2001年8月29日(水) 牛さん日本撤退

 最初に手にしたGatewayマシンは、1998年春にオークションで買ったP−133だった。Pentium133Mhz(クラシック)のCPUにHDを2G、ビデオカードがMilleniumの確か2M、メモリが32M、CD−ROMは8倍速だったと思う。このスペックにオプションで3comのネットワークカードがついていた。

 ところが、このネットワークカードが曲者だったのだ。何度やっても認識してもらえない。何度かやりとりをした結果、初期不良ということになって7,000円値引き。ずいぶん簡単に値引きするんだなぁ、と思ったことを鮮明に覚えている。アメリカはすげぇや、なんておかしなところで感心した。だって…、そのネットワークカード、別のマシンでちゃんと動いている…(^^;;;。P−133本体も当然現役。メモリこそ少し追加しているが、今でもちゃんと長男のパソコンとして稼動している。もっとも、電源が入れられるのは一ヶ月に一度くらいらしいが…。

 当時はネットオークションなんてほとんど見かけなかった。そんなときに、Gatewayは返品パソコンをオークションで売るという斬新な発想で不良在庫を捌いていたのだ。返品といっても、不良箇所は修理してあるし何も問題ないパソコン。あったまいいなぁ、と思いましたよ。深夜、当時としては破格の値段で落札した。うれしかった。その気持ちが、昨秋の新マシンへとつながるのだ。

 昨秋の新マシンは、Athlon1.1G、HD30G、メモリ128M、DVDとCD−RW、NIVIDIA RIVA TNT2 32Mビデオカード、ネットワークカード、というスペック。何度もサポートに電話しているが、とても親切で電話しやすい。昨日の新聞によれば、インテルがPentium4の2GhzというオバケCPUを発売して、その下の1.8Ghzは半額に値下げしたそうだ。最高速は常に562ドル(1000個単位の購入)だそうだから、なんというか、パソコンハードの世界はとんでもない状況なのだな。

 Gatewayがアジア・ヨーロッパから撤退するという。日本ゲートウェイは閉鎖。牛さんユーザーはぼくの周囲にもかなりいる。Gatewayを薦めることが多いからでもあるんだけど、こういうのはぼくだけじゃないと思う。好きでしたよ、Gateway。かなり支持されていると思っていた。何がいけなかったのか。あのGatewayカントリーの華々しいプロモーションを見て、ヤバイとは思っていたのだが…。しっかし、アメリカ人ってのは白か黒なんだな。はっきりしてるわ。

2001年8月28日(火) 巷の書店が生き残る道は…

 そこここで話題に上っている巷の本屋さんの窮状。これは、しょうがないと思うんですよね。本はともかくものすごい量が流通している。それを買うぼくらの読書の趣味はそれこそ千差万別。分量を考えれば、書店に通う全ての人の趣向に合わせた品揃えはまず無理でしょう。書店で注文すれば良いんだろうけど、到着までに時間はかかるわ(2〜3週間はザラらしい?)、面倒くさいわ。その点ネットならアッという間だ。

 ちょっと前になるけど、自宅の近くに割と大きめの書店がオープンしたので、かなり期待して足を運んだことがあった。ぼくの読みたい本は地元にほとんど無いので。あろうことか、扶桑社ミステリーを置いてないような書店ばかりなのだ。案の定というか何と言うか、自転車を駆って出かけた新装オープンの書店は、期待はずれに終わってしまい、落胆して帰ってきたんだけど、そのとき印象的な光景に出くわした。

 棚の前で70歳代と思しき老夫婦が見上げている。脇の通路をすり抜けるとき、純白の杖をついてベレー帽を被った、品の良さそうな男性が傍らの女性に呟いているのが聞こえた。「ここは大きな書店だからきっとあると思った…」 大学の先生みたいな雰囲気。専門書の無い書店ばかりで苦労しているんでしょうね。傍目にもわかるほどの落胆ぶり。「やっぱりもっと大きいところへ行かないとダメなんですよ」 慰めるような女性の言葉を最後にふたりはとぼとぼと帰途についた。

 どのくらいの距離かわからないけど、悪い足を引きずって歩いてきたわけですね。同じ思いで自転車を駆ってきたぼくはあの老人の気持ちがとてもよくわかった。文化レベルが低すぎるのだ。でも、地方都市はほとんどがこんな状況なんだろうな。つまり、売れない本は置かない。っていうか、置くことができない。勢い、雑誌やコミックがズラリと並ぶことになる。ミステリでも、売れ筋の国産作家が幅を利かす。徐々に、書店と呼ぶにはあまりにお粗末な品揃えになっていく。そうなれば、どうせ行ってもロクな本がないから、とこちらは書店へ足を運ぶ回数が少なくなる。

 会社の近くに、ミステリ本がたくさん置いてある書店があった。そこに行けば欲しい本はほとんど手に入る。しかも至近。ということで毎日のように通っていた。ところが、ある日突然閉店してしまった。それが3年くらい前。それっきり、新刊本の書店からはめっきり足が遠のいてしまっている。近くに、その道では知られている「新宿古書センター」があるので、そっちばっかりだ。

 昔は図書館や書店が揃えた範囲の読書で我慢していたところがあった思う。ボーダーな人間の出来上がり。少なくともぼくは注文してまで本を買うことはなかった。なぜなら、前述の通り、面倒な上に時間がかかるから。でも、今や情報が氾濫して、狭く深い趣味の世界が市民権を得てしまった。ところが、書店へ行っても目的の本はなかなか手に入らない。でも、ネット書店を使えばそういったストレスは解消される。納期も早い。そうなると、どの書店でも扱うような本までネット書店に注文するようになる。だって、翌日には届いてしまうんだから。

 つまり、巷の書店は、通り一遍のことをやっていてはネット書店には絶対に適わないと思うのだ。考えれば考えるほど、巷の書店が生き残る道は少ないように思えてくる。実際、ぼくが最近読んだ本で巷の書店で買ったのは『池袋ウエストゲートパーク』『マイク・ハマーへの伝言』『悪童日記』だけだ。他は記憶が薄れているが、2000年の10月、入院中に読んだデニス・レヘインはカミさんにお願いして書店で買ってきてもらっていると思う。そんな程度。すでに書店は情報源としての利用価値も薄れてきているようにも思えてしまうし。さて、どうしたもんか…。

2001年8月27日(月) 読書感想『邪魔』 人間は自分以外はみんな邪魔なのか

2001年8月26日(日) 縄抜けか脱走か

 「あああ、お父さん、脱走した!!」 帰省の帰り道、関越自動車道。後部座席に座った長男が叫んだ。驚いて振り返ると、時速100kmで走るクルマの後部座席で次男坊が仁王立ちだ。次男は二歳なので、クルマでおでかけの時は当然チャイルドシートである。彼は括り付けられたシートから、縄抜けするマジシャンのように抜け出してしまったのだ。80kmに減速。至近のパーキングに入って、長男と座席を交換した。

 その後、コツを覚えてしまった次男はクルマに乗るたびに脱走を繰り返す。繰り返すたびに縄抜けが上達し、今や、10秒とかからずチャイルドシートを抜け出てしまうようになった。こんなに簡単に抜け出られてしまうチャイルドシートにも問題があるんだろうけど、彼はこの技を習得するのに一年以上かかっているのでヤツの方が一枚上手だったのだろう。父親や長男が同乗しているときは良いが、カミさんとふたりの時が怖い。急ブレーキ急ハンドル、絶対ないとは言い切れない。早急に次のシートを探さなくてはならない。だが、問題がいろいろあって悩んでいる。

 チャイルド(ジュニア)シートには、大まかに分けて4タイプくらいある。まず、赤ちゃん用にバスケットタイプ。次に三歳くらいまでのチャイルドシート(椅子をクルマのシートベルトに括り付けて、子供はシートに括り付ける)。三歳以上のチャイルド(ジュニア)シート。これは椅子と子どもを同時にクルマのシートベルトで括り付ける。最後がベストタイプ。これはBESTじゃなくてVESTね。丈夫なチョッキを着せて、そのチョッキをクルマのシートベルトで括り付ける方法。他にもいろいろあるが大まかに分けてこのくらい。

 二番目のチャイルドシートから簡単に抜け出してしまうのだから、ウチの次男坊は三番目のシートだって簡単に抜け出してしまうだろう。そう考えれば、まだボタンやチャックはいじれないので、ベストタイプに落ち着くことになるかもしれないが、これも問題なのだ。問題は眠るとき。今のシートは倒すこともできるので、一時的にベッド代わりにもなる。でも、ベストにしてしまったら眠るときどうすればいいのだろう?

 チャイルドシートに乗せていないと1点減点だそうだ。次男が抜け出してしまったときに見つかれば違反なのだろう。なんとかしなくては。

2001年8月23日(木) 少しは進んで覚えようという意欲が欲しい

 社員が不調と訴えるマシンのWindows再インストールをした。自宅で使っているマシンも含めて八月になって三台目である。とんでもない月だ。再インストール自体は、ネットワークを介して重要データを難なく逃がすこともできて、こともなく終了。営業所に勤務する社員のマシンで、ぼくがしばらく使っていたことがあるヤツなのでちょっとは責任を感じていたので少しホッとしている。でも、一ヶ月くらい使っただけだから、お下がりというわけじゃないよ。レジストリに登録された所有者名もちゃんと変えて渡しているし。

 EXCELを動かしているといつもハングする、電源を入れっぱなしにしておくといつの間にかハングしている、しばらく使うと途端に動きが鈍くなる、電源が入らない、と何度も電話があって少々辟易していたのだ。クソ忙しい最中の電話サポートで「そのアイコンを右クリックして」と言えば、「アイコンってナンですか? わかる言葉で言ってください」って…。ホントかよ…、「サポセン黙示録」じゃないっての。アイコンって一般的な言葉じゃなかったか…。渡して既に二年、ちょっとは勉強しろよって言いたくなる。電話サポートしているメーカーの人たちの気持ちがよくわかる。

 まあ、ちょっとは責任を感じてはいたんだけど、おかしいんだよねぇ。ぼくが使っている間は何もトラブルがなくて、あっちに行ってからずっと調子が悪いなんて信じられない。帰宅途中、再インストールしたパソコンを納品して話を聞いたんだけど、それでなんとなくわかったような気がした。だって、ヤツらパソコンに何か起きるたびに電源スイッチを押していたんだと。電源スイッチなんて最終手段でさ、どうしようもないときにしか押しちゃダメなんだよ。

 誰も教えてなかったか…。そんな乱暴なことをしたら調子が悪くなるに決まっているだろう。。それとも、家電と同じだと思っているのか。パソコンの普及率がどんどん上がって、巷にはこういう人たちが溢れているんだろうな。使う側が勉強すべきなのか、メーカー側がブラックボックス化を目指すべきなのか。これもバランスだよな。自分で何も覚えようとしないで、アレやってくれコレやってくれ教えてくれって、そんなヤツばっかり増えてもういい加減にして欲しい。

2001年8月22日(水) 読書感想『少年計数機 池袋ウエストゲートパークII』 小説の上手い人

2001年8月21日(火) 帯の惹句と推薦文の一覧を作れないか>オンライン書店殿

 仕事が暇でどうしようもないので、会社のパソ(ADSL)を使ってbk1で本を物色した。いつもイライラするんだけど、クリックしてもなかなかページが開かないので一時間もかかってしまった。予想を越えて発展してしまったもんだからシステムがついていっていないんだろうな。あの鈍さは限界を超えてる。早急に回線を増強した方が良い。ポイントが無くなったらAmazonで買おうとか。DVDもビデオもCDもやってるしね。
 
 その書評ポイント、今も19,000近く残っている。bk1は春の増量キャンペーン時から投稿を始めて29,400ポイント、Amazonの「初めてのレビュー」でもらった3,000円と合わせれば合計32,400円を頂いたことになる。Amazonはなかなか当たらないので、捕らぬ狸の3,000円よりも確実に300円をもらう方を選択して最近はbk1のみだ。だって、Amazon、ホントに当たらないのですよ。浸透して投稿が増えたんでしょうね。

 目的の本はマイクル・コナリー『バッドラック・ムーン』(上下)。Amazonで検索したら、なんと「お取り寄せ」だ。これはこれでかなりヤバイ話。bk1は24時間以内発送だったな。これに、ジェフリー・ディーヴァーの新刊本(10月刊)予約をからませて送料を無料にしようという魂胆。ついでだからもっと買おうと物色したわけだが、オンライン書店で好みに合いそうな本を見つけるのは至難の技だと知った。(気がつけば石田衣良風…(^^;;; 影響を受けやすいタイプなのですm(__)m)

 オンライン書店はbk1に限ったことではないが、一覧できないのがつらい。いちいちクリックじゃ疲れることこの上ない。それと帯の惹句が読めないのも大きい。盲信はしないけど参考にはするから。コラムも長ったらしくてあんまり読む気がしない。いっそ、帯の惹句と推薦文を集めて、書評家ごとに分類して掲載したらどうでしょう。誰だって、好みの書評家はいるだろうから、購買促進に役立つと思うんだけど。何か問題があるのかな? 

 で、コナリーとディヴァーのほかに何を買ったかといえば、『1974ジョーカー』『ハートウッド』(『シマロン・ローズ』の続編)『大誘拐』(^^;;;。『赤(ルージュ)・黒(ノワール)』の合計7冊。一時間も眺めて、結局bk1に触発されて買った本は一冊もなかった。どれも以前から視野に入れいていた本ばかり。夏休み前に図書館から借りた本も『そして粛清の扉を』以外は読めなかったので全部延長しているし。それでもなくても読書ペースが落ちているのにいったいいつ読むんだ…。

 次いで、ヘイ・ブルドッグで見つけた「日教組を観察する」というサイトを読み耽った。感情的だよねぇ。趣旨はとてもよくわかるが、大事なことが大きく抜け落ちているような気がする。っていうか、思想の問題はどう議論しても平行線にしかならないから、感情に訴えるしかないってことか。加入率はやっぱり4割くらい?

2001年8月20日(月) 読書感想『そして粛清の扉を』 この殺人を受容できるか?

2001年8月19日(日) ThinkPad235復活!

 今や製造中止となっている、A5サイズよりちょっと大きいだけのThinkPad235にはCDドライブがない。フロッピーさえ外付けだ。もちろん、モデムなんか内臓していない。しかし、カードスロットは3つもあるのだ! このモバイルのみを意識した製品仕様がとても気に入っている。キーボードがかなりちゃちなのが難点なのだが、ThinkPadのラインナップにすでにこの大きさはなく、どれもムダに内臓モデムを積んでいて、しかもカードスロットは1つしかないから新しいノートを考えたことはない。だって、カードスロットには、ネットワークカード、スマートメディアのアダプター、ドコモのPHS、場合によってはCD-ROMと四つは差し込むのだ。これをいちいち外して付けてを繰り返していてはストレスが増すばかりだ。

 不思議なのは、モバイル用のノートパソコンになぜモデムが内臓されているのかだ。昔は音声カプラで緑の電話からネットにつなぐ剛の者を結構見かけたけど、電話線を借りられるグレーの電話はISDNだからモデムでは使えない。持ち運びに便利などと謳いながら、電話線のある場所でダイヤルアップ接続しか考えていないようだ。客先で貸してくれるはずがないし、貸してくれても交換機を通しているだろうからネットになんて接続できるはずがない。据え付けの発想。ぼくの場合会社でも自宅でもLANを組んであるので、CDドライブに困ったことはないし、ネットはネットワークカード経由だったり、PHSだったりするので、モデムはあまり必要ない。唯一、FAXに使うときなのだが、MicrosoftはFAXを舐めきっていてOSにソフトさえ添付しなくなって久しい。戦略なんだろうけど間違ってると思うぞ。

 そんな愛機ThinkPad235が仮死状態に陥ってすでに10日。リカバリーCDの説明書を読むと、CD-ROMドライバはIBM2タイプとPanasonic1タイプの計3タイプしか用意されていない。CD-ROMがないとこういうとき困るのね。会社で使っているPanasonicのCD-ROMの型番がとても近いので、夏休み明けに会社から持ってきて早速試してみた。これがうまくいったのだ。最悪、DOSのドライバを起動ディスクに組み込む覚悟だったので、CD-ROMが動きだしたときは小躍りした。約一時間でリカバリは完了。昨日、なんとか仮死前の状態まで復帰させることができた。

 これで数万円浮いたよなぁ、と気が緩んでしまい、メインマシンのメモリ128M、まさかの時のスマートメディアカードリーダー(ノートはカードリーダーの用途もあったのだ(^^;;;)、ニッケル水素電池の充電器一式(使っているヤツがとても調子が悪くて)にマット紙などなどを16,000円分も買ってしまったのは余計だった。悪いクセだよね。メモリも増えて少しは快適になったようだし、カードリーダーも意外と便利だし、まいっか。

 今年はすでにOSの再インストールを2回もやっている。近々、社員のマシンも再インストールしなければならない。Windowsの場合、明らかにOSが原因の不調には再インストールしかないのだ。その点MACには、HDに新たな領域を確保してブートドライブを変更するという奥の手があるようでとてもうらやましい。安定性はどっちもどっちらしいけど。

2001年8月17日(金) 読書感想『マイク・ハマーへの伝言』 スタイリッシュな風俗小説

2001年8月16日(木) FFは長すぎるのだ

 この夏帰省した先には、中学1年、小学六年、小学五年の甥がいる。彼ら三人にウチの長男(小学四年)を加えて並べれば、見事に年子の即席四兄弟の出来上がりだ。盛り上がるとたいへんな騒音である。それでも大半は、ひとり静かにマンガ本を読んでいる子がいたり、整然と順番を守ってゲームをやったり、それを静かに横で見ている子がいたり。ゲームの順番が整然と守られていてケンカにならないのには少なからず驚いた。ま、それくらいでケンカする年齢じゃないんだけどね。ともかく、彼らなりの規範を作って遊んでいるようだ。

 当然、彼らの中心的遊びはテレビゲームである。朝早くから夜遅くまで、プレステとモニターの電源が落ちる時間はごくわずかだ。いったいどんなゲームをやっているんだろう。覗いて見たら、なんと「ファイナルファンタジー VII」 じゃないの。いまごろFF7とは…(^^;;;。耳を澄ませば、聞き覚えのある懐かしい音楽が鳴っている。「おじさん、ここはどうやるの?」 って聞かれても、クリアしたのは遥か四年以上前だからさっぱり覚えていない。子供たちは最初から攻略本に首っ引きなのに、それでもわからないことがたくさんあるらしい。「攻略本なんか見ないでクリアしなきゃダメだよ」 おじさんは先輩風を吹かせて意見するが、それでは彼らには難しすぎるらしい。

 「おじさん、ファイナルファンタジーX はやってる?」 FF7を一番進めている六年生が尋ねてきた。発売当時は一年生か。残念ながらおじさんは、10どころか、9もやっていないよ。「なんでやらないの?」 この答えは簡単だ。ゲームのシステムを覚えるのが難しい上に、ゲーム自体が長すぎるからだ。過去の日記を見ると、FF8は1999年の2月13日に購入して3月26日にクリアしている。約一ヶ月半かかった計算。それも平日一時間〜二時間程度やって、休前日は半徹して、休日はほとんど朝から晩までやってカミさんにブーブー言われてこれだけかかったのだ。

 1999年2月といえば、長男は小学一年生。現在ほどではないが、すでにゲームに目覚めていて、父親のプレイ時間を確保するのに一苦労だった。今や、大枚叩いたプレステは息子の部屋へ移動し彼の持ち物と化している。父親の割り込む隙間は非常に少ない。ぼく自身もネットが自由時間の多くを占めるようになって、ゲームの時間はほとんどない。なのにFFは毎年のように新しいのが出る。既にFF11は来年春発売が決まっていて、なんとオンラインゲームだと。年中行事じゃん。そりゃあやりたいですよ、FF。おもしろいのはわかっているんだから。でも、気長にできない性格だから、ゲーム期間中は全てを投げ打ってゲームをやることになる。怖いのね。体力に自信もないし。

 そんなこんなでFF9から躊躇している。10はプレステ2だそうで、あのCGを見ると無性にやりたくなる。でも、どうかな、FFはもうR・P・Gに拘る必要はないんじゃないでしょうか。FFってあの冒険物語に惹かれたファンが多いと思うのだ。CGに凝るなら、更に物語に力を入れて、単純に物語を綴るゲームにできないもんだろうか。爽やかな感動ね(^^;;; でもって、もっと短く、それでいて密度濃い物語に仕上げて。わがままですかねぇ。と言いつつも、やりたくてたまらない自分がいたりする。あ、その前にプレステ2買わなくちゃ…。

2001年8月15日(水) サブノートの壊れた日

 「やっぱり家はいいねぇ」 休暇恒例となった二泊三日の野辺山・清里ツアーから新潟県魚沼地方の実家に回って帰宅した昨晩、カミさんと年寄りくさく頷きあった。合計六泊七日。約900kmを走破したカミさんがグッタリするのはわかるが、ボーっと乗っていただけのぼくも節々が痛かったりする。トシだよねぇ。というわけで、短めにいくつか。

 作家にとって図書館は敵か否か。不在の間に掲示板でスレッドが伸びたり、メールをもらったりもした。率直に言わせてもらえば、中堅以上の現役作家にとっては、図書館は敵でしかないと思う。死ぬまで図書館なんかに置いてくれるな、というのが作家の正直な気持ちじゃないかな。言いすぎ? ベストセラー本になると200冊も300冊も買う大図書館もあるらしいが、そんな予算があったら、もっと図書館らしい希少本に目を向けるべきでは。

 ところで、出かける前の晩のこと、IBMのホームページビルダーV6.0をネットワーク経由でノートパソコンにインストールしたら、いきなりWindowsが壊れた。safe mode ですら立ち上がらない。command prompt only。ハードディスクが壊れたわけではないので、リカバリーすれば元通りになるんだろうが、CDドライブを持っていないので、とりあえず会社にあるCDドライブを試してみて、ダメならば修理に持ち込むしかない。

 このホームページビルダーは、昨秋発売されたときに、かなり大きなバグがあって回収されたバージョンだ。なんでもインストールすると、前のデータを認識されなくなるとか壊すとか。半年以上待ったのに…。腹が立ったので、ホームページビルダーのサポートに電話したが、ホームページビルダーが原因ではない、の一点張り。ThinkPadのサポートは期限が切れているとかで、有償の登録をしなければつながりもしない。八方ふさがり。腹立たしい。

 いいようにメーカーに弄ばれているような気がする。ちょっと古いパソコンのせいもあるんだけど、こんなのはおかしい。このあたりを年配の人や初心者に配慮し、脆弱なハード&ソフトの品質を向上させないかぎり、パソコンが家電となって、家庭の中心に座るのはずっと先のことだろう。はっきり言って、使う機能なんて限られているのだ。飽和した多機能を更に目指すのではなく、より堅牢なソフト作りを目指して欲しいと痛切に思うのである。

2001年8月6日(月) 買って読む本、借りて読む本

 作家の方にはとても悪いんだけど、最近は国産本はほとんど買わなくなってしまった。今年になって買った本といえば、新刊ハードカバーで宮部みゆき『模倣犯』 真保裕一『黄金の島』 花村萬月『吉祥寺幸荘物語』『汀にて』 坂眞『禽獣の街』くらい、文庫・ノヴェルスで大沢在昌『灰夜 新宿鮫VII』 石田衣良『池袋ウエストゲートパーク』 矢作俊彦『マイク・ハマーへの伝言』 中島義道『うるさい日本の私』『わたしが嫌いな10の言葉』、古本で梅原克文『二重螺旋の悪魔』。ほかの国産本は全て図書館で済ませている。

 逆に海外本は全部購入している。ぼくの通っている図書館は、小さな図書館なので、海外本はほとんど置いていないのだ。置いてあってもぼくの読みたい本はほとんどない。国産作家が9割以上を占める図書館だもんね。マーケティングの結果だろうから、海外本は読者が少ないんだろう。まあ、買うといってもほとんどが文庫本だからたいしたことない。だが、もし、ぼくの通っている図書館が大きな図書館ならば、海外作品だって充実しているだろうから、本はほとんど買わないことになるかもしれない。

 こう考えると、疑問がひとつ浮かんでくる。作家にとって図書館は敵なのではないだろうか? 作家の方々はどう考えているんでしょう。気になる。そんなセコイ作家はいないか(^^;;;。図書館が読者を拡げる役割も果たしているから、あながち敵とばかりは言えないよなぁ。ぼくの場合一見の作家は必ずと言って良いほど図書館で済ませるようにしている。気に入ればしばらく買い続ける。今回の石田衣良は別格で、案の定、次が読みたくて購入の準備に入った。

 ともかく、本はたまる一方なのだ。たまってたまって、どうしようもなくなる。読んだ本は必ず手元において置きたいなんて時期は過ぎ去ったが、一度買ってしまうと情が移ってしまい、生来の貧乏性も手伝ってなかなか手放せない。なら、最初から所有しなければいいわけで。蔵書何千冊なんて自慢するのもみっともないしね。だから、図書館で充分なのだ。それでも、手元において置きたい本はある。今年になっては、ダン・シモンズのハイペリオン・シリーズ。あんなバカ高い本を全部買った。値段と読みたい意欲の天秤。特に『ハイペリオン』は借りて読んで、読了後保存用にわざわざハードカバーを買いなおした。意欲が勝てばどんなに高い本でも買うのだ。

 というわけで、先週末また図書館から国産本を仕入れてきた。船戸与一『新宿・夏の死』 奥田英朗『邪魔』 大沢在昌『心では重すぎる』 黒武洋『そして粛清の扉を』 瀬名秀明『八月の博物館』 の五冊。こんな風にとってもよく図書館を利用しているんだけど、リクエストだけはしない。なんでかというと、順番が回ってきたときは、別の本に興味が向いてるもんね。読みたいときが旬なのだ。自分にとっての読みごろを逃すとダメだったりする。図書館で当たりが多いと国産本が多くなる、非常にわかりやすい読書生活なのだ。

2001年8月3日(金) 読書感想『池袋ウエストゲートパーク』 極彩色のハードボイルド

2001年8月2日(木) 読書感想『岡山女』 肩の力の抜けた岩井志麻子

2001年8月1日(水) 「John Lennon Museum」で涙腺が緩む

 家族のいない7月28日土曜日、公園回りの途中で「John Lennon Museum」に寄ってきた。予定していた休日出社は朝方の冷え込みで具合が悪くなったので封印。それでも出かけたのは、二度寝したら意外とすっきりしたから。すっきりしたらせっかくの休みがもったいない。で、デジカメ片手にでかけたのだ。

 「John Lennon Museum」は埼京線「北与野駅」、京浜東北線なら「さいたま新都心駅」から程近い「さいたまスーパーアリーナ」にある。「けやき広場」と呼ばれる広場を抜けて、「さいたまスーパーアリーナ」の前に出ると嫌でもジョンの大きな写真が目に入るから迷うことはないはず。ジョンの満60歳の誕生日にあたる2000年10月9日にオープンしたときには、オノ・ヨーコがやってきたりしてメディアにもかなり取り上げられたから、ご存知の方が多いだろう。

 入場料は1,500円(中高生1,000円、小学生500円)。午前11時〜午後6時が開館時間で、毎週火曜日(火曜日が祝日の場合は翌水曜日)と1月の1・2日が休館。スーパーアリーナの四階と五階の一部を占めるミュージアムの総面積は3,600平方メートルだ。入場券を買ってエスカレーターを登ると、入り口でなぜか並ばされる。まさか満員で入場制限か、と思ったけど、ぼくのほかには外国人が三人並んでいるだけ。映画の上映時間に合わせて中に入れているのだ。そう、ミュージアムの入る人は好き嫌いにかかわらず、ジョン・レノンの生涯を7分にまとめた映画を見せられる。

 こうして、ぼくは100人は座れるであろうミュージアム入り口の映画館に、外国人三人と押し込められたのだ。たった四人で映画。最初は、何だよ! って思いましたよ。どうせつまんねぇもん見せるんだろうって。ところが、これがツボだったのだ。内容はどうしようもないそこら辺から拾ってきた映像をつなぎ合わせただけだけなんだけど、これからジョン・レノンの生涯をたどる者にとってはこれ以上ない前振り。落語で言えば前座。

 映画館からミュージアム内部に入ったときはすっかり準備OK。ビートルズの思い出が新たになり、ジョン暗殺のあの日が胸に甦って息苦しいくらいだった。映画館を出るとそこはジョンの少年時代のブース。ミュージアム内部はジョンの年代ごとに9のゾーンに分けられているのだ。それぞれに当時のジョンの音楽が流されていたが、デビュー前はジョンが影響を受けたらしき音楽。

 中学時代に作った新聞とか、英字の学習帳とか。ほかには愛用のギターが数台(エピフォン、リッケンバッカー、オベイションなど)、ビートルズ来日公演時の衣装、ジョンが軽井沢で過ごしたときの部屋着、例の袖を千切った「NEW YORK CITY」のTシャツ、曲の生原稿多数、「MAGICAL MYSTERY TOUR」のあの衣装、ジョンのバイクと免許証、パスポートなどなど。全部で130点くらいのグッズが展示されていた。何でも取っておくもんだよねぇ。展示品のひとつひとつが小さいので、壁全面に写真やら言葉を書いて補って、当時のジョンをうかがい知るような構成になっていた。それぞれのゾーンも光や色のデザインに工夫が凝らされていたな。

 ぼくはジョンの絵はあまり好きじゃない。もうひとつ、オノ・ヨーコも好きじゃない。後半になると、実生活でもそうだったのだから仕方ないんだけど、ヨーコの存在が大きくなってあまりよろしくない。ジョン・レノンのミュージアムにヨーコのコーナーまであるんだもんね。そりゃ、主催者はヨーコに気を使うんだろうけど、真に受けてあんなコーナーを作らせるかな。ヨーコはもっと後ろに下がるべきだ。ただね、一通り見て回るとちょっとわかるような気もしてくる。ジョンのヨーコに対する気持ち。

 気になったのはヨーコくらいで、あとは大満足。「MIND GAMES」「IN MY LIFE」「STRAWBERRY FIELDS FOR EVER「IMAGINE」「BEAUTIFUL BOYS」「WOMAN」「STARTING OVER」などの名曲が次々と鳴って、特に「DOUBLE FANTASY」のころの最後のジョンの曲に弱いぼくは、自分の息子を思って涙腺が緩くなり、再スタートだったんだよなぁと思って涙腺が緩くなり、こんなに嫌いなヨーコでもジョンは好きだったんだなぁと思って涙腺が緩くなった。そして最後。壁に白く「1980年12月8日」の文字を経て「ファイナルルーム」へ。暗殺されたとか、死んだとかの文言はひとつもない。

 全面白の「ファイナルルーム」には、ジョンの言葉が散りばめられていた。椅子が用意してあり、来場者は座ってひとときジョンの言葉を見上げる。癒される。溶けてゆく。20分くらいボーっと。「愛と平和」などという一見恥ずかしい言葉を臆面もなく訴え続けたジョン・レノンは偉大なのだ。ジョン・レノンに癒された日。

 ミュージアムオリジナルのグッズを売る店がチャチで余計だったが、ジョンの絵も売っているのでお金のある方は覗くのも一興。ほかにジョンが滞在した軽井沢・万平ホテル直営のカフェがあるから、ジョンが軽井沢サイクリングの前に飲んだというロイヤル・ミルク・ティーを試すのも。このカフェだけの利用も可能だそうだ。

 何度でも行きたい。例え、胸糞悪い商売でも、このミュージアムがなければ、この日のこの感動はなかった。良かった。何度でも行きたい。