Mr.クイン    Quinn   シェイマス・スミス  黒原敏行訳
ハヤカワ・ミステリアスプレス文庫 2000年8月31日 初版
 残酷な犯罪を扱っているのに、それとはちょっと離れた気分にさせられる不思議なムードを持った犯罪小説。残酷な描写が無いからなのか、主人公ジャード・クインの憎めない人物像からなのか、はたまた語り口からなのか、天才的犯罪プランナー、ジャード・クインが仕掛けるコン・ゲームといった趣きで読めてしまう。犯罪プランナーといえばドートマンダーだけど、ドートマンダーは泥棒だからねぇ。クインは麻薬王のブレーンで、主な犯罪プランは殺人に負っている。直接手を下すのは別の人間がいて、クインはプランニングのみ。

 ある不動産会社を乗っ取って全財産を頂くために、社長一族を根絶やしにしてしまう計画だ。この計画を続行中に、自分の浮気が原因で女房が子供を連れて家出してしまう。子供を取り戻す策略と、不動産会社乗っ取りを微妙に絡み合わせて、クインに都合のいいように展開する。転んでもタダでは起きない。いやはや、クインはとんでもない大悪党。「犯罪はビジネス」と豪語し、自らの手でも一人葬り去る筋金入りの非情な犯罪者が、自分の家族に対しては不可解なほどグジグジと悩む。カミさんとのやり取り、我慢するクインが笑わせる。

 犯罪計画は緻密で、一度読み始めたら一気に最後まで読ませてしまう力を持った物語である。でも、細部をよく読むと、なんで警察の目をごまかせるのか不思議に思う点も結構あったりする。アホな警察の登場場面が少ない。この程度だったら、登場させない方が良かった。細かな人間観察によって推測される人間の行動が犯罪プランの中心だから、クインの思い通りに動いてしまう人間に感嘆するか出来過ぎと見るか。ぼくは破綻していると思うから、並の警察なら簡単に一網打尽にできそうに見えちゃうんだけど。

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    THE AX  ドナルド・E・ウェストレイク  木村二郎訳
文春文庫 2001年3月10日 第一刷
 ノワールといえば、あのジム・トンプスンやジェイムズ・エルロイを思い出す。必要以上に自分のダークサイドを刺激されるのは決して気持ちの良い行為とはいえないが、きれい事を並べ立てた偽善よりはよっぽど人間の真実に近いような気がしている。ノワールを読むのには、単なるミステリ以上の体力を必要とするので、今回もかなり構えて読んだ。ああ、ところが、作者がウェストレイクだとすっかり忘れておりました。エンターテイメント小説の権化。

 ウェストレイクは紛れもない、ミステリの最後の巨匠であると同時に、訳者・木村二郎さんの解説を読むまでもなく、他にいくつもの名前を持って、ミステリを中心としたあらゆるジャンルのエンターテイメント小説を書いていることでも知られている。それでも、巻末のジャンル・リストを見て驚いてしまった。そういう意味では、読者を楽しませようという作者の思いが充分に伝わる作品ではあった。

 リストラに遭った主人公が職を得るために、自分の業界で似たような境遇にある求職者たち6人+αを殺害するというストーリィ。ともすれば、平坦なマンハントに陥りそうなストーリィに、家族問題やら何やらを絡め、殺人それ自体にも工夫を凝らして読者を飽きさせないように充分に配慮されている。短絡した主人公バーク・デヴォアの精神が揺れながら、自分の犯した罪を正当化する。主人公の強弁は破綻しているのだが、いつしか納得させられているような気分になってしまう。他人事と思えなくなるのだ。

 主人公が善良(殺人者を善良とは呼ばないが…)な一市民なら、主人公に殺害される者も善良な一市民。そこで、作者が提出したアイディアが個人名の完全なる記号化なのだろう。個人名の記号化。例えば第一の標的はハーバート・コールマン・エヴァリー。彼の記号は、それぞれの頭文字を取って「HCE」だ。同じように、エドワード・G・リックスは「EGR」。6人+α全てがミドルネームを持っていて、全てが記号化される。これは作者の茶目っ気たっぷりなユーモア?ととれなくもないけど、善良なる精神を持った者が殺人を行うには、主人公バーク・デヴォアのようになるべく標的から人格を排除し、できるだけ交友を持たないようにして「記号化」する必要があったのではないかと推測する。

 最後に。標的の軒先で殺人を繰り返すので、そんなのありかよ、と読みながらずっと思っていた。だって、それでも目撃者はいないし、証拠も残らないし、警察の手も伸びてこないんだから。でも、はたと気がついた。わが日本の住宅ならば、軒先で殺人を犯して住宅の密集地を何度も逃げ切るのは不可能に近いでしょう。だが、物語の舞台はアメリカなのだ。アメリカの住宅事情って、こんな犯罪を可能にさせるほど優雅なのか。おかしなところで、感銘を受けてしまったのである。

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殺戮の女神    Die Hirnkonigin  テア・ドルン  小津薫訳
扶桑社 2001年2月28日 第一刷
 ギリシャ悲劇を題材にして、ゴシックな雰囲気を漂わせた女殺人鬼が新都ベルリンを跋扈する。荒削りで抜き身ながら、言い知れぬ力を持った物語だ。全編に漂う、匂わんばかりのギリシャ古典の豊穣な空気。圧倒的だ。あとで、作者の経歴を読んで納得。この作者は大学でギリシャ哲学を教えていた方だった。しかし、ギリシャ神話に「殺戮の女神」は登場しなかったように思うんだけど。「殺戮の女神」と聞いていの一番に思い出すのが、ヒンドゥーのカーリー(ドゥルガー)だ。あとは、ケルト神話のモリガンとか。作者自ら創造しようとでもしたか。

 女性の快楽殺人者がいない(少ない)のには、この物語で言うように、男性の方が性欲が強いからが定説らしいが、ホントのところはぼくもよく知らない。最近の海外ミステリでは、女性の連続殺人犯を扱った物語も多く、男性社会に進出した女性たちが、否応無く男性化している証左ではないかとも思っている。国産ミステリでも、平山夢明さんの作品がある。おかしなところでネタバレしないように気をつけるが、ともかく平山作品の方が、女性が快楽殺人を犯す背景に説得力があるのだ。テア・ドルンが、平山作品を読んで、女性快楽殺人犯の動機付けというか、背景のインスピレーションを得たかのような展開でとても驚いた。さすがに、われらが平山夢明である。

 ともかく物語には、まともな人間がほとんど登場しない。まさに世紀末なのである。どいつもこいつもサイコな一面を持っていて、後半までどこでどう転ぶかまったく予想がつかない。特にエキセントリックな女性はひどい。偏執狂、色情狂、レズ、死体愛好、倒錯、サイコな一時的記憶喪失…、それらを裏付けるフロイト的幼児体験…。声の馬鹿でかい、自分勝手な自己中女ばっかり。男だって負けていない。これも色情狂にオナニストに躁鬱的なわけわからない病的な男。キーワードはセックス。この混沌が新生ベルリン、ひいてはドイツを象徴しているとでも言いたいのか?

 と、ここまでは良いのだが、問題は後半のストーリィなのだ。中盤過ぎまであざとく読者をかく乱しておきながら、あっさりとゴシック文字を引っ込めて、ある人物を登場させる。巻頭の人物リストを見るまでもなく、こいつが犯人なのは見え見え。作者は簡単にバレると思ったかどうかわからない。逆に読者にわからせて、ここからが物語の本番、スリラーが始まるという意味かもしれないが、少なくともぼくにはそこまでのモノは感じられなかった。それでももっとうまい人物配置があるように思う。細切れに切った視点の転換は、読書中は浅はかなテクニックとしか見えていなかったが、読み終えてみれば、ドラマを盛り上げるうまさも感じられたのでとても残念に思う。

 ともあれ、これだけ読者の期待を裏切る執筆姿勢には、大いに大器の予感が漂う。次回作も是非読みたい。こんな感想でした>小太郎さん、紹介ありがとう。

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クリムゾン・リバー   LES RIVIERES POURPRES    ジャン=クリストフ・グランジェ  平岡敦訳
創元推理文庫 2001年1月31日 初版
 惜しい! ラスト80ページあたりまで、グリグリの満点をつけようと思っていた。ところが、ラストに待ち構えていた怒涛の謎解きが走りすぎたように思え、しかも解決部があまりにあっけなくて拍子抜けしてしまったのだ。それでも、2001年ベストテン級の傑作でありましょう。瞠目のラストも嫌いじゃないですよ。本格風味な謎と雰囲気に、冒険小説のテイストをたっぷりと盛り込んで、ハードボイルドな刑事を二人まで配してノワールな隠し味と読後感。ごちそうさまでした。

 これほどの物語を書いたのが、新人作家でそれも二作目だなんて俄かには信じられない。堂にいったストーリィ展開。冒頭のニエマンス警視正のはちゃめちゃアクションから目が離せなくなるのだ。物語は、そのままニエマンスが捜査する奇怪な殺人事件へと引き継がれ、平行してアブドゥフ警部の墓荒らし捜査が語られる。どちらも不可解で魅力的な謎で、読者はこのふたつの事件がどう結びつくのか息を殺して読みつづける。これほどに読書中断が辛かった物語は久しぶりだ。見事な謎とアクションの連続に翻弄され、深夜まで読み耽った。

 なんといっても、解決にあたる刑事ふたりのアンチ・ヒーローぶりがいかしてる。内なる暴力衝動を抑えきれないニエマンス警視正と、自動車泥棒で生計をたてていたアラブ人二世のアブドゥフ警部だ。同名の映画の原作だがぼくは未見。それなのに、ニエマンス警視正役のジャン・レノが頭から離れない。実にぴったりのキャスティングで、冒頭からニエマンスがジャン・レノに姿を変えてぼくの頭に中に像を結んだ。最初からジャン・レノを頭において創出した人物としか思えない。端役ながらキラリと光る人物も多い。

 中盤になって更に殺人が連続し、少しずつ謎が明かされても、まったく着地点が予想できない。この謎解きのディテールがまたすばらしいのだ。暴かれても更にその奥に謎が潜んでいるという入れ子状態が、これでもかと読者を襲い続ける。強引さは否定できないが、一時も目を離させない恐るべきアイディアと展開力だ。ようやく着地点が見えてきたとき、マジかよぉ、と叫びたくなって、そこから先が尻すぼみのように見えてしまうのが欠点だろうか。死人を生き返らせるという豪腕力技の答えが、あんな当たり前では納得できないなぁ。それと、もうちょっと「クリムゾン・リバー(緋色の川)」をコントロールする側からの狂気に気を配れば、更に更に深い物語になったであろうに。きっかけとかね。

 ともかく、無類のストーリィ展開に加え、キャラクターを立たせる術も心得ているとなると、今後は絶対にこの作家から目を離せない。デビュー作の邦訳はどうなっているのかな?

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この世の果て    THE LAST SANCTUARY  クレイグ・ホールデン  近藤純夫訳
扶桑社ミステリー「ラスト・サンクチュアリ」改題 2000年8月30日 第一刷
 変わっている。特に変なのは登場人物の動き全般とストーリィの進めかたと描出するシーンの選び方。ステレオタイプな登場人物が好きなわけでは決してないが、ここまで真意の読めない、というか何を考えているかわからない人物たちが、勝手に動いてストーリィを作り上げている印象が強いのも珍しい。はっきりいえば、「心に哀しみをたたえている」人物たちのどれもこれも食い足りなかったのだ。

 一応主人公と思われるのが、ジョー(ジョーゼフ)・カーティスなのだが、コイツがどうもよくわからない。対比するように描かれるのが、インディアン出身でATFのリーアン・レッド・フェザー捜査官で、彼女は比較的解りやすいのだが、それとてもジョーと比較しての話。中でも一番解らないのが、リーアンの弟カルビンだろうか。他人など決して理解することができない、人間の行動に一貫性などない、というような視点から読むしかない。

 キーワードは「自分の居場所」? カルトでしか自分の居場所を見つけられなかった人たちとアンダーカヴァーとすらいえない捜査で、自分本来の居場所を見つけつつあるリーアン。最終的にはジョーもここで居場所を見つけた? のなら、こんな危険な小説は無い。反社会的なカルトを扱っているにも関わらず、勧善懲悪的でなく、或る意味肯定すらするような雰囲気すらあってよくわからない。もちろん、カルトを肯定といっても、精神的な意味であって、先鋭化して反社会的行動をとるようになったカルトを弁護しているわけではない。人間が本来居るべきところ、という意味では、カルトも理解できるし、スピリチュアルなアプローチもわかる。だが、全体的に朧で、印象が薄い。アクションがいらないのだ。

 ストーリィとしては、エンターテイメントへの拘りが、悪いほうに出た例だと思う。軍の暗躍などは、本当に必要だったのか。もう少し刈り込んで、密度高く構築したほうがよかったのではないか。作者が本当に描きたかったと思われる、スピリチュアルな物語を中心に、軍の動きなどは思いっきり省いて。後半になって、急に時制がつかみにくくなり、突然時間が戻るような錯覚に何度も襲われて、せっかく読書の推進力になっていたサスペンスの糸が突然断ち切られてしまったようでとても残念だった。

 だが、人生を見つめる透徹した目は、この作者ならではのもので、洞察力に満ちた大人の鑑賞に堪えるミステリではあると思う。こんなロードノヴェルを読んだのは実に久しぶり。翻訳が良ければもっとのれたかな。

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蹲る骨    SET IN DARKNESS  イアン・ランキン  延原泰子訳
ハヤカワ・ポケミス 2001年4月30日 発行
 過去に紹介された、リーバス警部シリーズの中で最もエンターテイメント性の強い作品と思われる。この物語は、結果的に作者のスタイルになってはいるが、作者が大して拘っているとも思えないモジュラー型の警察小説ではない。リーバスが追う事件、巻を重ねるに従って魅力的な女刑事に成長していくシボーン・クラーク刑事の事件、リーバスの部下ふたりの刑事が追う事件。大きくはこの三つの事件の捜査が平行して描かれる。どの事件にもリーバス警部が首を突っ込んで、シボーン・クラーク刑事に、「リーバス警部に持っていかれる」と言わせたりするところに、作者のクラーク刑事への思いが凝縮されているような気がする。

 リーバス警部シリーズは、警察小説ではあるが、主人公のリーバスはまるっきりの一匹狼だ。しかも組織内のアウトローである。だからランキンのモジュラー型は、リューインやウィングフィールドのそれとは違って、警察署が舞台にはならない。持ち込まれた事件ではないのだ。リーバスが嗅ぎまわって事件を掘り起こす。悪く言えば、事件のつまみ食いみたいな印象があって、この辺りが人によっては散漫なイメージを持たせるのかもしれない。事件を掘り起こすという意味では、今回の事件はリーバスの真骨頂なのだが、前述のようにいくつかの事件に絞って展開するのでいつもよりも密度が濃く、ストーリィも格段にわかりやすくなっている。

 この程度はネタバレにはならないだろうから、思い切って書いちゃうけど、リーバス警部シリーズは、同時多発する事件が一点には収斂しない。わずかに関係する場合はあっても、強引にまとめあげることはしない。あくまでも自然で無理の無いストーリィが特徴だ。しかし、今回は三つの事件がこれ以上無いくらい微妙に絡まって、ある一点に収斂していく。見事なプロットだ。そのわりに犯人が弱いと思うが、事件の背景を考えれば仕方ないかな。解決部も、こんなんで良いのか? と思わず文句のひとつもつけたくなるが…。ディテールが良かっただけに…。考えてみれば、闇から闇というのもシリーズの大きな特徴のひとつなのだな。

 人物たちに目を向けると、作者は前作あたりからシボーン・クラーク刑事に力を入れているが、とうとうこの物語ではもうひとりの主役と言っても過言ではないくらいに成長を遂げてしまった。女リーバス? いやいや、作者はものすごくうまいですよ。リーバスの対極に、シボーン・クラーク刑事に言い寄ってくるエリート警部デレク・リンフォードを置くことによって、リーバス警部への何がしかの思いに気がつくよう配置する。微妙に揺れる女心を見事に描いている。だからといって、どうなるわけでもないんだけどね。長く続いたシリーズの宿命か。

 会話が絶品。どのシーンをとっても味わい深い会話が並んでいて唸らせる。これは、後期のマット・スカダー=シリーズに匹敵すると思う。あれほど饒舌ではないが。リーバスの内面描写やシボーン・クラークの内面描写も読ませる。しかし、イアン・ランキンって、まだ40歳くらいのはずだよね。信じがたい円熟ぶりだ。

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夜のフロスト    NIGHT FROST  R・D・ウィングフィールド  芹澤 恵訳
創元推理文庫 2001年6月15日 初版
 おやぢの星、ジャック・フロスト警部が帰って来た。マンネリと言われようが、ミステリとしてなってないと言われようが、われらがフロスト警部の存在感は、並み居る名刑事たちの向こうを張って、異質の光彩を放ちつつおやぢに活力を与え続けている。毎度コンビを組む新人(新任)刑事といい、フロストの下品なジョークといい、マレット署長のゴマすり官僚ぶりといい、どれをとってもマンネリには違いない。しかし、どれもこれも確実にパワーアップしてますよ。マレット署長は戯画的ですらある。これぞエンターテイメント。

 大ネタの合間合間に小ネタを振って、わんさかと人物を登場させて読者を煙に巻くモジュラー型警察小説。確かに、ミステリとしてみれば、大ネタも小ネタも割と大味なんだけど、全体を制御する緻密なプロットと美しい構成に支えられて、一気に読ませてしまうパワーはいささかの衰えもない。毎度ながら、ラスト数十ページは息つく暇もない。落として引っ張りあげて、また落として引っ張りあげて…。最後には、老骨に鞭打つアクションシーンまで用意されている、おやぢ歓喜の超おもしろ小説なのだ。おやぢおやぢとうるさいけど、このキャラには心当たりのある読者以外は感情移入しにくいんじゃないかな。

 解説を読むまでもなく、このシリーズの魅力は主人公である、ジャック・フロスト警部に尽きる。ジジィのクセに寝ずに働きつづけて、よくもまあ、身体を壊さないもんだ。この人の場合は、悪を憎む気持ちから捜査をせずにはいられないのね。というか、孤独の裏返しのようにも見えて、これがまたおぢファンの琴線に触れる。捜査も緻密なのだが、肝心かなめを強引に、違法捜査スレスレで凌いでしまう。この点を、作者の至らなさではなく、そっくりフロストの個性にしてしまっているあたりが、なんとも心憎い。まさに自らの弱点を逆手にとった、平たく言えばとってもずるい手法なんだけど、フロストだから許してしまおう。って、ファンには思わせてしまうほどに確立されたキャラなのだ。

 失踪した少女を殺した犯人を挙げたあとのフロストのセリフが良い。フロストが部下と総出で私文書偽造を犯そうが、下世話な下ネタで周囲を凍りつかそうが、バカを繰り返そうが、そのセリフが端的に示しているフロストの心根に共感できるからこそ、ぼくらはフロストを追いかけつづけるのだ。次作の刊行はまた四年後だろうか。年々、フロストの年齢に近づくぼくは、刊行されるたびに前にも増して好きになっているだろう。フロスト万歳。でも、もうちょっと早く出してくれると嬉しいんだけどねぇ。

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悪童日記    LE GRAND CAHIER  アゴタ・クリストフ  堀茂樹訳
ハヤカワepi文庫 2001年5月31日 発行
 暗示的で示唆に富んでいて、一筋縄ではいかない。額面通りに受け取って良いものかどうか、ラストで頭を抱えてしまった。わからん。主人公の双子の一人称、ふたりを表す「ぼくら」で描かれる物語が、ラストで突然分断される。作者の実体験が色濃い物語だから、ロシアの社会主義に飲み込まれる半分と、自由主義に飛翔する半分、どちらも自分という意味なのだろうか。作者自身が資本主義の国で自由を謳歌しつつも、自らの半身は故郷ハンガリーにある、という意味が汲み取れるのだが、本当のところはわからない。三部作の第一巻ということだから、後続で理由が明かされるのだろうか。

 過去形をほとんど用いず現在形を多用しているためか、第二次世界大戦中のハンガリーを舞台にした物語が異様な臨場感で迫ってくる。作者が語っていた小説手法にも概ね賛成だ。ここまで感情を廃しなければならなかった彼らの痛みは、事実のみを書き連ねた文章によって、感情や状態を表す言葉を使って書き表したよりも、おそらく深く濃く読者の胸に迫ったことだろう。

 ただ、弱肉強食あるいは適者生存の真理をここまでデフォルメして描き、しかもこれだけの賛辞で迎えられている事実に、天邪鬼なぼくは空恐ろしい何かを感じてしまう。人間とは愚かで醜く弱い存在であり、戦争と戦争を巡る諸々に対して、この物語の双子のように自らを強くもって対処できる人間はとても少ないのだ。だから物語がある。殺人の是非はおいておいても、双子の生き方に圧倒されるのは間違いないのだが。例え、最弱の彼らに他に選択肢はなかったにしろ。…寓話なのだな。

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極北のハンター       ジェイムズ・バイロン・ハギンズ  田中昌太郎訳
ハヤカワ文庫 2000年5月31日 発行
 冒頭から、一気読みでありました。なんといっても、トラッカー(追跡者)という職業?と追跡術が目新しい。その主人公ナサニエル・ハンターが、持てる能力の限りを尽くして繰り広げる怪物との追いかけっこは、手に汗握るシーンの連続だ。ハンターへの手かせ足かせもちゃんと用意してあり、あらゆる手を尽くしたエンターテイメント。そのハンターのほかは、どっかで見たような聞いたような人物&事件のオンパレードなんだけど、冒険小説好きを感涙させるスピード感とアクションたっぷりのスリラーではある。読者を楽しまそうという姿勢がなんとも気持ちいい。だが、残念なことに、正体不明の怪物がいま一歩で全然怖くない。滑稽にさえ見えてしまうから、もったいない。この怪物の造型にもっと力を入れれば、もっともっと怖い物語になったのに。バックボーンにあるのが「自然」なのだから、これで良いんだと、内なる声が囁いてはおりますが。

 苦心のあとが見えてある程度は成功してはいると思うが、この構成はあまり納得できない。前半部、怪物を追うハンター一行の行軍の描写に、研究所で怪物のDNAを解析する女性科学者と大量虐殺事件を捜査する連邦保安官補の二つのディテールが差し込まれる。このふたつが、せっかくの読書に水を差すのだ。後者の保安官補の物語が後に、ハンターと一本の線に結ばれるのだが、息せき切って読み終えたあとでも、必要なかったのではないかと思っている。でなければ、もっと活かす別の方法があったのではないかと。特別重要な人物たちとも思えないんだけど。脇の人物ならば、ハンターのほかに背中に日本刀を差した!?隊長の高倉と、女性中尉でバーレットを操るボビー・ジョー、狼のゴーストがいい。ったく、背中に代々伝わる日本刀を差した兵士がどこにいるの…(^^;;;。

 翻訳が悪いのか、原文が悪いのかはわからないが、時々誰かわからない発言があったり、”彼”という三人称が誰を指すのかわからなくなったり、自然の描写は臨場感たっぷりなんだけど、戦闘シーンで人の動きを省き過ぎたりと、わかり難いところが多々あって文章には注文もある。まあ、ほとんどがぼくの読解力不足が原因なんだろうけど。それと、小道具の使い方が下手だな。後半、マッドサイエンティストから取り上げたアレ、もっと使い道があったろうに。小手先に陥りやすいんだけど、うまく使えば厚みが出るんだよねぇ。

 映画化するそうだけど、公開はいつかな? どんな映画に変貌するか興味津々だ。スタローンだそうだから、出来上がりはなんとなく想像できちゃう?(^^;;;。少なくとも、ハンターはスタローンの役柄ではないと思うから、映画に期待はしないけど。だって、ハンターはあんな間抜けな風貌じゃないでしょ。

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