2001年3月31日(土) 「家電リサイクル法」施行直前の逡巡

 「家電リサイクル法」ね。昨年、結婚満十周年を迎え、結婚時に揃えた電気製品が壊れまくった。なんとか冷蔵庫と洗濯機は生き残っているが、引き取り料がかかるとか言われると気持ちが動いてしまう。というわけで、なごり雪吹きすさぶ満開の桜の下、足を引きずってコジマ電機へ行ってみました。

 法律施行前最終日。ということで大混雑かと思ったらさにあらず。すでに混雑は終わっていたのね。しかも、店員の説明によれば、在庫商品を購入した場合は、配送が4月以降になるからリサイクル料はいただきます。予約商品(つまり売り切れ。納期は5月上旬だって)を購入した場合は、今日中に注文すれば、配送は5月上旬ですがリサイクル料は当店が負担します。

 なんだかよくわからない矛盾。売り切れはコジマの責任だから、という論法らしい。目当ては冷蔵庫で400リットルくらい、洗濯機は7.0kg。それらはほとんどが予約商品なのだ。つまり、ものすごい勢いで売れたのだな。大型商品を在庫しないのは経営上わかる気がする。しかし、注文して一ヶ月以上も待たされるってことは、額面通り受け取ればメーカーにも在庫が無いということ。店員の説明も、今日買うのでしたら、在庫商品よりも予約商品の方がお得です、だって。なんだかおかしいな。

 考え込んでしまった。ホントは、先週か先々週に購入する予定だった。それが、子どもたちのインフルエンザや、自分の病気で伸び伸びになってしまったのだ。完全に時期を逸してしまった。カミさんは大乗り気だけど、ぼくは気持ちが萎えていく。だって、こんな世の中でさ、一ヶ月半後に手に入る商品を今の値段で買うなんてね。「家電リサイクル法」施行後の販売がどうなっているかもわからない。多分、しばらくは冷え込むんだろう。その時の販売店側の策も見えない。

 こりゃ、静観が正解だな。ふたつで20万円以上の買い物のせいもあって、意外と慎重になってしまった。これがパソコンだったらさっさと買っちゃうんでしょ? カミさんの揶揄もあながち外れてはいないが、こんな状況は買い物好きの本能が許さないのだ。冷蔵庫も洗濯機も調子は悪いが壊れたわけではない。一時間近く店内に座り込んで考えた結論は、もうしばらく、夏くらいまで待ってみよう、だった。

 デフレデフレと大騒ぎ世の中だから、とちょっと甘い予測もある。そんなもの外れても構わないが、ともかくしばらく電機屋ウォッチングを続けてみましょう。意外と縛りがきついのかな? いやいや、いろんな販売方法が出てくるだろう、きっと。

2001年3月30日(金) プロバイダを乗り換えたくなる時

 昨日は、午前10時から午後6時までサーバーのメンテナンスだった。せっかく訪れてくれたのに閲覧できなかった方もたくさんいらっしゃったことでしょう。自分も知らなくて、ったくいつまでやってんだ! と何度も何度もアクセスする体たらく。帰宅してメールをチェックしてみると、一ヶ月くらい前にメンテナンスを知らせるメールが届いていた。一ヶ月も前じゃ忘れるよ…。

 メールチェックのあと、最近の定番になってしまった痛風日記を書き上げて、FTPを試みるがなかなか受け付けてもらえない。エラーが出てしまう。なんとかのフォルダが作成できません、とかのエラー。ぼくはこういう時は自分で考えないことにしている。面倒臭いのと時間がもったいないのが理由。前は自分でいろいろやったんだけど。

 ぼくのプロバイダは、モーニング娘。のあのプロバイダである。テクニカルサポートは午後9時まで受け付けてくれるので、すぐに電話を入れた。不機嫌そうな若い男が出る。こちらの言い分としては、今までなんともなくて、サーバーメンテナンスのあとにFTPできなくなったのだからメンテナンスが原因だろう。ところが、サポートの彼によれば、そんなことはないという。

 しばらくやり取りをしたあと、FTPソフトの名前と設定内容を聞いてきた。順番に答えると「転送先フォルダ」の設定を変えろ、と言い始めた。「転送先フォルダ」なんてのは、ウェブを開設したときにプロバイダの指示通りに設定するもので、自分で勝手にいじくるものじゃない。

 因みに今までは「/home/アカウント名/www」。これを「www」に変えろという。ぼくだって、2年以上この設定でFTPしてきたのだ。それをお前の設定が間違っている、なんて言われようは我慢ならない。昨日までこの設定でできて、今日からできないんだから、メンテナンスで何かの設定を変えたんだろう、と食い下がったら、あっさりと認めた。ついでに、ドリームネットのウェブ内の「お知らせ」で3/1にアナウンス済みだという。

 今設定を変更してアクセスできますか? そう言われても、ISDNでもなんでもないので、メールのひとつもくれりゃいいじゃないか、と捨て台詞の残して電話を切った。割り切れない思いのまま「転送先フォルダ」を「www」に変えてFTPしたら、あっさり成功してしまった。

 腹立たしい。真っ直ぐドリームネットのサイトへ「お知らせ」をチェックしに行った。ありました、ありました。ところがそこには、
「/home/アカウント名/www」を「/アカウント名/www」へ変更が必要になるかもしれない、と書いてあるだけ。ドリームネットのサポートは「www」に変更しろ、と言ったはずで、現にぼくはそう変更してFTPできたのだ。

 おかしい。念のため、ドリームネットのアナウンス通りの「/アカウント名/www」に変更してFTPしてみたが、最初と同じエラーが出てダメだった。おかしい。FTPソフトの仕様か? 違うだろう。ドリームネットのサポートは最初から、「www」に変更するようにと言っていたのだ。どうなってるの? ちゃんと解るように説明してほしいもんだ。

 これだけではない。最近のドリームネットはトラブルだらけ。むちゃくちゃなのですよ。意味不明のアナウンスといい、不遜なサポートといい、こういうときにプロバイダを乗り換えたいと思うのだ。

2001年3月29日(木) だから痛風患者は差別される

 痛風発作から五日目。ニ回の短期衝撃療法が効を奏したのか、順調に快復している。発作時の激痛が嘘のように遠のき、赤く腫れ上がった患部もかなり戻ってきた。松葉杖無しでも歩けるが、今週一杯は一本だけでも使うつもり。週末をゆっくりと養生すれば完全とはいかないまでも、ほとんど発作前と変わらない状態になると思う。

 痛風は贅沢病、という間違った通念のほかに、この立ち直りの早さも痛風患者が差別される大きな要因なのである。発作時は発熱までして七転八倒の苦しみなのに、通常五日から二週間くらいで欠片もなく癒えてしまう。大騒ぎをしたことが、大げさに見えてしまうのでしょう。癒えてしまえば痛みの記憶が残るだけで、本人にも他には病気を感じさせる何も残らない。ここにもうひとつの理由があるわけ。

 痛風患者は、結構バイタリティのある人が多い。言い方を変えれば、喉元過ぎればなんとか、のタイプの奴ら。もちろん、この二つは同義じゃないけど、活力溢れる働き盛りは付き合い酒やら何やらで、なかなか生活を正せない場合が多い。流されるまま、不安定な過信が確信へと変化してゆく。だから、周囲にはあれだけ毎日飲み歩けばなぁ〜とか、お前は節制をしないからだとか言われてしまうのだ。こう言った方々にはぼくも同情はしませんけど。

 たまにでも「ぼく的楽天生活」をご覧になって頂いている方はご存知と思いますが、ぼくは残業もせず、酒も飲まずに真っ直ぐ帰宅します。しかも、退院後は、大好きなハンバーガーも控え、ラーメンを食ってもスープを飲まず、うさぎのように野菜を食べる毎日。今回の発作時には尿酸値が5.8しかなかったのですよ。

 それでも、お前は節制しないからだ、なんて言われると無性に腹が立つ。たしかに減量は遅遅として進まないが、そんな言い方をされる覚えはない。痛風は数ある病気の中でも、一番差別される病気なのじゃないかと思うのである。

2001年3月28日(水) 右を見れば「アーださい」、左を見たら「アーくさい」

 知らなかった。今日、埼玉高速鉄道が開通したが、なんとこれが埼玉県初の地下鉄なんだと。今まで意識したことがなかったけど、確かに他にはない。あらゆるマスコミが「埼玉で初めて」を連呼している。こういう時って、埼玉は格好の標的なんだよね。弄ばれる埼玉。もちろん、事実だから…。じゃあ、千葉はどうなんだ? 調べてみたら、千葉の東西線は開通して、30年以上も経っていた!! やっぱり埼玉は遅れているか。

 まあ、埼玉は首都圏ではこういう存在です。県庁所在地に高速道路が開通したのが、つい最近なのだから。鉄道も道路もメタメタ。ぼくの出身地の新潟県なんて田んぼの真中に走る農道まで舗装されてるのに、春日部は雨の日に通勤するだけで靴が泥だらけになってしまう。

 以前、池袋から川越方面へ走る東武東上線沿線に住んでいたことがある。ある日の電車で、ドアにあるお約束の注意書きに腹を抱えた。右を見たら「アーださい」、左を見たら「アーくさい」。 元は、「ドアーにご注意ください」なのは言うまでもない。ご丁寧に文字を消して立派な注意書きに直してくれたわけ。噂によれば、連結部分に脱糞する高校生までいたらしい。ホントに臭かったのだ。

 今回の地下鉄は、地底の奥深くを走る地下鉄南北線が、赤羽から浦和のサッカースタジアムの近くまで開通したもの。正確には、赤羽岩淵駅から浦和美園駅まで合計8駅。全長14.6kmの区間だ。初乗り210円で、たった8駅乗って赤羽岩渕まで行くと460円になる。このバカ高さも話題の的で、いかにも埼玉らしい間の抜け方。今時の新鉄道はどこもこんなものなんだろうけど、埼玉と冠がつくと、途端に失笑が漏れるのが悲しい。自虐的過ぎるか…。

 浦和美園から、春日部の隣の岩槻まで延長してくれれば、通勤が少しは楽になるかもしれない。今回みたいに、松葉杖で通勤しているときは切に思う。果たして運動は成就するのか。どっちにしろ、10年単位の話。老後の楽しみに取っておこう。

2001年3月27日(火) 厳しさと優しさは同居すべき

 「胃に穴があくよ」 入院以来の付き合いである整形外科医は、短期衝撃療法をお願いするとこう言った。もちろん、知っていたわけ。失礼しました。どうしてもと言うなら3錠ずつの服用は2回までにしろ、と固く言い渡されて帰宅した。もちろん、3回服用したけど。結局、都合2回もやった。胃にどんよりとした痛みがあるのは、たぶんそのせいでしょう。痛風は治ったが胃潰瘍が、なんてことにならないようにしなければ。だから、短期衝撃療法はもうできない。因みに、CRP値は5.6だった。

 松葉杖での電車通勤は、想像以上に厳しい。やっかいなのは下り階段なのだ。たいていの駅にはエスカレータがあるが、そのほとんどが上りで運転されている。駅の事情を考えればどうしようもない。朝は少し時間を遅らせて出社した。帰りは大宮方面へ帰るクルマがに乗せてもらった。それでも、炎症の範囲が広がったような気がする。

 厳しさと優しさは同居すべき、と改めて知る。慈悲あれ。

2001年3月26日(月) 痛風発作極期における短期衝撃療法の効果

 お叱りはごもっとも。激しい運動の後、発作が起こりやすいとか、捻挫のあとに起こりやすいとか知ってはいますが、自分にとってどこまでが激しい運動なのか? この判断を誤ったわけです。抑えて動いてはいたのですが、それでも、40過ぎの痛風持ちには激しい運動だったということでしょうか。幼子をかかえたカミさんは、自身も38度近い発熱をしていて、それでも、病院への送り迎えやらいろいろと世話を焼いてくれました。感謝。

 昨日は、一応かかりつけの病院に電話して指示を仰いだ。整形外科や内科の医師が当直なら良かったのだが、外科医じゃどうしようもない。「ザイロリックはあるんですね?」 とか聞かれたから、「発作時は飲んではいけないのでは?」 と聞くも返答してもらえない。なんとか、非ステロイド系抗炎症剤とセットの胃薬を各3錠処方してもらって帰宅した。ハイペンは無いので、ボルタレンを。

 短期衝撃療法の話をしていたので、絶対にまとめて飲むようなことはしないでください、と釘をさされる。たぶん、外科医は知らないのだと思う。もしかしたら、担当の整形外科医も知らない可能性がある。今日、病院へ行くので、もっと突っ込んで話すつもり。昨年の11月18日の欄で書いたように、その時は知っているようなそぶりだったけど。

 ともかく、ぼくは自分の責任で短期衝撃療法を行って、かなり症状が改善された。だって、痛くないんだもん。昨日、午前9時半ころに病院から帰宅して、10時半を待って、迷わずボルタレン3錠を服用(25mg×3=75mg)。その後、午後1時までぐっすりと眠った。目覚めても痛くない。今朝に至るまで、痛み止めの類は一切服用していないが、動かさない限り痛みはまったくない。寝返りはつらいけど、少しは足首が動かせるようになったし。この療法を行わなければ、もっとひどい状態だっただろうと、妙な確信がある。

 困っているのは、尿酸値を下げる薬=ザイロリックなのだ。手元に痛風本が無いので、ウェブで調べてみたら、服用中の発作では継続して服用しなければならないらしい。これも今日聞いてみよう。それと、もう一度、短期衝撃療法をしたいと提案してみる。発作2日目でここまで改善できたのだから、もう一度やればかなりの効果があると思うから。

 今回は外側の踝のようだ。赤くパンパンに腫れあがっている。今日は無理としても明日は会社に行かなくちゃ。雨が恨めしいよなぁ…。

2001年3月25日(日)〜朝 どうやら再び痛風の発作に見舞われたらしい

 深夜2時に下記を書いた直後から、痛みが劇的に増した。腫れもひどくなってきた。熱は37.2度。若干赤みを帯びて腫れあがった患部と、立ち上がった時に血流を感じられるほどに劇的に痛みが増す症状を見れば、痛風の発作で間違いなさそうだ。まいった。軽い捻挫のような状態から、痛風に移行してしまったのか…。

 痛風初期には、どこかの偉い先生が考案した、衝撃療法(名前はうろ覚え)がある。以前、この欄(2000年11月18日)にも書いているが、非ステロイド系抗炎症剤をまず3錠、次いで3時間後に3錠、更に3時間後に3錠。それでも改善されなければ、24時間おいて同じ服用を繰り返すというものだ。

 幸い、ハイペンという非ステロイド系抗炎症剤が残っていたので、午前4時半に3錠服用した。もうすぐ7時半なので、もう3錠服用してみるつもり。その後が問題。薬がもうないのですよ…。病院に駆け込むか、どうするか迷っている。かかりつけの病院に行くべきかどうするか。日曜だもんね。

 現在どうしているかと言うと、「ぼくの書斎」ページのプリンタの上に置いてある、添木を当てて、湿布と氷枕などで冷やしている。ハイペンが効いているので痛みはさほどでもないが、切れたときが怖い。入院した時の発作に比べると、高熱が出ていないから、炎症度を示すCRP値はそれほど高くないのだと思う。あの時は38度以上の発熱が5日続いた。CRPは7.5もあった。

 どうなってしまうのか。また入院? まさか。仕事も心配だ。月曜日はどうしようもないとしても、その後である。やっぱり今日やっている病院を探してへ行くべきなのだろうか。

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2001年3月25日(日)〜深夜 痛い

 週末の引越しで、痛風の後遺症が悪化してしまった。なんとか歩けるものの、発作時に近いくらいの痛みがある。腫れがひどくないのと、原因がはっきりしていることで痛風の発作ではないと思う。患部は左足首。ちょっとでも動かそうもんなら、痛風時と同じ程度の痛みが走る。仰向けでは眠れない。

 悪い予感はしていた。若いヤツ等にまかせて、手を出すべきではなかったのだ。でも、性格がそれを許さない。周囲の目が気になってしまう。女性が重い荷物を持っていたら、見過ごすことができない。若いヤツ等が金庫の移動で苦労していれば、どうしても手を貸してしまう。結果がこれだ。こんなにひどくなるとは思わなかった。

 自分の痛みは誰にもわからない。どんな事情があろうとも、他人に理解してもらうのは難しい。だからといって、周囲の状況がどう展開しても、自らを貫いて傍観者に徹している人間を許容できるだろうか。どちらかといえば、自分はそれを許容できない人間なのだと思う。だから、自分が傍観者に徹しているとき、どこかでそれを見ている自分がいて、動かざるを得なくなってしまうのだ。全て跳ね返ってきた。自業自得。痛い。あれ? よく見たらかなり腫れてるじゃないか!! まさか…。

2001年3月23日(金) ソープランドもどきの洋式トイレひとつ

 事務所移転の日である。移転といっても、自分のセクションともうひとつのセクションだけで、いわゆる社長室的管理部門が隣のビルに移動しただけだ。それでもたいへん。女性と年寄りと身体障害者(自分…)しかいないからと若い屈強な営業を集め、午後一杯作業してもまだ終わらない。明日も出社して、3/26(月)に備えなければ…、やれやれ。

 新フロアは、まずまずの広さで、天井が低いのを気にしなければ快適に過ごせそう。だが、問題はトイレなのである。たった一個、洋式トイレがあるのみ。それも黒いタイル張りの狭い部屋に、黒い便器と黒い洗面台という悪趣味の極みだ。ソープランドか、時代遅れでくすぶっている場末の飲み屋のような感覚。

 間の悪いことに、このふたつのセクションは非常に女性の比率が高い。うら若き女性が使うトイレを、汚すわけにはいかない。ましてや、うら若き乙女が座った便座に、汚らしいおぢが腰をおろすことが許されるはずがない。こうなると小も遠慮したくなる。慢性前立腺炎のぼくはいまから気が気でない。ひどいときは、30分に一回はトイレに立たねばならないのだ。水分を控えるか…。

 では、汚らしいおぢが尿意便意をもよおしたときはどうするか。当然、本社のある隣のビルに走るのだ!! 5階にあるオフィスから道路一本挟んだ隣のビルへ。目指すは一階の共用トイレだ。時間を計測してみた。エレベータがなかなか来ないときでも、3分もあれば行くことができる。やっぱりこれしか方法はないか…。尿瓶ってわけにもいかないし、シンクにするわけにもいかないし、窓からするわけにもいかないし…。

 恐れているのは、尿意で前後不覚になったときなのだ。前述のように、新ビルと本社のビルの間には道路が一本走っている。狭いとは言っても道路である。往来は結構激しい。前後不覚になって、飛び出したとき、何かにぶつかりやしないか。尿意を我慢できずにクルマとぶつかったとか自転車に撥ねられたなど、末代まで恥となるような笑い話を残したくない。そんなときは当然ぶつかった拍子に漏らしちゃうだろうし…。右見て左見て、もう一回右見て、であるな。嗚呼。

2001年3月22日(木) 600ポイントに釣られた!

 bk1の書評600ポイント(通常は300ポイント)に釣られて、ここ数日の間にまとめて9本投稿してみた。あ、と思った方、そうです、あなたの日記がきっかけです(笑) 自分の感想なんてろくなもんじゃないと思っている。Amazonに投稿した3本は単なるはずみで、ほかにも、いろいろとお誘いのメールをいただくが、積極的に投稿しようという意欲は薄かった。

 だいたい自分の書く感想なんて、書評とは程遠いレベルなのですよ。思い込んでも「書評」になるわけでもなく、あまりにもおこがましすぎるのです…。あ、これは、決して、逃げ道を確保する意味ではないですよ。こんな駄文に「書評」じゃあ、プロの方に失礼だろう、って。

 プレゼント企画には惹かれるものがありました。ただし、年末に思い立ったAmazonでは、すでに図書券プレゼントも終わっていたし、そのうち二本は掲載してもらったけど、何一つ実用的な良い目はみていない。直接の動機は、こんなもんでも本当に掲載して貰えるんだろうか? 程度のもんです。年末に発表されたベスト30にはFADVのシュンさんが入っていて、驚くやら納得するやら…、やっぱりなぁ…。

 最近の乱立するオンライン書店は、素人の駄文を集める営業戦略のようだ。世の中アマチュア書評家だらけ。まあ、これは「書店でブラリ」のひとつの動機付けなんだろうけど、おいしいのは掲載してもらえると、点数=お金がつくことなんですね。今ごろこんなことを言っているタコでありますが。因みにbk1は1ポイント=1円。Amazonは、抽選で図書券3000円だったかな? 今も? 

 不案内なのは、Amazonには年末以来ご無沙汰だから。理由は簡単。投稿の作業があまりに面倒くさ過ぎるのだ。800字という文字数制限が、大きな壁となって立ちはだかる。ぼくの感想はほとんどが800字以上だ。それをいじくって、800字以内にまとめる作業が堪らなく面倒くさい。こりゃ、ダメだ。さっさと諦めました。

 ところが、bk1では1600字まで受け付けてもらえる。さすがに、ここまで多くなると文章をいじらなくてもほとんどが受け付けてもらえる。というわけで、2日の間に9本を投稿したわけ。Amazonでも困ったけど、bk1でも困ったのが、「書評のタイトル」ってやつね。どうせコピペだから、2日もあればもっと投稿できそうなものが、たったの9本しかできなかったのはそれが理由なのだ。

 どうでしょうね。あんなもんでも掲載してもらえるんだろうか? bk1のシステムもわかっていなければ、連載コラムのひとつも読んでいない不届者の投稿は受け付けてもらえるんだろうか? 

2001年3月21日(水) 汎用ドメイン登録申請に翻弄される 

 インターネットとは、知れば知るほどわからなくなるもののようだ。
 一ヶ月くらい前に汎用ドメインの「優先登録申請のご案内」という用紙が、天下のJPNIC(社団法人 日本ネットワークインフォメーションセンター)から会社へ送られて来た。これが関係資料を読んでも肝心なところがわからなくて困り果てている。

 今まで、「○○.co.jp」だったドメイン名を「○○.jp」で使えるようになるとか、もう一歩進んで、日本語でドメイン名(例えば、「ぼく.jp」)を登録できるようになるとか、そういうことらしい。昨年話題になった日本語ドメインとは別のモノ。あの時は10以上申請してことごとく敗れ去ったのだった。変換技術が盗まれて、あちこちから先に申請があったのが真相らしいが。

 さて、優先期間が3/23までなので、今日になって慌てて登録申請をした。ところが、簡単にはさせてもらえない。ものすごくわかりにくいのだ。わざとわかりにくくして、敷居を高くしているんじゃないかと訝りたくなるほど。お役人仕事なのですね。これはあっちで、これはこっち。ウチはここまで、あとはアチラでやってます…。加えて、わけのわからん造語を連発。ったくどういう脳味噌をしてるのか。ともかく、ウェブに掲載されている資料を読めば読むほどわからなくなるのだ。要点を解りやすくはっきりと書けない体質なのか? なら電話で聞こう、と受話器をとるも全然つながらない。それでも、一時間近くかかって、どうにかこうにか優先登録と日本語のドメインだけは申請した。

 情けないのは、こうやって時間をかけて登録したって、この先どうなるのかわからないところ。既得権ということで、それほど高い金額でもないから申請したんだけど、使い道を考えたときに首を傾げてしまう。今のところブラウザも対応していないし。ただし、これはパッチが用意してあった。過渡期ということで、納得するしかないのだろう。

 自分の名前でもドメインが取れるらしいから、興味のある方はURLを記しますので、覗いてみてはいかが? ただし、質問は受け付けません。どうか自力で解読してください(^^;;;。
 JPNICの汎用ドメインの説明ページ → http://www.nic.ad.jp/dotjp/index.html

2001年3月19日(月) メガネ越しの現実

 気に入っているフレームだから、レンズはそのままにして、フレームだけ交換してもらおう。昨日、この欄を更新したあと、フレームの折れたメガネを持って、過去二回メガネを作ったことのある店に向かった。

 ところが、ぼくが気に入っているフレームはすでに生産中止だったため、一式作り直すことになってしまった。一連の検査で視力は、左が0.01で右が0.02であることが判明。近視でなければ身体障害者である。なので、メガネ無しでは一日も生活できない。あまりに度が強すぎて、バカっ高いレンズしか在庫が無いと言われても、頷くしかないのだ。

 度の強いレンズは厚みが増すことになる。度が強くて薄いレンズはかなり値段が張るのだ。強度の近視者はこの辺が気になるらしく、多少高価でも薄いレンズを望むのだそうだ。厚くてもいいから安いレンズが欲しいという人は変わり者扱いで、無駄になるから在庫を置かないらしい。安いレンズを取り寄せるには三日かかると言われた。

 営業トークであろうが何であろうが、メガネ無しでは昼間でも出歩けないぼくに選択の余地はない。即日出来上がる店は他にないし、もうどうしようもないのだ。選んだ(選ばされた)レンズが二枚で26,000円。フレームはたまたま気に入ったのが安かったので、総額で33,000円になった。メガネでは過去最高額の買い物。固定資産税も未納だというのに…。

 さて、使い始めて二日目。今までよりも強めのレンズで、矯正視力が0.7までアップしたのは良かったが、モノが若干小さく見えてしまう(ような気がする)。それと遠近感がつかみ難い。

 慣れてしまえば、きっと違和感がなくなるんだろうけど、そのようにして認識された世界はぼくだけの世界であるな。メガネを通さなければ、たいていのモノは認識できないわけだから、メガネが世界の窓。メガネを外せば、モノの輪郭すらわからない。だから、メガネを通して見たモノが果たして本当にその大きさであるかもわからない。

 ぼくがあのくらいの大きさだと思っていても、他人には全然違った大きさに見えているのかもしれない。漠とした不安。ぼくがメガネ越しに見ている世界は、現実の世界とどれだけ違っているのだろう。気になってしまう。

2001年3月18日(日) メガネが壊れた

 予想通り、長男のインフルエンザは次男に伝染して、昨日までふたりで寝込んでいた。次男の発熱は十六日(金)から。昨日が一番具合が悪かったようで、一日中寝たり起きたりだった。さすがに今日が五日目の長男は全快した模様。元気がありあまって、父親に絡んでくるがことごとく退けられてご機嫌が悪い。

 困ったことに、度の過ぎた長男のじゃれ合いに付き合っていたら、もうひとつの目であるメガネが壊れてしまった。毎週楽しみに見ている「もっと おじゃ魔女どれみ」がさっぱり見えない。買いにいかなければならないが、メガネが無ければ自転車にも乗れないので、カミさん運転のクルマに乗せてもらわねばならない。次男の発熱も心配だし。困ったもんだ。

 パソコン画面なんて画面ぎりぎりまで近づけても見えない。適当に文章を入力しおいて、メガネのレンズだけで覗き込んで確認して直している。たいへんなので、メガネがすぐに手に入らなかった場合は、しばらく更新ができないかもしれません。悪しからず。

2001年3月16日(金) 突発的禁煙宣言

 理由は吸いたいときに手元になかったから。それが三日前だ。別にヘビィスモーカーでもないから、たいして苦にならない……、…だろう思ったらそうでもないから困っている。

 自分の職場に入った新しい女子社員とたばこの話をしていて、なんとなくそうなってしまった。ひくにひけなくなって突発的に宣言してしまったのだ。元々、喉が弱く、たばこは吸っても三日で一箱くらいだった。自宅では吸っても一日に二本くらい。たばこを吸うか、吸わないかなんて自分にとってはそれほど重要なことではなかったはずなのだが、改めて禁じてみると意外と誘惑が多い。

 自虐的な性格のぼくは、職場の机の上に吸殻で一杯の灰皿を置いて禁煙している。会社ではこうしていても問題ない。逆に楽しんでいるくらい。圧し掛かってくるのは自宅の二本なのだ。別に自宅で禁煙宣言したわけではないから、吸ったって構わないかもしれない。それほどたいしたことでもないし。でも、やっぱり宣言した以上吸えない。そう思うと吸いたくなる。試されているような状況。

 誰も見ていないから、と自分に都合よく曲げるのは堪らなくいやだ。

 二十一年前、実家の母がガンで手術したときに、父が同じ理由で禁煙した。成功率五十%と言われた手術の前の日、ふたりで話していたときたばこが切れてしまった。買いに行こうか、と言ったのだが、父は無いことを理由にたばこをやめると宣言した。今にして思えば、願掛けのような意味だったのかも知れない。父はそのまま二十一年間たばこを吸っていない。母のガンは完治した。

 だから、ぼくも吸わない。すでに、乗り越えるとかなんだとか、そんな年齢ではないと思っていたのに…。子供のころは厳格でただ怖いだけの存在だった父だが、年を経て、もっと身近に感じられる存在へと変化した。もちろん、単なる自分の意識だけの問題で、父が変わったわけではないだろう。あの日の父に思いを巡らせている。

 あの日の父に比べれば、実に他愛もない状況での宣言だが、父の子であることを誇りに思っているから、やっぱり吸うことはできない。父の存在とやせ我慢。譲れないときがあるのだ。

2001年3月15日(木) 神経質過ぎるだろうか?

 いまごろになってインフルエンザが流行っている。長男の小学校では、学級閉鎖寸前のクラスまであるそうだ。
 この冬は家族の誰も寝込まなかったのに、流行りモノに弱いわが家の長男坊が昨日からインフルエンザで寝込んでしまった。朝、学校から連絡があって、カミさんが慌てて引き取りに行ったのだそうだ。保健室で、ガタガタふるえていたらしい。39度以上の発熱。まだ38.5度もあるので、今週一杯明日も休ませるつもり。

 体温は夜になると上がるのだ。昼間は37度ちょっととしかなかったので、ゲームをやろうとしてカミさんにこっぴどく怒られたらしい。こりゃあ次男に間違いなく移るな。花粉で全滅した一家は、インフルエンザウィルスによってまたもや全滅の危機に晒されているのだ。

 まったく、あいつは誰に似たんだ? 熱が出ているくせに、食事中ペッペッと唾を飛ばしてしゃべくりまくる。食事に向かって咳をする。ろくに横になっていない。ゲームはやりたがる。寝てろ! と叱り飛ばそうもんなら不機嫌になってガンを飛ばしてくる。頭に来たので、お前がインフルエンザ菌だらけの唾をかけた食事は食べられない! と言い放って自分専用の夕食を作った。

 本気である。39度発熱しようが、どうなろうが、会社は休むことができないのだ。子だろうが、父だろうが、家族だろうが、愛情とは関係ない話なのだ。自分が発熱したときは、さっさと別室へ引っ込んで、熱が下がるまで家族と一緒に食事はしないし、顔を合わせることもしない。接点は唯一カミさんのみ。身体の弱い父はこんなことが頻繁にある。

 絶対に風邪をひきたくないし、絶対に家族に移したくない。神経質過ぎるだろうか? 過ぎるよなぁ…。でも、つらいのは自分だ。この点に関しては、「子より親が大事」なのだ。こんな意見も少数派だろうなぁ…。もちろん、苦しんでいる子供には最大の優しさで接しますよ。思いっきり甘えさせてあげます。分厚いマスクをかけてね。

2001年3月14日(水) フェロモンが疎ましい

 忙しい。早朝出勤して、昼休みまで潰して働いても追いつかない。会社でもどこでも他人が遊んでいる時間に働くのは、あまり気分の良いことではないね。

 キリキリと痛む胃を押さえながらねじり鉢巻で仕事をしていた昼休み。毎度ながら、隣室が小学校のように騒がしい。昼食を摂るために女子社員が集まり、彼女らを追いかけるように男どもが集まってくるのだ。嬌声、罵声、けたたましい笑い声…。堪らず隣室に通じるドアを閉めたが、それでも騒音は完全には消えない。

 別に昼休みだから、何をしたって構わない。それくらいは当然のこととわかっているのだが、それでもイライラが収まらない。厄介なことに、これは自分が仕事をしている場合だけに当てはまるイライラではない。例えば、静かに読書に没頭しているとき。いきなり響き渡った嬌声に現実に引き戻されて舌打ちをしたことは何度もある。

 不思議なもので、男同士・女同士の場ではあれだけの騒乱は絶対に起こらないのだ。男女混ざって初めて条件が整う。つまり、求愛行動であるわけだ。ぼくだって、まだまだ捨てたものではないと自負しているつもりだが、あからさまにフェロモンを分泌する求愛行動はさすがにできなくなってしまった。

 詰まるところ、フェロモンが疎ましいのだ。あからさまにフェロモンを分泌して、ガツガツと求愛行動に走る彼ら・彼女らの姿に、青臭い濃厚な匂いまで錯覚して気分が悪くなるのだ。

 ……まあ、世間ではこれを「若さを妬む」と言うのだが…。

2001年3月13日(火) 作家のネット戦略

 帰宅直後の習慣で覗いた郵便受けに、光文社からの郵便が届いていた。中身は大沢在昌サイン本『灰夜 新宿鮫VII』だ。生まれて初めてのサイン本である。「大極宮」でのアナウンス通り、京極夏彦がデザインした(らしい)新宿鮫のイメージカットが冒頭と最後のページに描かれている。読了して酷評した、KIOSK本と見比べながらほんの少しだけ幸せを感じた。三人のサイン入りの栞がおまけでついていたし。もちろん、これは印刷物だけど。

 サイン会。何度も思い立ったことはあるが、生来の出不精と行列が大嫌いな性格が災いして実現したことは一度もない。浅田次郎さんが達筆であるとか、誰々のサインがどうだなどと耳にするにつけ、自分の怠惰を棚に上げてとても羨ましく思っていた。初めて手にしたサイン本には、想像した以上の効果があった。プロモーション効果としては対面のサイン会には及ばないが、足りない部分は数で勝負するのだな。

 ネットで自著のサイン本を売るなんて前代未聞かもしれない。しかし、考えてみれば、書店で行われるサイン会だって趣旨だけみれば似たようなものなのだ。味気ない等の意見もありそうだが、ぼくのような読者にとって最もありがたいのは、行列の時間が省かれること。作者にしてみれば、わざわざ出向く手間が省かれることと、たぶん書店でのサインよりも格段に多いであろうサインで相殺かも。

 当然、実際に並んで、握手してもらって、タメ書きをいただくことによるプロモーション効果には遠く及ばないだろう。読者の思い入れも。しかし、広く浅く根を張ることによって、新しいニーズを発掘できる。ぼくは今回のネット販売がなければ、奇特な作者が献本でもしてくれない限りサイン本なんて生涯手にすることは無かったはずだ。これからもこんな機会があれば、いの一番に注文すると思う。

 営業熱心な作家といえば浅田次郎さんを一番に思い出す。一方で、インターネットが加速度的に普及し作家の公式サイトが増えている。自身で運営している作家も多い。以前ほど、作家が遠い存在ではなくなったのだ。その上、メディアはどんどんインタラクティブになる。たいへんだよなぁ。大沢さんみたいにパソコンに縁のなさそうな作家までこんなことする時代なんだから。あ、パソコンに縁が無いからこんなことするのか!?

2001年3月12日(月) 日記系サイト

 白状しちゃいますけど、昨年の確か夏に「日記才人」(当時は日記猿人)に登録して、今年一月の中旬に「テキスト庵」というところに登録しました。どちらもリンク集。昨年の六月に日記をリニューアルしたのを期に、登録に踏み切ったわけです。
 どこが違うかというと、「日記才人」は読んで字の如しの日記のリンク集。有名なのでご存知の方も多いでしょう。「テキスト庵」はテキスト、つまり日記に限らず、コラムやらエッセイまで含めた雑文のリンク集。ただし、こちらは段落にわけて記述されている必要がある。
 
 その他、似たようなリンク集で「日記圏」にも登録していたことがありますが、「日記才人」と「テキスト庵」と併せて三つというのはいかにもガツガツした印象があったのと、手動の更新報告を都合三回もしなくちゃならない面倒くささと、リンク集自体に特色がないので辞めました。「日記才人」と「日記圏」の利用者ってほとんど重なっているような印象があるのです。

 「日記才人」には、投票というシステムがあって、気に入った日記には投票ができる。これが大きな特徴。ただし、投票してもらうためには、投票のボタンをサイト内に作らなければならない。ウェブ内が絵面的に汚くなるのと、面倒くさいとの理由で投票には不参加にしています。更新報告はこまめにしていますが。

 そんなこんなで、日記系サイトと呼ばれるサイトを読む機会がすごく多くなりました。最近は、「ReadMe!」もチェックしてるので、ウェブの方向性としては立派な日記系サイトになったかも。で、びっくりしているのですが、ともかく日記系サイトは数が多いのです。「日記才人」の登録サイトは10,000を越えていますし、かなり限定される「テキスト庵」でも1,000を超えています。しかも、一日に1,000ヒット2,000ヒットなどというお化けサイトがあって、200〜300ヒットくらいのサイトはゴロゴロしている。他に「さるさる日記」だとか、日記専門のサイトもたくさんあるし。

 これがですね、ミステリ系サイトに目を転じてみると途端に小粒になるのです。ともさんの「みすべす」の一日に500ヒットくらいが最高じゃないでしょうか。「Books by 麻弥」や大森さんや愛・蔵太さんのウェブもミステリ系と言えなくもないが…。それにしても、一日200ヒットあるサイトなんて数えるほどかも。読者の絶対数の違いですね。

 それにつけても、日記系サイトの読者がこんなに存在するなんて驚きの一言。それほどプロの書く物に魅力が無いのか? というよりも、日記系サイトの読者って、やっぱり日記系サイトを運営している人がほとんどなんじゃないかと思うのです。あるいは、日記系の読者が開設したウェブが日記系サイトだったり。まあ、単なる推測の域を出ませんが。日記を書いている人は、他人の書いている日記が気になる?

 NiftyのFADVだってそうですから日記系に限ったことではありませんが、わりと小さな閉じたコミュニティが多数存在しているのですね、増殖とリンクを繰り返しながら。新興サイトは、文中リンクを多用するなどして存在をアピールして、徐々に浸透してアクセスを増やす作戦らしい。

 ぼくは文中リンクがあまり好きでないのです。年季の入ったサイトでもよく見ますが、誰々さんがこう書いたとか、それについての批評があったり。日記批評サイトなんてものが存在して、かなりの集客を誇っていたりする。もちろん、それも良いんですけど、なんだか世界が狭いように思ってしまうんですね。かみつく対象は、もっと別にあるような。もっと大きなモノにかみついた方がおもしろいんじゃないかな。放って置けない気持ちもわかるんですけどねぇ。独特の文化を感じてしまうのです。

 まあ、空メールも知らない初心者の言うことですから…。

2001年3月10日(土) 極めて日本人的な〜いちご狩りに思う

 晴天の土曜日。「いちご狩り」に出かけた。埼玉では秩父が有名なのだが、東・北埼玉では今回行った菖蒲町も結構知られているらしい。春日部からはクルマで一時間弱。「JA南彩グリーンセンター」というところに行って申し込みをする。三歳以上一律で1,100円だって…。
 いまでこそ「JA」とか、アルファベットの略字でカッコつけているけど、なんのことはない「農協」なのだ。まあ、イメージアップとか人手不足解消とかいろいろあるんだろうけど。日本の農業政策のガンである。

 グリーンセンターの名前が示す通り、野菜中心のスーパーマーケットの入り口近くに「いちご狩り」の受付があった。長男はいちごが食べられないので、二人分2,200円を支払って所定の場所へ移動する。いかにも農民風の浅黒い顔をしたおぢがいて、「いちご狩りはこちらです」とか呟いていた。バス停? マイクロバスで農家まで送迎をするらしい。黒山のひとだかり。
 バスが来るまで時間があるので、受付時にもらった「いちご狩りのお客様方にお願い」と称する小さなチラシを読む。

1.入園時間は三十分です。一旦ハウスより出た場合は再入園できません。
2.いちご狩りは食べ放題ですが、いちごの持ち出しは固くお断りいたします。
3.通路以外に足を踏み入れないでください。
4.いちごの青い実や葉を大切にしてください。

 へえぇ、ってことは採ったいちごはハウスの中で食べるのか。暑いだろうなぁ。その1.以外は、あまりに当たり前過ぎる。常識でしょ。明言する必要があると思うのは、1.の他には2.くらい。よくある観光地のノリで、まあ客もかなり行儀が悪いんだろうが、当たり前のことをこれ見よがしにあれするなこれしろって、わくわく楽しい気分を殺ぐ最高の注意書き。少しだけ感じていた観光気分が萎える。この程度はたいしたことないかな。いつも行っていた、庄和町のいちご狩りと落差が大きくて面食らったのだ。

 ほどなくバス来た。生まれて初めてバスに乗った次男は、「ばぁ、ばぁ」とつぶやきながら神妙な顔である。15分ほど揺られていちご園に到着。想像通りごく普通の農家だ。バスを降りて、今度はちょっとだけミルクの入った入れ物をもらうために、農家の作業場前に並ぶ。

 申し込んでからここまで約45分。いちご狩りは30分しかさせてもらえない。こんなもんかな。ハウスの中は暑いだろうから、コートを脱いでどこかに置かせてもらおうと思ったが場所がない。結局、着たまま入ったんだけど暑いこと暑いこと。こんなクソ暑い中に30分閉じ込めておいて、外の空気を吸いに出たら再入園できないなんてそれはないだろう。入園するときに、入り口におばさんが居たので聞いてみようとしたが誰もいない。

 結果的に、出入り自由なのですね。こっそり入れ物を持っていっていちごを詰めたって誰が注意するわけでもない。でも、そんなことをする人はどこにもいない。ぼくみたいに、一旦外に出て汗を拭いて戻ってくる人すらいない。もちろん、いちご畑を踏みつける人もいない。整然と約十家族がいちご狩りを楽しんでいる。こんなのはチラシの効用でもなんでもない。常識なのだ。時間制限も実際は無かった。だいたい入園時間を刻印するようなシステムが無いのだから、土台無理な話なのである。

 じゃあ、あの大仰なチラシの文言は何? 思い出したのが、中島義道さんの一連の著書ですね。日本人は実効を求めない、事実だけを残す垂れ流し的注意が多い。街の騒音しかり。このチラシは、地元の農家との葛藤の産物なのでしょう。あるいは、教条的な農協のアリバイ作り。

 駐車場スペースが無いいちご農家で「いちご狩り」をさせるために、農協の駐車場に停めさせて、そこからマイクロバスで送迎する。農家は自分たちでは何もする必要がない。農協の言う通り、機械的に客をさばいてそれで終わり。自ら考えさせない農業政策の一端であるな。当然農協がピンハネする。バス代やら何やらを含んだ、三歳以上一律1,100円。法外な値段というつもりはないが、決して安い金額じゃない。いつも行っている庄和町のいちご農家は700円〜800円くらいだったもんな…。

 いろいろと考えさせられた「いちご狩り」でありました。

2001年3月9日(金) サイコ〜子供時代の危険な兆候三カ条

 昨日の続き。

 息子の日記の中身はごく普通の日常的な事柄だったから見過ごせたが、もし、あそこの店で万引きしたとか、誰々をいじめるのが楽しいとか、近所の猫を殺して燃やしたとか、そういったことが書いてあったらどうしましょう?

 ただし、書いてあったからといって真実とは限らない。確かめる手立てはないから、黙殺するしかないかな。いずれにしろ、相当につらいことになりそうだ。
 もし、そんなものに反応して事の真偽を息子に確認したり問い詰めたりしようもんなら、親が勝手に彼の日記を見たことに対して怒りが爆発して問題がすりかわってしまう。それに、もし、書いてあったことがデタラメだったなら、そこで親子の関係は修復不可能なくらいズタズタになりますね。成長すればするほど。
 
 そんなデタラメを創作する心理も怖い。無邪気な創作なら問題ないと思うけど、一種の防衛機制だとしたら同じくらいに怖い。子供の心理状態としては、どちらもあまりよくなさそうだ。事実にしろデタラメにしろ親の苦悩は計り知れないのだ。

 いまどきの父親は、両親の世代なんかよりずっと教育熱心ですよね。家事にも育児にも積極的に参加しているし。子供を連れて小児科に行っても、若いお父さんたちがたくさんいて驚きます。
 シグナルが出ているはずだとかいろいろ言われますが、こればっかりは千差万別で、教育熱心であればあるほど気がつきにくいかもしれない。ある程度距離をおいて子供をみていないと。

 話がおかしな方向に飛んでしまいましたが、最後に「危険な兆候三カ条」があるらしいので参考までに。って、これが見えたらどうすりゃいいの?!

 ○火遊びが好き。
 ○動物を虐待する。
 ○成長してもおねしょ癖が直らない。

 だそうです。また聞きうろ覚えですが。

2001年3月8日(木) 息子の怪しいノートの中身

 ここのところ長男の行動がとても怪しい。自室のドアに「立ちいり禁止 はいるな!!」などという張り紙をして、こもっていること度々。自分の部屋を与えるのも考えものだなぁ、と父はため息をついておりました。
 カミさんはまったく意に介していない。落書きか、迷路か、ゲームか、お話を作っているんだろうという程度。

 来るなと言われれば行きたくなるのが人情でしょ? 気になってしょうがない。ところが、立入禁止のときに一歩でも足を踏み入れようもんなら、体当たりで追い出されてしまう。父としては我慢のしどころか。成長したら、こんなことは当たり前になるんだろうね。楽しみな反面、とても寂しい。

 そんなある夜、長男の部屋でテレビを見ておりました。リビングのテレビは次男のビデオに占領されているので、どうしても見たいときは長男のゲーム用を借りているのだ。部屋の主は、風呂に入っている。何の気なしに見上げた机の上には怪しいノートが…。

 お察しの通り、バカ父は盗み見たわけです。我慢するべきだったのだろうな。親だって子供のことを何でも知る権利があるわけじゃない。子供には子供の世界があるのだ。親の権威だの、押し付けがましい愛情だのを振り回して子供に迫る親にだけはなりたくなかったが、出歯亀だって許されることじゃない。

 さてさて、盗み見た怪しいノートの中身は日記でありました。毎日数行程度だが、三月一日から毎日キチンとつけている。父が何度も自分の日記を読ませているのでその影響かな。どこでどう覚えたのか、(;>_<;)(-.-)(^_^)(^^;;; など顔文字まで手書きで書いてある。
 毎日数行程度の日記でも、彼なりの秘密がたくさんあった。自分しかいないのに、私信を盗み見したあの気まずさが漂って、思わず周囲を見回して暗い気分になった。この後ろめたさは犯罪者そのもの。

 もう盗み見は絶対にやめよう。などと誓いつつ、ウェブでこんなことを書いているバカ父ですが、息子の成長が知識を吸収しつつただ大きくなるだけ段階から、次の段階に移りつつあると実感したのです。難しいのはこれからなのだけど。

2001年3月7日(水) 花粉強襲一家全滅す

 絶対に書きたくない話題だったんだけど、今日くらいひどくなると書く価値もあるかなと。

 一家全滅なのです。
 父は、ダスト、ダニ、動物、花粉と鼻・喉を襲うアレルギーで考えられるモノを全て網羅したアレルギーのデパート。喘息少々。母は強度の花粉症。このふたりを両親に持つかわいそうな子どもらにアレルギー症状が無いはずがなく、長男は父と同じアレルギーのデパート。喘息・アトピー少々。次男は検査をしたわけではないが、夜の鼻詰まり、昼の鼻水・くしゃみ。同類からみれば、あの水っぱなは花粉症以外の何モノでもないのです。
 次男以外は全て、病院でバカっ高い金を払って検査済み。数値的には長男が一番重い。親は選べないもんね、許せm(__)m。

 一日中、目の痒みと鼻水で苦しんで帰宅したら、カミさんが寝込んでいる。子どもたちは見かねて病院に連れて行ったあとなので、それほどひどくはないが、鼻の穴がガビガビ…。ともかく今日の花粉は半端じゃなかった。ひどくなると、あらゆる身体症状が出て、カミさんのように寝込むことになるのです。
 鼻が詰まるから口で息をすることになる。結果、喉が乾いて痛くなる。それとは別に喉が痛痒くなる。頭が痛い。だるい。意識が朦朧としてきたら、もう横になるしかない。

 腸内の寄生虫がいなくなったからだって、ホントなのなのでしょうか。昔は、よく青っ洟を垂らした子供がいて、洋服の袖で拭うもんだからテカテカ光っていたり。あれはみんなアレルギー性鼻炎だったのだろうか。ぼくが子供のころは、慢性鼻炎とか言われていたけど、これはアレルギー性鼻炎とは違うのかな。薬は、いろいろと試しているけど、眠くなるんだよねぇ。何か根本的な治療はないんだろうか。

 この時期、わが家のティッシュはたいへんな勢いで消費される。各自の枕もとに一箱づつ、他にもキッチン、洗面所・脱衣所、玄関、トイレ…。仕入れは毎週末十箱づつでぎりぎり。ただし、寝込むときは、ティッシュじゃ追いつかんのです。じゃあ、何を使うかというとタオル。枕に耳をつける格好で横になって、枕の上にタオルを敷くわけです。アレルギーの鼻から水のような鼻水がタラタラ…(^^;;;)。タオルがしっかり受け止めてくれます。多い日のタオル…。ってわけで最低な一日。

2001年3月6日(火) 遺体写真を撮影して銭を稼ぐヤツ…。

 亡くなった久和ひとみさんがずっと気になっていた。
 昨晩のこと。なんとなく寝苦しいので、ちょっとだけネットにアクセスした。自分のウェブの掲示板チェックとメールのチェックのあと、2ちゃんのニュース板に足を向ける。2ちゃんは相変わらずだなぁ……、え? 久和ひとみさんの遺体写真??? どこが載せたの?? 思うより先に人差し指が動いた。なんでも報知新聞と日刊スポーツのウェブに掲載されたとか。さすがにぼくが見たときは、別の写真に差し替えられていたが。

 とりたててファンというわけでもなかったが、同じ年齢というだけで気になる存在だった。しかも、今回のガン死。向井亜紀の子宮ガンもあって、注目度は嫌が上にもアップする。カミさんが検診を控えているし。因みに向井さんの子宮ガン会見のあと、子宮ガン検診を受ける人が飛躍的に増えたらしい。それもねぇ、それでガンが見つかっている人が多いんだって!! カミさんは自分の検診が心配でしょうがない。ムードね。

 さて、2ちゃんのそのスレッドにはすでに800くらいの発言があった。ほとんどがコピペの脅しや荒らしで、読むべきところが無い。適当に読み飛ばして、リンクのクリックを続けていたら、とうとう久和さんの遺体写真に遭遇してしまった。鼻から上半分が掛け布団から出ている。黒い目…。これが安らか?

 ぼくは遺体にはそれほど禁忌を感じない。というか、禁忌自体をあまり認めたくない。遺体なんて単なるタンパク質、などという極論ではなくて。だが、あれはマスメディアに掲載する写真じゃありませんね。しかも盗み撮りらしい。カメラマンの素性は明らかではないが、当然写真は売買の対象なのだな。遺体の写真を盗み撮りして銭を稼ぐヤツか…。

 ぼくは、行き過ぎた野次馬根性の報いで、結局一睡もできずに朝を迎えてしまった。久和さんの目が脳裏に焼きついて離れなかったのだ。深夜に妄想が膨らんで御しきれないほど。
 死ぬのは怖い。伴う痛みのせい?? いやいや……やっぱり家族なのですね。今ここで死んでしまっては、子どもたちの将来を見られないから。もちろん家族を失うのも怖い。どちらかというと、後者の恐怖の方が強いかな。まあ、いずれにしろ、遺体写真を撮影して銭を稼ぐほど世の中を俯瞰できていなのは事実。え? それは俯瞰とは違うだろうって? う〜んん、案外そこに真理があるのかもしれませんよ。

2001年3月5日(月) 組合と独禁法−ほとんど愚痴m(__)m

 せっかくの日曜日が、午後からクレーム処理で潰れ、今日は今日で午前中一杯昨日のクレームの事後処理。ウチに非はないのに、被らなきゃならないようで腹立たしいことこの上ない。クレームとは関係ないが、夕方は銀座まで出向いて業界団体の不毛の会議に出席。踏んだり蹴ったりだった。

 どこの業界にもある○○組合と称する老人会である。組合員には、利益の敵対する別の○○組合の組合員がいたりして、寄り合い所帯の玉石混交。秘密裏に進めていた変革を求める重要事案が、敵対する○○組合に漏れてご破算にせざるを得ないんだと。それについての陳謝というか、報告というか、雑談というか。……情けない。

 一時、役員同士で非難しあったりして、ちょっと楽しみな場面もあったけど、結局なあなあで済ませてしまう。チクッた組合員を除名するくらいの気概と断固たる態度を示さなければならないのに、老人たちは訳知り顔でおかしな弁護を展開したりする。利益が敵対する組合の両方に入っているなんて矛盾してるでしょ? それも何社もですよ。スパイといわれても弁解できないのに、とことん追求しようとすると、まあまあまあと誰かが宥める。

 あ、申し訳ない、意味不明の話でm(__)m。しかも単なる愚痴m(__)m。
 ともかく、白黒をはっきりとつけたがらないのですよ。イライラするくらいに。極めて日本人的。

 元々がああいう組合って、競合する同業者が集まっているのだから、最初から矛盾だらけなのです。組合員同士で牽制しあって、正しく競合しようとする連中を阻害する傾向が強い。ぼくが通っている床屋さんがぼやいてた。加入している組合から、必ず火曜・水曜(月曜・火曜?)は休むようにって強いお触れが出ているんだと。自分とこはあまり芳しくないから休日返上で頑張りたい、ってのは認められない。だからといって、組合に入らないわけにはいかないらしい。

 しかし、一方で一社ではできないことができてしまうから、便利でありがたいのも事実。矛盾だらけだな。こんなのは、アメリカ人にはわからんでしょうね。排除したがるのも当然といえば当然。

 情けないことに、日本なんて、外圧がなければ規制緩和を筆頭に変革できない国なのだから、いろいろと圧力をかけてもらうしかないのかもしれない。特にぼくの組合は、正しく独占禁止法に照らし合わせれば間違いなく言い分が通るのですよ。公正取引委員会は動く気配もない。まあ、これほど有名無実な法律も珍しいでしょう。
 わが日本の悪習慣は、構造的な根深さと国民性に裏打ちされたものなのだ、と改めて感じ入った会議でありました。

2001年3月3日(土) 「旅歌」の由来。ハンドルでいいのかな?

 インターネットは匿名の世界ですから、みんな工夫を凝らして自分のネット上の名前をつけるわけです。これをNiftyでは「ハンドルネーム」と呼びます。名前を付けることは、自分でコントロールできる「第二の誕生」のようでとても楽しい。由来はいろいろあって、昔からのニックネームだとか、子供の名前をもじったり、好きなキャラクターだったり、まあ、感性を示す第一関門なわけです。女性の場合は、男性みたいな名前をつけるのも流行でしたね。イヤなメールや、近づいてくるウザい男どもを選別する意味で。

 ぼくが始めてNiftyに入った1996年当時のハンドルは、「旅歌」ではありませんでした。ありがちな、カミさんと子供の名前をミックスしたもので、女性的な響きがあった。入会後しばらくして、「旅歌」に変えたのです。
 自分のProfileにも書いているし、いろんなところに「旅歌(りょうた)」と露出しているので、ちゃんと読んでいただけることが多くなりましたが、普通はこんな風には読まないですよね。
 先日、ネットをふらふらしてましたら、ある掲示板で全く同じハンドル「旅歌」を名乗る方を見かけました。なんと読むかはわかりませんが。名前ですから、こんなこともあるのでしょう。でも、旅歌を名乗って約四年。はじめての出来事で、ちょっと不思議な気分でした。自分が書き込んでいるような…。
 
 「旅歌」には歴史があります(^^;;;)。
 ぼくは1990年に結婚し、1991年に長男が生まれました。悩みましたねぇ、名前。で、思いついたのが「りょうた」という音。自分の名前がとても発音しにくい音なので、子供には音のスムーズな名前をつけようと思ったのです。
 音は決まったが、漢字が決まらない。悩んだ挙句思いついたのが「旅歌」でした。この漢字のミソは普通「りょうた」は、「りょう」と「た」で構成されるべきところを、「りょ」と「うた」で構成しているところなのです。…見たまんまやんけ(^^;;;)。自分的にはとても気に入りました。早速、カミさんに報告。ところが、一見で却下(ノ_・。)。当て字だと言うわけです。実家のじーさんばーさん、みんな却下。
 結局、子供の名前は音だけ残して、漢字は別のをあてました。…それも読みにくいとの評判ですが…。

 ですが、父は愛着があって「旅歌」を捨てきれないのですね。しばらく寝かせた後、自分で名乗ることにしたのです。実生活では息子が「りょうた」で、ネットでは父が「りょうた」。オフに出て「りょうたさん」と呼ばれても、全然違和感はありません。頑固なカミさんは、未だに「旅歌」=「りょうた」と認めてくれませんが。

 さて、当の息子は10歳になろうとしています。あのとき、父が頑固に主張して「旅歌」とつけていたらどうだったかな。恨まれたかな。名前はむずかしい。

2001年3月2日(金) ネットショッピング明暗。SPAMメールまがい。

 なんで、ネットショッピングってあんなに楽しいんでしょ? ネットショッピングって言ったって単なる通信販売に過ぎないのに、カタログやチラシやテレビの通信販売とは一味違った趣があります。わが家、っていうかぼくは、ネットショッピングが大好きで、新刊本・古本はあたり前として、他にユニクロの1,900円フリースも、お中元もお歳暮も、食品やら雑貨やらあらゆるものをネットで買っています。チラシ・カタログでの通販は一切無し。
 で、冒頭の問いかけに戻るのだが、希少商品を初めとした品揃えの豊富さ、メールで瞬時に注文できる手軽さ、この二点が大きいのではないかと思う。

 先日、地元のネット仲間と飲んだときに、何かの景品で「火鉢」をもらって困った、というような話が出た。火箸も、五徳も、その他火鉢を使うための道具がどこにも売ってないんだと。最初は、何を売っている店に行けばいいかもわからなかった。三日間悩んで閃いたんだそうです、「こういうときこそインターネットだ!!」って。検索サイトで調べたら一発。南部鉄の立派な道具一式がたったの三日で届いたそうです。
 この話は、なんでネットショッピングが楽しいか、には直接つながらないけど、可能性を考えるときネットショッピングの奥の深さと楽しさがヒシヒシを伝わってくるのです。

 ただし、迷惑なこともいろいろとある。メールなのですよ。ネットで買い物をしたお店は、必ずといって良いほどSPAMメールまがいのメールを送りつけてくる。これがものすごく迷惑。ネットショッピングのビジネス書などを見ると、リピーターや固定客をつかむために、メールマガジンを発行しましょうって必ず書いてある。律儀にも、みんなこれを守っているわけだ。
 もちろん、解除もできる。ネットショッピングを始めたばかりのころは、こまめに解除の手続きをしていたが、わざわざサイトにアクセスしてメールアドレスを打ち込んで送信…、これすら最近は面倒くさい。放っておいたらその手のメールが一日に平均して五通くらい来るようになってしまった。SPAMメールを含めると十通近くになる。堪らないのですよ。中には挨拶しか書いてないメールもあったりする。申し訳ないが、ネットショッピング後に勝手に送ってくるSPAMメールまがいに、必要有益なメールは一通もない。止めて欲しい。

 ところで、三月一日、わが町春日部のネット仲間が、東埼玉の地域密着型ショッピングモールをオープンした。その名も「千彩市場」。なかなか出だし好調のようでなによりです。場合によっては、お店から直接配達もしてもらえるネットショッピング。目の付け所がいいかもしれない。期待大。ネットはグローバルに広がるか、こじんまりと地域に密着するか、どちらかしかないのかも。

2001年3月1日(木) 大石英司vsYahoo!JAPAN 第二ラウンド

 二月一日のこの欄で書いた「康夫ちゃん観察記」にちょっと進展があった。

 ぼくは、二月一日にYahoo!JAPANへ登録の申請をしました。通常、二週間から三週間で登録されるのですが、未だにYahooから連絡はありません。ぼくだけでなく、かなりたくさんの方々が申請されたようですが、誰一人登録された人はいなかったようです。

 楽しみ、と書いた大石さんが次に打つ手は、個々でYahoo宛ての抗議メールを送ることと、ニュースサイト宛てに「言論弾圧ではないか」とのメールを送ること、だそうだ。
 大石さんのサイトを見てもらえればわかるのだが、訴訟も辞さない覚悟のようですね。ただし、ご本人はあまり乗り気ではないようですが。どうかな。

 それにしても微妙ですねぇ。Yahoo自体は、掲載権が自社にあると謳っていますから、誰もが了解の上で申請するわけですよね。となれば、掲載されなくても、Yahooには否は認められないのではないか?
 ところが、Yahooほどのポータルサイトならば、検索サイトとしてある程度の公共性が要求されるのではないか。何か意図があって、掲載しないのは言論の自由の侵害であろう、ということなのですね。

 これはもう、ガンガンやって欲しいですね。なぜならば、もし法廷に出ることになれば、今までベールに包まれていたYahooの掲載条件が白日の下に晒されるからです。密室で、勝手気ままに決められていた(と思われる)掲載決定には、いかなる条件が必要だったのか。なぜ、大石英司さんの「康夫ちゃん観察記」は掲載されなかったのか。理由はわかっていても、白日の下に晒すことに意義があるもんね。
 大石さんのお願いは、ちょっと嫌らしい面もあるんだけど、ペンで戦うしかないのだ。

 こうなったら、目一杯訴訟を期待しちゃいます。Yahooの横暴に泣く、全国数万数十万のサイトオーナーのためにも。きっと、大石さんの予想通りの結末を迎えるんだろうけど。え? そうは問屋が卸さない?