2000年11月27日(月) 自閉症? まさか……

▼昨日のこの欄で並べた歴史上の人物たちには、大半の方が予想した通りの共通項がありました。答えを書くのも気恥ずかしいくらいですが、全員が痛風患者だったのですね。痛風も捨てたもんじゃないかな。 ▼左足首はおかげさまで(何のためらいもなく「おかげさまで」なんて書けちゃうんだな、これが…(^_^)順調な快復ぶりを見せております。指折り数えてみれば、発作から今日で41日。まだ足首が完全に曲がらないし、違和感もあるし、若干の痛みもあるし、夕方になるとうっ血して腫れるものの、普通に歩くにはほとんど支障がなくなった。時間が解決してくれるでしょう、きっと。しかし、長い発作であります。 ▼自分が少し調子良くなってきたもんで、心配性のぼくの悩みは既に別のところへ移っている。目下、最大の悩みの種は一歳七ヶ月の次男なのだ。まったく言葉を発しないのですよ。 ▼言葉を発しない以外にも、彼にはおかしな行動癖がある。例えば外にでたとき。彼はどこであろうと、じっとするということを知らないのだ。離した瞬間にサーッと何処かへ歩き去る。それも壁際を…。肩が触れるか触れないかくらいが好みなようで、時折肩口に目をやりながら、とにかく壁伝いにどこまででも歩き続けるのだ。スーパーでは陳列棚伝いに歩き回る。次に好きなのが、冷凍食品などが陳列されている、高さ一メートルくらいの蓋なしの平らな冷蔵庫。その回りをグルグルと、飽きることなく歩き回る。 ▼悩みはじめれば際限なく心配になるもの。一番恐れているのは自閉症などの障害です。暇にまかせて、育児関係から自閉症に至るまで、ネットで調べまくっている。一〜二歳ころの自閉症児の行動例を見ると、該当するところもあれば、明らかに違うこともある。とても素人には判断できるようなものではありません。調べれば調べるほどま悩みは深まる生殺し状態。 ▼カミさんに話しても、これがほとんど心配していないのですね。「自閉症なら先天性の障害だから直らないんでしょ? じゃ、しょうがないじゃない。二歳まで様子を見るように言われたから、心配してもしょうがないわよ」おっしゃる通りでございます…。やっぱ概ね男の方が心配症なのだね。 ▼先日の一歳六ヶ月児検診で、言葉の発達は個人差がかなりあるから、二歳まで様子をみるように言われたのだ。それでも言葉が出ないようなら、育児相談センターに相談してみるようにと。さいわい、意思の疎通も少しはできるようだし、表情が豊かで視線も合わせることができるので杞憂だとは思うのだが…。 ▼こうして、ネットで自閉症児の親たちのウェブを見て回ってみると、自閉症に対する偏見の根強さがわかる。どのウェブでも、必ず表紙ページあたりに書いてあるのだ。 ▼ぼくのウェブからリンクさせていただいている、「歩いて行こう!」から引用させてもらうと、『「自閉症」とは、脳の情報処理が混乱しているため、人間生活における会話や行動に支障をきたしている生れつきの脳障害のことです。一般的に「無口な人」や「引っ込み思案の人」などといった内向的な性格のことをいうのではありません。「うつ病」、「ノイローゼ」や「心身症」といった心の病気でもありません。病気や怪我によるものではありませんから、直ることもありません。あるタレントが「私、昔は自閉症だったんです。」などと言っていますが、これは全くの嘘です。昔自閉症であったなら、今でも自閉症のはずですし、今自閉症でないならば、昔も自閉症ではなかったはずです。こうした人のように「自閉症」の意味をよく理解せずに使用している人達が非常に多いのが事実です』 ▼良い機会だから理解し、受容に努めなければね。もちろん、育て方が悪かったわけでもありません。誤解はダメですよ。

2000年11月26日(日) アレクサンダー大王、ニュートン、ダーウィン、ゲーテ……

▼朝から家族が騒々しい。次男が毎日繰り返し見ているビデオが映らなくなったんだと。テープなら安いからいいじゃないか、笑って話したらデッキ…。それから一時間近くかけて、故障したのはデッキなのかAVアンプなのかテレビなのかを検証する。犯人はやっぱりビデオデッキ…。まったくなんという年だ。 ▼ファンヒーター、テレビ、電子レン ジ、パソコン、 ビデオデッキ…。何のリストかといえば、この一年で壊れた電気製品を壊れた順に並べたリストである。こんなに壊れていたのだ…。12年、11年、11年、2年、7年、それぞれを使った年数を列記するとこうなる。パソコンが輝いているなぁ。カミさんが怒るわけだ。 ▼さて、実はこの故障リストはひとつ抜けている。パソコンとビデオデッキの間、つまり2年と7年の間に「40年」が入るのだ。当然、ここに入るのはぼくの左足であります。 ▼次いでにリストをもうひとつ。アレクサンダー大王、フビライ・ハン、ルイ14世、ニュートン、ミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ルター、カール大帝、フランシス・ベーコン、ダーウィン、ベンジャミン・フランクリン、チャーチル、ゲーテ、スタンダール、モーパッサン…etc。古今東西の名だたる政治家、科学者、作家、芸術家、哲学者がズラリと名前を連ねたが、これはいったい何のリストでしょうか? せっかくだからクイズにしようかな。正解は明日にでも。

2000年11月25日(土) PC復活!

▼早朝、Gatewayのステータスチェック(注文品の現在の状態がウェブで確認できるのだ)を見たら、ぼくのパソコンは出荷済みになっているじゃないの! え? 今日届く?? 昨日発送したのなら、今日届くのかな? でも、出荷元の地域にもよるよね。九州から昨日送ったのならまだ届かないでしょ? おまけに紀伊國屋BookWebから、こちらも発送のメールが届いている。 ▼今日は、子供のビデオを予約して、クルマのオイル交換をして、親戚関係に遅い「快気祝い」を贈って、子供の学用品を買って、自分のあれやこれやを買って……。とにかく急いで出かけなくちゃ。しかし、家族はいつまで待っても起きてこない。起きてもノロノロと一向に協力の意思を示してくれない。特にカミさんがね…(^^;;;)。 ▼ディーラーでオイル交換を終えた時には、すでに12時半過ぎ。「近くにユニー系の大きなショッピングセンターができたのよ」 カミさんに言われるまま、クルマで20分ほどのショッピングセンターへ出かけ、腹も減ったのでそのまま食事。移動途中、次男坊が眠ってしまったので、カミさんとクルマで次男番をしながら時間差で食事だ。 ▼「快気祝い」を贈り終えたときはすでに2時近く。もう届いているだろうなぁ…。父親の権限を思いっきり発動して、その後の予定をすべてキャンセルして帰宅した。予想通り、ドアにはGatewayと紀伊國屋の不在連絡票が挟んであった。ところで、クロネコヤマトって、紀伊國屋と同じウェブ商売をはじめたから、紀伊國屋とは縁が切れたんじゃなかったっけ? でも、今回の本はクロネコヤマトが運んできたんだよね。どーでもいいか…。 ▼パソコンは3時近くに届いた。カミさんらが寝ていた午前のうちに、机の上を整理してあったのでスムーズに設置が進む。筐体を開けて、旧パソコンから外してあった3.2Gの年代物HDをメインHDのスレーブに繋いで電源投入。あれれ…、Winのインストール画面になってしまう。Winのプリインストールマシンだから、電源投入後にはWin(Me)のセットアップ画面が出てこなくちゃおかしいのだ。迷わずサポートに電話。「およそ45秒で10円かかります」とのアナウンス。その後の説明が長いんだよね。こうやって課金させるのか。 ▼サポートの人の話ではBIOSも問題なさそうなので、原因はスレーブにつないだ3.2GのHDだろうとのことなので、外して電源を投入したらあっけなく起動。しかし、あの3.2Gには大切なバックアップが入っているのに…。全部だめってことか…(;_;)ウウウ。もうひとつ、旧パソコンから抜いてあったISAのSCSIボードは、MBにISAバスがないため使いまわしできず…。MOはUSBへの変換ケーブルを買って接続しよう。 ▼毎度のことだが、パソコンは自分が作業しやすい環境を構築するのが一番大変なのだ。ぼくはとりあえずLANを組んであるので、新マシンには真っ先にLANの設定を行う。次いで、インターネット&メール。メールの移行はMicrosoftのウェブで方法を確認。前にやったときよりも簡単になっている。しかも、OutLookExpress5.0はメールの保存場所が選べるようになっているのね。ちょっとは進歩したかもしれない。その後は、ファイラーやエディタなどの必需ソフトを次々とインストール。手元にない場合は全部ダウンロードした。 ▼この時点ですでに6時近く。食事後は、プリンターをインストールするも、ここで重大問題が発覚。エプソンのプリンタに付属していた最重要ソフトが見当たらないのだ。ドライバはインストールできたから問題ないのだが、このソフトがないと気に入った印刷ができないのだ。どうしても見つからない。しょうがないので、エプソンに電話して買うしかないか…。その後も次々と問題が発覚。Photoshopが見当たらない。あのソフトは…、このソフトは…。みんな自分の整理が悪いからなのね。 ▼深夜になって、ニフティの接続設定を行う。接続ソフトはAir Craft。これは手元にないので、窓の杜からDLした。久しぶりにニフティに接続して我がFADVを巡回。懐かしい名前がゾロゾロ。あっちにも復帰しなくてはね。 ▼まだ大きな作業がたくさん残っている。一番は、年賀状ソフトのインストールと住所データの入力。それと家計簿をどうするか。三年つけたんだから、復活させたい。さて、ソフトは変えようかどうしようか…。USB変換ケーブルも買わなくちゃならないので、日曜日にパソコンショップめぐりをしなくてはね。 ▼日曜日は難しいかな。カミさんと長男が熱っぽいとか、次男が寝る前に珍しく吐いたとか…、蔓延する風邪にみんなやられたようだから。公園にも行きたいなぁ。今シーズン最後かもしれない。時間が足りないよ。……とりあえず、足の不具合を忘れた一日でありました。

2000年11月24日(金) ウェブをはじめて三年目になった

▼このウェブを始めたのは、1998年の11月23日でした。そうなんです。「ぼく的楽天生活」は、昨日めでたく満二周年を迎えたのでした。ご覧のような拙いウェブではありますが、足繁く通ってくださっている方もあるようで、感謝に堪えません。この場を借りてお礼申し上げます。 ▼Good day to die(日記)は毎日更新を自らに課しておりました、入院までは…。退院後は更新が滞りがちになっておりますが、決してウェブに対する意欲が減退しているわけではありません。原因は、病気を含めたぼくを取り巻く環境にあるのです。 ▼ぼくは何故ウェブをやっているか。はっきり言っちゃえば、ウェブの形を借りて日常の憂さを晴らしているわけです。憂さ晴らしを皆さんに読ませているなんて、ぼくはとんでもないヤツでありますが、それはそれ、少しは読み物として成立するように気を使っているつもりなのでお許しを。え? 反映されてない……(涙) ▼ところが、この憂さ晴らしには時間的な余裕に加えて気力体力の余裕がかなり必要になります。今のところぼくは、毎日会社に通って仕事をこなし、自宅に帰っては子供たちの相手をし、その上でカミさんを労って、たまに読んだ本の感想を書くことで手一杯の状態なのです。夕方になると足が腫れ上がる、痛みが出てくる。現状と先行きの不安で、毎日悶々としている中でこれらをやるだけでも息切れがしています。 ▼書きたいことはたくさんあります。が、いざパソコンに向かうと痛風に関する話題へ指が動いてしまう。例えば、病院への不満あるいは不信感、痛風への薀蓄、不安がストレートに出てしまった愚痴…。さすがに、そんなものを皆さんの目に晒すのは気が引けています。 ▼自分の心情の吐露を覆う普遍的な何かが欠けているのです。ぼくにとって今回の病気入院はあまりにショックで、俯瞰できないのです。日記なんだからそれでいいじゃないか、そう言ってくれる方もいらっしゃいますが、自分の気持ちとは折り合いがつけられません。というわけで、しばらくこんな状態が続くと思われます。どうかお許しを。…それでも、二日に一回くらいは更新したいなあ…。

2000年11月18日(土) 魚はなんのために生きているの?

▼ニ週間に一度の通院の日だ。時間帯による混み具合が把握できているので、9時ちょっと前に来院して、それほど待たずに診察してもらうことができた。 ▼とにかく主治医に訴えたっすよ。1.一ヶ月を経て、未だに完治しないが本当に痛風か? 2.これほど長い間完治しないのは慢性化したからではないか? 3.初期の投薬に間違いはなかったか? 4.どこの関節が発作を起こしたのか? ぼくは病院を間違えたとはっきり思っていたので、思いっきり訴えました。 ▼主治医は人の良さそうな整形外科の部長で丁寧に答えてくれました。とにかくぼくの発作は稀に見る痛風の大発作だったのだそうだ。慢性化の疑いもあるという。3.については、初診は別の医師だから、はっきりした答えを言わなかったが、たぶんぼくの胃弱のせいでしょう。 ▼退院後に図書館から借りた痛風本によれば、医師は痛風の発作を確認すると、非ステロイド系抗炎症剤を処方するのだが、この服用の仕方にかなりの特徴があるのだ。まず、三錠服用する。直らなければ三時間おいて更に三錠。更に三時間後に三錠服用。つまり六時間で九錠も服用するのだ。それでも直らない人はそれから24時間おいて、同じ服用方法で九錠を飲むのだ。 ▼この方法が、二冊借りた痛風本に両方とも載っていた。この投薬方法で大抵の痛風発作は終息するという。ところが、胃の弱い人には問題があるのだ。ぼくの場合は胃潰瘍・十二指腸潰瘍を何度もやっているから…。そういえば、痛風の人は胃なんてまったく問題無い人が多い、って書いてあったな…。デリカシーの無いヤツの病気なのかね。 ▼しかし、その投薬をされていたらどうなったか。少なくとも入院してからは観察ができるのだから試して欲しかった、っていうか本人に確認して欲しかった。まさか知らなかったとか…。今も、ボルタレンという非ステロイド系抗炎症剤のせい(たぶん)で、一日のかなりの時間、胃がしくしくと痛い。ダメだったかな。 ▼診察のあと、再度レントゲン検査と血液検査をする。レントゲン検査では足首の関節の軟骨が磨耗していることがわかる。血液検査では、尿酸値が6.4まで下がっていることを確認した。最後に、コルヒチンという薬の処方をお願いしたが、やんわりと断られる。この薬は痛風初期に強力な効果があるらしいのだ。急激な尿酸値の低下は尿酸の結晶化を促すことが多い。つまり、ザイロリックなどの尿酸値を下げる薬の服用を初めて一ヶ月から二ヶ月の間に発作を起こす人が多いのはこのためなのだ。もう会社は休めないもんね。 ▼下痢をするとか髪の毛が抜けるとか副作用がかなりあるからと、コルヒチンは処方してもらえなかったが、非ステロイド系抗炎症剤は、ボルタレンからハイペンに変わった。もうひとつ、ウラリット−Uという薬が出された。ウラリットは尿や血液の酸性度を改善する薬。痛風にどんな効果があるかは聞きわすれた。 ▼こうして、昼過ぎまでかかって帰宅。ひたすらに待つという作業は疲れる。長男の帰宅を待って昼食にしたが、疲れた精神に知りたがりの長男坊主が追い討ちをかけてきた。おかずの魚をつつきながらこんなことを言ったのだ。「魚はなんのために生きているの? 人間に食べられるため?」 更に彼はこう続けた。「人間はなんで生きているの?」 ……それがわかれば苦労はないのだよ。

2000年11月15日(水) カミさんのパンツだって洗って干せるぞ、堂々と

▼買っちゃいました、GatewayのAthlon搭載マシン。CPUは1.2GHzが品薄で12月末まで納品できないそうなので1.1GHzにした。クラッシュ以来、入院を挟んで約二ヶ月かかっての決断。少しは心の余裕が出てきたってことでしょうか。慢性的に余裕の無い資金繰りと、未だ全快しない足のことは考えないことにして…。パソコンやインターネットに無関心なカミさんは一応納得してますが、納得というよりもサジを投げていると言った方が正解かも。 ▼唐突だが、この前の日曜日、彼女がユニクロで例の1,900円フリースを買いたいというので出かけてみました。週末に大安売りをするユニクロは、押すな押すなの大賑わいでレジ前は長蛇の行列である。しかも、フリースの展示品はサイズ・色共にとても少ない。安い品物とはいえ、せっかく買うんだから気に入った商品を買いたい、との貧乏人のスケベ根性でその場は断念して、ネットショッピングを試してみることにした。実演も兼ねてね。 ▼初めて訪れたウェブは実にユニクロらしい作り。商品の購入方法は非常によく考えられていて、一切の無駄を省いたウェブ設計は実用一本槍なのにそれほど冷たい印象の無いとても良くできたウェブだ。SSLについての説明に手間取ったが、思い通りの商品を購入したカミさんは終始ニコニコ顔。しかも、初めて体験したネットショッピングに感心しきりである。 ▼注文した商品の現在の状況が確認できるので、これも逐一見せている。今朝も見せたら、「発送中」とあった。「もうすぐ来るね」朝から神妙な顔つきである。これで品物が届いて、どういう感想を持つかが問題だ。ディスプレィの発色と実際の商品の色が少し違うとは説明してあるけど、その違いが許容範囲であるかどうかですね。ユニクロにはそのへんのクレームがどのくらい入っているんだろ? ってなことを考えて帰宅したら、なんと既に届いておりました。色もまずまず気に入ったようで良かった。 ▼まあ、こうして日々、パソコンとインターネットについて理解を深めていただいているわけだが、結婚して10年の間ずっと無関心だったのが、急に興味津々になるとは考えられないので過度な期待はしません。家計簿くらいつけてくれるといいんだけどね。 ▼そうそう、結婚して10年といえば、もうすぐ結婚記念日だ。満10年。世の中、スウィートテンダイヤモンドとか騒いでいるよねぇ。かわいそうだけど、わが家は亭主の浪費で遥か彼方…。でも、まだまだ夫婦を続けるつもりだから…。 ▼昨晩の「TVタックル」では、例によって「女房のパンツ洗えますか」ってな扇情的テーマでディスカッションしていた。路上でインタビューされたおぢ達は一様に否定的。でもねぇ、サンプルの取り方は悪いし、ウケを狙ってテーマに都合の良いおぢのコメントを放送しているのが見え見えなんだよね。世の中、あんなおぢばかりじゃないよ。じゃ、お前はどうなんだって? ぼくは平気ですよ。カミさんのパンツを洗って堂々とベランダに干せます。ウチのマンションの父親たちはほとんどが問題なしだと思う。献身的なおとーさんたちが多いからね。ったく、マスコミってなぁ……。

2000年11月13日(月) 戦友なのだ

▼今朝、日課のウェブ&メールチェックをしたら、入院中同室だった方からメールが届いていました。ヘルニアで長く入院されていた方ですが、めでたく昨日退院したとのこと。結構うれしいもんですね。 ▼入院経験のある方ならご理解いただけると思うが、入院中同室の方とは通常では想像できないほどの濃いお付き合いができるのです。だって四六時中一緒で寝食を共にするわけですからね。しかも、個所は違えども故障を抱えて四苦八苦しているから、戦友に似た感情を持つ場合もあるのでしょう。その上、趣味趣向が似てようもんなら、ビンゴ! ってなもんです。 ▼ところで、ぼくの実母はガンで長期入院したことがあります。幸いにして軽かったため、21年を経た現在も再発せずに元気に暮らしておりますが、身体が弱くなってしまい、毎年少なくとも一回は入院を繰り返しています。そのたびに友だちが増えるらしい。年賀状のやりとりをしたりして、中にはかなり長く続いている方もいるらしいから捨てたもんじゃありません。 ▼ただ、ウチの母親のように内科外科系の病棟で知り合った人はどうしても寿命が短いみたいですね。あのときの入院で知り合った方が亡くなった、今年はあの人が亡くなったと毎年のように聞かされます。冗談半分で次は自分、みたいなことを言うから困ったもんです。 ▼ぼくみたいな病気でも、苦しみは実際に患ってみないとわからないもの。決して弱者同士の傷の舐めあいと嘲笑わないでほしいのだな。そんな友だちに元気付けられたり、元気付けてあげたりしている人がたくさんいるんだから。「痛風友の会」みたいなのに入ろうとは思わないけど…(^^;;;。なんだか、ここんとこえらい気弱だなぁ…(^^;;;。

2000年11月12日(日) 痛風は貧食病である

▼「痛風は贅沢病」??? そりゃアンタ、いつの時代の話なのさ? 物の無い昭和初期以前や戦中戦後ならいざ知らず、いまどき「痛風は贅沢病」などと言うタワゴトを漫然と信じている人が多いから驚いてしまう。 ▼痛風の原因となる尿酸に変化するプリン体を多く含有する食品が、肉類を筆頭に高級食材に多いから「痛風は贅沢病」などという戯言が通っているの? ったくいつの時代の話? 肉類が一般人の口に入らないほどの高級食材だったのはいったいいつの話なのさ? いまどき、肉を食べない人なんていないでしょう。 ▼日本で初めて痛風が報告されたのは1898年だった。確かに、それまでわが国には痛風は存在しなかったのである。その後の100年の間に進んだ食生活の欧米化が痛風増加を促したわけだが、現在では痛風患者は約50万人、予備軍の高尿酸血症患者は200万人とも300万人とも言われているのだ。痛風が贅沢病だったのは過去の話で、今や誰でも罹病しうる一般的な病気なのである。そんな現実を知りもしないで、「痛風は贅沢病」なんて言われるとムカッ腹が立つのだ。 ▼それどころか現在では、「痛風は貧食病」とまで言われている。尿酸の原因であるプリン体を多く含む食品で、最近問題視されているのがファーストフードやインスタント食品である。こんな食べ物を摂り過ぎた若者が発作を起こすことも度々あるのだ。まさしく貧困な食生活が誘引の「貧食病」なのである。これなら身に覚えがあるかな…(^^;;;)。声を大にして言いたい「痛風は貧食病」なのだ。 ▼最近痛風の話題ばっかしですんまそん。

2000年11月7日(火) 人間を見られちゃった?

▼昨晩は氷枕で足を冷やして眠った。病院と同じ方法。今日は遅目の時差出勤だから、ちょっとはゆっくり眠れば良いのに、相変わらず5時には目が醒めてしまうおやぢ(末期)は祈るような気持ちで足を見た。見事に腫れがひいている(^-^)。 晴れやかな気持ちで身体を点検してみると、心なしか昨日よりも調子が良いようにも思えてくるから不思議だ。 ▼それでも、一日働いて帰宅してみれば、昨日と同じくらい腫れあがってジンジンと痛い。でも、ペースがわかったので、昨晩ほどの不安はない。さすがに湯船にはつかれないが。こうして少しずつ完治へ向かうしかないのだな。こんな痛風もあるのだ。 ▼不自由な身体で会社をうろうろしていると、やっぱり人間が見えますね。ぼく不在の職場でも似たような現象がみられたらしい。大変だから、といろいろ手伝ってくれるヤツがいるかと思えば、相変わらずのわがまま三昧で自分しか見えていないヤツがいたとか。 ▼しかしなぁ、その程度のことで、20代前半の女子社員にそんな風にして足元を見られて、人間を見たような気持ちになられるのは嫌だね。あの人、あれでも課長なんですよね…、なあ〜んて、言われちゃうんだよね。でも、人間の価値基準なんて人それぞれで、何かを物差しにしなくちゃならないんだから、そういうこともあるのだ。あ、そうか、その程度のこともわからないヤツが課長面してたら言われて当然だよなぁ。

2000年11月6日(月) 新宿は遠かった

▼仕事復帰第一日目は、早朝の新宿駅の怒号から始まった。「その人痴漢です! つかまえてください!」 黒いジャンパーの男を追いかけるサラリーマンひとり。ぼくは階段の隅に寄ってやり過ごしたんだけど、誰も見向きもしないのだ。これはとっても反応しにくいな。逃げているんだから痴漢には間違いないんだけど、自分が健康体でも協力したかどうかさだかではない。 ▼じゃあ、スリや引ったくりならどうだっただろうか。少しは腕っぷしに自信のある人なら行く手に立ちはだかったかな。どうでしょうか。自分はどうするか。これも自信がない。結局、痴漢は誰にも行く手を阻まれず逃げおおせたようだ。自己保身に走る、ハードボイルドとは程遠いぼくには語る資格がない。 ▼足を引き摺りながら亀の歩みでノロノロ歩くぼくは、早朝の大宮駅で後ろから体当たりを食らってひっくり返った。みんな急いでいるから邪魔なのはわかるんだけどね。階段では手すりにつかまって一歩一歩確かめるように。 ▼かなり無理をしたのかもしれない。夕方から熱っぽくなり、帰宅して足を見たらかなり腫れあがっている。カミさんが精一杯正論で攻めてくる。そりゃあ、もう一週間休めればそれに越した事はない。思い切って休むべきだったのかもしれないが、決断した以上やり遂げなければならない。夜中が心配だ。思いっきり冷やして、治療に勤めなければ。 ▼こういうときにカミさんから欲しい言葉は、もっと休んだ方が良かったとか、無理しないでくれとか、そんな言葉じゃないのだ。もっと休んだ方が良いのはわかっているし、無理したくないのは自分が一番良くわかっている。それでも、行かなければならないんだから、それに沿って元気付けて欲しいのだ。具体的に自分が何をしてあげられるのかを考えて行動に移して欲しいのだ。わがままなのは充分わかっています。帰宅してカミさんと話して落ち込んでしまった。ああ、夜中が心配だ。

2000年11月3日(金) 入院疲れでボロボロ

▼どしゃぶりの11月2日、無事退院することができました。掲示板やメールなどで、たくさんのお見舞いをありがとうございました。あらためてお礼を申し上げます。みなさんの掲示板へ参上するなどして退院報告をすべきとは思いますが、想像以上だった入院出費とバカ高のピッチ通信料に圧し掛かかられて萎縮している上に、心身ともに疲れ果ててグッタリしております。お許しください。 ▼ともかく、入院疲れが半端ではありません。病室ではできなかった昼寝が自宅では際限なくできてしまう。これで仕事に復帰できるのか、なんとも不安。11月3日現在の具合はどうかというと、なんとか松葉杖なしで歩けるようにはなりましたが、階段がとても怖い。まだ、つかまらなければ登ることも降りることもできません。 ▼さて、退院は昨日のお昼頃でした。帰宅してまず何をしたかというと、これが入浴なのですね。病院はとても清潔ですが、患者さんの身体はとても不潔なのです。毎日身体を拭くタオル(白二本と青一本、青いタオルは何に使うかというと…(^^;;)が回ってきて、身体の不自由な方でも週に2回くらいは看護婦さんが入浴させてくれますが、この程度では不快感はまったく消えません。ぼくの場合、左足が包帯でぐるぐる巻きだったので、治ったはずの水虫が左足だけ再発してしまいました。 ▼要介護状態で下の世話が必要な患者さんが大部屋に入っていたりするとまた大変です。たまに、廊下に便の匂いが立ちこめていたり…。同室の方々はもっと大変なんでしょうね。それ以上に、要介護のご本人が。外科や内科はもっと大変かな。怪我や病気に差し支えない方法で清潔さを保つ方法は無いものかと思います。 ▼もう一つの厄介が睡眠です。病院ではほとんど眠れません。個室ならまだしも、大部屋ではまず熟睡できない。人間の出す音があれほど気になるとは…。いびき、歯ぎしり、寝言、おなら、咳、痰を切る音…。寝息までが耳につく。就寝時間もまちまちで、それまでのテレビの明かり、本を読むナイトランプの明かり。それに、患者さん自身の先行き不安と現状の不安が重なって、心理状態は悪化の一途をたどります。病院は患部を治すだけで、ストレスには全く気を配ってくれません。眠れるわけがないのです。夜がそんな状態ですから、昼寝なんてできるわけがありません。カウンセラーを置いた方がいいですね。入院患者の心のケアは今後の課題だと思う。 ▼こんな入院生活を約2週間も送れば、帰宅して疲れが一気に噴出するのもご理解いただけると思います。今は疲労の極地です。眠くてだるくて朦朧状態であります。塵・ホコリの少ない病院でアレルギー性鼻炎がおさまっていたのが、ホコリっぽい自宅で猛威を奮いはじめたせいもありますが。 ▼入院前のように、威勢良く毎日更新したいのですが、まだ手探りの状態なので不定期になるかもしれません。仕事に復帰して安定するまでは難しいかも。