2001年2月28日(水) 小学生に電子辞書はいかが?

 わが家では電子辞書が大ブームだ。先日父親が出席した、ある業界団体のパーティの景品で、封を開くなり長男に与えたものである。辞書と言えば広辞苑しか思いつかない父は、はっきり言って電子辞書なんか使い物にならないだろうと、半分バカにしていたのでした。

 ところが、ところが、わが家の長男は大喜びで、ことあるごとに調べまくっている。普段は辞書なんか開いたこともないのに。色気づいた三年坊主は、最初、「また(股)、けつ(尻)、胸!!」 などと言って調べてはがっくりきていた。だって、「股」には、「胴から足が分かれるところ。二つに分かれるところ」とか書いてあるし、「胸」の項には「首と腹との間の前面の部分。心」とか説明してあるんだもんね。そういえば、父も調べた記憶がある、いろいろと…。

 収録されていない言葉が多くて、国語辞書として大人の使用には耐えないが、小学生程度なら十分に通用する代物だ。大人には、英和と和英もあるので、そちらならばかなり使えそう。
 因みに、国語辞典は、見出し語が約50,000語で、語義が約60,000語。同じく英和が47,500語の64,500語、和英が31,000語の31,000語。これに電卓までついている。

 前に、鈴木輝一郎さんのウェブサイトで、国語のテストみたいなサイトを紹介していたことがあった。表示される言葉を知っているか知らないかを答えるだけで、どれだけの言葉を知っているか判定されるわけ。大雑把で記憶が不確かだけど、一般人で45,000語くらい、作家で65,000語前後だったように記憶している。子供なら充分使えそうだよね。

 ぼくは、自分の机の下に広辞苑を置いて、ことあるごとに引きながら本を読んだり、こうして書き物をしたりしている。今一番欲しいのは、デジタル化された辞書ソフト。だってね、広辞苑の重さったらないのですよ。英和はまた別にあって、場合によってはあっちを引いたりこっちを引いたり。まったく使い難い。その点、電子辞書ならば検索一発。すごいもんです。

 子供のころは、辞書の引き方を丹念に教えられたものだが、こうして電子辞書に触れてみると、あんな重たい辞書は無くなって然るべきじゃないかと思う。高学年になれば、国語の時間には辞書を使うのだろうが、電子辞書なんか持たせたら顰蹙を買うかな? こんな便利なモノがあるのに、面倒くさい辞書を引く意味はまったくないのだ。だいたい、国語嫌いは辞書が原因の場合が多いんじゃないかな。辞書を引くのが面倒くさいとか。辞書を引けない子がいたよね。

 ただし、用例や用法が全然収録されていないのが問題。辞書のキモなんだよね、実は。語義も少ないかな。もちろん、これは単なる景品だから。要は完璧にデジタル化すればいいわけだから、子供・大人双方の使用に耐える、痒いところに手の届く辞書ソフトや電子辞書がきっとあるんでしょう。版権さえクリアされていれば。
 
 ともかく、時代はどんどん変わっていくわけで。電子辞書なんて、哀愁もなければ、擬人化もできなければ、重みもなければ引きちぎって食べることもできない。でも、そんなこととは別の次元で便利なモノは享受したいと思うのです。まあ、使い方次第ってことかな。

2001年2月27日(火) 生まれて初めてKIOSKで買った本

 生まれて初めて、KIOSKで本を買った。KIOSKの本といえば、どうしても色眼鏡で見る傾向が強い。愛欲のなんとかとか、ミステリ系でも「○○殺人事件」などという愛情の感じられないタイトルを冠された作品が多くて、内容は時刻表のトリックばっかりじゃないかとか。二時間ドラマにネタを与え続ける小説、決められた生産システムによって量産された小説のイメージが強いのだ。

 ランキン『死せる魂』がもうすぐ読了しそうなので、念のため、ブリジッド・オベール『鉄の薔薇』を持って家を出た。でも、ぼくが今一番読みたい本はこれじゃない。残念ながら、まだ入手できていないのですよ。あくまでも補欠。心の平安のための安全策。

 こういう時に限って、悪い予感は当たるものなのだ。案の定、ラスト間近で展開がスピーディになって俄然おもしろくなった『死せる魂』を、出勤の電車内で読み終えてしまった。平行して本が読めないぼくは、『鉄の薔薇』に手を出すことができない。じゃ、持って出なきゃ良いだろ! おっしゃる通り。でも、活字中毒者の習性なのですよ…。
 本好きならわかっていただけると思うけど、電車に乗った時に読むものの無いことほど落ちつかないことはない。視線が定まらなくなり、気がつけば中吊り広告なんかを丹念に読んでいたりする。時間がもったいない。こうしている間にも、昨日のうちに手に入れておけば、何ページも読めたのに…。

 着いた新宿駅で探しましたよ。ところが、駅にはろくな書店がない。もともと、最近は「マガジンショップ」や「コミックマーケット」に名前を変えた方が良さそうな書店が多いのに、駅の構内だから輪をかけてダメ。駅を出ても書店が営業している時間じゃない。今、手に入れなければ、昼休みは『鉄の薔薇』を読まねばならない。観念して、昼休みに書店へ行こうと決心しかけ、これが最後とワラにもすがる思いで覗いたKIOSKにそれがあったのですね(^-^)。

 喜ぶべきか、悲しむべきか。
 今なら、KIOSKに置いてあっても不思議はないのかもしれない。でも、シリーズ第一作が上梓された当時は、一部の通に受けただけで泣かず飛ばずだったのですよ。まさかKIOSKに置いていただけるようなシリーズになろうとは誰が想像しただろうか。
 シリーズ数えて八作目。吉川英治文学新人賞を受賞し、日本推理作家協会賞を受賞し、直木賞まで射止めたわが国最高のハードボイルド・シリーズの最新作。順番では、後に連載をスタートした方が先に単行本化されていて、そちらが八作目らしいから、今回は七作目になるとのこと。しかも嬉しいノヴェルズ。

 出だしから、とんでもない設定だ。展開もスピーディで目が離せない。問題の事件が多いに絡んでいるらしい。昨年出版された作品といい、今回の作品といい、作者はシリーズに何事か思うところがあるのかもしれない。

 こうして、ぼくはKIOSKで生まれて初めて本を買った。大沢在昌『灰夜 新宿鮫VII』をこうして手に入れたのである。
 …大げさだなぁ…(^^;;;)。

2001年2月26日(月) いつも話題の中心にいたい人。病気自慢。

 なんでもかんでも自分の話題へ引っ張る人がいるよね。困ったちゃんなのですよ。遠くの話題近くの話題、何でも横取りして自分の身内・知人の話へ引っ張る。こういう人に限っていかにも善人ふうで、親切を装っているから始末が悪い。いかにもアンタの悩みを聞いてあげるって態度で、いつのまにか自分の話題へ転換している。いつのまにか、その方が話題の中心になって、聞きたくも無い身内の話を聞く羽目になるわけ。
 客先の重要人物だったり、社内でも年配の方に多いから、下手に無視するわけにもいかない。最近、やっと見破られないテクニックが身についたお追従笑いを浮かべて相槌を打っているわけです。やなヤツ>ぢぶん…。

 結局、寂しがり屋なのか、それとも自分の経験や身近に照らし合わせないと物事を考えられない人なのか。単に幸せ自慢ならわかりやすいんだけど、病気や事故の話題までも自分に引っ張らないと気がすまないらしいから不思議だ。
 彼(彼女)が、病気や事故の話題を自分へ引っ張って行ったときは相槌を打つのが難しい。話を聞いて同情して欲しいだけだから、水呑み鳥みたいに頷いていればいい、と思えばそうばっかりでもないのだ。そう思わない? なんて言われて下手に同意しようもんなら急に場の雰囲気が悪くなったりする。話の持っていき方によって、肯定を求める場合も否定を求める場合もあるから、いい加減に聞いていると痛い目をみる。

 中でも一番嫌なのが、自分を含めた身内の病気自慢ですね。痛風で入院したあと、このパターンが多かった。痛風に限らず、病気経験者が寄ってくるわけ。炎症を表すCRP(うろ覚えなので違うかもしれませんm(__)m)と呼ばれる値だとか尿酸値だとか。挙句、血圧だの血糖値だのGOTだのGPTだの、わけのわからん方向へ意地の張り合いが続いて弱ったことがあった。

 しかし、なんで人間トシ取ると病気自慢をしたくなるんでしょ? 
 「オレなんか、血糖値がこんだけあって、血圧がこんなに高いのに、仕事も休まず頑張ってるんだ。(すごいだろ!)」 なのかな? 「アナタの病気なんて、アタクシに比べればたいしたことないのよ。アタクシをご覧なさい。(甘ったれるんじゃない!)」 ってことなのかな。ホントに病気で弱っている人は、絶対にこんな話はしないから、たぶん、そういうことなんでしょう。

2001年2月24日(土) 『天空の城 ラピュタ』〜「飛行石」に引っかかる

 金曜の夜、10時過ぎにテレビをつけたらやってた。宮崎駿さんが監督した作品は全てLDかビデオで持っているので、別に目新しいんじゃないけど、テレビで放映された『天空の城 ラピュタ』は驚くほど映像が美しくて思わず見とれていた。そうか、ダビングしたビデオでしか見たことがなかったからか。
 まもなく自室で寝ているはずの長男が起き出して来た。「途中だけど、観る?」 テレビの前に腰を下ろしたので尋ねるとこっくりと頷く。たぶん、11時半ころまでだと思うから起きてられないんじゃないかな。煽ったわけじゃないけど、こんなセリフが彼の自尊心を刺激する。夜更かしの二番目の記録になる、と大はしゃぎだ。一番は昨年の大晦日だそうだ。

 途中からなので、ここまでの経過を説明するが、「飛行石」の説明にとまどってしまう。「なんで、その石は空を飛べるの?」 納得できないらしい。ガチガチのSFというわけではないけど、少しはそんな要素があるわけです。冒険活劇ファンタジー。たぶん、SF小説ならば、科学的にあーだこーだと説明を加えて、「飛行石」が空を飛べる原理に真実味を与えるんでしょう。『天空の城 ラピュタ』ではそんなことをする必要も無いし、「古代から存在する不思議な鉱物」のような説明で物語に差し障りがあるとも思えない。ちょっとはそんなアプローチがあれば物語の厚みが増したかもしれないけど。

 「世界中の鉱物はまだ掘り尽くされて、調べ尽くされてないんだよ。地球上のどこかにそんな石があるかも知れないんだ。今は発見されていないけどね。いつか発見されるかも知れない「飛行石」がずっと前に発見されていたんだど思って物語を楽しもうよ」
 この程度の説明しかできない情けない父だが、子供の疑問も当然でしょう。大人は、こんなもんフィクションだからという暗黙の了解があって、それでもその題材の扱い方で作者の製作姿勢や執筆姿勢を見極めようとしたりする。子供はもっとストレートなのね。乱暴な言い方をすれば、物語について帰納法的理解に終始してしまう。演繹法的理解は、騙されているというか言いくるめられているような気がしてしまうらしい。それでも、何度もそういうもんだ、と父に言われて納得して、最終的にはかなり興奮して見終えてましたね。わが小三の長男坊は、シータを守るパズーに痛く感動したらしい。もうちょっと年齢が上なら、シータに恋しちゃうのかな(^^;;;)。

 それにしても、「風にはためくスカート」だなぁ。宮崎アニメの象徴。
 改めて観ると、かなり大時代的でC調で大げさなセリフが多用されていることに気がつく。特に、ムスカのセリフ。結構目に付いて、考え込んでしまった。当然意図したものでしょう。ムスカにしろ将軍にしろパズーにしろシータにしろ、複雑さを思いっきり削ぎ落として解りやすい人物を作り上げるとこんなセリフが出てくるんでしょうね。大人には物足りないけど、忘れかけた古き良き冒険活劇を意識した製作姿勢は、別の意味のファンタジーも誘うのだ。
 絵作りも凄い。パズーが、塔からシータを助け出すカットなんてアニメならでは。

 ほのかな恋があって、痛みがあって、主人公の成長もあり、大冒険もありの極上のエンターテイメントだ。製作から15年経っても、全く色あせることはない。この作品だけでなく、宮崎アニメは遠い未来まで語り継がれて欲しい。

2001年2月23日(金) 自閉症児酷似の「パニック」に怯える

 昨晩は、ずいぶんと久しぶりに次男坊がパニックを起こして大騒ぎだった。幸い自閉症の可能性は低いと、長く自閉症児らに接してきた保健婦さんに言われ、次男坊自身も少ないながらも言葉が出てきたりと若干安心し始めていた矢先だったので、夫婦そろってかなりのショック状態である。
 パニック。まさにパニックなのだ。何が彼の気に障ったのかさっぱりわからない。いきなりギャーッとわめきはじめ、延々二十分間続いたのだ。

 パニックを起こしたのは、間の悪いことに洗面所兼脱衣場の近く。で、そのまま洗面所へまっしぐら。洗面所には洗濯機やら、タオルかけやら、洗濯物置き場やら、次男の踏み台やらいろんな物が置いてある。
 狭い洗面所で、地団太を踏むように足を踏み鳴らしていたかと思うと、急に小さな円を描くように走り出して暴れるのだ。もちろん、頭をぶつけたら痛い、とかそんな意識はない。身体を抑えつけると、赤ん坊とは思えない力で海老のように身体を反らせる。泣き声は断末魔のようだ。父親が駆けつけたときには既に何度も頭をぶつけてしまったあと。
 普段からは想像もつかない形相で泣き叫んで海老反る次男を抱きかかえて、リビングに連れ戻し、泣き止むまでずっと抱きしめていた。

 一月から、市の保険センター主催の親子教室に通い始めている。やはり、次男と同じように、一歳六ヶ月検診くらいのときに親が不安を訴えた子供ばかりらしい。月に二回開催され既に三回通っている。
 何をするかというと、模倣させたり、指差しの練習をさせたり、お遊戯のようなことをさせたり。自閉症児は、模倣もできないし、指差しもできないのだ。結局、指差しや模倣ができないから、言葉を覚えられない。自閉症児の言葉や行動はオウム返しなのである。
 ベテランの保健婦さんから、「100%自閉症ではない」とのお墨付きをもらってはいるが、相変わらず壁際を横目で歩く癖や多動が目立ち、未だに名前を呼ばれても返事ができない。みんなで一箇所に集まって、お遊戯のようなことをしているときに、彼は延々と壁際を横目で歩き続けているらしい。彼の頭の中で、一体何が起こっているんだろうか。何が起こっていないんだろうか。

 二十分間泣き叫んだあと、彼のパニックは次第に終息していった。あとを引かないのである。収まれば、泣きじゃくることもなく、ケロリと普段の状態に戻るのだ。普段通りの愛想抜群の次男坊に。
 さて、四月十四日、母親と同じ日に生まれた次男は二歳になる。指差しも模倣もできるので以前ほど心配はしていない。でも、言葉だけはオウム返しに近いかも…。言葉なんだよね。言葉が増えてくれば心配ないんだけど…。

2001年2月22日(木) 敢えて「チョコ」の意味。ゴルフ。

 時期外れのバレンタインじゃなくて。「チョコ」ってね、賭け金一単位の隠語なのですよ。「握る」と称して、いろいろと賭けゴルフが行われるわけ。モリさんが、チョコ好きで実際にチョコが動くわけではないのです。
 ぼくはゴルフ嫌いなので詳しくないんだけど、別に目くじら立てるようなことじゃないと思いますよ。マスコミに向かって「チョコ」って連発する不用意さと見識の無さが問題なのだな。ゴルフをやる人は、ほとんどの人が「チョコを握る」んだからという甘い認識が不用意な発言につながった。っていうかこの人、最初から公人としての意識に欠けている人なのね。最近はこの傾向が強くて、もう彼の頭の中で、何かが切れてしまったような印象すらある。

 別に知ってても知らなくてもどうでも良いんだけど、あるウェブで勘違いしている文章を見かけたもんだから。若い人は知らないよねぇ。「チョコ」って麻薬の隠語でもあるな。ハシシ。
 ところで、語源はなんでしょ? ここで薀蓄を傾けられないのが情けない。ギャンブルは嫌いだし、ゴルフはもっと嫌いだから。あ、雑学の範疇か。え? 朝、みのもんたが説明してたって? ゴルフ場には茶店が二軒くらいあって、お金じゃ直截すぎるからチョコでも買ってやろうよ、が語源だって…。あ、そういうことなのか。大したこと無かったな。

 ゴルフは、複数の知り合いから薦められているけど手を出したいとは思わない。乱開発自然破壊だとか、接待ゴルフのお愛想が嫌だとか、ハイソ趣味だとか。あれだけ広い場所を莫大な金をかけて開発しなきゃできないスポーツなんて。
 ゴルフを薦める人の話はたいてい決まってる。
 「朝が清々しくてものすごく気持ち良いいんだ。見渡す限りの美しいグリーンに自分たちしかいないんだよ。静かでさ。時々、鳥の鳴き声とかして最高なのよ。たまには自然に触れなくちゃ。それに、一日10kmくらいは歩くから健康にも良いしね。クラブハウスで飲むビールは最高だよ!」 締めの言葉は 「ゴルフくらいできなくちゃ、社会人として云々」 大きなお世話。

 残念ながら、痛風患者にとって運動のあとのビールは最悪なのです。それに、朝の清々しさなら、山歩きで充分に味わってます。ゴルフ場みたいな箱庭じゃなくて、手つかずの自然の音をバックに。雨上りの、あの清々しさ。靄が切れて、曇天から青空が覗く瞬間のあの喜び。川の水のあの清冽さは、ゴルフ場のビールなんて目じゃないですよ。
 真相は何にでものめり込む自分の性格を知り尽くしているからだったりして…。
 痛風の後遺症で、山には行けそうもない。一生ダメかも。残念。

2001年2月21日(水) 「青葉台」というチープな発想

 近くで某不動産会社が立て続けに売り出しをしている。終焉期とはいえ、バブルマンションに手を出してしまったわが家では一戸建て住宅は話題にすら上がらない。そりゃ、欲しいけど、冷静に考えれば無理でしょ? カミさんに言い続けた結果である。…のはずなのだが、何を思ったかカミさんが一戸建て住宅ののチラシを並べて見入っているじゃないの。

 触らぬ神にたたりなし、と思いつつも、あまりに思いつめた顔が気になってつい弁解したくなるのが情けない。「あと、ローンを10年払い続けて、その間に500万くらい貯めて、じゃなければ、実家のじーさんに田んぼを10枚くらい売ってもらうか…。景気がバーンと良くなって、地価が上がれば、出来ないこともないと思うけど…」 自分に言い聞かせるように。ところが、そうじゃないんだと。なんでも、友だちが売り出しをはしごして途中で寄った置き土産らしい。でも、羨ましいよなぁ、その人たちは両方とも公務員なの? 最近、公務員コンプレックスが激しいぼくは俄かに腹が立ってきた。ところが、そういうことでもないんだと。じゃあ、何なんだよ!!

 「名前」が気になるらしい。え? 何の名前? 彼女は、三枚のチラシを並べて説明をはじめた。売り出しをしている現場の名前が気になってしょうがないらしいのだ。チラシを見せてもらうと、蓮田、越谷、岩槻(全てわが町のお隣)の一戸建てで、その全てが「青葉台」である。いわく、越谷青葉台、蓮田青葉台、岩槻青葉台…。売主を見たら、ありゃりゃみんな同じ会社じゃないの…。
 「青葉台」って横浜で名を馳せたんだよね。重松清の小説に出てきそうなニュータウン。高台に立つ青葉繁れる新しい街−そういうイメージなんだろうけど、あまりにチープでいい加減で時代遅れで無節操な濫用に呆れてしまった。何が「青葉台」だよ。埼玉のここらへんはどこでも青葉なんだよ。んでもって、真っ平らで「台」なんてないのだ。大ウソつき。

 売主はよく聞く会社だけど、こんなネーミングひとつとっても長くなさそうだ。愛情が感じられない。もっとも、マンションの名前だっていい加減だもんな。シャトーなんとかっていうから、よっぽど凄いのかと思ったら、アパートに毛の生えたような安っぽい作りだったり。ああ、マンションは嫌だ。結局そこに行き着くのね…。

2001年2月20日(火) やっぱり縦書きがいいなぁ…

 なんだか締まりがないなぁ。「▼」を使う方が締まって見えますよね。でも「▼」は段落頭に使える記号じゃない。項目1、項目2なら問題無いんだけど。ぼくは「▼」が好きで、使うことによってデザイン的になんとなく締まりがでるような気がするのと、HTMLでは段落頭の一マスが微妙にずれてしまってとても気持ちが悪いので、読みにくいことを承知で『「▼」段落頭ダラダラ書き』に拘っていました。でも、弁解の余地の無い読みにくさは、ほとんど犯罪的でありましたね。にもかかわらず、読んでくださっていたみなさん、たいへん申し訳ありませんでした。
 というわけで、今日から「▼」をはずして書くことにしました。しかし、締まりがないなぁ。自分的には試行錯誤の末、数日前までの『「▼」段落頭ダラダラ書き』に落ち着いたつもりだったんだけど、もっともっと試行錯誤が必要のようですね。

 ネット文章の体裁にはみなさん工夫されておられるようだ。それだけ、ディスプレイの文字が読みにくいってことでしょうか。加えて、ぼくは横書きがダメかもしれない。今の子供たちは、教科書に横書きのテキストが載っているくらいだから違和感が無いのかもしれないけど。それにしても、ウェブの文章を読むのは辛い。文字間隔がきつ過ぎ、しかも、印刷物の整然と並んだ縦書き文字に慣れているので、各文字が縦横に微妙にズレた横書きはものすごい違和感なのだ。もともと読みにくいディスプレイの文字が更に読みにくくなる。その上せっかく左端で揃えても右端ではガタガタで美しさのかけらもない。これが一番許せない。
 ともかく、これからいろいろ試行錯誤してみます。いずれにしろ光った文字は、加齢性遠視が近いおぢには毒なのは間違いないのだが。

2001年2月19日(月) 改正JAS法は矛盾だらけ?

 実家の父に送るために、土曜のこの欄で書いた「新潟県魚沼産コシヒカリ」の激安販売を更に調べると、明らかに出所が同じと思われる類似サイトがいくつも出てきた。沖縄、福岡、広島…。正真正銘「魚沼産コシヒカリ」100%なら問題ないんですけどね。
 この前は、地元生産者や農協がブランドを守る努力をしていない、と書いたが、今年の4月1日付けで、JAS法(農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律)が改正されて、JAS法適用されないと「魚沼産コシヒカリ」と表示できないとか、他にも産地・産年の表示ができなくなるらしい。本格適用は7月から。
 ただし、いろいろ調べてみると、かなり矛盾を含んだ改正のようだ。あるウェブサイトから引用させてもらうと 「現在,義務となっている認証・確認制度は廃止され,任意制度になるということです。第三者機関に中身と表示の一致を証明してもらう行為は,業者の自由なのです。しかし,一方で,JAS法では,中身の表示はすべての販売者に対して,義務化されます。つまり,これまで,表示義務のない者,つまり表示できない未登録販売業者も,4月以降は,中身の表示をする義務が生じ,しかも,その中身を第三者機関によって証明する義務はなくなるわけです。この矛盾により,施行後,精米表示について,今以上に混乱することが予想されます」 
 つまり根本からの改革ではないわけだ。罰則は強化されて、罰金が50万円だとか書いてあったけど、違反した罰金がたったの50万円?! しかも第三者機関の証明が義務ではないから、勝手に適用を受けたようなことを謳って表示したことがバレても、50万円払えば放免されるわけですね。これについても上記のウェブでは危機感を持っていて 「もちろん,罰則については,これまで以上に厳しくなるわけですが,中身と表示の一致を担保する制度ではなくなったため,不当表示による異常に安いコメの販売が,増加する懸念もあるのです」 
 だよねぇ。今までは、米は認証・確認を受けた上で、食料事務所の巡回指導を受けるという二重チェックになっていたんだと。それが、認証・確認が任意になったから、巡回指導だけになってしまう。二重チェックでも、あれだけの不当表示が横行していたのに…。う〜ん、前途多難だなぁ…。

2001年2月17日(土) 「新潟県魚沼産コシヒカリ」の嘆き。詐欺では?

 うちの実家は、知る人ぞ知る「新潟県魚沼産コシヒカリ」の生産農家である。自他共に認める、お米の最高ブランドである「魚沼産コシヒカリ」は、デパートなどでは10kg一万円などという値札がつけられ、それでもお米大好きの方々に売れているという。ところが、贋物が多いのだ。そのへんの米店で売っている「魚沼産コシヒカリ」は、必ずといっていいほど混ぜ物がしてある。これは農協はじめ流通ルートの問題や、地元生産者の怠慢もあって、なかなか解決されない大問題なのである。
 ところで、「魚沼産コシヒカリ」はどう定義されているのか。「魚沼」とは昔から新潟県にある一地方のこと。今地名として残っているのは、北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡の三郡。地域的には、湯沢町、塩沢町、大和町などの南魚沼と、小出町、堀之内町などの北魚沼、津南町などの中魚沼。この三郡産のお米に、昔は三郡だったが、後に他市に合併されたところなどを加えた地域(具体的には、小千谷市と十日町市)で生産されたコシヒカリが「魚沼産コシヒカリ」なのだ。中でも最高品は塩沢町産かな。テレビなどでよく取り上げられる「魚沼産コシヒカリ」の生産地は南魚沼郡が多い。魚沼の中でもまずいコシヒカリは存在する。本当にうまい「魚沼コシヒカリ」の総生産量は、実家の父によれば、7万トン程度とか。とても粘り気が強く、噛むほどに甘味が出て、おかずなしでも味わえるとてもうまい米なのである。

 さて、先日帰宅したぼくにカミさんがあるチラシを見せた。「新米の無料宅配」と大きく書いてあるA4チラシで、よく見れば「新潟県魚沼産コシヒカリ」の販売チラシである。へえぇ、自由化でこんなこともするようになったのか、とチラシを読んで見ると、これがどうもおかしい。
 チラシの宣伝文に「こだわりの四要素」とある。「その1 清津川沿いには、工場・民家がない為、純粋な川の水を用いることができます。大部分が多雪による伏水(湧き水)です」とあって、「今回お試しいただくお米は、新潟県南魚沼産のグレードの高い〜(以下略)」とあるのだ。地元の人ならば、南魚沼に清津川が流れていないことは誰でも知っている。この米は南魚沼に存在しない川によって育まれた米なのだ。
 「10kg当店通常価格10,000円を、半額4,950円」 これが価格の二重表示。電話番号を見てさらにびっくり。宮城県? なんで宮城県が「魚沼産コシヒカリ」なの? 生産者の名前もなければ、米店の名前らしきものも無い。疑念が頂点に達したぼくは、すかさず実家の父に電話した。
 父親の嘆くこと。冒頭に述べた理由で、正真正銘本物の「魚沼産コシヒカリ」100%は、滅多に消費者の口に入らないのだ。ところが、店頭では「魚沼産コシヒカリ」の名前で売られている。混ぜ物(他種のお米)がしてあるから、100%よりも格段に味が落ちるのに、ブランド名は「魚沼産コシヒカリ」だ。食べた人はどう思うか? 確かに他の米よりちょっとはうまいけど、たいしたことないな、なのである。結果、「魚沼産コシヒカリ」のブランド名は堕ちるばかりなのである。
 確かに市場での売れ行きが違うのだ。「魚沼産コシヒカリ」とつければ売れる。もっとひどい例を言えば、どこの誰が生産したとも知れない低級米を勝手に「魚沼産コシヒカリ」と詐称して売っても、取締りは緩々でなかなか摘発されないのだ。こんな事件は過去に何度か聞いたことがある方もいるはず。地元生産者の怠慢に他ならない。地元でも動きはあるようだが、なかなか妙策がないのが実情のようである。

 この欄で書いてやろうと思って、ネットでいろいろ調べてみた。したら、ひとめでチラシと同じ出所とわかるウェブサイトにぶつかった。 ここね→http://page.freett.com/FUKUMEILTO/kome.htm チラシと宣伝文(リード文章)が一字一句違わず同じなのだ。そのウェブを読んで更にびっくり。「お米の取次ぎ店募集中!! 1年後には月収約200万円。年収で1,300万円に大変身!!」だって。これ、どっかでみた詐欺の手口と一緒じゃないか。
 確かに、複雑な流通経路を経てしまえば、本当に「魚沼産コシヒカリ」であるかどうかの判定は難しい。しかし、ちゃんと調べればわかるのだ。ぼくが騒いだもんだから、地元では、今回の米を買って調べるそうだ。本物はうまいよ。今年も、本物の「新潟県魚沼産コシヒカリ」プレゼントしましょうかね。

2001年2月16日(金) ネットで読書感想を書くということ

 「ぼく的楽天生活」は読書感想のサイトです。最近は、こちらの欄(Good Day To Die)にも力を入れ始めていますが、特別に文章修行をしたわけではないですし、書く感想も一読者の域を出ていません。
 言うまでもなくインターネットはインタラクティブなメディアであり、意思さえあれば誰でも閲覧できるものです。作家や出版関係者の方々がご覧になることもあるでしょう。ありがたくも、ぼくの書いた感想をご覧になった作者ご本人からメールを頂戴したこともあります。
 このサイトを始めたときに、特別なものを除いて読んだ本の感想は全部書こうと決めました。本の感想を書くという作業も、自己表現の一種ですのでそれなりに苦痛を伴います。それとは意味が違ってきますが、作者ご本人から自作を薦められた場合や知己の作家の感想には、悩むことが少なくありません。問題は期待はずれだったときなのですね。
 いかに薦められたからとは言え、その本を選んで読んだのは自分ですから「金返せ!」とは思いません。自分の責任で読んだのですから。ですが、感想を書くときに作者が読むことを前提にした感想、もう一歩踏み込んで言うなら、その作家のファンが読むことを前提にした感想は書くことができません。知己の場合、当然作者の存在はちらつきますが、できるだけ切り捨てて書くようにしています。阿って書いたところで、どちらにも益がないですから。
 その本を買い求め、時間を割いて読むのですから、どの本にも思い入れがあります。最初から期待しないで読む本はありません。作品への期待と読後感の落差があればあるほど、こき下ろす傾向が強いんです。期待が大きければ大きいほど辛辣になってしまいます。一読者の意見として見過ごそうが、腹を立てようが作者の自由ですが、読者には自由に感想を言う権利がありますよね。
 以前、ニフティのぼくのフォーラムで、メンバーのひとりがこき下ろした感想に、作者本人からとても品位の低いRESがついて大騒ぎになったことがありました。硬骨漢揃いのフォーラムメンバーから論客があれよあれよと名乗り出て、その作家は集中砲火を浴びて撃沈してしまいましたが。
 話がそれましたが、ぼくらはこうして、自分の感想を露出させています。これはある意味、作家の方々と似た状況にあると思うのです。毎日の日記も含めて、批評の対象になって当然です。
 以前、ある作家のファンが、こき下ろしたぼくの感想を読んで、腹立ちまぎれに掲示板で荒らしのようなことをしたことがありました。「感想の感想」を持つのは当然ですから、わからなくもないですが、どうか、逸る気持ちを抑えてぼくの感想の穴を攻めてください(^^;;;。
 坂眞さんの作家として最高の紳士的態度と、あるやりとりに触発されて柄にもないことを書き連ねてしまいました。ここまで読んでくれた方に感謝します。

2001年2月15日(木) 「100円ショップ」は不況の象徴

 そういえば、雑貨屋さんって見かけなくなりましたね。だいたい「雑貨」って何だ? 困ったときの広辞苑によれば、「雑多の貨物。また、こまごまとした日用品」 つまりなんでも売っている店ってことかな。コンビニエンスストア? 村に一軒しか無いお店って印象が強いので、都会に住んでいて雑貨屋に行く人なんていませんよね。
 先日、近所に大きめのスーパーがオープンして押すな押すなの大盛況だった。敷地内には建物が三棟あって、二棟にはそれぞれ、酒類のディスカウントストアと、処方箋OKのでかい薬局が入っている。どれもこれも田舎臭くて垢抜けないんだけどね。
 メインのスーパーは、入り口に狭い衣料品売り場があって、奥が食料品。たこ焼き屋まである。全体の印象がセコセコして、どうも落ち着かない。そのスーパーには二階まである。だが、不況の煽りか、店舗スペースの6割程度しか埋まっていない。その6割を占めるのが、最近あちこちで大評判(らしい)の100円ショップなのだ。ダイソーの社長は、経営者向けの雑誌でも良く見かけますね。近所のスーパーにはいくつも入っているが、あれだけの店舗面積を持つダイソーははじめて見た。なんでも「ファミリーダイソー」と呼んで区別しているらしい。
 100円ショップなんて、良くも悪くも時代の産物で、それに群がる心根がなんとなく好きになれなくて敬遠していた。で、初めて、100円ショップというところを散策してみたのです。なんのことはない、あれって「雑貨屋」じゃないですか? それもほとんど必要の無いものばっかり。バラエティ商品っていうのかな。
 もちろん、必需品もたくさんあるけど、大部分がアホらしい、「雑貨」と呼ぶのさえはばかられるような商品ばかり。だって、日用品じゃないんだもの、ほとんどが。ただし、必需品はよくできていて、あれが100円なら他所の物はバカ高に見えるのは間違いない。深刻だなぁ、わが日本の経済。ホントのホントに末期状態なんだな、と思いましたね、マジで。

2001年2月14日(水) 自動車は欠陥商品じゃないの?

 取引会社の運転手が脇見運転の乗用車に追突され、両足切断、骨盤骨折その他の重体で、生死の境を彷徨っている。なんでも相手は免許取立てらしく、衝突直前に慌てふためいて、ブレーキとアクセルを踏み間違えたんだと…。哀れ運転手は、トラックの後ろで荷降ろしの真っ最中に、アクセルを踏んだタコ車に猛スピードで衝突されてしまったのだ。
 免許を持っていないぼくには理解できないのだが、なんでブレーキとアクセルのペダルは隣あっているの? 解せない。カミさんに聞くと、ブレーキとアクセルを踏み間違える事故は多いんだってねぇ。長い間研究されて、そういう構造になったんだろうから、それなりの理由があるんだろうけど、こんな事実ひとつを取っても、車は完成された乗り物とは到底思えないのだ。
 アメリカ産の乗り物らしく、実にマッチョな発展を遂げてきたよね、自動車。もっと速く、もっと力強く、で安全面がずっと捨て置かれていた。衝突安全ボディが実用化に向けて動き出したときに、ある自動車会社の社長が「これで交通事故死が何人減る?」って聞いたとか聞かないとか。トップも認める欠陥商品ってことかな。
 警察にしても、詐欺まがいの違反を取るくらいで、交通事故には抜本的な対策はなんにもとっていない。詳しく調べたわけではないけど、少なくともそのように見える。慌ててブレーキとアクセルを間違えて踏むようなヤツに免許上げちゃう方に責任の一端があるような気もする。繁栄と発展の象徴である車も、そろそろ根本的に見直す時期に来てるんじゃないのかな。

2001年2月13日(火) 誰か教えて! 良い歯医者さんの見分け方

▼昨日は地元春日部の歯科医院へ行って、激痛の元である、新宿の歯科医院で2/9(金)に入れた義歯を外してもらった。麻酔をかけての処置だったけど、脳天を突き抜ける痛みで意識が途切れるほど。一時間近い処置の後、とりあえず次回を予約し、消炎剤を9回分もらって帰宅した。意気消沈。ずっと寝てた。 ▼で、今日行ってきたのですよ、今まで治療してくれた新宿の歯科医院へ。淡々と経過を説明して、こういう場合はどうなるのか自分の意見を言い、先生には弁解してもらった。まあ、当然ではあるけれど、謝罪の意味の言葉は一切吐きませんね。こちらは治療のやり直しなのだから、ある程度は無料でやるのが道義的に適っているのではないか、と主張したわけです。 ▼同じ部位の義歯は、半年経たないと同じ歯科医師からの保険請求はできないんだそうだ。結局、最低半年はもつ義歯を作れ、ってことなんですね。それ以内に壊れるような義歯は、診断ミスか、保険請求増額のための故意と思われるんだそうだ。「ぼくの場合は、診断ミスですねぇ」と笑顔で言ったら、苦笑していたけど、謝罪はしない。結果的に、かなりの部分が無料診療するしか手がないらしい。非は認めないが、責任をもって治療すると言ってくれた。当たり前やね。 ▼先日も書いているけど、その歯科医師とは長い付き合いなのです。できれば、変えたくない。でも、一度堕ちた信頼は簡単には回復しない。どっちにしろ、自分次第なのだな。しばらく考えさせてくれ、と言い残して会社に戻った。さあ、どうするか。地元春日部の歯科医院の次回予約は明日の夜だ。約一日の猶予しかない。どうしたらいいのかなぁ。

2001年2月12日(月) カウンターで春を感じる

▼相変わらずの歯痛で、苦しみ悶えております。さすがに我慢できず、昨日、土日やってる地元の歯科を探して行ったら午後休診だって(ノ_・。)。今日、これから行くつもり。カミさんに言わせれば、「治療して痛くなったんだから、治療した歯医者に行ってタダで直してもらくべき」 わからなくもないけど、世の中そんなに甘くないでしょ? それに、明日はめちゃくちゃな忙しさが予想されるのだ。近所の歯科で抜いてもらうか、治療した歯科に駆け込むか、先を考える余裕がでてきたので迷ってはいるんだけど…。金額云々よりも何よりも腹立たしいので、一回は行ってみますが。どうしようか…。 ▼昨晩は熱まで出る始末。37.7度程度だけど。バッファリンなんか全然効かない。悶え苦しんだ挙句、試しに、封印しておいた痛風の痛み止め=非ステロイド系抗炎症剤を飲んだら、ピタリと痛みが止まって眠れた。でも、効果は3時間程度。すかさず、二錠目を飲んだけど、その薬(ハイペン)はもう無いんだよね。やっぱ、地元の歯科に行くか。 ▼せっかくの好天の三連休がこんなことでつぶれてしまい、子どもたちには悪いことをした。結構暖かいよね。風も無いし。みんなそろそろ冬にはうんざりしているようで、冬眠状態が続いていたぼくの別ウェブ「公園へ行こう!」が昨日一昨日と70〜80ヒットしてた。出かけたいよねぇ。二月の初旬までは20ヒット/1日がいいところだったのだから、みなさんの気持ちがヒシヒシと伝わってきます。春を感じる出来事っていろいろあるんだろうけど、ぼくの場合はウェブのカウンターで春を感じたわけ。つま先までどっぷりネットワーカーだわな。さ、歯医者行くか…。

2001年2月10日(土) 開業歯科医は最先端設備と賃貸料で堕落するのか?

▼長らく忘れていた歯痛で七転八倒している。昨日歯科で処置を終えたばかりの歯なので、納得できない痛みである。ハラワタが煮えくり返っている。 ▼1月中旬に、十数年前に入れた義歯がはずれそうになったので、かかりつけの歯科に駆け込んだ。はずれたのは右下奥歯。二本の欠損を挟んで両側の歯を支柱にしてブリッジをかけた、都合四本の義歯である。 ▼歯科では、最奥がはずれているので新しい義歯を入れなおすしかないとのこと。古い義歯を取り除いて土台を刺し直し、約一ヶ月かかって、昨日やっと新しい歯が入ったのだ。  ▼治療中から、痛みの前兆はあった。問題の最奥歯を削っているとき、一度だけ強烈な痛みが走ったことがある。歯科医に言うも、問題無い痛みだから気にしないで、って。神経も抜いてあるし。医師の言う通り、痛みは徐々に引いていったが、全くなくなったわけではなかった。 ▼その歯科では、レーザー治療と呼ばれる治療法を採用していて、行く度に問題の歯にレーザーをあてる。目に悪いというので、未来的な形をしたゴーグルをかけて。なんでも歯質を硬くするのが目的とか。ところが、その処置をするたびに、一度引いた痛みが増してしまうのだ。先生に訴えましたよ。でも、返ってくるのは、「そんなはずはないんですけどねぇ…、だんだん良くなりますよ」 ▼6年くらい前から通っている歯科だ。会えば、冗談を言うような知己である。以前は、歯科と同名の名前のついた年季の入ったビルでのんびり開業していた。治療の説明もよくしてくれるし、無駄な(患者から見て納得できない)治療は一切しない良心的な歯科だと思っていたから通っていたのですよ。レーザー治療なんていうのもしなかったし。決してきれいな診察室ではなかったけれど、歯科医は自前の建物でやっているところに限るって思ったもんです。それが、なぜか、つい最近移転してしまったのだ。 ▼新しい医院は、明るい内装で見違えるほどきれい。壁掛けテレビが何台もセットされ、治療室の隣には「院長室」と書かれた扉も見え、最新式のレントゲン設備や、疑念のレーザー治療を備えた、先端の歯科医院に生まれ変わっていたのだ。同時に、一回当たりの治療費も以前に倍する金額になった。 ▼ここでも、経済原則なのだな。歯科医は、最先端設備と賃貸料で堕落するのか…。不信感を抱えたまま通い続け、結果この痛みである。眠れない。痛み止めを飲んで、これを書いているが、薬が切れれば元の木阿弥。もし、せっかく入れた歯を全部取り除いて治療しなおすとなれば、今までかかった時間とお金が全てパーになるのか…。数万円かかっているのですよ…(ノ_・。)。情けない。やっぱり、「自前の建物で開業している歯科医に限る」のだ。

2001年2月9日(金) ウェブサイトに見る「燃え尽き症候群」

 「燃え尽き症候群」 あるウェブによれば、「仕事没頭型人間が、課せられた仕事に誠心誠意打ち込み、目標を達成した途端、目標を失うと共に力が尽きてしまうこと」と定義していました。登山と似ているそうです。違うな、これは山登りをしたことがない方の意見ですね。

 登山とは似て非なるもの。山頂で力尽きてしまったら、あとは死あるのみですよ。登るときよりも降りの方が事故が起こりやすいんですから。降りの方が事故が起こりやすいのは、「燃え尽き」ている場合が多いのも理由の一つではあるんだけど、通常は降りの方が膝にかかる負担が大きいからなのだ。頂上では登りの苦労が報われ、最高の爽快感が味わえます。降りは気が重いのは否定しないけど…。

 別のウェブの定義によれば、『自分に与えられた仕事や勉強に意欲を持ち、目標に向かって努力することは、私たちが社会生活を送る上で大きな意義を感じさせてくれます。しかし、その努力も限度を超えると、私たちの健康に重大な弊害を及ぼす危険性を含んでいます。目標に向かって寝食を忘れて仕事や勉強を続けるうちに、こころもからだも過剰なストレスに耐えきれなくなり、心身の変調を来します。この状態を「燃え尽き症候群」と名付けていますが、「疲弊性うつ病」という「うつ病・うつ状態」の一種で治療が必要な状態と考えられます』(要約) 

 頻繁に足を運んでいた方のウェブが突然閉められいた、などという経験は誰でも一度はあるでしょう。中には燃え尽きた人がかなりいらっしゃるんでしょうね。えげつないほど積極的に宣伝しまくって、定期的にメルマガまで発行してかなりの読者を得ていたのに、ある日突然謎の謝罪文を残してネットから消えた人とか。

 ウェブ運営はこれに陥りやすいのかな。「燃え尽き症候群」の一般的な対処法を見ると、「仕事を忘れて趣味や運動など自分の好きなことに時間を割きましょう」なんて書いてある。ウェブの場合は元々好きなことをやっているんだから処置無しかも。マイペースでやるしかないなぁ。

 ぼくの場合は、仕事の方でちょっと危険な状態が続いています。今のところめちゃくちゃな忙しさで心身ともに疲れ果てているのよ。って、ネットに割く時間を増やす口実でしかないような…。
 ところで、引用元を明示しなくちゃダメかな? 引っかかるか…。

2001年2月8日(木) クルマ好きは「マニア」で、パソコン好きは「オタク」?

▼ぼくはクルマの免許を持っていない。こう言うと、誰もが一様に動物園で身動きしないライオンでも見るような目つきになる。「いまどき、珍しいですねぇ」 。そうかなぁ、ぼくはクルマみたいな野蛮で危険な乗り物に血道を上げる方が理解できないんだけど。免許を取りたいと思ったことは生まれて40年、未だかつて一度もない。 ▼一部ではクルマ好きが男らしさの象徴であるかのような誤解があって、20歳代のころは嫌な思い出ばかりだ。「クルマは人殺しの道具である」 これが当時のぼくの持論で、友だちのであろうとタクシーであろうと絶対に乗ることはなかった。珍しくないよね? ▼どうしてこんな話から始まったかというと、仕事も一段落した午後に取引先の社長がやってきて、最近ヘルプで来てもらっている女子社員も交えて話し込んだのだ。息子がビスタで自動車整備士をやっているとか。偶然、ヘルプの彼女のご主人がネッツでやっぱり自動車整備士をしているとかで、同系列もあって愚痴やら何やらで大いに盛り上がったのだ。 ▼共通しているのは、極度の自動車マニアであるということ。クルマを改造し、油まみれになっていじり倒す。最近のクルマはコンピューター制御でいじる所が少ないからと、わざわざ古い中古車を買っていじり倒しているんだと。狭い部屋のあちこちに油染みた部品が所狭しと置かれ、満足に掃除機もかけられないんですよぉ、とこぼす彼女の言葉が決して愚痴に聞こえないぼくは歪んでいるのかな。 ▼女性には評判がよろしいんですよね、自動車マニア。不思議なのが、どれほどクルマに入れあげても決して「クルマオタク」と呼ばれないこと。極めた者には「マニア」と呼ばれる称号がついてまわる。その上、女性たちは自分の彼氏・夫のクルマ好きについて愚痴をこぼしているように見えて、実は自慢しているのですよ。男の玩具と認めて、しかもそれを愛でている。結婚したらお金が絡むからそう簡単ではないだろうけど…。 ▼パソコンならどうだろうか。極める者へ贈られる蔑称ともつかない称号は「オタク」である。「マニア」もあるが、「オタク」が有利な状況は変わらない。パソコンは決して人を殺さないし、他人に迷惑をかけることもないのですよ。万が一、部品を買ってきて組み立てる、などと口を滑らそうもんなら、生ごみでも見るような目つきで口ごもる。貞操の危機だと言わんばかりに身を硬くされてしまうのだ。これは差別以外の何物でもないでしょ? ▼話がそれてしまった。午後の二人はしばらく盛り上がったあと、「ぼくさんは何に乗っているんですか?」 話の輪にも加わらず、黙って「インターネット基礎の基礎」を読みふけるぼくに水を向けてきた。親切心だと思うけど、クルマの話は苦痛でしかない。いちいち説明するのが面倒なので「Athlonの1.1GHzマシンだよ」と言ったら怪訝そうな顔をしていた。性格悪>自分。 ▼最近では利便性に負けて、カミさんのクルマに乗ることが多いのであまり突っ張ったことは言えないが、基本的な考え方は未だに変わらない。現状程度のクルマなんか無くなればいい。ついでに携帯電話も、ね。

2001年2月7日(水) 肝心なことが伝わってこない「マイライン」

▼肝心なことはさっぱり伝わって来ないと思いませんか? 連呼するだけの「マイライン」報道。革命的なことだとの説明は的を得ていると思うし、新電電側が言うように、申し込みをしない人が一律でNTTグループに登録されてしまうのは、圧倒的にNTTに有利な条件ではあるだろう。曰く、「選挙で無投票・棄権の票を自動的に『自民党支持』票とみなすのと同じで、決して同条件の競争ではない」 おっしゃる通りでしょう。 ▼だけど、現時点では選びようが無いのが実情なのだ。「マイライン」が適正な競争を促す、などとお題目を唱えたところで、ぼくらネットワーカーはいかにして電話料金を安く上げるか、つまり長電話を安く上げるか、しか眼中にないのだ。だいたい、市内通話割引などのサービスのほとんどがネットワーカー向けでしょ?  ▼ネットワーカーなら誰でも知っているサービス。例えば、NTTには「タイムプラス」とか「テレホーダイ」とか「iプラン」「ケンタくん」などの割引サービスがあるが、市内通話各社の割引サービスが全然伝わってこないのだ。ここが肝心なのに。メディアの報道もひどいもんで、一分8.8円だの8.7円だのの目クソ鼻クソの報道ばかりで、肝心なサービス内容については全く教えてくれない。 ▼東京通信ネットワークだの日本テレコムだのKDDIだので直接調べれば良いんだよ、との意見はごもっともであるけれど、そんなこと調べる人がどれだけいるのかな。ぼくは怠惰も手伝ってなかなか調べる気になれない。こういう事柄こそメディアにフォローして欲しいんだけど。 ▼例えば、日本テレコムには「オフィスタイム」「ファミリータイム」「スーパーファミリータイム」とあってそれぞれ料金が違うとか、東京電話インターネットに加入するとどうなるとか。KDDIの「だんぜんトークIIDX」「まる得割引ライト」はNTTと比較してどうなんだとか…。ネットワーカーに有用な報道が欲しいのですよ。企業だって、インターネット当たり前なんだから条件は同じでしょう。ともかく、メディアの「マイライン」取り扱いには疑問だらけなのだ。 ▼現時点では、市外通話にはメリットがありそうだけど、市内通話にはあまりメリットが無さそうに見えるんだけど、どうでしょうか? 反骨精神だけは旺盛なぼくとしては、冒頭の選挙で云々の状況が気になるから、なんとかしようとは思ってます。でも、はっきり言ってわけがわからん。もしかしたら、割引サービスを啓蒙しちゃったら、NTT有利が歴然としているからかな。

2001年2月6日(火) 「おっとう」 と呼んでくれ!

▼言葉の発達が遅れて、両親をやきもきさせている一歳九ヶ月の次男坊に、ちょっとずつだが言葉らしきものが出てきた。バナナのことを「バーバー」とか、ハンバーガーのことを「バーアー」という程度のものだけど、親バカ父はとても喜んでます。 ▼はっきりと言える言葉もチラホラ。一番最初にはっきりと言えるようになったのは、「バイバイ」。これは彼の発音通りに記述すると「バァッバァーイ」。次が「オワリ」で、同じく「オワイー」。なんだかなぁ…。「バイバイ」はわかるけど、次が「オワリ」って…(-.-;)。 ▼じっとビデオを見ている。エンドマークが近づくと必ずこう呟くわけです。「バァッバァーイ、オワイー」 さすがに、出勤前に手を振りながら「バァッバァーイ、オワイー」と言われて送り出されたときはショックだった…(-.-;) ▼「ママ」「パパ」ってね、ものすごく恥ずかしいのですよ。出かけた先で、若い女性の「パパぁー」とか呼ぶ声がする。振り向くと禿げ上がったおぢがニコニコしていたりする。ホントに父親なのかよ、と考えるのはぼくが三文駄ドラマに毒されているだけで、それはそれで良いのだけれど、ぼくには堪えられないのです。それに、あれって幼児語でしょ? いい年をした男女が「パパ」でもないもんだ。恥を知れ!! ってわけで、わが家では「ママ」「パパ」厳禁。子供が発音しやすいのは認めるけどね。 ▼では、なんと呼ばせているか。母親は「お母さん」、父親は第一希望が「おっとう」で第二希望が「とーちゃん」だった。これはカミさんの猛攻にあってあえなく頓挫。仕方なく無難な「お父さん」に落ち着いている。「おっとう」が一番相応しいのに…。 ▼最初の子は「ママ」「パパ」と呼ばせてた。でも、この言葉に秘められた甘さというか無節操というか幼児性に堪えられなくて、子供に呼ばれても苦痛でしかなかったのです。背中がむずかゆい。柄じゃないんですよ。三歳になったころ、強制的に「お母さん」「お父さん」に呼び名変更させた。 ▼カミさんは、「ママ」「パパ」OK。たかが、言葉くらいに何を拘ってるの? ってなもんですが、次男が生まれて両親の呼び名を決めるとき、ぼくは強硬に主張させてもらいました。長男が「お母さん」「お父さん」だし絶対おかしい、で納得させたわけ。 ▼次男の言葉が遅れて、じゃあ呼びやすいものに変更しようか、などと日和見案も出たけどこれだけは譲れない。それどころか、カミさんには内緒である計画が進行中だ。風呂に入ったときやパソコンの前など次男と二人きりのとき、自分を指差して「お・っ・と・う」と毎日こっそり教えているのだ。絶対に、「おかあさん」より先に教え込んでやる!!

2001年2月5日(月) うつ病で入院、って珍しいこと?

▼隠す傾向にあるから珍しく見えるのかな? うつ病で入院することって、そんなに珍しいことじゃないと思うんだけど…。最近、知り合いがひとり、うつ病で入院した。周囲は一様に眉を潜めて、腫れ物にでも触るようである。自律神経失調症で、強迫神経症で、躁鬱病気味で、10年前に過敏性大腸で入院したときにグループ療法を薦められたぼくはひとごととは思えない。 ▼未だ偏見があるのですねぇ。人間の精神なんて簡単に壊れますよ。簡単なことでストンと落ちる。中でもうつ病なんて、一番かかりやすい精神疾患じゃないのかな。なんで親に相談しなかったとか、相談できる友だちがいなかったんだろうとか、そんな問題ではないのだ。余計なことを言わず、周囲は受容してやらなくちゃ。 ▼今はね、良い薬があるのですよ。薬物療法で結構簡単に直ってしまうのですよ。…なのに会社を辞めるという。本人が強硬に言い張っているらしいから、どうしようもないと思うけど、会社を辞める必要なんて全然ない。 ▼彼女が何を恐れているか。それはもう、うつ病で入院したという事実が会社に広まったであろう推測と、そこから類推される復帰したあとの視線。もちろん、会社に迷惑をかけるからということもあるんだろうけど、前者の理由が大半だと思う。受容されない自分。これは多分に過剰反応なんだけど、どこかにそういう空気があるのも否定できないかな。セクハラまがいの激励が罷り通っている世の中ですからね。 ▼アメリカあたりの小説を読んでいると、セラピーを受けるとか受けないとか頻繁に出てくる。そういう意味では進んでいるのかな。まあ、過剰な面が多々あるから、あんまり褒められた状況とも思えないけど。でも、社会全体が、身体障害者も含めて弱者を受容する空気に欠けているような気がしてしまうのですよ。まず第一歩は理解なのだが。

2001年2月4日(日) クタバレ、上田正樹!

▼絶対勘違いしてるな、上田正樹。珍しく見たテレビで腹の立つこと立つこと。朝の「題名のない音楽会21」である。正月来、20世紀の名曲30曲が選ばれ、順次演奏されている。こんな企画はどうでもよろしいが、「イマジン」だ。「イマジン」を歌う上田正樹に腹が立ったのだ。 ▼ほう、上田正樹が「イマジン」を歌う…。いやあ、期待しましたよ。『ぼちぼちいこか』のころからファンのキー坊が、名曲「イマジン」を歌うんだもんね。どれだけ魂に染み入る歌を歌ってくれるか、って。ここで覚えておいておかなくてはならないのが、選ばれたのは楽曲としての「イマジン」であるということ。ジョン・レノンが歌うことは不可能なのだから、歌い手は誰でもよろしいのだ。上田正樹よ、アンタが選ばれたんじゃない。だから、我を殺さなくてはならないのだ。 ▼オーケストラをバックに、上田正樹の歌が流れてきて耳を疑った。なんだ、この「イマジン」は!! ほとんど原型を留めていないじゃないか。そりゃアンタは、ブルースの歌い手で、自分の音楽に誇りがあるんだろう。でも、あんな風に勝手に名曲を変えるんじゃない!! 誰もアンタがブルース風にアレンジした「イマジン」が聞きたくてチャンネルを合わせたんじゃないし、わざわざ足を運んだわけでもない。なんで我を殺せない。 ▼結局、テレビ局のミスかもな。カミさんに言わせれば、「何よいまさら。いつも、この人こうじゃない」。そうだったっけ? それにしてもあの美しいメロディーラインが、傲岸不遜な上田正樹によってメチャクチャにされた「イマジン」を聴かされることは犯罪にも等しい。上田正樹が主賓のゲストで、たまたま「イマジン」を歌ったのならわかるが、全く逆の状況なのだ。主賓は「イマジン」の楽曲そのものなのだ。上田正樹よ、恥を知れ!! クタバレ、上田正樹! 

2001年2月3日(土) 人類は進化する反調和である 『イティハーサ』

▼『樹魔・伝説』のころから感じていたが、水樹和佳子さんは、とっくのとうに少女マンガの枠からはみ出していたのだ。旧態依然とした感覚しか持たない編集子に不当に切り捨てられ、連載打ち切りという最悪の事態に陥る。ところが見る人が見ればこんなすごい作品はない。周囲が放っておかない。良識に支えられ、本の最終形態である文庫化がハヤカワからなされる。まあ、「ぶ〜け」じゃあね、こんな物語に反応する読者は少ないんでしょう。作品中に見られる、いかにも少女マンガ然としたお約束のカットが痛い。 ▼世界とは何か、神とは何か、人間とは何か、幸福とは、宗教とは、自由とは。人類共通の疑問符がこの物語のテーマ。超古代を舞台に、「目に見える神」の善神・亞神と悪神・威神の対立を骨子に描かれ、「目に見えぬ神」が絡む。亞神と威神の対立は、「人間の幸福」を哲学する。「目に見える神」と「目に見えぬ神」の対立とも呼べない対立は、世界のあるべき姿を模索する。 ▼13年の長きに渡って思索を重ねてきた作者の到達点は、たんなる通過点にも見えてしまう。その先に何があるのか。ぼくみたいな読者は興味をそそられると思うんだけど。単なる「魔法使い」を神と崇める人間たちは、ある意味滑稽でもあるのだが、ここに人間の真実もあり、世界の現状もあって笑うに笑えない。「神は一神にあらず」 東洋的な神の意味と捉えて良いのかな? 西洋の神学と真っ向から対立する、この命題にもっと肉付けが欲しかった。う〜ん、作者の言う新宇宙を物語にしたところで、物語として成立しにくいのはわかっているんだけど。 ▼「人類は進化する反調和である」 ゾクゾクするね。人間は自然を乱し、破壊し、殺し合い、そりゃもう神々からみればどうしようもない存在でしょう。じゃあ、なぜ神は人間を造り賜うたか。壮大な実験であるならば、ここに至ってもまだ結論が出せていないのか。でも、反調和こそ人間の特質であるからね。固有の物語があるのだ。 ▼固有の物語といえば、最終巻、ふたつの奇跡に涙が止まらなかった。人間が反調和である背景には、「愛」があるんじゃないかとすら思ってしまうのだ。まさに「両刃の剣」であるね。いやあ、豆腐頭には示唆に富みすぎて刺激的過ぎた。もう一度読む必要があるなぁ。

2001年2月2日(金) 金権病院でワラにもすがる

▼痛風発作から、三ヶ月半、今日が数えて108日目。左足首は未だに完治していない。もちろん、痛風発作じゃなくて、過度の発作によって軟骨が磨耗して、更にもう一箇所くるぶしに原因不明の炎症があるんだそうです。疲れてくると、未だに左足を軽く引きずる…。 ▼消炎剤を服用し続けている利点は風邪を引かないことくらいかな。喉に痛みが走っても、薬のお陰ですぐに治ってしまう。そのくせ、足にはまったく効いていないみたい。いやいや、効いていないと思っていただけか。先日、通院したときに消炎剤を減らしてもらったら、急に痛みが増したように感じてしまったから。怖いな、薬漬け。 ▼結局、ぼくの場合は完全なる病院選択ミスでしょうね。入院中の包帯が象徴的だったなぁ。湿布で2本、添木の固定で2本の包帯を使っていたんだけど、この4本を回診やら湿布替えやら、とにかく何かある度にドンドン新しいのと取り替えるのです。多いときは一日に2回も。終いには、看護婦さんに訴えましたよ、「傷があるわけじゃなんだから、そんなに替える必要ないんじゃない?」って。やな患者だ(^^;;;。中には解っている看護婦さんもいて、使いまわしてくれるんだけど、教育が徹底しているのか、そういう看護婦さんは少数派だったな。 ▼通院するようになってからも、バカ高い薬を一週間おきに二週間ずつ処方したり、わけのわからんバカ高検査ばかりやって、症状を改善するために何をするわけでもない。だから一向に改善されない。多少の改善は、これは自然治癒だよ。もう最悪の金権病院だったのかもしれない。 ▼それに整形外科ね。西洋医学の中でも、整形外科は最悪なんじゃないかな。なんでもかんでも「ハイ、レントゲン!」「骨には異常ありませんね」って。バカの一つ覚えみたいにさ。やれ痛み止めだ、消炎剤だ、筋肉を柔らかくする薬だって。根本的な治療じゃないんだもんね。 ▼少なくともレントゲンで異常が見当たらなければ直しようがないわけですよ。無為無策。腱鞘炎で通院したときも同じだった。何かといえば注射…。だから、針だの整体だのカイロプラクティックだのマッサージだの、保険の利かない治療に頼る人が多いのだ。これほどに治療術が乱立している科目は他に見当たらないでしょ? ▼病院に行ってレントゲンを撮る。患部も見ないで悪くないと言われる。痛いのに。医師にそう言われれば、なんとなく自分が悪いような気になってしまう。萎縮する患者、医師の独壇場。彼らは治せないからそう言うのだ。現実は、この手の痛みに悩んでいる人はものすごく多いのに。え? おばあちゃんたちは違う? そうだよなぁ、開き直って医者に食って掛かるくらいじゃなきゃダメなんだよね…。さ、明日は通院だ。

2001年2月1日(木) 大石英司vsYahoo!JAPAN 第一ラウンド

▼著作はたったの2作しか読んでいないが、運営するウェブサイトに足繁く通い、土日以外は更新される日記を楽しみに読んでいるADV系作家がいる。表題の通り、ネットでは武闘派(^^;;;で通っている大石英司さんである。今更なんだけど、めっちゃおもしろいのですよ。ぼくの場合、これを読まねば日も暮れない。 ▼例えば、先日茨城県で起こった事件に対するコメント。ご記憶の方も多いであろう、51歳の息子を78歳の老母ら一家5人で撲殺した事件なのだが、「あっぱれ!」のひとことでコメント始まっているんだもんね。日頃から素行が悪く一向に改善の余地がない51歳。こう処理するしかないだって…。 ▼ところで、大石さんは昨年12月から、田中康夫長野県知事の言動を監視する趣旨のウェブ「康夫ちゃん観察記」を自らのウェブ内に置いている。メディアに露出した田中知事の言動だけでなく、メディアの取り扱い具合まで含めて痛烈に批評するウェブなのね。 ▼今朝覗いたら、「康夫ちゃん観察記」の冒頭に、Yahoo!JAPANに掲載を拒否された、との一文があった。折に触れ、ぼくはYahoo!JAPANの批判を書いているので大層興味をそそられた。正直言って、この掲載拒否はちょっと驚き。 ▼因みに、大石さん自身のサイトは、自身のカテゴリを含めて三つのディレクトリに掲載されている。ご自身の「芸術と人文 > 人文 > 文学 > ジャンル > ミステリ > 作家 > 大石英司」の他に、「コンピュータとインターネット > ネットワークと通信 > 一般的な情報」と「趣味とスポーツ > スカイスポーツと飛行機 > 飛行機」この二つってのが、さすがオタク作家の面目躍如ですね。 ▼こりゃ、Yahoo!は筋金入りだな。何がって、権力擦り寄り姿勢が、ですよ。二番煎じのサイトは載せない傾向にあるとはよく聞くが、類似サイトは一切無し、どころか田中康夫長野県知事を批判的な目で見るわが国唯一のサイトでしょ? 拒否される理由はまったく見当たらない。ったくYahoo!ってば、野放しのオークションで詐欺には加担する癖に、こういうところはしっかり監視してんだもんね。お笑いだよ。 ▼さて、泣き寝入りしない大石さんがどういう手に出るか、ものすごく興味がある。とりあえず、「検索サイトへの登録にご協力願います」とあったので、ぼくも「康夫ちゃん観察記」を登録申請した。 ▼さあ、長野カテゴリの下のあらゆるカテゴリにかなりの申請があるだろうから(たぶん…?)、Yahoo!JAPANがどう出るか。大石さんには悪いが、これは楽しみだなぁ。無視されるようなら、大石さんは次にどういう手を打つのでしょう? 今からワクワクしちゃうな(^_^)。