな作家が、決して陽の当たる場所に出ることはないだろうと思っていた作家が、この作品でなんとMWA賞の最優秀長篇賞を受賞してしまった!

 物語は1933年から1934年にかけて。テキサス東部に住む11歳の少年ハリーの視点で、サイコ殺人と犯人に絡んだ人種差別などが、当時の匂い立つほどに濃密な生活・習俗と併せて語られる。そこに、トラベリングマンとかゴート・マンという子供たちの恐怖を凝縮した想像上の生き物が登場して、ホラーっぽい味付けもされる。だから、21世紀ホラーの原点、なんていい方もされてしまうのかな。伝承が生んだ怪物は心の中に棲む? それともホラーの味付けは、サイコな殺人犯と併せてのことかな。ぼくとしては、ホラー風味よりも、当時の生活・習俗の描き方に参った。すばらしい。

 だが、ミステリとしてはあまりいただけない。犯人らしき人物が途中でふたりに絞られて、どっちかなぁ、と思っていたら結局こっち。ハップ&レナード=シリーズにも共通して言えることだが、ミステリなストーリィ作りはお世辞にもうまいとは言えないようだ。その分、キャラが立っているわけで。この物語でも、主要な登場人物から端役に至るまで見事に描き分けられ、うまく配置されていた。ただし、過去のランズデール作品と比べると落ちるように思えるのだが…。会話もおとなしい。しかし、いくつかのランズデールらしいぶっ飛びエピソードがキラリと光って小説の厚みを増していたかな。まとめちゃえば、ホラー、ミステリ、家族の物語、兄妹の物語、人種差別、20世紀前半のアメリカ南部などの要素を美味に仕上げた佃煮かな。

 なんだかあんまり褒めてないような…。良かったんだけど、それは間違いないんだけど、展開の鈍さが水を差したかも。アメリカは、わが身を振り返ることにかけては他国の追随を許さない国だ。そのアメリカにとって、人種差別は決して消すことのできない汚点。その汚点を真っ向から描いて、しかも、郷愁を誘う物語ときたもんだから、拒否できなくなったのでは…、なんてつまらないことを考えている。ぼくとしては、早くハップ&レナード=シリーズの次作を読みたい。これが正直な今の気持ちだ。人種問題の描き方は、少なくともアメリカ賛美自己陶酔の『警察署長』なんかよりはずっとよろしいですが。

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ダレン・シャン -奇怪なサーカス-  2001.7.10 初版第一刷発行
ダレン・シャンII -若きバンパイア-
  
2001.10.10 初版第一刷発行- 
ダレン・シャンIII -バンパイア・クリスマス- 
  2002.1.1 初版第一刷発行
ダレン・シャン Darren Shan 橋本恵訳
小学館
 ハリ・ポタを意識した作りは明らかに二匹目のドジョウを狙っている。それが奏効したのか、2001年6月に出版された第一巻『ダレン・シャン −奇怪なサーカス−』は20万部近いヒットを記録しているらしい。以後続々と翻訳され、12月に出たばかりの『ダレン・シャン III −バンパイア・クリスマス−』で既に第三巻。2002年4月には早くも第四巻が出版されるというスピードぶりだ。ハリ・ポタが本のタイトルだけでは何巻目かわかり難いのに対し、ダレン・シャンはナンバリングをしてわかりやすくしている。学習したのだね。4月に出る本は『ダレン・シャン IV −バンパイア・マウンテン−』だそうだ。

 バンパイア(吸血鬼)を題材にしているからか、ハリ・ポタよりもずっとダーク。ハリ・ポタがわかり易い善悪・勧善懲悪を描いているのに対し、ダレン・シャンは善悪は立場によって変わると力説する。主人公がバンパイア(ダレン・シャンは半バンパイア〜半分人間で半分バンパイア)だからね。古来よりの人間の敵という微妙な設定で、なおかつ子供向けの物語に仕上げるにはそれなりの苦労があったようだ。その第一関門が少年バンパイア、ダレン・シャンがバンパイアになった経緯だろう。生まれながらのバンパイアなどと逃げない作者の姿勢が良い。この難関を第一巻の『ダレン・シャン −奇怪なサーカス−』で見事にクリアした。

 第一巻『ダレン・シャン −奇怪なサーカス−』では、普通の人間の子供だったダレン・シャン少年が何故半バンパイアになったかの一部始終が語られる。ダレンがバンパイアになった理由は読んでいただくとして、その動機もディテールも過不足なく手際よく語られてまあまあ納得。常人よりも力が強く早く走れるバンパイアになった後のエピソードには、子供のころ誰もが思い描いたスーパーマンへの憧れが実現したような痛快さがあって微笑ましい。サッカーで16点も取ったりね。一転して、後半に描かれる愛する両親と妹との別れのシーンは涙無しでは読めない。

 わかり難いのはダレンの人物像と、直接のきっかけを作ったスティーブ少年だ。中でもダレン少年は最もつかみにくく、はっきりと像を結ばないキャラ。第三巻あたりから少しずつ個性が出てくるが、第一巻を読んだだけではどこがそんな人気キャラなのかさっぱりわからない。つかみにくいダレンと同じくらいわからないのがスティーブ。なぜあのような願望が生まれてしまったのか。その背景に言及されていれば、もっと厚みのある物語になったと思う。ただし、スティーブという含みのあるキャラはシリーズ後半に大きな意味を持つような気がする。ダレンの宿敵になるとか? 半バンパイアは人間の1/5のスピードで年をとる。人間の20年はバンパイアの4年にしかならない。そのくらいの年月を経て宿命の対決があるのだろうか。

 こうして最大の関門を突破した作者には更なる難関が待ち構えている。主人公はバンパイアだ。半バンパイアとは言え、人間の血を飲まなければ生きることができない。少年バンパイアが人間の血を飲むことに対する是非。どう描いても人間に敵対する行為にどのような理屈をつけるか。これが第二巻『ダレン・シャン −若きバンパイア−』のテーマだ。結論から言えば、作者はこれもうまく処理した。バンパイア一族は人間の血を飲み干して殺してしまうような行為は絶対にしないんだそうだ。ばかりでなく、逆に死に直面した人間の血を全て吸い尽くすことによって、その人の魂を共有することになると、シェイクスピアまで持ち出して説明する。それでも、当然、善悪の揺らめきがあるので、ハリ・ポタよりも対象年齢は高そうだ。ヤングアダルト向けって、もっと上の年齢かな?

 人間の血を飲まないバンパイアは死んでしまう。それでも、第二巻の半バンパイア少年ダレンは、人間の血を飲むことを頑なに拒否する。この姿勢が後半に生きてくるのだが、反面、途中で物語の筋が読めてしまうが大きな欠点だろうか。でも、こればっかりは仕方ないかな。一貫して描かれているのが友情と信頼で、それが第一巻でも大きな役割を果たしたが、第二巻でも大きな役割を果たすことになる。このラストも涙無しには読めないかな。わが家の長男は第一巻では泣かなかったが、第二巻のラストは涙が出てしまったそうだ。善悪の揺らめきは良いんだけど、それにしてもバンパイアについては美化し過ぎじゃないかな。

 善悪の揺らめきはバンパイアに留まらない。環境保護運動に関わる男を登場させて、一般的には善である彼らの行動を、別の側面から描いてダレンを巡る大事件の引き金まで引かせている。ハリ・ポタの健全さとは大きな違いだ。ダークなファンタジーとしては第二巻からが本領かも。フリーク達への踏み込みが甘くて食い足りないが、ダレンを半バンパイアにした張本人であり、ダレンの師でもあるバンパイアのクレプスリーが良い味を出してくる。第三巻でふたりは完全なパートナーになる。第二巻ではその前段階として保護者的性格を与えている。まあ、これもつかみどころがないかも。ダレンの友だちとして、シルク・ド・フリークの蛇少年エブラ・フォンを登場させて孤独なダレンの心の内を吐き出させている。バンパイアと蛇少年の友情……、おぞましくも微笑ましい。

 続く第三巻でも友情が大きなテーマだ。描かれるのはエブラとの友情と、クレプスリーとの信頼関係、更に友情が形を変えてダレンが淡い恋心をよせる少女との関係。友を信頼するということ。更に、バンパイアと似て非なるバンパニーズを登場させて、第二巻のバンパイア道を補足している。バンパニーズは人の血を吸い尽くして殺してしまうのだ。実は、ここにも善悪の揺らめきがあって、クレプスリーは一方的なバンパニーズの非を認めない。仲間意識とでも言おうか。小さい子は誤解するだろうなぁ……。クレプスリーはダークでかなり良い味を出している。第三巻はそのバンパニーズとバンパイアの戦いがメインだ。前二巻とは一転してアクション・シーンとミステリな仕掛けが読みどころ。現段階ではシリーズの最高作だと思う。

 前に書いたが、第三巻でダレンとクレプスリーの関係は大きく変化する。前二巻までの保護者と被保護者の関係、それも互いに敵対し憎しみあうような関係から、信頼関係を築き上げて上下すらないパートナーとなるのだ。全てダレンの成長の賜物と言える。言ったことは守る。何があっても守り通す。嘘をつかない。信頼するとはどういうことか。敵対するバンパニーズにまで矜持を持たせて作者の意思を強く補足している。バンパニーズに最後にカッコ良いセリフを吐かせて、またまたダークな善悪の揺らめきを見せる。ラストの粋なダレンも良い。このダレンなら少しはキャラ萌えもわかる。でも、この程度はぼくの好きな分野の小説では当たり前なんだよね……。

 ダレンの成長物語でもあるこのシリーズは、第三巻でひとまず区切りがついたようだ。嫌々ながらも半バンパイアである自分に折り合いをつけるダレンの姿は、痛々しくも神々しく微笑ましい。でも、バンパイアなんだよなぁ……。とりあえず、第三巻でバンパイアたる自覚を持った半バンパイア少年ダレンは大人気らしい。大半がありがちなキャラ萌えなのがとっても残念。どうもよくわからない。本に挟んであるハリ・ポタの「ふくろう通信」風なリーフや、ダレン関連のサイトを眺めても、少女マンガ風なダレンの想像イラストが並んでいたり、その手の投書や書き込みがやたら多いのだ。これはハリ・ポタには無い現象。やっぱり購読年齢層が高いみたいだな。

 シリーズとしてはやっと序盤が終わったところだろう。少年少女向けファンタジーなので多くは望めないが、安易なキャラ萌えシリーズになるのか、骨太のダーク・ファンタジーになるかはこれからの展開次第でしょう。第四巻のアナウンスを読むと、後者の期待が高まる。四月、ちょっとだけ期待。子供たちには、小学校高学年くらいから良いように思う。ウチの四年生がギリギリくらいかも。

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