2000年10月31日(月) 誰も押していないナースコールが深夜の病室に鳴り響く 

▼「どうしましたぁ、どなたですかぁ?」 夕食が終わって、ベッドで横になっていると、いつものセリフで看護婦さんがやってきた。おなじみのナースコールである。ところが、ぼくを入れて同室の四人のうち、誰もナースコールを押した者がいないのだ。その後、誰も押していないナースコールが立て続けに二回鳴った。9時過ぎに四度目が鳴ったときは看護婦さんが3人もやってきて大騒ぎだ。「誰かがいたずらしてるんでしょ!」 そう言われてもねぇ。ぼくらは、そんないたずらを考え付くほど余裕のある患者ではないのですよ。 ▼頼もしい看護婦さんとはいえ、うら若き女性たちである。「幽霊?」 誰かの一言で、恐怖が一気にはじける。お前ら消灯時間にそんな大騒ぎしていいのかよ、と文句のひとつも言いたくなるくらいに騒いだ彼女らは、四人の枕元にあるナースコールをはずして帰ったのだが…。 ▼病院の怪談で、「誰も押していないのに鳴るナースコール」は定番中の定番だ。他にも、この病院には語り伝えられる怪談がいくつかあるらしい。壁からぬぅっと手が出てきたとか…、車椅子がひとりで動くとか…、誰もいないはずのトイレでトイレットペーパーを巻き取る音がするとか…。ナースコール怪談も過去に何度もあったらしい。まあ、たいていが電気的な故障なんでしょうけどね。 ▼さて、その日の深夜、寝つきの悪いぼくは何度も寝返りを打ちながら草原の羊を数えておりました。ほとんどの入院患者が眠りについた真夜中12時近くだったろうか。深閑として物音ひとつしない廊下からスリッパを引きずる音が聞こえてきたのだ。スーッ、スーッと、足腰の弱った人特有の足音だ。徐々に大きくなる足音が、ぼくらの部屋まで来てピタっと止まった。 ▼病室のドアは常に開けっ放しである。建築年度が古くてドアがやけに重いとか、いろいろ問題があっての措置らしいが、身体の不自由な患者の多い整形外科病棟なのだから理にかなっていると思う。足音は、その開け放された病室の入り口で止まったのだ。眠るときは、自分のスペースのカーテンが閉めてあるので、起きあがってカーテンを開けなければ誰なのか確認することはできない。 ▼足音は入り口でしばらく立ち止まった後、まもなく、病室の中へ向かって入ってきた。暗く静かな病室にスーッスーッと、スリッパを引きずる音が大きく響く。足音は、ぼくの足元までやってきて止まった。さすがに背中がぞぞぉぉっとしましたね。今にもカーテンがザァッと開くんじゃないかと恐怖にかられて枕元のナイトランプに手を伸ばした直後、今度は硬質で足早な足音が鳴り響いた。 ▼足音はまたもやぼくの病室の前で止まって、小さい声が聞こえた。「どうしました。どなたですか?」 ……鳴ったのですね、ナースコール。全部抜いてあるのに…。しかも、ぼくの足元まできた足音は戻った気配がない。堪らずランプをつけたら、看護婦さんがやってきてカーテンを開けた。「失礼します。ぼくさんですか?」 違うんだよね。「そこに誰かが……」 自分の足元を指差して説明した。足元まで来て立ち止まったままの足音のこと。看護婦さんの顔が引きつる。話していたら、病室内でぼくの対面に寝ている患者さんも起き上がってきた。同じ音を聞いたという。ところが、誰かがいなければおかしい場所には誰もいない……。引きつった…、さすがに怖かった。その後、そのようなことは起きておりませんが、あれは何だったのでしょうか? ▼……などと、血も凍る体験をした入院でありましたが、11/2(木)に退院することになりました。で、11/4(土)に通院して、翌週の月曜日(11/6)から出社の予定です。 ▼10/30(月)現在の病状はどうかというと、痛みと腫れがまだ結構残っていますが、すでに10/27(金)に添え木は外されています。問題の左足を床につけるようになったのでかなりの進歩かもしれない。それでも、今のところは大半が車椅子の生活。松葉杖ってとっても厄介なのだ。手のひらで全体重を支えるため、手のひらに過大な負担がかかってしまう。今一番痛いところはどこか? と問われれば「手のひら!」って答えるかな(^^;;;)。出社まであと1週間。ラッシュに堪えられるまでに快復するだろうか…。

2000年10月24日(火) 誰の視点で「安全・効率・平等」を考えるか

▼こうして不自由な生活を送ってみると、世の中どこもかしこもハンディ・キャップを持つ人々にとても厳しくできているのがよくわかる。まず、病院からして首を傾げるところが多い。ぼくが入院している病院は、地元でもそれなりの評判があるところで、先年カミさんが入院・手術したのも同じ病院である。レンガ色のきれいな建物で、近くのおじいちゃんおばあちゃんたちは、朝早くから診察券片手に押しかけてくる。 ▼だが、エントランス部分に問題ありなのだ。車寄せと病院の入り口には、20cm程度の段差がある。健康な人は全く気にならない20cmだが、足腰の弱った人、あるいは車椅子の人、杖の人にとっては想像もつかない高い壁となって立ちはだかる。ぼくはその20cmを登るために、脂汗を垂らしながら10秒近い時間を要した。スロープはあるにはあるが、無限とも思える遠回りをしなければならない。しかも、スロープは外観優先のためか、外壁と同じようなタイルが敷き詰めてあって、車椅子は非常に走らせにくい。その上、意味も無く曲がりくねってデコボコ。 ▼さて、20cmを登るとその先に待っているのが、入り口のガラスドアだ。ところが、ドアをくぐるためには今度は急なスロープを登らねばならない。先日、ウェブを更新するために車椅子で外に出たのだが、降りるときに危うくひっくり返りそうになり、終えて戻ろうとしたら今度は登れない。往生しました。 ▼病棟に上がってみると、狭い病室に狭いトイレ。ぼくが入院しているのは整形外科病棟なのですよ。どうみても、上半身より下半身の故障を抱えている方が多い整形外科病棟で、なんでトイレが狭いのでしょうね。狭くはないけど、車椅子用はたったひとつしかない。男女兼用なわけです。別に汚すわけでもなくきれいに使ってはいるけど、女性の方々に大変申し訳無く思っております。 ▼どこの病院も似たようなもんでしょう。街に目を転じれば、そこら中が段差だらけ。今でこそバリアフリーなんて騒いでいるけど、ちょっと前までは効率や美観優先で、弱者本位の考え方は全く無かったのがよくわかるのだ。前に聞いた堺屋太一(ごめんなさい。字が間違ってるかも)のテレビでの発言によれば、戦後の日本社会は「安全・効率・平等」をスローガンに発展して来たんだと。ずっと弱者は捨て置かれていたわけですね。同じスローガンでも、そろそろ視点を変える時期なのは間違いないでしょう。 ▼かろうじて自分のマンションは、外階段の一つにスロープの工事をしたばかりなので、クソ理事長職としては英断だったと自負しております。って、就任前から決まっていたことなんだけど…(^^;;;)。 ▼入院生活もすでに4日目。「白衣の天使」などという手垢のついた言葉を待つまでもなく、走り回る看護婦さんたちの献身ぶりは筆舌に尽くしがたい。あ、この病院は青とピンクだけど。ともかく日々、尊敬の眼差しでわがままを言わないように心がけております。セクシー? そんなこと考える余裕ありませんて…(^^;;;)。 ▼自分の身体はといえば、38度前後あった熱が昨晩やっと37度台の前半に下がってくれて、それだけでも少しは楽になりました。ところが、右足に負担をかけ過ぎたためか、今朝から踵の骨棘がズキズキと痛み出してしまった。先生から、右足のサンダルには穴空きスポンジを、足には湿布を貼りつけてもらってなんとか凌いでいます。左足首下の腫れは引く気配なし…。 ▼さて、今回の入院で持ちこんだ本は、スティーヴン・ハンター『魔弾』 岩井志摩子『ぼっけえ、きょうてえ』 井上尚登『C.H.E.』 ロバート・B・パーカー『家族の名誉』 リンダ・ラ・プラント『渇いた夜』 ジョー・R・ランズデール『バッド・チリ』 デニス・レヘレン『スコッチに涙を託して』『闇よ、我が手を取りたまえ』  こんなに読めないと思うけど。え? 足りない? ……まさか…(ノ_・。)

2000年10月22日(日) ネットではウェブサイトが名刺代わりなように

▼病院では病名と症状が名刺代わりなのだ。「痛風のぼくです」って(^^;;)。「あ、○○号室の○○さんが痛風だよ」なんてね。ところが、いたるところに差別ありなのだ。痛風ってね、とても肩身が狭いのです。一般的には贅沢病で通ってますからね。ってわけで、10月21日(土)午前10時、入院してしまいました。病名は「痛風性関節炎」。被差別病気のぼくは5人部屋で小さくなっております。 ▼発病は10月18日(水)の夕方四時頃。左足首に違和感と脱力感と痛みが少し。帰り際、足首のストレッチなんかやって帰宅した。「ここが痛くてさぁ」靴下を下げてカミさんに見せたら、自分でもびっくりするくらい腫れ上がっているじゃないの。でも、それほど痛くないのです。 ▼痛風の発作は何度か経験がある。足指付根と足首も一回あったかな。でもね、最初からもっと痛かったし、症状もちょっと違ったのだ。だから、これが痛風発作の前触れだなんて思いもよらない。おかしなことがあるもんだねぇ、とぼやきつつ就寝したのだ。 ▼容体の急変は夜中、と相場は決まっているのですね。悪寒が走って目が醒めたのが午前二時ころ。足もかなり痛い。寒い寒い。大量に汗をかいて午前四時には起き出したが、なんとかまだ歩ける状態。ところがぼくにはもうひとつ爆弾がある。右足踵の骨棘である。今回の患部は左足首だが、右足踵にどれだけの負担がかかってどういう症状出るか予想もつかない。 ▼真っ暗な午前四時。右足つま先と左足でそろりそろりと歩行練習をしてみる。これがうまくない。かなりヤバイ状態と悟りカミさんに声をかける。木曜日は、仕事が週で一番忙しい日だ。休むわけにはいかない。カミさんを交えて何度も歩行練習をしてみる。このときはまだ、会社に行くつもりでいたのだ…。 ▼歩みは赤ん坊の次男より遅い。しかも、右足踵に負担がかかり、徐々に痛くなってくる。どうしようもない。仕事を休んで病院へ行こうと決めたのが6時過ぎ。8時には病院の待合室へいた。9時を待って会社へ電話。その間、どんどん痛みが増してくる。会社の女の子から貰ったお見舞いメールによると会社は大騒ぎだったらしい。 ▼若造の整形外科医は、じゃあレントンゲン! 言ったきり患部を見ようともしない。痛くて痛くて、しかも熱で朦朧としている患者を、熱も測らない上に血液検査の結果を待ってました、とレントゲンを終えてから一時間以上待たせる。腹立たしいやら情けないやらで涙が出そうになった。説明もほとんどない。「たぶん、痛風と思われます」って言うから、「たぶん…、って診断じゃないですよね。痛風ではないんですか?」って言ったらしどろもどろ。 ▼結局その日は、苦々しい思いで薬を貰いヨタヨタと帰宅した。待っていたのは、チビのギャング。ぶつかる、乗っかる、騒ぐ…、前途多難。 ▼夜になって、一日大騒ぎでカミさんも疲れた顔をしているし、なんとなく自分の具合も良さそうだし、ってんで先日書いた「かっぱ寿司」へ行く。13皿食べる。ところが、その頃から足の痛みが猛烈になる。脂汗タラタラ。「かっぱ寿司」を出る頃には、満足に歩けなくなっていた。 ▼痛風ではこれが一番強い薬といわれて貰った座薬が全く効かない。だから眠れない。熱は38度ちょっと。汗をかいてシャツを着替えること三度。 ▼翌日は会社へ行くつもりだったが、全く歩けなくなってしまった。トイレへ行くにも這っていく状態。痛みは全く引かず、逆にひどくなるばかり。さすがに観念しましたね。 ▼這ってトイレってのはきついので、病院へ電話して松葉杖の貸し出しをお願いしたのが20日の金曜日。が、どうしても診察したいから来院するようにだって…。んなこと言われたって歩けないんだよ! 結局、脇の下から足先までの長さを測ってカミさんが取りに行くことで同意。医師にさんざん説教されて帰ってきたカミさんに、とうとうと説教される。 ▼あまりの痛みで気弱になったぼくはカミさんの言いなり。土曜には必ず連れてきますと約束してきた、と言われれば素直に従っちゃうのです。で、着いた土曜の病院で入院を宣告されたのでした。 ▼入院生活も丸一日を過ぎた今はどういう状態かというと、相変わらず熱が38度程度ある。腫れは当初、足首だけだったのが、今は足首から下全部に広がっています。各指の付根まで。気持ち悪いくらいです。添え木をあてているので、痛みはそれほどでもなくなりましたが、未だ歩けません。車椅子生活であります。入院生活はいつまで続くやら。具合によっては、またこの欄でお知らせしますね。

2000年10月18日(水) 11年で8台、400万円超だ……

▼Think Pad でほとんど決まりかけていたパソコン選びが、今朝入ってきたメールでひっくり返ってしまった。送り主はGateway。Athlon 1.2GHzマシンの販売を開始したというのだ。狙うは最速の下。案の定、ウェブを覗いてみれば、1.1Gや1Gマシンなんかはかなりのお買い得価格でそそられる。もうぉぉ、たまらん。ノートパソコンの省スペースに惹かれていたわけだが、1Gマシンには勝てそうもない。 ▼「お父さん、パソコン何台目?」 今朝カミさんに言われました。俄かには答えられない。1台、2台…、指折り数えて8台目…(^^;;;。うちノートパソコン2台、長男のパソコン1台(Gatewayのオークションで購入)。プリンタ4台、モニタ3台他周辺機器多数、ソフト多数…。金額にしたらたぶん400万以上でしょうね…。 ▼思い起こせば11年半前、今のカミさんと暮らし始めたと同時に、1台目を購入したのだった。Epsonの98互換マシンで、80286CPUの16ビットマシン。当然MS-DOS。5インチドライブを2基搭載していて、一太郎をフロッピーで動かすために苦労したっけ。config.sysやautoexec.batを書き換えるのは初心者には大変な作業だった。 ▼最速を追いかけるのはとっくにやめている。新機能を追いかけるのも諦めている。……つもりだったのだが、どっかに残っていたんでしょうね。スケベ根性…。 ▼400万円かあ…。もし、パソコンをやらなかったらどうなっていたかな? そのお金はどこに行ったでしょうか? 貯金なんてできる性格じゃないので、たぶん他の遊び道具に化けていたでしょうね。遊んだ分パソコンが使えなくてこの年代のおぢとしてはかなり苦労したかも。自己投資などとカッコつける使い方じゃないけど。 ▼11年半で8台はかなり多いと思う。でも、自分としては納得した使い方だった。って、踊らされたのを認めたくないばっかりで思いっきり言い訳(^^;;;。カミさんに感謝であります。

2000年10月17日(火) 今回のノーベル平和賞は片手落ち?

▼詳しい経緯を存じ上げないので乱暴なことは言えないけど、韓国の金大中大統領へのノーベル平和賞授与はあまりよろしくないと思いますね。時期尚早、あるいは片手落ち、だと思うのです。と言ったところで、誰も北朝鮮のあの方に授与しようとは思わないだろうから、南北統一が実現したときに両者へ授与するのが正解だったと思うわけです。過去の例を見ると紛争解決の場合大抵両者受賞だったと思うのですが。 ▼北朝鮮が今回の受賞に対して沈黙を守っているのが不気味ですね。せっかくの雪解けに水を差す結果にならなければ良いな、などと余計なことを考えてしまいます。だってねぇ、誰が考えたって、あの国は何をしでかすかわからない依怙地で偏狭なお国柄でしょう? 受賞対象だった南北融和促進にしたって、両者が歩み寄っての南北融和なのだから、片方を称えて片方には何にも無し、ってのは常識から考えてもおかしいと思ってしまうのです。 ▼確かに過去の歴史から考えれば大変な転換だと思います。でも、韓国側はずっと融和したかったのですよね。それが今回飛躍的に進んだのは北朝鮮側の歩みよりが大きいんじゃないのかな? もちろん、それが腹黒い政治的配慮であっても、です。だから、時期尚早、ではないかと。 ▼どうせ、平和賞なんて思いっきり政治的で他と比べても価値の低い賞なんだから、思い切って金正日にもあげちゃえば良かったのに、なんてね。孤立無援の国を、益々依怙地にさせてしまう結果にならなければ良いですねぇ。まあ、たわごとではありますが。

2000年10月16日(月) 「ロケットおっぱい」は晶の専売特許だぞ!

▼ハードボイルドファンなら、「ロケットおっぱい」の元祖が新宿鮫シリーズのヒロイン・晶であることは誰でも知っている。断じて、どっかの女子アナウンサーではないのだ。その二番煎じロケットおっぱいのなりふり構わぬ攻勢に、若干20歳の男がたらし込まれたとしてもちっとも不思議じゃない。 ▼その煽りを食って、免停中の若造に球団所有のクルマを与えたのは大人としては、やっぱり間違いではありますね。でも、免職になったって噂を聞くと同情を禁じえない。球団広報って苦労が多いらしいけど、なんていうか、黒岩さんそんなことしてたのか、が正直な感想です。あの黒岩彰ですからねぇ。やっぱ同情しちゃう。ガキのお守り。頂点を極めても不人気スポーツOBの行く末は厳しい。ツブシがきかないのですね。こんなんじゃ、スピードスケートなんてやる人いなくなっちゃうな。 ▼松坂は自宅謹慎でゲーム三昧らしいけど、これで一番得をしたのは、例の女子穴ですね。全国津々浦々、ぼくみたいに野球やゴシップに全く興味を示さない連中にまで、柴田倫世って名前が知れ渡ったんだから。え? 悪いイメージだから得は無いって? そんなことはありません。なんであれ、一気に知名度が上がれば何か余禄がついてくるもんでっせ。

2000年10月15日(日) 一皿100円に群がる人々

▼テレビで紹介された店や、近所で評判の店には行かない主義なのだが、今回だけは例外を認めた。だって、全ての皿が100円の寿司ですよ。お隣の岩槻市に開店した「かっぱ寿司」である。先日のCX系のニュースで紹介されて、押すな押すなの大行列に更に拍車がかかって、連日大賑わいらしい。 ▼絶対に混むから、と五時ころには近くのラオックスで父はパソコンを物色、長男はゲームに夢中で待機。ところが、暇を持て余すカミさんから大ブーイング。しょうがないので、一旦買い物をして戻ることにした。これが大失敗。店に隣接する国道16号線の大渋滞が、その店に向かう車で混んでいると気がついたときは既に遅かった。ごった返す店内で1時間待ちを告げられて、すごすごと退散せざるをえなかったのだ。たかが、一皿100円の寿司を食うために一時間も待つなんてアホらしくって…。 ▼ムードとは恐ろしいもので、普段は寿司なんか見向きもしない長男まで残念そう。世の中デフレ不況とかいわれて久しい。大半の客がわが家のような物見遊山ではなさそうなのが恐ろしい。それまで大人気だった「がってん寿司」は閑古鳥が鳴いておりました。あそこはネタはいいんだけど、ちょっとお値段高めだもんね。 ▼「かっぱ寿司」は元々大賑わいだったのだが、西新宿のラーメン戦争みたいにマスコミに踊らされるのはイヤだね。食べ物屋の難しさは、常に味を一定に保ちつつ、尚且つサービスの充実を図らなければならないことかな。考えようによっては、こういう大衆心理に左右される商売ほどアホらしいのはないかもしれない。逆手に取れば短期間で大儲けができるのだね。でも、こんな程度で踊る客にはなりたくないなぁ。ま、近いうちに食べてみて報告します。

2000年10月14日(土) いまどきの父親たちの日曜仕事

▼いやいや、本当に名案だと思ったのです。自宅で写真が印刷できる−こんなすばらしい、画期的なことはないと。だってそうでしょ。今まで、現像+プリントで高い金払った上何日も待たされて。フィルムはたまる一方なのに整理が大変で、しかもネガはちょっと見何がなんだかさっぱりわからない。 ▼だから、昨年の今ごろ買ったのです、写真画質のプリンタ。しかもフチ無し印刷(これを業界用語では「化粧断ち」という)ができて仕上がりはフィルムと遜色無い。撮った写真はすぐにプリントできるし、いわゆる焼き増しなんて思いのまま。出来の悪い写真は印刷する必要無い…。もうう良いことずくめのはずだったのですが、実は大きな落とし穴があったのです。 ▼とにかく寸暇を惜しんで印刷しなくちゃならないんですね。それも全部自分で。フィルムの必要がないから、なんでもかんでもメモ代わりにどんどん撮影する。フィルムの二倍以上撮ります、ぼくの場合。それを帰宅してより分け、印刷する、といっても半端じゃない時間がかかるわけです。しかも色があせてくる。今は10年プリントってのが出ていますが、ちょっと前までは3年プリントで、空気にさらされると3年どころか半年くらい黄ばんできます。 ▼気がついたときは、約半年分、枚数にすると200枚以上たまっていました。一枚印刷するのに、1分程度はかかります。ソフトの設定を含めれば二分くらい。このソフトがまたタコ野郎なんですね。200枚ならば単純計算で400分。7時間近く…。よりわける作業をいれれば…、考えたくありません。しかも現在はメインマシンダウン中で印刷ままならず、MOも未接続のまま……。カミさんは、パソコンになんて見向きもしないので、結局全部自分でやらなくちゃならんのであります。たまらず、こないだの運動会では久しぶりに一眼レフで撮影しました。  ▼昔のお父さんたちは、日曜日に大工だの庭の手入れだのをやってましたね。いまどきのお父さんたちは日曜大工なんてほとんどしないでしょうが、デジカメ画像の整理だの印刷だの、年末になれば年賀状作りだの、こういうパソコン仕事をやっていることは多いんでしょうね。時代の様変わりは、お父さんたちの休日の過ごし方まで変えたのだな。 ▼ところで、未印刷のデジカメ画像、どうしましょ。業者に出して印刷してもらおうかな。なんだ、結局同じじゃないか…。

2000年10月13日(金) おぢの悲しき性(さが)

▼深夜から発熱で眠れない。亀の歩みで会社には行くが全く仕事にならず、かかり付けの医師に診てもらって、午後で早退してしまった。休めばいいと思うんだけど、おぢはいろいろとあって休めない。朝は熱も下がったような気がしたしね。でも、午後になって持参の体温計を脇の下に突っ込んだら、38.8度もあったときはさすがにびっくりした。4時前に帰宅。そういえば、長男の咳がひどいので病院に連れて行くとか言ってたなあ。次男坊も連れてってくれ。 ▼結局、6時過ぎまでひとりで眠ることができた。大量に汗をかいて、少しは熱も下がったかな。休めばいいと思うんだけどねぇ。これが休めない。錯覚でもなんでもなくて、自分の代わりは会社にはいない。自分がいなければ、にっちもさっちもいかないくなる。 ▼前にこの欄で、そんなものは錯覚か誤解だ、と書いたことがあるが、自分に限っては誤解でも錯覚でもない、と思う。で、これが自負につながるかというと、鬱陶しいだけ。会社に対しては、自分と家族の食い扶持を稼がせてもらっている、程度の認識しかないので鬱陶しいことこの上ない。 ▼責任なんて、家族に対して負っているだけで充分なのだ。これがおぢの本心ですよ。ただ、性格が性格なので、会社では仕事の鬼になりますけどね…(^^;;;)。う〜ん、自分が病気になったときのことを考えると怖いな。換えのきかない人間は、他で換えがきいてしまった後は必要ない、ってことだもんね。 ▼……トイレに起きたつもりが、ちょっと調子が良いのでついつい書いてしまいました。床にもどります。ただ今深夜2時45分…。おやすみなさいませ。

2000年10月12日(木) 男が座ってしちゃおかしいか?

▼朝から、カミさんのご機嫌がすこぶるよろしくない。聞けば、洋式トイレの便座カバーがびっしょりと濡れていたのだと。それも2日連続で。犯人と言ってはかわいそうだが、消去法でいけば小3の長男しか考えられない。「もおぉ、なんで毎日毎日便座カバーが汚れちゃうのよ!」 「オレ右に曲がるからなんだよぉ」 ふたりの会話はかみ合わない。かみ合わなくて当然なのだ。だって彼は座ってオシッコしていたのだから。 ▼実は、これには父親がかなりの部分関与している。「便器の中にうまく入らないんだよぉ」 トイレの汚れ具合があまりにひどいので、長男に問いただした約二年前のある日、彼は泣きそうな声でそう答えた。 ▼もっともな意見である。男というものは、初尿時(こんな言葉があれば)つまり尿の出始めはどっちに飛ぶが予測がつかないのである。これを予測するためには、それ相応の研鑚を積まねばならない。陰茎の微妙な角度と尿の出るスピードを予測して、あの平面的な小さい洋式便器の的に当てなければならないのだ。 ▼カミさんも含めて、女性の方々にはこのあたりが理解できないらしいので強調したいが、陰茎が右を向いているからと言って、素直に右に飛ぶとは限らないから困るのだ。尿道の開き具合や状態によって(たぶん)、四方八方に飛び散るのだ。しかも、予測が間違った時は迅速に飛沫の方向を修正する反射神経も要求される。年端もいかない子供にとっては至難の技と言わざるをえない。 ▼それで、父親が提案したのが、「洋式トイレではオシッコも座ってする」だった。どうやら長男は忠実にそれを守り続けていたのだね。というか、経験のある方ならよくご存知とは思うが、かなり理にかなった排尿方法なのである。だから、利点を知ると立ってはできなくなるのだ。どこかの新聞記事で読んだことがあるが、成人男性でも座って排尿する方が3割近くも存在するという。 ▼それなら汚れるはずがなかろう、とは全くの素人考えなのである。子供のオチンチンは小さい。しかも、朝は尿が溜まって軽い勃起状態にある。座れば上を向く。押さえつけなくちゃだめなのですね。だから、今回の事件での父のアドバイスは、「便座に座ったら、チンチンを下に向くように押さえつけるんだよ」だ。 ▼なにを女みたいに世も末だ、って思われる方もかなりいらっしゃるでしょう。でもね、こんなのは単なる合理性の産物であって、この程度のことでどうこう言う方がおかしいのである。ちなみに、かく言う父も10回に7回は座って用を足してます。 ▼さて、明朝のカミさんのご機嫌はどうだろうか。今朝のアドバイスを守れば汚すことはないから、思いっきり心置きなく排尿してほしいな>右曲がりの息子よ。

2000年10月11日(水) 人を「育てる」という愚かな誤解

▼唐突ですが、「人を育てる」という言葉は嫌いです。その手のビジネス書がたくさんあるけど、正直言って吐き気を覚えます。職人・芸人の世界ならわかります。師匠に弟子入りするわけですからね。職人・芸人の世界には「育てる」に値する、秀でた職人芸があるわけです。 ▼ただし、この場合だって、「人を育てた」のではなくて、「職人芸を育てた」のでしょう。これを称して「人を育てる」などと奇麗ごとをぬかす輩には反吐がでます。職人・芸人が人間が出来ているかと言えば、「職人気質」などという言葉を示すまでもなく、一般的な意味でいう人間が出来た人じゃないはずです。 ▼職人あるいは芸人の真価はあくまでもその人も持った技能で評価される。しかも、彼らは育てられたなんて気分ではないはずです。芸はあくまでも盗むもの。こんなのは当たり前。何を今更、ですが、勘違いしている方々がとても多いと思うのです。だいたいにおいて、徒弟制度なんてイジメの巣窟だもんね。 ▼では、サラリーマン社会で「人を育てる」とはどういうことでしょうか? もちろん、営業にはテクニックがあるでしょうし、クリエイターには年輪を重ねたノウハウがあるでしょう。最大公約数の決め事を教えたところで、「人を育てた」ことにはならないはずです。人には個性があります。クリエイターの独創性はもちろんのこと、営業テクニックなんて教えて覚えられるものじゃありません。誰もが自分で開発して得るしか道は無いのです。 ▼極論してしまえば、上司は部下がその独自性を獲得しやすい環境を整える程度のことしかできません。それを称して、「人を育てる」などとおこがましいことを言い切ってしまう人は信用できないですね。上司は部下が真っ直ぐに伸びていく邪魔をしないことが一番なのです。 ▼「あいつはオレが育てたんだ」 人前で平気でこんなことを言っているおぢが多数いることでしょう。そんな言葉を吐いたら最後、その人は終わりと思った方がよろしいかと。まあ、幸福な例外が存在することは認めますが。

2000年10月10日(火) 映画『ホワイトアウト』ここがダメ

▼映画『ホワイトアウト』見終えて三日経った。会社で映画の解説を求められて、いろいろしゃべっているうちに朧だったものが形になってきたのでちょっとだけ書いてみる。ここがダメ。 ▼まず、ヒロイン松嶋菜々子(字はこれで良かったっけ?)。浅野ゆう子に匹敵するほどの大根なんですね。なのに一応人気沸騰の女優だから、どっかで花のあるシーンを入れなくちゃいけない。あんなイモを押しつけられた監督の苦悩が伝わってくるかのような脈絡ない登場シーンが連続する。あの大根が登場するシーンはいくつかを除いて全て必要無い。 ▼時間経過がおかしい。二晩目のはずなのに一晩目はどうした? それに関連して演出がメタメタなのですね。あれだけ大きなダムのことだから、内部を説明しようったってそう簡単ではないでしょう。でも、富樫が何をしようと、どこへ向かっているのかわからないことがものすごく多い。建物の位置関係。内部の位置関係。これをキチンと観客に理解させられないのは脚本がダメなせいですね。演出でカバーできそうなこともあると思うが、これもまたダメなのですね。テロリストのトリックも、少しは観客へ伏線を張る必要があるでしょう。気配も見せないなんてね。 ▼荒唐無稽に拍車をかけただけのストーリィ。元々原作が荒唐無稽なのだが、真保裕一は細かく細かくディテールを積み上げてリアルさを演出していたのだ。真冬の放水管でびしょ濡れになってあの程度とはね。原作はもっとシビアだった。結局、端折ってああいうリアルさを積み上げる余裕がなくなったのですね。上っ面を負っただけのストーリィに終始した。 ▼前にも書いたがひどい演出。特にヒロインがダムへ向かうまでの車中の撮影はひどすぎ。素人だってもっとうまく撮るでしょう。スケジュールの都合とかいろいろあったんでしょうが、あんな誰が見たってわかる合成はしないで欲しかった。テレビの二時間ドラマを見ているようだった。あんなもの、他に方法があったろうに…。え? 無かったの? ならあのカットは別の設定で撮るべきだった。脚本のアイディア不足。 ▼こうして見ると脚本と演出がメタメタなのですね。映画を構成する大切な二つの因子がダメなのだから映画が良かろうはずがない。原作のスケール感は全て損なわれた。お金のかけ方が間違ってますね。最後のヘリコプターなんて、あんなものはいらない。もっと別のところへお金をかけるべきなのよ。精進して欲しい。

2000年10月9日(月) 三連休は織田裕二で暮れた

▼至福の時は、時計の回りがとても早い。6時過ぎに目覚めて、自分のウェブサイトを覗いてから家族が起き出すまでの時間、雨だれを聞きながら布団に包まって読書をすることができた。ジェフリー・ディーヴァー『コフィン・ダンサー』とスティーヴン・ハンター『魔弾』の並行読書になってしまったけど、ディーヴァー優先かな。 ▼8時になって起きてきた次男は先週中盤から具合が悪い。鼻水と咳。どうもアレルギーらしい。自分は土曜日から不調でやっぱり鼻水と咳。家族性の病気はかくも見事に連なるという証明でありますね。長男はかなり前から喉が痒いとガーガー、鼻水ズルズル。 ▼今回の連休は、長男の小学校が土曜日休みだったので、親と同じ三連休だった。毎月第二と第四土曜日が休みなのだが、今回はハッピーマンデーがあるから、との計らいで子供たちも三連休になった。しかし、曇天と体調不良でどこにも出かけず、だらだらと自宅で過ごすことに。 ▼さて、わが家の長男は三日間ゲーム三昧だった。さすがに今日は、宿題と明日の時間割用意を命じたら、不満たらたらでひどく機嫌が悪い。「夜になったらやろうと思ったんだ。オレこの家に生まれなきゃ良かった。って言うか、あのお父が変わった方がいい」だって(^^;;;)。自分もさんざん似たようなことを思ったし、言いもした。時任三郎が出ているあのCMのような心境か。わが息子にはもっと厳しくあらねば、と思いつつ…。 ▼そうそう、念願の『踊る大捜査線』をテレビで観たのが収穫だったかな。『羊たちの沈黙』まがいの捜査展開には苦笑するしかないが、明確なモジュラー型警察ドラマとしてはそこそこだったかも知れない。明るい警察署、警察官僚への批判的態度、戯画的なユーモア、良くも悪くも画期的であります。テレビのときは、警察署内でクレーンを使ったショットがあってびっくりしたもんだ。やっぱ織田裕二は『ホワイトアウト』の富樫よりも、青島の方がずっと似合っているね。

2000年10月8日(日) 優勝セールで大渋滞だぞ

▼自宅のすぐ近くにDマートがあって、セール時には大渋滞を引き起こす。優勝セールったって、自分の買い気はそれほど喚起されないんだけど、なんであんなひどい渋滞が起きるのか興味があって出かけてみた。 ▼渋滞の道路を避けて、地元民ならではの抜け道を通ってでかけたDマートは、押すな押すなの大賑わい。でも、そんなに安いとは思わなかったな。ダイエーね、今社長のインサイダー取引で大揺れ。だからってわけじゃないけど、賑わいのわりに静かに感じた。ま、お祭りでありますね。 ▼お祭り好きのぼくは行っただけで満足して買い物は一切しなかった。ああいう所へ行くと、必要ない物まで買いこんでしまうんだよね。インスタントラーメンだとか、Tシャツだとか、あれば損はしないんだろうけど、今必要ないもんね。 ▼結局、景気はムードなわけですね。毎日が優勝セールなら、景気なんて悪いわけがない。そう考えると、ムードなんてもんに左右される社会構造自体がひどく脆弱に感じられてしまうのです。

2000年10月7日(土) やっと「ホワイトアウト」を見た

▼先日、長男と『ジュブナイル』を見たわが町春日部の二番館に、やっと『ホワイトアウト』がやってきた。新潟の実家の近くで長期ロケを敢行したとの噂もあり、興味津々で観に行ってきました。 ▼最近でこそよく知られるようになったが、原作の『ホワイトアウト』に登場する「奥遠和ダム」は、新潟県と福島県の県境付近にある「奥只見ダム」がモデルである。原作を読んだとき、ヒロインが駅に降り立つシーンや、ダムに至るまでの道路の状況、ダムで戦うシーンで登場した施設とロケーションなどなど、現実とそっくりで驚いたものだった。「雪に守られた要塞」とはピッタリな表現である。実際、近くにあるスキー場は、3月にならないとオープンしない。ともかくそれまでは雪に閉じ込められて交通がままならないのだ。 ▼噂とおり、実際の奥只見湖付近のロケと黒部ダムのロケをほどよくブレンドして作り上げたようだ。トンネルの横に「シルバーライン」の文字を見つけたときはちょっとニンマリ。ダムを鳥瞰するシーンは全部黒部ダムだね。 ▼さて、映画としてどうかといえば、あまりよろしくないかな。それでも感涙を押さえられないのは、原作が良すぎるわけですね。ストーリィ的には、作者が脚本に参加しているだけあって、原作に忠実でありすぎて、残念ながら映画的イマジネーションは全くない。戦闘シーンも迫力不足。原作のあの長さ、苦闘の連続に比べれば、映画の富樫は甘い甘い。ヒーローのいじめ方が全然たりない。 ▼アクションシーンもだめだな。ハリウッド的物量作戦で映画化ができていたら、もっと迫力ある映画になっていたでしょうが、これが日本のアクション映画の限界なのかも。演出もよくない。ディテールがなってない。もっと映画的に処理しなくては。ま、どこを取っても原作あっての『ホワイトアウト』でありました。映画化するときは、原作者をスタッフに入れたらダメですね。映画的な広がりが全然なかった。それでもひとときの楽しみは与えてもらえたから良かったかな。

2000年10月6日(金) ビートルズはメジャーになったから、俺らは聴いたんだ

▼先週の日曜とその前週の日曜日、東京FMで矢沢永吉と布袋寅泰の対談があった。トークバトルとか銘打っているけど、司会を挟んでの対談ですね。例によって、矢沢永吉はキンキンと甲高い声でまくし立てる。クルマの中で聞き流していたので細部は定かではないが、結構おもしろく聴いた。「ビートルズはメジャーになったから、俺らは聴いたんだ。メジャーじゃなかったら聴かないんだよ」矢沢さん、こんな台詞を吐くのですよ。臆面もなくこんなことを言われると困っちゃうよね。 ▼自分の鑑識眼に自信を持って拘る連中への強烈なアンチテーゼだ。でも、ある意味真実だと思う。もろ手を上げて賛成はしたくないけど、ある一定のレベルを超えてしまえば、あとは好みとか勢いとか運とか…、そういう不可知なものに左右される。そういう魑魅魍魎の世界を生き抜いてきた矢沢さんならではの重い言葉と受け止めた。聞きようによっては一般ピープルへの挑戦ともとれそうだけど、そうではないよね。 ▼ぼくの読書なんか、まさに矢沢さんの言葉通り。インターネットで、雑誌で、ニフティで、書店で、ともかくいろんなところで評判を聞きつけて手にとる。メジャーになってナンボ。矢沢さんのメッセージが作家にそのまま通用するとは思えないけど、同じ創造の世界だから通じるところはあるのかな。 ▼ビートルズといえば、頂点を極めたジョン・レノンが凶弾に倒れて早20年。当時、人生観が変わるほどの衝撃を受けたファンにとっては、狙撃犯の保釈却下のニュースは一種の安堵をもって伝わった。そういえば、10/9にはさいたま新都心に「ジョン・レノン・ミュージアム」がオープンする。一度は足を運ばねばね。 ▼さて、冒頭の対談は、布袋寅泰のこんな言葉で締めくくられた。「優しい男になりたい」 矢沢さんが、ちょっと怯んだような気がしたのは、それこそ気のせいなんだろうな。

2000年10月5日(木) 遅刻常習犯の幼児性と、長電話男の優柔不断

▼男と女とどっちが嫉妬深いかと言えば、これは男だと思う。で、どっちがわがままかと言うとこれも男の方がわがままだ、と思う。もちろん、その人の性格にもよるんだけど、放っておくと無限大にわがままを増長させていくやつは男に多いように思う。 ▼話は変わるが、電話の長い男と遅刻常習犯だけは絶対に許せない。電話の長い男に仕事のできる奴はいないと思いませんか? どこの会社のどこのセクションにも必ずいるはず。よく客とムダ話をして情報をつかめ、とか言うけど、これも常識の範囲だよね。 ▼電話の長い奴はたいていが優柔不断なのです。切るタイミングをつかめないのだ。あるいは、自分の用向きをうまくまとめて伝えられない。最近の女性たちは、この「優柔不断」を「優しさ」と勘違いされている方が多いみたいだから、注意したほうがよろしいかな。優柔不断なくせに用件を溜め込まないと電話しないから、最も大切な用件が後回しになって忘れることもしばしば。内線を入れても話中のことが多いから、伝わる情報が一歩も二歩も遅れた鮮度の低いものになる。まったく、長電話は百害あって一利無しなのだ。電話の長い男は最低、と断言してしまおう。 ▼遅刻常習犯。まあ、確信犯だよね。自分の仕事や立場に、誰にも理解できない絶対の”何”かがあるというか、あたかも免罪符を持っているかの勘違い。あるいは仕事を舐めているだけか…。毎日残業で夜10時だの11時だのになるから、毎日午前中は休みとか。こんなふざけた理由で常習的に遅刻するアホ。広告代理店にはこういうタコ社員がものすごく多いのだ。まあ、野放しにする会社にも多大な責任ありか。毎日定時に出社して、毎日夜10時11時まで残業している奴だっているのだ。周囲に悪影響しかもたらさない自己中のわがままは増長を繰り返して、御しきれないほど大きくなる。まあ、平たく言えばガキなのですね。 ▼遅刻常習犯の幼児性と、長電話男の優柔不断。どっちも簡単に直るもんじゃない上に、アバタもエクボ作用が激しいそうだから、女性の方々はくれぐれも注意されたほうがよろしいかと…。

2000年10月4日(水) 職業欄に何と書きますか?

▼職業欄に「会社員」と書き込むことにずっと抵抗があった。が、それも年とともに薄れ、残念ながらこの前の国勢調査では、何の迷いもなく「会社員」と書き込んじゃった…。あ、あれにはちゃんと会社名と職種の欄があったっけ? ▼何の因果か会社勤めをしている。これは他に能が無いから、と書いた方がより現実に近そうだ。だから職業欄には「会社員」と書く? でも、考えてみれば、「会社員」ってのは職業じゃないよね。どこかしらの会社に属しているというだけの意味しかない。どこの会社でどんな仕事をしようが同じ職業「会社員」と呼ばれることには抵抗があったのだ。 ▼広辞苑によれば職業とは、「日常従事する業務。生計を立てるための仕事。家業。なりわい」とある。こんな言葉まで調べるな>自分(^^;;;。じゃあ、職業と呼べるものには何があるか。ウチの会社(広告代理店)で言えば、「カメラマン」や「コピーライター」や「デザイナー」。古くは「写植オペレーター」とか「フィニッシャー」とか。今ならさしづめ「オペレーター」か。 ▼少なくとも、広告代理店に勤務するぼくが「日常従事する業務」は「会社員」ではない。確かに「生計を立てるための仕事」として会社勤めをしてはいるには違いないが。この「会社員」という呼称には、いわゆる、親方日の丸あるいは寄らば大樹の陰的な、一種の無責任が内包されているように思えてならないのだ。 ▼試しに、「会社員」以外の職名を持っている連中数人に聞いてみたが、数人を除いて職業欄に「職業」を書く人はいなかった。どうして? と尋ねると「会社勤めしているから」 その裏には、会社勤めしていると安定しているように見えるからという意識が働いているんだろう。 ▼プロ意識の欠如だとかいうつもりは全然ありません。でも、ぼくらはブロイラーじゃないのだ。心なしか、職業欄に職業を書く人には、自分の職業に誇りを持って前向きに捉えている人が多いように思えてしまうのだ。

2000年10月3日(火) まあ、迷っているわけであります

▼パソコン選びにやっと目星がついてきた。ノートパソコン+ちょっとした周辺機器、で落ち着きそうなのである。他人のパソコン選びなんて参考になるとは思えないが、せっかくだからなぜそうなったかをちょっと書いてみることにする。 ▼問題はモニターだった。モニター無しで本体のみを購入すれば、一番の費用対効果を得られる。これはもう間違いない。だが、省スペースを考えてモニターを買い換えることにしてからが苦難の始まりだったのだ。 ▼まず消去法で、既存のメーカー製パソコンは全部却下した。魅力的なパソコンはほとんどない。NECのワイヤレスマウス、ワイヤレスキーボードマシンも魅力的だったが、調べてみたらそんなものは簡単に手に入ることがわかったので迷わず却下。能力と値段のバランスがとれていないのだ。 ▼次いで、ショップブランドも全て却下。これは現有マシン(HDクラッシュマシン)で勉強したのね。サポートがなってない。何度も相談のために電話したのだが延々と話中でつながらない。つながってもあれやこれやと金を請求してくる。やれ、BIOSのバージョンアップだ、なんだかんだ…。これではホントに困ったときにどうしようもない。腹が立ったのでクラッシュマシンは時間をかけて自分で直すことにした。 ▼で、俎上に上がってきたのが、DellとGatewayだ。甲乙つけがたいが、ブランドイメージが先走ったのと、Athlonマシンが用意されているのでGatewayに絞って検討した。ほとんど決めかけたが、再度訪問したパソコンショップで偶然回ったノートパソコン売り場で、考え方が180度転換してしまったのだ。 ▼百花繚乱とはこのこと。一時の高価なイメージは全然ないんですね。で、省スペースでしょ。まだまだ不安定らしいが、USBが普及して拡張性も全く問題ない。キータッチもご贔屓のThink Pad なんか最高だもんね。もちろん、デスクトップに比べればまだまだ能力的には落ちるが、液晶モニターつき(当然(^^;;;)で20万円も出せばかなりのマシンが手に入ってしまうのだ。 ▼ってわけで、ノートパソコンに落ち着きそうです。CD−Rかなんかつけて。と書きながらも、デスクトップで育った偏狭なパソ使いは、まだまだデスクトップに未練たらたらではありますが…。あ、液晶ディスプレィ+スリムケースって手もあるか…(^^;;;)。どうなることやら。

2000年10月2日(月) 赤い羽根のお値段

▼相変わらずネット接続が満足にできず、片肺飛行を続けているぼくは昨日(10/1)もNHKのニュースにチャンネルを合わせました。普段はNHKはほとんど見ない。それなのに、NHKを選んだのはオリンピックの効力でありましょうか。 ▼画面が明るくなる。一番先に目に飛び込んできたのはアナウンサーのひときわ目を惹く左胸だ。燦然と輝くばかでかい赤い羽根。ああ、10/1「赤い羽根共同募金」…。かなりの宣伝効果でしょうねぇ。つけている人もいない人もいたから、NHKとしての姿勢ではないようだが、思わず舌打ちをしてしまう光景だった。 ▼あの「赤い羽根共同募金」で集められたお金は何に使われているんですか? 公器としてそういう疑問を調査する姿勢はないのですか? 募金と称して詐欺が横行しているのをご存知ですか? それは宣伝行為ではないのですか? ▼毎年ながら溢れ返る疑問を押さえられない。使用目的のはっきりした募金や義援金には反対ではないが、わけのわからない募金からは敬して遠ざかっている状況。阪神・淡路大震災の義援金のように、わかりやすいものは一応積極的に参加する意思はありますから。 ▼あの赤い羽根は1個につき1円70銭のお金がかかるそうだ。5,000万個作って、8,500万円の費用がかかる計算。何のために作って何のために胸に挿すのでしょう? 善意の象徴? どう考えたって、募金を募る側が識別する以外の効能は無いように思う。なら、やめたらどうかな。その予算をそっくり寄付した方がわかり易いし、お金の使い道としては有用な気がするのだが…。 ▼もっと嫌らしいのは、”善意のおしつけ”なのだ。ボーイスカウトや老人会や婦人会の方々が駅頭に並んで声を張り上げる。ご苦労さま、とは思うが、それ以上の気持ちは湧かない。一様な善意を押し付けられても、へそ曲がりのぼくには不快感しか持てないのだ。

2000年10月1日(日) 集団の中にいる安心感、はずれされる恐怖

▼何が怖いかって、学校が一番怖いのだ。歪んだ平等姿勢を刷込まれるとか、過去の日本が犯した戦争犯罪ばっかりあげつらって自分の国を非難することしか覚えないとか、「教師にでもなるくらいしか道がない」のでなんとなくなったサラリーマン教師が横行しているからとか、そんなことではなくて、生徒たちのなんでも右倣えの感覚、そこから派生する陰湿なイジメが一番怖いのだ。 ▼○○君と遊ぶな−子供に向かって、そんな馬鹿なことをほざくアホ親には絶対なりたくない。だが、はっきりと仲間はずれと言葉で罵る子とは遊んで欲しくない。子供の世界ほど力関係がわかり難い世界はない。いわゆるガキ大将ってのがいないので、理解不能の集団心理で、何かが決まる。 ▼3週間前に貸したゲームボーイソフトを返してくれ、と再三に渡って言いつづけたら、そんなこと言うならもうお前とは遊ばないとか、みんなから仲間はずれにしてやるとか。小3の長男が言われたとか、言われないとか。これは難しいかな? 思わず、そんなこと言うガキとは遊ばなくていい! って言ってしまいたくなる。 ▼集団の中にいる安心感。集団からはずされる恐怖。わからなくもない。でもね、そんな馬鹿なことを言われたら、「いいよ、もうお前とは遊ばない」 って言い放って欲しのだ、父としては。え? そう言ったのか…(^^;;;)。